年男の一年が始まった。
2024年が始まったと思ったら、元旦に能登の地震が。次いで2日に日航機と海保機の衝突事故。今年は昭和99年というから、「苦・苦」と苦しみの日々が続いたのかもしれない。それにしても、北陸の人たちの苦しみはいかばかりであろう。
こっちは孫たちと呑気な正月を過ごした。何だか申しわけないような気持である。カミさんは能登に義援金を送ったというが、ボクも何かしようかしら。
暮れに大腸ポリープを切除。健診で大腸がんの恐れありと出たので、内視鏡の専門医にお尻からカメラを突っこんでもらい、3~4個ほどのポリープをちょん切った。2週間後の精密検査の結果はがんになる一歩手前の診断。「あんたはまだ生きてていいよ」という神様の思し召しであろう。
1年365日、体内消毒(お酒です)は欠かさない。別に暴飲暴食しているわけではない。節度をもって飲み、そして食べている。それでも病気になる時はなる。今年で満72歳。もう立派なジイサンである。朝の仲間からは親しみを込めて「労爺(Rosie)」と呼ばれている。仲間のおじさん、おばさんは70代後半から80代、90代も数人いるから、72歳なんて、まだひよっこ扱いなのだ。
ボクは歳のせいか、外出がおっくうになり、旅行もほとんどしない。見聞を広めようとする意欲がまったくないのだ。若い頃は日本中、世界中を飛び回っていたが、今は住んでいる和光市から一歩も外へ出ようとしない。この変わりようはいったい何なのか。
カミさんと長女は来月、メキシコに行くという。先だってスペインに行ったばかりではないか。その飽くなき探求心というか好奇心には感心する、というか呆れる。次女の一家4人も、同時期にアメリカへ行くという。次女が高校生の時、ホームステイしたホストファミリーを訪ねるのだ。ホストファーザーが去年亡くなってしまったので、残されたホストマザーを慰めに行くらしい。
諸行無常。人の一生なんて、いつ、どこで、どうなってしまうのか分かったもんじゃない。今を懸命に生きるしかないのだ。というわけで、今夜は仲のいい友達たち4人とささやかな新年会だ。友達とたわいのないおしゃべりに興じ、大いに笑い、飲みかつ食べる。これほどの幸せがあるだろうか。
新年に当たって、特に感慨はない。いつもと同じ、安穏な日々が過ごせればいい。物書きの端くれだから、新刊を出したら? とよく言われるが、出しても売れないのがボクの本の特徴。テレビにでも出て名前を売れば、部数は少しは伸びるのだろうが、そんな意欲はからっきし無い。一つ胸に暖めている企画はあるのだが、さて書き始めるのはいつのことやら。ほんとうに怠惰を絵に描いたようなジイサンである。
新年の挨拶はこれにてお開き。