2019年10月24日木曜日

「桜の戦士たち」が恋しいよ

なんか気が抜けたようにボーッとしている。
「毎度のことでしょ!」と言われると困るのだが、
今回は〝ボーッと〟の中身が違う。ラグビーW杯の準々決勝で日本代表が負けてしまい、
もうあの「桜の戦士たち」が観られないのかと思うと、淋しくて、切なくて、
悲しくて、その言い知れぬ喪失感にただボーゼンとしている、という感じなのだ。
世間では〝ペットロス〟ならぬ〝ラグビーロス〟と言っている。

呑兵衛仲間たちと会えばラグビーの話題だった。
朝の散歩の時に会う仲間たちも、口を開けばラグビーの話だった。
「あのガツンとぶつかってゆく雄々しさがいいな」
「倒れても前に進もうとする姫野君のガッツがいいわね」
「笑わない男・稲垣のあのムスッとした顔には笑っちゃったよ」
姫野、稲垣、田中、リーチなどと、十年の知己みたいに気安く呼んでいるが、
ついこの間まで、名前すら知らなかった連中である。

ボクもご多分にもれず〝にわかファン〟の一人である。
何度観てもルールが分からないという、末席のそのまた末席を汚している
へっぽこファンである。そんな即席ラーメンみたいに出来上がったファンなのだが、
少しも腰は浮ついていない。岩盤みたいにしっかと足をつけたファンなのである。

ボクは「いよいよ〝筋肉の時代〟が来たぞ!」などと周囲に吹聴している。
ただのマッチョではない。ガツンとぶつかり合って、時にエキサイトすることもあるが、
試合が終わればノーサイド。互いに健闘を讃え合い、リスペクトし合う。
サッカーなどではサポーター同士で争ったり、最近の「韓国対北朝鮮戦」みたいに、
「まるで戦争のようだった」と、反則のオンパレードになることだってある。

反則ならラグビーでも起きるが、サッカーには「シミュレーション」と呼ばれる
卑怯な手がある。相手選手に反則を食らったと偽装するパフォーマンスである。
ブラジルのエース・ネイマールがファウルを受けた際の〝過剰演技〟はつとに
有名だが、なに、他の国の選手だって平気でやる。VTRで再生すると、
ぶつかってもいないのに大げさに倒れ込むシーンが映っている。あのオーバーな
リアクションには誰だって鼻白んでしまうだろう。

柔道の試合にもシミュレーションに近い偽装攻撃がある。
〝掛け逃げ〟である。投げる気もないのに投げるふりをして、
相手に消極的指導を与えるように仕組む。ポイントで勝敗を分ける
〝JUDO〟ではしばしばこの偽装攻撃が用いられる。

ラグビーを手放しで絶賛するわけではないが、こうした偽装攻撃は皆無で、
あくまで正々堂々と戦う、というのを表看板にしている。
実際、インチキプレーをやっているヒマなどなく、
スクラムハーフの田中史朗などは大会直前に奥さんに向かって、
「もし俺が死んだら、新しいいい人見つけてな……」
などと言い残して家を後にしている。この言葉が決して大袈裟なものでないことは、
試合を観ればだれでも納得する。みんな満身創痍、命懸けで戦っているのだ。

20日の「対南ア戦」は瞬間最高視聴率が50%を超えたという。
2人に1人は観ていたことになる。近年では珍しいフィーバーぶりである。
結果は3対26とボロ負けだったが、スタジアムの観客たちは桜の戦士たちに
惜しみない拍手を送った。選手たちも泣いたが、観客も泣いた。
日本中が感動の涙に包まれていた。鳴り物入りの応援合戦などなくても
試合は盛り上がる。むしろ鳴り物応援がないほうが自然な一体感が生まれ、
心が一つになる。鳴り物ぎらいのボクには嬉しい光景だった。

ボクは前期高齢者と呼ばれる役立たずのジイサンだが、
姫野や稲垣選手のようなキン肉マンをめざし、日々筋トレに励もうと思う。
みごとムキムキ男になれたあかつきには、思いっきり突進してみたいのだが、
さて誰に向かってタックルを仕掛けていったらいいのだろう。
こんど100㎏超の婿殿が来たら、ぶつかり稽古のお相手をつとめさせよう。
婿殿は元早大アメフト部の猛者。相手に不足はありませぬ。いざ……




←見よ、この雄々しいタックルを!





0 件のコメント:

コメントを投稿