2016年12月31日土曜日

2016年、老生の「10大ニュース」

今年もいろんなことがあった。楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、
怒り狂ったこと……そして大切な人を喪ってどれだけ涙にくれたことか。
わが心の師匠でもある作家の佐藤愛子女史は、
悩みの量こそ人間の深さ》だと言っている。人生は日々修行なのか。

そんなわけで、大晦日を迎え、今年一年の身辺些事をふり返ってみる。
題して「嶋中労の〝今年の10大ニュース〟」

次女懐妊す🙌
体重50キロあるかないかのスレンダーな次女が、元アメフト選手で、
体重100数十キロの〝超人ハルク〟のような伴侶を得たとはすでに報告ずみだが、
この次女が身ごもった。来春の出産予定でどうやら男の子らしい。母子ともども
健やかであれ、と心より祈る。

フランス人と見まちがわれた😅
近所の公園でいつものように筋トレをしていたら、ベンチに座っていたじいさんに、
「フランス人ですか?」と訊かれた。「えっ? おれがフランス人?」
このおっさん、俺をおちょくってんのか? それとも……???? 当方、ニット帽にグラサン
姿で少し怖そうな雰囲気。そのコワモテがなんでフランス人になっちゃうわけ?
(そうか、この全身から匂い立つそこはかとない文化の香りってものに気圧されて、
つい「もしかしてフランス人かも」と思わしめてしまったんだな……ウンウン、ナットク)
しかし、いまになってもこの「嶋中労=フランス人」説は謎に包まれたまま。巷では
ただのボケ老人が口から出まかせを言っただけ、などと噂されている。

風呂場をリニューアル
給湯器がイカレてしまい、熱い湯が出なくなったので、思い切って風呂場を丸ごと
リニューアル。ウン百万もかかってしまったが、きれい好き?のボクとしては、
やむを得ぬ出費。おかげで風呂場だけは高級ホテル並みになった。

友人の奥方が次々と他界す
仕事関係で2名、近所の仲間で1名、旦那を置いて奥方から先に逝ってしまった。
残された旦那たちの嘆きようといったらない。揃ってガンによる死で、
まだ60代の若い身空である。先に逝くべきは男、としみじみ思った。

夏祭りのステージに新メンバー
わがおやじバンド「蛮爺's」にリードギターのO氏とピアノ&ボーカルのS女子が
加わった。どっちもセミプロで、場数も踏んでいる。同じ団地の住人だから気楽に
会って練習ができるのがいい。O氏から「ギターの腕と歌はひどいもんですね。
でも声だけはいい」と真顔で言われた。ガーン! 本気で歌手をめざしていたのに……

帯状疱疹を患う😭
ある日突然、首筋と背中に赤い斑点が。そのうちひどい頭痛がしてきたので医者に
行ったら「帯状疱疹です」とのこと。それから約1カ月間、頭を針で数秒ごとに刺される
ような頭痛が続いた。治ったと思ったら、こんどは「帯状疱疹後神経痛」というやつに
悩まされ、身も心もボロボロ。ただの発疹、などと甘く見るとトンデモナイ目に遭う、
という教訓をあらためて学んだ。

500ページの大作を書く
ゴーストの仕事だが、某有名企業家の本を請け負う。えっちらおっちら書き続け、
なんとか〆切に間に合った。発刊は来春か。

休肝日のない一年😝
ほとんど毎日、酔っぱらっていた。
「toriaezuビール」に始まって、あとはワイン、もしくは日本酒、近頃はウイスキーへ
とつながっていく。お酒は控えめに、といつも医者から小うるさく言われているのに、
診察したその晩にはもう盃を重ねている。懲りないジジイである。

筋トレに励む💪
膝がイカレて、ウォーキングやランニングができないため、放っておくと筋力が
衰えてしまう。で、始めたのがダンベルやアンクルウエイトを用いた筋トレ。水泳を
やっていた昔からけっこうムキムキだが、いまはさらにムキムキマンに。そのうち
佐藤愛子みたいに鬼をもひしぐムキムキじいさんになってしまうかも。

相変わらず本の虫
二日に一度の割でアマゾンに📚を注文。
読みたい本がいっぱいあるってことは、いまだ好奇心とか探求心が衰えていない
という証左なのか、書斎はすでに本で満杯になり、他の部屋に収納しているが、
それも限界に達しつつある。本の虜になって50年、生涯「狂」の字を冠するような
bookwormでいたい、と思う今日この頃である。






←人形町の水天宮様で安産祈願をする娘夫婦。
神さま、よろしくたのんます

2016年12月22日木曜日

リベラルが〝愚かな人〟の意に

昨日、いつものプールで、いつもの仲間たちと楽しいひとときを過ごした。
泳ぎの合間にはたわいのないおしゃべり。仲間の一人のカトリーヌは、
泳ぎの達者なベルギー人で、近くの大学で教鞭をとっている。

「ドイツのクリスマスマーケットでテロがあったね。ベルギーでもフランスでもテロが
起きてる。ヨーロッパは大変なことになってるね」
とボクが言ったら、
「そう、年に数回帰るけど、帰るたびに移民・難民の数が増えているのを実感するわ」
とカトリーヌ。日本語オンリーではあまり複雑な話はできないので、英語とフランス語が
チャンポンになった不思議な言語をあやつる。

彼女はいわゆる知的エリートに属する人間なので、どっちかというとリベラル派で、
「私はテロも怖いけど、トランプの出現のほうがもっと怖い。
世界はこれからどうなってしまうんだろ……」
と漠然とした不安を口にした。

余談だが、今アメリカでは「Liberalリベラル=自由主義の、進歩的な」という表現が
使われなくなってきたという。日本ではリベラルは比較的良い意味として使われて
いるが、アメリカではむしろ〝愚かな人〟の意味さえ含み始めている。
では別の表現で何というのか?「progressiveプログレッシヴ=進歩的」という言葉を
使うのである。となるとボクなんかさしずめ「regressiveリグレッシヴ=退行的」って
やつだな。進歩的と称するやつにロクな人間はいないからな😆。

米国大統領選にからんで、青山学院大学教授の福井義高はこう言っている。
《そもそもヒラリー・クリントンは極めて好戦的です。一方、トランプは一貫して
軍事力の行使に否定的です。アメリカでは、いわゆる保守もリベラルも主流派は
好戦的であって、「リベラルは反戦、保守は好戦的」という日本的()図式は
まったく当てはまりません》

日本では、朝日新聞を読んでいるような連中がリベラルを自称し、ヒラリー・クリントン
大統領を待望していたようだが、ヒラリーが大統領になったら、もっと大規模な紛争や
戦争が起こるかもしれない。なにしろ「アラブの春」を演出し、世俗化し安定して
いたリビアという国をグチャグチャにしてしまった張本人があのヒラリーなのだから。

トランプの支持者たちは概して〝おバカな連中〟と中傷されているようだが、
それは米国の大手メディアの論調であって、その背後にはウォールストリートの
キングメーカーたちの影が見え隠れしている。すなわち軍産複合体であり、
ネオコンであり、金融資本でもある連中だ。彼らがアメリカの既得権益を
すべて握っている。

プール仲間のカトリーヌはトランプ時期大統領を頭ごなしに否定していたが、
トランプの低俗な暴言はともかく、彼のやろうとしていることは、むしろ
歓迎すべきことかもしれない。こればっかりは蓋を開けてみなければ、
だれにもわからないけどね。

ボクは日本のリベラルと称する連中がきらいで(底抜けのバカだから)、
彼らエリートの主張することと逆のことをやっていけば日本は安泰、と思っている。
朝日の社説と反対のことをやっていれば日本は安泰、というのと同じである。
現に、戦後ずっとそうだった。それでも朝日に操(みさお)を捧げている自虐史観で
支那びいきの酔狂人がごまんといるから、「マジですか?」とボクは訝しく思うのだ。

このブログを読んでくれている人の中には、こうした考えに反発を感じる人も少なく
ないと思うが、ボクなりの歴史観、人間観、世界観のたどり着いた場所がいま現在の
「シマナカ流保守主義」というものなのだからしかたがない。
異論がある人は遠慮なくどしどし反論してほしい。

アメリカという国名は来年から
〝 The Divided States of America〟に変わるという(😜)。
ちょっぴり不安だが、お楽しみでもある。


←アメリカ国旗もこんなふうに変わるらしい(😵)








※追記
divideとかdivisionという言葉から思い出されるのは、
JFKの弟でアメリカ大統領選に立候補していた
ロバート・ケネディの演説だ。ボビーは、キング牧師の
暗殺を聞き白人に対して怒りと憎しみに震える
黒人たち2万人に向かって、即興でこう語りかけた。
《What we need in the United States is not division
what we need in the United States is not hatred;
what we need in the United States is not violence
and lawlessness , but is love and wisdom……
アメリカに必要なのは分裂ではありません。
憎しみでもありません。暴力や無法状態でもありません。
私たちに必要なのは愛であり知恵であり……》

2016年12月19日月曜日

フランス人?のおじいさん

団地内のジャングルジムでいつものように〝ぶら下がり健康法〟を
実践していたら、そばのベンチに腰かけていた「おじいさん」が、
「先週もやっていましたよね」と声をかけてきた。

足首に2㎏ずつアンクルウエイトを装着し、階段を昇ったり鉄棒に
ぶら下がったり……ウエイトトレーニングは毎日欠かさない。
ジャングルジムの端っこにぶら下がり、下半身を振り子のように
左右に振る(1セット約20秒を3セット)運動はかなりきつい。

なにしろ体重が84㎏あり、そこに4㎏のウエイトを着けるから、計88㎏。
それもただぶら下がるのではなく、振り子のように左右に大きく振るのだから
手がちぎれそうになる。でもこれをやると背骨がぐんと伸びるのか、
実に気持ちがいい。

我がいでたちはニット帽にレイバンのサングラス、寒い朝だとマスクを着ける時もある。
「まるでコンビニ強盗だね」といわれたことがあるが、大柄なだけにかなり怖そう。
その怖そうなおじさんに、勇を鼓したか、くだんのじいさんが声をかけてきた。

「ええ、毎日ここでジャングルジムの鉄棒にぶら下がってるんです」
ボクが愛想よく返事をすると、じいさんは安心したのか、
「何かにぶら下がるのは身体にいいって言いますからね」
と相槌を打ってきた。

しばらくたわいのない話をしていたら、突然、
「外国の方ですか?」と訊いてきた。
「えっ? ちがいますよ、純粋な日本人ですよ」
とボク。(さっきから訛りのない美しいニホンゴをしゃべっているじゃないの)
なにトボけたこと言ってるんだよ、このじいさんは。

そうしたらこのじいさん、
「フランス人かと思いましたよ」だって。
なぜ俺がフランス人なんだ? このじいさん、俺をからかってんのか?
まじまじと見つめてしまったが、爺さんはいたって大マジメである。

そうか、ニット帽にサングラス、それにどことなく漂うハイカラな雰囲気。
全身からあふれ出す文化の香りというか、匂うような教養ってものが、
じいさんをして思わず「あっ、フランス人だ!」と言わしめてしまったんだな(フムフム)。
ボクはフランス人に見まちがわれたことに、妙にナットクしてしまった。

じいさんはさらに「失礼ながらおいくつですか?」
と訊くから、「27年の辰年です」と応えたら、「あっ、おんなしだ」

ギョエーッ!
俺はこのじいさんと同い年かよ? ウッソだろ?

フランス人とまちがわれて、ついその気になっていたら、
一気に奈落へ突き落とされてしまった。

女房にこのことを報告したら、
「アフリカ系のフランス人ね、きっと。Alexiaわが家にホームステイしたフランス人女性)が
聞いたら〝お父さん、頭がおかしくなっちゃったの?〟って呆れ返るよ」
とバカにされた。

そうだよな、よほど眼の悪い人か、脳みそパッパラパーのじいさんでないかぎり、
フランス人ですか? なんて訊かないもんね。
ボクの全身から匂い立つような、そこはかとない文化の香りも、
途端に色褪せ、パリ名物の犬の糞のような香りへと脱落していってしまった。

ああ、俺はいつ〝おじさん〟から〝おじいさん〟に脱皮したのだろう。
今夜はショックで眠れそうにない。


※お知らせ
文中、不適切とされる言葉があります。が、わが家はいわゆる
political correctnessを〝偽善〟と考えておりますので
ご了解ください。ついでにいうと米国のaffirmative action
も偽善であります。あれによって人種差別は深く静かに潜行して
しまいました。



←1泊2日の伊豆修善寺への旅行。
伊豆の国・パノラマパークの
ロープウェイ山頂から眺めた
富士山(12月18日)。やっぱり
富士は凛としていていいねえ。
フランス人に生まれなくてよかった(笑)。

2016年12月16日金曜日

女性の気になるしぐさ

女性には女性特有のしぐさがある。
話している最中に、しきりに自分の髪の毛をいじるとか、
相手の肩や背中を笑いながら叩いてくるとか、
危険なくらい間近に接近してくるとか……

こうしたしぐさはまだ微笑ましい部類といえるが、
きらいなしぐさもある。「手で口を覆いかくす」というしぐさだ。
若い女性もおばさんたちも、ほとんどの女性が手で口元をかくす。
外国人にはまず見られないしぐさだから、日本女性特有なのだろう。
ボクはこの無意識のしぐさに非常な違和感を感じる。

心理学者に言わせると、その理由がいくつか考えられるという。
①自分に自信がない→ほんとうの自分をかくしたいという心理が働く。
②大きなプレッシャーがかかっている→心を落ち着かせるため。
③自分をよく見せたい→上品な人間であることをアピールしたい?
④自己防衛本能が強い→口をかくすことで相手の侵入を阻む。結界のつもりか?
⑤よくウそをつく人→表情の変化をさとられないようにしている。

まあ、こんな理由が考えられるそうだが、
口をかくそうとする人は、基本的に「相手に心を開くのが苦手」な人が多く、
どっちかといえば奥手で引っ込み思案の人が多いという。口を手で覆う
しぐさは「自分の心の奥をのぞかれたくない」という無意識のシグナルだからだ。

ボクは開けっぴろげな人間なので、この手の警戒心の強そうな女性は苦手だ。
だいいち、あのしぐさはカッコ悪い。外国人が見たら不気味に思うんじゃないかしら。

「口を押えるんじゃない!」
テレビの〝口隠し女たち〟に向かっていつも吼えていたせいか、
わが娘たちは口を手で覆ったりしない。
ガハガハと、大口開けて景気よく笑う。
そのせいで嫁にいけない、という弊害があるかもしれないが(笑)、
ノーテンキな〝ガハガハ路線〟については大賛成だ。

大和撫子たちよ! 手で口を覆うのをやめてくれまいか。
覆ったおかげで器量が3割ほど低下しているのだよ。
歯並びが悪かろうが、歯が黄ばんでいようが、
はたまた歯の間にネギやエノキ茸の切れっぱしが挟まり、
どうにも間抜けな顔になってしまっていてもいいじゃないの。
むしろそのほうがご愛敬というものでしょ。

もう一度言う。
そのかわいいお口を手で覆いかくすのはやめてくれ!



←韓国では男も口元を手でかくすようだ。
オカマ野郎だな、こいつらは。

2016年12月7日水曜日

謝罪などしなくていい

安倍総理がハワイ真珠湾に出向き戦没者を慰霊するという。
オバマ大統領が広島まで足を運び慰霊してくれたので、その返礼という見方もある。
それと強固な日米関係を世界にアピールすることで、支那やロシアを牽制したい
という意図もあるだろう。

軍事施設と戦闘員だけを狙った真珠湾攻撃と、非戦闘員である一般市民を
無差別に虐殺した原爆投下や東京大空襲を同列に視るなどとうていできない
相談である。が、外交とはしょせん手練手管。日米の強固な絆を派手に演出するには
もってこいの素材といえるだろう。

「Remember Pearl Harbor!」「Don't forget Pearl Harbor!」などという。
宣戦布告もせず卑怯なだまし討ちをした日本の仕打ちを永久に忘れるな――。
1941年12月8日、日本は自らの存亡を賭け、ハワイ真珠湾を攻撃した。
日本の不意打ちといわれているが、東京裁判では事務的な手続き上のミスで、
通達が遅れた、という事実が確認されている。米国駐在の外務省の役立たずどもが、
暗号の翻訳に手間取り、開戦から1時間ほど経ってから米国に伝えたのだ。

だまし討ちというが、レーダー技術が発達し、暗号解読技術も進んでいた米国は、
かなり以前から日本の連合艦隊の動きを察知していたといわれている。
現に12月1日、ルーズベルト大統領は各地の軍司令部に戦争準備の指令を
出しているが、ハワイの軍司令部だけは除かれていた。

そしてまさに狡知といえるのは、肝心かなめの空母2隻、新鋭艦19隻はあらかじめ
外洋に移動させ、すでに御用済みのポンコツ老朽艦16隻だけを港に残し、
日本の先制攻撃を誘導したことだ。日本の攻撃は飛んで火に入る夏の虫だった。
急襲で死亡したアメリカ兵は約2400人。孤立主義から脱し、欧州戦線や太平洋戦線
へ参戦するための口実として、2400余の尊い命が生贄(いけにえ)にされた。

およそ1年前の11月、英国の工業都市・コヴェントリーがナチスドイツによる爆撃を受けた。
この空襲について、英国政府は事前に察知していた。エニグマ(ドイツの暗号)をすでに
解読していたのだ。しかし、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、英国政府はコヴェントリー
市民を見殺しにした。 (小の虫を殺し、大の虫を生かす for the greater good)ために。
戦争はいつだって非情なのである。

フランクリン・ルーズベルトという男は激しい人種差別主義者で、日本人嫌いでも
有名だった。'41年8月、米国は日本への石油を全面禁輸にする。当時日本は、
石油の99%を輸入していた。大半はアメリカとオランダ領インドネシアからだった。

石油がなければ、軍艦も戦車もトラックも動かない。生き延びるためには
戦争をするしか選択肢がない。同年8月、ルーズベルトと英国のチャーチルは、
「大西洋会談」で日米開戦を密約していた。いかに日本に先制攻撃を仕掛けさせるか。
二人はすでに協議を済ませていた。ロンドンはナチスドイツの空爆にさらされ、
「このままではイギリスが滅びる」と、チャーチルはかなり焦っていた。
なんとしてでもアメリカを参戦させなくては……英国は必死だった。

それ以前にもアメリカは、「排日土地法」や「排日移民法」などを成立させ、
日本人移民をシャットアウトしている。豪州やカナダなどもすぐに追随した。
当時の日本は人口過剰で、おまけにひどく貧しかった。白人諸国への移民の道が
閉ざされたら、残るは満州しかなかった。満州は日本の生命線となった。

そんな状況下で、'41年11月、米国務長官のハルが、いわゆる〝ハル・ノート〟
と呼ばれる最終提案を突きつけてきた。
①支那大陸からの全面撤退。
②日独伊三国同盟の即時破棄など。
東京裁判で、インドのパール判事は言っている。
こんなものを突きつけられたら、窮鼠猫を咬むじゃないが、
あのちっぽけな)《モナコ王国やルクセンブルク大公国でも米国に宣戦しただろう》と。

戦後'51年5月、かのマッカーサーでさえ米国上院軍事外交合同委員会にて、
《あの戦争は日本の自存自衛のための戦争だった》と証言している。ハル・ノートを
飲めば、1200万人の失業者が発生する。日本はそのことを恐れた。
で、やむにやまれず戦争へと飛び込んでいった。動機はあくまで安全保障の必要に
迫られてのこと。侵略戦争などではなかった、と証言しているのだ。

こうした事実を百も承知の上で、安倍総理はハワイ・真珠湾に出向いていく。
広島でのオバマがそうであったように、謝罪などしなくていい。
戦争の愚かさを訴え、無念に散った死者の霊を慰め鎮めるだけでいい。



←米国によって仕掛けられた
真珠湾攻撃。

2016年12月4日日曜日

栗よりうまい十三里半

ボクの生まれ故郷の川越は芋の町といわれている。
昔からサツマイモの産地として知られているからだ。

ボクが川越出身だと知るや、相手はパブロフの犬みたいに、
「川越といえばサツマイモで有名ですよね」
などと反応してくる。いったい幾たびこのセリフを聞かされたことか。
なかには「それじゃあ、文字どおりの芋にいちゃんだ」
と腹を抱えて笑い出す失礼な輩もいる。
芋にいちゃん――ああ、これもすでに耳タコだ。

市街地に育ったシティボーイのボクとしては実に心外なのである。
「サツマイモはね、川越の在のほうで作っているものでね、
ボクらシティボーイには関係ないのよ」
内心、こんなふうに反論してやりたいのだが、相手の頭の中にある
「川越=イモ」という公式が強固なだけに、なかなか耳を貸してくれない。

先日、わが団地内の「ラジオ・シーアイ」に出演した際、ひとしきり川越の自慢話を
したのだが、松江町にあった旧映画館「ホームラン劇場」の真ん前にある「つぼ焼き」
屋も話題に出た。この店では大きな壺の中に芋を入れて蒸し焼きにしているのだが、
この蒸かし芋が母の大のお気に入りで、子供の時分、よく買いに行かされた。

江戸期、焼き芋屋の看板には「八里半」と書いてあった。
栗(九里)みたいな味がするが、それにはやや及ばないというので八里半。
ほどなくして小石川に「十三里」という看板をかけた店が登場する。
「栗よりうまい(九里四里うまい)」とかけた駄洒落である。

ただ「十三里(九里+四里)」では、「栗より……」と言っているだけで、
旨いか不味いかわからない。そこで「栗よりちょっとばかり旨い」ということで、
「十三里半」と書く店も出たという。

またこんな江戸小噺もある。
《わしが近所の八百屋で、十里という焼き芋があるゆえ、八里半より一里半多いから、
これはよかろうと思い食ってみれば、腐って生焼け。何度食べても同じだから、
亭主に聞いたところ、『腐って生焼けゆえに十里でござります。食うたびに、
五里五里(こりごり)いたします』》

悪乗りしてもう一つ尾籠な話を披露する。
これもまた江戸時代の話だが、自由自在に放屁できる奇人がいたという。
彼らは〝曲屁師(きょくへし)〟と呼ばれていて、両国界隈では人気の見世物
だったらしい。この曲屁師たち、仕事のために常に芋を食べていたそうだ。
で、こんな川柳も残っている。

        両国へ屁をかぎにいく四里四方

わざわざ身銭を切ってオナラを嗅ぎにいく、というのだから、
江戸文化がいかに豊穣であったかが分かろうというもの。
近頃は亭主の鼻先で平気で放屁する〝女房〟という名の曲屁師がいる
と聞くが、その臭いに陶然とする行為を「風流」と呼ぶかどうかは知らない。





←川越のつぼ焼き屋さん

2016年12月1日木曜日

文弱の徒よ去れ!

慶應義塾を創設した福沢諭吉は、
先ず獣身を成して後に人心を養え》と説いている。
〝お受験〟などと称して、勉強ばかり強いる親がいるが、
勉強の前にまず健康な身体を作らなくてはならない。

娘婿は体重が100キロ以上あり、胸板がボクの2倍はあろうかという、
まさに〝獣身〟そのものといった肉体派で、学生時代は柔道とアメフト
で鳴らしたという。彼の兄もアメフトで鍛えたマッチョマンで、いまは
アメフトの名門・関西学院大のコーチをやっている。彼らの父親も
スポーツマンで、やはり学生時代は柔道とアメフトで名を馳せた。

ボクは勉強ばかりでスポーツと無縁の「文弱の徒」ってやつが大の苦手で、
娘たちにも「結婚するなら多少バカでもいい、ガッシリしたスポーツマンを選べ」
と言ってきた。その教えが効いたのか、次女はプロレスラーみたいな男を連れてきた。
婿が悧巧かバカかは知らない。夫婦なんてものはどう転んだって
「割れ鍋に綴じ蓋」、似た者同士に決まっている。いずれにしろ、
文弱驕奢(きょうしゃ)を退ける――これはボクの生き方そのものといっていい。

良寛については『嶋中労の忘憂日誌』の中で、幾度かふれてきた。
江戸後期の僧侶で、自身を〝大愚〟と称していた。
《無欲一切足、有求万事窮(欲無ければ一切足り、求むる有らば万事窮す)》
もっとも大賢は愚なるが如し、というから「大愚=大賢」なのだろう。

ボクにも人並みの欲はもちろんある。が別段、驕奢な暮らしがしたいわけではない。
身に纏うものは襤褸(ボロ)であっていい。宮沢賢治ではないが、
《一日に玄米四合と味噌と少しの野菜》、そしてできれば酒が二合ほど
あれば言うことはない。それにしても賢治さん! 一日に四合の玄米めしとは、
少し食い過ぎじゃありませんか? ボクも玄米めしの愛好家だが、
いくらなんでも一日四合は食べられませんよ。

文弱の徒はしばしばこう言う。
「この映画を見て癒されました」、「猫の動画を見てると心が癒されるんだよな」と。
どいつもこいつも過保護で育ったくせして神経病を患っていやがる。
病人じゃあるまいし、なぜ「心が洗われる」という言い方をしないのか。
なぜ「感動に震えました」といわず「鳥肌が立ちました」などと言うのか。
「鳥肌……」は本来、寒さや恐怖におののく時に使う言葉だろ。
「ぜんぜん大丈夫」なんていうのも気色悪いからやめてくれ。

なんだか話が脇道に逸れてしまったようだが、
要は数年前、芥川賞をとった田中慎弥みたいな文弱の徒が大きらいだってことだ。
あのナヨナヨした軟弱そうな体つきと、神経質そうな顔つきを見ていると、
こいつの書く文学など、しょせん貧寒な「四畳半文学」の域を出まい、
とつい思ってしまう。田中センセーよ! 糞のつっかい棒にもならない、
つまらぬ活字を連ねるより、もっと身体を鍛えなさいよ。
先ず獣身を成してから人心を養うこと。あんたはあべこべです。







←バルコニーから臨む紅葉。
癒される、じゃない(笑)、心が洗われますな




2016年11月28日月曜日

ボケたくなけりゃビールを飲め!

今朝の読売新聞に《ビールの苦み成分が認知症を予防する》とあった。
認知症は加齢に伴い、脳内にタンパク質の「アミロイドβ」が蓄積することが
原因とされているが、ホップ由来の苦み成分である「イソα酸」がアミロイドβ
を除去する作用が見られたという。ボクは昔からこういう記事には目がない。

一昨日も新聞で『腎臓をもみなさい』(アスコム)という本の広告に目がゆき、
さっそくアマゾンに注文、ものの30分で読んでしまった。高血圧のおかげで
ボクの腎臓は電通の社員並みに過重労働を課せられている。でも、簡単な
マッサージを施せば、弱った腎臓がみるみる回復するという。ボクはこういう
広告文句にもすこぶる弱い。マッサージはたったの1分。〝腎臓をもみなさい〟
でググれば、ユ-チューブにも動画が載っている。

そのマッサージを昨夜寝る前にやってみた。
そして蒲団の中に入ったら、なぜか体中がポッカポカ。
いつのまにか深い眠りに入っていた。

べつに〝健康オタク〟というわけではないが、
身体じゅう、どこもかしこも悪いところばっかりなので(顔と頭以外だけど)、
少しでも健康寿命を延ばそうと、ボクなりに努力しているのだ。

赤ワインのポリフェノールは血液をサラサラにする、なんて記事もかつてあった。
血液ドロドロ人間のボクにとっては福音みたいな記事である。
で、さっそく赤ワインをガブ飲みし、血液をサラサラにしているのだが、
なんだかますますドロドロになっていくような気がしてならない。←バカ

世の酒飲みたちは、ビールを飲めば認知症にならないとする今朝の記事を
天啓のように受け取り、さっそく酒屋に走るだろうが、記事には《飲み過ぎには注意!》
とも書いてある。でも意地汚い酒飲みには説教くさい記事は目にとまらない。
いつだって自分に都合のいいところだけをつまみ食いしているからだ。

苦みの利いたビールを飲めば認知症になりにくい、という。
が、昨日の晩飯に何を食ったか、もう忘れてしまっている。
たしか缶ビールを2本飲み、白ワインも数杯飲んだはずなのだけど……

苦み走ったいい男、と日頃からいわれているボクは、
御多分に漏れず苦いものが好きだ。ビールにコーヒー、ビターチョコ、ふきのとう。
臼井隆一郎は《大人が生きていく上で必要な認識は、苦みからしか生まれてこない》
と名言を吐いた。まったく同感。藤圭子は♬ わたしの人生暗かった……と歌った。
実はボクの人生も真っ暗闇の連続だった。おかげで苦み走ったシワが刻まれたわけ
だが、苦いものばかり食べても認知症にサヨナラできるわけではないらしい。

イソα酸はビールの苦みの元であるホップの花に含まれているもので、
コーヒーやチョコレートには含まれていないらしい。だから、ボケ老人になりたく
なかったら、ひたすらビールを飲みまくるしかないのだ。
よーし、今夜からガンガン飲むぞォ。
酒の飲めない下戸どもは、ボクら酒飲みの代わりに揃ってボケてくださいまし。





←六義園の紅葉。先日、女房と長女が
見に行った。

2016年11月24日木曜日

一朝目覚めたら、そこは雪景色だった

昨日は忙しくも楽しい一日だった。
午後、イタリアはトリノから3人のお客さんがあったのだ。
長女が高校2年の時、AFSという留学プログラムによって
イタリアへ派遣された、という話はすでにしているが、その留学先の
ホストファミリーの長男アドリアーノが友人二人を伴って初来日したのだ。
サービス精神旺盛な長女が張り切ったのは言うまでもない。

午前中から昼にかけては川越で過ごした。
この三人組、好奇心旺盛で、よく食べよく飲みよくしゃべる。
長女も退社後に待ち合わせ、飲み会につき合っていたらしい。
彼らの休日はわずか1週間。京都など関西へ行く余裕がないので、
今回は東京オンリーに絞っている。渋谷を根城に、すでに秋葉原や浅草、
銀座など主だったところを大急ぎで見て回った。朝まだきの築地も見たし、
長女の案内で新宿都庁ビルからの夜景も楽しんだ。

アドリアーノは長女と入れ違いに米国サンフランシスコに留学している。
同じAFSの高校生留学プログラムである。だから英語ができるし、
友人二人も流暢にしゃべる。ボクら夫婦は会話はからっきしだが、
ヒアリングはそこそこできるので、話はつながっていく。
それに通訳係にと次女も駆けつけてくれている。次女もかつてはAFS留学生で、
高校時にアメリカに1年、大学のときにイギリスに1年間留学している。
だから食卓では日本語、イタリア語、英語がにぎやかに飛び交った。

もてなしの料理はメインがおでん鍋と手巻き寿司。
最初はいつものきりたんぽ鍋を予定していたが、急遽おでんに切り替えた。
娘たちが「また同じ鍋?」と異議を唱えたからだ。サブメニューとしては
自家製〆サバとマダイの昆布締め、芝エビのから揚げにレンコンの煮物。
アドリアーノが川越で生のレンコンを目にした時、「あれは何なの?」
と長女に尋ねたらしい。イタリアにはレンコンはないのかしら。
その話を電話で聞いた女房がさっそくスーパーへ走り、買い求めたのだ。
日本人の「お・も・て・な・し」はとにかく徹底している。

日本酒もばっちり用意しておいた。
アドリアーノの友人二人(シモーネとアレックス)が日本酒に惚れてしまい、
長女によると底が抜けたように飲む、と聞いていたからだ。実際、濁り酒と
純米無濾過の生原酒を用意したら、あっけなく開けてしまった。ボクも入れて
2升近くは飲んだだろうか。酒豪のシモーネはそれでもケロッとしている。

歌も歌った。アドリアーノは音楽関係の大学でホルンとピアノを学んでいる。
どっちかというとクラシック好きのようだが、ポップスだってお手のものだ。
ボクたちは酔いにまかせて蛮声を張り上げた。楽譜を見ながら『カントリーロード』
を歌い『ゲットバック』を歌った。これはけっこうすばらしいハーモニーだった。

彼らは明日帰国する。
どんな思い出を持ち帰ってくれるのか。
日本に来てよかった、と思ってくれたら最高なのだが……。







←一朝目覚めたら一面雪景色だった

2016年11月17日木曜日

上知と下愚は移らず

ご趣味は何ですか、と訊かれるのが一番困る。
無趣味を絵に描いたような男だからである。
昔は履歴書なんぞの趣味の欄に「読書、音楽鑑賞」などと書けば、
差しさわりがなかった。ところが今はどうだ、「読書、音楽&映画鑑賞」
などと書くと、「つまらなそうな人ね」と思われてしまう。

つまらなそうな朴念仁と思われようが、ボクはいっさい気にしない。
ボクの「読書」は体質として身についてしまったもので、ボクから切り離す
ことはできない。書斎の机の上には、まだ目を通していない本が山と積まれている。
横にも後ろにも本、本、本。そんなbook-wormなのに、今日もまたアマゾンに
新刊を注文してしまった。ほとんど活字中毒と言っていい。

百聞は一見に如かず、などという。
寺山修司は『書を捨てよ、町へ出よう』なんて本を書いた。
御多分に漏れずボクは若い頃、よく旅をした。一人旅である。
それなりに面白かったし、収穫もあった。

社会人になってからは、記者稼業の宿命か、全国をくまなく歩いた。
海外にも飛び出していった。多くの人にも会って、十分すぎるくらい見聞を広めた。
その一方で、If an ass goes a travelling , he'll not come home a horse.
(ロバが旅に出たところで、馬になって帰ってくるわけではない)とする西洋の俚諺
が耳の奥でこだまする。

Travel makes a wise man better , but a fool worse.
(旅は賢者をさらに賢くし、愚者をさらに愚かにする)という諺もある。
ボクが賢者なのか愚者なのかは知らない。
賢くもあり愚かでもある、といったところだろう。

上知と下愚は移らず、と古人は言った。飛びきりの賢者と底なしの愚か者は、
いつまでも変わることはないという意味である。「下愚」、すなわちおバカなロバには
つける薬がない、ということだ。

ここでいきなり話は変わるが、テレビの国会中継か何かで、民進党や共産党の
国会議員、たとえば蓮舫や辻元清美、枝野幸男、安住淳、志位和夫といった
面々の顔をしみじみ見てしまうと、つい「Ass」とか「Fool」「下愚」という言葉を
思いうかべてしまう。下愚の代表はloopy鳩山だった。あの〝鳩〟は底抜けの
愚か者だった。かれら愚者どもを見るにつけ、ロバは死ぬまでロバ、
バカは死ななきゃ治らない、としみじみ思ってしまうのである。

旅はしたい。だが今はもう昔のような旅はできない。膝痛があるからか、
何をするにも億劫になってきている。知らない土地を歩くより、
本の世界で〝百聞〟にふれたほうがいい。本の中には時間や空間を超えた
それこそ未知の世界が限りなく広がっている。ボクは時にチンギス・ハーンとなって
草原を駆けめぐり、時に司馬遷となって中華千年王国に想いを馳せる。

それでも「下愚」のまんま、というのなら、それもまたいい。
ボクは書を捨てない、町にも出ない。
名誉ある孤立、ならぬヒッキー(ひきこもりの俗称)に甘んじよう。





←北側バルコニー(5階)から見た風景。
木陰越しにテニスコートが見える。落ち葉の
風情がいいですねえ




2016年11月14日月曜日

赤ゲット様のお通りだい!

今日は恵比寿ガーデンプレイス内にある「ジョエル・ロブション」で食事会だ。
義兄の一人娘(スイス在住)が婿さんを連れて来日、兄弟姉妹にお披露目して
くれるというわけである。婿さんはドイツはエッセン生まれの好漢で、
今は二人してスイスの首都ベルンに住んでいる。

星付きレストランでの食事は久しぶり。
もちろんドレスコードがあるから、一張羅のスーツに身を包んでのお出ましだ。
馬子にも衣装で、日頃ユニクロの服ばかり着ている男も、仕立てのいい服を
纏えば、まあそれなりに見られる。

ロブションは今日で3回目。
さすがにしっかりした味つけで、フレンチにうるさい女房もご満悦だ。
会話は婿さんが英語でしゃべり、夫婦同士はドイツ語。
ドイツ語はもうすっかり忘れてしまったが(恥ずかしながら独文学専攻です)、
英語の聴き取りだけはなんとかなった。しゃべるのはからっきしだが、
耳だけはいいので、何を言っているのかくらいは、
おぼろげながらわかる(と思いたい)。

話柄は多岐にわたり、トランプ大統領誕生の話にまでおよんだが、
政治と宗教の話はふさわしくないという西洋の慣習に倣って、
適当なところで切り上げた。ワインはシャンパンに始まり白ワインへ。
ボクは赤ワイン派だが、ボク以外はみな下戸なので、いくらタダ酒とはいえ、
勝手に注文するのははばかられた。で、酒も適当なところで切り上げた。

食事会の楽しみは料理もさることながら、やはり〝おしゃべり〟に尽きる。
それも下世話なやつではなく、できれば高尚な中身のものがいい。
でもその高尚なものをひとくさり弁じようにも、言葉がついてこない。
義兄は英語も独語もペ~ラペラだが、こっちは〝ぺ〟くらいなもので、
語学力はひどく貧しい。というわけで、「高尚」もひとまずお預けにしておいた。

ボクにとっては久々の〝上京〟で、膝の痛みさえなければ、
中学校以来の「東京見物」でもしたいところだったが、
食事会がハネたら、そのまま帰宅してしまった。

ボクの住む和光市は東京と埼玉の境にある町で、
渋谷や恵比寿なら20~30分で着いてしまう。
知らない人は埼玉の山奥にある町と勘違いしてしまうのか、
「まあまあ、遠路はるばるいらしていただき……」などと
恐縮してくれるが、なに、板橋区と練馬区に挟まれた町だから、
ほとんど東京と言っていいくらいなのである。

昔は東京がボクの庭だった。
東京中をくまなく歩きまわったから、知らないところはなかった。
今は逆で、ウォーターフロントはほとんど知らないし、渋谷や銀座、
丸の内もずいぶん変わってしまった。
いつの間にやら完璧な赤ゲットになってしまった。

飛行機にはとんとご無沙汰だから、羽田や成田の変身ぶりも知らない。
カミさんに言わせると、見違えるように変わったらしい。

ボクは典型的な〝おのぼりさん〟になり果ててしまったようだ。










2016年11月10日木曜日

白んぼのご先祖は黒んぼ

朝日の記事によると、国内で生まれる新生児の50人に1人はハーフなのだという。
その数、年間約2万人。たしかに身近なところでもハーフの子をよく見かけるように
なった。現に、わが団地にもハーフらしき子が何人かいるし、近所の男友だち
(豪州人)の子も日豪のハーフである。

うちのカミさんも色白が自慢なのか、「私はロシア人とのハーフなの」などと勝手に
うそぶいていて、こっちも負けずに、「おれだってハーフだかんな」と胸を反らすと、
「どうせボルネオとかマックロネシアのほうでしょ」などとイヤミを言う。

マックロネシアだって……ひどい物言いだ(笑)。
白人とのハーフならまだいいほうらしいが、黒人とのハーフだったりすると、
「色が黒い」とか「髪がちぢれてる」などと、学校でいじめられるという。

毎週のように顔を合わせる女の子がいる。小学校の5~6年生だろうか。
うちの棟の上層階でピアノの個人レッスンを受けている、と言っていたが、
いつもオドオドしたような顔つきで、ボクが「ハーイ、元気そうだね」
と気さくに声をかけると、ようやく顔がほころぶ。

このかわいい少女はたぶん黒人とのハーフなのだろう。
子供というのは残酷な動物だから、外見がちょっとでもちがうと、
「おまえ、ずいぶん色が黒いな」などと心無い言葉を浴びせてしまう。
本人にさほど悪気がなくても、差別された側は大きく傷つく。
おそらくこの女の子も、日頃からそうした差別を受けているのかもしれない。

実はボクの従兄弟たちはカラードである。
父方の叔母はアフリカ系のアメリカ人と結婚したので、その子供たち、
つまりボクの従兄弟たちはハーフなのである。叔父も叔母もすでに
亡くなっているので、アメリカで血を分けた親戚といえばこの従兄弟たち
しかいない。

ボクはフロリダの親戚へは一度もおじゃましたことはないが、
姉と弟が学生時代に1カ月ほどお世話になっている。
広い農場を経営していて、敷地内の池にはワニがいる、
と弟は報告してくれた。

人種差別がまだ激しい時代に、黒人と結婚した叔母の勇気には感動すら
おぼえるが、現代になっても、アメリカの黒人差別は少しも解消されていない。
それどころかますますエスカレートしそうなけはいである。

もともと人類の祖先は黒人だった。黒人の劣性遺伝、
つまりアルビーノ(色素欠乏症、通称白子)が白人種なわけで、
5000年という歳月の中で、徐々に環境に適応していったのである。

白人の黒人差別は、言ってみれば〝先祖差別〟なわけで、
アダムもイヴもほんとうは〝黒い人〟だった、という事実?を忘れてもらっては困る。
「白いのも黄色いのも、み~んな元をたどれば黒かったのよ」
という基本知識さえあれば、人種差別というものがいかに薄っぺらで、
根拠のないものかが分かる。

〝山の神〟の強さ以外に、世に「絶対的」なものなどない。白人至上主義とか
男性優位主義など笑止千万で、バカにつける薬はないのである。
教養を身につける、というのは、すべての事象や価値を相対化する術を
身につけるということで、レイシストはすべからく無教養な輩といっていい。

差別というものは薄汚いものだ。
戦中派の人たちは、時に黒人を〝黒んぼ〟などと呼ぶ。
むろん悪気はない。人権教育などなかった時代に生きた人たちである。
でもボクは、ほんの少し傷つく。
ボクの〝一族〟が侮辱されたように感じるからだ。

ピアノを習っている、髪のちぢれた少女よ!
Keep your chin up!
おじさんはいつだって君の味方だからね。


←「このchinは〝チ○コ〟のチンじゃないからね」
この坊やはそう言っている。

そういえば、かのマッカーサー総司令官は
日本の国民から「へそ将軍」って呼ばれていたっけ。
「朕(ちん)より上にいる」からだって。へへ……

2016年11月8日火曜日

無知でハレンチな豚ばかり

慶大生の不祥事が続いている。
集団暴行事件のほとぼりが冷めやらぬうちに、今度は交際相手の女性を
駅のホームから線路へ突き落とすという事件を起こしてしまった。
早慶ほどのブランド力のない三流大学の生徒だったら、これほど派手にニュース
に取り上げられることもなかっただろうに、有名校に入ったことが、
かえってアダになってしまった。

テキーラを無理やり飲ませ、ベロンベロンに酔わせた慶大の女子学生を
集団で暴行するなんざ、男の風上にも置けない卑劣な連中である。一方、
ホームから突き落とした理由というのが、「二次会へ行くか行かないかでもめた」
というのだから呆れる。こいつら、まるで子供である。いや、それ以下だ。

ボクは勉強が好きなあまり5年も在籍してしまったという(笑)、この知恵遅れの
ガキどもの先輩に当たる男だが、慶應ブランドなんかに特別な愛着を
抱いているわけでもないので、慶大生という肩書を外してこの一連の事件を
冷やかに観望している。

で、口から飛び出てくる言葉は例の「近頃の若い連中ときたら……」という
常套句である。このセリフは人類創生以来、ずっと大人たちの口から、
ある種のやるせなさと共に繰り出されてきた言葉で、そうとう手垢にまみれている。
だからこそ大人の責務として永遠に吐き続けようと、ボクなんかは改めて心に
誓ったりするのだが、気のせいか、若者の品性が年々、お下劣になっていくような
気がしてならない。

いい女がいれば、男なら誰しも「ああ、この女とやりたいな」と思うだろう。
でもテキーラを無理やり飲ませるとか、スクリュードライバーに目薬を数滴加えて
知らんぷりする(腰が立たなくなるらしい。聞いた話だが……)、なんて卑怯な
マネはふつうはやらない。でも、今どきの若い奴らは、その境界線をいとも簡単に
越えてしまう。理性を易々とかなぐり捨て、ケダモノと化してしまうのだ。
〝陸の王者〟も品(しな)下がったものだ。

近頃の若者の特徴を一言でいうと「○○から離れる」のだそうだ。
「車」から離れ、「飲酒」から離れ、「活字」から離れる。ボクたち世代が
こよなく愛したものから、どんどん離れていく。車から離れていくのは別に
かまわないが、酒や書物から離れていくというのは納得できない。
「活字から離れる学生」なんて、そもそも意味をなさないではないか。
学生(書生)とは、勉学を本分とする者の謂いだろう。
いったい大学に何をしに行くのか。まさかナンパじゃあるまい?

《太った豚よりも痩せたソクラテスであれ!》
1964年、東大の卒業式で、大河内一男総長が学生たちに贈った言葉だ。
もともとはジョン・スチュアート・ミルの言葉を引用したものだが、
せっかくの言葉も今や虚しく心に響く。今どきの学生ときたら、
ソクラテスどころか、無知蒙昧でスケベーな豚ばかりだ。

自分一人じゃ何一つできないから、集団の力を借りるという〝付和雷同〟
型人間のなんと多いことか。女一匹くらい、自分の力でものにしてみろよ。
そのうち女房も他人にあてがってもらうことになるぞ、この腰抜けども!

余談だが、痩せたソクラテスはまちがいだという。
当のソクラテスはでっぷりと太っていたらしい。



←人間だって色づくのなら、こんな風に色づいてほしい。
わが団地の「鐘の鳴る広場」にて。

2016年11月7日月曜日

お・も・て・な・し

今月半ば、イタリアからお客さんが来る。
30歳そこそこの若者で、名はアドリアーノ。
ボクの娘(長女)が高校生の時、1年間お世話になったホームステイ先の長男である。

実はこのアドリアーノ、長女の留学時には一度も会うことがなかった。
彼もまた入れ違いにアメリカへ留学していたからだ。
初めて会ったのは、女房と長女が留学時のお礼に訪れた数年後のことだ。

アドリアーノは2週間ほどの休暇を利用し、友人と一緒に初来日するという。
そのことをメールで長女に告げ、長女が実家にも顔を出してくれと声をかけたら
快諾してくれたらしい。で、今、彼に何をごちそうしてやろうか、と日夜考えている。

長女のイタリア語もだいぶ錆びついているとは思うが、
勘が戻ってくると流暢にしゃべり出す。日頃は会社で英語漬けになっていて、
イタリア語を使う機会などほとんどない。たまにイタリア人の女ともだちと
連れ立って出かけたりしているから、せいぜいその時ぐらいだろう。
あるいはフェイスブックでイタリア人のともだちとおしゃべりする時くらいか。

ボクはもちろんイタリア語はわからないし、英語だって相当怪しい。
女房はイタリア料理とフランス料理を得意とする料理記者だから、
イタリア語ですらすらとレシピを書くなんてことはお茶の子さいさいだが、
会話となると、さてどんなものか……

わが家には外国人がよく来る。たいがいは娘2人のともだちか、
ボクのともだちだ。ときどき留学生を預かったりしているから、外国人の扱いには
比較的慣れてはいるが、やはり言葉が通じないというのはもどかしい。

そうだ、やっぱり鍋にしよう。
みんなで鍋料理をつつき合う、というのも外国人にはいい経験だろうし、
和気あいあいとした雰囲気が醸し出せる。ビール以外に日本酒も出してやろう。
燗酒にしたら体も温まるしね。ボクは鍋奉行をやって「あれを食え、これを食え」
とうるさく指示しよう。そして喉に詰まるまで鍋を食わせよう。

ボクはわが家に人を呼んで、プチ・パーティをするのが大好きだ。
生来、サービス精神の旺盛な人間なのだろう。昔は非社交的な人間の典型で、
ともだちなんか1人もいなかったけど、今は佃煮にするほどウジャウジャいる。

来年は、前期だか末期だか知らないが、とうとう「高齢者」の仲間入りだ。
高齢者になったら、友人がいるかいないかで、晩年の生きがいが天と地ほども
違ってくる。気のおけぬ友さえいれば、余生も華やかで楽しいものになるだろう。








2016年11月3日木曜日

「ボケ、土人が!」はやめましょう

大阪府警所属の機動隊員が沖縄の市民デモ隊に対して「ボケ、土人が!」とか
「だまれ、シナ人!」などと発したら、「差別発言だ」として大騒動になった。

「土人」という言葉を聞いて、ボクはまっ先に(ウーン、懐かしい言葉だなァ)と
思った。ボクが子供の頃はごくふつうに使われていたからだ。絵本などでも
アフリカや南洋の島の住民たちは〝土人〟と表記されていた。そこに少しばかり
差別的ニュアンスがあるのは感じてはいたが、それ以上のものではなかった。

メディアは機動隊員の差別発言だけを取りあげて批判しているが、デモ隊の
機動隊員に対する暴言もひどいものだった。
「お前の子供を学校に通えなくしてやる!」
「お前ら八つ裂きにしてやる!」
「大阪のニンゲンは金に汚いからな!」

米国にはpolitically correctとかpolitical correctnessという言葉がある。
差別・偏見のない中立的な、という意味である。1980年代に始まったもので、
主に職業や性別、人種、文化、民族、ハンディキャップ、年齢、婚姻状況等に
よる差別や偏見はやめましょう、といった概念を指している。

たとえばchair man(議長)は男に限った話ではないのでchair personにする、
police manはpolice officerに、manhole(マンホール)はpersonholeに、といった
具合で、マチズモ(男性優位主義)の国であるにもかかわらず、その鎧を袖で
隠した、という感じだろうか。

ボクたちの世代はクリスマスになれば、Merry Christmasだが、今はちがう。
非キリスト教徒も多数いるので、Happy holiday! と言い合うのだ。ボクの次女は
高校生の時にアメリカに1年留学したが、その時はすでにHappy holidayだった
そうだ。

こうした表現はまだ許せるが、mentally challenged(精神障害のある人)とか
short(チビ)がvertically challenged(垂直的障害のある人)に、bald(ハゲ)が
comb free(櫛要らず)などと変身するにおよんでは、
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。それってモロ〝偽善〟じゃないの?」
と言いたくなる。

日本でも痴呆症→認知症、保母→保育士、トルコ風呂→ソープランド、
精神分裂病→統合失調症、ブラインド・タッチ→タッチ・タイピングとなり、
土人は先住民と表記されるようになった。昔はアイヌ民族を保護するという
名目で「北海道旧土人保護法」というのがあったが、今は「アイヌ文化振興法」
というオシャレな法律に衣替えしている。

昔は「味オンチ」のことを「のどめくら」と言ったが、いま「めくら」とか「つんぼ」
なんて言葉を使ったら大変なことになる。
「見ろや、ドめくらの座頭市がこっちへ来るぜ」
とは言えないから、
「見ろや、目の不自由な座頭市がこっちへ来るぜ」
なんだが気が抜けてしまう。
古典落語なんか差別用語のオンパレードだから、これも早晩滅びてしまうだろう。

ボクも自著の中で「コーヒー狂い」とか「コーヒー気狂い」
などという言葉を使おうとしたら、担当編集者から「〝狂〟という字は使わないように
願います」とお叱りを受けた。「なら、クレージーはどうですか?」と訊いたら、
「クレージーならいいです」との返答。
(気狂いはダメでcrazyはOKなのかよ?)
と、ボクは一瞬混乱した。

大阪府警の機動隊の皆さん! 
これからは「ボケ、土人が!」はやめて「ボケ、先住民が!」に訂正してください。
「だまれ、シナ人!」は、なにかと騒がしく、マナー知らずの中国人観光客などに
向かってお使いくださいませ。

2016年10月26日水曜日

ドゥテルテはただの暴言王ではない

米国のオバマ大統領は比大統領のドゥテルテから「売春婦の息子」と
罵倒された。オバマだけではない。駐比アメリカ大使は「このオカマ野郎」と
罵られ、訪比したローマ法王に対しても「もう来るな!」、
国連には「脱退してやる」などと息巻いた。

いまやドゥテルテは〝暴言王〟などという尊称まで奉られ、
その一挙手一投足が世界中のメディアから注視されている。

フィリピンは貧しい国だ。輸出品といえばバナナとマグロくらいしか
思いつかないだろうが、最大の輸出品は、実は女の子だ。ダンサーやホステス、
ハウスメイドに看護婦……彼女たちは異国の地で懸命に働き、
稼いだ金を母国に送金する。その送金でフィリピン経済は支えられているのである。

そんな貧しい、ちっぽけな国の大統領が、アメリカの大統領に向かって、
「アメリカ軍は2年以内に出ていけ」、「オバマは売春婦の息子だ」と
国際儀礼上、考えられないような下品な言葉で罵倒した。 
これはいったい、どうしたことなのか。ドゥテルテはなぜこれほどまでに
アメリカを嫌うのか。

ジャーナリストの高山正之は、ドゥテルテは骨の髄までアメリカ嫌いで、
オバマを罵倒したのも確信犯だから、と言っている。ドゥテルテは麻薬の売人を
裁判にもかけず、およそ2000人も処刑してしまった。オバマはすぐに「人道的に
問題だ」と非難したら、「お前たちにそんな批判をする資格があるのか」と、
反論したのである。

今から1世紀以上も前、アメリカとフィリピンは戦争をしていた。米比戦争
(1899~1913)がそれで、その折、レイテ島の隣にあるサマール島で米軍の
2個小隊がゲリラに襲われ、38人の兵が殺害されてしまった。これに怒った
米軍の駐留司令官は、レイテ島とサマール島の島民を皆殺しにしろ、と命令した。

この命令を出したのは、かのダグラス・マッカーサー将軍の父親である
アーサー・マッカーサー・ジュニアなのである。殺された島民の数は
およそ10万人。この虐殺命令には事前に「10歳以下は殺すな」という
但し書きがあったが、実行部隊は「10歳以下の子供はひとりもいません
でした」と報告し、了承されたという。女子供もかまわず皆殺しにして
しまったのである。ドゥテルテはそのレイテ島の生き残りの血筋に当たるという。
怨み骨髄、というのも理解できる。

米兵38人対フィリピン人100000人。それも非戦闘員の民間人だ。
フィリピン人の命はアメリカ人のそれの2600分の1の重みしかないのか。
こんな非条理が赦されていいものか。東京大空襲や原爆によって
フィリピン人と同じように、いや虫けらと同じように殺された日本人。
アメリカ人の目には日本人もフィリピン人も同類で、虫けらそのもの
だったのだろう。


フィリピン人はスペイン人と300年間戦い、次いでアメリカと戦った。そして
大虐殺という試練を乗り越えてきた。ドゥテルテの支持率は圧倒的に高い
というが、それは彼がフィリピン人の積年の怨みを代弁しているからだ。

高山は「アメリカが通ったあとはペンペン草も生えない」と言うが、
いまそれと同じことを支那がチベットやウイグル、内モンゴルでやっている。

渋谷の駅頭で、ハロウィーンなどと言って仮装行列しているノーテンキな
若者たちよ。君らにはアメリカのお妾さんの子孫なのだ、という自覚すらないのか?
よくもまあ、そんなうすらみっともない格好で街を歩けるよな。
ボクの目には暴言王のドゥテルテのほうが、よほど上等な人間に見えるよ。

2016年10月24日月曜日

三島はダテや酔狂で自裁したのではない。

もうすぐ読書週間(27日~)がはじまる。
こっちはそんなもの関係ない。毎日、読書を欠かさないからだ。
活字を読むことはめしを食ったり呼吸するのと同じで、
ボクの場合は毎日のルーティンワークになっている。

本格的に本を読み始めたのは中学からだから、もうかれこれ半世紀になる。
昨日は就寝時に『福田恆存評論集』第8巻の中から「滅びゆく日本」と「當用憲法論」
を読み返した。

なぜ日本国は滅びてしまうのか。生来、「悲観的楽観主義者」だという福田は、
《私たち日本人が敗戦によって私たち自身の歴史、伝統を自ら否定し、
意識的にそれとの断絶を計ったことにある》という。

福田はさらにこういう。
《一人の人間を他の人間と区別しうるもの、つまり、その人をその人たらしめているもの、
それはその人の過去以外の何物でもありません。記憶喪失者の例を見れば、
その事実はおそらく自明のことと思われます。自分が何者であったか、どういう生き方
をし、誰とつき合っていたか、そういう過去の記憶を喪失した人間は、同時に未来をも
失うのであります。過去を失えば、現在をも含めて今後どうして生きていったらいいか、
何をすべきか、その方途も根拠もまったく失ってしまうのです。人が未来に向かって
行動を起こす出発点はその人の過去であって、現在そのものでは決してない。
なぜなら、現在とは過去の集積そのものだからです》

三島由紀夫が自決したのは、戦後の日本人が、いとも簡単に過去を否定し、
成金旦那のアメリカに、半ばむりやり押しつけられた平和憲法と民主主義の中で、
まるでお妾さんのように、ぬくぬくと生を享受してきたからである。

過去の歴史や伝統的な生き方を否定した日本人が、
国家、あるいは民族としての連帯感を失ってしまったのは当然の話で、
そこに気づかぬ限り日本は滅びると、福田は言い、
三島も命を賭して訴えたのである。

昨日は近くにある陸上自衛隊の朝霞駐屯基地で安倍首相を招き「観閲式」があった。
早朝から報道ヘリなどが上空を飛び交い、そのうるさいこと。
またそれに輪をかけて、左翼のデモ隊が多数押しかけ、「安保法制ハンタ~イ!」
「若者を戦場に送るな!」などと、トンチンカンなシュプレヒコールを繰り返していた。
そのバカバカしいこと。

左翼というのは底なしに愚か者なのだな、とつくづく思った。
左翼のダメなところは、現実に目を向けず、理想ばかり追っているところだ。
ボクは筋金入りのリアリストで、「合理的であるか、正当性があるか」を
行動規範にしている人間なので、夢見がちの目をした理想主義者、
いやむしろ「空想主義者」と呼ぶべきだろうか。そんな連中とは、
土台肌が合いっこない。

ボクも昔は〝夢見るシャンソン人形〟だったので、その愚かさがよく分かるのだ。
なぜ分かったのか。ひたすら本(主に歴史関連の本)を読んで勉強したからである。
学ぶことで空想主義から決別することができる。理想を口にするのは大切だが、
あくまで現実の世界に足をつけたうえでの理想でなくてはならない。しかし、日本の
空想的社会主義者たちは昔も今も地に足をつけていない。
要は、不勉強な愚か者たちの集まりなのだ。

ボクは愚か者などとつき合っているヒマはないので、これからもずっと
彼らを身辺に近づけないようにするつもりだ。バカはジカ熱みたいに感染するからだ。
そして、そのおバカなヴィールスを媒介する藪っ蚊みたいな新聞が
朝(鮮)日(報)だ。日本に真の「Daybreak」が訪れるのはいつの日のことだろう。




2016年10月23日日曜日

ゴキブリ亭主のゴキブリ体操

朝、起きぬけにベッドの上で体操をする。
「ゴキブリ体操」というもので、断末魔のゴキちゃんが、ひっくり返って腹を上に向け、
脚を震わせるというあの〝体操〟である。

テレビか何かで、あの体操が体に良いというので、健康志向の強い女房がまず始めた。
床なりベッドなりに仰向けにひっくり返り、手足をバタバタさせる。
心臓より手足を高く上げ、小刻みに振るので、まるでゴキブリの断末魔の姿に似ている
ため、だれが名づけたのか「ゴキブリ体操」。よくぞ言ったものである。

これを一回30秒~1分ほどやるだけでいい。
毎日続けると血流がよくなり、そのおかげで代謝が上がり、肥満の解消にもつながる
という。血圧が下がり、中性脂肪値が下がり、パンパンに張った足のむくみがなくなり、
腰痛の改善にもつながるらしい。なんだかウソのような話だが、ボクはもうずいぶん
長い間、ベッドの上で続けている。ゴキブリ亭主の面目躍如といったところか。

それと、最近凝っているのが、ぶら下がり健康法。
もともと腰痛持ちなもので、油断をするとすぐおかしくなってしまう。
腹筋に背筋、体幹のトレーニングは欠かさないが、それでも原稿書きの仕事が入り、
日夜パソコンの前に張りつくような日々が続くと、やはり腰が痛くなってくる。

そんな時は、すぐさま近くの公園のジャングルジムへ行き、鉄の棒につかまるのである。
実はぶら下がるだけでも大変なのだが、ボクの場合は、ぶら下がったまま時計の振り子
のように身体を左右に振る。これがきつい。およそ20回も振ると手がしびれてくる。
でも背骨がググッと伸びた感じがして、実に気持ちがいいのだ。

子供たちや若い奥さんたちがいるところでこれをやると、
「なんか、あのおじさん危ない人かも……」と、不審者扱いされかねないので、
できるだけ早朝か深夜にやる。おじさんも、これで何かと気を遣っている。

そんなことを毎日励行しながら、この1カ月、家に缶詰めになってPCとにらめっこを
していた。書き上げた原稿は約800枚(1枚400字)。製本すると450ページくらいの
厚さになる。物書きなんて因果な商売、と思いつつも、けっこう楽しみながらやっている。
他のことは何もできないし、やりたくもない。自分にはこの商売が合っているのだろう。

いっぺん過労死で死んでみたいものだが、
そんな売れっ子ではないので、マイペースでぼちぼちやっている。
これからもずっとこんな調子でやっていけたら、と思う。

さあ、これから(15:30~)いつものキャッチボールだ。
キャッチの後は公園のベンチで小宴会。
この毎週の恒例行事も、もうかれこれ10年続いている。



2016年9月24日土曜日

たった1円で築地通になれる

臆面もなく言わせてもらうと、ボクには『築地のしきたり』(NHK出版)という名著がある。
シマナカロウではなく実名のコバヤシミツルで書いた本で、毎日築地に日参し、
築地場内・外をくまなく歩きまわり、多くの人の声を拾い、関連図書などを渉猟して
書き綴った力作である(←自分で言うな!)。

何度も言うが「迷著」「冥著」の類ではない、「名著」だ。
なぜそう言い切れるのかというと、自分でも名著だと思っているからだ。
わずか2つしかないが、読者レビューでもみごと★5つ。その中の一人は
なかなかの名著です》と書いてくれている。
見ず知らずの人がそう言っているのだから、
これはもう名著というしかあるまい。

築地場内市場を歩いていると、やたらカモメが目につく。
東京でいやでも目につく鳥といえば、あの傍若無人なカラスだが、
ここ築地ではカモメが電線やトラックの荷台に陣取って賑やかに啼きたてている。

築地は都心に近いとはいえ、360年ほど前までのこの地は海の中にあった。
明暦の大火(1657)後に、神田山を崩した土や人工の築地川を掘り下げた土などで、
築き固め、浅瀬の海を陸地に変えたのだ。海を埋め立てたところだから〝築地〟。
これが築地という地名の起こりである。わがもの顔に海鳥が飛んでいたとしても、
少しも不思議ではない。

豊洲の新市場で、盛り土がしてあるしてないで、やけにかまびすしいが、
このままいくと、新市場への移転は相当先になりそうだ。小池都知事が
「粛清します」などと、都の木っ端役人どもに恫喝をかけているくらいだから、
もうしばらくはメディアの注目を浴び続けるだろう。

この騒動に乗じて、ボクのこの〝名著〟も復刻版が出ればいいな、などと、
つい虫のいいことを考えてしまう己が悲しい。ネットの中古本市場では、
たった1円ポッキリ(←1円はないでしょ、ウウウ……)で売ってますから、
慧眼の士で、なおかつ心ある読者はぜひ買ってみてくださいな。


←著者自らが〝名著〟と太鼓判を押す
幻の力作。

2016年9月22日木曜日

「ら抜き言葉」は美しくない

「見れる」「出れる」という、いわゆる「ら抜き言葉」。
ボクはもちろん「見られる」「出られる」の「ら入れ言葉」派だが、
文化庁の2015年度の世論調査では前者の「ら抜き言葉」派が「ら入れ言葉」派を
上回ったことが分かった。旧套墨守を旨とするボクら旧世代が、ますます少数派に
なりつつあることを実感させられる。

ボクの敬愛する故・福田恆存は『日本への遺言』の中で、この「ら抜き言葉」に触れている。
《「見れる」「着れる」「食べれる」という語法を許してはいけない。
その理由の第一は、音がきたない

「見れる」より「見られる」のほうがきれいに響くのは、前者のmiとreの間に、
後者ではraが入るから、と説明している。
《その母音だけ拾っていくと、前者はi・eとなり、後者はi・a・eとなる。
aは最大の広母音である。そしてiは最小の短母音である。広母音は
広大、寛濶。短母音は急激、尖鋭の感を与える》と。

それだけではない。福田はなおも続ける。
《第二の理由は、後者「見られる」のほうが歴史が長いことだ。
言い換えるなら、それが過去の慣習だということ。明治以来、
殊に戦後は「過去」とか「慣習」という言葉は権威を失ったが、
少なくとも言葉に関するかぎり、これを基準としなければ、
他に何も拠り所がなくなってしまい、通じさえすればよろしい、
ということになる》

ボクのきらいな〝結果オーライ主義〟。
言葉の響きがきたなくたって通じればいいじゃん。
箸の使いかたがぐちゃぐちゃでも、口に運べればいいじゃないの……etc。
ボクはこの種の結果さえ良ければいいじゃない、といった安易な姿勢が
大きらいだ。そこには立ち居振るまいの美しさとか、言葉の響きの美しさ、
といった日本人が過去の遺産として備えていた〝美感〟がみじんも
感じられない。彼らは真正の日本人ではない。

たびたび書いていることで、読者各位にはすでに〝耳タコ〟だろうが、
ボクに唯一あるであろう行動規範は、
「美しいか、そうでないか」
これだけである。ボクのキャッチフレーズは、というより行動目標は、
これも耳タコだろうが、「挙止端正」の4文字。
挙止端正とは立ち居振るまいが美しく整っている、の意だ。


人気ラーメン店の行列に並ばないのも、「カッコわるいから」
「美しくないから」がその理由。また、「愛」だとか「正義」といった、
発音するたびに思わず赤面してしまうような言葉を吐いたり、振りかざしたりしないのも、
その行為が「カッコわるいから」「美しくないから」で、へたをするとその陰には、
〝色情〟があったり〝利己心〟が隠れていたりするから。
時に正義を振りまわすことは犯罪的でもある。


(ああ、せめて限られた余生は、「ら抜き言葉」の聞こえない世界で過ごしたい)
ボクの切なる願いである。







←この記事は、『日本の論点』(文芸春秋)の
2012年版に書いたボクの文章。「ら抜き言葉」や
「さ入れ言葉」の問題点を縷々綴った。

2016年9月1日木曜日

厚顔無恥のオーストラリア人

欧米の白人たちにとって、有色人種はいまだに〝人間もどき〟に過ぎない。
白人が1等人種なら、黒人やアジア系は2等~3等、日本人だけが特別に
準1等を許されている、といったかっこうだ。

ボクにはオーストラリア人の友人がいるし、オーストラリアからの留学生も
ホームステイさせたことがある。また女房や娘は彼の国を仕事や観光で
訪れてもいる。いまや多文化主義を国策として掲げているオーストラリアは、
白人と有色人種が共存する理想的な国のように思える。

しかしこの国には恥ずべき歴史がある。
かつてこの国には600万人の先住民・アボリジニがいた。
欧州からの移住者たちは、アメリカ大陸で移住者たちが先住民(アメリカ・インディアン)
を虐殺したのと同じように、アボリジニをためらいなく殺していった。

50万人のアボリジニが住んでいたタスマニア島では、そのほとんどが崖から
突き落とされた。あるいは銃で撃たれた。最後に残った数千人は、岩だらけの
孤島に移され、全員が餓死した。

アボリジニは〝スポーツハンティング〟の延長にある〝獲物〟に過ぎず、
人間とは認められていなかった。〝アボリジニ狩り〟は20世紀の半ばまで
続き、ニューサウスウェールズ州の図書館には、
週末、アボリジニ狩りに出かけた。収穫は17匹》(1927年)
と記した白人の日誌があるという。

白人の持ち込んだ病気に免疫性がなかった、というのもアボリジニ人口衰退の
遠因になっている。結局、600万人もいたアボリジニは今、かろうじて30万人が
生き残っているに過ぎない。それでも白人たちの白人至上主義的な優越意識は
抜けず、いまだに黒人やイスラム教徒、メラネシア人やアボリジニに対する差別は
根強く残っている。

彼らにはナチスのホロコーストに匹敵する大虐殺をしているにもかかわらず、
その反省が微塵もないのだ。これは驚くべきことである。

それでいてクジラを殺して食用にする日本人を〝野蛮人〟と口汚く非難する。
人間であるアボリジニを600万人近く殺しておいて、そのことを恬として恥じず、
あろうことか人間でもないクジラを殺している日本人を野蛮だと決めつける。

日本人と支那人がくしゃみをすると風邪をひくというオーストラリア。
いつまでもアナクロな白人至上主義なんぞを掲げていると、
いつしか立場が逆転し、スポーツハンティングの的にされちまうぞ!








←アボリジニ狩りの〝収穫〟

2016年8月19日金曜日

泣きじゃくるのはみっともない

リオ・オリンピックを観戦していて、気づいたことあれこれ。

●レスリングの吉田沙保里が4連覇を阻まれ、銀メダルに号泣。表彰台でも顔をくしゃくしゃにして泣き続けていた。あれはみっともない。他の選手にも失礼だ。霊長類最強の女といわれても、潔く負けを認め相手を称えるという度量に欠けている。うじうじと未練がましく泣きじゃくるなどは大和撫子の恥っさらし。恐ろしく美感を欠いたアスリートなど見たくない。あっちへいけ!

●「~なんですよね、ハーイ」
元バドミントン選手でスポーツ解説者の潮田玲子は、コメントを求められても月並みな解説に終始、顔が人並み以上でも頭の中身がパッパラパーではどもならん、という悲しい女に成り下がっている。コメントのあとに必ず「ハーイ」を入れるのも幼稚でバカっぽい。おべんちゃら解説でほとんど中身のない増田明美の後継者をめざす、というのならわからないでもないが……。

●卓球の水谷隼は、個人で銅、団体で銀をとった日本卓球界のホープだが、いかんせんコメントがつまらない。どうやったらあんなつまらないコメントを吐けるのか、というくらい凡庸で気が利かない。「マスコミは卓球女子ばっかり追っかけてる」と不満をもらしているが、水谷や丹羽孝希では暗すぎて絵にならないのである。悔しかったら気の利いたコメントのひとつも吐いてみろ!

●「天国のお父さんに向かってひとこと」
「お母さんの遺影を抱いていましたが、天国のお母さんに何て報告したんですか?」
お涙頂戴の浪花節が好きな日本のメディアは、メダルを獲得した選手の涙を誘いたいのか、必ず「天国の……」を枕にひく。伊調もそう、吉田もそう。これじゃあ天国の父母ものんきに寝てられない。表彰台で、遺影を胸に「イエーイ!」と明るくVサインをして見せたら褒めてやるんだけどな。

●国旗の掲揚と国歌斉唱となったら、大きな声で「君が代」を歌ってほしい。
口の中でモゴモゴやってるのが一番みっともない。君が代は世界一美しい国歌。西洋音階でないところがとりわけ嬉しい。あの荘厳な曲調に心を奮い立たされないとしたら、あんたは真の日本人じゃない。左翼進歩主義者たちは、君が代にそっぽを向くというが、日本がきらいな似非日本人など、憧れの支那や北朝鮮へとっとと行ってしまえ!

●柔道やレスリングの審判の質にバラつきがある。
特にひどかったのは柔道の審判。少しでも攻撃的姿勢が見えないとすぐ「消極的指導」や「偽装攻撃の指導(かけ逃げ)」を与える。前へ出ていかない、技をかけないからといって、はたして消極的といえるのか。選手それぞれには流儀があって、カウンター狙いに徹している選手だっているのだ。この指導1枚で敗退させられた有力選手もいるのだから、恣意的ともいえる「指導」の乱発は、ほんとうに選手泣かせだ。国際柔道連盟の猛省を促したい。

●体操の内村航平はなぜ〝わき毛〟を剃らないのか?
内村はわき毛が好きだ。他の仲間や外国人選手がきれいにわき毛を剃っているのに、内村だけは頑固にわき毛を守っている。今回のリオ五輪はそうでもなかったが、前回の五輪はやたらと剛毛が目立った。ボクは水泳選手で、零コンマのタイムを争うから、わき毛などきれいさっぱり剃ってしまうが、内村はあの剛毛に固執している。あのお毛々を〝セクシー〟と見る若い娘もいると聞くが、視線がついついわき毛にいってしまい、肝心の演技を観そこなってしまう、というのでは何ともマヌケな話だろう。

●支那人と韓国人はどうしてこうもうるさいのか。
「大韓民国(テーハミング)!」「加油(カーヨ)!」
対戦する相手が支那人か韓国人だと、観客席がやたら騒がしくなる。支那人も韓国人も自分勝手で国際マナーなどゼロに等しいから、そのやかましいこと。卓球でこの両国と対戦する場合などは、選手もサーブに集中できなくてイライラさせられる。テニスもそう。観客のマナーが悪いと、選手が観客席をにらんだりする。ウインブルドン(全英)を見習って、はやく〝ふつう〟のマナーを身につけてね。






←あ~あ、未練がましい。
日本人なら潔く負けを認めて、シャキッとしろい!



2016年8月10日水曜日

根底に美感をひそめぬ柔道なんて……

たった1つの「指導」で無残にも3位決定戦へ。
リオ五輪の柔道では、理不尽な審判の判定に日本人選手が泣かされている。

女房などは、
「審判の判定が人によってバラバラ。彼らの恣意的な判定に
一喜一憂させられるなんてバカにしてるわよ」
とおかんむり。金メダルを取ってもおかしくない実力派の日本人選手が、
おバカな彼らの判定で、ことごとく銅メダルにされてしまった、
と怒り心頭に発している。ボクもまったく同感である。

何の試合でも誤審はつきものだが、
経験不足の審判員にトンチンカンな判定を喰らった日には、それこそ選手が浮かばれない。
それならいっそ、試合場の四方八方にカメラを据え、今はやりの人工知能(AI)に判定を
任せたほうがよっぽどマシ、ということになりかねない。

組み手争いでほとんどの時間が取られ、ついには互いの袖口を絞り合って、
腰を引き、尻を突き出しながら前のめりに引っ張り合うだけのJUDOなんて、
ホンモノの「柔道」なんてもんじゃない。「指導」4つで失格というから、
みな相手選手に指導を取らせるような戦術で臨んでいる。だから、柔道そのものが、
舛添都知事の性格みたいに〝せこい〟〝みみっちい〟〝狡賢い〟ものに
成り下がってしまっている。

日本柔道の神髄は〝一本〟をめざす堂々たる〝美しい〟柔道である。
どんな手を使ってでも勝てばいい――つまり〝結果オーライ〟をよしとする
海外勢のポイントJUDOは本来の日本の柔道ではない。根底に「美感」をひそめない
柔道なんて、柔道とは名ばかりの、単なる格闘技に過ぎないのだ。

話変わって男子「400㍍自由形」でみごと1位を獲得したマック・ホートン(豪州)が、
2位の孫楊(中国)を《薬物使用のペテン師》と呼んだという。この発言に対して、
支那のネット上は〝反オーストラリア〟一色に染まっていると聞くが、支那人というのは
どこまでルール無視の自己中心的な民族なのかと、あきれてしまう。

通算して金メダル20個を獲得したマイケル・フェルプス(米国)は、
ドーピング検査で陽性だった選手と同じプールで戦いたくない
としたホートンの意見を支持、
ドーピング検査で1度どころか2度も陽性を示した選手が、まだこの五輪で泳ぐ機会を
得ていることはほんとうに悲しいことだ
と、暗にIOCを批判している。

孫楊は男子「200㍍自由形」でも金メダルを獲得、隣のコースを泳いでいた
7位の萩野公介は無邪気にもこの孫楊と健闘をたたえ合っていたが、
ボクとしては握手を求められても〝プイ〟と横を向き、知らぬ半兵衛を
決め込んでほしかった。萩野にホートンやフェルプスのような気概があったなら、
としみじみ思う。



 
←ホートンと孫楊の場外乱闘はいかに











※お知らせ
嶋中労の忘憂日誌』は突然中断してしまいました。申し訳ありません。
新しいパソコンに買い替えた時、付属の「引っ越しナビ」で、引き継ぐつもり
だったのですが、うまくいかず、ご主人様である私めが自分のブログにログイン
できなくなってしまいました。自分の家に内側から鍵をかけられ、締め出しを
食ったかっこうです。まことにマヌケな話で機械オンチもここまで来ると世界遺産級
かな、と自負したくなるほどです。
家に入れないのなら、別に家を建てようということで、『嶋中労の浅酌低唱』という
あばら家を建てました。こちらもご贔屓に願います。

2016年8月4日木曜日

本音のいえない日本人

「……てゆうか」
「……みたいな」
「……かな、と思うんです」
「冬とか寒いじゃないですか……」
近ごろの若いもんはこんなしゃべり方をする。

「とか」は二つ以上の事物を列挙する際に使われる言葉で、
「冬とか寒いじゃないですか」とか「メールとかで連絡します」
といった使い方は間違っている。
ボクなんか、意地が悪いから、
「冬の他に何が寒いんですか?」とか、
「メールのほかに何で連絡するの?」
と突っ込みを入れたくなってしまう。


いずれにしろ、こんな言葉遣いが、テレビ番組の中でも街中でも氾濫している。
なぜこんなしゃべり方が流行ってしまったのだろう。

思うに、自分に自信のない人間が増えているのだと思われる。
あるいは周りの人間に気を遣いすぎている。
〝空気〟を読みすぎるあまり、
「……だ」
「……と思う」
と断定口調で言い切れなくなってしまう。

言い切ってしまうと、時に波風が立つことがある。
当たり前のことだが意見のまったく異なる人間がいたりする。
そんな人に反撃を食らうのも癪だし、穏便にコトを図ろうとするのもまた面倒くさい。
で、相手の顔色をうかがいつつ、半分腰を引きながらものをしゃべることになる。
そしていつしか、語尾をボカすことで反撃をかわす術を身につけるに至る。
「和をもって貴しとす」の伝統精神が奇妙に変形して流通した感じだ。

ボクはこうしたボカし言葉がきらいだ。
「とか」「とか」言ってるコンニャクみたいな人間は張り倒したくなる。
自信過剰人間も鼻についていやだが、軋轢をきらう軟弱人間はもっといやだ。


ボクは友達も多いが、たぶん敵も多いだろう。
いつも断定調でものをいうし、相手にもそれを求める。
定見のないやつはきらいだし、付和雷同の輩を心底憎んでいる。

日本人が和を尊び、人との摩擦を避けたがるというのはわかる。
しかしボカしてばかりで、責任回避に走ることが本人のためになるのだろうか、
とつい考えてしまう。ボクの目には自ら困難に立ち向かわず、
いつも「八方美人のいい子ちゃん」でいたがる、無責任な人間に映ってしまうのだ。

軋轢(あつれき)、おおいにけっこうではないか。
口角泡を飛ばして言い争う、というのもたまにはあっていい。
小さい頃から、幼稚園や保育園で、友達でもないのに「お友達とは仲良くしましょうね」
などと教えられ、擬似的な〝似非フレンドリー〟な関係に慣れきってしまうと、
人との諍いを努めて避けるのが君子の生き方みたいに勘違いしてしまう。

ボクはそうしたニセの友情など信じないし、
ホンネを語れない友などほしくもない。

人はみな違う。
生きてきた環境が異なれば、ものの考え方だってみな違って当たり前だ。
その違いを互いにぶつけ合い、
「なるほど、こんな考え方もあるのか」
と教えられて初めて、互いを高め合うことができる。

馴れ合い、ウソの親和性でその場を取りつくろって、
いったい何が得られるというのか。

ののしり合い、どつき合って友情を育んできた前世紀の遺物のような
ボクには、こうした「親和」の築き方はさっぱり分からないし、
いかにも女々しいものに映る。

KY(空気が読めない)などという言葉がいまだに幅を利かせている。
「あのひとKYなのよね」などという不名誉なレッテルを貼られないように、
常に周囲の顔色をうかがい、ホンネを隠しタテマエだけの発言でお茶を濁してしまう。
要は他人を傷つけたくないし、自分も傷つきたくない。
そのことが習い性になってしまうと、いつしか、
「自分のホンネって、いったい何だろう?」
自分で自分が分からなくなってしまう。


傷つくことがそんなに怖いものなのかねえ。
それほど打たれ弱いのかねえ。


「男だろ、おい、もそっとシャキッとせい、シャキッと!」







2016年8月3日水曜日

厚顔無恥も捨てがたし

夏祭りのステージで歌ったのは全部で9曲(うち2曲は〝音姫さま〟オンリー)。
ほんのお耳汚しに、と謙遜しつつも、45分間も歌い続ける厚顔無恥。
ああ、あれほど気弱で繊細だった紅顔の美少年も、
半世紀もたつと〝厚顔〟で人擦れした千枚張りの面の皮になり果ててしまうのか。

人間って、だから面白い。
あれほど無口で人見知りをしていた少年が、
いまはどうだ。だれ彼となく声をかけ、つまらぬ〝おやじギャグ〟を飛ばしている。
記者歴が長いということもあるが、どんな人間を相手にしても動じなくなった。


ボクはよくこんな話をする。
人生の前半に無口だったものは、後半に入るといきなりしゃべり始めると。
一生のうちにしゃべる言葉の量は決まっていて、
前半おしゃべりだったものは、後半口をつぐんで無口になる。
神様というのは実に平等で、最後には帳尻が合うように作ってくれている、と。

だからボクは、かつての自分みたいに、
社会の中で居場所の見つからない若者たちにこう言ってやりたい。
「君が今抱えている深刻な悩みなどは、あと10年もすればあっさり解決してしまう。
そして50の坂を越えるころには、かつて悩んでいたことさえ思い出せなくなってしまうだろう。
だから心配しないでいい。いっぱい悩んで、いっぱい苦しむことだ。
それがきっと君の心の糧になるのだから……」

「ポケモンGO」をやれば、いわゆる「ひきこもり」がなくなるのではないか、
という議論がある。スマホもケータイも持たず、あのようなゲームアプリを
蛇蝎のごとくきらっているボクには、その効果測定をする資格も自信もないが、
ポケモン探しにうつつを抜かし、世間様に迷惑をかけるくらいなら、
部屋にひきこもってくれていたほうが、よほど世のため人のためになるような気がする。

問題はひきこもって何をしているかだ。
ボクはひきこもりではなかったが、
遊んでくれる友もいなかったので、もっぱら本を読んでいた。
『人間失格』とか『デミアン』とか『若きウェルテルの悩み』といった類の暗~い本である。

幸か不幸か、ボクは小学生のころから文学書に親しんできた。
なぜ文学書なのか。カッコいい言い方をすれば「心の渇きをいやすため」だ。
寒風吹きすさぶ心の部屋に、かそけき春の息吹を吹きこむためだ。
でないと、生きていく力が湧き上がってこなかった。
ボクは必死だった。

その「悩みのデパート」でもあった少年が、いまは図々しくも人前で歌を披露し悦に入っている。
なんという変身ぶりか。あの繊細でナイーヴな心はいったいどこへ行ってしまったのか。

いや、どこにも行っていませんよ。
いまでもボクの心の奥底にひっそりと息づいています。
そのガラスの心を悟られないように、幾重にもぶ厚いバリアを配しているだけの話で、
実は何にも変わってなんかいないんです。


スマホを穴のあくほど眺めたって、教養は身につきません。
教養を身につけるに一番手っ取り早い方法は、本を読むことです。それも文学書を。
それ以外にはありません。これだけは確信をもって言えます。
本を読まなければ、生涯、教養とは無縁の人生を送るハメになります。

高学歴でも教養のない人はいます。教育と教養はイコールではありません。
教養のない人には確たる歴史観、世界観、人間観がありません。
そのため付和雷同、あっち行ったりこっち行ったり……
背骨の軸がブレっぱなしです。


教養のない人間はさびしい。
教養のない人間は哀しい。
教養のない人間はつまらない。
教養のない人間にはやさしさが欠けています。






←ボクは太宰治のおかげで
生きながらえております。





2016年8月2日火曜日

主夫でもあり歌手でもあり?

スーパーで買い物をしていたら、おじさんがつかつかと寄ってきて、
「歌手ですか?」
といきなり訊かれた。
(んなわけねーだろ)
と思いつつもニッコリ会釈。


昨日は、やはりスーパーの中で、
知らないおばさん二人に呼び止められ、
「すばらしい歌声で、私、ずっと聞き惚れてました」
サインをしてくれ、と言わんばかりに、
憧れのまなざしで当方を見つめてくる。
その迫りようが、あまりに艶めかしいので、
思わず失禁しそうになってしまった。


おばさんやおばあさんに絶大なる人気がある、
とは日頃公言してはばからない身だが、
カラダを押しつけるように迫って来るおばちゃんたちは、少し怖い。


これが若いきれいなネエちゃんだったら、
こっちから進んでハグしてやるのだが、
おばさんやおばあちゃん相手だと、
善根を積むみたいなふしぎな感覚に襲われ、実にあんべえが悪い。


それでもこれだけの人たちを感動させたのだから、
「蛮爺's」もまんざら捨てたもんじゃない。
今年は「音姫」ことS嬢?とギター巧者のO氏も助っ人として加わってくれた。
厚みの増した歌と演奏は、少なくとも去年のそれよりはマシだった。


今夏のステージでは全部で9曲歌った。
「ひっこめ!」とか「もうやめろ!」とか、心無いブーイングのひとつも
飛んできそうな雰囲気ではあったが、なんとか乗り切れたのはめでたい。


それにしても焼きそばやヤキトリを食うのに忙しい客がいたり、
ジャリどもが目の前を駆けずり回ったりと、舞台環境は〝サイコー?〟だった。


あらかじめとっておいた録音を後で聴いたら、観客のざわめきと子供たちの喚声で、
何が何だかわからないようなステージだった。


そうはいっても、生きていれば来年も歌いたい。
なぜ続けるのか、自分でもよく分からない。
意地になっているところも確かにある。


歌や演奏がからっぺたでもいい。
舞台に立つとなれば、娘たちや婿もわざわざ応援しに来てくれる。
その夜は家族水入らずで賑やかな宴会だ。
そのうち、
「おじいちゃん、がんばれ!」
と孫の掛け声がかかるかもしれぬ。


生きているだけでいい。
生きているだけで、もうじゅうぶん幸せなのだから。

動画はステージで歌った『365日の紙飛行機』。
実はAKB48の隠れファンなのだ。








下戸ならぬこそ……

毎日、酒ばかり飲んでいる。
「Toriaezuビール」という名のビールでまず喉をうるおす。
あとは「toriaezu日本酒」になったり「Toriaezuワイン」になったりして、
ブレーキが利かなくなる。

父はまったく飲めなかった。
兄弟姉妹がそろって下戸だから、飲めない血筋なのだろう。
母は逆で、めっぽう飲めるクチだった。兄弟も呑み助ばかりで、
母方の祖父は生前、
「死んだら酒樽に入れてくれ」
と言っていたらしい。

そんなわけで、下戸と上戸の血を半分ずつ受け継いでいる。
なぜ酒を飲むのかと問われれば、こう答えたい。
「旨いからに決まってるだろ……」


とにかく酒はうまい。
安酒だってうまい。
ビールもどきの発泡酒だってけっこういける。
ボクはワインが好きで、赤でも白でもロゼでも、何でも来いだ。
品種でいうと、赤ならカベルネよりメルロー、
白ならシャルドネよりリースリングやゲヴュルトトラミネールがいい。

ボクは過去に、仕事でヨーロッパの星付きレストランを30数店舗取材している。
その折、ウン万もする高級ワインを毎晩のように空けた。
そこで分かった。ワインの良否は、「良質な渋み」に在る、と。

しかし今となれば、慢性的な手もと不如意で、高級ワインなんぞ飲めやしない。
仕方がないから、スーパーで1000円前後のワイン、
それもチリ産や豪州産、カリフォルニア産を買っている。〝コスパ〟がいいのだ。
1000円ワインに良質な渋みなど期待しようもないが、
安ワインには安ワインなりのおいしさがある。

酒飲みは下戸に向かってよくこんなことを言う。
「酒を飲まなきゃ人生の半分を知らない」
「この旨い料理を酒なしで食うなどとは冒涜に等しい」と。
下戸は面白くないだろう。

ボクはそんな手垢のついた言辞を弄しようとは思わないし、
酒飲みの舌がとびきり上等なものだとも思っていない。
要は喉元三寸にある粘膜の快楽に淫するだけのことだからだ。

一方で、かの兼好法師は言っている。
男は容貌などより学問があって詩や音楽に通じているのが良いと。
そして、
《下戸ならぬこそ、男はよけれ》
とダメを押す。

下戸の胸中や察するに余りある。






2016年8月1日月曜日

おじさんの生きる道

定年退職後のおじさんは哀しい。
会社人間だったおじさんはとりわけ哀しい。

仕事がなくなると抜け殻みたいになり、家の中でも心安らぐ居場所がない。
時々、奥方の買い物につき合ったりするが、後ろからトボトボついていくだけで、
奥方は心の中で、(この役立たず!)と思っている。

おじさんは給料を運んでくるだけの役回りで、
その役から降りたら、とたんに存在価値がなくなってしまった。

それでも社交的な性格なら救われる。
近所の同好の士と交わって、趣味に生きたりして別の生き方を模索できるからだ。
非社交的で無趣味の人間はそれこそ孤立するしかない。

で、しかたがないから仏頂面を終日さらしている。
奥方は、「そのしんねりむっつりした顔、どうにかなんないの?」
などと不平を並べるが、おじさんには穏やかな温顔の用意がない。

おじさんは企業戦士などと称えられおだてられてきたが、
ビジネスの戦場からひとたび離れると、からっきし弱い戦士だった。
つぶしが利かないから、日常生活のどのシーンにも溶け込めず、
いたるところで齟齬をきたす。
おじさんはよくよく不器用にできている。

こんな哀しいおじさんたちばかり身近に見ていると、
つい手を差し伸べたくなる。

主夫歴30年のボクは、自信を持ってこう言いたい。
「おじさんなんか捨てちゃいなさい!」

名利だとか体裁ばかりにこだわって、自分の心を開けない社会不適応者のおじさんたち。
ボクは、そんなおじさんたちを哀れに思い、経験に則してこう言い切るのだ。
「おじさんなんか辞めて、おばさんになっちゃいなさい!」

ボクはいま、細胞の88%がおばさんで、「おばさん化」は時々刻々と進んでいる。
おばさんになると、気が楽だ。英国のEU離脱だとか、米国大統領選だとか、
イスラム国あるいは参院選について、頭を悩ませなくても済む。

近所のおばさんと会ったら、
「おたくの息子さん(お孫さん?)、東大に受かったんですってね」とか、
「最近、野菜が高くて困ってんの。農協の直売所は少しは安いかしら……」
などと、ごくごく卑近な話をしていればいい。
話はすべて〝形而下〟的なものばかり。〝形而上〟的な話をしたりしたら、
いっぺんで不審者扱いされてしまう。

世間を茶にしてのんきに暮らす。
そこの難しい顔したおじさん!
去勢しなくても〝おばさん〟にはなれますから、いっぺんやってみます?