2020年7月2日木曜日

美人は三日で飽きる?

もう半年ほど〝上京〟していない。
新宿なんか何年もご無沙汰だ。
もっとも和光市は東京の板橋区と練馬区に隣接しているので、
わが家から南へ500㍍ほど歩けば練馬区の大泉学園町だし、
東へやはり500㍍ほど下れば板橋区成増だ。
つまり、正確に言えばほとんど毎日のように〝上京〟はしている。
ただ(ああ、東京へ来たぞ!)といった感覚がないだけだ。

サラリーマン時代、新宿歌舞伎町のわけのわからん店で独り軽く飲んだら、
会計時にウン万円を請求され、文句を言ったら、怖そうなおニイさんが出てきて
ニラミをきかせたので、小心者のボクはコソコソと相手の言い分に従った。
それ以来、ぼったくりの店が多い歌舞伎町には近づかないようにしている。

夜の街、新宿や池袋の評判がにわかに悪くなってきている。
新型コロナのクラスター感染が起きているからだ。
キャバクラやホストクラブなどが主な発生源らしいが、
危険と知りつつこの種の店に行きたがる気持ちは分からないではない。

ボクも若い頃はよく通った。
「ハワイ」だとか「ロンドン」といったキャバレーチェーン全盛の頃で、
若い娘のお色気たっぷりの接客がウリだった。
こういういかがわしい店には行かない、という堅物も中にはいるが、
健康な男だったら、一度や二度は必ず足を運んでいるはずだ。
だいいち、どんな店なのか実際に足を踏み入れてみなければ分かりっこない。
何事も経験なのだ。

銀座の高級クラブにも何度か連れて行ってもらった。
印象的だったのは、作家の野坂昭如さんのお供をした時で、
彼はホステスに「先生~、ウッフーン」などと、やたらもてまくっていた。
ボクはお願いしていた原稿を催促に行っただけで、そしたら、
「これから銀座に出るから、いっしょに行かんか?」
と言われ、しぶしぶ?ついていっただけの話である。

でも原稿はもらえず、次の指定場所は日テレの『イレブンPM』の
収録スタジオだった。ボクの目の前には、裸と見紛うほどのスケスケ美女たちが、
行ったり来たりしている。その先には野坂さんと司会の大橋巨泉が、
鼻の下を思いっきり伸ばしニヤニヤやっていた。

(世の中にはものすごい美女がいるもんだな……)
夜の銀座やテレビスタジオは美女たちで溢れかえっていた。
でも目の保養をさせてもらっただけで、肝心の原稿はもらえなかった。




←遅筆の野坂氏はなかなか原稿を書いて
くれなかった。最後は駒場のラグビー場まで
取りに行ったが、そこでも「まだ書いてない」
の返事だった。それなら最初からそう言えよ!
とにかく変なおっさんだった。





これはちょっとした自慢なのだが、結婚前、ボクはいろいろな女と
付き合っていたが、一番の美人は山形生まれのモデルのような女だった。
色は抜けるように白く、背は170㎝近くあり、小顔八頭身を絵に描いたような
女だった。ボクはこの娘を連れてよく街をほっつき歩いた。
(どうだ、羨ましいだろ……)
高級ブランド品のバッグを見せびらかしたくなるのと同じ心境だろう。

でもね、この美人とは1年もたなかった。
ボクが飽きてしまったのだ。
よく〝美人は3日で飽きるけど、ブスは3日で慣れる〟というが、
まさにそれ。彼女には申し訳ないが、美人は飽きられるのも早いのだ。

というわけで、結婚後は、美人でもブスでもない、
ただ飽きのこない不思議な顔をしたカミさんと仲良くやっている。
女遊びは一切しない。若い時分にさんざっぱら遊んだから、
もういいのだ。金もないし……(笑)。
齢を食ってから狂ったように遊び始める男は、
きっと若い頃の遊びが足らなかったのだろう。

若い女をはべらせて酒を飲むのもいいが、
彼女たちの話は概ねつまらないので、
やはり酒は気のおけない仲間と飲むのがいい。
女性相手に世界情勢や米中関係、憲法改正問題を語ってもねェ……
それってやっぱ野暮天でしょ。

年がら年中、発情していた若い頃を思い出すと、
なんておバカなことばっかりやっていたんだろ、
と我ながら情けなくなるが、わけ知り顔をした今の自分を情けなく思う時もある。
生来、経験に裏打ちされた分別くさい顔ってやつがきらいだからだ。
二度と戻りたくはないが、ムチャクチャをやっていたあの頃の自分が
ちょっぴり懐かしい。