2024年1月5日金曜日

 年男の一年が始まった

 2024年が始まったと思ったら、元旦に能登の地震が。次いで2日に日航機と海保機の衝突事故。今年は昭和99年というから、「苦・苦」と苦しみの日々が続いたのかもしれない。それにしても、北陸の人たちの苦しみはいかばかりであろう。

 こっちは孫たちと呑気な正月を過ごした。何だか申しわけないような気持である。カミさんは能登に義援金を送ったというが、ボクも何かしようかしら。

 暮れに大腸ポリープを切除。健診で大腸がんの恐れありと出たので、内視鏡の専門医にお尻からカメラを突っこんでもらい、3~4個ほどのポリープをちょん切った。2週間後の精密検査の結果はがんになる一歩手前の診断。「あんたはまだ生きてていいよ」という神様の思し召しであろう。

 1年365日、体内消毒(お酒です)は欠かさない。別に暴飲暴食しているわけではない。節度をもって飲み、そして食べている。それでも病気になる時はなる。今年で満72歳。もう立派なジイサンである。朝の仲間からは親しみを込めて「労爺(Rosie)」と呼ばれている。仲間のおじさん、おばさんは70代後半から80代、90代も数人いるから、72歳なんて、まだひよっこ扱いなのだ。

 ボクは歳のせいか、外出がおっくうになり、旅行もほとんどしない。見聞を広めようとする意欲がまったくないのだ。若い頃は日本中、世界中を飛び回っていたが、今は住んでいる和光市から一歩も外へ出ようとしない。この変わりようはいったい何なのか。

 カミさんと長女は来月、メキシコに行くという。先だってスペインに行ったばかりではないか。その飽くなき探求心というか好奇心には感心する、というか呆れる。次女の一家4人も、同時期にアメリカへ行くという。次女が高校生の時、ホームステイしたホストファミリーを訪ねるのだ。ホストファーザーが去年亡くなってしまったので、残されたホストマザーを慰めに行くらしい。

 諸行無常。人の一生なんて、いつ、どこで、どうなってしまうのか分かったもんじゃない。今を懸命に生きるしかないのだ。というわけで、今夜は仲のいい友達たち4人とささやかな新年会だ。友達とたわいのないおしゃべりに興じ、大いに笑い、飲みかつ食べる。これほどの幸せがあるだろうか。

 新年に当たって、特に感慨はない。いつもと同じ、安穏な日々が過ごせればいい。物書きの端くれだから、新刊を出したら? とよく言われるが、出しても売れないのがボクの本の特徴。テレビにでも出て名前を売れば、部数は少しは伸びるのだろうが、そんな意欲はからっきし無い。一つ胸に暖めている企画はあるのだが、さて書き始めるのはいつのことやら。ほんとうに怠惰を絵に描いたようなジイサンである。

 新年の挨拶はこれにてお開き。

 



2023年1月9日月曜日

同窓会を開いてくれ

 2023年もぶじ明けました。

皆さん、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 さて、本ブログもずいぶんサボってしまいました。最近はフェイスブックにばかり書いていますので、ついこっちが疎かになってしまいました。

 今日、1月9日は成人の日。ボクはおよそ半世紀前に成人式を済ませました。なんだか遠い昔のようです。その日、川越市民会館での式典が終わったら、そのまま近くの料理屋に流れ、簡素な同窓会を催しました。あんまり覚えてはいませんが、同窓会と名のつく集まりには、それ以来、一度も参加していません。

 でも最近、やけに昔が懐かしくなり、同級生たちの顔が見たいな、なんて思うようになりました。これも歳のせいなのか、それとも焼きが回ったのか、小中学生の頃の友がやけに懐かしいのです。

 会っても互いの白髪頭を確認するだけで、別段どうということもないのでしょうが、なかには鬼籍に入ってしまったものもいるでしょうし、認知症を患っている同級生もいるかもしれません。古稀を過ぎれば、そんなことはごく当たり前のことです。

 歳を取ると、身体の至る所の油が切れ、機能不全に陥ります。髪は白くなり、どんどん抜けて、今や亡びゆく草原状態。顔はシミだらけでシワだって数えきれないくらいある。身長も177㎝あったのに、今は哀れ174cm。脚もがに股になり、いかにもお爺さんの歩き方、という感じです。

 じゃあいいことは一つもないのかというと、そういうわけでもない。若い頃は精神が不安定で、神経質なところが多々あったが、今はほとんどなし。歳のせいで図々しくなったのか、人前であがったり緊張することがほとんどなくなった。等身大の在りのままの姿でいいんだ、と悟ったら、ずいぶん気分が楽になったのだ。

 そのせいか、周囲からは社交家と見られている。実際、知らない人にも平気で声をかけるし、それが外国人だろうとお構いなし。だから外国人の友達も多い。言葉が通じようが通じまいが、まったく気にしないのだ。

 こうした心の変化が、若い頃と比べると大違い。昔はいつだって不機嫌そうに仏頂面をしていたが、今はニコニコと愛想がいい。よく笑うし、人を笑わせるのもうまい。何だろうね、この変身ぶりは。

 そんなわけで、残り少ない日々を考えると、昔の同級生と会える同窓会に出てみたいのである。会って久闊を叙したいのである。お酒を酌み交わせば、あんなこと、こんなこと、と話題は尽きないと思う。えーと、今の同窓会の幹事は誰なんだろう。コロナ禍も相変わらずだが、もういいんじゃないかしら。多少、大人数で集まっても。ダメ? やっぱダメでしょうかねえ……。





 

 

2021年10月17日日曜日

天災は忘れたころにやってくる!

 一昨日、隣町のプールで泳いでいたら、突然「ドッカーン!」というすさまじい音。「何だ何だ?」「看板でも落ちたんじゃないのか?」「何かがぶつかったみたいよ!」館内は騒然としている。

この温水プール。ご覧のように「25mプール」や「流れるプール」「幼児用プール」「障害者用プール」、そして「ジャグジー」といったように多機能型のプールで、朝霞市民だけでなく、他市の住民からも親しまれている。


建物の側面は見てお分かりのようにガラス窓で覆われている。このガラス窓に何かがぶつかったのではないのか。ボクたちは水から上がり、恐る恐る、窓の外を覗いてみた。すると一羽の大きな鳥が地面に堕ちて脚をバタつかせている。ハハーン、この鳥か……

チラと見て、ボクは雉(きじ)ではないのか、と思ったが、違った。孔雀(くじゃく)だった。おいおい、朝霞の空には孔雀が飛んでいるのかよ!

館内はこの話で持ちきり。大きなガラス窓にはくちばしの痕なのだろう、小さなヒビが入っていた。

東日本大震災が起きて以来、和光市の住民であるボクたちは、隣町・朝霞市の市民プールをお借りしている。和光市のプールは地震で壊れてしまったのだ。今再建中で、12月の初旬に完成する予定だが、ボクたち水泳を愛する和光市民は、この10年、他市のプールのお世話になったり、会員制のスポーツジムでなまった身体をほぐしたりしてきた。自分たちの町の、自分たちのプールが欲しい――――まさに悲願十年なのだ。

さて、今日は朝から雲行きが怪しく、予報では雨になるという。実は今日、わが団地の防災消防訓練が予定されている。団地は1616世帯の大型団地。その管理組合の理事長であるボクは、防災本部長でもある。つまり、防災消防班のトップなのである。

午前8時には管理センターに集合し、訓練を決行するかどうか決断しなくてはならない。例年なら小雨決行だが、さてどうなることやら。もし決行ということになれば、住民を前に一席ぶたなくてはならない。どうにも気が重いのである。

しかし、災難は突然やってくる。大地震でも来て停電になれば、エレベーターはおろか水道だって使えなくなってしまう。高齢化の波が押し寄せている団地である。上層階の年寄りは階段を使って無事に下りられるのだろうか。他人事ではないのである。

冒頭の哀れなクジャクのようにならないためにも、防災消防訓練は必要だろう。実際、大地震でも発生してみたら、慌てふためき、自分や家族の命を守ることに精一杯で、他人のことまで気が回らないだろうが、隣人同士で助け合わなくては、助かる命も助からなくなる。

イザとなったら、遠くの親戚より近くの他人。隣人しか頼りにならないのだ。そのためにも、日頃からつきあいは欠かさないほうがいい。そして団地内に多くの友人を作っておくことだ。以前、管理センターの受付で「俺を誰だと思ってるんだ!」と叫んでいるおじさんを見かけたことがあるが、(バカじゃないの、このおっさん)と思った。見ているこっちまで恥ずかしくなる。「あのォ、天皇陛下様でいらっしゃいますか?」と、からかってやりたくなった。

この団地には、いわゆる「昔偉かったおじさん」という〝困ったちゃん〟がうじゃうじゃいる。上場企業の偉いさんだったおじさんたちで、隠居した今も、昔の栄光が忘れられないという、可哀そうなおじさんたちである。(こういうおやじにはなりたくないな)ボクはいつもそう思っている。人前で偉そうに上から目線でしゃべる人間が大きらいなのだ。

あっ、そろそろお開きにしよう。防災訓練の支度をしなくては。それにしても、「長」のつく役職は気骨が折れてイヤですね(笑)。任期はあと半年。頑張らねば。



2021年8月23日月曜日

ボクが蛇蝎のごとく嫌う人たち

 ようやくスマホを使えるようになったが、おそらく全機能の10%も使いこなしていないんじゃないかしら。ボクは超のつく機械オンチで、商売道具のパソコンだって、ほとんどワープロとネット検索くらいしか使えない。表計算ソフトとか、他にいろんな機能が付いているらしいのだが、まったくのお手上げで、ついでに言えば、覚えようという気がそもそもない。

 街に出ると、歩きながらスマホをいじっている人、自転車に乗りながらスマホ画面を眺めている人、会話そっちのけで互いにスマホに夢中な恋人同士など、いわゆる〝スマホ中毒患者〟がいっぱいいる。二宮金次郎みたいに、夢中になっているものがスマホではなく書物なら、共感するところが大いにあるのだが、赤ん坊のおしゃぶりみたいに、のべつまくなしスマホ漬けでは、共感どころか軽蔑の念が湧き起こってくる。

「他にやることないのかよ?」

 つい嫌味のひとつも言ってやりたくなる。ボクは「人にやさしく」がモットーの男で、基本的にやさしい人間なのだが、もちろん誰にでもやさしいというわけではない。

 これでけっこう好き嫌いがあって、嫌いとなるととことん嫌いになってしまう。ボクの若者嫌いは筋金入りで、小学生くらいまでの子供は好きなのだが、いわゆる少年から青年になりたての頃の若者は苦手だ。どいつもこいつも、みなバカに見えてしまうのだ。

 で、嫌いなものを幾つか列記してみる。

群れをなして騒ぐ若者たち……実はボクもそうだったのだが、群れをなすとついバカ騒ぎしてしまう。周りの迷惑など考えずに、「これが青春だ―ッ!」みたいに騒いでしまうのだ。

スマホ中毒を患っている若者たち……ボクは若い頃、ブックワームと呼ばれるほどの本の虫で、書物を読んで人生を学んだと自負している。スマホから人生が学べるだろうか。

バラエティと称する番組を制作する人たちと、出演してバカ笑いしている人たち

●わけ知り顔で正論をぶつ〝コメンテーター〟と称するいかがわしい連中

●〝ガースー〟然り、原稿をただ棒読みするだけの無能な政治屋ども

●どこか上から目線で人と対する〝昔偉かったおじさん〟

●朝日、毎日、東京といった左翼反日新聞を愛読する人たち……ボクの目には〝おバカさん〟としか映らない。実際、日教組教育に毒されたおバカさんばかりだから悲しい。

夫自慢に息子自慢、ついには孫自慢に及ぶ〝自慢話大好きおばさん〟……いるよね、こういうの(笑)。決して悪い人間じゃないのだけれど、うっとうしい。

「教育」はあるのだろうけど「教養」のない人……教育のあるなしなんて糞の突っかい棒にもならない。教養とは人間の奥行きと幅。教養のない人は付き合っても面白くない。

 キリがないからこの辺でやめる。上掲の人たちはボクの知り合いには掃いて捨てるほどいるが、友達ではない。要はリベラリストを気取る上から目線の自慢しい、つまらぬ情報で頭を一杯にしている無教養な若者たち、といった種族がきらいなのだ。実るほど頭を垂れる稲穂かな。人間、かくありたいですな。

  

2021年7月5日月曜日

明治の男たちは凛々しかった

 毎日、雨、雨、雨……。鬱陶しいですな、梅雨というのは。

梅雨空も鬱陶しいですが、政治家の顔を見るのも鬱陶しいですな。

特に野党党首たちの顔。メイシャントンみたいな顔した立憲の枝野、まだやってるのかよと呆れるばかりの共産・志位、国民の玉木、れいわ新選組の山本、NHKをどうにかしろと叫んでた立花何某……

申しわけないけど、どいつもこいつもロクな顔をしていない。そのことは与党のガースー以下の面々にも言えることで、「我欲」が背広を着てふんぞり返っている、という感じがする。

人相学に詳しいわけではないが、人間を長くやっていると、人柄は顔に出る、ということが分かってくる。人柄だけでなく教養も顔に出る。

その伝でいくと、日本の政治家には教養のカケラもない。そもそも政治家を志した時点で、教養にオサラバしたのかもしれないが、明治の政治家には教養人が多かったから、ボクの考えは浅薄なものなのかもしれない。

たとえば台湾総督府の民生長官を務めた後藤新平の顔を見てくれ。


こんなふうにきりりと引き締まった顔の持ち主が、日本の政界におりますか?

日露戦争の時、最高の軍師と言われた児玉源太郎。彼の顏だってすばらしいではないですか。キツネ目の近藤勇だって、ちょっと笑っちゃうけど、凛々しいといえば凛々しい。



こうした風格を感じさせる顔が令和の時代には払底していますな。

誤解しないでほしいのは、ボクの顏に風格があって、後藤新平みたいだろ? というのではもちろんない(笑)。あんな素敵な顔になりたいとは思うが、たぶんムリだと思う。

で、自分をまず棚に上げて意見を言ったまでの話で、人品骨柄も憂国の情があると、どうして気になってしかたがない、という話なのだ。

それにしても日本を代表する顔が〝ガースー〟こと菅総理だもんね。いつもオドオドしていて、役人がこさえた原稿を棒読みするだけ。G7でも主要国の連中と刺を通ずるまでには至らず、いつもポツンと離れたところで淋しそうにしていた。

言葉なんかできなくてもいいじゃないか。ボクなんか英語はからっきしだけど、外人に平気で話しかけてしまう。通じようが通じまいが、まったく気にしないのだ。ガースーにもこうした厚顔無恥の図々しさがほしいな。

ところで、ボクの娘たちに、「ねえ、ガースー知ってる?」と訊いたらみごとに知らなかった。「じゃあ、〝業スー〟は?」とやったら、これも「?」。業務スーパーのことである。

ボクは今、「業スー」と「カルディ」の虜で、ヒマさえあれば要らぬものまで買ってきてしまうのだ。明治人の顏の話が業スーまで行ってしまったが、脱線はいつものこと。平にお赦しあれ!












2020年10月15日木曜日

ボクが痩せた理由?

  最近、みんなから「少し痩せたんじゃない?」と言われる。言ってくれるのはおばちゃんたちで、さすがに観察眼が鋭い。今日もお掃除のおばちゃんに「痩せたでしょ?」と訊かれた。実際、痩せたのは確かで、およそ3㎏の減で78㎏。一時は90㎏近くあり、ポッコリお腹は慢性的な臨月状態だった。ところがどういうわけか、夏が終わった途端、お腹もへこみ、顔もスッキリして、生来の男前に戻ったのである。

 

 体重は減ったが、身長も縮んでしまった。177㎝あったのだが、今は174㎝台。3㎝も縮んでしまった。カミさん曰く「おじいさんになって姿勢が悪くなったせいよ」。たしかに姿見で映してみると、ひざがいくぶん曲がっている。紛れもなくおじいさんの膝だ。腹がへこんだのは僥倖だが、丈が短くなってしまったのは悲しい。

 

 毎晩酒を喰らい、飯を腹いっぱい食べ、ひたすら眠りまくるじいさんがなぜ痩せるのか。そこんところが、今ひとつわからない。早朝のラジオ体操のおかげ? それも少しは影響しているかもしれないが、ラジオ体操くらいではたぶん痩せないと思う。それとも筋トレ? 公園ではおじさんやおばさんが、ひたすら歩き、ひたすら走っているが、膝の悪いボクはそれができず、鉄棒にぶら下がったり、腹筋背筋にいそしむ。あるいは、公園内にあるあずま屋の柱を相手に、相撲取りがやるような〝てっぽう〟で汗を流す。


 しかし、「ハー、ハー」と息が荒くなるほど頑張った記憶がない。どう考えても痩せた原因が分からないのである。件の掃除のおばちゃんに「もしかすると心の悩みで痩せたのかも……」と言ったら、「ハハハハ」と大笑いされた。「悩みを抱えてるってタマじゃないよ」だって。ひどい。おれだって人並みに悩むことはあるのに。


 来年になると、たぶんもっと痩せると思う。何度も書いているが、ボクの住むマンモス団地の理事長になるからだ(いまは副理事長)。1619世帯で、およそ5000人の住民。市内では〝ちょっとお高い人たちが住むハイカラ団地〟として有名で、自衛隊の官舎や他の団地住人からは「敷居が高いわね」と見られている。なにしろ、現在、ボクが支えている理事長は全日本公認会計士協会の元会長で、東北大学の教授でもあった。どこを見てもインテリだらけの団地なのである。


 おまけに団塊の世代(1947~1949年生まれ)が中心だから、どこを見てもいわゆる〝左翼老人〟だらけ。ボクは筋金入りの左翼ぎらいだが、若い頃から左翼だったんだよ、と自慢げに語るおっさんが少なくないのだからイヤになる。左翼っぽくふるまうとバカでも賢そうに見える、というのは昔も今も変わらないのだ。それに近頃は左翼といわず「リベラル」という。アメリカでリベラルというと「少しオツムの足らない連中のこと」というニュアンスを持つので、「プログレッシブ」という言葉に代えたらしいが、バカに変わりはない。


 こんな左翼老人がウジャウジャ蠢く団地で理事長をつとめるというのは、よほどのバカでなきゃできない。口ばかり達者な連中を相手にするのだから、こっちも負けずに口が達者でなければつとまらないのだ。もっともボクの場合は口より手が先に動いてしまうので、(また朝霞警察署のお世話にならなければいいのだけれど……)と心配するムキもある。


 それに加えて本の執筆という仕事が加われば、ストレスが溜まり、もうひと回り痩せてしまうのではないか。ボクは今の78㎏という体重が一番動きやすいので、現状維持につとめたいのだが、はたしてどうなるか。明日は恒例の〝プールの日〟。お腹もへこんで水の抵抗も少なくなっただろうから、池江選手みたいな華麗な泳ぎを披露できるだろう。池江は白血病と闘い、瀬戸は世間の非難と闘っている。浮気は男の甲斐性、と昔は言われた。あんまり追い詰めたら瀬戸が可哀想だ。浮気心なんて誰にでもあるもの。世間の皆さんよ、正義漢ぶるのもほどほどにね。



2020年10月6日火曜日

マスクの苦手な人だっている

 少し前に、マスク着用を拒否して、飛行機から降ろされた乗客がいたけど、彼は拒否した理由をハッキリ言わなかった。マスクをすると気分が悪くなる、といったニュアンスのことは言っていたような気がする。遅延もあるから、他の乗客にとっては迷惑な話で、機内から出されるとき、思わず拍手が巻き起こったらしい。

 今はどこへ行くにもマスクが必要で、電車内などでマスクをしていなかったら、非難するような鋭い視線にさらされる。スーパーでも、毎週通っている市民プールでもそう。プールでは入り口で手の消毒と検温、追跡調査用の連絡先まで書かされる。

 最初の頃はマスク不足が大きな社会問題になったものだが、今ではマスクが過剰気味。地味で使い勝手の悪いアベノマスクは抽斗の奥深くにしまい込まれ、街は白、ピンク、黒、柄物と色とりどりのマスクであふれている。

 ボクは機内から出された乗客と同じで、マスクが苦手である。できるなら着用を拒否したい。10数年前の自分なら、そんな行為に及ばないのだが、今なら「No!」と言うかもしれない。なぜって、病気だからである。英語で言うとclaustrophobia。日本語で言うと「閉所恐怖症」である。

 ボクはある日突然この病気に罹ってしまった。結果、飛行機や地下鉄に乗れなくなり、今も飛行機には乗れない。長いトンネルや窓のない部屋もダメで、以前、地下のライブハウスで友人の演奏を聴いていたら突然呼吸が苦しくなり、慌てて部屋を飛び出したことがある。

「気道を塞がれる」というイメージがまずあって、過呼吸の発作が起きると、大げさではなく〝死〟を思ってしまう。そのため首を圧迫するネクタイなどはできることなら締めたくない。かなり重症だった頃、バスに乗っていて自分の左指の結婚指輪をさりげなく見ていたら、急に呼吸が苦しくなり、バスを飛び降り、近くのデパートに駆け込んだ覚えがある。宝石売り場へ急ぎ、「すみませ~ん、この指輪を大至急切断してくださ~い!」ボクは叫ぶように訴えた。

 店員は最初、こちらの慌てようにビックリしていて、事情が呑み込めないようだったが、こっちの必死の形相に飲まれたのか、大急ぎで切断してくれた。指から抜くのではなく切断。大事な結婚指輪だが、ボクは容赦なく切断した。指輪が外れた時、ボクは深く息を吸い込み、「ああ、助かった……」と、ようやく安堵した。店員は目を白黒させていた。

 閉所恐怖症なんです、と言うと、人はクスリと笑い、信じられないといった面持ちで、「そんなごっつい身体をしている嶋中さんが? 信じられな~い」とまじまじとボクを見つめる。身体つきは関係ない。性格も関係なし。相撲取りだって罹るし、殺されたって死にそうにないトランプ大統領だって罹るときはかかる。とにかく窓のない狭い部屋に閉じ込められると、気道が塞がれるという恐怖感に襲われ、パニック障害を起こす。ボクの場合はいわゆる過呼吸症候群というやつで、息が吸い込めなくなって気絶してしまう。

 あとで医者が言うには、「ムリに吸い込もうとするからいけない。吸い込むんじゃなく吐き出すんだ。吐き出せば自然と吸い込めるようになるから……」まさにそのとおり。ムリしてでも息をぜんぶ吐き出す。すると自然と息を吸い込めるようになる。医者の言うとおりだ。

 今でも医者に処方された精神安定剤みたいなものは服用しているが、朝の満員電車に乗らなくてはいけない、といった時以外は服むことはない。あれほど仕事で海外に行っていたのに、この病気に罹ってからは一度も海外渡航はなし。あの狭い飛行機に乗っていると想像しただけで、もう呼吸が荒くなってしまう。どうしても乗らなくてはいけないという緊急事態が起きたら、それこそべろんべろんに酔っぱらって乗り込み、同時に睡眠薬で眠りこけるしか手はない。そういう事態にならないことをひたすら祈る。

 あのマスク着用を拒否した乗客は、もしかしてぼくと同じ病気の「閉所恐怖症」だったのじゃないか。それともただのへそ曲がりか。

 とにかくこの新型コロナの流行が早く収まってくれないと、マスクとの闘いがずっと続くことになる。世の中には、マスクの苦手な人がいて、中にはこうした病気を抱えている人もいるんだよ、という事実も知っておいてほしい。

 コウモリっ食いの中国人のおかげで、世界中が迷惑している。あの豚まんみたいな顔をした習近平さんよ、土下座して世界の人々に謝りなさいな。まさかあれって、中国軍の開発した細菌兵器の一種じゃないだろうね。