2017年1月30日月曜日

小さな団地の幸せ売り

ギターは5本持っている。
アコースティックが2本、エレアコ(エレキ+アコースティック)2本、
そしてナイロン弦を張った変わり種のエレキギターが1本だ。
どれも安物である。

キャッチボール仲間にモーリスとかギブソンのギターを持っている者がいる。
ちょいと借りて弾いたらぜんぜん音が違う。弘法筆を択ばず、というが、
それは弘法大師のような名筆だけがいえる言葉で、ただジャカジャカ掻き鳴らしている
だけの〝へたっぴぃ〟は、やはり良い楽器を択んだほうがいい。

ギターを弾き始めたのは中学生のころだ。
安物のガットギターで、当時流行っていた『禁じられた遊び』などを
自己流で爪弾いていた。こう考えると、すでにギター歴50年になるわけだが、
技術的には完全に進化が止まっている。

我らがバンド「蛮爺's」に助っ人として参加してもらったOさんは、
超絶テクの持ち主で、懐かしいベンチャーズ・フリークでもある。
そのOさんが、ボクのギターおよび演奏を見て、
「ひどいもんだね」
と、宣(のたま)わった。もちろん半分冗談だろうが、
ホンネも半分だった。

繊細で傷つきやすい(←どこが繊細だよ、という声もちらほら)、ガラス細工のような
心を持ったボクだが、なぜかヘラヘラ笑っていられた。実際ひどいものなんだろうな、
と日頃から思っているからである。巧くなりたいとは思う。
でも指が思うように動かない。すべて自己流でここまで来てしまった、
というのもよくなかったかもしれない。何ごともそうだが、良き師につかないと
どんなに頑張っても二流にとどまってしまう。

でも、曲がりなりにもギターが弾けるってことはボクの大いなる喜びだ。
ギターを爪弾きながら好きな歌をうたう。近所迷惑には違いないが、
いまのところ抗議らしい声は聞こえてこないので、歌だけは
聴くに堪えられる代物なのだろう、と勝手に解釈している。
なかには壁に耳を当てて聴いている熱烈な〝隠れファン〟が
いるかもしれない(←いないって)。

小学生の頃、遠足のバス旅行があると、
クラスの女の子たちに「嶋中君、歌ってよ」と歌をしつこくせがまれた。
よく歌ったのが、チャコこと飯田久彦の『ルイジアナ・ママ』とか『悲しき街角』。
万雷の拍手である。キャーキャー喜んでいたのは女の子たちで、
男どもは終始ブスッとした顔でそっぽを向いていた。

自分では歌がうまい、と思っていたのだが、ある日、その自信が粉々に砕け散った。
井上陽水のコンサートを聴きに行ったのだ。曲と曲の間の〝語り〟が実に暗いやつで、
こいつはきっといじめの対象になるな、などと思っていたが、歌は実にうまかった。
伸びやかな透明感のある声で、会場の隅々にまで響き渡っていた。
(こいつには絶対敵わねえな……)
素直にそう思った。

玉置浩二のコンサートに行った時も同じように感じた。
(世の中には、これほどまで蠱惑(こわく)的な声を持った人間がいるのか……)
ボクの独断だが、たぶん日本で一番歌がうまい歌手といったら、
この男にトドメを刺すだろう。
なかでも『メロディー』は大好きな曲で、今ではボクの十八番になっている。

横隔膜を上下させ、大きな声で歌をうたう。
健康にもいいし、ボケ防止にもなるという。

寒い時期は、なるたけ外出を控え、温かい部屋で読書したり歌をうたって過ごしている。
昨日はご親切にも大音響でエレキを掻き鳴らし、近所中に幸せのお裾分けをしてやった。
もちろん苦情などないが、感謝の声も届いていない。





←飯田久彦はボクの憧れだった。
『電話でキッス』もよかったな。
昔はキスではなくキッスと言ったんだよね。

2017年1月26日木曜日

人は困苦欠乏によって鍛えられる

作家・佐藤愛子の祖父は津軽藩士だった。明治維新で武士を廃業、
食わんがために小間物屋を始めた。店に客が来る。
「これはナンボしますかいな?」
店の主人に値段を尋ねると、
「うるさい! ナンボでもいい、カネを置いていけ!」
と怒鳴ったという。金銭のやりとりを卑しいものと見なす、
まさに典型的な〝武士の商法〟である。
 
その息子、つまり佐藤愛子の父親である小説家の佐藤紅緑は、
やはり士族の血が騒ぐのか、
カネ、カネと言う奴にロクな奴はいない
が口ぐせだった。その伝でいくと、米国のトランプ新大統領などは
損得勘定しか頭にない超のつくロクデナシ野郎ということになる。

愛子はそんな祖父や父の血を受け継いでいる。
別に保証人になっていたわけでもないのに、夫の借金を肩代わりし、
寝食を忘れて働き借金を返した。負債総額は約2億円。昭和40年代の
2億円である。とてつもない額だ。

佐藤は言う。
《ところが実際に貧乏になってみますとね、どうってことはないんですよ。
朝になったらお日様は上がるし、夕方になったらお月様は出る》

《私の信条はね、お金のある時はあるように暮らせばいい。無い時は
無いように暮らせばいい。それでいいじゃないか。それだけの柔軟性を持つことが、
静かに暮らせるコツだと思うんですよ》
なんか突き抜けちゃったような物言いである。

《何も苦しいことがなければ、幸福は生まれないのですよ。
幸福を知るには苦労があってこそなんだというのは、
苦労から逃げた人にはわからない真理だと思います。
苦しいことだらけの人生を生きた私は、幸福な人生だったと思うんです。
苦しい人生を力いっぱいに生きましたからね》

愛子の父は「正々堂々」という言葉をよく口にしていた。
野球好きのこの男、草野球チームを自ら作り上げ総監督になったはいいが、
敵が盗塁をすると、烈火のごとく怒って、
《塁を盗むとは何ごとか! 正々堂々の戦いにあらず!》
と声を荒らげ、試合を中断して相手チームの監督に怒鳴りこんだという。
これじゃ試合にならん😅。

こんな男の娘である。道を歩いていて向こうから借金取りがやって来るのを見て、
コソコソ隠れるような生き方だけはしたくない。
私は正々堂々と生きたいんです
正々堂々と自由に生きる――93歳の佐藤愛子は生涯を通してこの生き方を
貫いてきた。

愛子の父・紅緑は、こう言ったという。
俺が生きているかぎり、俺の娘が不幸になるわけがない
この父親の確信じみた妄信が、愛子の中に目に見えぬ楽天性を育てたともいえる。
たしかに荒唐無稽の自信かもしれぬが、現代にあってはこの荒唐無稽さが懐かしくもあり
うらやましくもある。

この際だ、ボクもその荒唐無稽さにちゃっかり便乗し叫んでしまおう。
「俺が生きているかぎり、俺の女房と娘たちが不幸になるわけがない! 
どうだ、ザマァミヤガレ😵」



←93歳であってもこの若さ。彼女は言う。
人は困苦欠乏によって鍛えられる》と。

2017年1月21日土曜日

昔あいの子、今ハーフ

「がんばって泳いでるね。よく見かけるけど、ちょくちょく来てるの?」
昨日、隣町のプールでよく見かけるおばちゃんに馴れ馴れしく声をかけたら、
「週末以外は毎日来てるわね。水泳のおかげで16キロも体重が落ちたわ」
だって。それでも大層ご立派な体格だから、以前はさぞふくよかな肉体だったのだろう。

このおばちゃん、ご主人の両親の介護で丸々10年を費やしたという。
外出もままならなかったのでブクブク肥り出し、ぶじ義父母を見送ったと思ったら、
鏡に映った自分の姿に唖然ボーゼン。なんとか元の姿に戻りたい、という一心でプールに
通っているという。その甲斐あってか、16キロの減量に成功。ボクなんか肥りこそすれ、
泳いで痩せるなんてことは金輪際ありそうにないが、オンナの〝痩せたい願望〟は
げに怖ろしくも悲しい、としみじみ思った次第だ。

彼女が言うには、生まれ育ったのは渋谷区・広尾で、実家はかなり裕福な家で
あったらしい。そういえば、川越生まれの芋兄ちゃんであるボクから見ると、
どことなく品があり、いいとこのお嬢ちゃん育ちであろうことがうかがい知れる。

そのおばちゃんが突然こんなことを言い出した。
「実はわたし、ドイツ人とのハーフなの……」
「えっ? (ウソだろ……😅)」
そういえば色白で、腰からおケツにかけての肉づきが、そのへんのおばちゃんたちとは
ちと違うような……でも顔つきはごくふつうの日本のおばちゃんと変わらないし、
ドイツというより都々逸(どどいつ)のほうが似合いそうな感じも……

聞けば、祖父母は神戸で貿易商を営んでいたドイツ人で、その息子と日本人の
母との間に生まれたのが彼女だという。へーえ、ドイツ人とのハーフなのか……。
ボクもフランス人と間違われたくらいだから、周囲の人はボクのことを〇〇人との
ハーフかも、な~んて思っているかもしれないけど(←思ってない、思ってない)、
ボクはおケツに蒙古斑のある純粋なニッポン人であります。

世間は広いですな。ごくふつうの日本人のおばちゃん顔をした〝ドイツ人とのハーフ〟
がいれば、フランス人と見間違われるアカ抜けたおじさんもいる(←自分で言うな!)。
それぞれに濃淡があるから一概に〝何系〟だなんて誰にもわかりゃしない。

「巨人、大鵬、玉子焼き」の大鵬幸喜がウクライナ系の力士だったことは広く知られて
いるが、東山紀之(タレント・俳優)や田中真理(女優)、矢野顕子(ミュージシャン)
や田中達也(Jリーガー)などがロシア人の血を引いているとは知らなかった。

もっと驚いたのは、あの強姦魔にして殺人鬼の大久保清がロシア人との
クォーターだってこと。ベレー帽姿のあのむさい男にロシア人の血が流れていたとは……

ボクは見かけによらずコスモポリタンだから、目の前にいる人間が「白い人」だろうと
「黒い人」だろうと、またハーフだろうがクォーターだろうが、まったく気にしない。
気にするのは、ボクとの相性だけ。幸いドイツ人とのハーフで、おケツの大きい
Nさんとは相性がよさそうだ。彼女は開けっぴろげで気取りがないおしゃべりおばさん。
ボクが唯一苦手とするのは、変にお高くとまった見栄っ張りのおじさんやおばさんたちで、
この手合いは総じて教育はあるが教養がない。何かというと自慢話ばかりで、
話していて実に退屈なのである。

米国のトランプ新大統領は、ドイツ人とスコットランド人とのハーフだという。
ボクは偽フランス人で、カミさんは「ロシア人とのハーフなの」と自称している
くらいだから、娘たちには何が何だかよくわからない、怪しい血がブレンドされている。
それでもまだ地球人同士だからいい。これが宇宙人とのハーフとなると……

ちなみに宇宙人とのハーフも地球上にはウジャウジャいるらしい。
ウソだと思ったら、銀座の人ごみの中で、大声でこう叫んだらいい。
「オーイ、宇宙人はいませんか~?」
振りむいたヤツはかなり怪しい😁。

※追記
嶋中一族の長所であり欠点は、やけに〝馴れ馴れしい〟こと。
初対面の人であっても、10年の知己のように話す。
そもそも堅苦しいしゃっちょこばった挨拶が苦手で、
いつだって裃を脱いでいる。ボクの姉なんかは
電車内で隣り合った人に、「あのね、あたしの亭主はね……」
などと突然話しかける。隣に座った運の悪い人の困惑ぶりといったら😖。
それでも「気さくでいい」と褒めてくれる人もいるから、
あまり難しく考えず、このままでいこうと思っている。



←おデブの渡辺直美も、実はハーフ。
台湾人と日本人とのハーフで、生まれは
台湾だという。

2017年1月15日日曜日

佐藤愛子さん大好き!

43万部突破したという佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』を読んだ。
高齢者向きなのか、活字が大きいので、ものの30分で読み切ってしまった。
御年93歳の愛子さん、《強く生きるとは満身創痍になること》、スマホの普及で
日本人総アホの時代が来る》などと、相変わらず威勢がいい。

ボクは愛子さんが〝大好物〟で、若い頃から愛読している。
どこが好きかというと、見てくれなんか気にしない、髪ふり乱し、地金丸出しで
本音で生きている。それなのにさらっとして嫌味がなく、品格さえ感じさせる。

愛子さんはいつだってこう言う。
《卑怯なマネはするな!》
《ケンカは素手で1対1でやれ!》
《怯懦(きょうだ)は恥だ!》
《負けるとわかっている戦いでも、
男はやらねばならぬ時がある》

いじめる子、いじめられる子のことばかり識者は問題にするが、
いじめっ子に付和雷同している大半の子供たちに問題はないのか?
いじめられている子に、勇気ある友だちが1人でもいれば、彼は死ななくても
済んだかもしれない。あの〝カチカチ山のウサギ〟のような子が一人でもいれば……

ボクが教育者であれば、ずっとずっとその昔、いじめられる側にいた人間として
こんなことを訴えたい。「いいかみんな、戦うべき時には勇気をもって戦うんだ!」と。
ボクがそうだった。いじめっ子を呼び出し、敢然と戦いを挑んだのだ。そして殴り合いの
末に、相手を組み伏してしまった。完勝である。愛子さんの言葉を借りれば、
正々堂々と、素手で1対1でやり合った。

いじめによる自殺事件が起きると、当該学校長はマスコミに対して、
「命の大切さを教えないと……」などと言葉少なに紋切り型のコメントを繰り返す。
何が命の大切さだ。そんな抽象的な話を百万遍繰り返したって、子供たちの
心に響くもんか。

いじめを見ても、見ぬふりをする多くの子供たち。君たちは惰弱でかつ卑怯である。
きっと空涙を流して友の死を悼むのだろうが、数分後にはもうケロリと忘れている。
親たち、それも母親たちはわが子の安全のみを願い、「正義」や「勇気」といった
徳目にはまるで関心がない。できれば「いじめる側」にいてほしい、などと考えてしまう。
母性のダメなところがつい出てしまう。

そんな風潮の中で、愛子さんは、
人生は気魄(きはく)である。意志である
人は困苦欠乏によって鍛えられる
《だってみんながそうしてるんだもの。私はこの「みんながそうしてる」
というヤツが大きらい》
《人間にとって大切なもの、それは抵抗に堪え、乗り超えようとする意志力だ。
上っ面ばかリ撫でさするきれいごとの似非ヒューマニズム。そんなものに
溺れていると、人間はみなフヌケになるんだ》

ボクは愛子さんの薫陶を受け、自分の娘たちに、
「人と群れるな!」
「つむじ曲がりの何が悪い!」
「腹が立てば怒れ。嬉しかったら笑え。人間はシンプルが一番なんだ!」
などと教え諭した。

こんな言葉もある。
《人間は弱い存在である。私も弱い。弱いから私は強くなりたい。
だから強いフリをする。強いフリをしているうちに、強い人間であると
自他ともに錯覚するようになる。その錯覚の積み重ねによって、
少しずつホンモノの強さに近づけるのではあるまいか》

覚悟というものは口に出して言っているうちに固まっていく。
強がり、痩せ我慢をする――これを繰り返していくうちに
強さみたいなものが培われていく。ボクは愛子さんからこのことを学んだ。

そう、相手のことを慮ってばかりいないで、地金丸出して生きることだ。
相手に気ばっかり遣っていると人間性そのものが衰弱してしまう。
地金を出し、本音で生きる。佐藤愛子の愛読者たちは、
そんな生き方を模索し憧れているのだと思う。



←拙著『コーヒーに憑かれた男たち』(中公文庫)
の冒頭にも愛子さんのやけくそ気味の言葉を
引用させてもらった。身も蓋もない話をさせたら、
愛子さんが一番だね。つまり言葉を飾らず、
ホンネで生きているってこと

2017年1月8日日曜日

パンダとプロパガンダしかない国

アメリカはマグロウヒル社の歴史教科書にはこんな記述があるという。
《日本軍は最大で20万人にも及ぶ14歳から20歳までの女性を強制的に募集し、
徴収し、制圧した。日本軍は部隊に対し、天皇からの贈り物であるとして、
これら女性を提供した…(中略)…慰安婦たちは1日当たり20から30人の男性の
相手をさせられた。逃亡を企てたり、性病に罹ったりした場合は、
日本の兵士によって殺害された。戦争の終結に際し、この活動をもみ消すため、
多数の慰安婦が殺害された》

もちろん日本の外務省は抗議し、日本人歴史家有志19人が反駁したのは
言うまでもない。英国の『フィナンシャル・タイムズ』の東京支局長、
さらに『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任した
ヘンリー・S・ストークスの著作『外国特派員協会重鎮が反日中韓の詐偽を暴いた
によると、朝鮮半島における強制連行の証拠はなく、20万も約2万人くらい
だろうと推計、終戦時に米軍の捕虜になった慰安婦を調べたら、
その95%が20歳以上だった。

全慰安婦数約2万人のうち、最も多数を占めたのは日本人で約8000人、
朝鮮人はその半数の約4000人、支那人とその他が約8000人だった。
20万人の慰安婦が1日当たり20~30人の兵士の相手をしたとあるが、
当時の海外兵力は約100万で、その教科書どおりだとすると、毎日、
4~6回も慰安所に通ったことになる。実にうらやましい限りだが、
そんなことはあり得ない。戦闘どころか足腰すら立たない兵士では
洒落にもなるまい。

また多くの慰安婦が殺されたとあるが、もしそれが事実だとすれば
東京裁判や各地のBC級軍事裁判で裁かれていたはず。が、そうした
記録は一切残っていない。何人を、いつ、どこで殺したのか、証拠を示してくれ
と日本側は迫った。しかし答えはなし。証拠がないのに堂々と教科書に載せるなど
許されることではない。

ボクはブログの中で、それこそ何度となく、韓国人が〝息を吐くように
ウソをつく〟実態を暴露してきたが、韓国の国定教科書の記述ときたら
ウソのオンパレード、と言っていいだろう。その最大のウソは
日本は朝鮮から多くの富を収奪して利益をむさぼり、民族文化を踏みにじった
という論旨だ。←そもそも文化なんてあったのかよ!

こうしたプロパガンダは、残念なことだが、世界では素直に受け止められてしまう。
なぜなら、欧米の列強は、事実そういう植民地支配をおこなってきたからだ。しかし、
日本の朝鮮統治はまったく違う。歴史教科書にも出てくる有名なリットン報告書は、
この「日韓併合」をどのように記しているか。ズバリ、colonization(植民地化
ではなく、annexation of Koreaと記している。西洋人の概念ではcolonizationは
〝掠奪〟のニュアンスが強く出るが、annexation(併合、建て増しの意)というと
〝持出し〟の概念が含まれる。一方的に「搾取」するのと、自分の出費、
つまり「持出し」ではまるで正反対である。

実際、韓国統治時代、日本政府は朝鮮のインフラ整備に巨額を投じた。
すべて日本国民の血税であり、持出しだった。道路を整備し、鉄道を通し、
学校を作った。国立の京城(ソウル)帝国大学などは大阪帝大より先にできている。
新たに建設された各種学校は1000校にのぼった(朝鮮には小学校が40校しかなかった)。

また日本統治時代の朝鮮は、GDPが年率4%ほどの成長率が達成されていた。
当時は高くて2%が諸外国の平均であったから、かなりの経済成長ということだ。
さらにコメの生産高は併合当時、年間1000万石(1石=100升=1000合)程度だったが、
1940年には、2300万石を超えていた。2倍以上も伸びているのである。
「日本は朝鮮から多くの富を収奪して利益をむさぼり……」という韓国の主張が
いかにウソッぱちであるか、よくわかるだろう。

支那と韓国は二言目には「正しい歴史認識を持て」と日本を非難するが、
ウソで固めた歴史をふりまいているのはどっちなんだ、と言いたい。
支那の外交にはパンダとプロパガンダしかない」とは誰かさんの名言だが、
〝反日〟を国是とする中韓には、事実、プロパガンダしかないのである。

それでは〝慰安婦〟とは何だったのか?
ヘンリー・S・ストークス曰く、
《プロの売春婦たちが女衒(ぜげん)に雇われて軍相手の商売をしていただけ》
の話だ。〝性奴隷〟でも何でもない、ただ異国の地を移動しながら春をひさぐ
商売をしていただけのこと。これが実に実入りのよい商売で、朝鮮人の慰安婦
などは家が3~4軒も建つほど儲かったという。←「慰安婦基金」10億円返しやがれ!

さて言わずもがなの話だが、日本では(朝鮮でも同じ)当時、売春は合法であった。
「売春防止法」が成立・施行されたのは昭和33年のことで、同年、
いわゆる〝赤線〟も廃止された。

売春はしてはいけないこと、だからといって現在の価値観で過去を裁いてはならない
歴史を学ぶ上で大事なのはそのことで、これだけは肝に銘じなくてはいけない。



←ああ、この大仰でウソくさい演技は
どうだ。さすが葬式時に号泣する
〝泣き女〟を生んだ国だけのことはある。
日本政府も、おバカな韓国人の「反日無罪」
などというスローガンに対し、本気でガツンと
やらなくてはいけない。きっちりとまともな歴史を
学べ! いつまで日本に甘えてるんだ!

2017年1月4日水曜日

日々是好日

新年初出勤の長女からメールがあった。
「例の松葉杖のオバサンがヴァージョンアップして出たァ!」と。
長女の話では、この正体不明のオバサンは、朝のラッシュ時によく見かけるオバサンで、
いつも松葉杖をついているという。

満員の車内に杖をつき、いくぶんフラつきながら入ってくるなり、
「すみませ~ん、席を譲ってもらえますか?」
と哀れっぽい声で叫ぶという。杖をついていれば、たいがい席を譲ってもらえる。
しかしこのオバサン、席を譲られるや決まって車内メイクを始める。
そしてあわただしく次の駅で降りてしまうのだが、降りるやいなや
杖を両脇に抱え、スタコラサッサと階段を一目散なのだという。

「たったひと駅なのに、松葉杖なんて小道具まで使って、よくやるよねあのオバサン!」
長女も呆れている。こっちももちろん呆れているのだが、ついニヤリとしてしまう。
(なかなかやるじゃないの。たまにこういうのがいるから人間は面白いんだよな)
がんばれよ、ニセ松葉杖のオバチャン!

さあいよいよ2017年の幕開けだ。
正月三が日は娘たちや婿が加わってにぎやかに過ごした。
初詣もすました。いやというほど酒も食らった。ごちそうも食べた。
でも、いつも思う。ふつうの日々がいい、派手やかな正月はもう飽きた、と。

年賀状もいっぱい来た。
しかし、どれも「明けましておめでとう。今年もよろしく」の決まり文句ばかり。
いただいていて申しわけないが、もう少しどうにかならないものか。
オリジナルの言葉が少しもないじゃないの、とちょっぴり悲しくなる。
相変わらず印刷しただけの味気ないものもある。
(来年から、もう年賀状を出すのはやめようかしら……)
ついそんなふうに思ってしまう。メールという手もあるし……

今朝はいつものプールで〝泳ぎ初め〟
アルコール漬けになり錆びついていた五体に〝喝〟を入れられた感じがする。
いつもの仲間たちとも新年の挨拶。みな無事で何より。
還暦過ぎると、健康であることのありがたみが骨身に沁みる。

親鸞はこんな歌を詠んでいる。

       明日ありと思う心の仇桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは

明日という日が永遠に訪れるわけではない。明日、自分の命があるかどうか、
だれにもわからない。プール仲間のYさんは、去年の8月、突然最愛の奥さんを
亡くしてしまった。慰めの言葉、などという気の利いたものはない。
ボクはYさんに寄り添い共に泣いた。

日々是好日。
この言葉がどのようにして生まれたか。
それは飽きるほど人間を長くやっているとよ~くわかる。
平々凡々がどれほどすばらしいか。
何ごともない穏やかな日々がどれほどありがたいか。
大切な人を喪うと、そのことがよくわかる。

いつも松葉杖を抱え乗車してくるオバサンだって、オバサンなりの人生がある。
いつも見かけるこのいけ図々しい名物オバサンが、ある日パッタリ見えなくなったら、
呆れ顔の長女だって淋しがるだろう。娘よ、オバサンの演技過剰の哀れっぽい声を
聞くたびに〝日々是好日〟という言葉を呪文のように唱えるがいい。

悧巧がいてバカがいて、金持ちがいて貧乏人がいる。
正直者がいてズルがいて、美人がいてブスがいる。
それでいい。

生きているってことは、ただそれだけですばらしい。
生きているだけで、もう十分、立派なのです。


←ボクの大きらいな相田みつをの書。
でも、「日々是好日」の意味はこの
書の中に尽きている