郵便局でゴルフ好きの女友だちに会った。彼女が、
「嶋中さんはスポーツは何でもやりそうだけど、ゴルフは?」
と訊くものだから、
「どうせタマを穴っこに入れるんなら、他の穴のほうがいい」
とやったら大笑いしていた。つまりは〝19番ホール〟ってことかしら。
お主もスケベよのォ。もっとも、
爺さんと婆さん寝たら寝たっきり
てな調子で、人畜無害もいいとこだから、実際は色気もヘチマもない。
俗に、二十歳凛然(りんぜん)、三十勃然(ぼつぜん)、四十悄然(しょうぜん)、
五十茫然(ぼうぜん)、そして六十全然(ぜんぜん)、などという(言わねェか?)。
しきりに愚息を励ましている図が目に浮かぶようだが、なに自分のことである。
ところで猫の交尾期は年に4回あると聞く。猫が羨ましい。
朝顔や思いを遂げしごとしぼむ
この潔さがいいですな。朝顔にも嫉妬してしまいそうだ。
さて久米の仙人が洗濯女の白い脛(はぎ)を見て、通力を失い天から墜ちた、
という話は有名だが、『今昔物語』の昔も今も、脛の魅力に変わりはない。
老生など、阿波踊りの踊り子たちのじゅばんがチラとめくれただけで
ドキドキしてしまう。リオのカーニバルの踊り子たちは淫らな露出症を
患っているだけだが、阿波の女踊りには気品と色気が満ち満ちている。
この小さな島国に暮らす住人のほうが「性」の何たるかをわきまえていて、
人間としてはずっと上等な部類に入るのである。
『徒然草』の第八段にもこうある。
《世の人の心まどはすこと、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな》
兼好法師に言われるまでもなく、われら人間は愚かなる生き物だ。
だからこんな川柳が生れ出る。
おごるへのこ久しからず腎虚(じんきょ)なり
話変わって、日本は男尊女卑の国だ、などと欧米人は小バカにするが、
「お染久松」「お夏清十郎」というように、恋仲の男女を呼ぶときには、
昔から女性のほうを先にした。いつだって女性上位だったのである。
ただ、問題はその組み合わせだ。「おまん」という女性と「鯉二郎」
という男性が恋仲になってしまうと、ウーン……ちと困る。
鯉二郎が房事にかまけ〝腎虚〟にならなければいいのだが。
By the way ,秋が深まってくると、気の置けぬ友と盃を交わしたくなる。
今夜は〝誰〟と一杯やろうか、と思う時、必ず友の頭に浮かんでくるような
人間になりたいものだが、その「適不適」の必要条件の中に、
●優れているけど完璧でない人
というのを挙げたい。
自分の生き方、人生観をしっかり持っていて、どこか人間的な深みを
感じさせてくれる人。一見、完璧そうに見えるが、どっこい抜けている(笑)。
そこがご愛敬で、人間的魅力のひとつになっている。ボクはそんな人と飲みたい。
人生の機微にふれるような話をするでもなく、ただ漫然と酒を食らうだけの
人間が一番面白くない。適度に聴いて、適度にしゃべり、時に上品な下ネタで
場を和ます。こんな仲間がいたら、千金の一刻を共に過ごしたくなるだろう。
これは自分自身への戒めでもある。
こんな都々逸が身に滲みる。
♪へたな夜這いと剣術使いはいつもシナイで叩かれる
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