2018年5月22日火曜日

白人は実は黒人だった

以前、「イギリス人はドイツ人」という話を書いた。
で、今回は「白人は実は黒人だった」という話をしたい。

サセックス侯爵夫人――誰のことかというと、数日前に結婚した
英国ヘンリー王子の夫人、メーガン・マークルさんのことである。
メ―ガンさんは母親がアフリカ系のアメリカ人、
父親がオランダ・アイルランド系のアメリカ人である。

ロイヤルファミリーに初めて黒人の血が入る、
と賛否両論があった。多様性を重要視する時代だから賛成、
という進歩的意見があれば、黒人のプリンセスなど許されない、
とする保守的な意見も多かった。

白人は人類の中で一番優れている、とダーウィンが登場する前から
白人たちは思っていた。動物の中で人間が一番賢く、その人間の中で
白人が最も優れた人種であると固く信じていたし、
今もそう考えているフシがある。

モンテスキューは『法の精神』の中で、
《黒人が人間だと考えるのは不可能である。なぜなら黄金より
ガラス玉を好むからだ》などと失礼なことを言っている。

で、ギリシャ・ローマ文明につながるエジプト文明を調べれば、
その証拠が見つかるだろうと、王墓を発掘しその壁画をつぶさに観察してみたら、
《王は褐色の肌で、それにまず黒人が列し、次に黄色人が並び、
最後に入れ墨をした白い肌の野蛮人が並んでいた》
これはロゼッタストーンを解読したシャンポリオンが、
その失望を友人に書き送ったものである。
エジプト文明は黒人種のもので、当時は白人種が最も未開の人種であった。
予想外の結果に白人たちはガックリと肩を落とした。

ダーウィンの『種の起源』によれば、猿の毛がだんだん抜けて人類になった
のだという。ところが白人黒人黄色人を並べてみると、一番毛深いのが白人種だ。
つまりダーウィン説によると白人が最も進化の遅れた人種、
ということになってしまう。悲しいかな、これも〝やぶへび〟だった。

人類の祖先はアフリカ・エチオピア高原の黒人だった、
というのが今では定説になっている。その黒人の一部が狩猟の場を求めて
ヨーロッパに渡り、また別の一派は東へ向かった。
黒い肌は紫外線を通さないため、皮膚でつくられるビタミンDがつくれない。
環境適応の視点で考えると、黒人たちはゆっくりゆっくり皮膚の色を適応させ、
白色になっていったと考えられる。黒色から白色になるまでの期間は?
ざっと5000年と考えられている。約5000年かけて黒人は徐々に白っぽく
なっていったのである。

黒人の血を引くメ―ガンさんが英国ロイヤルファミリーの一員になる、
ということだけで大騒ぎしているが、そもそも5000年前に遡れば、
偉そうな顔をしている白人たちもそろって黒人であった。
王室の血が穢れる、などと言っている連中に対して、
ボクは声を大にして言いたい。
「あなたたちの遠いご先祖さんは色がまっ黒だったんですよ!」

実はアメリカにいるボクの従兄弟たちはメ―ガンさんと同じく
黒人の血を引いている。ボクの父方の叔母はアフリカ系のアメリカ人と
結婚したからだ。フロリダで大きな農場を営んでいた叔父と叔母。
すでに鬼籍に入ってしまったが、従兄弟たちはアメリカの国内外で
みな元気に暮らしている。従兄弟の子供たちにはスペイン系もいたりするから、
まさにみな民族多様性を絵に描いたような顔立ちをしている。

ボク自身もフランス人に間違えられたくらいだから、
皮膚の色や見てくれなんて、要はどうでもいいのだ。
ボクは子供の頃、パンに擬して人種の違いを描いた
変わった絵本を読んだことがある。こんな感じだった。

《パンを焼きました。オーブンから出してみたらまだ生焼けでまっ白でした。
再び焼きました。出してみたら焼き過ぎて真っ黒けでした。
こんどは慎重に焼きました。
出してみたらこんがり黄金色のおいしそうなパンでした》。

これとても〝黄色人種優位主義〟の変形バージョンにすぎない。
イギリス人も1500年前はドイツ人だった。時間軸をちょっとずらして
相対化すれば白人も黒人になるし、黄色人だって黒人になる。
ご先祖様が同じという意味では「人類みな兄弟」という言い方は正しい。

たかだか数百年に過ぎない「近・現代」をリードしたからといって、
白人どもよ、あんまり偉そうな顔をしなさんな。
時間軸を少しずらすだけで、優位性などすぐ逆転されてしまうものだ。

大事なのは歴史をつぶさに学ぶこと。その歴史から〝価値の相対性〟
というものを学ぶこと。人類の全歴史において白人が天下を取っていた時期など
ほんとちょっとだけだ。そのことを知らずに上から目線で語ることは、
「私たち白人は無知蒙昧な人種です」と天下に公言しているようなものだろう。
メ―ガンさん、つまらぬ中傷なんかにめげず、どうか幸せになってください。



2018年5月14日月曜日

愚一片の 無限の明るさ

敗戦の翌年、師範学校の教職を辞し、それこそ無一物となって
仏教の伝道に生涯を捧げた毎田周一(まいだしゅういち)。
思想家としても多くの著作を遺した。その中から一部を抜粋する。

●信ずるとは 赤ん坊のようになることだ
それはどうすることか 無用心になることだ 

●むつかしい顔をすることは、少しも要らないのである。
いつもにこやかな顔をして、すべての人に向かえばよいのである。

むつかしい顔をするのは、
ただその人の度量の小ささを語るのみである。
私はかくもケチな、チッポケな人間です、というばかりである。
狭っ苦しい殻をかぶり、われとわが世界を縮めているような、
せっかく生まれてきた人生を、
いつもこせこせと、しみったれて生きているような、
小人ですと、告白するばかりである。

微笑は自由の象徴である。
一切を容れて世界と共に生きるものの歓びの象徴である。

平和は、この微笑から来る。

ひとかどの人間だと思うから 自由になれないのです
この世のやくざ 大やくざ
人間の世界の屑であることに 目覚めるとき――
私は豁然として自由です

世の中で一番大切なことはどういうことであるか。 
頭を下げること。
一番詰まらぬことは。
高慢。

●人間最高の徳は?
謙虚。
人間最大の不徳は?
高慢。

●こんなに簡単な そして ただ一つのことを
それがわからないで 人がみな苦労している

それはどういうことか つまり それというのは
自分が馬鹿だってこと これがその一つのこと

自分を利口だと 思っていればこそ
みんながみんなこんなにも 苦労しているのだ

それこそは御苦労なことだ
そして恨みようもないこと
愚一片(ぐいっぺん)の ああ
無限の明るさ――

●純粋な情熱は ついに人を溶かす

才能も要らぬ 容色も要らぬ

ただ一つ 純粋は 無邪気と知れ

●唯一の真理は無常。

●悲観する人に――
悲観するも何もないよ
一切の苦の人生に
悲観のほかに何がありますか
仏の慈悲は
絶対悲観ですよ
(つまり君は認識不足なんです)


懇意の歯医者が言っていた。
「時々、待合室で騒いでいる人がいます。なかにはこんな人もいました。
待たされて気が立っているんでしょう。受付の子に向かって、
『おれを誰だと思ってんだ! (一部上場のあの有名な)〇△社の専務だった
んだぞ。いったいいつまで待たせるんだ!』。(カッコは筆者が入れました)
もうご隠居さんなんですがね、昔の栄光の金看板が忘れられないんでしょうね。
なだめすかすのに往生しました(笑)」

それにしても、よくもまあ恥ずかしげもなく、こんなセリフが吐けますね。
あの医院、待合室はいつも人でごった返しているのです。
そんな場所で、一部上場会社の取締役だったんだぞ、と力んでみたって
仕方ないじゃないですか。たいした会社じゃないですよ、
その程度の人を役員にしている会社は。

偉くなると、自分はその辺にころがっている有象無象とは違うんだ、
自分は神から選ばれた〝選良〟で、ひとかどの人間なのだと勘違いして
しまうんですね。よくいますよ、この手の高慢チキなおじさん。
おのれ自身を「愚一片」と悟るまでの道のりは相当険しそうです。

人間って愚かな生き物ですね。
だからこそこの世はおもしろいのかもしれません。