2019年9月26日木曜日

マウンティングおじさんのお通りだぃ!

花も鳥も美しい風景も、ボクにはとんと興味がない。
だから旅行も行かない。若い頃、国内外の主だったところはさんざっぱら見て回った
から(ほとんど仕事で)、今さら見聞を広めようといわれても食指が動かないのである。

加齢もあると思う。それと膝痛。65歳を過ぎた頃から極端なものぐさ人間になり、
隣町へ行くのもめんどうになってしまった。おまけに「モノ」に対する無関心。
その感性は小さい頃から変わらず、きれいな花の写真を見せられても、
「きれいですね」と月並みな言葉を添えるものの、心は動かされていない。
ボクは「モノ」より「コト」、コトを為す人間にしか興味が持てないのである。

嶋中さんはコーヒーの専門家なんです、などと人前で紹介されると、
尻がこそばゆくなってしまう。『コーヒーに憑かれた男たち』や
『コーヒーの鬼がゆく』といった本を書いてはいるが、
コーヒーそのものの専門家ではない。書いたのはコーヒーに〝憑かれた人間たち〟
であって、コーヒーは何がうまいとか深煎りがお奨め、などと書いてあるわけじゃない。人が憑りつかれる対象はコーヒーではなく酒でもマンジュウでもいいのだ。
要は何ものかに憑かれてしまった人間の心のありようを描きたいのであって、
憑かれた対象は何でもいい。

ボクは毎朝、近くの公園を散歩する。公園には犬を連れた〝人妻〟たちや、
紙飛行機を飛ばしているおじさんたち、ヨロヨロと走り回っているおじさんやおばさん、
大きな声で本を朗読しているおばさんやオカリナを吹いているおばさんもいる。
なかには池の亀を手なずけている〝カメおじさん〟やカラスに餌付けしている
〝カラスおじさん〟もいる。

ボクは気さくに声をかけ、こうしたおじさんやおばさんと言葉を交わすのだが、
いっこうに口を開こうとしないおじさんや、逆に一方的にしゃべりまくる
おじさんもいる。概ね、おばさんたちは社交的で礼儀正しいが、
おじさんには非社交的な人が多く、ボクなんかつい、
(この無口なおじさんも見切り品の野菜みたいに〝わけあり〟なんだろうな……)
などと、勝手に想像をたくましくしてしまう。
ボクの趣味は昔も今も変わらず〝人間観察〟オンリーなのである。

公園でもちらほら見かけるが、いわゆる〝マウンティングおじさん〟と呼ばれる
珍種がいる。いや、外国では比較的珍しいそうなのだが日本では全国各地に
広く棲息している。マウンティングというのは、多くの哺乳類のオスが
交尾の時にとるポーズで、他のものに馬乗りになる行動だ。サル山などでよく
見かける行動で、個体間の優位性を誇示するポーズといわれている。

人間もサルの仲間だから、DNAに〝マウンティング〟の習性が刻み込まれている
にちがいない。最近ではタワーマンションなどでもマウンティング行為は
よく見られるらしい。値段の高い上層階の住人が値段の安い下層階の住人を、
文字どおり〝下目に見る〟という擬似的マウンティングだ。

ボクがよく言う「むかし偉かったおじさん」という種族は、
会話の中になにげなく、ほんのうっすらと、自分の有能ぶりを織り込んでくる。
現役の頃は十数億の金を動かしたことがあるとか、超一流の大学を出ているとか、
露骨には言わず、さりげなく、微妙な言い回しで、相手が察してくれるように
アピールする。

以前、ある人物を取材した時、ボクが出身校を訊こうとしなかったので
(記事に必要なかったから)、この人物はご苦労なことに、あの手この手で
そっちのほうへ話題を振ろうともがき始めた。そしてしまいには、
『♪嗚呼玉杯に花うけて』を鼻歌まじりに小声で歌い出したのである。
自分は実は東大出身なのである、と何としてでも伝えたかったのだろう。
東大卒って大変なんだな、とボクは心より同情した。

こうした手の込んだ自己宣伝を「安っぽいプライド」と一蹴するのは簡単だが、
ボクにとっては大切な〝お客さま〟で、巧みに相槌を打ちながらそのプライドを
くすぐってやる。相手を値踏みして自分が「勝った!」と思ったおじさんは、
マウンティングできた喜びをかみしめながら去ってゆく。
これも〝自己承認欲求〟の別バージョンなのだろう。

おじさんという生き物は悲しいかな、絶えずマウンティングしていないと
気分が落ち着かないようだ。おばさんたちのように相手と〝親和性〟を築きながら
会話する、というのではなくて、自己の優位性をキープしながら会話に興ずる、
というのが理想だから、勝った負けたで一喜一憂するボス猿的な行為は
いっかなやめられないのである。

ボクが住む1600世帯のマンモス団地には、この〝マウンティングおじさん〟
と称する厄介なおじさんたちが佃煮にするくらいいる。そういえば、
同じ棟の中には苦労の絶えない東大出がウジャウジャいるし、医者や弁護士、
大学教授といったおじさんたちが目白押しだ。ボクはどっちかというと
マウンティングするよりされるタイプで、「こんな粗末なお尻でよかったら」
と進んでお尻を突き出してあげる(笑)。

おじさんという悲しい生き物は、定年後であっても絶えず序列にしばられ、
自分が仲間内でどのくらいの位置にあるのか、確認しないでは生きられない。
ナイーヴだから自尊心が傷つけられるのを極端に恐れている。
傍目には強がっているが、生命力はおばさんほど強くはないのだ。

ああ、今日はどんなマウンティングおじさんに出会えるだろうか。
馬乗りされ過ぎてお尻が擦りむけてきたけれど、秘かな楽しみでもある。
われながら〝変な趣味〟だとは思う。万事控えめな善人を装ってはいるが、
これこそ究極のマウンティングだったりして(笑)。
底意地が悪いのだよ、きっと(笑)。




←サル山でのマウンティング。
馬乗りならぬ〝サル乗り〟だ。

2019年9月4日水曜日

ニンゲン様は偽善がお好き?

英国最大の野党・労働党が先ごろ公約を発表した。
①商業捕鯨の再開をやめさせる←これは明らかに日本を標的にしている。
②競馬でムチを使用しない←お尻が痛いの、と馬が訴えてるんだって。
③ロブスターやカニを生きたまま茹でない←熱くて火傷すっから、だって。
➃ガチョウやアヒルに強制的に餌を与え肝臓を肥大化させるフォアグラ。
その輸入を禁止する←フォアグラは旨いけど、確かにこれはちょっとかわいそうだな。

①イギリス人ごときに言われたくないよね。
世界中を植民地にし、数世紀にわたって暴虐の限りを尽くしたくせに、
なに? 「頭のいいクジラを殺すなんて、日本人は野蛮よ!」だって?
ふざけるな。お前たちが狩りのように殺しまくったニンゲンは、
クジラ様より頭のわるいゴキブリ以下の生き物なのか?

お前さんたちに人権や動物の権利を語る資格などハナからありませんよ。
クジラを食べたり犬を食べたりするのはその国固有の文化で、
日本にはいただいた肉への感謝や弔いの意をこめて造った鯨塚がいっぱいある、
という事実すら知らんだろ。包丁塚や人形塚も同じ。生命が宿っていないものにも
感謝の思いを捧げる。生きとし生けるものには命が宿る、とする古神道的な心性
が無機的なものにまで及ぶ、と考えるのが日本人だ。鯨の油だけ搾り取って、
肉も皮も骨も髭もポイと海に捨ててしまう欧米人などとは、
人間の出来がちがうのだよ。

②たしかにムチで叩かれれば痛いよね。人間も動物もおんなしだ。
でも、もともと人間の快楽のために始めた競馬でしょ? 
ドッグレースにしたって同じ。動物にしてみりゃ、(なんで走らにゃいかんのよ?)
と思うでしょ。みんな人間がわがまま勝手に始めたこと。動物に競走させて、
勝った負けたと賭け事に興ずる。敗戦後、マッカーサーは靖国神社を
ドッグレース場に変えようとしたからね。何を今さらムチは使わない、だ。
そういうのを偽善と申します。

③エビやカニにしてみりゃ、いきなり熱湯に入れられたら驚くよね。
だからせめて息の根を止めてから茹でるべき、というのだけれど……
日本にはシロウオやタコの踊り食い、なんていう食べ方がある。
欧米人から見ると、ひどく残酷に映るらしいけど、あれって、けっこう旨いんだよね。
活け造りだって、まだ肉がピクピクしてるのを日本人は平気な顔して食べる、
と欧米人は顔をしかめるけど、アメリカ先住民の村を襲って、
赤ん坊を放り投げ撃ち殺したり、妊婦の腹を裂いたりする残酷さに比べたら、
まだマシでしょ。道徳家ぶるんじゃない、と言いたいね。

➃バブル期、ヨーロッパの星付きレストラン数十軒をめぐって、
数百万も散財し(スポンサーの金で)、高級ワインやフォアグラなどの珍味を
いやというほど堪能したことがあるけど、たしかにフォアグラやキャビアはうまいな。
でもフォアグラができるまでの工程を知ったら、ガチョウにいささか同情した。
ガヴァージュ(強制給餌)の仕方がとても残酷で、ガチョウが苦しそうなのだ。
むりやり肥大させた肝臓を食べておいしいと舌つづみを打つ人間という生き物。
地球は人間の天下なのだから仕方ないことかもしれないが、
ボクも偽善者の一人だから、フォアグラは当分食わないことにする。
いや、ほんとうは懐がさびしくて食えないのだけれどね(笑)。

英国労働党の公約に対するボクの正直な感想は以上のようなもの。
動物愛護の精神には敬意を払うけど、偉そうに上から目線で言われると、
いささかカチンとくるね。欧米人のダメなところはそこ。
自分たちが同じ人間に対して行った無慈悲な行為は棚に上げ、
「動物の権利を守りましょう!」などと善人ぶった正論を吐く。
「どの面さげて言うのか!」とボクなんかは思ってしまう。

左翼的な思想の凝縮されたリベラリズムは今、欧米でも行き詰ってしまっている。
唱えていることは正論で文句のつけようのないことばかりなのだが、
political correctnessがすでに破綻しているように、リベラル的な思想は
〝偽善〟だということが白日の下に晒されてしまっている。

英国労働党の掲げた公約はまさに〝偽善〟そのもので、
日本語でいうところの〝ええかっこしい〟というやつだ。
さんざっぱら馬の尻を叩き、茹でたエビやカニを食いまくり、
フォアグラに舌鼓を打ってきたのに、突然、動物愛護の化身となって、
「残酷なことはもうやめましょう!」と唱え出す。
ええかげんにしいや、とボクは言いたい。

以前、アリを踏み殺してはかわいそうと、注意しながら歩いていたら、
脚がこんがらがって転んでしまった。動物愛護もほどほどにしたほうがいい。



←残酷?なガヴァージュ(強制給餌)