2019年2月27日水曜日

ウソもたいがいにしてくれ!

韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権は相変わらず日本の悪口ばかり言っている。
前の「パクパク・クネクネ政権」は〝告げ口外交〟で名を馳せたが、
ムン政権だって負けてはいない。韓国人は息を吐くみたいに平気でウソをつく
というが、慰安婦問題にしろ徴用工問題にしろ、韓国は勝手に歴史を捻じ曲げ、
日本を悪者に仕立て上げようとしている。実際、事実に反するフェイクばかりで、
よくもまァここまでウソをでっちあげられるものだと、その厚顔無恥ぶりに
怒りも呆れもするが、ウソの歴史によって一方的に悪者にされた日本国や
日本国民はたまったもんじゃない。

ボクなんか近・現代史に関する歴史関連本をうんざりするほど読み漁っているから、
韓国歴代政権のウソなどすぐ見破ってしまう。文大統領は両親が北朝鮮の出身
ということもあってか、南北統一を是が非でも実現し、後世に名をとどめたい、
と思っているにちがいない。
「あの日本統治さえなかったら……」
南北朝鮮は世界に冠たる一等国になっていたはず……と文大統領は
ことあるごとにその思いを周囲にもらしているという。

おバカな個人が勝手に夢を見るのは自由だが、
一国の指導者がそれをあたかも真実のように発言するのは問題だ。
「あの日本統治がなかったら……」
答えは「ずっと古代国家のままだろう」というのと、
「朝鮮人は今ごろはロシア語をしゃべっているだろう」
というのが大方の専門家の見方だ。当時、ロシアがその毒牙を半島へと
のばしつつあったからだ。また日韓併合前の李氏朝鮮に渡り、
朝鮮紀行』を著した英国女性イザベラ・バードは、その本の中で、
「ソウルは世界一汚い都市」とつづっている。中世や封建時代を
経験していない李氏朝鮮は500年もの間、ずっと古代のままであった。

以前も書いたが、植民地というのは搾取の対象で、日韓併合時代を
韓国朝鮮の人たちが「むりやり植民地にされた」というのなら、
苛斂誅求の証拠とやらをぜひ見せてほしい。搾取どころか、あの40年は
すべて日本からの〝持ち出し〟であった。鉄道は5000㌔以上めぐらし、
小学校は併合時のわずか100校から5960校(1943年時)にまで増やした。
おかげで識字率は6%から22%にまで上昇している。欧米諸国の植民地では
絶対にありえないことである。また、お節介にも稲の品種改良まで伝授し、
北の寒い地域でも稲作ができるようになった。だから英語表記ではcolonization
(植民地化)ではなくannexation(併合、ニュアンスとしては増築するといった意)
という単語を使っている。

「創氏改名」で名前を奪った、などと文句を言うものがあるが、
両班や中人など一部の特権階級以外ではそもそも苗字がなかったし、
女性には名前すらなかった。賤人、白丁と呼ばれた下層階級は
ほとんど奴隷同然で、その奴隷たちがめでたく解放されたのは日本統治
のおかげであった。場合によっては「リンカーンの奴隷解放より大規模で、
その意義たるや、もっと広く顕彰されるべきだろう」という専門家もいる。
「名前を奪った」どころか「名前を与えてやった」というのが正しい認識
なのである。朝鮮半島の人たちは真実の歴史を学んでいないから、
日本統治時代を一方的に非難するが、実際は半島近代化の基礎を作った、
というのが真実で、感謝されこそすれ恨まれる筋合いなどみじんもない。

文大統領は最近、韓国で唯一の英雄とされる安重根の遺骨を掘り出そう、
と中国などにも協力を求めている。1909年10月、中国はハルビン駅構内で
伊藤博文を暗殺したテロリストである。テロリストが国家的英雄という国も
珍しいが、遺骨は中国大連市の旧旅順刑務所付近に埋葬されているらしい。

この日韓併合のきっかけを作った暗殺事件、巧妙に仕組まれた謀略という説がある。
物の本によると安重根はピストルで伊藤を撃った。遺体解剖の所見によると、
伊藤の体内からは3発の銃弾が見つかったらしい。しかしそのうちの1発は
拳銃の弾ではなく小銃(ライフル)の弾であった。銃創を見ると、体内への
射入角が上方からのもので、どうやらビルの屋上などから狙撃した可能性もある。

ということは、安重根の単独犯行ではなく協力者がいた?
安重根が知っていたかどうかはわからないが、伊藤博文は「日韓併合」に
どちらかというと反対していた。皮肉なことに安重根は自分たちの味方を
殺してしまったのである。伊藤の暗殺によって日韓併合の勢いは一気に進み、
翌1910年、そのことが現実のものとなった。
それではライフルで狙撃したのはいったいどこの誰なのか?
思うに、日韓併合を強力に主張していた日本の軍部強硬派あたりがひどく怪しい。

結局、安重根は救国の〝義士〟として祭り上げられ、
事件の真相は永遠に葬り去られてしまった。


←テロリスト安重根を英雄視する韓国人



















2019年2月25日月曜日

役人根性大っきらい

独断と偏見で言わせてもらうと、ボクは〝役人〟が好きではない。
役人を公務員と言い換えてもいい。ただし例外があって、警察官と消防隊員と
自衛隊員(特別国家公務員)はその限りではなく、むしろ尊敬している。

「役人」と「官僚」とは違うらしく、後者は国家公務員Ⅰ種の資格を持つ公務員の
ことで、平たくいうと国を指導する立場の公務員のことを指す。以前も少し触れたが、2010年、「APEC首脳会議」が横浜で開催されたとき、各国首脳たちをどんな食事で
もてなすか、ということでボクの女房が「知恵を貸してくれ」と外務省から頼まれた
ことがある。

カミさんは料理記者としてはベテランの部類で、キャリアは40年以上。
和洋中の料理に通じ、プロ向けの料理雑誌の編集長を務めただけでなく
有名料理人の本を数十冊も手がけている。で、この「横浜APEC」に際しては、
いろいろなアイデアを提供した。だが、外務省の担当が細かいことにまで
くちばしを挟んでくる。そのことごとくが的外れで慇懃無礼な応対であった。

「一見、低姿勢なんだけど、実は尊大そのものなんだよね」
カミさんはもう二度と一緒に仕事をやりたくない、と思ったという。
官僚の中でも財務省に次ぐエリート中のエリートといわれる外務官僚。
東大卒のキャリア官僚ともなれば、それは鼻高々だろうし、
いかな低姿勢を演出しても〝官尊民卑〟に似たエリート意識はぬぐえない。
〝上から目線〟の物言いは骨がらみで沁みついてしまっているのである。

閑話休題。
ユダヤ人にとって「杉原千畝」という元外交官は〝生命のビザ〟を発給した
人物として知られている。当時、リトアニア領事代理だった杉原は、
ナチス・ドイツに追われたユダヤ人難民に日本通過ビザを発給した。

当時の日本の外務省はナチス・ドイツとの関係でビザ発給を認めなかったのだが、
杉原は訓令違反を承知でビザを発給し、そのおかげでユダヤ人6000人の生命が
救われた。この〝生命のビザ〟の話は、今やだれでも知っている。

かつて〝外務省のラスプーチン〟と呼ばれた作家の佐藤優は、
ノンキャリア組だっただけにかつての古巣に対しても遠慮がない。
佐藤の敬愛するのは元衆議院議員の鈴木宗男だ。1991年、日本が独立を承認した
バルト三国に政府特使として派遣された鈴木(当時外務政務次官)の通訳をした
のを機に、二人は強い紐帯で結ばれるようになった。佐藤が外務省の主任分析官
となった背景にも鈴木の威光があったといわれている。

←鈴木宗男(左)と佐藤優








その鈴木の功績の一つに〝杉原千畝の名誉回復〟がある。
鈴木は本省からの訓令に逆らってまで〝生命のビザ〟を発給したという
史実に感銘を受け、杉原夫人を外務省の飯倉公館に招き、直接謝罪したのである。
ところが当時の外務省幹部はこのことに猛反対をした。杉原千畝は外務省の
訓令を破った張本人だったからだ。

外交政策の決定において、もっとも考慮されるべきは人道的なものが基本中の基本、
とボクなんか素人は考えてしまうが、融通の利かない先例主義、法規万能主義
といったものに凝り固まっている役人たちには、そのことがわからない。
官僚の一番いやらしい面が出た、というべきだろう。

うちのカミさんの外務官僚嫌いと、杉原千畝の〝美談〟を
むりやり結びつけるつもりはさらさらないが、ガッチガチの形式主義と
「前例がないですから……」と新規なものを避けようとする先例至上主義は、
昔も今も少しも変わっていないような気がする。創意が欠如し、保身第一に
走る独善的な官僚主義が、この国を静かにそして着実に蝕んでいる。

←罷免覚悟でビザを発給した
杉原千畝。