2021年10月17日日曜日

天災は忘れたころにやってくる!

 一昨日、隣町のプールで泳いでいたら、突然「ドッカーン!」というすさまじい音。「何だ何だ?」「看板でも落ちたんじゃないのか?」「何かがぶつかったみたいよ!」館内は騒然としている。

この温水プール。ご覧のように「25mプール」や「流れるプール」「幼児用プール」「障害者用プール」、そして「ジャグジー」といったように多機能型のプールで、朝霞市民だけでなく、他市の住民からも親しまれている。


建物の側面は見てお分かりのようにガラス窓で覆われている。このガラス窓に何かがぶつかったのではないのか。ボクたちは水から上がり、恐る恐る、窓の外を覗いてみた。すると一羽の大きな鳥が地面に堕ちて脚をバタつかせている。ハハーン、この鳥か……

チラと見て、ボクは雉(きじ)ではないのか、と思ったが、違った。孔雀(くじゃく)だった。おいおい、朝霞の空には孔雀が飛んでいるのかよ!

館内はこの話で持ちきり。大きなガラス窓にはくちばしの痕なのだろう、小さなヒビが入っていた。

東日本大震災が起きて以来、和光市の住民であるボクたちは、隣町・朝霞市の市民プールをお借りしている。和光市のプールは地震で壊れてしまったのだ。今再建中で、12月の初旬に完成する予定だが、ボクたち水泳を愛する和光市民は、この10年、他市のプールのお世話になったり、会員制のスポーツジムでなまった身体をほぐしたりしてきた。自分たちの町の、自分たちのプールが欲しい――――まさに悲願十年なのだ。

さて、今日は朝から雲行きが怪しく、予報では雨になるという。実は今日、わが団地の防災消防訓練が予定されている。団地は1616世帯の大型団地。その管理組合の理事長であるボクは、防災本部長でもある。つまり、防災消防班のトップなのである。

午前8時には管理センターに集合し、訓練を決行するかどうか決断しなくてはならない。例年なら小雨決行だが、さてどうなることやら。もし決行ということになれば、住民を前に一席ぶたなくてはならない。どうにも気が重いのである。

しかし、災難は突然やってくる。大地震でも来て停電になれば、エレベーターはおろか水道だって使えなくなってしまう。高齢化の波が押し寄せている団地である。上層階の年寄りは階段を使って無事に下りられるのだろうか。他人事ではないのである。

冒頭の哀れなクジャクのようにならないためにも、防災消防訓練は必要だろう。実際、大地震でも発生してみたら、慌てふためき、自分や家族の命を守ることに精一杯で、他人のことまで気が回らないだろうが、隣人同士で助け合わなくては、助かる命も助からなくなる。

イザとなったら、遠くの親戚より近くの他人。隣人しか頼りにならないのだ。そのためにも、日頃からつきあいは欠かさないほうがいい。そして団地内に多くの友人を作っておくことだ。以前、管理センターの受付で「俺を誰だと思ってるんだ!」と叫んでいるおじさんを見かけたことがあるが、(バカじゃないの、このおっさん)と思った。見ているこっちまで恥ずかしくなる。「あのォ、天皇陛下様でいらっしゃいますか?」と、からかってやりたくなった。

この団地には、いわゆる「昔偉かったおじさん」という〝困ったちゃん〟がうじゃうじゃいる。上場企業の偉いさんだったおじさんたちで、隠居した今も、昔の栄光が忘れられないという、可哀そうなおじさんたちである。(こういうおやじにはなりたくないな)ボクはいつもそう思っている。人前で偉そうに上から目線でしゃべる人間が大きらいなのだ。

あっ、そろそろお開きにしよう。防災訓練の支度をしなくては。それにしても、「長」のつく役職は気骨が折れてイヤですね(笑)。任期はあと半年。頑張らねば。



2021年8月23日月曜日

ボクが蛇蝎のごとく嫌う人たち

 ようやくスマホを使えるようになったが、おそらく全機能の10%も使いこなしていないんじゃないかしら。ボクは超のつく機械オンチで、商売道具のパソコンだって、ほとんどワープロとネット検索くらいしか使えない。表計算ソフトとか、他にいろんな機能が付いているらしいのだが、まったくのお手上げで、ついでに言えば、覚えようという気がそもそもない。

 街に出ると、歩きながらスマホをいじっている人、自転車に乗りながらスマホ画面を眺めている人、会話そっちのけで互いにスマホに夢中な恋人同士など、いわゆる〝スマホ中毒患者〟がいっぱいいる。二宮金次郎みたいに、夢中になっているものがスマホではなく書物なら、共感するところが大いにあるのだが、赤ん坊のおしゃぶりみたいに、のべつまくなしスマホ漬けでは、共感どころか軽蔑の念が湧き起こってくる。

「他にやることないのかよ?」

 つい嫌味のひとつも言ってやりたくなる。ボクは「人にやさしく」がモットーの男で、基本的にやさしい人間なのだが、もちろん誰にでもやさしいというわけではない。

 これでけっこう好き嫌いがあって、嫌いとなるととことん嫌いになってしまう。ボクの若者嫌いは筋金入りで、小学生くらいまでの子供は好きなのだが、いわゆる少年から青年になりたての頃の若者は苦手だ。どいつもこいつも、みなバカに見えてしまうのだ。

 で、嫌いなものを幾つか列記してみる。

群れをなして騒ぐ若者たち……実はボクもそうだったのだが、群れをなすとついバカ騒ぎしてしまう。周りの迷惑など考えずに、「これが青春だ―ッ!」みたいに騒いでしまうのだ。

スマホ中毒を患っている若者たち……ボクは若い頃、ブックワームと呼ばれるほどの本の虫で、書物を読んで人生を学んだと自負している。スマホから人生が学べるだろうか。

バラエティと称する番組を制作する人たちと、出演してバカ笑いしている人たち

●わけ知り顔で正論をぶつ〝コメンテーター〟と称するいかがわしい連中

●〝ガースー〟然り、原稿をただ棒読みするだけの無能な政治屋ども

●どこか上から目線で人と対する〝昔偉かったおじさん〟

●朝日、毎日、東京といった左翼反日新聞を愛読する人たち……ボクの目には〝おバカさん〟としか映らない。実際、日教組教育に毒されたおバカさんばかりだから悲しい。

夫自慢に息子自慢、ついには孫自慢に及ぶ〝自慢話大好きおばさん〟……いるよね、こういうの(笑)。決して悪い人間じゃないのだけれど、うっとうしい。

「教育」はあるのだろうけど「教養」のない人……教育のあるなしなんて糞の突っかい棒にもならない。教養とは人間の奥行きと幅。教養のない人は付き合っても面白くない。

 キリがないからこの辺でやめる。上掲の人たちはボクの知り合いには掃いて捨てるほどいるが、友達ではない。要はリベラリストを気取る上から目線の自慢しい、つまらぬ情報で頭を一杯にしている無教養な若者たち、といった種族がきらいなのだ。実るほど頭を垂れる稲穂かな。人間、かくありたいですな。

  

2021年7月5日月曜日

明治の男たちは凛々しかった

 毎日、雨、雨、雨……。鬱陶しいですな、梅雨というのは。

梅雨空も鬱陶しいですが、政治家の顔を見るのも鬱陶しいですな。

特に野党党首たちの顔。メイシャントンみたいな顔した立憲の枝野、まだやってるのかよと呆れるばかりの共産・志位、国民の玉木、れいわ新選組の山本、NHKをどうにかしろと叫んでた立花何某……

申しわけないけど、どいつもこいつもロクな顔をしていない。そのことは与党のガースー以下の面々にも言えることで、「我欲」が背広を着てふんぞり返っている、という感じがする。

人相学に詳しいわけではないが、人間を長くやっていると、人柄は顔に出る、ということが分かってくる。人柄だけでなく教養も顔に出る。

その伝でいくと、日本の政治家には教養のカケラもない。そもそも政治家を志した時点で、教養にオサラバしたのかもしれないが、明治の政治家には教養人が多かったから、ボクの考えは浅薄なものなのかもしれない。

たとえば台湾総督府の民生長官を務めた後藤新平の顔を見てくれ。


こんなふうにきりりと引き締まった顔の持ち主が、日本の政界におりますか?

日露戦争の時、最高の軍師と言われた児玉源太郎。彼の顏だってすばらしいではないですか。キツネ目の近藤勇だって、ちょっと笑っちゃうけど、凛々しいといえば凛々しい。



こうした風格を感じさせる顔が令和の時代には払底していますな。

誤解しないでほしいのは、ボクの顏に風格があって、後藤新平みたいだろ? というのではもちろんない(笑)。あんな素敵な顔になりたいとは思うが、たぶんムリだと思う。

で、自分をまず棚に上げて意見を言ったまでの話で、人品骨柄も憂国の情があると、どうして気になってしかたがない、という話なのだ。

それにしても日本を代表する顔が〝ガースー〟こと菅総理だもんね。いつもオドオドしていて、役人がこさえた原稿を棒読みするだけ。G7でも主要国の連中と刺を通ずるまでには至らず、いつもポツンと離れたところで淋しそうにしていた。

言葉なんかできなくてもいいじゃないか。ボクなんか英語はからっきしだけど、外人に平気で話しかけてしまう。通じようが通じまいが、まったく気にしないのだ。ガースーにもこうした厚顔無恥の図々しさがほしいな。

ところで、ボクの娘たちに、「ねえ、ガースー知ってる?」と訊いたらみごとに知らなかった。「じゃあ、〝業スー〟は?」とやったら、これも「?」。業務スーパーのことである。

ボクは今、「業スー」と「カルディ」の虜で、ヒマさえあれば要らぬものまで買ってきてしまうのだ。明治人の顏の話が業スーまで行ってしまったが、脱線はいつものこと。平にお赦しあれ!