2020年2月24日月曜日

天気晴朗ナレドモ波高シ

〝長〟がつくのは40年前の雑誌編集長以来のこと。
どんな職種にしろ自分は〝長〟の器ではない、と思い極めていたのだが、
何ということだ、最も自分にそぐわない〝長〟に祭り上げられてしまった。

ボクが住む大型団地(全11棟、1612世帯、住民数5000人)のトップ、
管理組合の理事長に選任されてしまったのだ。昔からクジ運が悪く、
いつだって貧乏クジを引かされてきたのだが、今回の貧乏クジは
ちとケタが違う。

ただでさえ口うるさいおじさんおばさんがいる、ということで
近所でも評判の団地だ。高学歴で一部上場会社の社員や元社員が
うじゃうじゃいる団地。となると、いま噂の「正論おじさん」や
「自己承認欲求」の強いおっさんたちの巣窟、ということでもある。

現にボクの住む棟には東大卒が佃煮にするほどいて、医者や弁護士も
数知れない。棟総会などが開かれると、これらひと癖あるおじさんたちが、
「僭越ながら……」と朗々と弁じ立てるのである。中身はほとんど
重箱の隅をつついたようなどうでもいいことばかりなのだが、
それでも本人は得意満面の顔をして一席ぶつのだ。

こんなおっちゃんたちを相手に、団地をまとめていくというのだから、
考えただけでも気が遠くなる。小心者のボクなんかに務まるのだろうか、
と眠れぬ夜が続きそうな雰囲気なのである。

口の悪い団地仲間たちは、
「いよっ、待ってました。真打ち登場!」
などと囃し立てるが、こっちとら生きた心地はしないのである。

選任された日、「続けて理事会がありますから、少し見学したら?」
と管理センターの人に言われたので、ちょっくらのぞいてみた。
「………………?」
こりゃダメだ。何を話しているのかチンプンカンプンである。
もともと脱俗的な性格だから、世俗的なこと一切がチンプンカンプンなのだ。

おまけにケンカっ早い性格だから、売られたケンカはすぐ買おうとする。
それに意外だろうが、ケンカにそこそこ強いのである。
殴り合いでも口ゲンカでも、どっちもござれ。
まことにタチが悪い。

「まさに適任よ!」
と励ましてくれるおばちゃんもいるが、なかなかその気にはなれない。

ま、逃げるわけにもいかないので、できるだけ頑張ろうとは思っている。
が、「天気晴朗ナレドモ波高シ」の予感は十分している。





2020年2月15日土曜日

雪隠詰めは好きですか?

今しがた、女子柔道78㌔級の金メダリスト、濱田尚里選手とすれ違った。
近所をプラプラと散歩していたところ、買い物帰りなのか自転車に乗った
濱田選手が地味~な服を着て近づいてきたのだ。
周りの人間は誰も気づきやしない。
「あれっ? もしかして濱田選手では……」
いつものように図々しく声をかけようと思ったが、
プライベートな時間を邪魔してはわるいので、今回は遠慮した。


←女子柔道78㌔級の濱田尚里選手。








濱田選手はわが家からほど近い自衛隊体育学校の宿舎にいる自衛官。
1年ほど前、体育学校見学の機会があって、運よく会って握手することができた。
その時撮った写真がこれで、ウサちゃんのお耳は、ボクがいたずらして
細工したもの。濱田選手がいつもこんなカッコウをしているわけではない(笑)。

うちの近所には朝霞自衛隊基地があり、その隣に県営の「和光樹林公園」があり、
そのまた隣に新型コロナウィルスですっかり有名になってしまった
国立保健医療科学院と税務大学校の宿舎がある。

もともとこの一帯は「キャンプ・ドレイク」という旧米軍基地の跡地で、
旧川越街道沿いの朝霞栄町地区は、米軍相手の飲食店などが軒を連ねる
「日本の上海」と呼ばれた歓楽街だった。その米軍跡地が自衛隊基地や
公園、国立の各種施設に変わっているのである。

和光市は来る東京オリンピック、パラリンピックの会場の一つだ。
どんな競技かというと、あまりなじみのない射撃競技。
いま市内の至るところで道路の拡張工事などが行われているが、
外国からのお客さんを迎えるのに、恥ずかしくないようにとのお達しからだ。

そういえば、毎朝散歩する「樹林公園」のトイレもいま、リメイク中である。
なんとなれば和式便所を洋式便所に換えるためだという。これも海外からの
お客さんを意識しての工事だ。

ボクは膝が悪いので、和式便所は苦手である。
洋式だと踏んばれないから便所は和式に限る、とする〝和式便所愛好家〟も
いるが、ボクの場合はしゃがみこんだら立ち上がれなくなり、それこそ
〝雪隠詰め〟になってしまう。ただでさえ女房から、
「お父さんは一日の半分はトイレで過ごしているよね」
とバカにされている身の上、これ以上の雪隠詰めは困るのである。

さて子供の頃はいわゆる〝ボットン便所〟で、和式の汲み取り式が一般的だった。
トイレットペーパーなんて気の利いたものはなく、他家は知らずわが家は新聞紙の
切ったものを使っていた。

このトイレ用の大きさに新聞紙を切るのが当時のボクの役目で、
いまから思えば、あんなゴワゴワした硬い紙で、よくケツが拭けたなァ、
と感心してしまう。笑っちゃうのは、印刷したばかりのシンブンガミを使うと、
おケツが真っ黒けになってしまうことだ。
それこそ〝ウンのつき〟というやつだろう。

金メダリスト濱田選手の話がウン悪く〝ボットン便所〟の話になってしまったが、
却って〝幸ウン〟が巡ってくるかもしれないので、濱田選手には頑張ってほしい。
ボクもせいぜい雪隠にてウンウン励むことにする。




←文字どおりの雪隠詰め





2020年2月11日火曜日

命をつないでいくという不思議

孫が連休を利用して泊まりに来ている。
まだ3歳前で、「いやいや症候群」の真っ盛りだ。
「おんもへ行く?」
「や~だ!」
「おうどん食べる?」
「いらない!」
「わがまま言ってばかりじゃダメでしょ!」
「ジージは、あっち行って!」

娘とバーバはやさしくて、ガミガミ怒ったりしないから、
それに味をしめ、何かと口うるさいジージを遠ざけようとする。
ボクはいつも思うのだ。女はえらい。母性は偉大だ、と。
なんという懐の深さ。キャパの大きなこと。
男はこうはいかない。しつけと称して何かと意見を言う。
いうことを聞かないと、つい癇癪玉を破裂させてしまう。

娘を育てたころはどうだったのだろう。
いつもこんなに怒っていたのだろうか。
もう30年以上前のことで、まったく記憶にない。

3歳までは自他の区別がつかず、
相手の気持ちを察するとか気遣うってことができない。
思いついたままを頑固に主張し、それを否定されるとギャンギャンとわめき散らす。
こっちがテレビニュースやスポーツ番組を見たいと思っても、
「(機関車)トーマスがいい~!」
とチャンネル権を声高に主張する。チビ助のくせにうるさいやつなのだ。

聞き分けがよくなるのは何歳からだろうか。
そうなったら、理性派?のジージの出番だ。
世の中の正邪美醜、理非曲直をしっかり教え込んでやる。
男らしい生き方、美しい生き方とは何か、身体に植えつけてやる。

娘夫婦にしてみれば大きなお世話にちがいないが、
それなくしてはジージの出番など永久に訪れっこない。
まあ、別に出番などなくてもよいのだけれど、
少なくともジージの血が数%でも流れている以上、
男の何たるかを教えるのはジージの役割ではないか、
と秘かに任じているわけなのだ。

そうやって気負えば気負うほど、孫は警戒し、
猫なで声で近づくと、例によって「あっちへ行って!」
と冷たく突き放される。敵もさるもの。まんざらバカではなさそうなのだ。
ああ、ジージの運命やいかに。

こんな糞の突っかい棒にもならぬおバカなことを書きつらねているうちに、
大田区の娘宅へ送り届ける時間が来たようだ。
和光市のわが家から車に乗って、環八を南に下るだけ。
混んでいなければ1時間ちょっとで着くが、
渋滞に巻き込まれると往復で優に3時間はかかる。
娘が来るのはたいがい週末か祝日だから、環八はいつだって大渋滞だ。
近頃、頻尿気味のこっちとら、生きた心地もしなくなる。

孫のお守りは大変だ。
が、せっかく娘がジジババに会わせようと孫を連れてきてくれている。
夫婦共稼ぎで、保育園に通わせながらの忙しい毎日。
その大変さを思うと、こっちだって娘の負担を少しでも軽くしてやりたいとは思う。
なんてったって、ボクの宝物はこの娘(次女)と姉の二人なのだ。
その宝物の愛息であれば、どうあっても可愛がってやらねばなるまい。
たとえ「ジージはあっち行って!」と嫌われてもだ。

日々是好日。
こうやって人間は年を取り、あの世への一里塚を刻んでいく。
がんばれ、ジージ!
負けるな、ジージ!







←腕白坊主のS太君と
温厚そのもの?のジージ