2020年8月27日木曜日

大坂なおみと同じ悩み

テニスの「全米オープン」の前哨戦ともいえるNY市の「ウエスタン・アンド・
サザン・オープン」で、大坂なおみが快進撃を続けているが、27日、突然、
準決勝をボイコットすると宣言した。

理由はウィスコンシン州ケノーシャで、警察官が背後から黒人男性を銃撃した
事件がきっかけで、今、全米で警察への抗議デモが起きているが、大阪も
そのデモの一員として抗議の意を示したいのだという。

「私はアスリートである前に一人の黒人女性です。テニスをしている私を
見てもらうより、今はもっとやるべき大事なことがある」
とコメント。

コメントの最後に、警官から暴行を受けた4名の黒人の名前を記し、
「私は数日おきに新しいハッシュタグが生まれることに疲れ果て、
何度も何度も同じ会話をすることにウンザリしている」
と、怒りを綴っている。

車の後部座席にいた子供たちの前で、背後から7発の銃弾を撃ち込まれた
黒人男性は、命はとりとめたものの脊髄を損傷し、生涯車椅子の生活を
余儀なくされてしまった。彼がいったい何をしたというのだろう。
武器など持っていないし、ただ車に戻ろうとしていただけ。
たったそれだけのことで、アメリカでは発砲が許されてしまうのか。

何度も書いてきたが、ボクの叔母(父の妹)はアフリカ系のアメリカ人と
結婚した。だから、ボクの従兄弟たち4人とその子供や孫たちは、
#Black Lives Matter(黒人への警察の残虐行為に対する非暴力・非服従の抗議運動
の当事者であり、被差別者側の悲しみや怒りに堪えながら生きてきた。
日本人の血が入っているから、まさしく大坂なおみと同じ悩みを抱えて
いるのである。

大坂なおみの試合を見られないのは、ファンとしては残念至極ではあるが、
大坂のいうように、テニスプレイヤーである前に一人の人間として行うべき
ことがあるのだろう。アスリートは政治に首を突っ込まないほうがいい、
などと日本では言われるようだが、運動選手になぜ政治的発言が許されないのか。

「お前たちはただの見世物なんだから、
だまってテニスをしていればいい。
難しいことはどうせ分からんだろうから、
頭より体を使え!」

政治的発言をきらう人たちは、おそらくこんなふうに考えているのではないか。
ずいぶん失礼な話である。こっちは人種差別ではなく職業差別。
スポーツ選手や芸人、タレントは〝見世物〟なのだから、
無い頭をしぼるより、汗を流して観客の声援に応えろ、ってか。

わが家にホームステイした外国人はいっぱいいる。
もちろん白人もいっぱいいて、みんないい子だったが、
彼らの心の中まで覗きこんだわけではないから、
人種差別問題についてどう思っているかは分からない。

人類の歴史を見ると、白人たちは近・現代を支配してきた。4大文明の発祥は
アジアやアフリカで、モンゴルやイスラム文明がヨーロッパ文明を圧倒していた
時代もあったが、現代に直結するこの400~500年は、白人たちの文化文明が
他を圧し、世界を事実上支配していた。

たかだか数百年、人類のトップに君臨していたからといって、
白人が優性遺伝の持ち主であるとは言えないのに、
彼ら白人たちは、
「自分たちこそが優性遺伝子の持ち主で、
他の人種は劣性遺伝でしかない」
と切り捨てる。ずいぶん乱暴な話である。

そもそも白人だろうが黄色人種だろうが、人類の元をたどれば、
アフリカの黒人たちではないか。以前も書いたが、白人は
黒人の劣性遺伝(Albino)で、いわゆる白子である。
その白子が約5000年かけて、今の白色人種になったといわれている。
つまり、白人が黒人をバカにし差別するという行為は、
ご先祖様に唾するような行為なのだ。白人だけが優性遺伝だ、
なんてとんでもない思い上がりなのだ。

歴史に無知だと、こういう高慢ちきな意識が生まれるのだが、
そもそも人間は愚かな動物なのだから仕方がない。

ハッシュタグが何度更新されようが、この世から差別はなくならない。
人間は差別を欲する動物だからだ。悲しいがこれが現実である。

連合国が戦後処理を話し合う「ポツダム会議」で、日本への原爆投下
に対して「予告すべき」とする声はあったが、英国のチャーチル首相は
敢然と無視、
「日本人は猿同然なんだから、ためらうことなく落とせばいい」
と米国のルーズベルト大統領を促した、という説もある。
長崎に投下された原爆の愛称は「ファットマン(ふとっちょ)」。
これはチャーチルのことらしい。

白人たちからすると、黒人も日本人も、人間というより〝猿〟に近い?
つまり、ボクの叔母はお猿さん同士で結婚したというわけか。

#Yellow Lives Matter(イエローマンキーだって人間です)
こんなハッシュタグが流行しないことを願うよ。



■速報によると、大坂なおみは一転して出場へ。
28日に予定されている準決勝に出場するという。
理由は「より強い抗議の意思を伝えられるから」としている。









2020年8月19日水曜日

ツバメみたいに中身の充実した人生を送りたい

 コロナに梅雨の大雨、そしてトドメを刺すのが無慈悲な猛暑だ。
外へ出ると、すぐに汗だくになり、足どりが重くなる。
心なしか、みなうつむき気味に歩いている。なかにはよろけそうな人も。
 今年は何という厄年なのか。コウモリっ食いの中国人のおかげで、
新型コロナウィルスが世界中に蔓延し、特に基礎疾患を抱えている高齢者が
狙い撃ちにされている。
「もうあんたらは用済みで、世の中の厄介者なんだから、
ウィルスに片づけてもらって清々するよ」
 そんなふうに思っている人もいるかもしれない。何も好きこのんで齢をとった
わけではないが、高額医療費が国の財政を圧迫しているなどと聞くと、
高齢者でいることがひどく罪深いことのように思えてくる。
 昔は、自分が還暦を超えたじいさんになるなんて想像だにしなかった。
もしそうなるとしても相当先の話だろう、と勝手に決め込んでいた。
ところがどうだ。先の話どころかたちまち還暦を迎え、
いつの間にか孫ができ、誰が決めたのか「前期高齢者」などと呼ばれるようになった。
「おれたちは〝末期〟だからな。ハハハ……」
朝の体操仲間たちは、そのほとんどが「後期高齢者」。
彼らは用済みとなった自分たちを自嘲気味に〝末期高齢者〟と呼んで嗤う。
 歳月人を待たずというが、いつまでも若いと思っていたらこのザマだ。
ボーッと生きているとあっという間に年を食ってしまう。地球は46億年の歴史を持ち、
人類はわずか20万年の歴史しかない、といわれるが、となると個人の寿命なんて
零コンマ1秒の瞬きにも値しない。つまり、人類の存在なんて〝無〟そのものだ。
 セミは地中に7年、地上に出て7日の命というが、力の限り鳴き続け、
子孫を宿して生涯を終える潔さを、人間は少しは見習ってもよいのでは。
ただべんべんと生き永らえることだけが人生ではない。「人生100年時代」
といわれるが、1年半の寿命しかないツバメは毎日働きづめで、必死に子育てに
精を出している。パチンコや〝昼カラ〟でムダな時間を過ごしているヒマなど
なさそうなのだ。ちなみにカラスは時に60年近く生きるものもあるという。
 「人生は死ぬ時までのヒマつぶし」と喝破したのは師匠・山本夏彦だが、
どうせヒマをつぶすのなら、世のため人のためになりそうなヒマをつぶしたい。
ボクは物書きのはしくれだから、できることといったら文章を紡ぐことくらいだが、
ここ数年はご無沙汰だった。長引く出版不況の中で、売れそうもない著者に仕事を
依頼するマヌケな編集者はいない。
 ところがいたのである。久しぶりに「本を書いてくれ」と依頼があった。
怠け癖のついたボケ老人にはたして本が書けるだろうか。過去に数十冊書いてきた
実績はあるのだが、いかんせんブランクが長い。酒ばかり飲んでいるから、肝心の
脳みそが発酵し始めている。
(こんなマルコメ味噌みたいな脳みそで、文章が書けるだろうか?)
 おじさんはにわかに不安に苛まれているのである。
 というわけで、しばらくは酒量を少しばかり落とし、まともな脳みそを
復活させることにする。