2019年6月22日土曜日

白いパンは生焼け、黒は焼けすぎ、黄色は?

アメリカで社会保障番号みたいなID番号を取得するには役所で申請書を
書かなくてはいけない、という話を前回書いた。で、そこには髪の色とか目の色、
肌の色を記入する欄がある。「肌の色」の欄は白人はCaucasian、黒人はBrownとか
Darkと書くらしい。日本人は黄色人種だからYellowと書くと思いきや、
役人は「Mediumと書け」とおっしゃる。ならば、ちょっと色白の日本人は
Medium-rareなのかよ、と皮肉まじりに尋ねてみた、という話を書いた。

さて、このWhite personをCaucasian(コーケイジャン)と書くのはアメリカだけ
なのだという。ヨーロッパでは使っていないらしい。白人は人種分類では
Caucasoid(コーカソイド)と呼ばれる。接尾語の「……oid」は「~のような」
の意で、「コーカサス出自の人種」という意味である。つまりカスピ海と黒海に
挟まれたコーカサス地方出身の人種に由来していて、ご承知のように黒人は
ネグロイド、黄色人種はモンゴロイドと呼ばれる。

なぜ白人はコーカソイドなのか。それは『旧約聖書』を読めばよく分かる。
旧約の創世記によると、紀元前3000年頃、地球上に40日間にわたって大雨が降り、
大洪水に見舞われたという。日時は2月17日だ。(昔も昔、気の遠くなるほど大昔の出来事
なのに、なぜそんな詳しいことが分かるんだよ、などと茶化してはいけない。ホントもウソも聖書に
そう書いてあるのだからしかたがない)


←ボクが持っている『旧新約聖書』。
日本聖書協会発行の旧字体の聖書で、
至る所に赤線や書き込みがしてある。
『原始(はじめ)に神天地を創造(つくり)
たまへり』で始まる文章は格調が高い。







いわゆる〝ノアの方舟〟の伝説である。ノアはこの時、年齢が600歳だった。
双子姉妹で100歳を超えたきんさん・ぎんさんなどの及ぶレベルではない。
他にも1000歳なんて人間が旧約には出てきたりするから、当時の人間はみな
並外れて(外れ過ぎだが)長寿だったのだろう。もっともイエス・キリストは
処女懐胎したマリアさんのお腹から生まれたというから、『旧約』も『新約』も
〝トンデモ説満載のトンデモ本〟の一種であることはまずまちがいない
(クリスチャンの皆さん、暴言妄言の数々をどうかお赦しください)

そのノアの方舟は現在のコーカサス地方のアララト山(標高5137㍍)にたどり着いた。
ノアの息子3人は上からセム、ハム、ヤペテ。だれが決めたんだか、
この3人の息子たちが人類の始祖ということになっている。大まかに言うと、
セムの子孫が黄色人種、ハムの子孫が黒色人種、ヤペテの子孫が白色人種と
されている。つまり「インド・ヨーロッパ語族」と称する白人たちはすべて
〝ヤペテ系〟なのである。

人類の中でヤペテ系の白人が最も優秀で容姿も美しい、と唱えたのはドイツ人医師の
ブルーメンバッハだ。当時の人類学は科学的根拠に乏しく、人種差別的な思想が
色濃く投影されていたから、「白人至上主義」的な考えがはびこったのも無理はないが、人類の祖先はアフリカの黒人で、白人は黒人の白子(albino)に過ぎないという説が
有力な今日、白人優位説はどう考えても説得力を持てそうにない。

アルビノという色素欠乏症の個体は2万人に1人くらいあるらしい。ボクが子供の
頃にも、近所に白子の男の子が一人いた。髪は白色で、肌もすべて真っ白だった。
メラニン色素を合成できないという遺伝子疾患を持つ個体だそうで、時々テレビの
ニュースなどでも白いライオンや虎などが話題になったりするから、
皆さんよくご存じだろう。

アルビノは色素を持たないから太陽の紫外線に耐えられない。
で、アルビノのグループが酷暑のアフリカから命からがら逃げ出し、
彼らの多くが住みついた場所が寒冷なスカンジナビア半島だった、
という説がある。それが白人の起源なのだそうだ。

北欧出身の人には金髪が多い。金髪も実はアルビノの一種で、
髪の毛の色素がないとされている。一般に、アルビノの寿命は短い。
30歳まで生きられれば御の字というから、悲しいかな黒人の劣性遺伝である
アルビノは至極短命なのである。

どうやって寿命を延ばしていったかというと、メラニン色素を持っている
他の人種と適度に混じり合ってきたからだ。ブロンドだって、最初はまっ白だった
が、長い年月をかけて混血しながらほどよい色付けがなされてきた。
よく欧米人を「金髪に青い目」などとシンボライズするが、あの魅惑的な青い目は
ただ単に血管の静脈が浮き立って青く見えているにすぎない。


←先天性白皮症(アルビノ)の美しい少女









肌が白くてうらやましい、などと日本の女性たちは白人女性に憧れたりするが、
その白人たちは陽に当たるとすぐソバカスができてしまう。瞳も虹彩の色が薄い
ため、光の量が調節できず、サングラスを手放せない。すべてがアルビノ(白子)
と症状が一緒なのである。白人は人類の中で自分たちが一番優秀だなどと
威張っているが、もとをたどれば黒人の遺伝子疾患に過ぎず、たまたま近・現代、
とりわけ19世紀に世界制覇を果たしたため、「俺たちはすごいんだ!」と勘違い
してしまったのだろう。

ボクは白人だろうと黒人だろうと「差別」はしない。ただし「区別」はする。
男女の更衣室やトイレを区別しなかったら、それこそ大変なことになる。
その「区別」である。以前にも少しふれたがボクの父方の叔母はアフリカ系の
アメリカ人と結婚したから、アメリカに住むボクの従兄弟やその子供たちは、
みな陸上のサニブラウンやNBAにドラフト指名された八村塁みたいに色が黒い。
当たり前のことだが、人類のご先祖様により近く、メラニン色素が多いからだ。
そんな事情もあって、白人至上主義などというノーテンキな思想は一切受容でき
ないし、思いきり蹴っ飛ばす。人類の歴史を少しでも齧れば、あの思想がいかに
噴飯ものであるかがよくわかる。

わが家にホームステイした留学生は過去に10数人いるが、およそ7割が白人で、
他が中国やタイ、ベトナム系などの〝ミディアム〟であった(笑)。ボクは
そもそも相対的な考えの持ち主なので、白人が一番といった絶対主義は迷わず
一蹴する。そんなものはちょっとばかり学問をすれば容易に分かることだ。
現に白人至上主義を掲げるKKK(クー・クラックス・クラン)などといった秘密結社の
メンバーは、みな学問のない差別主義者ばかりではないか。

人種差別にしろ男女差別にしろ、「差別」というものは人間として最も薄汚い行為
といえる。これは初耳なのだが、日本が真珠湾攻撃をした時、アメリカにあった
黒人グループの多くが警察に捕まったという。彼らが日本に協調して内乱を起こす
と思われたからだ。

当時、イスラム教徒や黒人たちにとって日露戦争に勝ち白人をやっつけた日本は
希望の星であった。また第一次世界大戦後のパリ講和会議で、「人種差別撤廃」を
訴えたのは日本が最初であった。アメリカのウィルソン大統領によって否決されて
しまったが、支配者面した白人たちに堂々と叛旗をひるがえしたのは、有色人種の
中で日本人だけなのである。黒人たちの〝希望の星〟になったのもむべなるかなだ。

いま、ヨーロッパにはイスラム教徒の移民・難民がはびこり、
アメリカでは増え続ける有色人種たちに追われ白人が少数派になりつつある。
白人至上主義が消えるのも、もはや時間の問題だろう。



←黒人の親に生まれたアルビノ(白子)。
アフリカではアルビノの肉を食べると
不治の病も治る、と信じられ非情にも
〝アルビノ狩り〟が行われているという。
無知と迷信はなんとも罪深い。

2019年6月16日日曜日

ミディアム・レアにしておくれ

山本夏彦以上の辛口コラムニストが高山正之だ。
ボクはこの高山の本をほとんど全部読んでいる。
辛口が過ぎて、読んだあと軽いめまいが起こるのが玉にキズだが、
テレビに出たがり屋の三流評論家などでは相手にならないくらいの論客だ。

さてその高山が、かつて産経新聞ロサンゼルス支局長として
アメリカに赴任していた時、Social Security Number(略称SSN)
というものを申請した。日本でいうなら社会保障番号みたいなものだろうか。

アメリカには日本のような戸籍制度がないので、日本のマイナンバーみたいな
ID番号が必要になる。それがSSNで、個人の証明だけでなく銀行口座の開設や
運転免許の取得などにも提出を求められるから、外国人就労者は必ず申請
しなくてはならない。

さてそのSSNには個人を識別するための項目欄があって、そこには「目の色」や
「髪の色」「肌の色」といった記入欄がある。これらを自己申告だが埋めなくて
はならない。外国の小説を読むと、登場人物の髪や目の色などが必ず書き込まれている。
日本人はみな同じだから、いちいち髪や目の色を書く必要はないから、最初、
違和感を感じたものだが、たしかに欧米では肌や髪の色はさまざま。個人を識別
するためには目の色や髪の色は申告しておくべきなのだろう。

で、高山は、
「おれの眼の色が黒いうちは……」とか「緑の黒髪」なんて言葉があるから、
たぶん黒で大丈夫だろうと書き込んではみたが、「肌の色」の欄でハタと
考え込んでしまった。
(いったい何色って書けばいいんだろう?)

支局の前任者に聞いたところ、「イエローって書いとけば」ときたもんだ。
(いくら黄色人種といったって、肌の色がまっ黄色なわけではないでしょ)
戦後、日本に進駐した米軍の将校が、
「日本女性は白人女性より色が白い、と驚いた」
とするエピソードを評論家の日下公人が紹介していたくらいだから、
イエローと書くのはどうしたってはばかられる。

思い余って高山が「何て書けばいいの?」と国務省の役人に訊いたところ、
「ミディアムって書きなさい」
と言われたとか。

白人たちはCaucasian(コケージアン)と書き、
黒人はBrownとかDarkと書くらしい。
で、日本人はMedium。なんだかステーキの焼き具合みたいだ。

高山は少しおふざけ気味に、
「少し色白の日本人はmedium-rare(ミディアム・レア)って書くのかしら?」
と窓口の役人に重ねて尋ねたところ、冗談が通じなかったみたいで
やっこさん、キョトンとしていたという。この話、けっこう笑える。

ああ、それにしても黄色人種はミディアムかよ。
俺たちゃビフテキじゃねえぞ!


2019年6月12日水曜日

オジサンがオバサンになる時

市の総合体育館へ初めて行ってみた。
65歳以上は筋トレやストレッチ体操などの施設利用と講習が無料なのだ。
で、すでに利用している友人の案内でちょっとだけのぞいてみた。

筋トレルームにはさまざまな器具が並んでいた。
腕力を鍛える器具、足腰を鍛える器具、胸筋を鍛える器具……。
見れば知り合いのおばちゃんたちがいっぱいいる。
同じ団地のおばちゃんたちだ。

ボクはout-goingな性格もあって、知り合いが殊の外多い。
なにしろ近所のスーパーに行くまで(約100㍍)に、
何度も立ち止まらなくてはいけない。
10㍍進むごとに知り合いと会ってひとしきり立ち話をするから、
なかなかスーパーにたどり着けないのだ。

ボクの中ではすでに「オバサン化」が始まっていて、
いまや細胞の80%くらいがオバサン細胞になっている。

立ち話の相手は9割方オバサンだ。
そもそもオジサンは立ち話を好まないし、サマにならない。
それにどこかバカにしているところがある。
「ラチもない話をしやがって……」
自分たちは女どもと違って、もっと高尚な話ができるんだぞ。
おまえたちに天下国家が論じられるか?
などと、オジサンたちは自分たちを高みに置いてオバサンたちを小バカにしている。

ボクは長年オジサンをやってきたが、近頃オジサンに愛想をつかしている。
オバサンのほうが結局偉いんじゃないか、立派なんじゃないか、と思っている。
逆に偉そうにしているオジサンたちがバカに見えてきた。

オジサンたちの顔はいつも外に向かって閉じている。
イギリス人は人を介して紹介されない限り一言も発しないそうだが、
まさにそんな顔をしている。口を真一文字に結び、「おまえは何者だ!」と
誰何(すいか)するような顔つきで、正直言って怖い。

その点、オバサンの顔は外に向かっていつも開いている。
娘時代は閉じていても、オバサンになるにつれて開くようになる
(逆ならいいんだけど……←コラッ! 何考えてんだ!)
こっちが声をかけると「あっらーっ、お久しぶり」などと言って笑いかけてくれる。
オジサンはそうはいかない。たとえ知り合いであっても、
最初はちょっと身構えるようなところがある。
オバサンより警戒心が強い分、顔の筋肉がほぐれるまで時間がかかるのだ。

筋トレルームにいた常連らしいオジサンは、新参者のボクの顔をジロジロ見ていた。
この「人の顔をジロジロ見つめる」という行為もオジサンたちの得意技の一つで、
あんまり気持ちのよいものではない。西洋ではill-mannered(無作法な)の
典型とされ、概ね「無教養な人間のするはしたない行為」とされている。
ところがオジサンにはどこ吹く風、自分こそ世界の中心、と思っているから、
こうした無礼千万なマネだって平気でやる。

オジサンたちは体面が傷つけられるのを極度にいやがる。
だからいつも仏頂面を下げ、「この線から入るな!」とばかりに、
周囲に視えないバリアーをめぐらせている。

オバサンにはこの人を排するようなバリアーがない。
ときどき(私はあなたたち庶民とはお育ちがちがうのよ)といった
〝気取り屋さん〟を見かけることがあるが、あくまで少数派で、
ふつうのオバサンたちは最初から警戒心を解いている。
「みんないらっしゃ~い!」というopen-minded(広やかな心)な精神なのだ。

こんなオバサンたちと、ボクはおしゃべりに興ずる。
「イギリスのEU離脱問題」とか「慰安婦&徴用工問題」といったシリアスな
話題はまず出ることはないが、子供や孫たちの話題だけでも優に10分~20分は
費やしてしまう。下世話な話題だが、じゃあ低俗かというと、そんなことはない。
オジサンたちが論じたがる高尚な話柄も、形を変えた〝自己承認欲求〟みたいなもので、
ほんとうのところ、かなり怪しいものなのだ。

オバサンたちはボクがオバサン細胞の持ち主だと、第六感で感じとるのか、
すぐに胸襟を開いてくれる。なかには「襲ったりしないでよ」と念を押しながら
お茶に招待してくれるオバサンもいる。襲うもなにも80代のオバサンを襲う元気は
もうない。

オジサンに足りないのは屈託のない笑いだ。
腹の底から笑えないのがオジサンの限界か。
いつだって見てくれを気にしていて、自分を相手より高みに置きたがる。

そんな堅っ苦しい裃なんか脱いでしまえ。学歴だの職歴だの、
昔の輝かしい栄光なんかみんな捨ててしまえ。
目の前にいるのは、ただのショボくれたおっさんではないか。
なにカッコつけてんだよォ、このボケ!

ボクはもうじき100%オバサンになる。
もともとオッパイも大きい(胸囲115㎝)からちょうどいいだろう。
口ヒゲのあるオバサンというのも、またご愛敬か。





←こんな本もある。
やっぱ俺は病気だったのか