2017年3月21日火曜日

〝いいかげん〟が世界を救う

スペイン南端のマラガという町で朝を迎えた時、市内のモスクから
礼拝を呼びかけるアザーンが聞こえてきた。目の前は静かなる地中海。
ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸を隔てるジブラルタル海峡はほんの目と鼻の先だ。
マラガからは200キロほどしか離れていないモロッコが、うっすらと霞んで見える。

スペインは8世紀の初頭からイスラム教徒の王朝に支配され、その栄華はおよそ
800年続いた。当時は、イスラムのほうが文明国で、高度な科学技術を誇っていた。
たとえば医学の面で、ヨーロッパが瀉血(しゃけつ=患者の静脈から血液の一部を体外に除去すること)
が精一杯だった頃、イスラム教徒は白内障の手術まで手がけていた。また彼らは
ギリシャの古典文献をせっせとアラビア語に翻訳した。ヨーロッパ人は後にそれを
ラテン語に翻訳し、ルネサンスの礎を築いたという。つまり、淵源をたどれば、
イスラム文明のほうが遥かに上で、欧州はその後塵を拝していたのである。

そのイスラム教徒が、今はヨーロッパの人々から怖れられ、疎まれ、非文明人と
バカにされている。就職やアパート探しでも、アブドラとかムハンマドといった
アラブ系の名を告げた途端、電話口で「もう決まりました」と冷たく断られてしまう。
フランスには民族や人種での差別を禁止した「差別撤廃法」という法律があるにも
かかわらず、イスラム教徒は〝よそ者〟扱いされ、ひどいのになると〝テロリスト〟
呼ばわりされてしまう。

現在、EUの域内にイスラム教徒は約2000万人いる。ドイツに480万人、
フランスに470万人(ちなみにアイルランドの人口は460万人だから、いかにムスリムが多いか想像できよう)
総人口に占めるイスラム教徒の割合が最も高いのがフランスで7.5%である。
パリ近郊のサンドニ市などはフランス屈指の移民街として知られ、市の住民の36%が
外国生まれの移民である。それだけではない。サンドニはフランス一犯罪発生率の
高い都市でもある。

日本人は身近にその事例が少ないためか、異教徒とか移民・難民といった存在に
鈍感である。ボクには外国人の友人が多いが、イスラム教徒はいない。知り合う
機会がなかった、というだけの話で、あれば友情を育んでいたかもしれない。

日本人は宗教にも鈍感だ。八百万の神がいる多神教の国に生まれたせいなのか、
キリスト教とイスラム教、ユダヤ教とイスラム教といった一神教同士の対立が
そもそも理解できない。ユダヤ教からキリスト教が派生し、ユダヤ・キリスト教
からイスラム教が生まれた。この3つの宗教は同じ唯一神(ヤハウェ)を拝んで
いるというのに、互いに反目し血を流し合っている。

「イスラム教徒も人類はアダムとイヴから生まれたと考えているんだよ」
と言うとみな一様に驚くが、「アッラー」も「ゴッド」も「アドナイ(ユダヤ教徒の神)
もみな「ヤハウェ(エホバ)」のことだ。

2年前のパリで、イスラム過激派によって週刊新聞社「シャルリー・エブド」が
襲撃され、17名が犠牲になった。痛ましい事件ではあったが、200年ほど前までの
フランスは最大のテロ国家であった。

フランス革命は1789年から1799年にかけて、大量殺戮をおこなった。
国王ルイ16世、マリー・アントワネット王妃は言うに及ばず、貴族、
ブルジョワ階級など革命の敵とされた人々が、途切れることなく断頭台(ギロチン)
に送られた。その数およそ3万人以上。またヨーロッパでは、カトリック教徒と
新教徒との間で血で血を洗う抗争が延々と続いた。なんと300年にわたる宗教戦争で
30万人以上が異端審問の犠牲になり、火炙りの刑に処せられたのだ。

宗教とはいったい何なのか。
宗教は人々を幸せにするものなのだろうか。
もしかしたら、宗教は不幸せをもたらす元凶ではないのか。

〝山の神〟だけを畏れる不信心なボクには、
排他的で独善的な一神教というものが、どうにも理解しがたいのである。
正月は神道、葬式は仏教、クリスマスを祝い、ハロウイーンではしゃぎまわる、
世界一節操のない日本人という民族が、世界で一番天国に近い民族ではないのか
と最近つくづく思うのだ。節操のなさ、つまりいいかげんというのは〝好い加減〟
の意である。〝いいかげん〟こそ世界を平和にしてくれるのではないか。



←木の精霊といわれるコダマ。
なんともかわいい。世界に多神教
の世界のすばらしさを教えるには、
ジブリのアニメ作品が一番の近道かも。




2017年3月16日木曜日

玄米食と加齢臭

ボクは2年ほど前から100%玄米めしを食べている。
健康のため、というのもあるが、玄米めしはうまい
というのがほんとうのところだ。

一方、カミさんは〝銀シャリ派〟で、麦飯も玄米めしも「喉にひっかかる」
といって口にしない。だからわが家は、ボクとカミさんの分を別々に炊く。
めんどうといえばめんどうだが、いいかげんもう慣れた。
ボクなんか4合ほど炊いて、多くは一膳分ごとに電子レンジ対応型タッパーに詰め、
冷凍にしてしまう。食べるたびに〝チン〟すればいいのだから、実に楽チンだ。

若い時分は、めしをいっぱい食べた。一膳で済まそうとすると、
「どっか具合が悪いのかい?」と母は心配してくれた。
それと、「一ぱい飯は縁起が悪いから」と、形だけでも2杯目を
お代わりさせられた。なぜ縁起が悪いのか、あの頃はサッパリ
だったが、今なら分かる。

野辺送りの朝、身内の出棺時には「出立の飯」といって、ご飯をいただく。
これを「一ぱい飯」といって、お代わりはできなかった。
豆腐の味噌汁か何かをご飯にぶっかけ、一本箸で、
それも立ったまま急いで口にかっこむ。

だから、「一本箸で食べてはいけない」とか「一ぱい飯は縁起が悪い
汁物をぶっかけて食べるもんじゃない」「立ち食いはペケ」などなど……
これらはすべてお通夜の風習からきたものである。

強飯(おこわ)も、めでたい時は小豆を使うが、葬式の時は
黒豆を使う。会葬者に出される折詰も、かつては黒豆の
強飯が出されたものだが、今はすっかりその慣習(しきたり)
が忘れ去られている。

その慣習にことさら逆らっているわけではないが、
ボクの食事は一膳が基本で、縁起の悪いとされる「一ぱい飯」を
日々実践している。それに黒豆入りの玄米めしもよく炊く。
心身ともに実に健康的な食生活だ、と自画自賛しているのだが、
悲しいかな、それでも〝デブ〟になってしまう。
よほど前世の行いが悪かったのだろう。

玄米めしにしたからといって、急に髪がふさふさになるわけではないし、
日頃元気のない〝道楽ムスコ〟が生気を取り戻すわけでもない。
それでもやや硬めに炊いたあの粒々感が何とも言えない。
ボクは堅い人間なので、口にするものも堅いものが大好きなのである。

犬並みに鼻の利くカミさんが、ボクに近づくなりクンクンして、
「ン? なんか臭いな。加齢臭じゃないの?」
などと失礼なことを言う。いつだってジャスミンの香りを放っている
〝人間ファブリーズ〟と呼ばれるボクなのに、よりにもよって加齢臭とは。

「オレ、昼にカレー食べたからな」
事実、カミさんとは別にレトルトのボンカレーをチンして食べた。
「その〝カレー臭〟じゃないわよ。すえた箪笥の臭いみたいな加齢臭よ」
カミさんはキッパリと断罪した。

カレー臭と加齢臭との区別がつかないボクは、
(そうか、イケメンおやじには〝華麗臭〟って手もあるな)
と、負け惜しみをつぶやきつつ、よからぬことを考えている。

おーい、皆の衆! 赤ん坊のオッパイ臭いニオイは大歓迎でも、
年寄りのすえた加齢臭は御免こうむりたいか?

それならこっちにも考えがある。
明日から、加齢臭ならぬオッパイ臭いニオイを撒き散らしてやるからそう思え!
と、勇ましく大口を叩いたものの、心配事がないわけではない。
はたして年寄りも、若い人妻から〝もらい乳(もらいぢ)〟ができるものだろうか。
酔狂な有志あらば応えよ!


←玄米を食べたら、白米なんて
ちゃんちゃらおかしくて食べられませんよ。

2017年3月11日土曜日

「3.11」と外国人留学生

今日は昼ちょっと前にフランス人のAlexiaが遊びに来る。
高校生の時に日本へ留学し、わが家にホームステイした子だ。
セーラームーンを見て育っただけに、大の日本贔屓で、
日本語はペラペラ。難しい政治問題だって日本語で議論できる。

そんな嬉しい日なのだが、ボクは朝から沈んでいる。
「3.11」の日に、心ウキウキは不謹慎だろ、とつい思ってしまうためか。

前回のブログでボクは、
人生なんて所詮ちょぼちょぼ、神様はいたって公平なのよ
なんて太平楽を並べてしまった。また曽野綾子の言葉を引用して、
人間の一生の幸福感の総量は、だれも似たり寄ったり
などと書いてしまった。

見方としてはそう間違ってはいないと思うのだが、東日本大震災で
被災した人たちの悲しみや苦しみを思うと、「神様は公平」だとか
「幸福感の総量は似たり寄ったり」といった言葉が、彼らの心情に
およそそぐわないような気がして、いたたまれなくなるのである。
やっぱ「神様は不公平」じゃないのかな、と思ってしまう。

今日は朝からどの局でも震災の追悼番組ばかり。
幼い娘の命を救ってあげられなかった、と遺影の前で慟哭する父親の
震える肩を見ると、涙が止まらなくなる。時間を震災前に巻き戻せるのなら、
巻き戻してあげたい。あの女の子を父親の胸に返してあげたい。
ああ、もうだめだ。涙で目があけられない。

震災はAlexiaが1年の留学を終え、帰国してすぐに起きた。
彼女が帰国した後、ボクはオーストリアからの女子留学生を友人のH夫妻
(前回ブログに登場した同級生)に預けたのだが、その数日後に震災は起きた。
オーストリア支部は原発事故による放射線被害を心配し、
急遽、留学生を全員日本から引き上げさせた。
外国から見れば、フクシマもサイタマも区別がつかない。

もうすぐ駅に着くAlexiaは、だから震災を知らない。
ほんの数日違いで難を逃れられたからだ。
あれから6年……そうか、もう6年も経ってしまったのか……。
高校生だったAlexiaも今は立派な社会人女性に。
リヨン大学大学院を卒業後、大好きな日本で働くことになったという。



←I棟前の庭で可憐な花を撮るAlexia。




2017年3月4日土曜日

人生なんて所詮ちょぼちょぼ

ボクもカミさんも同窓会と名のつくものには一切出ないことにしている。
かつての同窓が懐かしいかといわれれば、懐かしくないこともないが、
たかだか数年間、席を同じゅうしていただけの関係なのだから、ことさら
懐かしがって会うこともないでしょう、というのがボクたちの考え方である。

カミさんはボクと違って級長とか生徒会長を歴任した人望ある女だ。
だから、ボクなんか「素直に出ればいいのに」とつい思ってしまうが、
彼女に言わせると、それなりの理由があるという。

数十年前、東京近辺にいる同窓生だけを対象にした〝プチ同窓会〟が開かれたので、
彼女はいっぺん出てみたという。同窓生の出身は浜松だが、首都圏に住んでいる
人たちはけっこう多いそうで、おっかなびっくり出てみたのである。
が、ひどく落胆したという。

「子供の頃の話はけっこう盛り上がったんだけど、そのうち何々さんは玉の輿に
乗って豪邸に住み、高級外車を乗り回してるだとか、何々さんの息子は東大に
受かってどうしたこうしたとか、要は噂話と自慢話に終始して、何か人生の機微に
ふれるような、生き方の指針になり得るような知見なり見識といったものが皆無
だったのよね。それでガックリきて、もう出るのはやめようと……」

うちのカミさんは、何がきらいといって、自慢話と噂話ほどきらいなものはない。
人並み以上に教養があって仕事もできるのに、自らそれを誇ることはしない。
もともと人前にしゃしゃり出るようなことが苦手な女だから、見栄を張ったり、
才能をひけらかしたりすることがきらいなのである。

一方、ボクの場合は、自慢話は大好きなのだが、「団地のおばさんやおばあさんたち
にもてもてでね……」だけでは、話がもたない。だからといって、他に自慢できる
ものが何もないのだから困ってしまう。それに小中高と、ボクの人生はくらかった。
太宰治だとか萩原朔太郎といったくら~い作家の詩や小説ばかり読んでいたせいか、
いまにも飛び降り自殺しそうな陰鬱な顔つきをした少年だったのである。

そんな〝生体反応〟の飛びっきり薄かった人間が、同窓会なんぞに顔を出しても、
〝楽しかった思い出〟を共に語り合えない。そもそもそんな思い出が一つもない。

さあさ、お立会い。そんなくら~い男を、どういう風の吹き回しなのか、
かつての同窓生二人がわざわざ訪ねてきてくれたのである。会うのは数十年ぶり。
ボクと彼らは中学3年時の同窓で、二人はなぜか夫婦になっている。旦那のほうは
スポーツ万能、勉強もできて、性格も優しいスーパースター的な存在だった。
奥方も同じくスポーツ万能、才色兼備のマドンナのような女性である。

このかつてのスーパースター同士がめでたや夫婦になったのだから、
川越の町じゅうが上を下への大騒ぎ。マドンナに秘かに憧れていた
スケベーな男どもは揃って首うなだれ、しばらくは廃人のようだったと、
ウソつきの友だちがまじめな顔して語っていたっけ。
彼らスケベーどもの心情を代弁するなら、斉藤和義のヒット曲
ずっと好きだった』の歌詞そのもの、といったところでしょうかねぇ。

ああ、憧れのマドンナ……
その当のマドンナとプリンスが、酔狂にも泥ガメのように
性格のくらかった男の家を訪ねてきたのである。

ボクはたしかに「くらかった」。でもそれは昔のことで、今は殺されても死にそう
にないような面つきと図体を持ち、毎日、酒を喰らってはガハガハとバカ笑いをして
いる。これがかつての繊細な青白き文学少年の成れの果てか、と自分でも呆れる
ばかりなのだが、どういうわけだか年を追うごとにデリカシーが鈍磨していき、
ただの酒飲みの肥ったオッサンになってしまったのだからしかたがない😭。

で、このスーパースター夫婦を前に、ボクはこんなことをしゃべったのだ。
人生なんて所詮ちょぼちょぼでね、神さまはいたって公平なのよ。ボクみたいに
人生の前半暗かった人間は、後半になると俄然明るくなる。青春期が真っ暗けの
ケーでも、壮年期、老年期には薄日が差してくるんだ。先憂後楽がいいのか先楽後憂
がいいのか、そんなことは分からんけど、どっちに転んでも帳尻だけは合うんだよ」

人間の一生の幸福感の総量は誰も似たり寄ったり――
曽野綾子女史がそんなふうなことを言っていたのを思い出す。

その日、ボクたちはよく飲み、よく食べ、よくしゃべって笑った。
一升瓶が空になり、ワインボトルも空になった。
気の置けない友というのはいい。ボクはざっくばらんな性格で、
気取ったりするのがどうにも苦手だ。でも近頃はばらんばらんが過ぎて、
収拾がつかなくなるのが欠点といえば欠点。
そんなボクに調子を合わせてくれたのか、彼らも飾らず、
心の裡を正直に語ってくれた。

再会を誓い合って別れたが、今度いつ会えるかはわからない。
〝前期高齢者〟になると、それこそ一寸先は闇なのだ。
だからボクは〝一期一会〟の精神で、いつも人と対するよう心がけている。

ま、それほどしゃっちょこばることもないが、要は今あるその時を大切にしよう、
ということである。M君、R子ちゃん、いつまでもお元気で。




←個人情報保護法とやらがうるさいので、
全員怪しい目隠しに。
M君、その出っ張ったお腹、
なんとかしてくださいな。←自戒も込めて
R子ちゃん、相変わらずきれいだよ😵。