2018年7月26日木曜日

夏期休業



あんまり暑いので、
ブログはしばらくお休みします。


ただでさえ腐りかかっている脳みそが、連日の酷暑で発酵し、
文字どおりの〝マルコメ味噌〟になりかかっているのです。


いまは一日中、ボーッとしています。
何も考えられません。脳が機能停止状態なのです。


子供の頃は暑い夏が待ち遠しかったのですが、今は逆。
もう夏はコリゴリです。たくさんです。


頸椎損傷のため右腕もマヒ状態。
得意の水泳もかないません。
だから運動不足でデブデブになってます。
これではイケメンも台無しです。


で、何するでなく家の中で終日ボーッとしています。
本を読めば数分で眠りこけてしまいます。
無為徒食がもっぱらで、ただべんべんと日を送っているだけ。
まるで痴呆老人みたいです。


脳の機能が正常に戻りましたら、ブログを再開いたします。
しばしのご猶予を。



←かつて水泳大会に出ていた頃の
ボクの勇姿。自慢じゃないが、
バタフライではちょっとしたものだった。

2018年7月12日木曜日

天下にバカを公言する「ら抜き」言葉

テレビの〝バラエティ〟と称するバカ番組をたまたま目にすると、
出演者のほとんどが「出れる」「見れる」「食べれる」などと、
いわゆる「ら抜き」言葉を使っている。ひどいのになると、女子アナまで
いっしょになって「出れない・見れない」などとやっている。
ボクはこうした薄汚い言葉を耳にすると、自動的に心悸が高ぶり凶暴性が
増すので、これまた自動的にチャンネルを変えることにしている。

衆寡敵せずというが、いまや「ら抜き」言葉に抵抗しているのは、
日本国じゅうでわが家だけではないのか、と錯覚を起こすほど、
「ら入れ」派の形勢は風前のともしびとなっている。
言葉の感染力はペスト以上に圧倒的なものなので、近く「ら入れ」派は壊滅し、
「出れる・出れない」などと無教養な言葉を操る日本人ばかりが国じゅうに
溢れかえることであろう。
末世というほかない。

ボクは6年前に文藝春秋社刊行の『日本の論点』という浩瀚な本に、
最近の日本語についての考察を書かせてもらった。ごく一部だが抜粋してみる。
《「ら抜き」に次いで猛威をふるっているのが「さ入れ」言葉だ。
「読ませていただきます」が「読ま〝さ〟せていただきます」、
「行かせていただきます」が「行か〝さ〟せていただきます」
といった具合だ。
 鳩山由紀夫元首相のスピーチは「させていただく」のオンパレードだった。
伝染力が強いのか、政治家は「お訴えをさせていただきたい」とか
「汗を流させていただきたい」という言い方を好んで使う。
 東国原英夫前宮崎県知事などは、あるとき自らの談合問題にふれ、
「私も、かつて不祥事を起こさせていただきましたが……」と口走ってしまい、
あわてて言い直す始末だった……中略……「さ入れ」言葉は、一律に
「動詞+させていただく」式に変換していくため、自動詞を謙譲語化するたびに
「させていただく」が飛び出してくる。
 「させていただく」という表現を〝下品〟と評するリンボウ先生こと林望氏は、
「これを多用する世界の人たち、すなわち芸能人、学者、政治家というのは、
内実傲慢で外側だけ謙遜という共通した属性を持つのが一般的」
と冷たく切り捨てている》

文芸評論家の福田恆存は「ら抜き」言葉についてこんなふうに言っていた。
まず《音がきたない》と。「見れる」より「見られる」のほうがきれいに
響くのは後者のほうがmiとreの間にraが入るから、としている。

母音だけひろうと前者はi・eとなり、後者はi・a・eとなる。aは最大の広母音
で、iは最小の短母音である。広母音は広大、寛濶(かんかつ)の感を与え、
短母音は急激、尖鋭の感を与える。つまり広母音のほうがゆったりと大らかな
響きを与え、「ら抜き」の短母音はせわし気で尖がった響きを与えるというのだ。

それともう一つ。福田氏は《「見られる」のほうが歴史が長い
と言っている。換言すれば、過去の慣習に負っているということだろう。
明治以来、殊に戦後は「過去」とか「慣習」とかいう言葉は
権威を失ったが、少なくとも言葉に関する限り、これを基準としなければ
他に何も拠り所がなくなってしまい、通じさえすればよろしいということに
なってしまう

箸の持ち方が悪くても、食べられさえすればいいじゃん、とする
「結果オーライ主義」。戦後はまさにこの〝結果オーライ〟の天下だが、
「ら抜き」「さ入れ」もおそらくその延長線上にあるのだろう。

言葉も立派な日本人の歴史であり、民族の共通の記憶である。
美しい日本語を後世に伝えるためにも、通じさえすればいいとする
「ら抜き」や「さ入れ」言葉を徹底して排除しなくてはならない。

多勢に無勢、ということはむろん承知している。
しかし嶋中家の血を継ぐ者たちは、少なくとも「ら抜き」「さ入れ」言葉には
徹底抗戦する覚悟だ。この点については、女房もめずらしく賛同してくれている。
徒労感にむしばまれること必至だろうが、最後の一人になるまでがんばるつもりだ。


←この本で、ボクは「日本語」と「環境問題」
というテーマを担当した。

2018年6月25日月曜日

サッカーはこの世の写し鏡か

外国へ行くと、横断歩道で交通信号を守らない人がけっこういる。
右見て左見て、車が来なかったら赤信号でも平気で渡ってしまう。
ただしマヌケなことに轢(ひ)かれてしまったら、自己責任で文句は言わない。
交通ルールは尊重するけど、それを絶対とは思わない。
融通無碍と言うのか、法律とは個人を縛るものではなくむしろ解放するもの、
という考え方で、責任取るんだから「文句ねえだろ!」という理屈なのだ。

ボクも横断歩道の信号は守ったり守らなかったりする。
明らかに車が来なかったら、堂々と渡ってしまう。
ただし小学生などが信号待ちしていたら青になるまで待つ。
子供たちのお手本になるべき大人が、平気で赤信号を渡ったら
ちょいとばかりあんべえ悪いだろ。もちろん偽善的な行為だが、
ここは「ホンネ」ではなく「タテマエ」で押し通すのである。

子供の見ている前で、赤信号を無視して渡るという手だってもちろんある。
「世間なんてものはな、きれいごとだけじゃあ済まされないんだよ!」
と、大人の世界の実相を目の前に広げて見せてやる。
もちろん実践教育の一環としてだ。

子供の視点から見た大人世界の奇怪さを童話にしたのが、
ボクの愛読書でもあるサン=テグジュペリの『星の王子さま』だ。
王子さまは大人たちの奇矯な行動を目にするたびに、
〝The  grown-ups are certainly very odd.(大人ってわけわかんなーい)
と当惑気味につぶやく。

さて、ボクも含めた大人たちは子供たちを前にこう言って諭す。
●ウソはつくな!
●卑怯なマネはするな!
●ルールは守れ!
立派な教えで、古くは会津藩の「什(じゅう)の掟」にもあるし、
薩摩藩の郷中(ごじゅう)教育の中にもある。

話変わってロシアW杯のサッカーについて一言。
あれを子供に見せるべきか否か、という問題だ。
ボクは正直、サッカーは好きではない。
理由ははっきりしている。どいつもこいつも反則ばかりで、
汚い手のオンパレードだからだ。

ペナルティキックを得るためとかフリーキックを得るために、
敵方とぶつかり合うたびに大げさに倒れ込む。ダイブと呼ばれる反則行為だ。
スローで見てみると、ちょいとさわった程度なのだが、
足の骨を折ったかのように大仰に倒れ、ウンウンと唸りピッチを転げまわる。
しかし審判が無視すると、数秒後には何事もなかったかのようにすっくと立ちあがり、
元気いっぱい走り出す。
何なんだよ、あれは?

ブラジルの名選手ネイマールも、ロシアW杯のコスタリカ戦でそれをやらかした。
ビデオで見ると、ネイマールは誰ともぶつかっておらず、明らかに
〝シミュレーション(ファウルをされたふりをする行為)〟だと分かる。
フェアプレー精神もクソもない。サッカーという競技は騙すかだまされるか、
という「反フェアプレー精神」を、これでもかというくらい究極まで追求した、
実にあざとく、とことん勝利至上主義に徹したうす汚い競技なのである。

こんな反則ばかりがてんこ盛りの競技を純な心を持つ子供に見せたら、
「大人って汚いね」「ぜんぜんルールを守らないね」
「誰も見てなかったら、悪いことをしてもいいんだね」
「大人の世界ってウソで固めた世界なんだね」
などとこの世の実相に絶望し、反社会的人間になってしまうのではないか。
ボクはついそんなことを憂え、考えこんでしまうのである。

子供の社会が純粋で美しい、などとは毛ほども思わないが、
できれば「予定調和的」に、この世の実相をちょっとずつちょっとずつ
知っていってほしい。男女の秘め事だって時が来れば自然と分かる、
というのが一番いい。だがインターネットが普及した時代にあってはそれは叶わず、
若年にして知らなくてもいいことを知ってしまう。
早熟も早熟、けた違いの早熟児が世界中に溢れ返っている。
この事実は、決して喜ばしいことではない。

子供は徐々に大人になるのがいい。
正邪美醜、理非曲直は齢を経るごとに自然と理解するのがいい。
急いで学んだものにロクなものはない、と知るべし。

現にボクは、小学生の時すでに吉行淳之介の『砂の上の植物群』や
『原色の街』『驟雨』といった娼婦を題材にした小説を読んでいた。
早熟だったのだ。で、とどのつまりはロクデナシになり果てた、というわけ。
これ、ボクのささやかな人生訓だ。

←なんと大げさに倒れることか。
サッカー選手より役者をやれ!










2018年6月21日木曜日

自己主張は恥ではない。

概して日本人は自己主張が苦手といわれている。
「あの人は自己主張が強くて……」というと、日本では褒め言葉ではなく
協調性のない自分勝手な人、というマイナスイメージにつながってしまう。

また日本人は国際的な交渉の場では口べたで議論に弱い、ともいわれる。
そういえば日本人は国際社会から「3S」の〝尊称〟を奉られていたことがある。
国際会議などでは、いつも「Smile」「Silent」「Sleep」が常態化していて、
まるで存在感がなかったからだ。それが「島国の民」の美点といえば
美点なのだが、悲しいかな外交の場では逆に弱点になってしまう。

その弱点がもろに露呈したのが、いわゆる「湾岸戦争」('90~'91)の時だ。
約12万のイラク軍がクウェート領内に侵攻したことから始まった戦争で、
29ヵ国からなる多国籍軍がイラク軍を追い払った。憲法上の制約で、
日本は自衛隊を送ることはできなかったが、代わりに大きな財政支援は行った。

その額が、サッカーの大迫勇也選手じゃないが目ん玉飛び出るくらい
「半端ない」額なのである。多国籍軍支援と周辺国支援のために、
国民に増税まで課して捻出した総額は130億ドル(当時のレートで1兆7000億円)だった。
国民一人当たり1.5万円ほどを負担した計算になる。

ところが諸外国の反応は冷たかった。
要約すると、
①平和憲法を楯に後方支援の役割さえ果たそうとしない。
②血は流さない、汗も流さない。
③金だけで済ませようとしている。それもイヤイヤ小出しにして出した。
戦費の大半を日本一国が、それも増税までして負担してやったというのに、
感謝どころか批判の声が巻き上がった。これはいったいどうしたことなのか。

戦後、多くの国の支援によって救われたクウェートは『ワシントン・ポスト』紙や
『ニューヨーク・タイムズ』紙など米国の主要紙に感謝を表す全面広告を出した。
その広告には感謝の言葉と共に、支援を行った30ヵ国の国名が連ねてあった。
オーストラリア、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、イギリス、
アメリカ……その中にはアフリカのセネガルやニジェール、世界最貧国といわれる
バングラディッシュの名前もあった。しかし、いくら目を皿のようにして探しても
〝Japan〟の5文字がないのである。

日本と同様、軍隊を出していない、すなわち血を流していないドイツは、
なぜかちゃっかり名を連ね、クウェートに感謝されている。
日本だけが感謝対象国のリストから外されていたのである。
日本政府はすぐさま抗議し、負けじと反論文の全面広告を出すべきだった。
しかし日本の外務省はそれを怠った。
そのため130億ドルという血税がムダになってしまったのである。
自己主張しない日本人の悪弊はこんなところにも顔を出してしまう。

ボクが敬愛する雄弁家であり作家の加藤恭子氏は、
私的な文章ながら以下のような反論文を起草している。

われわれは先の戦争に対する反省から生まれた平和憲法によって、
軍隊を出すことは規制されている。ゆえに多国籍軍と共に戦い〝血〟を
流すことはできなかった。
 しかし平和を愛する国クウェートと、その解放に邁進する多国籍軍を
後方から支援するために、多額の経済的援助を行った。その全体額は
あまりに巨大であるため、〝富んだ国〟と見なされているわれわれでも、
一朝一夕で用意できるものではなかった。政府は増税を決意し、国民は
それを敢然と受け入れた。クウェートと多国籍軍の支援のために。
 それを何回かに分けて受け取ったのは盟主、アメリカである。
 もう一度言う。われわれは共に血を流すことはできなかった。しかし、
国民の税金から拠出されたこの援助金は、国民の汗の結晶である。われわれは
少なくとも、共に汗は流した。
 しかし、3月11日のクウェートによる『感謝の全面広告』の中に、
日本の国名はなかった。われわれは、合計で130億ドルの援助を行った。
それは、Japanというたった一つの単語にさえも値しなかったのであろうか?
 日本国民は、深く傷ついている(『言葉でたたかう技術』より)

胸のすくような論述ではないか。
日本の無能な外務省には加藤恭子のような骨のある日本人など一人もおるまい。
東大法科卒の高級官僚というだけが自慢で、日本国のためには何ひとつ尽くさず、
われこそはエリートなり、という顔をして偉そうにタダ飯を喰らっている。
愛国心のかけらもない、こんな役立たずの省庁など即刻つぶしてしまえばいいのだ。

支那人や朝鮮人みたいに、あることないこと大仰に主張しろ、
と言っているのではない。理のあることは堂々と主張すればいい。
謙遜や謙譲は日本人の美質だが、生き馬の目を抜くような、
抜け目のない国際政治の場では、かえって国益を害してしまう。

自己宣伝は品よくユーモアをもって堂々とやるべきだろう。
ああ、それにしても130億ドルはむざむざと砂漠の露と消えてしまった。
いけ図々しくもアメリカがそのほとんどを持っていってしまったと聞くが、
日本は相変わらずアメリカの属国で、なおかつ気前よくカネを出す、
便利なお財布代わりだということがよく分かる。

マッカーサーに押しつけられた、つまらぬ「平和憲法」などというものを、
不磨の大典のごとく後生大事に奉っていると、どこの国からも尊敬されず、
このような辱めを受けてしまう。理不尽である。

サムライ国家が、心ならずも町人国家になり果てると、
こんな仕打ちを受けなくてはならないのか? 
かつて日本国の軍人は世界有数の精強ぶりだった。
軍律きびしく、他国からも尊敬され、子供たちの憧れの存在でもあった。
その軍人たちが手足をもがれ、PKOの現場では哀れ外国の軍隊に
護られながら活動している。
こんなことから、陰では〝海外青年協力隊〟などと揶揄されてもいる。
誇りを傷つけられた自衛隊員の胸中や、察するに余りある。

自衛隊員の、いや日本人の誇りを取り戻すためにも、
憲法改正を急がなくてはならない。











2018年6月14日木曜日

結愛ちゃん、ゆるしてね!

《ママ、もうパパとママにいわれなくてもしっかりと 
じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから
もうおねがいゆるしてゆるしてください おねがいします 
ほんとうにもうおなじことしません ゆるして》

目黒区のアパートで両親に虐待され、わずか5年でその短い生涯を閉じた
船戸結愛(ゆあ)ちゃん。朝まだきに起き、衰弱した小さな体を奮い立たせ、
ひらがなの書取り帳にこんな反省文を書いていた。こんなにも悲しく、
こんなにも切ない作文があるだろうか。この愛に飢えた薄幸の子を誰も
救うことができなかった。この子のさみしかったであろう心中を思うと、
涙が止まらない。

ボクの1歳になる孫は両親や祖父母から溢れんばかりの愛を注がれている。
子が生まれれば、「這えば立て 立てば歩めの親心」で、親というものは
子供がつつがなく成長してくれるように願うものだ。ボクたちもそうだったし、
娘夫婦だってそうだろう。

しかし中には、こんな夜叉みたいな親もいる。食べ物も満足に与えず、
病気になっても医者にすら診せない。おまけに言うことを聞かなければ
殴る蹴るの暴行。まるでケダモノ以下の所業である。同じ国に生を受け、
片や幸せいっぱいに育ち、片や親の愛を知らずに衰弱死する。
こんな不公平があっていいものだろうか。あまりに可哀そうすぎるではないか。

こんな目を覆いたくなるような事件が近頃多すぎやしないか?
新幹線に乗れば隣席の男がいきなりナタで斬りかかってくる。
また若い看護士が、インターネットで知り合った複数の男たちにむりやり
車に押し込められ、数週間後、全裸の死体で発見される。
テレビや新聞を見れば、こんな陰惨な事件ばかり目に飛び込んでくる。
ニッポン人はどうかしちまったんじゃないか。

ボクはこうしたニュースを目にすると、「目には目を」のイスラム法が
逆に羨ましく思える。西洋発の近代法は加害者にも人権がある、
という発想だが、ケンカ両成敗的なイスラム法のほうが感情的には
しっくりくるような気がしてならない。結愛ちゃんを虐殺した鬼親たちには
「石打刑」で臨み、新幹線のナタ男には「八つ裂きの刑」を処するとか……。

さて、聞くところによると江戸時代は凶悪犯罪の少ない時代だった
といわれている。実際、江戸の時代265年間に発生した犯罪件数は、
今日の日本の1年間に起きる犯罪件数より少ないのだそうだ。
「五人組」といった相互監視システムや、午後10時には木戸を閉めて
外出できなくしてしまうという仕組み。あるいは辻番や自身番(交番みたいなもの)
が各町内にあり、不審者の監視につとめていた、という事実も大きいだろう。

ボクの義理の姉は府中に住んでいて、車で訪問するときは
高い塀に囲まれた府中刑務所の横を通っていく。この刑務所、
日本最大の刑務所として知られ、主に重罪犯たちが収監されている。
その数はおよそ3000人。その大半が外国人だという。

外国人といっても欧米系は少なく、中心となるのは支那人と韓国人だ。
それに支那系と韓国系日本人が続くという。
つまり日本における凶悪犯罪の担い手はほとんど支那人と韓国人なのである。
この事実に対しては「なるほど」と容易に首肯できるだけでなく、
「さもありなん」とさほど驚かないところが、かえって怖い。
それだけ「支那人&韓国人=悪い人たち」という負のイメージが
日本社会に定着しつつあるのだろう。

結愛(ゆあ)ちゃんは悲しくも愛を結ぶことなく死んでしまった。
子は親を選べないというが、いったいこの世に何をするために
生まれてきたのだろう。
イジメ殺されるためだけに生まれてきたのか? 
そのためだけにオギャーッと生まれてきたのか?
そうじゃないだろ。
親や周囲の愛に育まれ、希望に満ちた人生を歩むために生まれてきたんだろ!

生れてきてよかった、と一度でもいいから心底思わせてやりたかった。
好きなものをお腹いっぱい食べさせてあげたかった。
でもそれは、もう叶わない。

結愛ちゃん、助けてあげられなくてごめんね。
大人たちの無力をどうかゆるしてください。


←こんなかわいい子に、何てことをするんだ!









写真提供/朝日新聞デジタル















2018年6月9日土曜日

英語は好きだけど

中学の頃、英語の担任に勧められ、市だか県だかが主催する「英語弁論大会」
に出場した。が、それらしき賞状もトロフィーも残っていないから、たぶん成績は
大したことなかったのだろう。その無念(そもそも記憶があいまいなのだから無念もヘチマもないが
晴らしてくれたのが次女で、やはり中学の英語弁論大会に推薦で出た。
結果は一等だか二等だったような気がするが、老人ボケのせいで、記憶があまり
ハッキリしない。

ボクの英語好きは今も変わらず、英語にはできるだけ触れるようにしている。
しかし語彙力の衰えはいかんともしがたい。英語の小説などはごくふつうに
読んでいたのだが、近頃は電子辞書のお世話になることが多くなった。

小説だけではない。ボクは外国の教科書なども読んでいる。アメリカの学校で
実際に使われている国語や歴史の教科書である。どんなことが書いてあるのか
興味があって、わざわざアマゾンで取り寄せたのである。

中国や韓国の歴史教科書にはウソばかり書かれている。
これもあちらの教科書の翻訳版を読んで確認してある。
アメリカも同類だろうと思って読み始めたが、少し違った。

たとえば1840年代のアメリカ・インディアンの処遇だが、当初、
合衆国政府は西部のどこにでも自由に住んでいいと約束していた。
ミズーリとアイオワ以西は〝Permanent Indian Frontier(恒久的なインディアンの辺境地帯)
とされ、白人は通商目的以外は立ち入ることができなかったのである。

ところが例のゴールドラッシュや鉄道、牧畜と開拓民たちがそのフロンティア
の土地を欲しがるようになると、連邦政府は開拓民の味方をし、平気で約束を
反故にするようになる。そして新しい約束をしては次々と破っていった。
尖閣諸島沖に莫大な海底油田が発見された途端に中国が領有権を主張しだした
のとまったく同じである。

映画にもなったカスター将軍率いる騎兵隊とスー族との戦いでは、
カスターは悲劇の英雄のように描かれていたが、実際は合衆国軍本隊の
指令を無視し、インディアンの野営地に奇襲をかけた卑怯者で、皮肉にも
逆にスー族の戦士たち2500人に取り囲まれ、カスター以下265人の騎兵隊は
全滅させられてしまった。

それでも白人と先住民との力の差は歴然。遠からずアメリカの先住民たちは
生まれ故郷を追われ、〝useless land〟すなわち荒れ野の狭い居留地に
閉じ込められるようになった。戦車の名前などにも残るシャーマン将軍などは、
スー族など滅ぼしてしまえと同胞たちに呼びかけた。
〝even to their extermination, men, women, and children.
(男も女も子供もすべて殺し、皆殺しも辞さない)

アメリカ大陸に白人たちが足を踏み入れた時、北アメリカの大地には数千万頭の
バッファローと二億三千万羽の旅行鳩(食用に捕殺され、1914年に絶滅)が天地に溢れ、
一千万人のインディアンたちが平和に暮らしていた。

白人たちはその平和な大地を血に染め、およそ200年で旅行鳩を絶滅させ、
野牛を絶滅の際に追い込んでいった。先住のインディアンはどうなったか?
先のシャーマン将軍曰く、
白人国家の優れた力を思い知らせ、戦いを挑んだことを悔やむように、
兵士もその家族も徹底的に殺す

その宣言どおり、狩猟の対象でもあるかのように撃ち殺されていった。
それもひどく残虐に。妊婦は腹を裂かれ、胎児を引っ張り出される。
子供たちもゲームのように撃ち殺され、頭の皮を剥がされた。
その殺し方があまりに残酷過ぎて、もはや描写の煩に堪えない。

結局、インディアンたちは降伏し、ついには同化政策の下、アメリカ文化に
融け込まされていった。インディアンの若者を同化させるための学校も
造られたが、創設者はこんなふうに言っている。
Kill the Indian and save the man.(インディアンを殺し、人間を救うのだ)
どうやら白人にとってはインディアンは人間ではないらしい。

ボクが読んでいるのは比較的リベラルな歴史教科書だと思われる。
が、インディアンを残酷に殺した事実などにはもちろん触れていない。
清純無垢な子供たちにそんなことは教えられない。それに、白人入植者たちの
常習的な嘘や残虐性を暴いたら自己嫌悪に陥り、そもそも愛国心が育たない。
だからインディアン掃討は間違っていた、と事実は事実として伝えてはいるが、
どこかに〝Manifest Destiny(西部への領土拡大は神の意志である、とする思想)〟を正当化したい
思惑と苦い贖罪意識というものが綯い交ぜになっている。

しかしアメリカの白人だけを正当化しても収まらない。19世紀中頃までには
オーストラリア人のアボリジニ狩りとか、中南米のインディオ狩りとか、
あるいはアフリカからの黒人奴隷や北米インディアンへの虐待・虐殺などが後を
絶たなかった。白人たちの専横と暴虐ぶりには目にあまるものがあったのだ。
いったいあの「白人優越主義的な驕り」は、いつ頃から芽生えたものなのだろう。

ボクは英語が好きで、外国人の友達もいて、白人の留学生も時にわが家で
預かっている。しかし白人に対する微かな嫌悪感みたいなものは心の奥底に
染みのように残ったままだ。
人間というものはいやなものだなあ
とする師匠・山本夏彦の慨嘆が再び三度よみがえってくる。

←映画『カスター将軍』の中の
リトルビッグホーンの戦いの1シーン。
カスターは一時英雄として崇められた
時期もあったが、後には〝狂人〟として
描かれるようになった。

2018年6月7日木曜日

生身の友より「ネト友」が好き

鳥目散帰山人(とりめちる・きさんじん)と号する変わった男がいる。
まるでうがい薬みたいな雅名で、思いっきり「ガラガラガラ、ペーッ!」
とやったらさぞ気持ちがいいだろな、と思わせたりもするが、
実際に会うとなかなかの曲者で、「トリセツ」でもないと火傷しそうな
雰囲気を全身に漂わせている。

この帰山人、コーヒーの業界では〝超うるさ型〟で通っている。
コーヒー卸しとか喫茶店やカフェを経営しているわけではない。
ただのコーヒーフリークで、コーヒーにまつわることなら誰にも負けない
博覧強記、というのが大方の見方で、コーヒー関連のイベントや講演会には
ヒマでもあるのだろう、足繁く顔を出す。そして最後の質疑応答の場面では
われ先に手を挙げて、なんとも答えにくいような難問を投げかけては悦に入る、
という困った性格で、ギョーカイ内では世に聞こえた講演者泣かせの男なのである。

この度し難い男はネット上に『帰山人の珈琲漫考』という人気サイトを
開設している。その中身はさながら〝コーヒー百科〟の様相を呈していて、
コーヒーの科学』や『珈琲の世界史』で知られる旦部幸博の『百珈苑』と
ほぼ人気を二分している。

ほんとうは『珈琲珍考漫考』というタイトルにするつもりだったらしいのだが、
これではあまりに露骨過ぎ、アダルトサイトと勘違いされそうだったので、
泣く泣く「珍考」を削った、という経緯がある。

帰山人は独特の文章を書く。決して平易ではない。
難解晦渋とまではいかないが、クセのある捻りのきいた文章を書く。
大変な教養人でもあるので、一つ一つの言葉にはボカシの入った皮肉が
散りばめられていたりする。およそ凡夫匹夫にすんなり読めるような代物
ではなく、言葉遊びが好きな分だけ解読に手間取ってしまう。

こんな男の文章だが、個性的といえば個性的なので、ボクは
拙著『コーヒーの鬼がゆく』の〝あとがき〟を書いてくれないか、
と丁重にお願いした。氏は快諾してくれて、めでたく本は出た。

原稿執筆をお願いしたものの、ボクと帰山人は互いに面識がなかった。
本の発刊後、一度だけ顔合わせをしたことがあるが、その後はインターネット上で
言葉を交わしているだけで、親しく膝をつき合わせて話をしたことはない。

当今の〝人づき合い〟というのは存外こんなものか。
淡きこと水のごとし、ではあるが、このほうが長持ちするという意見もある。
ネット上で知り合った友人は帰山人にかぎらず、いっぱいいる。
互いのブログにコメントを出し合うことで知り合った仲がほとんどだから、
会う前から考え方の大筋は読めている。「文は人なり」で、
ブログを読むだけであらかた人間性は知れてしまうのだ。

ボクの場合は、「メル友」ならぬ「ネト友」か。
どちらも生身の人間ではなく、インターネット上で交誼を重ねる、
というところに特徴がある。ならば生身の友より友誼に薄いかといわれると、
そうでもない。ボクなんかはむしろ百年の知己のように感じる時もある。

つくづく不思議な時代に生きているもんだな、と思う。
そんなボクに向かって、帰山人は、
「早くあの世へにじり寄って行ってください!」
などと、丁寧な言葉ながらしきりに〝あの世ゆき〟を勧める。
で、ボクは礼儀をわきまえた後輩思いの紳士ゆえに、
やさしく「after you」と応え莞爾(かんじ)として微笑むのである。