2017年12月17日日曜日

65歳の切なる願い

今年からお中元、お歳暮のやりとりをやめることにした。
女房のほうは今までどおり続けるつもりらしいが、ボクはあっさりやめた。
兄弟親戚、仕事関係、友人知人……毎年、時季が来ればそれなりのものを
みつくろい、「来年もよろしく」と心をこめて荷物を送った。
先方からもまた心入れの品が送られてきた。

生来、古くからの日本の伝統や慣習は尊ぶタチなので、
やめると決断する時は、さすがに迷った。品物を選ぶ手間だって
たいしたことはないし、金額だって知れている。続けるつもりなら
死ぬまで続けられるのだが、ボクは今年が〝潮時〟だと思った。
今年で満65歳。この歳になると、日本では〝前期高齢者〟と呼ばれるようになる。
年金受給者にもなる。それに今春、めでたや初孫(♂です)が生れた。
文字どおりの〝ジージ〟になったのである。

(あと何年丈夫に生きられるだろうか……)
高齢者の仲間入りを果たすと、こんなことまで考えるようになる。
せいぜい15年か、うまくすると20年くらいいけるかもしれない。
どっちにしろ、あっという間の月日である。

ところが、9月頃から身体が変調をきたすようになった。
なぜか右腕が利かなくなってしまったのである。
手指は動くのだが、肘の曲げ伸ばしができない。
腕にまったく力が入らないのである。
心配になり、病院でMRIなどあらゆる機器を使って入念に調べてみた。
結果、頸椎と右腕の付け根の神経叢に異常があることが分かった。
治すにはメスを入れるしかないそうだが、神経が複雑に入り組んでいる
場所だけに難しい手術になるという。

おかげで大好きな水泳ができなくなった。膝に故障を抱え走ることができない
ボクには、水泳が最後の砦だった。10数年来、仲間たちと続けている
キャッチボールもできなくなった。ギターも満足に弾けなくなったし、
箸だって持てやしない。
(65という歳は大きな節目の歳なんだろうか……)
だんだん気分が落ち込んできた。

(腕一本利かないくらいでゴチャゴチャ不平を鳴らすな!)
どこかで生来の利かん気が頭をもたげ、弱気を戒めている。
そうだよな、まだ左腕があるし……五体不満足を嘆くのは男らしくないな。

てなわけで、「65歳潮時説」がいよいよ現実味を帯びてきたのである。
お中元とお歳暮をやめたついでに来年から年賀状もやめることにした。
毎年、相手の顔を思い浮かべながら手書きでびっしり書いたものだが、
これも失礼させてもらうことにした。子供の頃から続けてきたことを
いきなりやめるのは正直つらいのだが、SNSの普及した時代である、
いざとなればメールだって電話だってある。またボクの近況ならブログ
Facebookで十分知れる。

もともと金銭や品物のやりとりを厭う性格である。
相手とは常に対等でありたいと思うあまり、
モノのやりとりでそのバランスが微妙に崩れるのが
生理的にイヤなのである。
そのことをご理解いただけたなら、中元・歳暮・賀状の類は
今後いっさいお構いなしに願いたい。なかには、
「いや、私は勝手に送らせてもらう」
とする奇特な方もおられよう。ボクとしては「お気の済むまでドーゾ」と
言いたいところだが、こっちからは金輪際返礼しないのだから、
ますます心に負担がかかってしまう。そこのところをご理解いただき、
ぜひともご再考願いたい。重ねてお願いする。


さて長々と弁解がましい抗弁をつらねてしまったが、
なにとぞお赦しを。要はメンドウ臭がり屋のワガママ男なのである。
9月頃に似たようなブログを書いたが、不徹底なため再度、ワガママな思いを
一文にさせてもらった。浅学菲才がゆえのワガママと、どうかご寛恕のほどを。






←9月頃、関係者に送ったハガキ
を再度掲載する。

2017年12月10日日曜日

ふるさとへ廻る六部は……

長女が昨日から泊りがけで来ている。
たったそれだけのことなのだが、妙に心楽しい。
何かおいしいものをご馳走してあげよう、
と主夫歴30年のボクはいそいそと買い物に出かけるのである。

人生にはある年齢にならないと分からない、
といった予定調和的な事実がいっぱいある。
「子を持って知る親の恩」という格言があるが、
親になって初めて分かること、孫を持ってふと気づくこと、
というのがたしかにある。

娘二人が独立して家を出たのはいつであったか。
もう遠い昔のことのように思える。
これが息子だと実家にはほとんど寄りつかなくなる、とはよく聞く話だが、
幸いわが家の娘たちは、折を見てはよく訪ねてきてくれる。
来れば先祖返りするのか、幼児の頃に使っていた言葉が家じゅうに飛び交う。
たとえば「父しゃん」「母しゃん」。わが家では今でも娘たちは
ボクたちのことをそう呼ぶ。呼び方は〝しゃん〟にアクセントがかかる。
他人に聞かせるのはいささかはばかられるが、
わが家に限って呼び交わすなら、それもいいだろう。



←長女と旅行。次女がいないが、たしか
アメリカに留学中か。みんなまだ若いなァ。





子は宝である。この世で何が大切といって「家族」以外に大切なものなどない。
子や孫のためなら親や祖父母は命を投げ捨てることだって厭わないだろう。
そんな命より大切な子や孫に事故や災害、あるいは病気で先立たれてしまう。
TVのドキュメンタリー番組だったか、東日本大震災で、女房子供を津波に
さらわれてしまった男が、無情な海に向かって「俺の宝物を返してくれ――ッ!」
とばかりに、愛娘愛息の名を声をかぎりに叫んでいたシーンがあった。
さぞ無念だっただろう。見ているこっちはもう涙でぐしょぐしょだ。
大切な人たちを喪い、たった一人取り残されても、
人は前を向いて生きてゆかなくてはならないのだろうか。
軟弱なボクだったらきっと心がポッキリ折れ、廃人同然になってしまうだろう。

ボクの母は6年前に死んだ。
川越の実家で長男夫婦と暮らしていたのだが、ボクが娘たちを連れて
いくと殊のほか喜んでくれた。心残りなのは、母と過ごす時間が
絶対的に少なかったことだ。一人で行ったときなんか、10分そこそこで帰って
しまったことがある。母は何も言わず家の前の通りまで送ってくれたが、
悄然と手を振るその姿はほんとうに淋しそうだった。

あの時、なぜボクは急いで帰ってしまったのだろう。
今になって後悔の念がこみあげてきて、胸が苦しくなる。
母親がどれだけ子供のことを愛しく思っているか、いっぱい話したがっているか、
あの頃はよく分からなかった。親のことよりまず自分の都合が優先された。
考えることは自分のことばかりだった。
「母さん、ごめんな」
ボクが娘と楽しいひとときを過ごせば過ごすほど、
亡き母に対する〝思いやりとやさしさの欠如〟がくやまれ、
深い自責の念に駆られるとともに、悔悟の涙に暮れてしまう。
「母さん、ごめんな。もっとそばにいてやればよかった」

母はたくましい女だった。貧しさを厭わない女だった。
戦中・戦後を息せききって駆け抜けた肝っ玉母さんでもあった。
そんな母も晩年、軽い認知症を患ってしまった。
それでもボクを前にすると、いつもの笑顔で迎えてくれた。
「母さん、いつかまた会えるよね。その時は、ずっとずっと一緒にいるから……」




←画家・小林憲明さんが描く『ダキシメルオモイ』。
東日本大震災で命を落とした母と子の思いを麻の画布に
描いている。わが街・和光市の中央公民館でも展覧会が
開かれたので見に行った。この世で信じられるたった
一つのものはmotherhood(母性愛)であります



2017年12月8日金曜日

首吊りは気っ持ちい~い!

「いよいよ首が回らなくなったんだって?」
「年が押し詰まってくると、何かと物入りで……おいおい、違うだろ。
頸椎が損傷していて腕が利かなくなってんだよ」

団地内で、古くからの友達Aさんと偶然会ってしばし立ち話。
先だって彼の奥さんをお茶に呼んで、
亭主の悪口をさんざっぱら聞かされたばかりだ。
「頸椎の矯正には首吊り療法がいいらしいよ。簡単な器具を首にはめて、
ひもで引っ張るんだ。おれの場合は腰痛だったけど、それにも効くって言うんで
何回か首を吊ったことがある。気持ちいいんだよね、あれ。だまされたと思って、
いっぺん吊ってみたら?」
年の瀬に首を吊る吊らない、などと立ち話にしてはかなり物騒な話題である。
それを大声で話すものだから、すれ違った人たちも、どこか不審そうな顔つきで
ふり返っていた。知り合いの奥さんは笑っていた。

「首吊りのほうは少し考えさせてもらうよ。それよりそっちはどうなの?
奥方からはずいぶん冷遇されてるみたいだけど(笑)……心が折れそうになったら
声をかけてね。相談に乗るから」
「お互い、不幸な身の上だもんな。
いっそホントに首をくくったほうがいいかもしれないな(笑)」
笑って別れたが、Aさんの背中にはいやでも孤独の影がさしていた。
首吊りの話題はまずかったかもしれない。

いよいよ極月(ごくづき)といわれる12月。師走ともいうが、
落ちぶれて姿のみすぼらしい浪人を〝師走浪人〟と呼ぶのだそうだ。
ボクなんかさしずめ〝師走老人〟ってとこか。落ちぶれたとは思わないが、
着るものにあまり頓着せず、同じ服を繰り返し着ているから、
傍から見ると、着たきりスズメに見えるかもしれない。
そのスズメが、首を吊る吊らないのと大声で話しているのだから、
妙に切迫感がある。

無常迅速というが、1年なんかあっという間に過ぎ去ってしまう。
初孫ができたと思ったら、もう立派に匍匐(ほふく)前進を繰り返しているし、
離乳食だってガッツリ食べている。娘婿は元アメフト選手で100キロ超の
巨漢である。この孫も末は父親に倣ってアメフト選手を目指すのだろうか。

3月に孫が生まれ、「こいつァ春から縁起がいいやァ!」と喜んでいたら、
9月頃から右腕に異変が起き、いまやすっかり使い物にならなくなってしまった。
スポーツ大好き人間のボクとしては、無念この上ない。
つい気分も落ち込んでしまいそうになるが、
それでも踏ん張って、何事もなかったかのように明るくふるまう、
というのがボクの流儀であり奥床しさ(笑)。

時に哀れっぽい姿で、人妻の胸を〝キュン〟とさせることもあるが、
あまりに内向きで湿っぽい口吻は自分らしくない、とボクは思っている。

    Tomorrow is another day.

明日は明日の風が吹くさ、と常に前向きに生きてゆけば、
そのうちいいこともあるでしょ。



←映画『風と共に去りぬ』のヒロイン、
スカーレット・オハラの最後のセリフがこれ。
Tomorrow is another day!








2017年12月2日土曜日

What is essential is invisible to the eye.

You don't know what you have until it's gone.
失ってみて初めて何が大切なものだったかが分かる。

いま、この言葉をしみじみ噛みしめている。
失うものは多々あるだろうが、大切に想う人を病気や事故、
災害で突然喪くしてしまう、などというのが一番こたえるかもしれない。
ボクの飲み友達のYさんは、去年の夏、最愛の奥さんをガンで亡くしてしまった。
その嘆きようは尋常一様ではなかった。

ふだん、当たり前のように身近に転がっている幸せ。
しかし、あまりに当たり前すぎて、そのありがたみに多くの人は気づかない。
ボクの愛読するサン=テグジュペリの『星の王子さま』の中に、
キツネの言葉としてこんなセリフがある。
What is essential is invisible to the eye.
(大切なものはね、目に見えないものなんだ)

ボクは今、右腕が利かない。
頸椎の一部の骨が異常に肥大し、神経根を圧迫しているものだから、
運動神経の信号回路がプツンと遮断され、右腕が動かなくなってしまった。
治すには頸椎の骨を削り、さらに骨盤から採取した腸骨を移植しなければならない。
神経回路が集中する頸部だけに、手術の難度としてはけっこう高いらしい。
担当医もその成否は「やってみないことにはわからない」と言葉を濁している。
これではますます迷いが深まるばかりだ。

「左の腕がまだあるだろ。あるだけマシだ」
と言われれば、たしかにそうで、世の中には五体不満足な人がごまんといる。
脚や腕がなくたってパラリンピックで走ったり泳いだりしている人がいるのだから、
右腕が利かないくらいでメソメソするな、と言われれば言葉がない。

(もう一生泳げないのだろうか……)
そう思うと、映画『ウォーターボーイズ』のモデル校の、それも水泳部出身者
としてはけっこう辛いものがある。シンクロこそしないが、膝の故障で走れない
ボクにとって、水泳は唯一残された得意スポーツだった。
(この先、孫に泳ぎを教えたり、キャッチボールすることもできないのだろうか)
それにギターだって、もうまともに弾けやしない。
何の因果なのか、このままの状態ではつまらぬ老年期になり果ててしまう。

「青年」という言葉があるのなら、「老年」はむしろ「玄年」と呼ぶべきだろう。
青春、朱夏、白秋、玄冬……玄冬の「玄」というのは、ただの真っ黒ではない。
暗くて黒い中にも、かすかな赤みが差していて、そこから何かまた新しいものが
始まる、といったニュアンスなのだという。「幽玄」とか「玄妙」という言葉が
あるが、そのイメージは荒涼たる闇といったものではない。深く艶やかな漆黒、
といった感覚だ。

今は半分身障者みたいなあんばいで、へたをすると廃物になりそうな気配だが、
〝玄年〟を迎えたボクとしては、深く艶やかな老境に入っていけたらと思う。

      子どもを叱るな 昨日の自分
      年寄り嗤(わら)うな 明日の自分







←今年のステージが最後になってしまうかも。








2017年11月10日金曜日

中国は「大国」ではない

韓国の前大統領はパクパク・クネクネという名前だった。外国の首脳たちに、
体をクネらせながらすり寄り、パクパクと日本の悪口を言いふらすのが得意だった。
「告げ口外交」と呼ばれた。そのクネクネは歴代大統領が皆そうであったように、
いまは鉄格子の中に入っている。親の因果が子に報いたのかどうかは知らないが、
人間、真実から目をそらしウソばかり言いふらしているとこんな憂き目にあう。

次のムンムンとかという大統領は、米国のトランプ大統領夫妻を招いた晩餐会で、
竹島で密漁したエビを「独島エビ」などと称して、食卓にのぼらせた。日本の領土
である島根県の竹島は1952年1月18日、ボクの生まれるちょうど1カ月前に韓国に
強奪された。時の首相李承晩が、日本海に勝手に領海ラインを引き、
この線からこっち側は韓国領だかんな!
と、図々しくも宣言したのである。悪名高き〝李承晩ライン〟がそれである。

「平和、平和」とお題目のように唱えていれば恒久平和が実現できるという、
ありがたい平和憲法が施行されて、わずか7年後の出来事だった。「平和憲法」
が持っているはずの念力だか通力だかの魔除け効果はまったく発揮されなかった。
狡猾にも韓国は日本の自衛隊がまだ創設されていない時期にこの侵略を敢行した。
GHQも見て見ぬふりである。悲しくも自衛隊は1954年7月1日に産声を上げた。
その昔、社会党のおバカさんたちは〝非武装中立〟などと夢みたいな公約を掲げ
ていたものだが、竹島が示すように軍事力を持たない丸腰国家は、こんな辱めを
受けてしまう。一国の平和と安全には強力な軍事力が欠かせないのだ。

さてムンムンの晩餐会には元慰安婦も出席した。外国の首脳をもてなす公式晩餐会
に悪びれずに売春婦を招く国がいったいどこにあろう。もっとも韓国は輸出で
食っている国で、女子ゴルファーだけでなく売春婦も大量に輸出している。
おそらく世界一の売春婦輸出国ではないだろうか。

たとえばアメリカには今、3万人くらいの韓国人売春婦がいるといわれている。
2006年、アメリカの保健福祉省が同国内の外国人売春婦の国籍を調べたところ、
1位は韓国で23.5%、2位はタイで11.7%、3位はペルーで10%という結果だった。
実に4人に1人が韓国人だった。韓国の売春婦は貧しかった時代だけでなく、
豊かな時代にあっても大活躍なのである。であるならば、最大の輸出品目の
ひとつである売春婦を公式晩餐会に招いたとしても少しも不思議ではない。

韓国では日本軍の強制があって慰安婦にさせられたのだ、という➡「ウソの物語
が国策として流布させられているが、このウソによって元慰安婦たちがどれだけ
救われたか。それ以前は「野蛮な日本人に身体を売って儲けてきた不潔な女たち」
と見下されていたのに、一転して、「そうではなかった。日本軍に強制され、
仕方なく慰安婦になったんだ」となれば、堂々と胸を張って生きてゆける。
元慰安婦たちが官製のウソ話に口裏を合わせるようになったのはそれからだ。

一方、トランプ大統領の3番目の訪問国・中国でも公式夕食会で、なにやら
怪しげな料理が出された。南シナ海に生息するハタ科の高級魚スジアラで、
この魚を煮込んだ料理がさりげなく供された。
南シナ海は中国のものだかんな!」
と、料理に託して抜け目なく自国領土だと主張したのである。

韓国では「独島エビ」、中国では南シナ海の「高級魚スジアラ」。
和やかな晩餐会のメニューとはいえ、どの料理にもちょっぴり政治的な
味つけがほどこしてある。肉マンみたいな顔した中国の習近平主席の狙いは、
中国こそアジアの盟主で、世界第2の大国である、とアメリカにアピール
することだ。中華大帝国の夢よもう一度、というわけか。
でも中国って、肉マンおじさんが自慢するほどの大国なのかしら?

作家の曽野綾子女史がうまいことを言っている。
中国は「大国」ではない。でも人口は13億人で国土面積も大きいから
「小国」でもない。だから「中国」なの

←高級魚といわれるスジアラ。
多少スジっぽいがアラ煮にすると
うまいらしい。




写真提供:八重山毎日新聞社

2017年10月31日火曜日

19番ホールはどこかしら

郵便局でゴルフ好きの女友だちに会った。彼女が、
「嶋中さんはスポーツは何でもやりそうだけど、ゴルフは?」
と訊くものだから、
「どうせタマを穴っこに入れるんなら、他の穴のほうがいい」
とやったら大笑いしていた。つまりは〝19番ホール〟ってことかしら。
お主もスケベよのォ。もっとも、
       
      爺さんと婆さん寝たら寝たっきり

てな調子で、人畜無害もいいとこだから、実際は色気もヘチマもない。

俗に、二十歳凛然(りんぜん)、三十勃然(ぼつぜん)、四十悄然(しょうぜん)
五十茫然(ぼうぜん)、そして六十全然(ぜんぜん)などという(言わねェか?)
しきりに愚息を励ましている図が目に浮かぶようだが、なに自分のことである。
ところで猫の交尾期は年に4回あると聞く。猫が羨ましい。

      朝顔や思いをとげしごとしぼむ

この潔さがいいですな。朝顔にも嫉妬してしまいそうだ。

さて久米の仙人が洗濯女の白い脛(はぎ)を見て、通力を失い天から墜ちた、
という話は有名だが、『今昔物語』の昔も今も、脛の魅力に変わりはない。
老生など、阿波踊りの踊り子たちのじゅばんがチラとめくれただけで
ドキドキしてしまう。リオのカーニバルの踊り子たちは淫らな露出症を
患っているだけだが、阿波の女踊りには気品と色気が満ち満ちている。
この小さな島国に暮らす住人のほうが「性」の何たるかをわきまえていて、
人間としてはずっと上等な部類に入るのである。

『徒然草』の第八段にもこうある。
世の人の心まどはすこと、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな》

兼好法師に言われるまでもなく、われら人間は愚かなる生き物だ。
だからこんな川柳が生れ出る。

      おごるへのこ久しからず腎虚(じんきょ)なり

話変わって、日本は男尊女卑の国だ、などと欧米人は小バカにするが、
「お染久松」「お夏清十郎」というように、恋仲の男女を呼ぶときには、
昔から女性のほうを先にした。いつだって女性上位だったのである。
ただ、問題はその組み合わせだ。「おまん」という女性と「鯉二郎」
という男性が恋仲になってしまうと、ウーン……ちと困る。
鯉二郎が房事にかまけ〝腎虚〟にならなければいいのだが。

By the way ,秋が深まってくると、気の置けぬ友と盃を交わしたくなる。
今夜は〝誰〟と一杯やろうか、と思う時、必ず友の頭に浮かんでくるような
人間になりたいものだが、その「適不適」の必要条件の中に、
優れているけど完璧でない人
というのを挙げたい。

自分の生き方、人生観をしっかり持っていて、どこか人間的な深みを
感じさせてくれる人。一見、完璧そうに見えるが、どっこい抜けている(笑)
そこがご愛敬で、人間的魅力のひとつになっている。ボクはそんな人と飲みたい。
人生の機微にふれるような話をするでもなく、ただ漫然と酒を食らうだけの
人間が一番面白くない。適度に聴いて、適度にしゃべり、時に上品な下ネタで
場を和ます。こんな仲間がいたら、千金の一刻を共に過ごしたくなるだろう。
これは自分自身への戒めでもある。

ボクは高齢ではあるが老齢ではない。
その気になれば、〝週4密会〟の山尾志桜里議員のお相手だってできるだろう。
とは言いながら、こんな都々逸が身に滲みる。

    ♪へたな夜這いと剣術使いはいつもシナイで叩かれる


←♪ヤットサーヤットサー

2017年10月27日金曜日

時にはケダモノのように

「このハゲ――――ッ!」の絶叫で、すっかりお茶の間の人気者になった
「埼玉4区」の豊田真由子様は、和光市の朝の駅頭でもひら蜘蛛のように
這いつくばり、ひたすら「ごめんなさい」を連呼していた。が、通勤客は
冷たく無視。案の定、ふたを開けたら落選というザンネンな結果となった。
猿は木から落ちても猿のままだが、議員は落選するとただの人になってしまう。

しかし禍転じて福と為すというように、「ハゲは学歴より強し」といった
格言がこの事件を機に、後世にまで残るかもしれない。ハゲに悩む男たちに
とっては福音だろう。ハゲの功名……じゃない、〝ケガ〟の功名というわけ
ですよ、真由子様。よかったね、ほんとうによかった。

さて豊田元議員が、元秘書に暴行を加えたかどで、埼玉県警は27日、
傷害と暴行容疑でさいたま地検に書類送検した。真由子様は、
手は上げたが、頭を殴ったのではなく肩をたたいただけ
などと弁明、非力な女の細腕で頭など殴れるわけがない、
と必死に打ち消していた。

ここまでの経緯はボクと同じ。
ボクの場合は、深夜の団地内で酒を飲み大騒ぎしている若者(男女)
そっとたしなめに行ったところ、「スミマセン、スミマセン」と元秘書
のように平謝りすると思いきや、酔余の勢いで逆ギレした男のほうが、
「何か文句あるのかよ、この糞おやじ!」と体当たりするみたいに
歯向かってきたため、若者の頬とお腹をそっと撫でて押し返してやった。
ところが、奴さん大仰にもドスンと後ろに転倒。連れのへべれけ女も
「てめえ、何すんだよ!」
と、これまたヤクザ顔負けの汚い言葉で絶叫、
騒ぎが大きくなり、とうとう警察沙汰になってしまった。

正直に言うと、これは絵に描いたような正当防衛で、警察もそれを認めてくれた。
ボクはそっと撫でたつもりだったが、実際は右の強烈なフックが相手の左顎に
さく裂、同時に左のボディブローがみごとみぞおちに決まっていた。
反射神経である。この2発のパンチで相手は後方にダウン、
(このおやじはいったい…………?)
目には明らかに怯(おび)えが走っていた。
酔眼でよ~く見れば、筋骨隆々のおやじである。しまった、と思っただろう。
おそらくこの若造、殴り合いの経験が一度もなかったにちがいない。

こっちは若い頃から、泥酔しては飲み屋でケンカを売ってたという狂犬おやじ。
殴り合いには慣れているから、畢竟(ひっきょう)、パンチも正確に当たる。

警察署ではこってりしぼられてしまったが、こっちの言い分が正しいと、
署員も理解を示してくれた。で、形式的にさいたま地検に書類送検され、
これまた検事殿に根掘り葉掘り訊かれたものだが、結局、不起訴処分という
裁定になった。正義が勝ったのである。

こんなことなら、もう2~3発強烈なやつをお見舞いしとけばよかった、
と後で後悔したものだが、カミさんにはきつくお灸をすえられてしまった。

昔は学校でも原っぱでも、子供たちはよく取っ組み合いのケンカをしていた。
しかし、今どきの子供たちは野蛮な行為を避けるのか、口ゲンかはするものの、
手をあげることがめっきり少なくなった。お行儀がいい、と言えばそれまでだが、
ボクにはいささか物足りない。男はいっぺんくらいケダモノになって、
死力を尽くして闘ったほうがいいのだ。

「暴力は絶対ダメ」「話し合えばわかりあえる」「命は地球より重い」
などというフニャチン教育を受けていると、キンタマが退化し縮みあがって
しまうのか、イザという時にまったく役に立たなくなってしまう。車だって
時々エンジンをふかし、レッドゾーンへもっていったほうがいいという。
安全第一と、いつも低速で走ってばかりいては、エンジンだって鈍(なま)って
しまうのだ。

殴り合いは何より健康にいい。アドレナリンが全身を駆けめぐり、
(ああ、男に生まれてほんとうによかった)
と、言葉に尽くせぬ高揚感に包まれる。

豊田真由子様の暴行事件がとんだ脇道へそれてしまったが、
同じ「埼玉4区」内で、同じような傷害事件を起こした身の上同士、
どこか他人事とは思えない。いまなら〝お友だち〟になれそうである。

ああ、それにしても殴り合うと気分がサッパリして気持ちがいい(勝てば、だけど)
次のアドレナリン放出日を心待ちにして、今は静かに腕を撫(ぶ)していよう。





2017年10月25日水曜日

「排除の論理」の何が悪いのさ?

「希望の党」が一夜にして「失望の党」に、あるいは「絶望の党」に
変わり果ててしまった。大躍進を期待されたのに、結果は大惨敗。
小池百合子党首は今、進退まで問われる事態に追い込まれている。

メディアはどこもかしこも〝小池悪玉論〟で沸き立っている。
メディアにしてみれば、小池党首が善玉だろうと悪玉だろうと関係ない。
事態がスキャンダラスであればあるほど視聴率アップにつながるため、
嬉しくてしょうがないのだ。つい数日前までは、小池を「安倍一強」政権に
楯突く聖女ジャンヌダルクなどと讃え、時ならぬ小池旋風が日本国中に吹き
荒れていたものだが、投票日が近づくにつれ、その熱は急速に冷めていった。

その原因を報道番組のコメンテーターなどは〝排除の論理〟がきらわれたのでは、
などともっともらしく分析しているが、ほんとうだろうか。
あの「排除いたします」という発言は都知事の定例会見の中で飛び出したものだ。
記者の質問に対して小池代表は、

前原代表がどういう発言をしたのか、承知をいたしていませんが、
『排除されない』ということはございませんで、排除いたします。
取捨(選択)というか、絞らせていただきます。それは、安全保障、
そして憲法観といった根幹の部分で一致していることが政党としての、
政党を構成する構成員としての必要最低限のことではないかと思って
おりますので、それまでの考えであったり、そういったことも踏まえながら
判断をしたいと思います
と答えている。

至極まっとうな答えではないか。ただ笑みを浮かべながら《排除いたします》
とやってしまったのが、判官びいきの有権者にきらわれたのかもしれない。

「民進党」から「希望の党」へすり寄っていき、みごと落選してしまった
議員たちは、そのお膳立てをした前原誠司党首に対して「想定外もいいところ」
とか「どれだけの人間が泣いたのか」などと不満をぶつけるだけでなく、
小池党首に対しても「こんどは小池が排除される番だ」などと癇癪玉を
破裂させている。往生際が悪いというか、みっともないことおびただしい。

いったい揉み手をしながらすり寄っていったのはどこのどなた様ですか、
と問いたい。小池が言うように、憲法や安全保障に対する考え方がバラバラ
では、およそ政党の体をなさないではないか。民進党は護憲派で、自衛隊の
存在も憲法違反だ、などと訴えていた。一方の希望の党は少なくとも保守派で、
憲法改正にも賛成している。両党はまるで考え方がちがうのである。

街の声をひろうと、選挙は「人柄で選ぶ」などという人がけっこう多いが、
この手の人たちが日本の民主主義を一番ダメにしている。多数決を旨とする
議会制民主主義にあっては、議員はただの「頭数」に過ぎないのだから、
小選挙区であれ比例区であれ、基本的には「政党」で選ぶべきものなのである。
その理屈がわかっていないから、「美人だから」とか「人柄がいいから」で
投票してしまう。人柄の良し悪しなど見た目だけでわかるのかいな。
「このハゲ―ッ!」のT女史だって、口は悪いけど人柄はよいかもしれないし、
このボクだって、人を10人くらい殺していそうな悪党づらをしているが、
人柄はすこぶるよい(と思う)

話を元に戻そう。定見がなく腰のグラついている旧民進党議員の話である。
奴さんたちは憲法改正反対、自衛隊など認めない、安保法制にも反対と口を
極めて反対していた。いちはやく希望の党にすり寄り、恥ずかしくも
小池百合子様の股の下をくぐった民進党幹部の細野豪志などは、
つい数日前まで、「安保法制反対! これは戦争法案だ! 断固阻止すべし!」
などと、SEALDs(共産党傘下)のガキどもと一緒に国会前で叫んでいた。
イケメンかもしれないが、この男、変節漢の最たるものだ。

それなのに、ああそれなのに……少しでも勝機がありそうと見るや、
今まで掲げていた思想信条の一切をかなぐり捨て、小池党首の人気に
あやかろうとする。こうした変節漢どもは、股の下をくぐれと言われれば
平気でくぐるだろうし、あそこを舐めろと言われれば、嬉々として舐めるだろう。
その意気地のなさ、無定見、いじましさ、無節操。

そして落選するや「話がちがう」「小池と前原にだまされた」
などと不平タラタラ。ああ、情けなや。
不平を並べる前に、まず自身の不明を恥じろ、とボクは言いたい。
こんな低レベルの総選挙なら、AKB48の〝総選挙〟のほうがよっぽどマシだ。
もう一度言う。あっちウロウロ、こっちウロウロの能なしタマなし議員ども、
恥を知りなさい、恥を!

この狂騒劇を見ていたら、懐かしき童謡を思い出した。

♪勝ってうれしい はないちもんめ、
 負けて悔しい はないちもんめ、
 あの子がほしい、
 あの子じゃわからん、
 相談しましょ、そうしましょ。
                『はないちもんめ』

こっち側にほしい議員とほしくない議員。その選別をみんなで相談することの
いったいどこがいけないというのだ。ボクの敬愛する文芸評論家の福田恆存は
こう言っていた。
政治などという〝賤業〟は政治家という〝賤民〟に任せておけ
この一連のドタバタ騒動を見るにつけ、「政治家=賤民」説にもろ手を挙げて
賛成したくなった。福田の慧眼たるや、おそるべし。


2017年10月16日月曜日

艶聞と醜聞との間に

民進党の幹事長候補だった山尾志桜里議員は、年下イケメン弁護士との
週4密会〟が『週刊文春』に報じられ、党を追われるハメになった。
〝週1〟くらいに留めておけばよかったのに、派手に〝肉食〟すると
こうなる。山尾は『保育園落ちた日本死ね』で、待機児童問題に熱心な
フリをした議員として有名だが、自らの不貞が因で『衆院選落ちた〝文春〟死ね』
ともなれば笑うに笑えない。

仄聞(そくぶん)するところによると、ドイツやイギリスの某医師や某調査機関は、
前頭葉の発達したIQの高い女性ほど性行為が好き
との報告をしている。そういえば山尾センセーは天下の東大法科卒で司法試験にも
受かり検察官をやっていた。文字どおり知能指数の高い女性であった。でも不倫が
バレて失脚してしまうと、実は高かったのは〝知能指数〟ではなく〝痴脳指数〟
とか〝恥脳指数〟だったのでは、とイヤミのひとつも言ってみたくなる。

近頃は政治家や芸能人の〝不倫〟が大流行である。
こっちも甲斐性さえあれば〝流行りもの〟には便乗したいクチなのだが、
容姿や体力には自信があるものの、いかんせん先立つものがない。
そんなカラッケツから見ると、ホテルでの〝週4〟におよぶ不義密通は
羨ましくてしかたがない。

アメリカではケネディまでは醜聞ではなく艶聞だった》と書いたのは、
ボクの師である山本夏彦である。マリリン・モンローがケネディの愛人だった
ことは公然の秘密だったが、それを咎める無粋なものはいなかった。
まだ『英雄色を好む』という格言が生きていた時代なのである。
また欧米にはこんな気の利いた格言もある。
He who loves not wine, women and song remains a fool his whole life long.
(酒も女も歌も好まない男は、一生バカげた人生を送るハメになる)
このセリフ、宗教家マルティン・ルターの名言というから面白い。

今太閤とかブルドーザーと呼ばれた日本の元首相は、執務中に勃然(ぼつぜん)
きざすと、赤坂の待合に電話して、 お茶を挽いている芸者を枕席(ちんせき)
はべらせたという。せっかちなこの男、30分足らずで〝用を足す〟と、
女将にも仲居にもたっぷりと心づけをはずんだという。

一方で、宇野宗佑元首相は、神楽坂の芸妓に指3本(月30万のお手当)で
「おれの囲い者にならないか?」と持ちかけた、と『サンデー毎日』に
すっぱ抜かれ、辞任に追い込まれた経緯がある。その時の週刊誌編集長が
あの都知事選に出馬した鳥越俊太郎だ。ところがこの俊太郎君、
およそ15年前に自分の別荘で女子大生に淫らな行為におよんだ、
とこんどは『文春』にすっぱ抜かれてしまった。因果はめぐる小車(おぐるま)か。

他人を厳しく批判しておきながら、自分も秘かに同じ房事(ぼうじ)に励んでいる。
ジャーナリストたちは政治家や芸能人に向かって「不倫はしていませんよね?」
などと君子然とした顔で問うているが、なにこの問いかけは自分を棚に上げた
うえで発しているに決まってる。どちらも同じ穴のムジナなのである。

ボクは何度も言っているが、政治家の〝臍(へそ)下三寸〟は問わないことにしている。
まっとうな政治さえ行ってくれれば、愛人を何人囲おうと知ったことではないし、
艶福家(えんぷくか)のほうがむしろ人間味があっていい、とさえ思っている。
身辺清潔なだけの朴念仁(ぼくねんじん)じゃあ、善政どころか人がついてこないだろう。

山尾を筆頭に〝育休不倫〟の宮崎謙介、今井絵理子、そして芸能界では
斉藤由貴と……まさに〝次から次へ〟の勢いだが、こんなことは今に始まった
ことではない。人類創生以来やっている。メディアや大衆は、彼らを指さし
まるで犬畜生のように難じるが、その前に自分の胸にしかと訊いてみるがいい。
「はたして自分は身辺清潔な聖人君子だろうか?」と。

彼ら〝不倫ごっこ〟のお好きなセンセー方は、どう転んだって我われの中から
選ばれたものだし、我われ以上でないまでも断じて以下ではない。彼らはカネ
と名声を得る代わりにプライバシーを売り渡した人たちで、大衆のカタルシス
のはけ口として〝見世物〟の対象になるのは致し方ないことなのだ。

ああ、艶聞(えんぶん)をふりまきながらも大衆に愛された
「アラカン」や「カツシン(勝新太郎)」の時代がひどく懐かしいよ。



←「嵐寛寿郎の他に神はなかった」と
大衆に愛されたアラカン。次々と女に惚れ、
一銭の財産も残さず世を去った我らがヒーローである

2017年10月11日水曜日

左党の左党ぎらい

右腕が利かなくなってから3週間ほど経つ。
腕が上がらないから箸がうまく使えない。口まで運べないので
つい犬🐶食いになってしまう。トイレ🚽では満足に尻が拭けない。
「左手で拭くしかないでしょ」
カミさんは非情にもそう言って突き放す。
ウンコらしょっと……やってみたらうまくいった。

昨日、近所の整形外科医院を再診し、総合病院🏥への紹介状を書いてもらった。
MRIで精密検査をしないと原因が分からないと思ったからだ。
この〝迷医〟は最初、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を疑っていた。
「強く手を握ってみて!」
そう言ってボクの手を握ったとき、少し顔をゆがめた。
予想が当たったからではない、ボクの握力があまりに強かったからだ。
「ALSの疑いはないですね」
苦く笑いながら迷医はそうのたまわった。どうやら篠沢教授の二の舞は
避けられたようだ。
どうだ、参ったか。見かけは老人でも、ダテに体を鍛えてきたわけじゃないのだ。

ああ、それにしても、どうしてこんなふうになってしまったのだろう。
〝五体不満足〟がどういうものか、身に沁みてよーくわかった。
料理作れない、食器洗えない、歯を磨けない、顔を洗えない、ギター🎸弾けない、
頭を洗えない、服が着られない・脱げない、洗濯物が干せない・たためない、
キーボードが叩けない、尻が拭けない、車のハンドルが握れない、
それより何より40年来続けているプールでの水泳🏊ができない…………etc。
障害を持った人たちの苦労が少しばかり分かったような気がする。

一昨日、ホームステイ先を変わったルカは、去り際に、
「お父さんはお酒🍺ばかり飲んでいるからこうなっちゃうんだ」
と、彼なりの診断を下してくれたものだが、あたらずといえども遠からずか。

さてもうすぐ衆院選が始まる。
サヨクのアホどもは離合集散を繰り返し、あっちウロウロ、こっちウロウロ。
恥も外聞もなく、もみ手をしながら「希望の党」とやらにすり寄っていった。
「議員である前に、人間として恥ずかしくないのか?」
ボクはこんな議員どもにムダ飯を食わせていた日本というおめでたい国を
ほんとうに情けなく思う。

日本人は底抜けに忘れっぽい。
民主党が政権を握っていたあの3年数ヵ月を思い出してくれ。
日本は経済にしろ外交にしろ防衛にしろ、ムチャクチャだったではないか。

経済オンチだから後先考えないバラマキ政策、株価は大幅に下落し(8000円台)
円高は一向に是正されなかった。おかげで輸出産業は悲鳴を上げていた。
外交もアメリカからloopy(頭がおかしい)と呼ばれていた鳩山由紀夫が、
移転の決まっていた辺野古問題を泥沼化させ、日米関係に大きな亀裂を
生じさせた。福島原発事故に際しても、ヒステリックに逆上した菅首相が、
一刻を争う事態だったにもかかわらず、自ら現場に乗り込み、さんざっぱら
引っ掻き回したあげく、取り返しのつかない事態にしてしまった。

これら民主党政権時代の〝悪行の数々〟をみんな忘れてしまったのか?
北朝鮮という独裁国家が、日本の上空にミサイルを飛ばしているというのに、
国会は蕎麦屋じゃあるまいに〝もり・かけ論争〟にうつつを抜かしていた。
日本人の平和ボケもここに極まれり、という感じだった。

国賊ともいえるloopy鳩山は、沖縄の普天間基地移設問題で、
すったもんだの末にこんな発言をして国民を口あんぐりさせた。
海兵隊の沖縄駐留について、学べば学ぶほど抑止力を
維持していることが分かった
この男は、こんな基本的なことも分からず、日本国の首相をやっていたのか?
そしてまたまた呆れたことに、あの野田政権における外交の最高顧問は、
なんとloopy鳩山だったのだ。民主党というのは救いようのない政党だった。
もちろん看板を変えただけの民進党や立憲民主党は同じ穴のムジナである。
どう看板をすげ替えたってバカに変わりはないのだ。

ボクは左党(酒好き)だが、左党(サヨク政党)だけは御免こうむる。
策士そのものの小池女史も、そのうち策に溺れることだろう。
ただ、「自民」と「希望」がそこそこ勝てば、どちらもコンサバだから、
自民党の党是である憲法改正への道のりが開けるかもしれない。

GHQからムリヤリ押しつけられた現行憲法。
思えば、60年安保の直前、米国のニクソン副大統領が来日し、
日本の戦後憲法はまちがっていたのだから、あれは破棄してください
と発言していたっけ。押しつけた側の準トップが言っているんだから、
これほど確かなことはない。

みなさん、日本の将来がかかっている大事な選挙です。
中国や北朝鮮の息がかかった朝日・毎日といった反日メディアの主張に
くれぐれもだまされないように。


 


←策ではなく酒におぼれる
凝りない面々

2017年9月28日木曜日

さよならだけが人生だ

昨夜遅く、突然受話器が鳴った。
電話口の向こうからは懐かしい女性の声が聞こえてきた。
ボクの古い友人Oさん、といっても一世代ほど齢の違う友人の
娘さんからの電話である。かつて同じ団地内に住んでいたが、
高齢のため大宮にある介護付き有料老人ホームへご夫婦で
引っ越したのである。もう10年も前の話だ。

電話は予期したとおりOさんの訃報だった。昨日未明に亡くなったという。
96歳だった。北海道は網走の出身で、東京外語大ロシア語学科を卒業、
奥方のT子さんは世が世なら六千石の旗本のお姫様である。
また祖父・戸川安宅(残花)の長女・達子(樋口一葉に縁談の世話をしたこともある)
は勝海舟の孫と結婚している。

Oさん夫妻は悲しみを背負って生きてきた。
次女が結婚を目前にしてクモ膜下出血で亡くなってしまったのである。
ご夫妻の嘆き様は尋常ではなかった。亡くなられたM子さんは色白で
気品のある超のつく美人で、階下に住んでいたボクはその人となりを
よく知っていた。愛する我が子に先立たれる――世にこれほど残酷で
悲しいことがあるだろうか。
もしも自分の娘が死んでしまったら……考えただけでも気が変になる。

Oさんはロシア語が堪能だった。大変な読書家で、
ボクたちは齢の差を超えて、よくおしゃべりをした。
ドストエフスキーやトルストイの作品について、あるいは戦争中のことに
ついて、生まれ故郷の網走や斜里町のすばらしさについて……

唐の于武陵(うぶりょう)の五言絶句『勧酒』は井伏鱒二の手にかかると、
花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ》となる。
どんなに美しく咲いた花だって、突然の嵐によってそのすべてを奪われて
しまうことがある。その非情なはかなさが人生というものの実相であり、
人はこの冷厳な事実から目をそらさず、ひたすら前を向いて歩んで
いかなくてはならない。『勧酒』とはそんな詩である。

慈しみ育てた愛娘という花を無残にも奪い去られてしまったOさん。
その悲しみに堪えて、精いっぱい生きてきた。亡くなった娘さんの分まで
十分に生き切った。雄々しく立派な美しい生涯だった、とボクは心からそう思う。

明日はOさんの告別式。
ニヒルになりがちな気持ちを抑え、しっかり見送ってくるつもりだ。
合掌。



今年ボクは65歳になった。前期高齢者と呼ぶらしい。
つまり〝終活〟へのカウントダウンが始まった、ということだろう。
人生の節目を迎え、ボクはささやかな身辺整理を始めることにした。
その一つが年賀状やお中元、お歳暮のやりとりを一切やめる、
ということだ。こちらから送らないし、送られてきてもお返しはしない。
おつき合いそのものは今までと少しも変わらないが、ちょっとばかり
心と身体を身軽にしたい、と思ってのことである。他意はない。
幸いメールという文明の利器がある。手紙やはがきにはそれなりの趣があるが、
ここは思い切って〝断捨離〟すべきと考えたのである。異論反論はあろうかと
思うが、ガンコな年寄りの身勝手とご寛恕いただきたい。




←親戚や友人・知人にはこんな文面の
お知らせを送らせてもらいました




2017年9月25日月曜日

腕相撲で日仏交流

昨夜はプール仲間のロドルフ(フランス人)とカトリーヌ(ベルギー人)
夫妻の家に招かれ、いっしょにディナーを楽しんだ。こっちはカミさんと
ルカと3人。車で行ったから、もちろん酒が飲めないので、ノンアルコール
ビール持参でおじゃました。

ロドルフ一家は6人家族。長男はイギリス留学中なので会えずじまいだったが、
次男のアシル(アキレスの意)と長女マヲ、次女のコリンが歓迎してくれた。
このマヲとコリンがスーパーウルトラお転婆娘で、ボクの隣に座った小6の
コリンは、ジーッとボクを観察してから、いきなり、
「あたしね、モッツァレラチーズときゅうりと昆布が好きなの」
と言い出した。
「ヘーエ、変わった趣味だね。きゅうりはどうやって食べるんだい?」
と訊いたら、
「一本漬」
などとバアさんみたいなことを言う。

野菜をほとんど食べないルカに聞かせてやりたいセリフである。
「おじさんって変わってるね。部屋の中でサングラスしてるし、それに鉢巻き
もしてる。ただしお髭は立派だね」
「あのね、これサングラスじゃないの。薄く色が入ってるけど、立派な
老眼鏡なの。それに鉢巻じゃなくてバンダナ」
「おじさん、頭いい?」
「コリンよりはずっといい」

テーブルの反対側ではルカと3つ年上のアシルがフランス語で〝女の話?〟
に熱中している。アシルは日本の広島生まれだが、フランスへ留学経験がある。
「おれはフランスの女の子のほうが可愛い、と思う」
アシルが言うと、ルカはすかさず、
「いや、おれはフランスの女の子はきらい。日本のほうがずっといい」
などとやり返している。

ロドルフの家ではお父さんとお母さんがフランス語で何か言うと、
娘たちが日本語で返す、というような感じで、日常語は日仏語のチャンポン。
しばらくたわいのない話題で過ごした後は、長女のマヲがいきなり、
「腕相撲やろう!」
と言い出したから、さあ大変。みんな代わりばんこに腕相撲をするハメになった。

以前、ルカがボクに挑戦し、勝ったことがある。
右肩のケガでキャッチボールも長期に休んでいるボクが負けるのは
当然なのだが、ボクに勝ったことがよほど嬉しかったらしく、学校でも
誰かれなく挑戦しているらしい。もっとも左腕でやったら、あっさり
ボクが勝ってしまったが、それでもマッチョ願望の強いルカは、
ロドルフに勝ったことで、ますますドヤ顔に磨きがかかってきた。

コリンがボクに挑戦してきたので、
「おじさんは右腕をケガしてるから左腕でいい?」
と訊いたら、ウンというので、左のそれも指2本だけでお相手をしてやった。
ヨーイ、スタート!
コリンはウンウン唸りながら力を左腕に込める。しまいには両手まで使いながら。
そこでボクはヒョイとばかりに一気に押さえ込んだら、コリンは、
「腕が折れるゥ~!」
などと大げさに奇声を上げている。勝負あった。
「前期高齢者」だって、まだまだ腕っぷしには自信があるのだよ。

メイン料理はクスクス。粗挽きのデュラム小麦をそぼろ状にした北アフリカ
料理である。ルカは珍しくお代わりし、黙々と食べていた。フランスの実家
でも母親のクリステルがよく作ってくれるらしい。この俄かの食欲、
〝おふくろの味〟でも思い出したのだろうか。

ルカと過ごす日々も残りあとわずか。
ロドルフ家への訪問も、日本でのよき思い出になるだろう。
ロドルフにカトリーヌ、そしてアシルにマヲ、コリンちゃん。
次はわが家で腕相撲しようね。




←個性派ぞろいのロドルフ一家



2017年9月19日火曜日

『アンパンパーソン』なんて見たくない

ボクの次女がアメリカ留学から戻ってほどなく、
何かの拍子に、
「あっちでは〝メリークリスマス〟って言わないんだよね」
と言い出した。じゃあ何て言うの、と訊いたら、
〝ハッピーホリデーズ〟って言うの。クリスマスはキリスト教の
宗教行事だから、他の宗教の人に遠慮したんじゃないかしら」

わが家の居候のLucas(ルカ)がNHKのEテレ『Rの法則』の収録時に、
「日本語は男っぽい、って君は言うけど、フランス語はどんな感じかな?」
と訊かれ、思わず「オカマっぽい(笑)」と答えたら、
「オカマという言葉はNGだから、別の言葉に替えてくれない?」
とスタッフに言われ、月並みな「女っぽい」に替えた経緯がある。

〝ハッピーホリデーズ〟にしろ〝女っぽい〟にしろ、要は差別や偏見を助長する
ような言葉は使わず、寛容な社会をめざしましょうね、ということだろう。
そうすれば同性愛者や移民、マイノリティーの人たちとも仲良くやっていける。
アメリカではこれを「political correctness政治的妥当性」というのだが、
平たく言っちまえば〝言葉狩り〟のことである。

ボクはこれでも物書きのはしくれだから、言葉には比較的敏感だ。
原稿を書いていると言葉の使いかたについて必ず編集者とやり合うことになる。
「〝狂〟という字はなるべく使わないように願います」
「物狂い」とか「狂おしい」、「コーヒーに狂っている」などという
言葉は仮名に開いたり、別の言葉に置き換えさせられたりする。
「このドめくら奴!」などという『座頭市シリーズ』によく出てきたセリフは
もちろんダメ。「盲撃ち」もたぶんNGだろう。

●policeman➡police officer
●salesman➡sales person
●保母・保父➡保育士
●スチュワーデス➡フライトアテンダント
となれば、そのうち「家内」や「主人」が使えなくなり、
「妻」や「つれあい」「パートナー」と言いなさい、となるかもしれない。
で、ついには「アンパンマン」が「アンパンパーソン」になるのだ。
ああ、何という寛容な社会!

日本のマスコミやメディアはそのほとんどがリベラル派を任じているから、
こうした〝寛容な社会〟の実現にはもろ手を挙げて賛成するだろうが、
〝反リベラル(下記参照)〟を任ずるボクは、「マンホール」のことを
「パーソンホール」だなんて呼びたくないし、
「baldハゲ」を「comb free櫛要らず」などと言い換えたくない。
「このハゲ――――ッ!」が「この櫛要らず――ッ!」
では豊田真由子センセーのせっかくの暴言も迫力に欠けるというものだろう。

リベラル派が好きなのは〝きれいごと〟とか〝おためごかし〟というもの。
どう見たって「売春」そのものなのに「援助交際」と言いつくろう女子高生の
奸智と同じレベルである。ボクは生来、リアリストでカッコつけがきらいなので、
この種の〝寛容な社会〟を「偽善社会」と呼ばせてもらう。

安倍首相が近く衆議院を解散するという。
例によって野党はこぞって「大義名分がない!」だとか「森友・加計問題
からの敵前逃亡だ!」などと批判している。

これっておかしくないか? 
民進党などはバカの一つ覚えみたいに「政権交代を!」と唱えていたではないか。
解散となれば政権交代のビッグチャンスだろ。「大義がない」などと寝言を
言ってるヒマがあったら、ない頭絞って自民党に勝つ方策でも練ったらどうだ?

北朝鮮の百貫デブが日本上空に向かって弾道ミサイルをたて続けにぶっ放して
いるという非常事態なのに、野党ときたら、そば屋じゃあるまいに、
相変わらず〝もりかけ論争〟に血道をあげている。「大義がない?」ふざけるな。
「北朝鮮クライシス」に決まってるだろ! 日本国憲法に自衛隊をしっかり明記
しておかなかったら、いざという時、いったい誰が日本を守るんだよ!
いま国会で議論すべき優先順位がまるで「違うだろ――――ッ、違うだろッ!」
ボコッ、ボコッ……(すみません、すみません)

こんなアホバカ連中がてんこ盛りの野党なのに、
リベラル派を自称する有権者たちは「反・安倍」を旗頭に、
これからも野党に投票しつづけるだろう。自民党政権のおかげで株価が
2万円台を回復し、戦後70有余年、空前の平和と豊かさを享受しているのに、
自民党政権はイヤだという。ああ、GHQと日教組はよくもまあ、
アホバカで夢見がちの腰の抜けた日本人を作ってくれましたよ。
そのお手並みに、惜しみない拍手を!




←ぼくらの『アンパンパーソン』








※参照①
リベラルとは何か?
辞書を引くと「自由な、寛大な、自由主義な」などとのんきなことが書いてあるが、
現代の日本のリベラル派とは、
何かというと反体制や反権力を気取りたがる薄っぺらな人間たちのことで、
彼らは口先だけで革新や改革を唱えている。すでに崩壊している共産主義や社会主義に
心情的に同調し、いまだこの世に実現していない夢のような理想郷を夢見ている》
つまり、平たくいうと〝ええかっこしぃ〟の連中ってこと。平和で安穏な日本の中で、
しかも自分は絶対安全な場所にいて、死と背中合わせの人たち(自衛隊員など)の行動を
あれこれとあげつらう。安倍首相が所信表明演説で、東シナ海の領海を守っている
海上保安庁、警察、自衛隊に対して「心からの敬意を表そう」と呼びかけた時、
翌日の『天声人語』は「多くの職業のなか、なぜこの人たちだけを称えるのか釈然としない」
などと書いていた。自国の領土、領海を守る人々に対し、素直に感謝の気持ちを表せない
ひねくれものたち――世界じゅうどこを見てもこんなアホな連中は存在しない。
ボクが日本のリベラル派を蛇蝎のごとくきらうのは、現実を直視せず、夢みたいなことばかり
言っているからだ。
実際、話してみると、近現代史をほとんど知らない人ばかり。(ああ、勉強してないな)
とすぐ分かる。朝日・毎日などの反日メディアの主張をただ鵜呑みにしているだけなのだろう。
真のリベラルを自任したいのなら、もっと勉強するか、もしくは口をつぐんで黙っていること。
日本のリベラル派は悲しいかな、しゃべればしゃべるほどメッキが剥がれていく。

※参照②
ボクは左翼の連中からは〝右翼〟と見られているらしい。
当たり前だよね、左から見れば真ん中(中道)だって〝右〟に見えるんだもの。






2017年9月7日木曜日

世に〝いじめ〟の種は尽きまじ

「9月1日問題」というのをご存じか。
別名「2学期前自殺」問題ともいう。
この日前後は「クラスメイトと会いたくない」「夏休みの宿題をやってない」
「学校へ行きたくない」などの理由で、命を絶ってしまう児童が多いという。
特に中学生の自殺は2学期開始前となる8月に突出して多くなり、その数は
ふつうの月の2倍となる。

そんな世の風潮を憂いてか、上野動物園は公式ツイッターで、
《アメリカバクは敵から逃げるときは、一目散に水の中へ飛び込みます。
逃げるときに誰かの許可は要りません。わき目もふらず逃げてください。
もし逃げ場所がなければ、動物園にいらっしゃい》
と呼びかけた。なかなか気の利いたことをいうもんだ、と感心したが、
たしかに〝いよいよ危ない〟となったら、命あっての物種、
スタコラサッサと逃げたほうがいい。

ボクはいつも思うのだ。
《浜の真砂(まさご)は尽きるとも、世に〝いじめ〟の種は尽きまじ》と。
いじめによる自殺が起きると、当該生徒の学校長は、
「全校生徒を前に、命の大切さについて教え諭しました」
などと紋切り型の発言をするが、そんなもの、誰も聴いちゃァいない。
大人社会のきれいごとなど、子供たちにはとっくに見透かされているのだ。
だいいち、判で押したようなこんなセリフ、誰の心にも響きはしない。

ボクも学校へ行くのが苦痛だった時期がある。
いじめに似た行為も受けていたし、友だちがひとりもいなかった。
学校で孤立している、なんて薄らみっともないことを親に言えるわけもなく、
ひとり読書の世界に沈潜していった。例によって太宰治の『人間失格』
なんぞを読み、おれと同じような〝ダメな奴〟がいる、と認めることで、
ささやかなカタルシスを得ていたのである。死ぬことまでは考えなかったが、
ボクはひどく孤独だった。

生物界では、強いものが生き残り弱いものが淘汰されていく。
すべての〝種〟の使命は次世代にその〝種〟のDNAを残すことだからだ。
弱い個体が増えると、その種全体の存続が危うくなる。自然淘汰は
その結果である。人間もその生物界の一部だから、自殺は自然淘汰の一種
と思えなくもない。

いじめは学校だけではない。社会に出てからもずっと続く。
いやな上司や同僚、あるいは取引先などから執拗ないじめを受ける。
学校から逃げればいじめが終息するわけではないのだ。

平和の象徴であるハトは、いじめの達人だ。
自然界にはあまり見られないが、逃げ場のない鳥かごの中では
いじめが頻発する。強いハトが弱いハトの首をめがけて執拗にくちばしで
つつくのだ。この攻撃は血まみれの半殺し状態になるまで続く。
ゲージの外なら飛んで逃げられるが、かごの鳥では逃げようがない。

人間の場合、いじめられるタイプは決まっている。
気の弱そうなおとなしい子で、万に一つも反撃してこないだろう、
というタイプである。ボクは60有余年、べんべんと生きながらえてきたが、
ボクなりにある種の〝真理〟を獲得した。いじめに遭わない方法論である。

①猛烈に本を読め!
 本を読み知識が深まれば、人間というものの凡(おおよ)そが知れてくる。
 人間は賢いが同時に愚かである、ということが分かってくる。人間という
 ものの正体がわかれば、どんな人間が目の前に現れても動じなくなる。
 この手の平常心の人間はいじめの対象にはなりにくい。

②ケンカ術を身につけろ!
 何度も言うが、ケンカは〝気合い〟である。それと先手必勝。
 最初に相手の顔面にパンチをお見舞いしたほうが勝ちである。
 これは経験から導き出した確かな事実で、そのおかげで何度も
 警察のご厄介になり、ありがたくもDNAまで採取されている(笑)。
 ※朝霞警察署の遠藤さ~ん、ヤッホー!
  埼玉検察庁の飯島さ~ん、元気ですか~?

③身体を鍛えろ!
 ヘナヘナした肉体ではだめ。丸太ん棒みたいな二の腕と厚い胸の男に
 ケンカを売る酔狂な奴はあまりいない。福沢諭吉も言っているではないか。
 まずは〝獣身を成せ〟と。それと1発やられたら10倍にして返すこと。
 「やられたらやり返す」を肝に銘ずるのだ。このことは国の防衛とも通ずる。
 つまり「やられたら10倍にして返すからな」という姿勢を常に見せておく
 ことが大事で、それがいじめの抑止と戦争抑止につながる。

④友だちなんか要るもんか、と覚悟を決めろ!
 友だちがほしい欲しい、と思っていると友だちはできない。
 そんなもの欲しかァねえや、と開き直ると、ふしぎや友だちが寄ってくる。
 人の世の摩訶不思議なところだ。ボクは孤独な生活が長かったせいか、
 孤独には慣れているし、怖くもない。最低限、家族さえいればいいや、
 と見切っている。クラスで孤立している? けっこう毛だらけ猫灰だらけ。
 平気な顔で孤独に堪えるのも修行のうち、と思い定めることだ。

←刈り集められ、お台場の「施設」に
収容された戦争孤児たち。彼らは
生きるために盗みでもかっぱらいでも
何でもした。家族を喪った彼らの孤独感
に比べれば、甘やかされて育った現代の
ガキどもの〝いじめ〟など屁みたいなものだろ。





それにしても衆をたのんで個をいじめるなんざ、人間の風上にも置けないね。
一人くらいいじめをやめさせる義侠心に富んだ生徒はいないのか。
「卑怯(ひきょう)」と「怯懦(きょうだ)」がいかにみっともないものであるか、
大人たちは声を大にして訴えなくてはならない。「命の大切さを教えました」
ではダメなのだ。ボクたちは「勧善懲悪」を映画館の中で学んだ世代だ。
最後には悪い奴らが亡びる――この古くて新しい原理原則を徹底して
植え付けなければいけない。

最後はユーミンの『ひこうき雲』で締めましょうかね。
これも自殺した子を悼む歌である。





←「月に雁」ならぬ「月に飛行機」






2017年9月1日金曜日

神童も二十歳過ぎればただの人

汗っかきのボクがイーグルスの『Hotel California』の中にある歌詞の
♬ sweet, summer, sweatという一節を口ずさんだら、居候のLucas(ルカ)
がなぜかニヤリと笑った。彼はこの曲を知っていて笑ったのではない。なにしろ
The Beatlesも知らない世代である、同じく50年ほど前に流行ったThe Eagles
なんて知るわけがない。

ではなぜニヤリとしたのか。言葉遊びである。〝甘い夏の汗〟というs
連なった言葉におかし味を覚えたのである。ルカは言葉遊びが好きだ。
例えば〝ル、イ、バ〟といったような(笑)。こんなふうに韻を踏む
言葉を並べてはひとりニヤニヤ笑っている。語彙が豊富になるわけだ。

「ルカ、こんな言葉を聞いたことあるかい?」
ルカを前にボクは質問をした。
Blood,Sweat,and Tearsという言葉だ。さて誰を思い浮かべる?」

ボクたちの世代なら1960~'70代に活躍したアメリカのロックバンド名を
思い浮かべるかもしれない。あるいはジョニー・キャッシュのアルバム名か。
しかしボクは或るイギリス人の名前を期待していた。

「もしかしてWinston Churchillのこと?」
ルカはボクの期待どおりの名を挙げてくれた。
そう、1940年5月13日、英国議会下院での首相就任演説の一節がこれだ。
〝I have nothing to offer but blood, toil,tears, and sweat 私は血と苦労、
涙と汗以外に捧げるべきものを持たない〟
ナチスドイツと戦うイギリス首相の断固たる決意を述べた有名な演説だ。

「どうしてこの演説のことを知ってるの?」
ルカに訊いたら、
「以前読んだ本の中に書いてあったような気がする」
ルカの返答にボクは嬉しくなった。Hitlerの『Mein Kampf我が闘争(英訳)
を真剣に読み込んでいる読書好きの少年だ。まだ15歳なのに下の写真のような
政治・経済関連の本を片っぱしから読み飛ばしている。

「電車の中でも一心に『我が闘争』を読んでるのよね。変わった子だね」
これはルカと一緒に都心へ出た時のカミさんの印象である。同い年の子で、
車内で一心不乱に『我が闘争』を読みふけるような日本人がいるだろうか。
ルカに感心するとともに、一抹の寂しさも感じざるを得なかった。

「政治とか経済とか、むずかしい本が好きなんだね」
ボクが問いかけると、ルカは、
「そう……でも別にむずかしくないよ」
だって。参ったな(笑)。
『我が闘争』はボクが17か18歳の頃に読んだけれど、実に難解だった
記憶がある。それにいかんせん分厚い本で、完読するのに四苦八苦だった。
ところがルカは、細かくノートをつけながらホイホイ読み進んでいる。

ふだんはおどけておバカないたずらばかりしているが、
読書をしているときの顔は真剣そのもの。集中力が並大抵ではないため、
声をかけてもしばらく気づかないときがある。バカなのか利口なのか、
いまだ判別がつかないが、ひょっとするとひょっとするかも知れない。
AFS練馬支部でも「支部開設以来の逸材かも……」などと噂していると聞く。
こう見えてもボクだって、神童と呼ばれた時期があったような気がしない
でもない……でもないか(笑)。←どっちなんだよ!
はてさて、どうなることやら。

いつの日か成人したルカと、酒を酌み交わしながら世界情勢について、
あるいはスタンダール並みの〝恋愛論〟かなんか戦わせられたらいいな、
なんて想像すると、ついこちらもニンマリしてしまう。
そんな日が来れば、ホストファミリーとしてこれほど喜ばしいことはない。




←『我が闘争』以外に、ルカが
読んでいる本。『BUSHIDO』は
ボクからルカへプレゼントしたもの。





※あとで聞いたところ、「Hotel Californiaくらい知ってるよ」とルカに抗議された。
じゃあ一緒に歌ってみよう、ということでボクがギターで伴奏をつけてやったら、
ひどいout of tuneだが、なんとか歌いきった。知らない、なんて勝手に決めつけてしまい、
ごめんね、ルカちゃま。近くルカとのデュエットを動画にアップするつもり。乞うご期待!

2017年8月28日月曜日

築地は外国人居留地か

一昨日、隣家のKさんと築地へ買い出しに行った。
Kさんは歯科医師で大学でも教鞭をとっている。
料理が得意で、魚丸ごと一匹を三枚におろすなんてお手のもの。
築地でよくサバを仕入れてきては自家製シメサバを造っている。

ボクは膝を悪くしてから外出がおっくうになり、
築地からも足が遠のいてしまっていた。
かつてはよく築地の場内外を歩き回り、仲卸の知り合いも多かった。
築地のしきたり』という売れない本も実名で書いている。

その〝築地通〟を任じていたボクが、今の築地にビックリ仰天。
土曜日で混雑するのは予想されていたが、この人混みはいったい!
どこも芋を洗うようではないか。それに外国人観光客の多いこと。
2~3割は外国人である。

真夏という時季もあってか、男は短パン、女性は胸の大きくひらいたシャツに
太もも露わなホットパンツ。若い娘のそれは大歓迎だが、肉布団のような
オバさんやバアさんまでそのいでたちだものね。ハッキリ言っちゃうが、
この時ばかりはイスラム社会がうらやましくなる。ヒジャブやニカーブで
露出過剰な肉体をすっぽり覆ってしまえば、どれほど公序良俗のためになるか。

築地はずいぶん変わった。豊洲移転を控えても、いまだに〝ゴタゴタしている
観〟があるが、場外市場は「築地ブランド」を半永久的なものにしたいのか、
最新設備を備えたビルをいくつも建てている。一方で、先般、火事騒動を
起こした一帯はブルーシートで覆われ、屋根は無残に陥没していた。

満員電車のような市場の雑踏から聞こえてくるのは、英語にドイツ語、
ひときわ甲高い中国語といったところ。わが家もフランス人の同居人が
いるから、ガイジンなんて別に珍しくもないが、これほどまで難民みたいに
大量に押し寄せてこられると、やはり多少の〝異和〟を感じる。この外国人
観光客数が東京オリンピックの頃になると倍になるのかと思うと、
いささかウンザリする。ボクは本質的に外国人ぎらいなのかもしれないな。

これからますますグローバリゼーションが進行し、文化が混成化していく。
異文化交流などという言葉には深刻ぶった響きは感じられないが、
ヨーロッパ諸国がいま置かれている状況は、「異文化交流」などという生やさしい
ものではない。見えてくるのは宗教対立、民族対立、人種対立といった異文化と
異文化との激しい対立という構図だけだ。日本だって例外ではない。もしも隣国の
どこかに革命でも起き大量の難民が発生したら、その一部がドッと押し寄せてくる
だろう。いつの日か日本もアメリカやヨーロッパのような多文化混成社会になって
しまうのだろうか。

わが家の居候Lucas(ルカ)は15歳の高校生だ。フランスはグルノーブル郊外
の出身で、まだパリにも行ったことがない。来日してすでに半年になろうと
していて、フランスのご両親はさぞ淋しがっているだろうと想像されるが、
ルカの話によると、淋しいことは淋しいが、その一方で「すごく安心している」
らしい。息子のいる国が日本だからである。治安が悪く、テロも頻発する
ヨーロッパなどより日本ははるかに安全で治安がよい。息子を送り出した彼らは
日本のことをそんなふうに見ていて、その「日本=安全」観がいまやヨーロッパ人
の常識になりつつあるという。そういえばAlexiaも似たような話をしていたっけ。
嬉しいような悲しいような、よくよく考えると複雑な感慨を覚える。

ボクが子供の頃は外国人が珍しかった。
もちろん話したことはないし、接触する機会は皆無に近かった。
いまは外国人だらけで、わが団地にもいっぱい住んでいる。
そのうちの何人かはボクの友人だし、団地の外にもいっぱい外国人の友だちがいる。

ボクの性格にひとつだけ良い点があるとすれば、open-mindedなところか。
言葉が通じようが通じまいが、相手が日本人であろうと外国人だろうと、
まったく区別なくつき合える。接し方が誰に対しても一定しているのである。
なぜそうなのかというと、ボクが誇り高い愛国者だからではないだろうか。
臆面もなく言わせてもらうが、国や民族に誇りを持っているから、どんな外国人
を前にしても動じることはないし、理不尽な言動にはすぐに反論できる。
要はいつもと変わらぬマイペースな男なのだ。

「愛国者」という言葉を使うと、つむじが左巻きの人たちはすぐ〝右寄りの人〟
などというレッテルを貼りたがるが、好きにしてくれ。GHQが日本人を骨抜きに
しようと考え出した「WGIP(War Guilt Information Programn)」にいまだに
憑かれ、洗脳が解けない人の、まあなんと多いことか。彼らのほとんどは
朝日・毎日・東京新聞の愛読者だ。トランプ米国大統領の言葉を借りるなら、
これらの左翼反日新聞の記事は一見もっともらしいことが書いてあるが、ほとんど
〝fake〟である。考えてもみてくれ、「私は自分の生まれた国を愛しています」
と大っぴらに言えない国がどこにあろう。

築地の話がとんでもない方向へ行ってしまったが、これもいつものことか。
真の愛国者になるためには、まっとうな歴史をしっかり学ぶこと。歴史を学ぶと、
「日本は侵略国家だった」などというGHQ、さらには支那、韓国の喧伝する
インチキで捏造された歴史観から解き放たれる。リベラルと称する反日左翼の
の欠点は、ただ一言にして尽くせる。
「不勉強――」
それだけだ。

さてタイトルに「築地は外国人居留地か」としてみたが、
事実、築地はかつて「外国人居留地だった」
築地鉄砲洲(現在の中央区明石町一帯)は明治期の約40年間、
外国人居留地だったのである。
その歴史的な記憶が、外国人たちを引き寄せるのであろうか。



←冷凍マグロのセリ場で。



2017年8月20日日曜日

異文化交流の日々

昨日は午前中にNHKの取材があり、取材班にはわが家までお越しねがった。
取材相手はなんと居候のLucas(ルカ、AFS練馬支部所属)である。
出演するのはNHKはEテレの『Rの法則』という番組。
予定としては9月12日(火)の18:55~である。

テーマは外国人留学生が日本の夏をどう過ごしているのか、というもの。
では、なぜルカが選ばれたのか? 本人曰く、
イケメンだから←臆面もなく自分でこうノタマウ
②日本語が比較的堪能だから
③意外性のある面白いことを言うから←これはボクの印象

①は、たしかにボクに似てイケメンだ。ただし笑うと途端にマヌケな顔になる。
②はボクの薫陶よろしく、かなり深い話まで日本語でできる。特に女の子を
〝ナンパ〟するときの言葉はさすがフランス人、実に豊富で深い。
③「好きな日本語は?」という問いかけに、ルカは端然として、
「ネリマタカノダイ」。質問者が「えっ? 何ですかそれ?」
「練馬高野台」。表情を変えずに再び言う。ただの近所の地名である。
ルカに言わせると、言葉の響きが男性的で「サムライみたい」なのだそうだ。

本番の収録は渋谷のNHK放送センターまで出向いて行う。
ちょうどその日は高校の始業式なのだが、事情を学校に説明したら、
快く欠席が許されたという。さて本番でルカがどんなおバカな発言をするか、
いまから楽しみである。放送禁止用語をいっぱい言っちゃえ、などと不謹慎な
ことをけしかけているのだから、とんだホストファミリーである。

さて昨日の夜はまた別のお客があった。
ボクのプール友達のCatherine(カトリーヌ)とご亭主のRodolphe(ロドルフ)
である。カトリーヌはベルギー人で、ロドルフはフランス人。2人ともフランス語
の先生で、アテネフランセや日仏学院、他にも複数の大学で教鞭をとっている。

ロドルフは30年近く日本にいるから日本語はほぼネイティブと同じ。
一方、カトリーヌのそれは少し怪しいが、ルカよりは数段マシか。
ビールに白ワイン、それにフランス製のチーズを4~5種類、さらに
モッツァレッラとトマトのカプレーゼ、スモークサーモン、薄く切った
バゲットなどが食卓に並んだ。

プールではボソッと一言いうだけの無愛想なロドルフも、
この日ばかりはお茶目な性格丸出しで、実に面白い。そのいでたちは
昔懐かしいヒッピーのそれで、全体はmonk(修道士)みたいな雰囲気なのだが、
耳にはピアス、ランニングシャツに下駄というラフなものであった。
ボクとの冗談の掛け合いでいったいどれほど笑ったものか。
ルカにあとで印象を訊いたら、
「フランス人の中でもかなり変わってるほうかも……」だって。
おれの友だちはどうしてこうも規格はずれの変人が多いのか。

てなわけで楽しいひとときを過ごしたが、
明日はルカと女房を連れて長野へ一泊旅行だ。
足が悪いものだから、旅行は苦手なのだが、せっかく留学生が来ているのだから、
少しは見聞を広めてやりたい。杖をつきつき、随いていくことにした。

ルカは将来、フランスの大統領になる、と宣言している。
最初はパリの「パリ政治学院」に入って外交官になるのだ、
と言っていたが、ボクが「お前ならきっと大統領になれる!」
とおだてたら、俄然その気になって、マクロンの次の次の次の……次くらいの
大統領になるつもりでいる。そしたらボクは『ルカ大統領の〝ナンパ交遊録〟』
なんて本を書いて大儲けするつもりだ。



←憧れの近藤勇になりきっているルカ。
こんなお調子者で、フランス大統領に
なれるものだろうか。ちょっとシンパイ。

2017年8月9日水曜日

8月は死者を悼む月

毎週水曜日は朝霞市民プール「わくわくどーむ」で泳ぐ日である。
さすがに夏休み中である、家族連れが多くてプール内は芋を洗うようだった。

しばらく泳いでいたら館内放送で、
「午前11:02分になったら1分間の黙祷を捧げます」
のアナウンスがあった。
72年前の8月9日、午前11:02分、長崎に原爆が投下された。
広島のウラン235の1.5倍の威力をもつコードネーム「Fat Man」
という爆弾で、一瞬のうちに7万4000人の命が奪われた。

ボクはレーンの端っこに寄り、静かに黙祷をささげた。
多くの人たちは、アナウンスが聞こえなかったのか、
それとも長崎への原爆投下という事実すら忘れてしまったのか、
変わらずはしゃぎまわっていた。ふとプールサイドの一角に目をやると、
外国人の男性がひとり直立し、静かに目を閉じていた。

『戦争を知らない子供たち』などという気恥ずかしくなるような歌を
得意げに歌っていた団塊の世代。そして、その世代に続くボクたちの世代。
あれからもう72年も経ってしまった……ああ、歳月!

あの日、アメリカのハリー・トルーマン大統領は、さすがに迷ったという。
彼は後に記者たちからその時のことを訊かれ、
「迷うどころか、こうやってすぐ決めたんだ」
と得意げに言い放ち、指をパチンとはじいたという。
が、実際は、日本に原爆を落とすかどうか相当迷ったらしい。

で、イギリスのチャーチル首相に相談したら、
日本人は〝beastly little yellow monkies〟だからいいんだ
と言われ、それはそうだと納得し、使う決心をしたという。

トルーマンは一時、全米に600万人の構成員がいた
白人至上主義団体「KKK」のメンバーだったこともある。
もともと筋金入りのracist(人種差別主義者)だったのである。

チャーチルも名宰相の呼び声が高いが、これまたひどい人種差別主義者だった。
1920年代、中東で軍から毒ガスの使用許可を求められた彼が出した回答が、
未開人に対して毒ガスを使用するのに、ためらう必要などない
というものだった。

ヒトラーも『わが闘争』の中で、日本人のことを〝東洋の山猿〟と
書いていたが、日独伊三国同盟を結んでいた当時の日本で、
その翻訳が出た時、さすがにその個所はカットされたという。
トルーマンやチャーチル、ヒトラーが特殊な考えの持ち主だったわけではない。
当時の白人たちには珍しくもない、ごくふつうの考えだったのである。

その山猿の子孫であるボクが、皮肉にも自宅に白人の高校生をホームステイ
させている。そして猿が食らうエサと同じものを日々、彼に与えている。
この素直で純朴な白色人種の子は、「おいしいです」と言って食べている。

人はなぜ人種や宗教で互いに反目・差別し合うのだろう。
なぜ白色が優秀で、黄色や黒色は劣っていると言えるのだろう。
白色が優勢だったのは、たかだか近・現代の300~400年だけである。
それまでは黄色を含めたカラードのほうが文化的にも文明的にもずっと優勢だった。
世界4大文明はすべてアジアとアフリカから興っている。

子供の頃に読んだ絵本にはこうあった。
白は生焼けのパン、黒は焦がし過ぎ、黄色くふんわり焼けたパンが一番おいしいの
この絵本の作者はパンに仮託して何を訴えかけたかったのだろう。
パンは何のmetaphor(隠喩)なのだろう。

広島と長崎への原爆投下は不必要なものだった。
それ以前から、日本は降伏のサインを再三にわたって出している。
しかし彼ら白人たちはわざと無視した。
猿をモルモット代わりにし、原子爆弾の威力を試してみたかったからである。
それとアメリカ側にはソ連の勢力拡張に対する牽制の意もあった。
当時、ソ連は火事場泥棒のように北海道の占領を目論んでいた。

広島、長崎に続いて8月19日には3発目の原爆を落とす予定だった。

小倉や京都、新潟などが候補に挙がっていた。
が、8月15日、日本が無条件降伏したため、計12発落とす予定だった計画
沙汰止みとなった。彼らにとって所詮、日本人はyellow monkiesである。
何匹くたばろうが知っちゃァいない。心が痛むことなど金輪際ないのである。

ボクのバンド仲間のN君は被爆者二世である。
彼のご母堂が長崎で被爆しただけでなく、祖母と叔父を同時に亡くしている。

戦争は遠い昔の話ではない。
目を凝らせば、ごくごく身近なところに、その爪痕は残っている。



←あれからもう72年……


2017年8月3日木曜日

よく寝る父子

近頃、何をするにもおっくうになってきた。
夏バテなのか加齢によるものなのか、生きる気力というか活力がめっきり
湧いてこないのである。あれほど好きだった洋画もまったく見る気がしないし、
仲間たちと飲んでも今ひとつ意気が上がらないのである。
「元気なさそうだけど、どこか具合でも悪いのですか?」
近所の知り合いにすれ違いざまに声をかけられた。
見た目にも悄然とした様子が見て取れるのだろう。

体調がすぐれない、というのはたしかにある。
夏祭り(7/22)の前後から体調不調を訴えてきたのだけれど、
その後遺症なのか。しかし今は下痢も収まり、めしも酒もおいしく
いただいている。それなのに、なぜか気分がふさいでしまう。
これはいわゆる〝不定愁訴〟というものなのだろうか。

ただ衰えないのは、読書慾だ。読みたい本が次々と出てきて、
ついAmazonに注文してしまう。本が届けばさっそくひも解くのだが、
ソファに横になり読み始めると、ものの数分で居眠りがはじまる。
お父さんはよく寝るね
居候のLucas(ルカ)にもバカにされる始末である。
おかげで部屋のあちこちに読みさしの本が山積みされている。

この数日、女房が浜松の実家に帰っているので、
わが家はボクとルカだけ。男同士だから気楽でいい、というのはもちろん
あるが、お気楽ついでに何もしない、という事態にもなる。
(食事作るのもめんどくせえな……)
留学生には三度の食事を与えなくてはならない、という決まりはあるが、
「おいしい食事」を与えろとは書いてない。で、怠けもののボクは手を抜く。

「ルカ、晩飯は外で食べようか?」
外食と聞くとルカは喜ぶ。たとえラーメン一杯でも素直に喜ぶ。
昨夜は奮発してインド料理屋でカレーやタンドーリチキンをごちそう
してやった。
(今夜は丸亀製麺でぶっかけうどんでも食わせるか……)
できるだけ安く上げようと、またまた外食を目論んでいる。

ルカとの生活は刺激があっていい。
なかなかクセのあるやつだが、頭はいいし、性格は素直だ。
部屋中をスッポンポンで歩き回るのだけはやめてくれ、
と叱ったこともあるが、昨日はパジャマ姿で外出してしまった。
フランス人というのは、いつもあんな調子なのか?

ま、世の中にはいろんな人間がいる。
たまたまわが家に同居することになったが、これも何かの縁だろう。
今まで十数カ国の留学生(高校生)がわが家の敷居をまたいだが、
みなそれぞれに何かを残していってくれた。今や家族同然につき合っている
子もいれば、その後、何の音沙汰もない子もいる。

だがそれでいい。留学生をあずかるのはあくまでボランティア活動。
無償の奉仕なのだから、反対給付など期待してはならない。
日本という国と、そこに住む日本人を好きになってくれれば、
それ以上言うことはない。ちっぽけな日本という島国には、
心のやさしい人々が暮らしている――そのことを知ってもらえれば、
もう言うことはないのだ。

今、午前10:30。
ルカはまだ寝ている。
「お父さんはよく寝るね」
というルカの言葉は、
ルカはよく寝るね、まったく」
と、毎日のように小言をいうボクに対する当てこすりなのだ。
口の減らないフランス人め……(笑)。





2017年7月27日木曜日

そこのけそこのけ、スマホが通る

スマホやケータイを持たない人間から言わせてもらうと、
「歩きスマホ」といった〝ながらスマホ〟ほど危険極まりないものはない。
日本では電車内はいうに及ばず、街中のいたるところでスマホの画面に
見入りながら歩く〝るきスマ(略してあホ族)〟を見かける。

車の運転中でもスマホを手放せない連中がいる。
首都高を走っているとき、ふと隣の車線を見たら、
メール打ちに熱中しているトラック運転手がいた。
(高速道路でメール打ちかよ!)
ボクは事故に巻き込まれたくないので、すぐにこの車から離れた。
こういう危険行為は歴とした犯罪なのだ、
と彼ら〝スマホ中毒患者〟に思い知らせてやる手立てはないものか。

一方で、「歩きスマホ」をやっている人を専門に狙う〝当たり屋〟が
街に出没していると聞く。あえてよけずに、わざとこちらから
ぶつかっていくのである。スマホ中毒患者が文句を言ったら、
前を見ずに歩いてるお前が悪いに決まってるやろ!
とちょっぴり凄んでやれば、相手は〝シュン〟となってしまう。

ボクなんか根が凶暴だから、この「当たり屋」にはむしろ賛同したくなる。
どさくさまぎれに肘打ちかなんか喰らわせ、
「どこ向いて歩いていやがるんだ! このスットコドッコイ!」
カッコよく啖呵を切ったら、さぞ絵になることだろう。

スマホという〝おしゃぶり〟を片時も手放せない白痴化寸前のみなさま。
前方にボクらしき怪しい人間を見かけたら、くれぐれも気をつけてくださいませ。
その男、凶暴につき』、肩を怒らせて体当たりしてくるかもしれません。
あるいは豊田真由子センセーみたいに、
《ぶつかった? ちがうだろッ――――! バカかお前は!》
《痛かった? ちがうだろッ――! お前はどれだけあたしの心を叩いてる!》
などと、怖ろしい形相で反撃してくるかもしれませんゾ。

スマホなんぞチョロチョロのぞいているヒマがあったら、
たまには静かに本でも読んだらどうなんだ、エ――ッ?
スマホからつまらぬ「情報」は得られても、生きるうえでの糧になる
「知恵」は得られませんよ。もちろん深い「教養」も。
第二次だか第三次だか「一億総白痴化」のニッポンを間近に見るにつけ、
憂国の情抑えがたく、ひとこと言わせてもらいました。

るきスマの常習者たちよ! そんなにスマホが好きなら、
事故にあってみごと昇天しても、の世でスマを離さないでね。




←いいね、このポスター。
日本じゅう「あホ」だらけや


出典:神戸新交通提供

2017年7月24日月曜日

年寄りと釘の頭は引っ込むがよし?

いきなり弁解させてもらうが、昨日の夏祭りのステージはサイテーの出来だった。
夏バテなのか、数日前から体調がすぐれず、トイレに駆け込んでは激しい
下痢を繰り返していた。今にして思えば、おそらく休肝日なしの暴飲暴食で
胃腸が悲鳴を上げていたのかと思う。

尾籠な話でまことに恐縮なのだが、本番当日も下痢は衰えるところを知らず、
数時間ごとにトイレに駆け込んでいた。おかげで腹も引っ込み、男っぷりは
以前に増して上がったのだが、いかんせん力が出ない。現に40℃を越す舞台
の上では立っているのがやっとだった。

「ダメだわ、頭がクラクラする。演奏中にぶっ倒れるかもしれない」
バンド仲間に正直に告げたら、
「椅子に座って歌ったら?」
と心配してくれたが、孫も見に来てくれているし、イタリア娘のSabrinaも
わざわざ駆けつけてくれている。居候のLucasだって見ているのだ、
ホストファーザーの醜態など見せられるものか。

てなわけで、知らん顔して歌い始めたものだが、
熱中症の一歩手前だったのか、耳がいかれてしまっていて、
仲間のピアノやギター音がぼんやりとしか聴き取れない。
おかげで前奏の途中で歌い始めたり、間奏をすっ飛ばして
歌ってしまったりと、散々であった。

そして肝心の『ずっと好きだった』で大コケしてしまった。
嗚呼、あんなに練習し、イメージトレーニングまでしておいたのに……

演奏終了後、仲間たちはやさしく慰めてくれたが、
ボクの気持ちは今も沈んだままだ。
そろそろ潮時かな……
つい弱気の虫が顔をもたげてくる。

今夜は友人の出版記念祝賀会へ出席するため銀座のビストロへ。
肉料理の旨い店だが、はたして食えるかどうか。
と言いながら、会費分以上の元は取ろうと、体調も考えず、
必死こいて飲み食いするのだから、この貧乏性と品性のなさは
生まれつきか。
バカは死ななきゃ……といつものセリフでまずはお開き。




←哀愁の「蛮爺's」

2017年7月15日土曜日

飛んで火に入る夏のルカ

Lucas(ルカ)は茶目っ気のある子だ。いや、あり過ぎる。
昨日、スーパーの買い物につきあわせたら、野菜売り場で、
「お父さん、これ見てみて!」
というので振り向いたら、キュウリを股間にあてて上下にふっていた。

「ルカ、ナメコ茸は好き? ヌルヌルして気持ち悪いかもしれないけど、
これを豆腐といっしょに味噌汁に入れると旨いんだ」
ルカにお伺いを立てたら、
「ウン、好き。味噌も糞もいっしょだから。へへへ」
覚えたての言葉をさっそく使ってる。ただ使いかたが間違ってる。
とうとうわが家の味噌汁が糞汁にされちまった。

そうかと思うと、夕食を囲んでいるとき、いきなり、
「お父さん、アベノミクスは好き?」←意味わかってんのかねェ……
と訊いてきた。
「もちろん好きだよ。お父さんはアベ内閣を支持してるからな」
と答えてやったら、
「トランプは好き? ルペンは? プーチンは? メルケルは?」
とたたみかけてきた。
「トランプ? 少なくともヒラリーよりましだろ。ヒラリーはリベラルを
気取ってるけど、国務長官のときにリビアを攻撃させて、リビアやエジプトを
ぐちゃぐちゃにしてしまった張本人だからな。いまも無政府状態なのは
ヒラリーのせいさ。あいつの本性は(軍産複合体に支えられた)戦争屋なんだよ」
と言ってやったら、その辺の事情を少し分かっているような顔をしていた。

欧米の人間たちはメディアの多くがそうであるように、知的階層はみな
リベラルを標榜している。日本のリベラルとは少し趣を異にするが、
概ねリベラリストを気取っている。ボクも本質的にはリベラルだが、
彼らのいうところの薄っぺらなものとはちと違う。リアリズムという
(つち)で徹底的に叩き鍛えているからだ。

だから甘ちゃん特有の理想主義的な要素はいっさい消え失せている。
何がきらいといって、いい歳こいて夢見がちの瞳をしたリベラルな
甘ちゃんほどきらいなものはない。団塊の世代には、この手の甘ちゃんが
佃煮にするくらいウジャウジャいる。共通項は、朝日新聞愛読者で、
戦前の日本を悪しざまに言う自虐史観の持ち主ってこと。頭が悪いくせに、
いっぱし賢者を気取っているのだから始末に悪い。

「トランプ? ルペン? だ~い好きだよ。もう最高!」
ボクがおどけてこう答えてやると、ルカは少し困ったような顔をしていたが、
所詮、15歳の少年である。この年代の少年はボクがそうであったように、
正義をふりかざすリベラルな思想にかぶれやすい。自由で進歩主義的で、
弱者救済的な考え方を標榜するリベラリズムは、正義感あふれる青少年の
心をとらえやすいのだ。

チャーチルだったかディズレーリだったかが、こんなことを言ってるではないか。
20歳までに左翼に傾倒しないものは情熱が足りない。
20歳を過ぎてなお左翼に傾倒しているものは知能が足りない》と。
ついでに原文も載せておくとこうなる。
If you are not a liberal at 20, you have no heart. 
If you are not a conservative at 40, you have no brain
ちょっと訳語とは違うが、ニュアンスは同じだ。

「僕のホストファーザーはガチガチの極右でした」
もしかするとフランスの両親にそんなメールを送っているかもしれない(笑)。
ご両親の驚くまいことか。ヘヘ、面白いな。こうこなくっちゃネ。

フランス最難関の「パリ政治学院」をめざし、
将来は外交官になりたいというルカ。今のうちに
「リベラルはいかにダメか」について、たっぷり講義しておいてやろう。
ああ、ルカの運命やいかに……

←川越・氷川神社の風鈴イベント





photo by Ako

2017年7月10日月曜日

聖ルカになれる?

以前預かったチェコの留学生はとんだ食わせ者だった。
勉強も運動もやらず、ひたすら寝てばかり。部屋は荒れ放題で、
洗濯物も出さない。日本語はまったくしゃべれず、こちらは
ホトホト疲れ果ててしまった。あとで聞いた話だが、通った高校の
教師や同級生たちにもすこぶる評判が悪かったようである。

一方、今回預かったフランス人のLucas(ルカ・15歳)はなかなか
良さそうな子に思える。といっても今日はまだ会って3日目だから、
素性はよくわからない。一見、礼儀正しくしているが、とんだ猫っかぶりかも
知れず、もうしばらく様子見といったところか。チェコの留学生があまりに
ひどかったので、ごくふつうの子でも相対的に評価が高くなってしまう、
という理屈かもしれないし、こちらがより疑り深くなっている、
ということもある。名前のLucasは聖書の「ルカ伝福音書」に出てくる
聖ルカからとったもの。築地の聖路加国際病院のあのルカである。
聖人と同じ名前の男の子だ、よもやフランスの名誉を汚すようなマネはすまい。

チェコのT男は、日本語がほとんどしゃべれなかった。なぜか?
勉強しないからである。最初から日本語も日本文化も学ぶ気はなく、
アメリカへ留学するための足掛かりとして、たまたま日本のホスト
ファミリーをホテル代わりに利用しただけの話である。
現に、留学途中で、AFS日本協会の規則に反し、もちろん世話になった
複数のホストファミリーに何の挨拶もなく、アメリカに逃げていってしまった。
まるで無銭飲食の常習みたいな男であった。立つ鳥跡を濁さず、どころか、
とことん濁しっぱなしにして雲隠れしてしまった。
チェコ人の面汚しといってもいいだろう。

AFS日本協会も、これら多くの苦情を受け、AFSチェコ共和国協会に
「このような子は日本へ寄こさないでほしい」と猛烈に抗議したらしい。
今まで何人も留学生をあずかってきたが、あれほどまでひどい生徒は
初めてだった。運悪くそのウルトラ級の〝スカ〟を引いてしまった
ホストファミリーにとっては、まさに悪夢だった。
留学生不信に陥ってしまうのもむべなるかなだ。

その点、Lucasは来日してまだ数か月しか経っていないが、
日常会話に困らないくらい流暢に日本語を操る。自分自身でこのレベルの
英語をしゃべれるかというと、はなはだ自信がない。日本のアニメなどに
興味があり、また叔父にあたる人が仕事の関係(RICOH?)で日本に数カ月
滞在したこともあって、日本の事情をつぶさに知り得た、
というのも大きいかもしれない。

それとLucasにすばらしい点があるとすれば、生来のout-going(社交的)
な性格で、だれ彼なく〝ナンパ〟してしまう、というところにある(笑)。
誤解のないように願いたいが、この〝ナンパ〟は「友達になる」の意だ。
男女を問わず友達をいっぱい作るのは語学上達の一番の早道。せいぜいこの
ひよっこのCasanova君には〝ナンパ術〟に磨きをかけてもらいたい。

初日の夜は「夏野菜入りカレー」を作ってやった。
Lucasは野菜がきらい、と事前に聞いていたからだ。
特に苦いゴーヤがきらいというから、こんど自慢の
ゴーヤチャンプルーをたっぷり作ってあげよう。



←オカリナを吹くLucas。

















←マスクメロンを平らげたLucas。
ボクに似て、なかなかの色男だ。

2017年7月8日土曜日

オジサンが成仏する道

ボクは「オジサン」が好きじゃない。
「オバサン」はそれほどでもないのに、
「オジサン」はどういうわけか肌が合わないのである。
以下、ランダムにオジサンたちの〝きらいなところ〟を挙げてみる。

愛想がない
オジサンはたいがい仏頂面をしている。つまり顔を外部に対して閉じている。
「俺にむやみに話しかけるんじゃない」という顔をしている。司馬遼太郎の
エッセイにも同じようなことが書いてあった。中国人の顔は外に向かって
開いているが、日本人の顔は閉じていると。が、オープンな顔もたまにはある。
ボクが話しかけるのはオープンな顔の持ち主だけ。仏頂面のオジサンなど
「目障りだ、あっちへ行け!」である。

社畜そのもの
長い間、会社に飼いならされていると、だんだん〝社畜化〟してくる。
名刺に部長だとか〝長〟の字がつくと、自分はひとかどの人物ではないか、
と勘違いしてしまう。相手が名刺を見てペコペコするのはあなたの会社に
対してであって、あなた個人に対してではないのですよ。ああ、それなのに、
定年後もその思いを引きずっていて、大学名や会社名を聞き、自分の経歴
より下と見ると、途端に傲岸不遜な態度をとる。
「俺はあんたの家来じゃないよ! あっちへ行け!」

ジロジロ見つめる
子供が「この人、危ない人かも」と見知らぬオジサンをジーッと観察する、
というのはよくあるが、オジサンやオジイサンも同じ行動をとる。すれ違う際に、
相手の顔をジーッと眺めまわすのだ。欧米的なマナーからすると、完璧に
bad-mannerといえるもので、見られる側は不快になる。歳をとると子供に
還ってしまうのか、子供は赦せるがオジサンたちは赦せない。
「なにジロジロ見てるんだよ! あっちへ行け、この野郎!」←豊田真由子風に

定年後は濡れ落ち葉
定年後のオジサンは奥方のそばにまとわりつく濡れ落ち葉そのもの。
スーパーの買い物についてはくるが、主導権は奥方が握っているから、
酒のつまみひとつ自由に買えない。で、所在無げにトボトボあとをついてゆく。
給料運搬人の役割を終えたオジサンに対しては、積年の怨みがあるのだろう、
奥方はひどく冷たい。心の奥で、「この人さえいなければ気楽でいいのに」
なんて思っている。「月給取りを廃業した男に用はない、あっちへ行け!」
家庭を顧みなかった社畜の末路なんてこんなものだ。

ファッションがダサい
髪の毛が薄くても年齢相応に服装がバッチリ決まっていれば、
「このハゲ――――ッ!」と罵られることはない。いわゆる
ダサい中年オジサンのかっこうをしていると、奥方から、
「お前はどれだけあたしの心を叩いている!
これ以上、私の評判を下げるな!」←これも豊田真由子風に絶叫する
と強烈な左パンチが飛んでくるかもしれない。
「ダサいかっこうのオジサンは、あっちへ行け!」

話がつまらない
オジサンの話は総じてつまらない。シンブンガミや週刊誌ネタの流用で、
教養を感じさせる話はほとんどできない。ボクもバカっ話ばかりしているから、
それはそれでいいのだが、できればシリアスな話にも対応できる素養がほしい。
ゴルフの話なんか聞きたくないし、巨人軍がどうしたこうした、も聞きたくない。
「中身のない話を垂れ流すオジサンたちは、あっちへ行け!」

朝日シンパが多すぎる
特に団塊の世代('47~'49)はリベラルを気取るバカが多くて困る。
ボクのいう日本的リベラルとは、いい歳こいて、いまだにゲバ棒をふるって
いた時代が懐かしいのか、何かというと反体制や反権力を気取りたがる
薄っぺらな連中のことをいう。革新や改革を唱えるが口先だけで、今もって
崩壊した社会主義に対して言い知れぬ懐旧の情を抱いている。
「口先だけはリベラルを気取る偽善者どもめ、早くあっち(彼岸)へ行け!」

以上、思いつくままに挙げてみたが、
特に団塊の世代のオジサン(オジイサンか?)は、
もはや手のほどこしようがないくらいに浮いてしまっている。
戦後のGHQと日教組の洗脳教育の申し子と言ってしまえば、
なにやら可哀そうにも思えるのだが、あの尊大で居丈高な態度を見ると、
もう少し何とかならなかったものか、と彼らの不勉強ぶりを難詰したくも
なるのである。

オジサンはすべからくオバサンになるべし。
要はつまらぬ面子だとかプライドをかなぐり捨て、
裸の自分を出してみろってこと。もっと言えば、この大きな宇宙の中では、
自分はちっぽけな存在で、おまけに底抜けのバカなんだ、ということを
しっかり認識しろってことだ。

ボクは幾度となくこのセリフを繰り返しているが、
オジサンがめでたく成仏するにはそれしか他に道はない。
オジサンがオバサンに変身し、屈託ない笑顔を作れるようになれば、
自然とあなたの周りにトモダチの輪ができるだろう。



※追記
本日の夕方、フランス人留学生Lucas(ルカ)が来る。
15歳とまだ子供だが、身長(178㎝)は生意気にボクより1㎝高い。
フランス語以外に英語、ドイツ語をしゃべり、さらに覚えたての
日本語を少ししゃべるという。イケメンというので、長女がわざわざ
見に来るという。わが家の女どもはイケメンに超弱いのである。

※続・追記
Lucasはスレンダーなイケメンで、日本語能力はなかなかのもの。
〝あんこ〟が好きだというので、昨夜は水羊羹を食べさせたら、
うまいうまいと言いながらペロリと平らげてしまった。将来の夢は
パリ政治学院に入り外交官になることらしい。ここはシラクや
ミッテラン元大統領など歴代の大統領を輩出した超難関校。ああ、
それにしてもたった数カ月で、ここまで日本語を操れるものなのか。
10年以上英語を学んで、いっこうにしゃべれないわが身を省みて、
ちょっぴり恥ずかしさを覚えた。



2017年7月2日日曜日

マンガは〝箸休め〟

あれほど好きだった洋画もとんと観なくなりました。
といっても、ボクの場合は映画館に行くことはなく、
DVD鑑賞だけどね。PTSD患者なので、閉鎖された館内は苦手なのです。
なぜ観なくなった? 飽きちゃったんですよ、作り話に。

テレビも見なくなりました。
バラエティー番組はバカの品評会だし、プロ野球もJリーグも見ません。
スポーツは大好きなのですが、野球とサッカーへの情熱が冷めてしまいました。

テレビで見るのはニュース番組とFOXテレビの番組くらい。
以前も紹介したけど、『NCIS~ネイビー犯罪捜査班』とか
『リゾーリ&アイルズ』『Major Crimes~重大犯罪課』といった
シリーズものに魅かれています。この手の完成度の高いドラマを見てしまうと、
日本の幼稚なドラマなんか、とてもとても。日本のドラマはまずシナリオが
ダメで、演出もダメ。役者もトウシローだからすべてダメ。ましてや韓流
ドラマなど整形顔のオンパレードで、誰が誰だか顔の区別がつきません。
おまけに歴史物は見栄っ張りの韓国人らしく絢爛豪華でウソばっかり。
噴飯ものです。

で、結局何してヒマをつぶしているかというと、月並みですが読書なんです。
読書はほぼ毎日のようにアマゾンで注文した本が届きますから、最低でも
日に1冊ずつ読んでいかないと文字どおりの〝積ん読〟に。こっちも必死です。

読むのはどっちかというと歴史関係か政治色の濃い硬い本ばかりなので、
ときどき〝箸休め〟にマンガを読みます。といってもごく最近読み始めたもの。
基本的にボクはマンガ嫌いなので、家にマンガはありません。が、ひょんなことで
手にとったじゃんぽ~る西の〝パリもの〟が面白かったので、これも手当たり次第
アマゾンに注文しています。あと数日すると留学生のLucas(ルカ)も来るので、
彼にもムリヤリ読ませてやります。カミさんはフランスへ7~8回行ってますが、
レジ係のおばちゃんや郵便局のオッサン、カフェのギャルソンの態度の悪さに
毎度のことながら憤慨しています。

《あの人たちにはサービス精神ってものが根本的に欠けてるのよ!
釣銭は放り投げるわ、皿だってガシャーンと置くわ、郵便局の窓口で
「荷物が着いてるはずなんですが」と何度訴えても「知らない」の一点張り。
長い行列で客はイラついているのに、そんなのおかまいなしに従業員同士で
おしゃべりに夢中……。あの怠惰で不遜な態度って、いったい何なの? 
自分を何様だと思っているのかしら?》
思い出すたびに怒りがこみ上げてくるといいます。
せっかくですからこの鬱憤を、フランス国を背負って留学しているLucasに
思いきりぶつけてみることにします(笑)。

《フランス人は支那人と同じで、自分たちが世界文化の中心だっていう
〝中華思想ethnocentrism〟に骨の髄までズブズブだからな。イギリス人が
よく言うじゃない。「フランスは世界一すばらしい。フランス人さえいなければ」
って。かなり皮肉がきついけど、言い得て妙だよ》
ボクが応じると、カミさんも深くうなずく。
でも、あの偉そうにふんぞり返ったニセ紳士のイギリス人なんかに
言われたくないだろうね。要はどっちもどっちだってこと。

ところで、明日は母の祥月命日。
川越の菩提寺に花と線香をもってお参りに行ってきます。
《母さん、みんな元気にやってるよ。春には初孫も生まれたし……》
泉下の父と母にしっかり報告するつもりです。
母さん、もう一度会いたいね。たまらなく会いたいよォ……




←このシリーズも面白い。子育ての
奮闘ぶりがボクの娘夫婦のそれと
重なるからだ。Bise(ビズ)のやり方、
すなわちTPOに応じた〝チュー〟のやり方も、
図解入りで詳しく描いてある。こんど、
Lucasではなく♀のAlexiaに教えてもらおう。

2017年6月22日木曜日

ハゲだって生きているんだ!

おらが町さの豊田真由子衆議院議員様(42歳、埼玉4区選出、第2期目)
週刊新潮(6月29日号)の見出しに、
「豊田真由子」その女代議士、凶暴につき》などと書かれ、
あまつさえ、その〝絶叫暴行〟ぶりを録音した音声データまでもが
動画サイトに流出してしまった。

動画を見ると、「このハゲ――――――――――――ッ!」
と、運転している政策秘書(55歳)に対し、後部座席から狂ったように絶叫。
そのあと、ボコボコッと秘書を殴ったような音が続く。
秘書はしきりにスイマセン、スイマセン(←スミマセンが正しい)と平謝りだが、
なにしろ車の運転中だ。後ろの座席から頭を殴られたら事故だって起こしかねない。

「鉄パイプでおまえの頭を砕いてやろか!」
「おまえの娘にも危害が及ぶぞ!」
「死ねば? 生きてる価値もないだろ!」
秘書たちに対する暴言の数々。なんと1年半の間に20人の秘書が辞めたという。
いやもっと言うと、当選してからすでに100人の秘書が辞めている。

さすがに娘にまで危害を加えられたらたまらないと、
この〝ハゲと呼ばれた秘書〟は警察に被害届を提出。
医者の診断書には、顔面打撲傷、左上腕挫傷などと書き込まれていたという。
殴る、蹴る、ハンガーで叩く……これじゃあ秘書が辞めていくのも当然か。

東大法学部を卒業し、ハーバード大学大学院まで修了しているという才女。
見た目は健康的で明るい美人だが、裏に回ると自己チューで凶暴な性格が
露わになっていた。議員仲間の間では〝ピンクモンスター〟というあだ名で
呼ばれていて、そのハチャメチャぶりは有名だったらしい。

実はこの凶暴なピンクモンスター、わが家にも来ている。
おそらく知り合いの市議会議員がボクのことを紹介したのだろう、
突然ピンポーンと玄関先に現れた。何ごとかと慌てて応対すると、
「シマナカ先生ですか? お会いできて大変光栄です」
などと、ボクの両手を拝むようにとって、腰を90度に折り曲げた。
ホントかどうか知らないが(たぶんウソだろう)
ボクの本の熱狂的な愛読者だという。

断っておくが、ボクはこの〝先生〟と呼ばれることを好まない。
《先生と呼ばれるほどのバカでなし》などという川柳だってある。
しかしたまに講演などをすると、いやでも〝先生、センセー〟と呼ばれるのである。
業界の悪しき慣習なのか、物を書く人間は、どんなにビンボーでも、
どんなにスケベーでも、また稀代のアンポンタンでも〝先生〟なのである。

きれいなネエちゃんに手を握られ、うっとりとした瞳で見つめられたのだ。
堅物のボクも思わず顔がほころんでしまった。握手ついでにハグでもしてくれたら、
助平なボクは力いっぱい抱きしめてしまったかもしれない。

ただ、いまも鮮明に憶えているのは、同行した男性秘書のつまらなそうな顔だ。
この男も辞職した100人余の秘書の一人なのだろう。ふだんから言葉の
暴力にさらされているのか、議員秘書にふさわしからぬ無愛想ぶりだった。

それにしても「鉄パイプで頭を砕いてやろか」とか「娘にも危害が及ぶよ」とか、
言うに事欠いて、この暴言はひどすぎる。まるで暴力団員の脅迫であり恫喝
そのものだ。だいいち秘書でもあるおじさんに「このハゲ――――ッ!」
はないでしょ。てっぺんの薄くなったボクなんか、こう言われたらひどく傷つく。
ボクはこの女にあえて言いたい。「おまえはどれだけ私の心をたたいてる!」

    ♬ ミミズだって オケラだって 若ハゲだって
      みんな みんな 生きているんだ 友だちなんだ

このピンクモンスター、「安倍チルドレン」のひとりだというが、
安倍さんもおバカなチルドレンばかりで、なにかと気苦労が絶えないねェ。
ああ、東大卒だハーバード大学院卒だと、本人は〝我こそは選良〟などと
思いあがっているのだろうけど、ホント、バカな女だねえ。
学があっても知恵がない。独断と偏見で言わせてもらうと、
東大卒のほとんどはクルクルパーだ(←スミマセン、義兄さん、スミマセン)
ああ、東大を蹴っ飛ばし慶大にしといてほんとうによかった。(←東京大工組合だろ!)

このカミツキガメみたいなバカ女、高学歴でも教養ってものがまるでないんだね。
教養というのは人間のやさしさに通ずるものなんだ。
この上昇志向の強い東大卒には、その〝やさしさ〟がスッポリ抜け落ちている。
こんなパワハラのゴキブリみたいなバカ女、自民党はもちろんのこと、
政界から早く駆除してしまったほうがいい。政治家の恥というより人間の恥だ。
この豊田、二児の母でもある。こどもたちが哀れでならない。

←「この女、凶暴につき」……。
ボクも他人のことは言えないか、へへへ。
ふだんは温厚篤実そのものだが、義憤に駆られると
「この男、凶暴につき」に豹変してしまうからな。
そういえば「この男、共謀につき」などと、安倍総理を
くさしている左つむじの連中もいたっけなァ。
狂暴でも共謀でもいいけど、「このハゲ――ッ!」などと
身も蓋もないことは言わないでね。

2017年6月17日土曜日

お隣さんはウソばかり

お隣り韓国・京城の日本大使館の前には、相変わらず慰安婦像が置かれている。
撤去するどころか、国の内外にどんどん増やし続けている。実はあの像、
元慰安婦たちのために作られた像ではない。あれはかつて米兵に轢き殺された
女の子のモニュメント像なのである。

米軍装甲車女子中学生轢死事件」は2002年に起きた。女子中学生2人が
在韓米軍の装甲車に轢き殺されたのだ。2人の頭蓋骨は折り重なるようにして
つぶれていたという。この2人の少女を悼むための像が、何の因果か、はたまた
悪い冗談なのか〝慰安婦像〟に変身してしまった。それが証拠に、この像には
必ず2つ目の席が置かれている。

もともと米軍基地の前に置く予定だったが、時の韓国政府が米国に気兼ねし、
それを許さなかったという。ではなぜ、この少女像が慰安婦像に使いまわされたのか?
この像を作った作家は、最初は本来の目的とは違うと強く反対したらしいのだが、
多額の札ビラを切られたら、ホイホイ受け容れたという。そしていつの間にか、
日本兵は純粋無垢な少女20万人を強制連行し、戦地で「性奴隷」として酷使した、
というウソ話が出来上がってしまった。

そして2016年、『鬼郷』という韓国映画が封切られ、空前の大ヒットとなる。
拓殖大学教授の呉善花氏によると、慰安婦問題を煽り立てるような内容で、
なんと日本軍が銃をもって韓国の田舎まで行き、家で留守番をしていた14歳の
少女をむりやり連行し、戦地で慰安婦にするというストーリー。なかには、
脱出を試みた少女たちを捕まえて銃殺する場面や、病気になった少女たちを
生きたまま穴に投げ捨て、焼き殺すというシーンもあるという。

「涙なしには見られなかった」
「こんな〝事実〟があったなんて、今まで知らなかった」
インターネット上のコメントである。観客動員数350万人('16年6月時点で)
総人口(約5000万人)の7%に当たる人が見て、日本人は酷いことをした、
と揃って涙している図はなんとも空恐ろしい。
韓国人は息を吐くようにウソをつく
とよくいわれるが、これじゃあ不可逆的な日韓合意もへちまもない。

数年前、生まれ故郷の埼玉・川越で「朝鮮通信使」のパレードを見た。
朝鮮の人たちは、未開の日本人に大陸の進んだ文化や文明を教えてあげたんだ、
などと胸を張っているが、すべて嘘っぱちである。江戸時代に足繁く通ってきた
通信使ご一行(日本側は誰もあっちへ行かなかった)は、いつも豪勢な接待を要求し、
宿に泊まれば食器から布団までかっぱらっていった。京都大学に絵図が残って
いるが、その絵には民家の鶏まで盗もうとしている通信使の姿が描かれている。

←ニワトリ泥棒の朝鮮通信使たち







日韓併合時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、
この国はダメだ。統治能力がまったくない
と、朝鮮国にあった公使館も領事館もすべて閉じ、
外交官を全員引き上げさせてしまった。自分の手に余るものだから、
この難治で荷厄介な国をぜんぶ日本に押しつけたのである。

筑波大学の古田博司教授も、こんな指摘をしている。
《朝鮮半島はずっと古代のままだった。青銅器文明にも達していなくて、
土器文明が続いていた。文化はすべて日本経由で、中国の文化すら
日本を通して入っていた。わかりやすいのは唐辛子。日本では唐から来た
から〝唐辛子〟だけど、朝鮮半島では〝和辛子〟という。日本からおこぼれ
の文化が入っていくだけの天涯の孤児国家だったのだ》

ところで「朝鮮」という国名だが、これはありがたくも中国から
いただいた国名で、「朝(東)の鮮卑」という解釈もあるが、
朝貢(中国への貢ぎ物)が鮮(すくな)い」の意である。
〝巧言令色鮮(すくな)し仁〟の、あの〝鮮し〟である。

ついでに言うと、朝鮮は中国に朝貢するときの身分が琉球王国より低かった。
他の国は駕籠や馬で天安門へ行くのに、朝鮮の王様は歩いて来い、
と命じられていた。なにしろ古代そのまんまの国だ、実に貧しかった。
それが証拠に、日本が併合する「before」の写真と「after」の写真を
見比べてみればいい。もうこれは天国と地獄くらいの違いである。
韓国人が「朝鮮人」と呼ばれるのをきらうのは、こんなところにも
理由がある。


←この写真だけでも一目瞭然。
朝鮮には偉大な文化があった、
それを日本がすべて奪った、
だなんて大ウソも大ウソだ。











日本の禍(わざわい)は、いつも朝鮮半島からやって来る。
誰が言ったか、まったくそのとおりで、
隣人に恵まれない日本という国こそ、いい迷惑なのである。
あの国とは一切関わり合いを持たぬこと――。
日本が幸せになる道はこれしかないです。

←この慰安婦像が米兵に
轢き殺された少女像の
使いまわしだったとはねェ。
日本とはまったく関係のない像ではないか。
ずいぶん人をバカにした話だ。