2019年12月26日木曜日

人の進化して猿となった今日

近頃の子供たちは、寄るとさわるとスマホか携帯ゲーム機を取り出し、
一心不乱になってゲームに熱中する。どんなゲームで遊んでいるのか、
おじさんにはサッパリだが、会話を楽しむでもなく、運動するでもなく、
ただ車座になってゲーム機とにらめっこしている光景は、おじさんの目には
なんともうすら寒い光景に映ってしまう。

昨日の新聞にもあったが、スマホに熱中している子供は外遊びをしている
子供に比べ、体力も知力も劣るのだという。それはそうだ、基礎体力をつけるべき
大事な時期に、スマホなどにうつつを抜かしていたら、IT機器特有のブルーライトで
目に障害が起きるだろうし、近視乱視のもとにもなる。それにスマホに時間をとられる分、肝心の勉強だっておろそかになる。

ボクはケータイもスマホも持たない。
意地を張って持たないわけではない。今のところ必要性を感じていないから
持たないだけだ。その代わりパソコンはやっているので、連絡等に不便を感じた
ことはない。少し前まではケータイもスマホもなく、それで十分日常生活が
成り立っていたのだから、あれば便利だろうけど、
「もちろん便利にはなるでしょう。でも、だから何なの?」
という感じだ。古人曰く。『機械あれば必ず機事あり』と。
便利なものは持てば持ったで、ただ忙しくなるだけ。しまいにはその機械に
逆に自身が使われてしまう。巷間見かける〝スマホ中毒患者〟はみなその類いだ。

ボクはしみじみ思う。子供の頃は貧しかったけれど、実に子供らしい子供だったと。
川越のボクの実家の前には農業高校があった。喜多院という大きなお寺もあった。
ボクら悪童はよく農業高校に入り込み、校内にあった牛舎や鶏舎、豚小屋で
悪さをした。当時流行っていたのが「2B弾」という花火の一種で、爆竹や癇癪玉の
ように火をつけると爆発した。けっこう危険な花火なのだが、当時は駄菓子屋で
ふつうに売られていた。ボクたちは〝にーびー〟と呼んでいたが、
この〝にーびー〟に火をつけ、豚小屋でまどろんでいる豚の尻に突っ込むのである。

爆竹を突っ込まれた豚はたまらない。「ドッカーン!」と爆発した途端に、
小屋中が大騒ぎ。「ブヒブヒブヒ……」とパニクった豚どもは小屋の柵に
一斉に体当たり。その異常な鳴き声を聞きつけた〝小使いさん(用務員)〟が
たか帚(ほうき)を振り上げ、
「コッラーっ! この悪ガキどもォ! 待ちやがれ~っ!」
必死の形相で追いかけてくる。ボクたちは算を乱して逃走。 
遠くのほうから年老いた小使いさんに向かって、
「やーい、のろまの小使いさ~ん、捕まえられるもんなら捕まえてみやがれ!」
さんざっぱら憎まれ口をたたいて挑発した。

一度、この小使いのおっちゃんに捕まったことがある。
ボクではない、のろまな子がいて、みごとに捕縛されてしまったのだ。
その後、仲間はどうなったのか、覚えていない。たぶん親御さんが
菓子折りでも持って平謝りで引き取ったのだろう。
この小使いさんとの攻防はその後も数年続いた。

今から思うと、おれたちも相当なワルだったな、と反省することしきり。
あの小使いのおっちゃんにも済まないことをした。ついでに豚ちゃんにも。
スマホゲームにうつつを抜かしている令和の子供たちにはわからないだろうけど、
あの頃は毎日がスリルとサスペンスあふれる冒険の日々だった。

ボクらにとって農高と喜多院は世の中のルールや正邪美醜を学ぶ人生の学び舎だった。
それにしてはいっこうに学んだ気配がなく、ついに悪ガキからは卒業できなかった。
あれから半世紀。かつての悪ガキが道徳家ぶった作文を書いて糊口をしのいで
いるのだから、人生は皮肉だ(笑)。

ボクの大好きな斎藤緑雨という評論家は、100年も前にこんなことを言っている。
《猿の進化して人となれりといふは、人の進化して猿となるの今日に在りて、
迂腐(うふ)の見(けん)なること疑を容れず》と。
昔の人はいつだってうまいことを言う。
猿は進化して人となったが、今や(100年前)人が進化して猿になっている。
緑雨が生きた明治の時代に猿であったものが、令和の時代も相変わらず猿のままだ。

『書を捨てて町へ出でよ』の寺山修司の逆を行くわけではないが、
  《少年よスマホを捨てて書に親しもう》
と、かつて悪ガキだったおっちゃんは強く言いたい。
昔の人は「よく学びよく遊べ」といった。ボクはよく学んだ覚えはないが、
よく遊んだ。女子高生のスカートをめくって喜ばせるといった〝よい遊び〟
ももちろんしたが、風呂屋の同級生に頼んで女風呂をのぞかせてもらう、
といった悪い遊びも少しだけした。そんな悪人バラが「書に親しもう」なんて
言っても説得力はゼロだろうが、あの貧しかった昭和の時代への深い哀惜をこめて、
どうしても言っておきたいのである。

  《青少年よスマホを捨てて書を読もう》
  《少年よゲームを捨ててスカートをめくれ》
  《少年よ書も捨てて女風呂をのぞけ》





←『こち亀』にも2B弾の使い方が出ている。






©秋本治





2019年12月23日月曜日

物くるる友

ボクは人から物をもらうのが好きじゃない。
高価なものにしろ安価なものにしろ、物をもらうということが好きではないのだ。
もらった瞬間、嬉しいな、ありがたいなと思うと同時に、
(ああ、いつかお返しをしないといけないな……)
と考えてしまい、そのことがずっと頭の片隅から離れなくなってしまう。

そのことを女房に話したら、
「ちょっと異常なんじゃない?」
と言われた。そう、異常なのだ。異常なくらい心の負担になってしまい、
せっかくいただいたものもついには色あせて見えてしまうことも。

もらうのが嫌いなら、人にものをあげるのは好きなのか?
いや、あげるのももらうのも「物」という物品が介在する限り
好きになれないのだ。

ボクが人間関係で最も重視するのは常に「対等」である、ということだ。
人種や民族、出自、学歴や職歴など一切関係なく、対等につき合うこと。
もちろん長幼の序くらいはわきまえていて、敬語はそつなく使い分けるが、
気持ちの上では対等だ。それがボクのモットーでありポリシーなのである。

だから、上から目線の人や、「むかし偉かったおじさん」といった
自慢たらしい人は大の苦手で、蛇蝎(だかつ)のごとくきらっている。
ボクにとっては市長だろうと会社社長だろうと、またレジのおばちゃんも
便所掃除のおっちゃんもみんな同じ。それが証拠に言葉づかいも接する態度も
みな同じである。

奴隷を解放したリンカーン大統領の演説にはこうあった。
〝All men are  created equal〟
いかにもカッコいいこと言ってるけど、家に帰れば黒人の召使いが大勢いたし、
アメリカ先住民に対しては逆に攻撃的で、その扱いは苛烈を極めた。
〝平等〟などと言っても、かなりいい加減なところがあったのである。

『徒然草』の第117段にこうある。
《よき友に三つあり》として、一番最初に挙げているのが、
《物くるる友》、つまり物をくれる友が《医師(くすし)》や《知恵ある友》
よりも上位に置かれている。物余りの時代に生きるボクたちからすると、
兼好法師は欲深で貪婪(どんらん)な人物ではないのか、などと誤解しそうになるが、
なに、《物》とは金品だけとは限らない。貴重な情報かもしれないし、
親切心といったものかもしれない。

ボクなら《悪しき友に三つあり》として、
その第一に《物くるる友》を挙げてしまうかもしれない。
もちろんこの《物》は金品そのもので、心に負担がかかりそうな「モノ」である。

そうはいっても人の家を訪ねるとき、手ぶらでは行けない。
こっちだって友がいきなり手ぶらでやってきて、
「おい、数日泊めてくれや!」
と言われたらカチンとくる。慣習というものは怖ろしいもので、
日本では手ぶらで他家を訪問することは失礼千万なこと、となっている。

しかし手土産持参の場合は、寝床と食事を提供することで、
貸し借りなしになっている。お返しの必要はないのだ。
ボクはこの〝貸し借りなし〟のequalという人間関係が一番居心地がいい。
このバランスが少しでも崩れると、妙に心が落ち着かなくなってしまう。

だから友よ、
ボクには物を与えないでくれ。
ただし年末ジャンボ宝くじのたぐいで、
当たりそうなやつはその限りではない(←それが分かったら苦労せんわ)
もしも当たったら1割分くらいはお礼でさしあげるから、
どうか気兼ねなくちょうだいな。(←バカ)



←「こういうものは、わしゃ要らん!」
と頑固なおっちゃん



2019年12月21日土曜日

I have a dream!

ボクは中学生の頃、英語が得意だった。
通信簿の英語の成績はいつも5だった。
担任教師に勧められ英語弁論大会にも出た。
後にボクの次女が同じように中学英語弁論大会に出たものだから、
〝蛙の子は蛙〟という諺はまんざらウソでもないな、と思った。

高校、大学と英語は得意だった。が、「speaking(しゃべくり)」はからっきし
ダメだった。「reading(読み)」と「writing(書き)」は教わったが、
「hearing」と「speaking」をまったく教わっていなかったからだ。
自力更生で何とかしろ、と言われれば、それなりに頑張っただろうが、
外国人とおしゃべりする機会はほとんどゼロに近かったので、
モチベーションは上がらなかった。

最近は、町を歩けば外人ばかり。わが和光市でも、理研やホンダ本社があるせいか、
外国人がけっこう目につく。ボクの住む団地にもアメリカ人やイギリス人、
フィリピン人(全員が友達)などがいて、ボクの子供の頃と比べると大きく
様変わりしている。

川越生まれのボクが子供の頃はガイジンを見ることはめったになく、
狭山市にあった米軍基地(通称ジョンソン基地、昭和53年に全面返還)に行くと、
塀の外からアメリカ軍兵士の子供らが遊ぶ姿が望見できた。みんなきれいな
〝おべべ〟を着ていて、羨ましかった。ボクと弟なんか、ツギハギだらけの服を
着ていて、いかにも敗戦国の子供という感じだった。

娘2人は高校生の時に留学させたので、言葉には困らない。
長女はイタリア語と英語をしゃべり、スペイン語も少しできる。
次女は米国と英国に都合2年間留学しているので、日本語以上に英語はうまい。

ボクはというと相変わらず英会話が苦手だ。
ブロークンなら何とかなりそうだが、まともな英語はしゃべれない。
幸いヒアリングはまあまあなので、相手の言っていることは理解できる。
ただ、それに英語で反応できない。せいぜい単語を並べるくらいだ。

団地の中には英語に堪能な人が数えきれないくらいいる。
帰国子女がやたらと多い団地なので、ボクの知り合いの中にも
英語、フランス語、ポルトガル語などが堪能な人がごまんといる。

最近知り合ったKさんはイギリスに7年、アメリカやドイツにも数年の駐在経験が
あって、英国はウェールズ大学の大学院でMBA(経営学修士)の学位をとっている。
もちろん英語はペラペラ(聞いたことはないのだがw)らしく、ある日ボクは
訊いてみた。
「英語をしゃべれるようになる手っ取り早い方法はありますか?」

Kさんはこんなふうに答えた。
「ボクの場合は〝NYタイムズ〟といった英字新聞を音読してたね。大きな声で
立ったままいくぶん早口で音読するんだ。大事なのは音読するだけでなく、
フレーズを暗記すること。わからない単語が出てきてもいちいち調べないで
飛ばして読む。すると自分の声に耳も慣れ、1年半も続けていると、いつの間にか
スラスラと言葉が出てくるようになる。大きな声で音読しながら暗記する。
英会話への近道はこれだね」



←世界中の名演説を集めた英文の本













というわけで、ボクは今、英文を音読・暗唱している。
Kさん愛読の『NYタイムズ』はリベラルな紙面で、保守派のボクの
趣味ではなく、読めば読むほどクルクルパーになってしまうので、
孫の口ぐせを借りれば「あっちへ行って!」と選外へ。
手始めに、マーティン・ルーサー・キング牧師の〝I Have a Dream〟を
読むことにした。1963年、黒人公民権運動のためのデモ隊を前に、
「私には夢がある」と語りかけた有名な演説である。
〝I have a dream that one day on the red hills of Georgia , the sons of
former slaves and the sons of former  slaveowners will be able to sit
down together at the table of brotherhood.〟

このキング牧師のスピーチはほんとうにすばらしい。
中身もさることながら言葉本来が持つ力、人を感動させる言葉
とはどういうものか、肌に沁み入るように感得できる。
みなさんもぜひ味わってほしい。



←これは『感動する英語!』
という本の中のキング牧師の
スピーチをピックアップしたもの。

2019年12月19日木曜日

人権派なんてクソくらえだ!

昨年6月、東海道新幹線の車内で男女3人を殺傷したとして殺人罪などに問われた
男は、「一生刑務所に入っていたい」などとふざけた言い草を繰り返していたが、
今月18日、横浜地裁で「無期懲役」を言い渡された。

この被告は初公判で、
「(○○さんを)みごとに殺しきりました」
「(女性二人は)残念ながら殺し損ないました」
とうそぶき、
「もし有期刑になって出所したら、また必ず人を殺す」
と公言、執拗なほど無期懲役にこだわった。

女性二人を守ろうと、素手で犯人に立ち向かっていったUさん(38歳)はほんとうに
勇気のある人だと思う。ナタとナイフで無残にも殺されてしまったが、遺族の
無念さを想うと言葉がない。

そんな思いを知ってか知らずか、被告は無期懲役刑が言い渡されたとき、
万歳を三唱したという。これでずっと刑務所に居られると思い、
嬉しさ余って万歳をしたのだろうか。刑務官が慌てて止めに入ったというが、
後の祭りだった。ボクが刑務官だったら失職覚悟で殴り倒していただろうに。

日本の刑務所では文字どおりの〝クサい飯〟が出されていたらしいが、
今はシャバなんぞよりよっぽど居心地がよいらしく、メシは温かくて
栄養バランスが考えられ、所内の作業は土日休みの週休二日制だ。
ブラック企業に勤めるサラリーマンなどよりはるかに恵まれている。

日本では3人殺さないと死刑にはならないらしい。
この犯人もそのことを知っていて、殺すのは2人までにしておこう、
と最初から決めていたという。なんともふざけた野郎である。

ボクなんか江戸の刑罰みたいに、もっと刑法を厳しくすべきだと思っている。
人を殺めたら例外なく死刑、親殺しは即死刑。
江戸では親殺しや贋金づくりは磔・獄門と相場が決まっていた。
磔刑とは磔柱に縛りつけ、突き手が槍などで20~30回突き刺す刑だ。
また放火は、市中引き廻しの上、磔・火あぶり。恋人に会いたい一心で放火した
〝八百屋お七〟は14~15歳の少女であったが、磔刑&火あぶりの刑に処せられた。

江戸の刑は「一罰百戒」がモットー。
つまり一人を罰して多くの人の見せしめとし、犯罪を減らす狙いがあった。
鈴ヶ森や小塚原の刑場は、だから主要な街道筋にあっていやでも人目にさらされた。

不義密通をしただけで死罪(斬首の上、試し斬りにされる)というのだから、
〝不倫〟ばやりの現代にあっては、スケベーな男女はみんな素っ首が飛んでしまう。
死罪まで行かない「遠島」という刑罰もあった。奄美大島や伊豆七島へ
島流しにされる罰で、刑期はほとんど無期限だったという。
今だったら、
「わーい、奄美の海で思いっきり泳げるぞ!」
なんて逆に喜ばれてしまいそうだが、
実際はそんなのんきな話ではなかったようだ。

事件が起きると、往々にして人権が語られるが、その多くは被害者のそれではなく、
加害者の人権が中心になる。人の命を何とも思わない人非人の人権を
なぜ守らなくてはいけないのか。ボクにはそこのところがさっぱり分からない。
北町奉行所の「遠山の金さん」みたいに、
(もろ肌脱いで)おうおう、この背中に咲いた桜吹雪が、手前の悪事をちゃ~んと
お見通しなんでェ…………きびしく吟味の上、極刑を申しつけるであろう。
これにて一件落着」
てな調子で厳しいお裁きを願いたいね。
加害者の肩ばかり持つ人権派弁護士なんて糞くらえである!

連帯責任を負う「五人組」といった相互監視システムなどと相俟って、
江戸の町の犯罪率は驚くほど低かったという。
獄門とか鋸挽(のこびき)とか、あまりに残酷な刑が多すぎると思うかもしれないが、
犯罪者にとっては残酷かもしれないが、まっとうに生きているものにとっては
関係ない。上記の裁判所で万歳三唱した人非人などは、犠牲になったUさんや
遺族の気持ちを想えば、ノコギリで首をギコギコと挽き切ってやりたくなるが、
〝人権天国〟の日本ではそれもかなわない。不条理という外ない。





←片岡千恵蔵の金さんはよかったな。
いくぶん吃音者みたいにしゃべる千恵蔵。
ドスが利いていてすこぶるカッコよかった

2019年12月14日土曜日

昔は韓国大好き人間だったのに……

同じ団地内の別の棟に高校時代の恩師(現国担当のM先生)がいる。
時々顔を合わせるのだが、先だって一緒に散歩をしていると、
「嶋中君は国際政治に詳しいから、いま評判の『反日種族主義』はもう読んだろ?」
とボソリと訊かれた。
「いや読んでません。〝嫌韓〟とか〝呆韓〟関連の本はウンザリするほど読んで
いるので、今さらという感じがして……」
「ボクはもう読み終わったから、もしよかったら無期限で貸してあげるよ」
せっかくの思し召しなので、ありがたくお受けした。

で、いまカミさんと交代で読んでいるのだが、想像した以上に面白い。
自慢ではないが、ボクは韓国に関する本は相当数読みこんでいる。
もちろん韓国が好きで読んでいるわけではない。ウソつきで約束を守らない
韓国という国がきらいだから「コンチクショー!」と思いながら読んでいる。

ずっと昔はこんなふうではなかった。韓国が好きで、キムチが大好きで、
何度も韓国を旅行した。取材で全羅南道をめぐり、十数ページの記事に
したこともある。また、日韓辞典の制作をちょっとだけお手伝いし、
協力者として奥付に実名が載ったこともある(写真参照)






←ボクの名(実名)が記載されている日韓辞典






でも、今はすっかり様変わり。
韓国の反日教育の実態や、歴代大統領の反日政策を目の当たりにするうちに、
「好韓」から「嫌韓」へと180度転換し、今じゃムン大統領の顔を見ただけで
虫酸が走るくらい韓国嫌いになってしまった。何より平気でウソをつき、
歴史を勝手にねじ曲げてしまうところが許せない。これはまさに犯罪である。

『反日種族主義』のプロローグにもこんなことが書かれている。
《この国の歴史学や社会学は嘘の温床です。この国の大学は嘘の製造工場です。
そう言っても大きな間違いではないと確信しています。たいてい1960年代から
始まったので、そのような歳月がすでに60年も流れています。そのため、
2000年代に入ると、すべての国民、すべての政治が平然と嘘をつくように
なったのです……》

韓国人の中にも〝まっとうな人間〟がいるんだな、とボクはちょっぴり見直した。
でも正直、なぜもっと早く声を挙げてくれないんだよ、と不満なのも確か。
国じゅうが反日ムードの中で、「いや、それは違う!」とNON!を言い出すのは
勇気が要ることだろう。でもねェ、60年間も目をつむり押し黙っているというのは
ちょっと情けなくはないですか? 学者なら少なくとも真実を追究する義務がある
でしょ。たとえ総スカンを喰らっても、真実を語る勇気を持たなかったら、永久に
嘘が歴史に刻まれてしまうのですぞ。

それでも、あえて言います。「よくぞ書いてくれました」と。
遅ればせではありましたが、その勇気を諒とします。
もっとも元慰安婦のバアサンは、この本の著者に向かって
「あの教授は狂人!」
と口汚く罵っているらしい。
あまたの嘘がバレてしまい、バアサンも内心穏やかではないのだろう。

なにが慰安婦の少女像だ、バカバカしい。
あの像は2002年に在韓米軍の装甲車に轢かれて死んだ女子中学生(2人)の
像で、米軍に抗議するのははばかれるからと、しばらく倉庫に眠っていた。
そのうち慰安婦問題が脚光を浴びだしたので、せっかくだからと慰安婦像として
流用させてもらった、というのが真実ではないか。
インチキにもほどがあるのだよ。






2019年12月10日火曜日

近頃の日本語はムチャクチャでござりますがな

わが家のジジババ(ボクたち夫婦のこと)は職掌柄、とにかく言葉づかいにうるさい。
テレビを見ていて、政治家なり番組司会者なりが「~というふうに考えております」
などと言うものなら、すかさずカミさんが「~というふうに」と繰り返し茶々を入れる。
最近は「空気感がちがう」とか「~の世界観」なんて言葉が出ると、
「出たよ、また〝空気感〟だってさ」と、満腔の不満をぶちまける。

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
レストランでよく言われるセリフだ。いつ頃からポピュラーになったのか、
これも妙ちくりんな言い方だ。
「こちら嶋中さんでよろしかったでしょうか」
もよく言われる。そんな時は「全然いいです」とでも答えりゃいいのかいな?

「こちらコーヒーになります」
と言われ、すかさず「何分ぐらいでコーヒーになるの?」と質問した
いじわるな人がいるらしい(ボクではない)。ウエイトレスはその意味する
ところが分からず、キョトンとしていたとか。
「コーヒーをお持ちしました」と言えば済むものを「コーヒーになります」
なんていうものだから、ここぞとばかりにツッコまれてしまうのである。

「わたし的にはOKです」
「なにげに」
「ホボホボ」
「ふいんき」(雰囲気をそう読む若者は多い)
「すごいおいしい」
「1000円からお預かりします」
これらの〝変てこりんな言葉〟もいまは〝ふつう〟になりつつある。

言葉は生き物だ。だから時代の変化と共に言葉が変化していくのは
いたし方ない。しかしおいしいラーメンをすすりながら
「めっちゃおいしい」とか「このラーメン、やばい」と言われると、
褒め言葉であることは分かるが、花菱アチャコ流に言わせてもらうと、
「わてそんなん知らんがな。もうムチャクチャでござりますがな」
と嘆き節の一つも言いたくなる。

カミさんがテレビ画面に向かって吼えているようすを動画に撮ったら、
さぞ面白いだろうな、とは思うが、そんな動画がネット上に拡散したら、
一発で世間の笑いものになってしまう。

それにしても昨今、巷にあふれる日本語は、アチャコならずとも、
「ムチャクチャでござりますがな」と叫びたくなりますがな。








←花菱アチャコ(右)と横山エンタツの名コンビ。
といっても、今は知らない人のほうが多いか



2019年12月5日木曜日

「ちがくない?」ってどこの国の言葉だよ!

中学の頃だったか高校の頃だったか、しかと思い出せないのだが、
友人N君宅へおじゃましたら部屋じゅう本だらけだった。書棚といわず床といわず、
本であふれ返っていたのである。ボクはこれを見て(恥ずかしい……)と思った。

なぜ恥ずかしいと思ったのか。
友人がボクなどよりはるかに読書家で、本の背表紙を眺めただけで
(ボクなんか及びもつかないくらい幅広く深遠なことを考えている)
と、瞬時に思ったからだ。自分では秘かに読書家を任じていただけに
敗北感らしきものもあった。

友人の中には書棚の本のすべてにカバーをしてしまい、
何に関心を持っているのか〝心の内側〟を見透かされないように用心する者もいた。
特に社会科学系の本は背表紙を見ただけで「保守か革新か?」くらいはすぐ分かる。
だから党派性をさとられないようにするため、本に目隠しをしてしまうのである。
いずれにしろ、全共闘世代に続くボクたちの世代は政治にも関心が高く、
総じて読書家が多かった。

ところがどうだ、今朝の読売の朝刊の第一面にはこんな見出しが。
文章作れぬ若者――略語やスタンプ SNSから乱れ』と。
先日来、OECD(経済協力開発機構)による国際的な学力調査で、
日本の若者(15歳)の読解力低下が浮き彫りになった。
主語・述語が不明確で意味が通じない。要らない助詞をやたらと足す……etc。
ある大学の教授は、
「ゼミで発表させると、『そして』『そして』『そして』……を連発する学生が
いっぱいいる」
と嘆いている。「なぜなら」や「しかし」など文脈に応じて接続詞を使い分けるのが
ふつうなのだが、LINEなどの短文に慣れてしまっているためなのか、
「そして」しか使えない、というのだ。

某大学講師は、
「〝きれい〟の否定形を〝きれいくない〟と言われた」と呆れたものだが、
「ちがう」の否定形を「ちがくない」という若者がいることはすでに知っている。
電通や博報堂の作るテレビCMには、こうした妙ちくりんな言葉がしょっちゅう
顔を出す。大手広告代理店はこうした若者言葉を使うことで、「最先端」のCM
を創ってるんだぞ、と自負しているようなのだが、愚かなことだ。
ボクは日本語の乱れを助長させているのは電通や博報堂だと思っている。
昔は「士農工商、犬、広告」などといわれた。犬以下なのは相変わらずだ。

また他の大学講師は、
「〝おじいさん〟〝おばあさん〟は言えるが〝祖父〟〝祖母〟が出てこない」
と、若者たちの間に起きている言語障害的な〝異変〟を報告している。
そういえば、自分の母のことを人前で「お母さん」という若者が増えている。
こういうおバカな若者が長じると、「うちのワンちゃんが亡くなりまして」
などと平気な顔で言い出すのだ。

こんな幼稚園児並みのオツムを持った大学生がウヨウヨいるというのだから、
SNSやスマホの弊害は測り知れない。以前も書いたが、大学生の2人に1人、
つまり50%は1ヵ月に1冊も本を読まないのだという。ボクが学生の頃は
寸暇を惜しんで本を読み、年間300冊はふつうに読み飛ばしていた。
読書は習慣だから、スマホ中毒の若者にいきなり読書を勧めても
効果は期待できない。子供の頃から本に親しんでいないと、読書の習慣は
身につかないのだ。

若者の国語力が怪しくなったのは、小中高校での国語の授業で、
長文読解の訓練がなされていない、というのも大きい。
一昨年、わが家にホームステイした仏人留学生のルカは、
ヒトラーの浩瀚な『我が闘争』(英語版)を平気で読みこなしていた。
ルカが本を読んでいる時の集中力はすさまじく、周囲の物音など
まったく意に介さない、という感じだった。

人間として一番大切な教養というものは読書を通してしか身につかない。
日本は学歴社会というが、学歴など「なんぼのもんじゃい!」とボクは思っている。
どこそこの有名大学を出ました、などということにはとんと関心がないのである。
というか、「学歴」なんぞを自慢のタネにしている人間はみんなロクデナシに
決まっている。肩書きを取った丸裸の自分のキャラクタ一に自信がなく、
キャラクターだけでは人を惹きつけられないつまらない人間だからだ。

だから彼らは「学歴」や「職歴」に執拗にこだわる。結果、彼らはその金看板を
失った途端に精彩を欠くようになり、凡骨の身であることを再確認するのだ。
まったくもってご苦労なこった。

高学歴で無教養、という人は佃煮にするくらいいる。
東大出の高級官僚たちは総じてこの類だから、
「ゆとり教育」の失敗に見られるように、文科省の学習指導要領は
いつだって本質を外れた半端な物になってしまっている。
その結果が、日本語を満足に書けない若者たちの出現である。

OECDの学力調査(15歳)では「読解力」「数学」「科学」の3分野で
支那がトップだという。日本の15歳は「読解力」で15位、「数学」で6位、
「科学」で5位だった。過去最低の成績だという。
支那人の後塵を拝するどころか、すでにそうなってしまっている。
平和ボケでスマホ中毒でゲームばかりに血道を上げるノーテンキな高校生たちよ!
もっとしっかり勉強せんかい!







←どんどんバカになってゆく日本の若者