2020年5月29日金曜日

日本が今日あるのは〝お蚕さん〟のおかげ

公園友だちのNさんが、
「桑の実を食べに行こうよ」
といきなり言い出した。場所はいつもの樹林公園内の芝生広場。
Nさんの後をついていくと、ほんの目と鼻の先に桑の木があった。

恥ずかしい話だが、ボクは桑の葉は知っているが桑の木は見たことがなかった。
父方の叔父が養蚕をやっていたので、子どもの頃、叔父の家に行くと天井裏の
〝お蚕(かいこ)さん〟を見せてもらった。この時、桑の葉を見たのだが、
その葉を茂らせている桑の木を見たことがなかった。いや、叔父の家に植えて
あったのだろうが、関心がないので目に入っても記憶にないのだろう。
ボクの欠点は植物にまるで関心がないこと。だから誰でも知っている花の名を
知らないし、植物図鑑も見たことがない。知っているのは桜、梅、チューリップ、
ひまわり、カーネーションくらい。他は知らない(笑)。


←お蚕さん








そんな植物オンチのボクがNさんに「これが桑の実だよ」
といわれた時、思わず叫んでしまった。
「あっ、これ、うちのベランダにもある!」
な~んだ、マルベリーmulberryのことじゃないの。

後で調べたら、「マルベリー=桑の実」とあった。
ああ、こんなことも知らなかったのか……自分でも情けなかった。
あまりにモノを知らなすぎる。



←わが家のベランダにある
マルベリー。黒く熟した実は
カミさんがジャムにする。







ここで蘊蓄ばなしを一つ。
モノの本に載っていたのを知ったかぶりして披露するのだが、
地球上には自然界で生きていけない動物が一種類だけいるのだという。
さて何でしょう?
答えは「カイコ」。

カイコは人類が約5000年前から飼い始めたといわれていて、
家畜化された昆虫なので、野生には存在しないのだという。
もしカイコの幼虫を野外の桑の木に止まらせたとしよう。
さてどうなるか?

カイコの幼虫は足の力が弱いので、葉っぱにつかまっていることができず、
木から落下して死んでしまう。成虫になっても翅の筋肉が退化していて、
羽ばたくことはできても飛ぶことができない。つまり、人間の飼育環境下
からはずれると、生きることも繁殖することもできないのだ。
人間に飼育される以前は自力で生きていたのだろうが、カイコのルーツは
いまだ分からず、おそらく絶滅してしまったのではないか、と考えられている。

思えば、この〝お蚕さん〟のおかげで今日の日本がある、といってもいい。
明治期、日本は世界に門戸を開いたが、さて海外へ売るものがない。
今なら車や精密機械など付加価値の高い輸出品がいくらでもあるが、
当時は〝お蚕さん〟の生み出す生糸しか輸出するものがなかった。
当時の輸出貿易の中心(40~70%)は生糸だったのである。

この高品質の生糸があったおかげで軍艦など諸々を買うことができたし、
日清・日露の戦役にも勝つことができた。〝お蚕さん〟様さまなのだ。
というわけで、お蚕さんに掌を合わせたくなるが、あの〝ニオイ〟を
思い出すと
(うっ、くせェ……)
と気分が悪くなってしまう。
今の若い人たちは知らないだろうな、あの強烈で独特のニオイ。
もう二度と嗅ぎたくないニオイであります(笑)。





←これ、蚕の形をしたチョコレート。
中に桑の葉パウダーが入っている。
食べるのに勇気が要りそう(笑)。



2020年5月27日水曜日

マスクしててもイケメンはイケメン

前方に手を振るおばちゃんがいる。
一瞬、「はて?」と首をかしげるが、すぐ「ああ、Sさんね」とわかり、
こっちも手を振る。ボクの手の振り方は小学生の女の子がやるような
ド派手なものだから、おばちゃんは笑い出す。

帽子を目深にかぶり、おまけにサングラス、マスクときたら、
(あれっ、誰だっけ?)
となってしまう。互いに〝コンビニ強盗〟みたいないでたちだから、
背格好とか歩き方などで誰であるかを識別しなくてはならない。
この数カ月で、その〝識別能力〟は格段に上がったのではないか。
あんまり自慢にはならないが、ま、一種の生活の知恵みたいなものだろう。

コロナ禍のおかげでライフスタイルが相当変わりつつある。
外出時のマスクは必需品になってしまったし、帰宅したら手洗いと
うがいは欠かせない。「before」「after」で見ても、新型コロナ以前は、
互いに顔を近づけ、ガハガハ笑い合ったり、カラオケでデュエットする
なんて当たり前のことだったが、コロナ以降はどうしても〝飛沫感染〟が
頭にこびりついているから、自然と距離を置くようになるかもしれない。

それとテレワークが当たり前のようになってくると、
毎朝揃って会社へ出勤するという慣習が、
なんだか不自然なものに思えてくる。
オフィスに出社しなくても生産性が変わらず仕事が回っていくのなら、
気の向いたときに出社すればいいじゃん……。
かつての〝痛勤族〟はそんなふうに思うのではないか。

現に娘夫婦の通う会社(夫婦それぞれ大手電機メーカー勤務)も、
〝在宅勤務が基本になる〟というようなことが新聞に報じられていた。
自宅で働くことになると、通信費や水道光熱費など余計な出費が嵩む。
が、それらも一定額が会社負担になるだろうという。

また、在宅勤務が〝ふつう〟になると、なにも大枚払って都心の
マンションやアパートに住む必要がなくなる。比較的安価な郊外住宅に住んで、
週にいっぺんくらい往復数時間の通勤に耐えればよいからだ。となると、
都心一等地に建つタワマンなど高額物件の価値が一気に暴落することが予想される。


話変わって、外出自粛が要請されている時、仲間の一人が
「Zoomを使って飲み会でもやろうよ!」
と提案した。オンライン飲み会が行えるサービスは、他に文字どおりの「たくのむ」
や「LINE」などが挙げられるが、ボクはまったく気が乗らなかったので遠慮した。
そこまでして飲みたいとは思わないからだ。

それにしても文明の利器というものはいつの世でも耳目を驚かす。
人類30万年の歴史の中で、パソコンの画面を見ながら相手と酒を飲んだり、
会議ができるというのは初めてのことではないのか。
「国際電話」にビクついていた世代のボクは、初めて「skype」をやった時、
腰を抜かすほど驚いたものだが、今ではそんなものごく当たり前のもの
になってしまった。これでさらに〝5G〟の高速通信時代になったら、
いったいどうなってしまうのだろう。ボクみたいな旧人類は、
「〝労兵〟は死なず、ただ消え去るのみ」と呟くしかないのだろうか。

コロナの災いが転じて福となってくれればよいのだが、
はてさてどうなりますか。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、
まだまだ油断はできない。しばらくの間は、「コンビニ強盗スタイル」
で勘弁してもらうしかない。こんな怪しい格好でも、懇意のおばちゃんは、
「イケメンはマスクにサングラスしてても、やっぱイケメンだわね」
だって。ガハハハハ……(←おい、ツバが飛ぶだろ!)
お後がよろしいようで。



























2020年5月25日月曜日

友だちは死んだ人に限る

拙著『座右の山本夏彦』の中にも書きましたが、
若い頃のボクには友人と呼べるものが一人もいませんでした。
〝トモダチ〟が欲しくなかったわけではない。でも、できなかったのです。

師匠の夏彦翁も同じような青春を送ったといいます。
師匠にとって友人の多くは死んだ人でした。すなわち書物の中にいたのです。
ボクも同じく早くに〝今人(こんじん)〟に望みを絶った身の上、
会話のできる相手は本の中にしかいませんでした。

書物を通して先人に親しむことを〝読書尚友〟といいますが、
ひとたびその豊饒さに目覚めてしまうと、生きている人との友愛の
不確かさと貧しさが一層身に沁みます。
それは当然でしょう。死んだ人の中には、プラトンやゲーテ、
孔子に老子……錚々たる先哲がウジャウジャいるのです。
ボクは書きました。
『目黒のサンマではないが、友だちは死んだ人に限る』と。

そんないびつな青春を送ったボクも、年を重ねるうちに、
(生きてる人間の中にも面白いのがけっこういるじゃん)
なんて思うようになり、今ではおかげさまで〝おもろい今人たち〟
に囲まれて楽しく暮らしております。

ボクは「口が悪い」とよく言われます。
言葉に毒があって辛辣だ、というのです。
たしかにそういうところはあるかもしれません。
しかしそう指摘する仲間たちは、
「言われても、つい笑ってしまう」
といいます。毒はあるけど、ユーモアの衣に包まれているから、
つい笑ってしまうのだそうです。

物の本にこうありました。老人施設で医師をしている人の話ですが、
「元気で長生きしている老人たちは、多くが人の悪口が好き」
というのです。憎まれ口ばかり叩いている老人は、
なかなかくたばらないようなのです。

わが団地(1600世帯以上)にはいろんな人がいます。
善人ばかりではありません。悪人もいます。それも愛すべき悪人ではなく、
文字どおりの根性の曲がったイヤな人間です。

H氏という70過ぎのじいさんは、団地の管理組合や理事長に
しょっちゅう噛みつきます。訴えたりもします。訴状を読むと、
バカバカしい限りで、敗訴は目に見えているのですが、それでもめげずに
「おおそれながら……」と訴え続けるのです。こちとら役員としては
いい迷惑です。弁護士費用だってままならないですし、それらの原資は
住民から集めた管理費の中から出されているのです。住民はこの訴訟マニアの
H氏に対してもっと怒らなくてはなりません。

自分の非を認めようとしない人は、ボクにはスケールの小さな人間
にしか見えません。人望もないでしょうから、友だちもいません。
唯一自分の存在を確認できる場が、団地総会で執行役員たちに噛みつくことと、
役員たちのあら探しをしてアジびらみたいなものをこさえ、各戸にバラまく
ことなのですから呆れます。この手の人間は、自分に自信がなく、
薄っぺらいプライドを守るのに汲々としているのです。70年以上生きてきたのに、
人生から何ひとつ学んでいない。ほんとうに憐れむべき男だと思います。

ボクは今でも〝友だちは死んだ人に限る〟と思っていますが、
生きている友だちでないと、いっしょに運動したり、おしゃべりしたり、
酒を酌み交わすことができません。新型コロナに席巻されたご時世ですが、
徐々に収束しつつあるという感触です。
居酒屋で生ビールなんぞを飲みながら、仲間たちとワイワイやって、
大いにうっぷんを晴らしたいものですね。



拙著『座右の山本夏彦』
の中の序文。読書尚友の豊饒さに
目覚め〝友だちは死んだ人に限る〟
と書いた。

2020年5月22日金曜日

食って寝て、糞をして……

食っては寝て、食っては寝ての毎日。
昼食が終わると(さて夕飯は何にしようか……)と考えてしまいます。
苦痛ではありません。むしろ好きなほうで、買い物も大好きです。
外出自粛要請があるまでは、日に3回はスーパーに行ってました。
(このおじさん、また来たよ。よっぽどヒマなんだね)
と、レジのおばちゃんも呆れるほどです。
だから買い物は1日1回だけにして、なんて言われると
頭がおかしくなってしまいます。

ボクは以前、NHK出版の『男の食彩』という月刊誌の中で、
『朝ごはん 主夫対シェフ対決』などと謳った特別企画に登場させてもらった
ことがあります。シェフは有名イタリアンのK氏。ボクはどういうわけか
日本全国の〝主夫〟を代表して出場したわけです。
新進気鋭のK氏はともかく、「なんで主夫代表がボクなのよ?」
と頭をひねりましたが、え~いままよ、と料理対決の場に臨んだのです。

結果は散々なものでした。
なにしろ作った料理がひどかった。
とても朝食向きとは思えない料理ばかりで、
味つけも今から思えばサイテーでした。
K氏の料理はさすがで、イタリアできっちり修業しただけのことはありました。

それでもカメラマンは料理写真を撮り、雑誌に載せたのですから、
ご愁傷さまという他ない。担当は女性編集者でしたが、
心優しい人なのでしょう、撮影後、ボクの料理を「おいしい、おいしい」
と言って食べてくれました。お気の毒という他ありません。

あれから幾星霜(大袈裟でしょ)、ボクはずいぶん料理の腕を上げました。
味つけもまあまあだと思います。たいがいのものは作れますし、
それは和洋中を問いません。

外国からのお客様があるときもボクが腕を振るい(ただ材料を切るだけの
手巻き寿司だったりしてw)、お酒の相手もします。
台所に立つことは苦になりません。ボクより上の世代は抵抗を感じるかも
しれませんが、料理の世界は奥深く、女性よりむしろ男性のほうが
向いているような気がするのです。実際、ごく一部を除いて(イタリアなど)
世界中の有名シェフはみんな男です。

女房は、
「お父さんの一日は、寝てるか、食べてるか、トイレにこもってるか……
この3つであらかた終わってしまうわね」
とバカにします。たしかに間違ってはいませんが、
「台所で料理の道を究めようとしている」
という一条も付け加えてほしいものです。

今夜のおかずのメインは豚ロース肉とパプリカを使った蒸し物の予定です。
写真は常備菜として作った「野菜の甘酢漬け」。材料はカリフラワー、
キュウリ、ダイコン、パプリカ、赤タマネギ他数種、です。わが家は食卓に
酢の物を欠かしません。肉料理の、それも揚げ物や炒め物などが多いものですから、
油を中和させる意味からも酢の物が必要なのです。

いずれにしろ、大変ご愁傷様です、
と言われぬよう、奮闘努力いたす所存であります。
あなかしこ(←あんたは女か!)





←味をなじませるため、ビニール袋に入れ
よく揉みこんであります。このまま冷蔵庫で
数日置き、専用の容器に移し替えます。









2020年5月17日日曜日

ボクの写真を撮らないで!

ボクには若い頃の写真がほとんどありません。
あっても、カメラを意識しすぎた不自然な写真か、
心ここに在らずといった魂の抜け殻みたいな写真ばかりです。

ボクは写真に撮られるのが苦手でした。
心の中はいつだって大忙しだったから、写真なんか撮ってる場合では
なかったのです。何に忙しかったって? 自分に折り合いをつけるのに
ひたすら忙しかったのです。

前にも書きましたけど、ボクは少し頭のいかれた男の子でした。
小学校5年の頃に、吉行淳之介の『砂の上の植物群』だとか『原色の街』
といった本を読んでいました。どちらも男女間の性を描いた作品です。

おませな少年、というのならまさにそれで、チン〇コも満足に
育っていないのに、妄想だけはたくましくしている、というひねこびた
少年でした。ガキのくせに変に老成している、というのは気持ちが悪いものです。

今でも写真写りは悪いです。
自分の中で一番醜い、見てほしくない部分が強調されて写されてしまうからです。
ボクなら自分の写真を見てすぐわかります。その時、何を考えていたか……。
だから、こっそり知らないうちに撮られた写真が一番出来がいい。
変な自意識がそこにはないからです。

あの三島由紀夫が自意識過剰な人間だったことは広く知られています。
彼が生来の過剰な自意識から解放される唯一の瞬間は、自衛隊に体験入隊し、
空挺団で落下傘の降下訓練をしている時だけ、と聞いたことがあります。

歳をとって老成していくというのは、
自分の心の内を容易に見せない技術を身に着けることでもあります。
ボクは開けっぴろげでout-goingな性格と思われているようですが、
半分は正しくとも半分は違います。それらしく演じていたら、
いつの間にやら〝ホンモノっぽく〟なってきた、というだけのことです。
ボクの中では〝痩せ我慢の哲学〟と呼んでいるものなのですが、
痩せ我慢をしながらそれらしく演じ、何年も繰り返していると、
いつの間にかホンモノと見紛うほどになってしまうのです。

「顔立ちは生まれつきだが、顔つきは自分が作る」
とよく言われます。性格も同じで、生涯をかけて自分の理想とする性格に
自分を作り変えるのです。ボクは若い頃の自分がキライでした。
思い出すだに、「ウェーッ!」となるくらいキライでした。

で、ボクは人格改造計画に着手したんです。
自分のことばかり考えていないで、他人(ひと)のことを思いやる人間になろうと。
他人(ひと)が喜んでくれるようなことをしようと。きれいごとに聞こえる
かもしれませんが、ようやくたどり着いた境地がここなんです。

「他人(ひと)にやさしく!」
これはボクのモットーでもあります。誰に対しても分け隔てなく接する。
大企業の社長であろうと便所掃除のおっちゃんであろうと、
ボクの接する態度はほとんど変わりません。記者生活が長く、各界の一流人士
と呼ばれる人にもずいぶん会いました。その中には立派な人もいれば、
俗人もいました。いや、ほとんどが世間ずれした俗人といっていいかもしれません。

そんな経験を積み重ねるうちに、人を見る目が自然と養われてきたような気がします。
「人は見かけじゃない、中身だよ」とよく言われますが、
ボクは「人は見かけがすべて」と思っていて、そのことに自信を持っています。
残酷なようですが、その人の人となりはすべて顔つきに出てしまうのです。

だからボクは「お見かけどおりの人間です」と開き直るしかない。
事実、それ以上でも以下でもないからです。

背伸びせず、身の丈に合った人生を送る。
ボクには自分の可能性と限界がよく見えています。
「各員一層奮励努力せよ!」とハッパをかけられても、
(そんなに頑張ってどうするわけ? 頑張った先に何があるの?)
と、ちょっぴりニヒった自分がそこにいます。

もう2年もするとめでたや古稀です。
信じられません。ボクが70歳のジイサンだなんて。
男が歳を取り損なうと、世に言う「暴走老人」とか「正論おじさん」
に成り果てるといいます。彼らは人生から何一つ学ばず、
自分の考えを唯一正しいと思い込み、他者に押しつけようとします。
はた迷惑もいいとこです。

娘たちや孫に愛され、友人や隣人たちにも愛されるジイサンになれるよう、
奮励努力する覚悟であります。どうか皆さま、お見捨てなきように願います。






腕白小僧の孫のS太と心優しい?ジージ。


















2020年5月15日金曜日

バカと偽善者だらけの国?

半年ぶりに病院へ。
血圧の薬が残り少なくなったからもらいに行ったのだ。
病院は歩いて3分のところにある。

最長90日分の薬をもらっていても、服用するのは2日か3日に1度。
ヘタすると1週間くらい薬なしで過ごすことも。
「ダメだよ、毎日飲まなきゃ」
担当医のY先生にいつも叱られる。
診察時に血圧を測ったら、上が186あった。

このご時世だ、病院もコロナを警戒し、臨時の検温用テントを構内駐車場に設けた。
そこでまず検温し、異常がなければ裏口から院内に入る。
待合室で待っていたら、70代半ばのおっさんだろうか、
ビニールで遮蔽された受付の女性が、
「どちら(の診療科)を受けられますか?」
と訊いたら、
「Y先生……」
と面倒くさそうにボソリと呟いた。

「えっ?」
と受付嬢が訊き返すと、
「Y先生といったら内科に決まってんだろ! そんなこともわからんのか!」
と、いかにも不機嫌そうに吐き捨てた。

それを見ていて、(失礼なやっちゃな……)と思ったボクは、
よっぽど注意してやろうかと思ったが、病院内で取っ組み合いを
始めるのも大人気ないので、グッと我慢した(ケンカには前科がありまして)。
(だからおっさんはきらいなんだ……)
自分の気に入らないと、所かまわず怒り出す。
この手の陰気で気短なおっさんが世の中にはウジャウジャいる。

ボクは物おじせず誰にでも話しかけられる性格だが、
こういう陽性タイプのおっさんはそれほど多くはない。
朝の公園にはいろんなタイプのおっさんがいるが、
挨拶しても知らんぷりしているおっさんがいれば、
「君は歩き方が悪いね。もっと背筋を伸ばしてこうやって歩くんだ」
とばかりに、頼んでもいないのに正しい歩き方の講釈を始めるおっさんもいる。
膝の悪いボクはどうしてもびっこを引くような歩き方になってしまう。

人にモノを教えるのが飯より好き、というおっさんは数多いが、
以前、水泳部出身のボクに向かって、バタフライはこうやって泳ぐんだ、
と手を取って教えてくれた親切なおっさんがいた。

ボクは苦笑しながらも「ハイ、ハイ」といって素直に聞いていたが、
このおっさんのバタフライは溺れているかのような悲惨なものだった。
人を見ると教えたくなってしまう。一種の病気なのだと思う。
ボクはその日、おっさんに恥をかかせまいとバタフライを自ら封印した。

不機嫌そうなおっさんは佃煮にするくらいいるが、
不機嫌そうなおばさんはそれほど多くはない。
話しかければふつうに対応するのがおばさんで、
おっさんにはこの〝ふつうの対応〟ができない。
企業人としてはふつうだったかもしれないが、
いざ現役を隠退して一介の社会人になると、
「自分がいかに社会性に欠けているか」を思い知ることになる。
〝社畜〟の期間が長すぎると往々にしてこうなってしまうのか。

ボクは〝おじさん嫌い〟を公言していて、
おじさんはすべからくおばさんになるべし、と説いている。
役立たずのタマタマなんか切り取ってしまえ、というのではない。
おばさんたちの屈託のない〝親和性〟に学べ、と言っている。

話は変わるが、
おっさん嫌いではあっても、高山正之や百田尚樹といったおっさんは好きである。
百田はネット上で「とんでもない右翼だ」などと書かれているが、
彼は、「右翼でも当然左翼でもない、ただの愛国者だ」と言っている。
ボクもまったく同じ。糞ったれ左翼などではもちろんないが右翼でもない。
日本という国をこよなく愛するただの愛国者だ。

ボクは名コラムニスト山本夏彦の弟子を任じているが、
夏彦亡き後は高山正之の押しかけ弟子を勝手に任じている。
となると朝日、毎日といった反日新聞を蛇蝎のごとく嫌っているところも同じ。
この両人の言葉は、まさに寸鉄人を刺すほど鋭い。
しかしその言説の多くに共感できる。

写真の本は昨日読み終わった。
愛する日本にも、バカや偽善者どもはウジャウジャいる。
「人間というものはいやなものだなあ」
とは師匠山本夏彦の口ぐせだった。
いやだけど愛おしい人間。生きていくのは大変です。