2020年10月15日木曜日

ボクが痩せた理由?

  最近、みんなから「少し痩せたんじゃない?」と言われる。言ってくれるのはおばちゃんたちで、さすがに観察眼が鋭い。今日もお掃除のおばちゃんに「痩せたでしょ?」と訊かれた。実際、痩せたのは確かで、およそ3㎏の減で78㎏。一時は90㎏近くあり、ポッコリお腹は慢性的な臨月状態だった。ところがどういうわけか、夏が終わった途端、お腹もへこみ、顔もスッキリして、生来の男前に戻ったのである。

 

 体重は減ったが、身長も縮んでしまった。177㎝あったのだが、今は174㎝台。3㎝も縮んでしまった。カミさん曰く「おじいさんになって姿勢が悪くなったせいよ」。たしかに姿見で映してみると、ひざがいくぶん曲がっている。紛れもなくおじいさんの膝だ。腹がへこんだのは僥倖だが、丈が短くなってしまったのは悲しい。

 

 毎晩酒を喰らい、飯を腹いっぱい食べ、ひたすら眠りまくるじいさんがなぜ痩せるのか。そこんところが、今ひとつわからない。早朝のラジオ体操のおかげ? それも少しは影響しているかもしれないが、ラジオ体操くらいではたぶん痩せないと思う。それとも筋トレ? 公園ではおじさんやおばさんが、ひたすら歩き、ひたすら走っているが、膝の悪いボクはそれができず、鉄棒にぶら下がったり、腹筋背筋にいそしむ。あるいは、公園内にあるあずま屋の柱を相手に、相撲取りがやるような〝てっぽう〟で汗を流す。


 しかし、「ハー、ハー」と息が荒くなるほど頑張った記憶がない。どう考えても痩せた原因が分からないのである。件の掃除のおばちゃんに「もしかすると心の悩みで痩せたのかも……」と言ったら、「ハハハハ」と大笑いされた。「悩みを抱えてるってタマじゃないよ」だって。ひどい。おれだって人並みに悩むことはあるのに。


 来年になると、たぶんもっと痩せると思う。何度も書いているが、ボクの住むマンモス団地の理事長になるからだ(いまは副理事長)。1619世帯で、およそ5000人の住民。市内では〝ちょっとお高い人たちが住むハイカラ団地〟として有名で、自衛隊の官舎や他の団地住人からは「敷居が高いわね」と見られている。なにしろ、現在、ボクが支えている理事長は全日本公認会計士協会の元会長で、東北大学の教授でもあった。どこを見てもインテリだらけの団地なのである。


 おまけに団塊の世代(1947~1949年生まれ)が中心だから、どこを見てもいわゆる〝左翼老人〟だらけ。ボクは筋金入りの左翼ぎらいだが、若い頃から左翼だったんだよ、と自慢げに語るおっさんが少なくないのだからイヤになる。左翼っぽくふるまうとバカでも賢そうに見える、というのは昔も今も変わらないのだ。それに近頃は左翼といわず「リベラル」という。アメリカでリベラルというと「少しオツムの足らない連中のこと」というニュアンスを持つので、「プログレッシブ」という言葉に代えたらしいが、バカに変わりはない。


 こんな左翼老人がウジャウジャ蠢く団地で理事長をつとめるというのは、よほどのバカでなきゃできない。口ばかり達者な連中を相手にするのだから、こっちも負けずに口が達者でなければつとまらないのだ。もっともボクの場合は口より手が先に動いてしまうので、(また朝霞警察署のお世話にならなければいいのだけれど……)と心配するムキもある。


 それに加えて本の執筆という仕事が加われば、ストレスが溜まり、もうひと回り痩せてしまうのではないか。ボクは今の78㎏という体重が一番動きやすいので、現状維持につとめたいのだが、はたしてどうなるか。明日は恒例の〝プールの日〟。お腹もへこんで水の抵抗も少なくなっただろうから、池江選手みたいな華麗な泳ぎを披露できるだろう。池江は白血病と闘い、瀬戸は世間の非難と闘っている。浮気は男の甲斐性、と昔は言われた。あんまり追い詰めたら瀬戸が可哀想だ。浮気心なんて誰にでもあるもの。世間の皆さんよ、正義漢ぶるのもほどほどにね。



2020年10月6日火曜日

マスクの苦手な人だっている

 少し前に、マスク着用を拒否して、飛行機から降ろされた乗客がいたけど、彼は拒否した理由をハッキリ言わなかった。マスクをすると気分が悪くなる、といったニュアンスのことは言っていたような気がする。遅延もあるから、他の乗客にとっては迷惑な話で、機内から出されるとき、思わず拍手が巻き起こったらしい。

 今はどこへ行くにもマスクが必要で、電車内などでマスクをしていなかったら、非難するような鋭い視線にさらされる。スーパーでも、毎週通っている市民プールでもそう。プールでは入り口で手の消毒と検温、追跡調査用の連絡先まで書かされる。

 最初の頃はマスク不足が大きな社会問題になったものだが、今ではマスクが過剰気味。地味で使い勝手の悪いアベノマスクは抽斗の奥深くにしまい込まれ、街は白、ピンク、黒、柄物と色とりどりのマスクであふれている。

 ボクは機内から出された乗客と同じで、マスクが苦手である。できるなら着用を拒否したい。10数年前の自分なら、そんな行為に及ばないのだが、今なら「No!」と言うかもしれない。なぜって、病気だからである。英語で言うとclaustrophobia。日本語で言うと「閉所恐怖症」である。

 ボクはある日突然この病気に罹ってしまった。結果、飛行機や地下鉄に乗れなくなり、今も飛行機には乗れない。長いトンネルや窓のない部屋もダメで、以前、地下のライブハウスで友人の演奏を聴いていたら突然呼吸が苦しくなり、慌てて部屋を飛び出したことがある。

「気道を塞がれる」というイメージがまずあって、過呼吸の発作が起きると、大げさではなく〝死〟を思ってしまう。そのため首を圧迫するネクタイなどはできることなら締めたくない。かなり重症だった頃、バスに乗っていて自分の左指の結婚指輪をさりげなく見ていたら、急に呼吸が苦しくなり、バスを飛び降り、近くのデパートに駆け込んだ覚えがある。宝石売り場へ急ぎ、「すみませ~ん、この指輪を大至急切断してくださ~い!」ボクは叫ぶように訴えた。

 店員は最初、こちらの慌てようにビックリしていて、事情が呑み込めないようだったが、こっちの必死の形相に飲まれたのか、大急ぎで切断してくれた。指から抜くのではなく切断。大事な結婚指輪だが、ボクは容赦なく切断した。指輪が外れた時、ボクは深く息を吸い込み、「ああ、助かった……」と、ようやく安堵した。店員は目を白黒させていた。

 閉所恐怖症なんです、と言うと、人はクスリと笑い、信じられないといった面持ちで、「そんなごっつい身体をしている嶋中さんが? 信じられな~い」とまじまじとボクを見つめる。身体つきは関係ない。性格も関係なし。相撲取りだって罹るし、殺されたって死にそうにないトランプ大統領だって罹るときはかかる。とにかく窓のない狭い部屋に閉じ込められると、気道が塞がれるという恐怖感に襲われ、パニック障害を起こす。ボクの場合はいわゆる過呼吸症候群というやつで、息が吸い込めなくなって気絶してしまう。

 あとで医者が言うには、「ムリに吸い込もうとするからいけない。吸い込むんじゃなく吐き出すんだ。吐き出せば自然と吸い込めるようになるから……」まさにそのとおり。ムリしてでも息をぜんぶ吐き出す。すると自然と息を吸い込めるようになる。医者の言うとおりだ。

 今でも医者に処方された精神安定剤みたいなものは服用しているが、朝の満員電車に乗らなくてはいけない、といった時以外は服むことはない。あれほど仕事で海外に行っていたのに、この病気に罹ってからは一度も海外渡航はなし。あの狭い飛行機に乗っていると想像しただけで、もう呼吸が荒くなってしまう。どうしても乗らなくてはいけないという緊急事態が起きたら、それこそべろんべろんに酔っぱらって乗り込み、同時に睡眠薬で眠りこけるしか手はない。そういう事態にならないことをひたすら祈る。

 あのマスク着用を拒否した乗客は、もしかしてぼくと同じ病気の「閉所恐怖症」だったのじゃないか。それともただのへそ曲がりか。

 とにかくこの新型コロナの流行が早く収まってくれないと、マスクとの闘いがずっと続くことになる。世の中には、マスクの苦手な人がいて、中にはこうした病気を抱えている人もいるんだよ、という事実も知っておいてほしい。

 コウモリっ食いの中国人のおかげで、世界中が迷惑している。あの豚まんみたいな顔をした習近平さんよ、土下座して世界の人々に謝りなさいな。まさかあれって、中国軍の開発した細菌兵器の一種じゃないだろうね。 




 



2020年9月10日木曜日

♪月光仮面のおじさんは……

数年前まではよくテレビを観ていた。
アメリカの『NCIS(ネイビー犯罪捜査班)』がひいきで、
マーク・ハーモン演ずるリーダーのギブス捜査官を中心に、
トニーやマクギー、ジヴァやアビーといった個性豊かなメンバーが
脇を固めている。ほとんど笑わないギブスは年齢が近いせいか、
ふしぎに親和性を覚えたものだ。

MLBもよく観た。日本のプロ野球にはまったく興味はないが、
イチローや大谷が活躍するMLBは迫力があって面白かった。
過去形にしたのは、今はほとんど観ないからだ。
観ようという気力がウソみたいに無くなってしまった。
加齢による好奇心の減退なのだろうか。

今、テレビは観ることはみるが、ニュースしか観ない。
テレビをつければバラエティと称するバカ番組ばかりで、
司会者にしろ出演者、コメンテーターと称する連中にしろ、
ほとんどがお笑い系の芸人かタレント、それと〝オカマちゃん〟一色になっている。
テレビ番組がここまでお笑い系に席巻されている国は他にあるだろうか?

ボクはヒマなおじさんだが、お笑いタレントやジャリタレのつまらないコメントを
聞かされるほどヒマではない。左翼人士が集まる関口宏司会のバカ番組
『サンデーモーニング』では、元プロ野球選手の張本勲が偉そうに「喝ッ!」
などと叫んで、上から目線で説教を垂れている。選手時代は好きな選手の一人
だったが、テレビで「喝ッ!」を連呼するようになってから、
一気にきらいになってしまった。

〝アッコ〟などと呼ばれ、姐御風を吹かしている和田アキ子も大きらい。
あの口を尖らしてしゃべる品のないご面相もきらいだが、自民党の総裁選について、
「こんなんでいいのかね?」
などと疑問を投げかけ、それをご丁寧にもメディアがひろって、
記事にしているのが気に入らない。テレビタレントふぜいが、
大した知識もないくせに、何を偉そうに、などとボクは思ってしまう。
たけしがこう言った。坂上忍がこう言った。玉川徹がこう言った……。
何を言おうと勝手だが、メディアが取り上げるほどのことかよ、とボクは思う。

ことほどさように、テレビをつければおバカなタレントがしゃしゃり出て、
つまらぬギャグを飛ばしてはギャハギャハとバカ笑い。元スポーツ選手や
元政治家(何か不始末をしでかして辞任に追い込まれた連中)も、
何を勘違いしているのか、コメンテーターの席に陣取って、
いっぱしの正論を並べている。誰が聴くもんか、そんなたわ言!

テレビというメディアは、敗者復活戦を許してくれる温情溢れるメディアで、
「このハゲ――――ッ!」で有名になった豊田真由子議員や、
〝不倫議員〟として名を馳せた宮崎謙介元議員も、今や堂々と出演している。
豊田などはこれ以上ないくらいの笑顔を振りまき、
(私は巷間言われているほどの悪女じゃないんです。ほんとうは善人なんですゥ)
てな調子で、笑顔の大安売りで必死に失地回復を図っている。

かつてテレビは希望の星だった。
『月光仮面』『怪傑ハリマオ』『少年ジェット』『アラーの使者』……。
ボクたち小中学生はどれほどテレビの中のヒーローに憧れたものか。
月光仮面や少年ジェットはホンダのスーパーカブに乗っていた。
今から思えば、
「あれって、新聞配達のおっちゃんが乗ってるバイクだよね」
と、呆れられるような代物なのだが、当時のボクたちの目には
圧倒的にカッコよく映った。月光仮面と新聞配達のおっちゃんとが
重なることはなかった。

テレビと共に青春を過ごしたぼくたち世代は、SNSにお株を奪われた
テレビという媒体に愛想をつかしている。広告料が以前ほど入らない
テレビ各局は低予算でできるバラエティ番組に草木がなびくように
なびいていってしまう。結果、視聴者離れが起き、広告主も離れて行ってしまう。

ボクは『月光仮面』や『隠密剣士』『てなもんや三度笠』といった昔懐かしい
番組の再放送を望んでいる。デジタルリメイクした作品なら、新たなファンも
獲得できるかもしれない。大口あけてバカ笑いしているタレントなんぞの顔を
見るより、どれだけ建設的なことか。

そういえば近くNHKの番組制作者が、わが家に取材に来るという。
料理記者のカミさんに有名シェフの話を聴くためだが、ひと息ついたところで
話に割り込み、『鶴瓶の家族に乾杯』なんかやめにして
(あのいけ図々しい鶴瓶がきらいなのだ)、『月光仮面』を放映してくれ
と頼んでみようかしら。
「えっ、月光仮面って何ですか?」
若い世代だったら、話がピーマンだったりして(笑)。
だめだ、こりゃ。





















2020年8月27日木曜日

大坂なおみと同じ悩み

テニスの「全米オープン」の前哨戦ともいえるNY市の「ウエスタン・アンド・
サザン・オープン」で、大坂なおみが快進撃を続けているが、27日、突然、
準決勝をボイコットすると宣言した。

理由はウィスコンシン州ケノーシャで、警察官が背後から黒人男性を銃撃した
事件がきっかけで、今、全米で警察への抗議デモが起きているが、大阪も
そのデモの一員として抗議の意を示したいのだという。

「私はアスリートである前に一人の黒人女性です。テニスをしている私を
見てもらうより、今はもっとやるべき大事なことがある」
とコメント。

コメントの最後に、警官から暴行を受けた4名の黒人の名前を記し、
「私は数日おきに新しいハッシュタグが生まれることに疲れ果て、
何度も何度も同じ会話をすることにウンザリしている」
と、怒りを綴っている。

車の後部座席にいた子供たちの前で、背後から7発の銃弾を撃ち込まれた
黒人男性は、命はとりとめたものの脊髄を損傷し、生涯車椅子の生活を
余儀なくされてしまった。彼がいったい何をしたというのだろう。
武器など持っていないし、ただ車に戻ろうとしていただけ。
たったそれだけのことで、アメリカでは発砲が許されてしまうのか。

何度も書いてきたが、ボクの叔母(父の妹)はアフリカ系のアメリカ人と
結婚した。だから、ボクの従兄弟たち4人とその子供や孫たちは、
#Black Lives Matter(黒人への警察の残虐行為に対する非暴力・非服従の抗議運動
の当事者であり、被差別者側の悲しみや怒りに堪えながら生きてきた。
日本人の血が入っているから、まさしく大坂なおみと同じ悩みを抱えて
いるのである。

大坂なおみの試合を見られないのは、ファンとしては残念至極ではあるが、
大坂のいうように、テニスプレイヤーである前に一人の人間として行うべき
ことがあるのだろう。アスリートは政治に首を突っ込まないほうがいい、
などと日本では言われるようだが、運動選手になぜ政治的発言が許されないのか。

「お前たちはただの見世物なんだから、
だまってテニスをしていればいい。
難しいことはどうせ分からんだろうから、
頭より体を使え!」

政治的発言をきらう人たちは、おそらくこんなふうに考えているのではないか。
ずいぶん失礼な話である。こっちは人種差別ではなく職業差別。
スポーツ選手や芸人、タレントは〝見世物〟なのだから、
無い頭をしぼるより、汗を流して観客の声援に応えろ、ってか。

わが家にホームステイした外国人はいっぱいいる。
もちろん白人もいっぱいいて、みんないい子だったが、
彼らの心の中まで覗きこんだわけではないから、
人種差別問題についてどう思っているかは分からない。

人類の歴史を見ると、白人たちは近・現代を支配してきた。4大文明の発祥は
アジアやアフリカで、モンゴルやイスラム文明がヨーロッパ文明を圧倒していた
時代もあったが、現代に直結するこの400~500年は、白人たちの文化文明が
他を圧し、世界を事実上支配していた。

たかだか数百年、人類のトップに君臨していたからといって、
白人が優性遺伝の持ち主であるとは言えないのに、
彼ら白人たちは、
「自分たちこそが優性遺伝子の持ち主で、
他の人種は劣性遺伝でしかない」
と切り捨てる。ずいぶん乱暴な話である。

そもそも白人だろうが黄色人種だろうが、人類の元をたどれば、
アフリカの黒人たちではないか。以前も書いたが、白人は
黒人の劣性遺伝(Albino)で、いわゆる白子である。
その白子が約5000年かけて、今の白色人種になったといわれている。
つまり、白人が黒人をバカにし差別するという行為は、
ご先祖様に唾するような行為なのだ。白人だけが優性遺伝だ、
なんてとんでもない思い上がりなのだ。

歴史に無知だと、こういう高慢ちきな意識が生まれるのだが、
そもそも人間は愚かな動物なのだから仕方がない。

ハッシュタグが何度更新されようが、この世から差別はなくならない。
人間は差別を欲する動物だからだ。悲しいがこれが現実である。

連合国が戦後処理を話し合う「ポツダム会議」で、日本への原爆投下
に対して「予告すべき」とする声はあったが、英国のチャーチル首相は
敢然と無視、
「日本人は猿同然なんだから、ためらうことなく落とせばいい」
と米国のルーズベルト大統領を促した、という説もある。
長崎に投下された原爆の愛称は「ファットマン(ふとっちょ)」。
これはチャーチルのことらしい。

白人たちからすると、黒人も日本人も、人間というより〝猿〟に近い?
つまり、ボクの叔母はお猿さん同士で結婚したというわけか。

#Yellow Lives Matter(イエローマンキーだって人間です)
こんなハッシュタグが流行しないことを願うよ。



■速報によると、大坂なおみは一転して出場へ。
28日に予定されている準決勝に出場するという。
理由は「より強い抗議の意思を伝えられるから」としている。









2020年8月19日水曜日

ツバメみたいに中身の充実した人生を送りたい

 コロナに梅雨の大雨、そしてトドメを刺すのが無慈悲な猛暑だ。
外へ出ると、すぐに汗だくになり、足どりが重くなる。
心なしか、みなうつむき気味に歩いている。なかにはよろけそうな人も。
 今年は何という厄年なのか。コウモリっ食いの中国人のおかげで、
新型コロナウィルスが世界中に蔓延し、特に基礎疾患を抱えている高齢者が
狙い撃ちにされている。
「もうあんたらは用済みで、世の中の厄介者なんだから、
ウィルスに片づけてもらって清々するよ」
 そんなふうに思っている人もいるかもしれない。何も好きこのんで齢をとった
わけではないが、高額医療費が国の財政を圧迫しているなどと聞くと、
高齢者でいることがひどく罪深いことのように思えてくる。
 昔は、自分が還暦を超えたじいさんになるなんて想像だにしなかった。
もしそうなるとしても相当先の話だろう、と勝手に決め込んでいた。
ところがどうだ。先の話どころかたちまち還暦を迎え、
いつの間にか孫ができ、誰が決めたのか「前期高齢者」などと呼ばれるようになった。
「おれたちは〝末期〟だからな。ハハハ……」
朝の体操仲間たちは、そのほとんどが「後期高齢者」。
彼らは用済みとなった自分たちを自嘲気味に〝末期高齢者〟と呼んで嗤う。
 歳月人を待たずというが、いつまでも若いと思っていたらこのザマだ。
ボーッと生きているとあっという間に年を食ってしまう。地球は46億年の歴史を持ち、
人類はわずか20万年の歴史しかない、といわれるが、となると個人の寿命なんて
零コンマ1秒の瞬きにも値しない。つまり、人類の存在なんて〝無〟そのものだ。
 セミは地中に7年、地上に出て7日の命というが、力の限り鳴き続け、
子孫を宿して生涯を終える潔さを、人間は少しは見習ってもよいのでは。
ただべんべんと生き永らえることだけが人生ではない。「人生100年時代」
といわれるが、1年半の寿命しかないツバメは毎日働きづめで、必死に子育てに
精を出している。パチンコや〝昼カラ〟でムダな時間を過ごしているヒマなど
なさそうなのだ。ちなみにカラスは時に60年近く生きるものもあるという。
 「人生は死ぬ時までのヒマつぶし」と喝破したのは師匠・山本夏彦だが、
どうせヒマをつぶすのなら、世のため人のためになりそうなヒマをつぶしたい。
ボクは物書きのはしくれだから、できることといったら文章を紡ぐことくらいだが、
ここ数年はご無沙汰だった。長引く出版不況の中で、売れそうもない著者に仕事を
依頼するマヌケな編集者はいない。
 ところがいたのである。久しぶりに「本を書いてくれ」と依頼があった。
怠け癖のついたボケ老人にはたして本が書けるだろうか。過去に数十冊書いてきた
実績はあるのだが、いかんせんブランクが長い。酒ばかり飲んでいるから、肝心の
脳みそが発酵し始めている。
(こんなマルコメ味噌みたいな脳みそで、文章が書けるだろうか?)
 おじさんはにわかに不安に苛まれているのである。
 というわけで、しばらくは酒量を少しばかり落とし、まともな脳みそを
復活させることにする。
 

 

2020年7月2日木曜日

美人は三日で飽きる?

もう半年ほど〝上京〟していない。
新宿なんか何年もご無沙汰だ。
もっとも和光市は東京の板橋区と練馬区に隣接しているので、
わが家から南へ500㍍ほど歩けば練馬区の大泉学園町だし、
東へやはり500㍍ほど下れば板橋区成増だ。
つまり、正確に言えばほとんど毎日のように〝上京〟はしている。
ただ(ああ、東京へ来たぞ!)といった感覚がないだけだ。

サラリーマン時代、新宿歌舞伎町のわけのわからん店で独り軽く飲んだら、
会計時にウン万円を請求され、文句を言ったら、怖そうなおニイさんが出てきて
ニラミをきかせたので、小心者のボクはコソコソと相手の言い分に従った。
それ以来、ぼったくりの店が多い歌舞伎町には近づかないようにしている。

夜の街、新宿や池袋の評判がにわかに悪くなってきている。
新型コロナのクラスター感染が起きているからだ。
キャバクラやホストクラブなどが主な発生源らしいが、
危険と知りつつこの種の店に行きたがる気持ちは分からないではない。

ボクも若い頃はよく通った。
「ハワイ」だとか「ロンドン」といったキャバレーチェーン全盛の頃で、
若い娘のお色気たっぷりの接客がウリだった。
こういういかがわしい店には行かない、という堅物も中にはいるが、
健康な男だったら、一度や二度は必ず足を運んでいるはずだ。
だいいち、どんな店なのか実際に足を踏み入れてみなければ分かりっこない。
何事も経験なのだ。

銀座の高級クラブにも何度か連れて行ってもらった。
印象的だったのは、作家の野坂昭如さんのお供をした時で、
彼はホステスに「先生~、ウッフーン」などと、やたらもてまくっていた。
ボクはお願いしていた原稿を催促に行っただけで、そしたら、
「これから銀座に出るから、いっしょに行かんか?」
と言われ、しぶしぶ?ついていっただけの話である。

でも原稿はもらえず、次の指定場所は日テレの『イレブンPM』の
収録スタジオだった。ボクの目の前には、裸と見紛うほどのスケスケ美女たちが、
行ったり来たりしている。その先には野坂さんと司会の大橋巨泉が、
鼻の下を思いっきり伸ばしニヤニヤやっていた。

(世の中にはものすごい美女がいるもんだな……)
夜の銀座やテレビスタジオは美女たちで溢れかえっていた。
でも目の保養をさせてもらっただけで、肝心の原稿はもらえなかった。




←遅筆の野坂氏はなかなか原稿を書いて
くれなかった。最後は駒場のラグビー場まで
取りに行ったが、そこでも「まだ書いてない」
の返事だった。それなら最初からそう言えよ!
とにかく変なおっさんだった。





これはちょっとした自慢なのだが、結婚前、ボクはいろいろな女と
付き合っていたが、一番の美人は山形生まれのモデルのような女だった。
色は抜けるように白く、背は170㎝近くあり、小顔八頭身を絵に描いたような
女だった。ボクはこの娘を連れてよく街をほっつき歩いた。
(どうだ、羨ましいだろ……)
高級ブランド品のバッグを見せびらかしたくなるのと同じ心境だろう。

でもね、この美人とは1年もたなかった。
ボクが飽きてしまったのだ。
よく〝美人は3日で飽きるけど、ブスは3日で慣れる〟というが、
まさにそれ。彼女には申し訳ないが、美人は飽きられるのも早いのだ。

というわけで、結婚後は、美人でもブスでもない、
ただ飽きのこない不思議な顔をしたカミさんと仲良くやっている。
女遊びは一切しない。若い時分にさんざっぱら遊んだから、
もういいのだ。金もないし……(笑)。
齢を食ってから狂ったように遊び始める男は、
きっと若い頃の遊びが足らなかったのだろう。

若い女をはべらせて酒を飲むのもいいが、
彼女たちの話は概ねつまらないので、
やはり酒は気のおけない仲間と飲むのがいい。
女性相手に世界情勢や米中関係、憲法改正問題を語ってもねェ……
それってやっぱ野暮天でしょ。

年がら年中、発情していた若い頃を思い出すと、
なんておバカなことばっかりやっていたんだろ、
と我ながら情けなくなるが、わけ知り顔をした今の自分を情けなく思う時もある。
生来、経験に裏打ちされた分別くさい顔ってやつがきらいだからだ。
二度と戻りたくはないが、ムチャクチャをやっていたあの頃の自分が
ちょっぴり懐かしい。













2020年6月23日火曜日

朝日憎けりゃ……

ボクは朝日新聞が大きらい。
南京大虐殺だの、従軍慰安婦だの、ありもしないことを大々的に報じ、
日本の名誉を著しく傷つけた。まさに万死に値する、と言っていい。

他にも毎日や東京、中日新聞、さらには沖縄タイムスや琉球新報もダメですな。
もう救いようがない。沖縄タイムスは取材時にお世話になって、あんまり
悪口は言いたくないのだけれど、左翼活動家のアジビラみたいな記事は、
決して褒められたものではない。

それでも朝日や毎日を愛読している人は多い。
ボクの仲間にも数人いる。どこの新聞を読もうと個人の勝手で、
子供のころから馴れ親しんでいれば、なかなか他紙には鞍替えできまい。
それでもボクはあえて言いたい。
日本国民で、日本という国を心から愛していて、なおかつ日本人であることに
誇りを持っているのなら、即刻購読をやめるべきだと。

朝日・毎日がいかにダメな新聞であるか、ボクは仲間たちにも言ってきた。
ボクは思想信条の異なる人間と酒を飲みたいとは思わないので
(すぐケンカになるからw)、ボクがどんな考えの持ち主であるか、
事あるごとにしゃべってきたつもりだ。
そこで「ああ、こいつとはウマが合わないな」と思えば立ち去ればいいし、
賛同するものは留まればいい。ボクの話を聞いて朝日購読をやめた仲間は数人いる。

朝日新聞は人を見下すところがある。
自分たちはインテリを代表しており、
しかもインテリのための新聞を作っているんだ、と勝手に思っている。
こういうのを〝駄インテリの増上慢〟と呼ぶのだが、
ボクが雑誌記者の時、朝日の記者たちの驕り高ぶった態度を、
いやというほど見せつけられたことがある。

何の取材だったか忘れたが、ボクたちが駆けつけた都内某所には新聞や
雑誌の記者たちが群がっていた。そこへ遅れてきた朝日の記者が、
「おい、どけどけ。お前たち雑魚どもは後ろに下がっていろ!」
と言わんばかりに、むりやり人を押しのけて入ってきたのである。
(なんだ、この野郎。遅れてきたくせに一番いい席を取りやがって……)
見れば、朝日の腕章を腕に巻いていた。

この時以来の〝恨み節〟だから、ボクの朝日嫌いも40年の年季が入っている(笑)。
朝日がまともな報道機関などではなく、国民を平気でだます工作集団であることは
すでに自明で、慰安婦報道を見ただけで十二分にそれが知れる。
もともと慰安婦問題というのは朝日の報じた「吉田清治証言」が発端に
なっているのだが、この証言は創作だったことがすでに判明している。
書いた本人が、問い詰められ、
「えっ? あれって小説ですよ」
としらばっくれているのだから、開いた口がふさがらない。

事実、吉田の長男は、あるインタビューで、
「日本の皆様に本当に申し訳なく思っております。
できることなら、クレーン車で世界中の慰安婦像を撤去したい」
と発言している。吉田は韓国・済州島で自ら200人の女性を1週間で
狩り出した、などと書いているが、長男は、
「父は済州島なんか行っていません。家で地図を見ながら原稿を書いていました」
と証言している。あの連載した「吉田証言」はまったくの作り話だったのだ。

そんな折、大阪市の吉村洋文市長(現大阪府知事)が、米国サンフランシスコ市と
60年間続いた姉妹都市関係を解消すると宣言した(2018年)。
例の悪名高き在米韓国人団体が慰安婦像をサ市に寄贈し、サ市議会が公共物として
受け入れる決議をしたからだ。吉村市長はこの像の設置には反対し、
認めないよう市長に要請していた。

さすが朝日、吉田清治のインチキ証言を世界中に広めただけのことはある。
性根が芯から腐っている。朝日新聞はなんとこの吉村市長に噛みついたのである。
半世紀の長きにわたって育んできた大阪市とサンフランシスコ市の市民交流を
市長の一存で断ち切ることは許されない、というのだ。

ふざけるな、この野郎!
そもそもお前ンとこに連載した詐話師・吉田のニセ証言が騒ぎの発端だろ!
『旧日本軍によって数十万人の女性が性奴隷にされた』
『囚われの身のまま亡くなった』
などと碑文には書いてある。
事実に基づかない記述に抗議の声を上げるのは、
日本人として当然じゃないか。
朝日新聞こそ、まっ先にサンフランシスコ市に出向き、
「この碑文の記述は私たちが載せたガセネタが元になっています。
どうか取り下げてください」
と、土下座してでもお願いするのが筋だろ!
それを何だ! 吉村市長の暴挙は許せない、ときたもんだ。

ことほどさように、この朝日という新聞社は〝反日〟こそが社是で、
自民党と日本の悪口だったら、たとえウソでも嬉々として報じる。
かつては〝米国のポチ〟といわれ、今は〝支那のポチ〟などと陰口を叩かれている。
実際、支那や韓国・北朝鮮の工作員が社内で暗躍しているのだろう、
と勘ぐられてもおかしくないくらいなのだ。

アサヒビールは好きだが、国賊ともいえる朝日新聞は大きらい。
かつて、あの社会党と組んで、北朝鮮は「地上の楽園」と持ち上げたのは
どこの新聞社でしたっけ。拉致問題など存在しない、とも言ってたよね。
ボクの幼馴染のY君(北朝鮮人と日本人とのハーフ)は、後に自殺してしまったが、
彼の姉さんは「地上の楽園」の謳い文句に惹かれ、北へ勇躍帰って行ってしまった。
その後の悲惨な生活ぶりは、彼の口を通してよく聞かされた。
嘘八百の記事をこれでもか、というくらい書き連ね、社会に混乱をもたらす。
人の人生をいとも簡単に捻じ曲げ狂わせてしまう。そして後は、知らぬ存ぜぬだ。

この〝イエローペーパー〟そのもののインチキ新聞が日本の
〝クオリティペーパー〟だと?
笑わせるな! 
ああ、今日はいつになく興奮してしまった。朝日について書くと、
ついイライラが募ってしまう。
こんな支那臭芬々(ふんぷん)たるシンブンガミは、
ウンコまみれにして下水に流してしまえ!


























2020年6月11日木曜日

ポレンタ食いと牛の糞

北イタリアを3週間くらいかけて車で巡り、
いわゆるミシュランの星付きレストランを10数軒、
取材して回ったことがある。その折、いろんな町で、
南イタリア(人)の悪口を聞いた。

貧しい南イタリアはイタリアのお荷物。
俺たち北イタリア人がやつらを養ってあげているんだ――。
こっちが訊いているわけでもないのに、こんなふうに恩を着せる。
「ローマ以南はイタリアじゃない、アフリカだ」
こんな言い方をするものもいた。

北イタリアは工業地帯で、南イタリアは農業地帯。
経済的には豊かな北が貧しい南の面倒を見てやっている、という構図。
こうした考え方は、北イタリア人の中には根強いものがある。
一方、南イタリア人は威張りくさった北の連中を〝あのポレンタ食いども!〟
とバカにする。

ポレンタとは熱い湯に塩とトウモロコシの粉を入れ、
練り混ぜたもので、主菜に添えて食べたりする。
あんなもののどこがうまいのだ、と南イタリア人は
北イタリア人の味覚オンチをからかうのである。
ボクも何度かポレンタは食べたが、この件に関しては
南イタリア人の主張のほうが正しいような気がする(笑)。

さて、イタリア半島は長靴をはいた脚そっくりに見えるが、
その長靴をはいているのは「男か女か?」という〝なぞなぞ〟がある。

イタリアという言葉は女性名詞だから、イタリア半島も女性だろう、
と答えたら、たぶん生真面目すぎていて大向こうの受けは悪いだろう。

これについては井上ひさしのエッセイの中でも触れていて、
「男の脚に決まってる。股の付け根にベニス(ペニス?)があるではないか」
という、ちょっとエッチな答えがある。

それともう一つは、
「靴のつま先でサッカーボール(シチリア島)を蹴ろうとしているんだから、
これはもう男の脚に決まってるだろ」
今となっては女子サッカーも盛んだから、この答えは説得力が弱い。

またこんなのもある。
「貧しいシチリア島はわれわれ北部のお荷物。そしてマフィアの温床、
いっそアフリカ大陸めがけて蹴り飛ばしてしまえ。そうした気持ちが、
国土の形に表れているんだ。サッカーとくれば、もちろん答えは男だろう」
ちょっと過激な答えだが、北の連中の心情をいくばくかは代表している。

いま、アメリカの黒人差別の問題がメディアを賑わせているが、
イタリアのように同国人同士の地域差別だってもちろんある。
都会のものが田舎者を嗤う、といった構図の拡大版だろう。
大っぴらには言えないものだが、誰しも心の奥底には差別的な感情がくすぶっている。

差別はたしかによくない。なくしたほうがいいに決まっている。
が、はたしてなくなるものだろうか。百年河清を俟つ、というが、
この差別感情をなくすには、百年、二百年では追っつかないような気もする。
そもそも人間は差別する動物で、差別しなくては生きられないからだ。

人種差別、民族差別、宗教差別、性差別、経済差別……。いくらでもある。
身近なところでは部落差別なんていうのもある。
「川向こうの人たちと付き合っちゃダメだよ」
こうした言い方は、こどもの頃によく聞かされた。
当時は意味がよく分からなかったが、今は分かる。
川向こうはいわゆる〝被差別部落〟で、
そこの出身者は同級生の中にもいた。ボクの仲のいい友達も
被差別部落出身者だった。

こうした差別感情というものは、ほとんど無知からくるもので、
精緻に歴史を学べばそうした感情から解き放たれるものなのだが、
なかなかうまい具合にはいかない。

ところでボクの長女は筋金入りのバックパッカー。
世界50ヵ国近く踏破しているが、彼女はこれまた筋金入りの
コスモポリタンだと思われる。生来、人を差別するという感情が希薄なのだ。
相手の色が黒かろうが白かろうが、ごくふつうに付き合える。

アフリカ・ケニヤはマサイ族の部落へ行き、
現地の人がやるように牛の糞だかを平気で舐めた(証拠写真があるぞ)
というのだから、畏れ入ったものである。
ボクは糞だけは舐められない。
文字どおり、ウンがつきそうだからだ(笑)。
その点、娘のほうが人間としては遥かに上等でスケールがでかい。
大人(たいじん)の風さえ感じるのである(笑)。←ほめ殺しだよ!

いつもの親バカの一席でありました。お粗末さま。





←マサイ族の赤ん坊を抱く長女。










2020年6月8日月曜日

アッパッパーを知ってますか?

朝の〝ワン公友達(ワン公を散歩させている人たち)〟の一人に、
「その服って、アッパッパーみたいだね」
といったら、
「なに? そのアッパッパーって? あたしクルクルパーじゃないよ」
と笑い出した。アッパッパーを知らない世代なのだ。

アッパッパーは昭和30年代に流行った女性の簡易服で、
暑い夏に着る木綿のワンピースである。
うちのお袋がよく着ていたから、アッパッパーというちょっとふざけた
名前を耳にすると妙に懐かしい思いがするのである。

フランス文学者の木村尚三郎のエッセイの中に、
アッパッパーを着た日本のおばちゃんが、
パリのエッフェル塔の前の広場にぺたりと座り込んで涼んでいた、
というくだりがあるが、その光景を想像すると、
(しょうがねえなァ……)
と呆れると同時に、つい〝プッ〟と笑ってしまう。
日本人も今の中国人観光客のバッドマナーを笑えた義理ではない。

このアッパッパーという奇妙な名前の由来は、
歩くと裾がパッパッと広がることからついた、という説がある。
元は近畿地方の俗語だったらしい。

洋服のことはよくわからないが、ムームーという簡易服もある。
ハワイ発祥の服で、ハワイアンを歌ったり踊ったりする女性が着ている服だ。
このムームーとアッパッパーとの違いがボクには分らないのだが、
たしかお袋はこのムームーもよく着ていた。
でっぷり肥ったお袋がアッパッパーなりムームーを着ると、
なかなか迫力があった。ああ、会いたいなァ、お袋に。

朝の公園に来る仲間たちは総じて年寄りばかりだが、
ワン公友達は比較的若い。アッパッパーを知らないのは当然なのだ。

ボクの仲間たちはほぼ同じ世代だが、
なかに給食の〝脱脂粉乳〟を知らない男がいる。
還暦はとうに超えていて、同い年で脱脂粉乳を知っているものがいるのに、
彼は知らないという。あの当時、長野県にいて、どういうわけか、
給食にはパックの牛乳が出たという。おれたちより進んでいる。

ボクは山本夏彦の弟子で、人間を2種類に分けるクセも師匠譲り。
つまり、「アッパッパーを知る人間かそうでない人間」か。
そして「脱脂粉乳を知る人間かそうでない人間」かの2種類。

知らないからって差別しているわけではもちろんない。バカにもしていない。
でもあの鼻の曲がるほどまずい脱脂粉乳を飲んだことがないなんて……と、
ある種の同情に近い感情は持っている。あんな貴重な体験をしていないなんて、
可哀そうなやつ、という憐れみは抱いている(笑)。

「そんなもん、大きなお世話だろ!」
と非経験者は反発するにちがいないが、
貧しさを知らないものが真の豊かさを知らないように、
戦争に負けて、牛や豚の餌である脱脂粉乳を、「アメリカさん、ありがとう」
と感謝の念をもって飲まされた我々の、言葉に言い表せないような屈辱感は、
なかなか分かってもらえないだろう。

もちろん小学生のガキだったあの頃の自分が、戦争に勝った負けたなどと、
難しいことは分からなかった。日本の社会そのものが貧しさに耐えていて、
恩着せがましく脱脂粉乳を施してくれたアメリカの〝善意〟とやらを心から
信じていた。建前上は「ユニセフ」からの贈り物、てなことになってたけどね。

それにしてもあの脱脂粉乳、何と言おう、恐ろしくまずかった。
アルマイトのボウルに入っていて、残す子がいると先生に
無理やり飲まされ、泣きながら飲んでいた。

アッパッパーといい脱脂粉乳といい、まだ日本が貧しかったころの
風俗であり飲み物だ。

昭和27年2月生まれのボクは、勝手に〝戦中派〟を自任している。
何をバカなことを、と真の戦中派は怒るかもしれないが、
国際法上はボクの言い分のほうが正しいのである。

サンフランシスコ平和(講和)条約が発効するのが昭和27年の4月28日。
この日をもってめでたく戦争状態が終結し、日本に主権が回復するわけだが、
ボクはその2カ月も前に生まれているので、戦時国際法の上では〝戦時中〟
ということになる。戦中派を自称しても何ら問題はないのだ。

戦後間もない頃の貧しさを知っている我らが世代も、
いよいよ人生の終盤にさしかかり、「終活」なんて言葉も
ふつうに使われるようになった。あんまり好きな言葉ではないが、
人生の黄昏時を迎えていることは確かだろう。

アッパッパー姿のお袋に会えるのも、もうじきだ。



←男の子は丸刈り、女の子は
オカッパ頭。さあ、待ちに待った
給食の時間だ。おいしい脱脂粉乳だよ。
誰だ、「脱脂糞尿」だなんて言うやつは!





2020年6月1日月曜日

寛美や志ん生の芸が懐かしい

加齢とともに食べものの好みが変わっていくように、
テレビ番組の好みも変わっていく。
近頃、面白いと思わせる番組が極端に少なくなった。
バラエティーやドラマなど、若い人は面白がっているのかもしれないが、
古稀目前の老人には少しも面白くない。

たとえば「ワイドショー」と呼ばれる番組がある。
司会を務めているのはたいがいお笑い系のタレントである。
「バラエティー」も同じ。司会も出演者たちのほとんどがお笑い系で、
場合によってはコメンテーターと呼ばれる人たちの中にもお笑い系が混じっている。
日本のテレビ番組は今、お笑い系と〝オカマちゃん〟の天下なのである。

だから、どのチャンネルを回しても〝ゲラゲラ、ガハガハ〟という
バカ笑いしか聞こえてこない。その笑いも〝高次〟のそれならまだ許せるが、
ほとんどが駄ジャレに毛が生えたような低次のものばかり。
このレベルで〝ゲラゲラ〟と大口あけて笑っているのだから、
番組の質が知れる。

予算の問題もあるとは思うが、番組制作者の質も相対的に落ちているのではないか。
お笑い芸人やタレントを使えば、終わりまでなんとか番組をもたせてくれる。
それに終始和やかな雰囲気も作ってくれる。

『鶴瓶の家族に乾杯』といった旅番組やローカル路線バス乗り継ぎの旅といった
番組も同じで、お笑い系のタレントを混ぜることで、現地の人たちとの交流を
明るく和やかなものにしている。その意図するところは分からないではないが、
ここまでお笑い系が出しゃばってくると、ボクみたいなへそ曲がりは
「つまらない笑いはもうけっこう」と拒否反応を示したくなってしまう。

特に鶴瓶がきらいなボクは、鶴瓶がテレビCMに出てくるだけで
反射的にチャンネルを変えてしまう。ウド鈴木や石塚英彦もダメ。
石塚の目を細めた見え透いた作り笑いを見ると、
「ウェーッ、またやってるよ」
これまたチャンネルを変えてしまう。

お笑い系というのは、かつては芸能界の中ではランクがずっと下だった。
藤山寛美が全盛期の時でさえ、町で見かけた子供が
「お母ちゃん、見て、寛美だよ!」
と指さしたりすると、
「おやめ、指が腐る」
と叱ったとか。芸人と堅気が峻別されていた時代の話である。
芸人には芸人の「分」があり、客には客の「分」がある。
その「分」をわきまえろ、というわけだ。

そんな時代から比べると、芸人たちの地位は上がり、
お笑い系の芸人も、お天道様の下を堂々と歩けるようになった。
こんなふうに書くと、職業差別はいけない、と反発するムキがあるだろうが、
「差別」ではない、「区別」をしている。

虚業で得た金は所詮あぶく銭で、堅気の衆が汗水たらして働いて得た金とは
まったくの別ものだ。そのことを知っていた寛美は、その日に入った金は
その日のうちに使った。狂ったように使った。
お金というものは蓄財したりすると〝ふつう〟の金に似てくる。
それじゃあ堅気衆の立つ瀬がなかろうと。

時代遅れかもしれないが、ボクは〝分際を知れ〟という言葉の重みを
知っているつもりだ。どんなに人気のある売れっ子でも、
「錦着て布団の上の乞食かな」という視点は忘れてはいけない。
ボクはそう思うのだ。

というわけで、芸人ずれと同じ穴の狢でもある〝物書きずれ〟の
ボクも、10万円の給付金は狂ったように使うつもりでいる。
現にもう使っている。蓄財なんて芸人の風上にも置けない、
というわけである。

お笑い芸人たちとは、互いに〝虚業〟同士。
シンパシーは感じるのだが、近頃の芸人は芸の質があまりにお粗末すぎる。

ああ、古今亭志ん生や三遊亭圓生の磨き抜かれた笑いが懐かしい。
あれほどまでの高次の芸を演じられる芸人が今どきいるだろうか?
ハッキリ言ってしまうが、レベルが違いすぎるのである。

戦後70有余年、平和続きで芸人の芸も吹けば飛ぶような軽い芸に
成り果ててしまっている。戦中派の志ん生や圓生の芸はいぶし銀の
輝きを放っていたが、今の芸人の芸はすぐにメッキが剥がれてしまう。
芸に人間的な深みが投影されていないからだ。
百年河清を待っても、たぶん追っつかないと思う。







2020年5月29日金曜日

日本が今日あるのは〝お蚕さん〟のおかげ

公園友だちのNさんが、
「桑の実を食べに行こうよ」
といきなり言い出した。場所はいつもの樹林公園内の芝生広場。
Nさんの後をついていくと、ほんの目と鼻の先に桑の木があった。

恥ずかしい話だが、ボクは桑の葉は知っているが桑の木は見たことがなかった。
父方の叔父が養蚕をやっていたので、子どもの頃、叔父の家に行くと天井裏の
〝お蚕(かいこ)さん〟を見せてもらった。この時、桑の葉を見たのだが、
その葉を茂らせている桑の木を見たことがなかった。いや、叔父の家に植えて
あったのだろうが、関心がないので目に入っても記憶にないのだろう。
ボクの欠点は植物にまるで関心がないこと。だから誰でも知っている花の名を
知らないし、植物図鑑も見たことがない。知っているのは桜、梅、チューリップ、
ひまわり、カーネーションくらい。他は知らない(笑)。


←お蚕さん








そんな植物オンチのボクがNさんに「これが桑の実だよ」
といわれた時、思わず叫んでしまった。
「あっ、これ、うちのベランダにもある!」
な~んだ、マルベリーmulberryのことじゃないの。

後で調べたら、「マルベリー=桑の実」とあった。
ああ、こんなことも知らなかったのか……自分でも情けなかった。
あまりにモノを知らなすぎる。



←わが家のベランダにある
マルベリー。黒く熟した実は
カミさんがジャムにする。







ここで蘊蓄ばなしを一つ。
モノの本に載っていたのを知ったかぶりして披露するのだが、
地球上には自然界で生きていけない動物が一種類だけいるのだという。
さて何でしょう?
答えは「カイコ」。

カイコは人類が約5000年前から飼い始めたといわれていて、
家畜化された昆虫なので、野生には存在しないのだという。
もしカイコの幼虫を野外の桑の木に止まらせたとしよう。
さてどうなるか?

カイコの幼虫は足の力が弱いので、葉っぱにつかまっていることができず、
木から落下して死んでしまう。成虫になっても翅の筋肉が退化していて、
羽ばたくことはできても飛ぶことができない。つまり、人間の飼育環境下
からはずれると、生きることも繁殖することもできないのだ。
人間に飼育される以前は自力で生きていたのだろうが、カイコのルーツは
いまだ分からず、おそらく絶滅してしまったのではないか、と考えられている。

思えば、この〝お蚕さん〟のおかげで今日の日本がある、といってもいい。
明治期、日本は世界に門戸を開いたが、さて海外へ売るものがない。
今なら車や精密機械など付加価値の高い輸出品がいくらでもあるが、
当時は〝お蚕さん〟の生み出す生糸しか輸出するものがなかった。
当時の輸出貿易の中心(40~70%)は生糸だったのである。

この高品質の生糸があったおかげで軍艦など諸々を買うことができたし、
日清・日露の戦役にも勝つことができた。〝お蚕さん〟様さまなのだ。
というわけで、お蚕さんに掌を合わせたくなるが、あの〝ニオイ〟を
思い出すと
(うっ、くせェ……)
と気分が悪くなってしまう。
今の若い人たちは知らないだろうな、あの強烈で独特のニオイ。
もう二度と嗅ぎたくないニオイであります(笑)。





←これ、蚕の形をしたチョコレート。
中に桑の葉パウダーが入っている。
食べるのに勇気が要りそう(笑)。



2020年5月27日水曜日

マスクしててもイケメンはイケメン

前方に手を振るおばちゃんがいる。
一瞬、「はて?」と首をかしげるが、すぐ「ああ、Sさんね」とわかり、
こっちも手を振る。ボクの手の振り方は小学生の女の子がやるような
ド派手なものだから、おばちゃんは笑い出す。

帽子を目深にかぶり、おまけにサングラス、マスクときたら、
(あれっ、誰だっけ?)
となってしまう。互いに〝コンビニ強盗〟みたいないでたちだから、
背格好とか歩き方などで誰であるかを識別しなくてはならない。
この数カ月で、その〝識別能力〟は格段に上がったのではないか。
あんまり自慢にはならないが、ま、一種の生活の知恵みたいなものだろう。

コロナ禍のおかげでライフスタイルが相当変わりつつある。
外出時のマスクは必需品になってしまったし、帰宅したら手洗いと
うがいは欠かせない。「before」「after」で見ても、新型コロナ以前は、
互いに顔を近づけ、ガハガハ笑い合ったり、カラオケでデュエットする
なんて当たり前のことだったが、コロナ以降はどうしても〝飛沫感染〟が
頭にこびりついているから、自然と距離を置くようになるかもしれない。

それとテレワークが当たり前のようになってくると、
毎朝揃って会社へ出勤するという慣習が、
なんだか不自然なものに思えてくる。
オフィスに出社しなくても生産性が変わらず仕事が回っていくのなら、
気の向いたときに出社すればいいじゃん……。
かつての〝痛勤族〟はそんなふうに思うのではないか。

現に娘夫婦の通う会社(夫婦それぞれ大手電機メーカー勤務)も、
〝在宅勤務が基本になる〟というようなことが新聞に報じられていた。
自宅で働くことになると、通信費や水道光熱費など余計な出費が嵩む。
が、それらも一定額が会社負担になるだろうという。

また、在宅勤務が〝ふつう〟になると、なにも大枚払って都心の
マンションやアパートに住む必要がなくなる。比較的安価な郊外住宅に住んで、
週にいっぺんくらい往復数時間の通勤に耐えればよいからだ。となると、
都心一等地に建つタワマンなど高額物件の価値が一気に暴落することが予想される。


話変わって、外出自粛が要請されている時、仲間の一人が
「Zoomを使って飲み会でもやろうよ!」
と提案した。オンライン飲み会が行えるサービスは、他に文字どおりの「たくのむ」
や「LINE」などが挙げられるが、ボクはまったく気が乗らなかったので遠慮した。
そこまでして飲みたいとは思わないからだ。

それにしても文明の利器というものはいつの世でも耳目を驚かす。
人類30万年の歴史の中で、パソコンの画面を見ながら相手と酒を飲んだり、
会議ができるというのは初めてのことではないのか。
「国際電話」にビクついていた世代のボクは、初めて「skype」をやった時、
腰を抜かすほど驚いたものだが、今ではそんなものごく当たり前のもの
になってしまった。これでさらに〝5G〟の高速通信時代になったら、
いったいどうなってしまうのだろう。ボクみたいな旧人類は、
「〝労兵〟は死なず、ただ消え去るのみ」と呟くしかないのだろうか。

コロナの災いが転じて福となってくれればよいのだが、
はてさてどうなりますか。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、
まだまだ油断はできない。しばらくの間は、「コンビニ強盗スタイル」
で勘弁してもらうしかない。こんな怪しい格好でも、懇意のおばちゃんは、
「イケメンはマスクにサングラスしてても、やっぱイケメンだわね」
だって。ガハハハハ……(←おい、ツバが飛ぶだろ!)
お後がよろしいようで。



























2020年5月25日月曜日

友だちは死んだ人に限る

拙著『座右の山本夏彦』の中にも書きましたが、
若い頃のボクには友人と呼べるものが一人もいませんでした。
〝トモダチ〟が欲しくなかったわけではない。でも、できなかったのです。

師匠の夏彦翁も同じような青春を送ったといいます。
師匠にとって友人の多くは死んだ人でした。すなわち書物の中にいたのです。
ボクも同じく早くに〝今人(こんじん)〟に望みを絶った身の上、
会話のできる相手は本の中にしかいませんでした。

書物を通して先人に親しむことを〝読書尚友〟といいますが、
ひとたびその豊饒さに目覚めてしまうと、生きている人との友愛の
不確かさと貧しさが一層身に沁みます。
それは当然でしょう。死んだ人の中には、プラトンやゲーテ、
孔子に老子……錚々たる先哲がウジャウジャいるのです。
ボクは書きました。
『目黒のサンマではないが、友だちは死んだ人に限る』と。

そんないびつな青春を送ったボクも、年を重ねるうちに、
(生きてる人間の中にも面白いのがけっこういるじゃん)
なんて思うようになり、今ではおかげさまで〝おもろい今人たち〟
に囲まれて楽しく暮らしております。

ボクは「口が悪い」とよく言われます。
言葉に毒があって辛辣だ、というのです。
たしかにそういうところはあるかもしれません。
しかしそう指摘する仲間たちは、
「言われても、つい笑ってしまう」
といいます。毒はあるけど、ユーモアの衣に包まれているから、
つい笑ってしまうのだそうです。

物の本にこうありました。老人施設で医師をしている人の話ですが、
「元気で長生きしている老人たちは、多くが人の悪口が好き」
というのです。憎まれ口ばかり叩いている老人は、
なかなかくたばらないようなのです。

わが団地(1600世帯以上)にはいろんな人がいます。
善人ばかりではありません。悪人もいます。それも愛すべき悪人ではなく、
文字どおりの根性の曲がったイヤな人間です。

H氏という70過ぎのじいさんは、団地の管理組合や理事長に
しょっちゅう噛みつきます。訴えたりもします。訴状を読むと、
バカバカしい限りで、敗訴は目に見えているのですが、それでもめげずに
「おおそれながら……」と訴え続けるのです。こちとら役員としては
いい迷惑です。弁護士費用だってままならないですし、それらの原資は
住民から集めた管理費の中から出されているのです。住民はこの訴訟マニアの
H氏に対してもっと怒らなくてはなりません。

自分の非を認めようとしない人は、ボクにはスケールの小さな人間
にしか見えません。人望もないでしょうから、友だちもいません。
唯一自分の存在を確認できる場が、団地総会で執行役員たちに噛みつくことと、
役員たちのあら探しをしてアジびらみたいなものをこさえ、各戸にバラまく
ことなのですから呆れます。この手の人間は、自分に自信がなく、
薄っぺらいプライドを守るのに汲々としているのです。70年以上生きてきたのに、
人生から何ひとつ学んでいない。ほんとうに憐れむべき男だと思います。

ボクは今でも〝友だちは死んだ人に限る〟と思っていますが、
生きている友だちでないと、いっしょに運動したり、おしゃべりしたり、
酒を酌み交わすことができません。新型コロナに席巻されたご時世ですが、
徐々に収束しつつあるという感触です。
居酒屋で生ビールなんぞを飲みながら、仲間たちとワイワイやって、
大いにうっぷんを晴らしたいものですね。



拙著『座右の山本夏彦』
の中の序文。読書尚友の豊饒さに
目覚め〝友だちは死んだ人に限る〟
と書いた。

2020年5月22日金曜日

食って寝て、糞をして……

食っては寝て、食っては寝ての毎日。
昼食が終わると(さて夕飯は何にしようか……)と考えてしまいます。
苦痛ではありません。むしろ好きなほうで、買い物も大好きです。
外出自粛要請があるまでは、日に3回はスーパーに行ってました。
(このおじさん、また来たよ。よっぽどヒマなんだね)
と、レジのおばちゃんも呆れるほどです。
だから買い物は1日1回だけにして、なんて言われると
頭がおかしくなってしまいます。

ボクは以前、NHK出版の『男の食彩』という月刊誌の中で、
『朝ごはん 主夫対シェフ対決』などと謳った特別企画に登場させてもらった
ことがあります。シェフは有名イタリアンのK氏。ボクはどういうわけか
日本全国の〝主夫〟を代表して出場したわけです。
新進気鋭のK氏はともかく、「なんで主夫代表がボクなのよ?」
と頭をひねりましたが、え~いままよ、と料理対決の場に臨んだのです。

結果は散々なものでした。
なにしろ作った料理がひどかった。
とても朝食向きとは思えない料理ばかりで、
味つけも今から思えばサイテーでした。
K氏の料理はさすがで、イタリアできっちり修業しただけのことはありました。

それでもカメラマンは料理写真を撮り、雑誌に載せたのですから、
ご愁傷さまという他ない。担当は女性編集者でしたが、
心優しい人なのでしょう、撮影後、ボクの料理を「おいしい、おいしい」
と言って食べてくれました。お気の毒という他ありません。

あれから幾星霜(大袈裟でしょ)、ボクはずいぶん料理の腕を上げました。
味つけもまあまあだと思います。たいがいのものは作れますし、
それは和洋中を問いません。

外国からのお客様があるときもボクが腕を振るい(ただ材料を切るだけの
手巻き寿司だったりしてw)、お酒の相手もします。
台所に立つことは苦になりません。ボクより上の世代は抵抗を感じるかも
しれませんが、料理の世界は奥深く、女性よりむしろ男性のほうが
向いているような気がするのです。実際、ごく一部を除いて(イタリアなど)
世界中の有名シェフはみんな男です。

女房は、
「お父さんの一日は、寝てるか、食べてるか、トイレにこもってるか……
この3つであらかた終わってしまうわね」
とバカにします。たしかに間違ってはいませんが、
「台所で料理の道を究めようとしている」
という一条も付け加えてほしいものです。

今夜のおかずのメインは豚ロース肉とパプリカを使った蒸し物の予定です。
写真は常備菜として作った「野菜の甘酢漬け」。材料はカリフラワー、
キュウリ、ダイコン、パプリカ、赤タマネギ他数種、です。わが家は食卓に
酢の物を欠かしません。肉料理の、それも揚げ物や炒め物などが多いものですから、
油を中和させる意味からも酢の物が必要なのです。

いずれにしろ、大変ご愁傷様です、
と言われぬよう、奮闘努力いたす所存であります。
あなかしこ(←あんたは女か!)





←味をなじませるため、ビニール袋に入れ
よく揉みこんであります。このまま冷蔵庫で
数日置き、専用の容器に移し替えます。









2020年5月17日日曜日

ボクの写真を撮らないで!

ボクには若い頃の写真がほとんどありません。
あっても、カメラを意識しすぎた不自然な写真か、
心ここに在らずといった魂の抜け殻みたいな写真ばかりです。

ボクは写真に撮られるのが苦手でした。
心の中はいつだって大忙しだったから、写真なんか撮ってる場合では
なかったのです。何に忙しかったって? 自分に折り合いをつけるのに
ひたすら忙しかったのです。

前にも書きましたけど、ボクは少し頭のいかれた男の子でした。
小学校5年の頃に、吉行淳之介の『砂の上の植物群』だとか『原色の街』
といった本を読んでいました。どちらも男女間の性を描いた作品です。

おませな少年、というのならまさにそれで、チン〇コも満足に
育っていないのに、妄想だけはたくましくしている、というひねこびた
少年でした。ガキのくせに変に老成している、というのは気持ちが悪いものです。

今でも写真写りは悪いです。
自分の中で一番醜い、見てほしくない部分が強調されて写されてしまうからです。
ボクなら自分の写真を見てすぐわかります。その時、何を考えていたか……。
だから、こっそり知らないうちに撮られた写真が一番出来がいい。
変な自意識がそこにはないからです。

あの三島由紀夫が自意識過剰な人間だったことは広く知られています。
彼が生来の過剰な自意識から解放される唯一の瞬間は、自衛隊に体験入隊し、
空挺団で落下傘の降下訓練をしている時だけ、と聞いたことがあります。

歳をとって老成していくというのは、
自分の心の内を容易に見せない技術を身に着けることでもあります。
ボクは開けっぴろげでout-goingな性格と思われているようですが、
半分は正しくとも半分は違います。それらしく演じていたら、
いつの間にやら〝ホンモノっぽく〟なってきた、というだけのことです。
ボクの中では〝痩せ我慢の哲学〟と呼んでいるものなのですが、
痩せ我慢をしながらそれらしく演じ、何年も繰り返していると、
いつの間にかホンモノと見紛うほどになってしまうのです。

「顔立ちは生まれつきだが、顔つきは自分が作る」
とよく言われます。性格も同じで、生涯をかけて自分の理想とする性格に
自分を作り変えるのです。ボクは若い頃の自分がキライでした。
思い出すだに、「ウェーッ!」となるくらいキライでした。

で、ボクは人格改造計画に着手したんです。
自分のことばかり考えていないで、他人(ひと)のことを思いやる人間になろうと。
他人(ひと)が喜んでくれるようなことをしようと。きれいごとに聞こえる
かもしれませんが、ようやくたどり着いた境地がここなんです。

「他人(ひと)にやさしく!」
これはボクのモットーでもあります。誰に対しても分け隔てなく接する。
大企業の社長であろうと便所掃除のおっちゃんであろうと、
ボクの接する態度はほとんど変わりません。記者生活が長く、各界の一流人士
と呼ばれる人にもずいぶん会いました。その中には立派な人もいれば、
俗人もいました。いや、ほとんどが世間ずれした俗人といっていいかもしれません。

そんな経験を積み重ねるうちに、人を見る目が自然と養われてきたような気がします。
「人は見かけじゃない、中身だよ」とよく言われますが、
ボクは「人は見かけがすべて」と思っていて、そのことに自信を持っています。
残酷なようですが、その人の人となりはすべて顔つきに出てしまうのです。

だからボクは「お見かけどおりの人間です」と開き直るしかない。
事実、それ以上でも以下でもないからです。

背伸びせず、身の丈に合った人生を送る。
ボクには自分の可能性と限界がよく見えています。
「各員一層奮励努力せよ!」とハッパをかけられても、
(そんなに頑張ってどうするわけ? 頑張った先に何があるの?)
と、ちょっぴりニヒった自分がそこにいます。

もう2年もするとめでたや古稀です。
信じられません。ボクが70歳のジイサンだなんて。
男が歳を取り損なうと、世に言う「暴走老人」とか「正論おじさん」
に成り果てるといいます。彼らは人生から何一つ学ばず、
自分の考えを唯一正しいと思い込み、他者に押しつけようとします。
はた迷惑もいいとこです。

娘たちや孫に愛され、友人や隣人たちにも愛されるジイサンになれるよう、
奮励努力する覚悟であります。どうか皆さま、お見捨てなきように願います。






腕白小僧の孫のS太と心優しい?ジージ。


















2020年5月15日金曜日

バカと偽善者だらけの国?

半年ぶりに病院へ。
血圧の薬が残り少なくなったからもらいに行ったのだ。
病院は歩いて3分のところにある。

最長90日分の薬をもらっていても、服用するのは2日か3日に1度。
ヘタすると1週間くらい薬なしで過ごすことも。
「ダメだよ、毎日飲まなきゃ」
担当医のY先生にいつも叱られる。
診察時に血圧を測ったら、上が186あった。

このご時世だ、病院もコロナを警戒し、臨時の検温用テントを構内駐車場に設けた。
そこでまず検温し、異常がなければ裏口から院内に入る。
待合室で待っていたら、70代半ばのおっさんだろうか、
ビニールで遮蔽された受付の女性が、
「どちら(の診療科)を受けられますか?」
と訊いたら、
「Y先生……」
と面倒くさそうにボソリと呟いた。

「えっ?」
と受付嬢が訊き返すと、
「Y先生といったら内科に決まってんだろ! そんなこともわからんのか!」
と、いかにも不機嫌そうに吐き捨てた。

それを見ていて、(失礼なやっちゃな……)と思ったボクは、
よっぽど注意してやろうかと思ったが、病院内で取っ組み合いを
始めるのも大人気ないので、グッと我慢した(ケンカには前科がありまして)。
(だからおっさんはきらいなんだ……)
自分の気に入らないと、所かまわず怒り出す。
この手の陰気で気短なおっさんが世の中にはウジャウジャいる。

ボクは物おじせず誰にでも話しかけられる性格だが、
こういう陽性タイプのおっさんはそれほど多くはない。
朝の公園にはいろんなタイプのおっさんがいるが、
挨拶しても知らんぷりしているおっさんがいれば、
「君は歩き方が悪いね。もっと背筋を伸ばしてこうやって歩くんだ」
とばかりに、頼んでもいないのに正しい歩き方の講釈を始めるおっさんもいる。
膝の悪いボクはどうしてもびっこを引くような歩き方になってしまう。

人にモノを教えるのが飯より好き、というおっさんは数多いが、
以前、水泳部出身のボクに向かって、バタフライはこうやって泳ぐんだ、
と手を取って教えてくれた親切なおっさんがいた。

ボクは苦笑しながらも「ハイ、ハイ」といって素直に聞いていたが、
このおっさんのバタフライは溺れているかのような悲惨なものだった。
人を見ると教えたくなってしまう。一種の病気なのだと思う。
ボクはその日、おっさんに恥をかかせまいとバタフライを自ら封印した。

不機嫌そうなおっさんは佃煮にするくらいいるが、
不機嫌そうなおばさんはそれほど多くはない。
話しかければふつうに対応するのがおばさんで、
おっさんにはこの〝ふつうの対応〟ができない。
企業人としてはふつうだったかもしれないが、
いざ現役を隠退して一介の社会人になると、
「自分がいかに社会性に欠けているか」を思い知ることになる。
〝社畜〟の期間が長すぎると往々にしてこうなってしまうのか。

ボクは〝おじさん嫌い〟を公言していて、
おじさんはすべからくおばさんになるべし、と説いている。
役立たずのタマタマなんか切り取ってしまえ、というのではない。
おばさんたちの屈託のない〝親和性〟に学べ、と言っている。

話は変わるが、
おっさん嫌いではあっても、高山正之や百田尚樹といったおっさんは好きである。
百田はネット上で「とんでもない右翼だ」などと書かれているが、
彼は、「右翼でも当然左翼でもない、ただの愛国者だ」と言っている。
ボクもまったく同じ。糞ったれ左翼などではもちろんないが右翼でもない。
日本という国をこよなく愛するただの愛国者だ。

ボクは名コラムニスト山本夏彦の弟子を任じているが、
夏彦亡き後は高山正之の押しかけ弟子を勝手に任じている。
となると朝日、毎日といった反日新聞を蛇蝎のごとく嫌っているところも同じ。
この両人の言葉は、まさに寸鉄人を刺すほど鋭い。
しかしその言説の多くに共感できる。

写真の本は昨日読み終わった。
愛する日本にも、バカや偽善者どもはウジャウジャいる。
「人間というものはいやなものだなあ」
とは師匠山本夏彦の口ぐせだった。
いやだけど愛おしい人間。生きていくのは大変です。

























2020年4月17日金曜日

平凡な暮らしが一番幸せ

朝5時半ごろ起きて、歯を磨き顔を洗う。
いつもの着古したユニクロの上下に着替え、台所へ。
カミさんはまだ寝ている。だから、抜き足差し足忍び足。
ドアの開け閉めはソーッと音無しの構えだ。

台所ではいつものようにお湯を沸かし、
同時に冷凍庫からサンドイッチ用のパンを出す。
パンはサランラップで軽く包み、レンジでチン。
沸いた湯でカフェラッテを作り小型魔法瓶へ。
サンドイッチの中身は2種類のハムにマスタードとマヨネーズだ。
次いで野菜庫からバナナを1本取り出し、ビニール袋へ。
それらをショルダーバッグに入れれば朝食の準備完了だ。

北側の部屋に置いてある折り畳み自転車を玄関に移動。
コートを羽織ってバッグを背負い、いざ〝不要不急〟の朝の散歩へと出動だァ!
時間は朝の6時。6時半から公園でラジオ体操をするので、
今朝は余裕のヨッチャンって感じ。



←いつも元気な宮崎生まれのMさん。
Mさんは朝の体操仲間。
この小柄な体で、毎朝10㌔走るというからすごい。













県営和光樹林公園が朝の活動場所。家から自転車で5分のところにある。
いつもの場所に着くと、すでに仲間たちがおしゃべりしたり、運動したりしている。
年齢層は60代~80代。ボクなんかまだ若手の部類である。

ラジオ体操の第一と第二をしっかりこなすと、身体が徐々にホテってくる。
その後は知り合いのおばちゃんとジョギングコースをゆっくり歩いてエクササイズの
第1ラウンドはおしまい。次いで自転車にまたがり、紙飛行機おじさんや
ワン公たちがいる芝生広場へ移動。いつものベンチに腰かけ朝食を広げる。


←いつものベンチに座って朝食の
サンドイッチとバナナを食べる。














←これは〝ユキちゃん〟ではなく
〝モモちゃん〟。モモちゃんも芝生広場の
人気者だ。












サンドイッチをほお張っていると、いつものワン公たちが集まってくる。
ボクの姿を見ると一目散のワン公もいる。ワン公仲間の間では〝煮干しおじさん〟
として有名なのだ。煮干しではなく、サンドイッチの食べかけをパクリとやった
ワン公もいる。腕白娘の〝ユキちゃん〟だ。飼い主のおばちゃんは恐縮すること
しきりで、後日、ほんのお詫びにと500円のクオカードを手渡された。
わーい、かえって儲かったぞ。ユキちゃん、もっと食べていいよ(笑)。

朝食を終えると、芝生の上で軽くスクワット。
以前、いきなり100回やったら、数日間、身体のあちこちが痛くて往生した。
今回はスタイルを変え、深く息を吸い込みながらゆっくりと腰を落とし10秒間静止、
ゆっくり立ち上がる。体操仲間のKさんが教えてくれたものだ。
このゆったりスクワットを10回繰り返す。いつもの腹筋背筋も50回ずつ、
また広場の端にある小橋の欄干に足をかけ軽いストレッチも欠かさない。
ああ、それでも我がお腹は慢性的な〝臨月状態〟。
新型コロナによるプールの閉館はほんとうに痛い。

朝の運動はこんなもの。膝痛なのでウォーキングやジョギングはほとんどしない。
その代わり筋トレに励んでいるのだが、やはり全身運動となると水泳に勝る
ものはない。中国発の新型コロナが生活のリズムを根底から崩してしまった。
「おい、コウモリっ食いの中国人、どう落し前つけてくれるんだよ、エエーッ?」
腕まくりして凄んでみたくなる。いったいどこへこの怒りをぶつけてよいのやら。

もしも感染して陽性になったら、ボクたち年寄りはイチコロである。
死に際には家族にも会えないという。
終息したあかつきには、世界中で中国を相手取った訴訟騒ぎが起こるような
気がする。現にアメリカではその動きがすでに出ていると聞く。

欧米では握手やハグ、キスといった〝濃密接触〟が挨拶の文化として
定着しているが、このコロナ騒動を機にちょっぴり見直されるのではないか。
日本式のおじぎが再評価され、どの国の人も会うたびにペコリとおじぎを
したりして……それもなんだか味気ないですな。ハグ大好き人間のボクなんか、
欧米の若い女の子と抱き合うチャンスがなくなったりしたら大打撃だ。
ますますコウモリっ食いの中国人を恨みますよ。

というわけで、相変わらずバカなおじさんに変わりはないけれど、
ごくふつうの、何の変哲もない平凡な暮らしと、日々健康でいられることが、
結局のところ一番幸せなのではないか、としみじみ思う今日この頃であります。
どうか皆さんも、ウィルスなんかに負けないで、健やかにお過ごしください。

















2020年3月19日木曜日

〝ピンピンコロナ〟はごめんです

〝ピンピンコロリ〟ならぬ〝ピンピンコロナ〟で逝っちゃうとなると、
さすがの〝ピンコロ〟も理想的な死に方とは言えなくなる。

どこの国も緊急事態宣言とやらで、不要不急の外出が禁じられている。
日本はまだよいほうで、ボクなんかマスクもせずに不要不急の外出に
いそしんでいる。といっても電車に乗って都心に、とか、レストランで
豪華な食事を、というのではない。団地の周りや近所の公園を、
まるで犬の川端歩きさながらにウロウロしているだけなのだ。

毎週通っていたプールも休館で、運動不足のボクには大打撃。
膝痛のためウォーキングすら満足にできないボクにとって、
水泳だけが命の綱だったのに、まことに残念至極。しかたがないから、
夢遊病のワン公みたいに団地の周辺をプラプラ歩いているのである。

コウモリやハクビシンのスープ、コブラの揚げ物などをふつうに食べている、
という我らが隣人たち。聞けばコウモリは広東料理では高級食材なのだという。
ネットで〝コウモリ スープ〟で検索し、画像や動画を見てみると、
おどろおどろしい料理が目に飛び込んでくる。
こんな気味の悪いものを食べるのかよ……中国や東南アジアの国々では
若い女性でもコウモリの料理にかぶりつくというから、
人間の「食」への欲望にはすさまじいものがある。

四つ足であればテーブル以外はみな食ってしまう、という中国人。
彼らがヘビだろうとネズミだろうと、何を食おうと知ったこっちゃないが、
野生動物から妙なウィルスが媒介されるとなると、「おい、ちょっと待ってくれ!」
と言いたくなる。お前さんたちがピンピンコロナであの世へ行くのは勝手だが、
世界中にこのウィルスをまき散らした挙句に、
「感染させたのはおれたちじゃない、アメリカ軍が怪しいんだ」
などと白を切られた日にゃ、感染させられたおれたちは、
いったいどこに怒りをぶつけりゃいいのだ。

人間、切羽詰まってくると、今まで心の奥深くに押さえつけていた差別感情
みたいなものが一気に噴き出してくる。ヘビやネズミ、昆虫など「ゲテモノ」
をふつうに食しているアジア人は不潔で野蛮、といった欧米人の差別的な感情だ。
食文化なんていうものは、何が野蛮なのか一概には決めつけられない。
欧米人が好む仔羊(ラム肉)料理だって、見方によれば「ずいぶん野蛮じゃないの!」
ということだってできる。ヘビやネズミを使った料理が野蛮とは限らないのだ。

この新型コロナウィルスによる狂騒劇であぶり出されてきたのは、
人間は総じて偽善者ぶるのが好き、といったものだ。ふだんは理性で
〝心の暗い部分〟を押さえつけてはいるが、のっぴきならない事態に直面すると、
その押さえつけていた感情が堰を切ったように流れ出てくる。

ボクたちは「蜂の子」を食べたり、イカやシロウオの踊り食いを楽しむが、
欧米人の目にはひどく残酷で野蛮に映るらしい。そんな日本人が、
中国人のゲテモノ食いを非難できるのか、といった議論だってあろう。
食文化に関しては、つまるところお互い様なのだ。

新型コロナウィルスによって、ウィルスだけでなく「人間不信」も蔓延している。
電車内で咳をしただけで非常ボタンを押されてしまうのだから、マスクに
「私は花粉症です」とか「喘息持ちなんです」と印字するハンコがバカ売れ
するのも頷ける。さて、花粉症でも喘息持ちでもないボクは、咳が出そうに
なったら、自分の〝無実〟をどうやって訴えたらいいのだろう。
ゲホッ、ゴホッ、コホッ……。



←ボクは「すっぴんです」
にします。







2020年3月14日土曜日

イタリアがんばれ!

30年ほど前、イタリア北西部の4州(ロンバルディア、ピエモンテ、リグーリア、
ヴァッレ・ダオスタ)を取材で経巡ったことがある。期間は約3週間。レンタカー
を借り、通訳とカメラマンを引き連れ、右側通行の馴れない道をおっかなびっくり
走ったのである。

取材は『ミシュランガイド』に載っている星付きレストラン(1つ☆~3つ☆)を
めぐり、取材撮影したものを記事にして、豪華グルメ本の全集を出しましょう、
というバブル景気の金余りをそのまま本にしたような企画だった。
味覚音痴のボクなんかにつとまるのかしら、と不安でいっぱいだったが、
もっともらしく書くのがボクの得意技なので、なんとか重い職責を果たすことができた。



←3つ星の『マルケージ』を記事にしたもの。










その北イタリアが、いま大変なことになっている。
現在、新型コロナウィルスの感染者が1万5000人を超え、
死者は1016人(3月13日現在)となった。北部3州だけで死者の90%を占める、
というのだから尋常ではない。

この急速な感染拡大を受けて、イタリア政府は8日、ミラノ、ヴェネツィアなどを
含む北イタリアを封鎖するという首相令を発令、1600万人に移動制限がかけられた。
命令に従わないと罰金はもちろんのこと、3カ月~4年の禁固刑が科せられるという
厳しいものだ。しかし、その翌日の9日、今度はイタリア全土の移動制限にまで
発展。この急展開は、医療崩壊を防ぐため、としている。

イタリアは日本と比べて病院の数が少なく、
住民1000人当たりのベッド数が0.7。
日本が13.1、ドイツ8.0、アメリカ2.8、イギリス2.5と比べても異常に少ない。
重篤な感染者がいっぱい出てきたら、すぐにお手上げになってしまうのだ。

イタリアと我が家はなにかと関わりが深い。
長女の留学先は北イタリアはトリノ近郊の小さな町だったし、
ベテラン料理記者の女房は、イタリア料理の取材を最も得意としている。
おまけに少しくらいならイタリア語を解する。
ボクはというと、上記のように取材で訪れているだけでなくプライベートでも
旅行している。また、数年前には長女が世話になったホストファミリーの
長男A君が、友人2人を伴ってわが家を訪ねてきてくれたことも。


←ボクの左隣りがホストブラザーの
A君。みんなよく飲み、よく食った。
酒は日本酒を気に入ってくれた。







先日、長女がホストファミリーのM家に連絡を取ったところ、
まだ今のところ元気にしているが、先が見えないので不安だ、
と嘆いていたらしい。イタリア人はハグしたりキスしたりと
〝濃厚接触〟そのものが文化なので、「2メートル以内に近寄らないで」
といっても、実践するのは難しいだろう。それに規則を平然と破るのが
イタリア人気質。ボクはそんなちゃらんぽらんなイタリア人気質が大好きなのだが、
さてさて感染が終息に向かうのはまだまだ先のようである。
Forza Italia!! イタリア、がんばれ!

ところで、豪華グルメ本全集(全12巻、12万円)のその後だが、
本が発刊される頃にはあいにくバブルがはじけ、一気に不況のただ中に。
全集はまったくといっていいほど売れなかった。
とんだくたびれ儲けだったが、星付きレストランで毎夜豪勢な料理を堪能できたのは
生涯の思い出。一回の取材費で300~500万円くらい使い放題だったのだから、
もうめちゃくちゃである。

ボクはその後、スペインとドイツでも同じような取材で豪遊してきたので、
トータルでは1000万円以上散財したことになる。
日本人が狂喜乱舞して常軌を逸してしまった、あのバブル景気はいったい
何だったんでしょうね。



←陽気なイタリア野郎たちと
大合唱。それにしてもよく飲み、
よく食った。みんなヒゲ面だから
ヒゲ面4人男って感じ。












2020年3月3日火曜日

血は水よりも淡し

血は水よりも濃し』と西諺にあるが、果たしてそうだろうか。
ボクには『遠くの親類より近くの他人』という戒めのほうが断然しっくり来る。

〝男女男男〟の4人兄弟。ボクは次男坊で、年の差はみな2つ違いだ。
両親が存命中は実家(今は長兄が継いでいる)のある川越へよく通ったが、
母が9年前に逝ってからはすっかり無沙汰が続いている。
そして65歳を機にボクが一方的に終活のための〝年賀状スルー〟を宣言したら、
ますます疎遠になってしまった。〝年賀状スルー〟は兄弟だけに限らない、
仕事関係から友人知人まですべての関係者に及んでいる。

実家から足が遠のいたのは、いくつか理由がある。
その一つは長兄との意思疎通がうまくいってない、というもの。
決して兄弟仲が悪いというわけではないが、さほど良いとも言えない。
可もなく不可もなく、といったところで、兄弟なんて所詮こんなもの。
ボクはごくごく〝世間並み〟ではないか、と勝手に思っている。

こどもの頃はいざ知らず、独立して一家を構える年頃になると、
自然と兄弟との行き来が疎遠になる。せいぜい正月や法事の席などで
顔を合わせるくらいが関の山で、『去る者は日日に疎し』ではないが、
どんなに仲のいい兄弟でも、物理的に遠ざかってしまえば日ごとに交情は
薄れてしまう。これはもうしかたのないことだろう。

兄弟が頼りにならないというわけではない。
しかし、いざとなったら〝近くの他人〟すなわち近所の仲間たち
のほうがよほど頼りになるのではないか。幸いボクには気のおけぬ仲間が
いっぱいいる。1600世帯(約5000人)というマンモス団地の住人だけに、
友だちに不自由することはないのである。

その証拠に、わずか100㍍先にあるスーパーへ買い物に行くだけで、
10㍍歩くごとに知り合いと立ち話を交わしている。顔見知りが多いから、
「どう? 元気にしてる?」に始まって、つい世間話に花が咲いてしまうのだ。
そのため肝心のスーパーになかなかたどり着けない。細胞がすっかり
〝オバサン化〟しているため、延々と中身のない話に打ち興ずることなど
〝お茶の子さいさい〟なのだ。

ボクの父はどちらかというと非社交的な人間だった。が、母は真逆で、
姐御肌のきっぷのいい肝っ玉母さんだった。その血を半分引いているためか、
ボクも開けっぴろげで気さくな性格ですね、とよく言われる。
フランクでopen-mindedなところがボクのたった一つの長所で、
それは外国人であっても例外ではない。言葉など通じ合えなくとも、
まったく気にしない。おかげで、団地に住むイギリス人やフィリピン人、
アメリカ人のおばちゃんとも仲がいいし、近くに住むオーストラリア人とも
すこぶる仲がいい。

2つ上の姉はボク以上に開けっぴろげな性格で、
誰に対しても馴れ馴れしい。電車の中でも、
隣りに座った知らない人に、
「あのさァ、近頃めったなことじゃ咳なんかできないわよね」
みたいな〝ため口〟で話しかけるのだから、尋常ではない。
「な、何なの、この厚かましいオバハンは?」
誰もが戸惑いを隠せないらしい。

ボクはそこまで重症ではないが、馴れ馴れしいところは似ている。
初めて会った人でも、十年の知己のごとくしゃべれる、
というのがボクのよいところなのだ(←自画自賛するな!)

「顔立ち」は生まれつきのものだが、「顔つき」は自身がつくるもの
と古人は言った。性格だって年を重ねれば変わってゆき、
親から受け継いだものにさらに磨きをかけることだってできる。
その意味では、ボクはだんだん完成度の高い性格になりつつあり、
このままいけば〝ホトケ様〟のような人格になりそうな雲行きなのである。
つまりはボクが理想とする「即身成仏」ってことだ。

実際、朝起きて、気がついたら?〝ホトケ〟になっていたりして。
南無……。



















2020年2月24日月曜日

天気晴朗ナレドモ波高シ

〝長〟がつくのは40年前の雑誌編集長以来のこと。
どんな職種にしろ自分は〝長〟の器ではない、と思い極めていたのだが、
何ということだ、最も自分にそぐわない〝長〟に祭り上げられてしまった。

ボクが住む大型団地(全11棟、1612世帯、住民数5000人)のトップ、
管理組合の理事長に選任されてしまったのだ。昔からクジ運が悪く、
いつだって貧乏クジを引かされてきたのだが、今回の貧乏クジは
ちとケタが違う。

ただでさえ口うるさいおじさんおばさんがいる、ということで
近所でも評判の団地だ。高学歴で一部上場会社の社員や元社員が
うじゃうじゃいる団地。となると、いま噂の「正論おじさん」や
「自己承認欲求」の強いおっさんたちの巣窟、ということでもある。

現にボクの住む棟には東大卒が佃煮にするほどいて、医者や弁護士も
数知れない。棟総会などが開かれると、これらひと癖あるおじさんたちが、
「僭越ながら……」と朗々と弁じ立てるのである。中身はほとんど
重箱の隅をつついたようなどうでもいいことばかりなのだが、
それでも本人は得意満面の顔をして一席ぶつのだ。

こんなおっちゃんたちを相手に、団地をまとめていくというのだから、
考えただけでも気が遠くなる。小心者のボクなんかに務まるのだろうか、
と眠れぬ夜が続きそうな雰囲気なのである。

口の悪い団地仲間たちは、
「いよっ、待ってました。真打ち登場!」
などと囃し立てるが、こっちとら生きた心地はしないのである。

選任された日、「続けて理事会がありますから、少し見学したら?」
と管理センターの人に言われたので、ちょっくらのぞいてみた。
「………………?」
こりゃダメだ。何を話しているのかチンプンカンプンである。
もともと脱俗的な性格だから、世俗的なこと一切がチンプンカンプンなのだ。

おまけにケンカっ早い性格だから、売られたケンカはすぐ買おうとする。
それに意外だろうが、ケンカにそこそこ強いのである。
殴り合いでも口ゲンカでも、どっちもござれ。
まことにタチが悪い。

「まさに適任よ!」
と励ましてくれるおばちゃんもいるが、なかなかその気にはなれない。

ま、逃げるわけにもいかないので、できるだけ頑張ろうとは思っている。
が、「天気晴朗ナレドモ波高シ」の予感は十分している。





2020年2月15日土曜日

雪隠詰めは好きですか?

今しがた、女子柔道78㌔級の金メダリスト、濱田尚里選手とすれ違った。
近所をプラプラと散歩していたところ、買い物帰りなのか自転車に乗った
濱田選手が地味~な服を着て近づいてきたのだ。
周りの人間は誰も気づきやしない。
「あれっ? もしかして濱田選手では……」
いつものように図々しく声をかけようと思ったが、
プライベートな時間を邪魔してはわるいので、今回は遠慮した。


←女子柔道78㌔級の濱田尚里選手。








濱田選手はわが家からほど近い自衛隊体育学校の宿舎にいる自衛官。
1年ほど前、体育学校見学の機会があって、運よく会って握手することができた。
その時撮った写真がこれで、ウサちゃんのお耳は、ボクがいたずらして
細工したもの。濱田選手がいつもこんなカッコウをしているわけではない(笑)。

うちの近所には朝霞自衛隊基地があり、その隣に県営の「和光樹林公園」があり、
そのまた隣に新型コロナウィルスですっかり有名になってしまった
国立保健医療科学院と税務大学校の宿舎がある。

もともとこの一帯は「キャンプ・ドレイク」という旧米軍基地の跡地で、
旧川越街道沿いの朝霞栄町地区は、米軍相手の飲食店などが軒を連ねる
「日本の上海」と呼ばれた歓楽街だった。その米軍跡地が自衛隊基地や
公園、国立の各種施設に変わっているのである。

和光市は来る東京オリンピック、パラリンピックの会場の一つだ。
どんな競技かというと、あまりなじみのない射撃競技。
いま市内の至るところで道路の拡張工事などが行われているが、
外国からのお客さんを迎えるのに、恥ずかしくないようにとのお達しからだ。

そういえば、毎朝散歩する「樹林公園」のトイレもいま、リメイク中である。
なんとなれば和式便所を洋式便所に換えるためだという。これも海外からの
お客さんを意識しての工事だ。

ボクは膝が悪いので、和式便所は苦手である。
洋式だと踏んばれないから便所は和式に限る、とする〝和式便所愛好家〟も
いるが、ボクの場合はしゃがみこんだら立ち上がれなくなり、それこそ
〝雪隠詰め〟になってしまう。ただでさえ女房から、
「お父さんは一日の半分はトイレで過ごしているよね」
とバカにされている身の上、これ以上の雪隠詰めは困るのである。

さて子供の頃はいわゆる〝ボットン便所〟で、和式の汲み取り式が一般的だった。
トイレットペーパーなんて気の利いたものはなく、他家は知らずわが家は新聞紙の
切ったものを使っていた。

このトイレ用の大きさに新聞紙を切るのが当時のボクの役目で、
いまから思えば、あんなゴワゴワした硬い紙で、よくケツが拭けたなァ、
と感心してしまう。笑っちゃうのは、印刷したばかりのシンブンガミを使うと、
おケツが真っ黒けになってしまうことだ。
それこそ〝ウンのつき〟というやつだろう。

金メダリスト濱田選手の話がウン悪く〝ボットン便所〟の話になってしまったが、
却って〝幸ウン〟が巡ってくるかもしれないので、濱田選手には頑張ってほしい。
ボクもせいぜい雪隠にてウンウン励むことにする。




←文字どおりの雪隠詰め





2020年2月11日火曜日

命をつないでいくという不思議

孫が連休を利用して泊まりに来ている。
まだ3歳前で、「いやいや症候群」の真っ盛りだ。
「おんもへ行く?」
「や~だ!」
「おうどん食べる?」
「いらない!」
「わがまま言ってばかりじゃダメでしょ!」
「ジージは、あっち行って!」

娘とバーバはやさしくて、ガミガミ怒ったりしないから、
それに味をしめ、何かと口うるさいジージを遠ざけようとする。
ボクはいつも思うのだ。女はえらい。母性は偉大だ、と。
なんという懐の深さ。キャパの大きなこと。
男はこうはいかない。しつけと称して何かと意見を言う。
いうことを聞かないと、つい癇癪玉を破裂させてしまう。

娘を育てたころはどうだったのだろう。
いつもこんなに怒っていたのだろうか。
もう30年以上前のことで、まったく記憶にない。

3歳までは自他の区別がつかず、
相手の気持ちを察するとか気遣うってことができない。
思いついたままを頑固に主張し、それを否定されるとギャンギャンとわめき散らす。
こっちがテレビニュースやスポーツ番組を見たいと思っても、
「(機関車)トーマスがいい~!」
とチャンネル権を声高に主張する。チビ助のくせにうるさいやつなのだ。

聞き分けがよくなるのは何歳からだろうか。
そうなったら、理性派?のジージの出番だ。
世の中の正邪美醜、理非曲直をしっかり教え込んでやる。
男らしい生き方、美しい生き方とは何か、身体に植えつけてやる。

娘夫婦にしてみれば大きなお世話にちがいないが、
それなくしてはジージの出番など永久に訪れっこない。
まあ、別に出番などなくてもよいのだけれど、
少なくともジージの血が数%でも流れている以上、
男の何たるかを教えるのはジージの役割ではないか、
と秘かに任じているわけなのだ。

そうやって気負えば気負うほど、孫は警戒し、
猫なで声で近づくと、例によって「あっちへ行って!」
と冷たく突き放される。敵もさるもの。まんざらバカではなさそうなのだ。
ああ、ジージの運命やいかに。

こんな糞の突っかい棒にもならぬおバカなことを書きつらねているうちに、
大田区の娘宅へ送り届ける時間が来たようだ。
和光市のわが家から車に乗って、環八を南に下るだけ。
混んでいなければ1時間ちょっとで着くが、
渋滞に巻き込まれると往復で優に3時間はかかる。
娘が来るのはたいがい週末か祝日だから、環八はいつだって大渋滞だ。
近頃、頻尿気味のこっちとら、生きた心地もしなくなる。

孫のお守りは大変だ。
が、せっかく娘がジジババに会わせようと孫を連れてきてくれている。
夫婦共稼ぎで、保育園に通わせながらの忙しい毎日。
その大変さを思うと、こっちだって娘の負担を少しでも軽くしてやりたいとは思う。
なんてったって、ボクの宝物はこの娘(次女)と姉の二人なのだ。
その宝物の愛息であれば、どうあっても可愛がってやらねばなるまい。
たとえ「ジージはあっち行って!」と嫌われてもだ。

日々是好日。
こうやって人間は年を取り、あの世への一里塚を刻んでいく。
がんばれ、ジージ!
負けるな、ジージ!







←腕白坊主のS太君と
温厚そのもの?のジージ



2020年1月29日水曜日

腎虚な日々

近所に「うけら庵」というちっぽけな史跡がある。
江戸の末期、文人墨客が集まっては歌詠みの会を催したところで、
狂歌師として名高い大田南畝(蜀山人)も足しげく通ったという。

蜀山人作の狂歌としてボク好みなのは次のようなものだ。

   世の中は 色と酒とが敵(かたき)なり どうか敵にめぐりあいたし

また、こんなのもある。山梨県側から見る富士山と
静岡県側から見る富士山のどっちが好き? というものだ。
ボクの女房は静岡県生まれだから、もちろん静岡県側から見た富士の肩を持つが、
蜀山人はこんなふうに詠んでいる。

   娘子(むすめご)の 裾をめくれば富士の山
          甲斐(かい)で見るより 駿河(するが)いちばん
 
かなりきわどい表現で、顔をしかめるムキもあるとは思うが、
道徳の標語ならぬ狂歌ですからね、堅いことは言わずに歌を味わってくださいな。
「〝嗅ぐ〟のか〝する〟のか」だが、まあ、こればっかりは好きずきで、
勝手にしてくれという話だろう(笑)。

さて富士山ついでに、こんどはリンゴの話。
「紅玉」というリンゴは今でも売られていて、かつては「国光」
と並ぶリンゴの両横綱だった。この紅玉、新しい品種として生まれた時、
艶々とした赤いリンゴなので、紅(くれない)が満ちみちている、という
意をこめ「満紅」と名づけられた。

ところが八百屋の店先でいざ売る段となり、店のおやじはハタと困った。
「奥さん、マンコウいかがですかァ。真っ赤に熟れたマンコウはいかがですかァ」
「あら、ほんにおいしそうな〝おマンコ〟だこと……」

なんて言えないよね。奥さん連中から平手打ちを食わされそうだ。
で、「満紅」はめでたや「紅玉」という名に変わったという。

腎虚(じんきょ)」という言葉があるのをご存じか。
精力減退を指す言葉で、腎臓の機能不全の意だ。
江戸の昔、精液は腎臓で作られると信じられていたらしい。
だから精液のことを「腎水」ともいった。
その腎水が空になるから腎虚。

逆に精力絶倫を「腎張(じんばり)」といった。
俳人の小林一茶は名うての腎張で、52歳の時に28歳の女房を娶(めと)った。
初婚である。人生50年の時代に52歳まで独身だった、というのも珍しいが、
その遅れを取り戻そうとしたのか、性交の頻度がすさまじかった。

ご苦労なことに、一茶は女房と何回まぐわったかをきちんと日記に記している。
これは54歳の時の日記から一部を抜き出したものだが、
8月18日 夜3回
8月19日 昼夜3回
8月20日 昼夜3回
と、狂ったように励んでいる。

    やせ蛙 負けるな一茶 これにあり

有名な句だが、不謹慎ながら若妻相手に奮闘する一茶の姿がついダブってしまう(笑)。
しかしこの句は、晩婚の末に生まれた長男が虚弱体質だったことから、
その息子を励ますために歌った句とされている。父子ともども、がんばれ!



←「小学館」の雑誌『サライ』に投稿した
記事。〝うけら庵〟と蜀山人の関わりから
コーヒーの今昔を綴った

2020年1月18日土曜日

「見かけより中身」はウソ。人は見た目がすべて

文芸評論家の小林秀雄は〝真贋〟にうるさかった。
ある時、友人の前で良寛の作という詩軸を自慢げに披露したのだが、
贋作だよと言下に否定されてしまう。小林はすぐさまそばにあった
名刀の一文字助光を抜き放ち、この掛け軸を十文字に切り裂いてしまう。
友人は歌人・書家として知られる吉野秀雄。吉野は良寛の研究家でもあった。

書画骨董は煩悩の世界と言っていい。もちろんニセ物が多数横行していて、
素人はつい引っかかってしまう。おのれの審美眼に絶大な信頼を置いていた
小林だが、みごとに贋作をつかまされ、自身の未熟さと業の深さに絶望する。

その小林の弟子筋でもある作家の白洲正子は、
人は、見た目がすべてよ
と明言している。白洲は美術評論家・青山二郎の愛弟子で、
書画骨董の目利きでもある。その目利きが、
人間は見た目がすべて、それ以上でも以下でもないと断言している。

人はよく、
「見損なってもらっちゃァ困るぜ!」
などと見栄を張りたがるが、白洲の前でこんなセリフを吐いて強がっても
一蹴されるだけだろう。

ボクも小林秀雄の弟子を自任し、若い時分は全集にどっぷり浸かり、
寝ても覚めても〝ヒデオ・命〟で過ごしてきたクチだから、
真贋に関してはちとうるさい。
目つき・顔つきのよろしくない人物は、たとえ有能で社会的な地位の高い人で
あっても評価は辛口、という主義なのである。
職業に貴賤はない。が、人間には貴賤がある」という考え方だからだ。

第16代のアメリカ大統領・リンカーンにはこんなセリフがある。
〝Every man over forty is responsible for his face〟
40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て、という有名なセリフだ。
リンカーン曰く、人間の顔にはその人の知性や品性、考え方といったものが
余すところなく表れてしまう。人の内面に育まれてきたもののすべてが、
ウソ偽りなく顔の表面に滲み出てきてしまいますよ、
というのだから恐ろしい。

日本でも古来より、
顔立ちは生まれつきだが、顔つきは自身が作りあげるもの』
というような言い方がなされてきた。
立派な顔になりたかったら立派な人間になれ、ということだ。
けだし名言・至言というべきだろう。



元台湾総督府民政長官・外務大臣
などを務めた後藤新平。(いい顔してるなァ)
といつも思う人がこの男。政治家で自民党
副総裁だった椎名悦三郎は後藤の甥っ子に当たる。





自戒を込めて言うのだが、
「こいつはニセ物野郎のコンコンチキだ!」
と軽んじられ侮られないような顔になりたい。
もう手遅れだよ、という声も聞こえてきそうだが、
もう少しだけ頑張ってみるつもりだ。





←白洲次郎&正子夫妻。
旧白洲邸(武相荘)にて。
この武相荘は一度訪ねたことがあるが、
簡素で渋~い田舎家だった










2020年1月2日木曜日

Foorinより島津亜矢のほうが断然いい

晦日も正月もいっこうに面白くない。
テレビを観ればバラエティばかりで、面白くもなんともないのに
出演者自らが〝ゲラゲラ〟とバカ笑い。視聴者そっちのけの
「自己完結型バカ番組」というわけだ。大晦日の紅白歌合戦も、
もう20年以上観ていない。芸の未熟な若手歌手の歌や踊りに
つき合わされた日にゃ、明ける年も明けなくなってしまう。
学芸会に毛が生えたようなあんな幼児番組、それこそ日本の〝恥っさらし〟。
即刻やめてくれ、とNHKに申し入れをしたいくらいだ。

初詣は近くの神社に行く予定だが、今年から門松やしめ縄等の焼却、
すなわち「お焚き上げ」が禁止されるという。そもそもお焚き上げは
野焼きに分類され、法律・条令で禁止されているのだという。
特にダイオキシン類など有害物質が発生するため、近隣への健康被害
が心配され、禁止している自治体は多いという。

じゃあ古い御札やお守りはどうすりゃいいの?
ふつうの一般ゴミと同じように生ゴミとして出してしまうわけ?
あれをやっちゃあいけない、これをやっちゃあいけないと、
ご時世とはいえ、ずいぶん面倒な世の中になったものだ。
昔は民家の庭や通りの至るところで落ち葉焚きをやっていて、
ついでにサツマイモが焼かれ、子供たちが焼きあがるのを心待ちにしていた。
わが家の庭でもよく焚き火にイモをくべたものだが、
今それをやったら隣り近所から苦情が出て、警察に連絡されてしまう。

♪垣根の垣根の 曲がり角
 たき火だ たき火だ 落ち葉焚き
 「あたろうか」
 「あたろうよ」
 北風 ぴいぷう 吹いている

 さざんか さざんか 咲いた道
 たき火だ たき火だ 落ち葉焚き
 「あたろうか」
 「あたろうよ」
 しもやけ お手々が もう痒い

ダイオキシンの健康被害といわれれば、なるほどと従わざるを得ないが、
冬の風物詩でもあった「落ち葉焚き」が消えてしまうのはいかにも淋しい。

ダメといえば大晦日の「除夜の鐘」がうるさいと、近隣からの苦情を受け、
深夜の鐘撞きをやめてしまう寺もあると聞く。代わりに昼間鐘を撞くらしい。
年明けを挟んで108の煩悩を梵鐘を撞くことでお祓いをする。除夜の鐘の意義は
そういうことなのだが、そのことを知ってか知らずか、ただ「うるさいから」
と苦情を言うクレーマーたち。風鈴や鈴虫の音がうるさいという人も出てきて
いるから、今や風流もヘチマもないのだ。日本人の繊細な感性が欧米人並みに
粗雑になってきたのだろう。

『紅白歌合戦』なんてもうやめちまえ、とボクは書いた。
1年の締めくくりの大晦日の夜に黄色い歓声など聞きたくない、というのもある。
赤組のAKB48ならまだ許せるが、日向坂46だとかFoorin、白組のKing Gnuだとか
GENERATIONSとなると、もうサッパリ。見たことも聞いたこともない名前で、
おじさんとしては、
(ああ、おれは21世紀に生きてないな……)
としみじみ思い、ひときわ老いを感じてしまう。

どっちかというと『紅白』の裏番組『年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京)
のほうが嬉しい。圧倒的に歌のうまい島津亜矢や福田こうへいが出演しているし、
市川由紀乃や丘みどりといった色っぽい女性陣も出ている。本格派の歌手が
裏番組で、学芸会レベルの歌手が本命の『紅白』というのでは、
順序があべこべではないのか。若い層が演歌を聴かないからというだけで、
演歌歌手を他局に追いやってしまうのはどこかおかしいのではないか。

いずれにしろ、ボクは『紅白』などという低俗番組は金輪際観ない。
青臭い未熟な歌手の歌を聴いていると、自分が限りなくバカになってしまう
ような気がするのだ。ボクの孫は保育園で「パプリカ」を歌い踊っている。
きらいな曲ではないが、所詮大人の鑑賞に堪えられる歌でもない。
そんな幼児に好まれそうな歌が、2019年度の日本レコード大賞に選ばれた。
ボクのテレビ離れ、歌離れにますます拍車がかかるような気がする。






←レコード大賞に輝いたFoorin。
とってもかわいいよ。でも『紅白』
ではなく幼児番組で活躍してね。