2019年1月15日火曜日

「全然、大丈夫です」とはなんだ!

いつの時代にあっても耳障りな言葉というのはある。
まずは「私って〇〇じゃないですかァ」という言い方。
知り合いの女性編集者がよく使うのだが、言われるたびに
「知らんよ、そんなもん」とツッコミを入れたくなる(笑)。
「こちら〇〇になります」もツッコミを入れたくなる言い方だ。
「お待ちどうさま、こちらシーザーズサラダになります」
「えっ? いつなったの?」

「私のお母さんは~」「ボクのお父さんは~」
という若者も気に障る。「母は」「父は」となぜ言えない。
公私の境界線がハッキリしていない証拠で、未熟の一語に尽きる。
「ってゆーかーァァァ」というのも未熟者の常套句。
「やばい」を連発する若者や「くそかわいい」などというバカ者は、
いっそ逆さ吊りにして思いきり蹴りを入れたくなる。

「全然、大丈夫です」もよく耳にする。「まったく問題ありません」が
正解で、「全然」という副詞がきたら次には打消しの否定語がくるはずなのに、
「全然、オーケーよ」と言われたら拍子抜けしてズッコケそうになる。

またサッカー選手や野球選手のインタビューなどでよく聞かれるのが、
「~ですし」と「~ますし」。いつの頃からかこの「ですし」「ますし」で言葉を
つないでいく選手が多くなった。中田英寿が流行らせた、という説があるようだが、
いつまでもダラダラと際限なくしゃべり続ける言い方で、実に聞き苦しい。
また語尾に「ね」をつけるしゃべり方も不遜で偉そうな響きをもつのだが、
オツムの弱い選手たちはまったく気づいていないようだ。

一方、政治家たちがよく使うのが「粛々と」という言葉。
竹下登元首相が使い始めてから、あっという間に広まったといわれている。
もともとは詩吟などにも謡われる頼山陽作の、
《鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく) 夜河を渡る……》から来ている言葉で、
ひっそりと事を行う、の意だ。

武田信玄の待つ川中島の敵陣へ、上杉謙信の大軍が、
夜陰にまぎれて千曲川を渡る。全軍無言で、隊列を乱さず、
ただ鞭(むち)の音だけが粛々と聞こえてくる……

この「粛々」を竹下元首相は、世上の雑音などに惑わされず、
ひたすらに事を進める、の意で使った。

それはそれでいいのだが、現政権の要である菅官房長官が、
沖縄の辺野古埋め立てを「粛々と進める」とやっちゃった。
「粛々」は相手に気づかれないように静かにこっそりの意だから、
沖縄県人は怒った。これだけ埋め立てに反対しているのに、
知らんぷりして埋め立てを敢行するのか、と。

菅官房長官は、これには辟易(へきえき)し、以後「粛々」という言葉は
使いません、と約束したんだと。お粗末さま。


←♪ 号令粛々、夜浜を埋める

2019年1月7日月曜日

日本人の8割が〝スマホ首〟

正月2日、練馬区谷原にある新鮮市場「フレッツ」に買い出しに行った。
都内最大級の鮮魚店で、お客さんがあると刺身などを買いに時々ここまで足を運ぶ。
さてこの店の隣はふつうの民家だが、珍しや庭に二宮金次郎の像があった。
「民家の庭に金次郎の像があるって珍しいよね……」
女房と2人で顔を見合わせたものである。

ボクが子供の頃はどこの小・中学校にもこの像が立っていた。
二宮金次郎、長じて尊徳と称したこの人物は農政家・思想家として知られ、
「報徳思想」を世に広めた。内村鑑三の『代表的日本人』の中でも取り上げられ、
〝農民聖者〟と讃えられている。

だがこの聖者、近頃は今一つ人気がないという。
「こどもが働く姿は勧められない」
「戦時教育の名残だ」
「歩きながら本を読むのは危険」
などという理由で、「児童の教育方針にそぐわない」ということらしい。



←かつて、どこの小学校にもあった
二宮金次郎像。










質素倹約と勤勉を絵に描いたようなこの像のどこが「教育にそぐわない」のか、
ボクにはサッパリわからないが、戦後民主主義バンザ~イ! を叫ぶ日教組の
センセーたちにとっては、『修身』の権化みたいなこの人物像が、古臭くて
忌まわしい像に思えるのであろう。

そのおバカなセンセーたちの教え子が今、歩きながらスマホをいじっている。
なかには自転車をこぎながらスマホに見入っているものもあるし、あろうことか
車を運転しながらメールを打っている不届きものもいる。いったいどっちが
〝危険〟なのか、とボクは怪しむのだが、日教組のセンセー方は怪しまない。

話は変わるが、日本人の約8割が〝スマホ首〟を患っているという。
スマホ首というのはいわゆる〝ストレートネック〟のことで、
頸椎の緩やかなカーブが失われてしまった状態を言う。
頸椎のカーブが失われてしまう ということはすなわちカーブのクッション機能が
失われ、頭の重みが直に頸椎にかかるということを意味する。
頭の重さは体重の約10%というから、ボクの場合、約8㌔の重さが頸椎にかかる。

実はボクはスマホ首ではないが、ストレートネックと診断されている。
一昨年、頚椎症性筋萎縮症という病気に罹ったとき、レントゲン検査で
わかったのである。パソコンを使う人間がかかりやすいというから、
たぶんそっちの影響だろう。PCが商売道具の物書きにはストレートネック患者が
多いのではないだろうか。ボクはケータイもスマホも持たないから、
パソコンが原因としか考えられない。

それにしても〝スマホ中毒患者〟が多すぎる。
電車の中はもちろんのこと、横断歩道を渡っている時も、
若者たちはスマホの画面に見入っている。
一時停止違反の車が突っ込んできたら、それこそ一巻の終わりである。

1日17時間、スマホから離れられないという中毒患者の若者がいた。
新聞記事に出ていたのだが、寝る時間以外はすべてスマホに捧げているらしい。
いったい17時間もスマホを使って何をしているのか。メール? 動画?
それともゲーム? いずれにしても二宮金次郎の読んでいた四書の一つ
『大学』の中身とは天と地ほどの違いがありそうだ。とてもじゃないが、
二宮尊徳の衣鉢を継ぐ人間にはなれそうにない。

さて、史上最年少で囲碁棋士に内定することが決まった
仲邑菫(なかむらすみれ)ちゃん(9歳)の面構えがいい。
6日、トップ棋士の井山棋聖と対局したが、おめず臆せず、
鋭い視線を井山棋聖に送っていた。この仲邑家にはテレビがないという。
菫ちゃんはバラエティと称する〝バカ番組〟とは無縁のところで
純粋培養されたのである。近頃珍しい、まことにすばらしい一家である。

ボクもバラエティ番組など糞くらえのクチだが、ニュースとスポーツ番組だけは
見ている。ほんとうはテレビなどなくてもいいのだが、薄志弱行の身ゆえ、
つい人並みの生活へと流されてしまった。スマホに熱中している若者の中に、
あの菫ちゃんほどの凛とした面構えを有する者があるか? 

みんな揃ってアホ面なのは、決して偶然ではあるまい。
本を読まず、スマホでゲームやユーチューブ動画に熱中している連中に
輝かしい未来はない、とボクはあえて断言する。スマホなどという
大人の〝おしゃぶり〟は単なる時間つぶしの道具でしかない。
そんなヒマがあったら、本の一冊でも読んだらどうだ?
ああ、二宮金次郎の質朴さを愛しんだあの時代がひどく懐かしい。




←井山棋聖を見据える仲邑菫ちゃん。

2018年12月27日木曜日

動物愛護が聞いて呆れるわ!

日本政府は26日、国際捕鯨委員会(IWC)から脱退することを正式に表明した。
いよいよ待ちに待った商業捕鯨が再開されることになった。30年ぶりである。

ボクたち世代はクジラ肉をよく食べた。給食でもクジラの竜田揚げは定番だったし、
肉というと牛肉や豚肉などよりクジラが一般的だった。戦後間もない貧しき時代に、
貴重な動物性たんぱく質としてクジラ肉は大いにもてはやされた。

とりわけ貧しかったわが家などは、母が、
「今夜のおかずはトンカツよ!」と元気よく叫ぶと、
鼻垂れガキのボクたちは快哉を叫んだものだが、
出てくるカツはたいがいクジラで、わが家で豚カツといえば〝鯨カツ〟のことだった。

母は借金まみれの家計を助けようと、川越市内の卸専門の魚屋に働きに出た。
父の経営する会社が倒産し、社員を全員解雇。食うや食わずの生活を続けてきたのだが、
食べ盛りの子を4人も抱えていては、そのうち家計が行き詰ってしまう。
母は慣れない事務の仕事で家計を支えた。

魚屋に勤めていると案外余禄もある。
ときどき刺身をみやげに持ってくることがあったし、
当時安かったクジラの肉を大量に持ってくることがあったのだ。
日産のゴーン前社長みたいな特別背任罪(笑)ではない。
社員割引で安く仕入れてくるのである。
クジラのベーコンなどは飽きるほど食べた。
この脂っぽいベーコン、今は高すぎて手が出ない。隔世の感とはこのことだ。

そんな日本人の伝統的な食文化を知ってか知らずか、反捕鯨国のオーストラリアや
ニュージーランドは激しく反発している。反捕鯨団体の悪名高きシー・シェパードは
「日本は捕鯨するノルウェーやアイスランドという〝ならず者国家rogue state〟の
仲間入りをすることになる」
などと、偉そうに説教まで垂れている。

わが家にホームステイした〝ならず者国家〟ノルウェー出身のAksel Båhl君。
お~い、聞いてっか?
利口な君なら少しは日本人の気持ちが分かるだろ?

反捕鯨を叫ぶ連中の言い分はこうだ。
「クジラは人間の仲間で高等な頭脳を持つ哺乳類。その愛くるしい仲間を
残酷なやり方で殺し食うという。これほど野蛮な行為があるだろうか」

日本の水産庁と外務省の言い分はこう。
反捕鯨国は科学ではなく政治的な立場から、いかなる捕鯨にも反対している

われわれ日本人からすると、愛くるしい牛や豚を電殺などで屠畜する欧米人
のほうがよっぽど残酷だと思うのだが、彼らはそう思わない。
キリスト教では人間と動物の間に一線を引き、人間をあらゆるものの上位に置いた。
聖書の教えの中にも大約、
「牛や豚は人間が食べられるようにと神様が造ってくださった」
と勝手な理屈が述べられているから、彼らは牛や豚を殺すことに何のためらいも
ないのだろう。そういえば飼いきれなくなったペットの犬なども、あっさり殺処分
してしまうものね。死ぬまで面倒を見るという日本人とは〝動物観〟がずいぶん違う。

反捕鯨国の急先鋒、オーストラリア政府は、今度の日本のIWC脱退を非難して、
「極めて失望した。あらゆる商業捕鯨と調査捕鯨に断固反対する」
などとする声明を発表した。

(よく言うよ。どの面さげてこんなご託を並べられるのかね)
ボクからするとちゃんちゃらおかしい声明で、
(こいつら、いまだに白人上位の考え方に凝り固まっていやがる。
自分たちが犯してきたアボリジニ虐殺の歴史は、もうすっかり
忘れてしまったのかしら……)

オーストラリア大陸にはおよそ600万人の先住民が暮らしていた。
アボリジニと呼ばれる人たちである。そのアボリジニが今はわずかに30万人。
残り570万人のアボリジニはいったいどこへ行ってしまったのか。

ニューサウスウェールズ州の某図書館には、
こんなことが書かれた日記が所蔵されているという。
「週末、アボリジニ狩りに出かけた。収穫は17匹1927年)

アボリジニは当時、白人どものスポーツハンティングの対象だった。
手当たり次第、銃で撃ち殺していったのである。
50万人のアボリジニが住んでいたタスマニア島では、
そのほとんどが崖から突き落とされ殺された。
残った数千人は岩だらけの孤島に移され、全員が餓死した。


←1828年、白人が自由にアボリジニを
殺してもよい、とする法律を制定。
週末はカンガルー狩りをするみたいにアボリジニ
を狩った。写真は頭部のコレクション。




オーストラリアに敬虔なキリスト教徒がどれほどいるか知らないが、
いくらバカでも人間と動物の区別くらいはつくだろう。
アボリジニは人間? それとも動物?
黒いのとか褐色、あるいは黄色いのは人間ではなく〝猿〟だったっけ?

そういえばヒトラーの『我が闘争』の中で、
日本人のことを〝東洋の山猿〟と言ってたっけ。
さすがに日独伊三国同盟を結ぶ段になり、日本語に翻訳されるとなったら、
急遽この箇所はカットされたけどね。
ついでに言うと、米国のトルーマン大統領が日本に原爆を落とすかどうか
迷っている時、英国のチャーチル首相に相談したら、
「日本人は猿だからいいんだ」
と言われたとか。さすが紳士の国の首相は言うことが違うね。

そんな人種差別の国から追い出された政治犯を先祖に持つオーストラリア人だ。
「囚人の国」という元々の出自が卑しいからだろう、言うことも恥知らずで、
〝動物〟のクジラを食う日本人を野蛮だという。
〝人間〟のアボリジニをナチス並みに大虐殺しておいて、
あろうことか日本国を〝ならず者国家〟だという。

この際、ハッキリ言わせてもらいましょう。
恥を知れ、恥を!
無残に殺されていったアボリジニの怨みを生涯背負って生きてゆけ!
TPPが発効しようがしまいが、筋張ったオージービーフなんか
誰が食ってやるもんかよ!


←クジラが増え過ぎ、漁業資源が枯渇しつつある、
という科学的データをもっと信頼してほしいね。




photo/日本経済新聞

2018年12月16日日曜日

そばの〝ズルズル〟は迷惑行為防止条例違反か?

そば屋に外国人客が入ってくると、さっきまでズズーッと景気よくたぐっていた音が
ピタリと止む。「音をたてて食べるなんて野蛮だ」などと、例によって上から目線の
異人たちが言うもので、野蛮と思われたくない日本人客は、ムリしてお品よく
そばをたぐり出すのである。ところがこの異人客、日本人顔負けの〝ズルズル〟を
やり出したから、店内は一瞬〝シーン〟となるが、ほどなく客たちは一斉に〝ズズーッ〟とやりだした。世の中これだから面白い。

わが家は毎年、異国からの高校留学生をあずかっている。すでに長短期含め15ヵ国
くらいにおよぶだろうか。来年もドイツ人のイケメン生徒をあずかってはくれまいか、
と頼まれてはいるのだが、金髪ボインちゃん希望のボクは「また男かよ!」と半分
ふてくされ、いまだ意を決しかねている。

彼ら留学生と寝食を共にすると、もちろんそば・うどんを食べることだってある。
さすがにパスタ類を食べるときは音はたてないがそばやうどんとなると我らが領域だ。
さほど景気よく音をたてるわけではないが、こればっかりは天下御免とばかりに
品よくズルズルやる。ところが概ね白人たちは、音をたてて食べることに極度の
ためらいがあるから、いつだって口の中でモソモソやっている。日本ではズルズルが
憲法で保障されているし(ウソ)、「迷惑行為防止条例違反」でもないから遠慮なく
ズルズルやっていいんだよ、と委曲を尽くして説明してやっても、生れた時から
音たて食いをきつくたしなめられているから、そう簡単に〝野蛮人〟にはなり切れない。
習慣とは悲しくも怖ろしいものなのである。

そばというと思い出すのは杉浦日南子さん。漫画家であり江戸研究家でもあり、
そして無類のそば通でもあった。残念ながら13年前に急逝してしまったが、
その杉浦女史と軽井沢の「はなれ山ガルデン」でお会いし、そばに関して取材
させてもらったことがある。その際、そばの〝音たて食い〟について質問してみた。
「そばをたぐる〝ズルズル〟は江戸の昔からあったんですか?」

杉浦女史曰く、
《それはなかったですね。江戸300年の間には、上つ方の礼儀作法(小笠原流)が
下々のレベルまで降りていて、長屋の八っつぁん、熊さんでさえ、そばは口の中へ
押し送って食べていた。そばにしろタクアンにしろ、あからさまに音を立てるのは
はしたないとされてたんです》

それがまたどうして〝ズズーッ〟が一般的になってしまったのか、そのことを
重ねて尋ねてみたら、
《明治期、寄席で噺家が擬音によってそばを食べる場面を演じたら、
その所作が庶民の間で流行しちゃった。つまり仕方噺から出たというわけ》


杉浦女史の話では、《古来より日本では「にごり」を忌み、そばであるなら
「つるつる」はいいのですが「ずるずる」は下品とされてきた。だから、ふつうは
口をすぼめてたぐっていたんです》と。
おそらくこれらの禁忌は神道から来ているのだろう。神道は「にごり」と「けがれ」
忌む。言葉の濁りを忌むのもそのためだ。近頃は「やべぇ」とか「すげぇ」などと
いう濁った言葉の花盛り。日本語の清らかな響きは失われてしまった。

さて、こんな言葉がある。これも杉浦女史から聞いた話なのだが、
〝菊弥生(きくやよい)〟
という言葉だ。これを〝聴くや善い〟と洒落ることで、そばをたぐる音を聞くのは
耳に心地よい、とそばの「音たて食い」を正当化するようになったのである。
つまり、新そばが出盛る晩秋(10月末~11月初頭にかけての菊の季節)から桜の咲く
弥生(3月頃)までの期間にかぎって、かそけきそばの香りを楽しむため、音をたてて
たぐってもよし、とする暗黙のルールができたというわけ。しかし日清・日露戦役
後は、季節を問わずなし崩し的に〝ズズーッ〟とやるようになってしまった。

以上が杉浦女史から聞き取った話で、さすがに江戸文化に通じたお方、
目からウロコの「なるほど」と思わせる話ばかりであった。

こうしたそば文化にまつわる話を留学生相手に英語で説明するのは至難の業だ
ただでさえヨコ文字のきらいなボクは、
「日本では〝ズズーッ〟が正統なマナーなんだ。四の五の言わずに食べろ!」
とばかりに、異人顔負けの高圧的態度で申し渡すのである。
やはり蛮人の末裔か?








←杉浦さんの実兄は鈴木さんというカメラマン。
彼と何度か仕事をしたご縁で、妹御である杉浦女史
と会うことができた。生で見ると超小顔の色白美人であった。

2018年12月12日水曜日

端くれにも五分の魂

昼間っから団地内をブラブラしているから、怪しいやつと映るのだろう。
「失礼ですが、お仕事は?」
とよく訊かれる。
「ハァ……物書きです。といっても端くれですが……」
「どんなものをお書きになってるんですか?」
「そうですね、どっちかというと恥をかいたり大汗かいたりしてますね」
「…………?」

元市議会議員のI氏から、
「ささやかな自叙伝を残したいんだけど、代わりに書いてもらえませんか?」
と頼まれたことがある。まんざら知らない仲でもないので請けてもよかったのだが、
丁重にお断りした。なんだか気が乗らなかったのである。ボクは自著だけでなく、
他人の本も代筆する。いわゆるゴーストライターの仕事である。
それほど数をこなしたわけではないが、有名人の本は何冊か代筆している。

そしていま、久方ぶりに自分の新刊を出す予定でいる。
某有名出版社から、ありがたくも執筆依頼が舞い込んできたのだ。
もう齢も齢だし、頭も相当耄碌してきたので、このまま無為徒食を続けようと
虫のいいことを決め込んでいたのだが、
「お酒ばかり飲んでないで、少しは働いたらどうなのよ!」
と女房にきつく叱責され、しかたなく腰を上げることにした。
たぶん恥のかき納めになると思う。

近頃の新聞の新刊案内を見ると、純文学系の本が少なく、
ほとんどが〝ノウハウ本〟で占められていることが分かる。
こうやれば〝スマホ首〟が治る、だとか、半月板のズレを戻せば膝痛が治る、
あるいは定年後の〝断捨離〟をどうする、便秘に効くのは〝こうじ水〟
といった類の本ばかりだ。そうかと思うと、昔懐かし吉野源三郎原作の
『君たちはどう生きるか』が復活したりしている、漫画版だけど……(笑)。

安易なノウハウ本をバカにしているわけではない。
膝痛に悩むボクなんかさっそくアマゾンで注文したくらいだ。
しかしこの手の本を百万冊読んでもいわゆる教養は身につかない。
おそらく、スマホ中毒で〝スマホ首〟を患っている人間に
真の教養人は皆無であろう。片々たる情報などいくらかき集めても、
人間性に奥行きが増すわけではないのだ。

物書きの端くれとして言えるのは、月並みだが「文は人なり」ということだ。
どんな文章であっても、書き手の人間性、教養の度合い、ものの考え方、
政治的党派性といったものがすべて出てしまう。
ボクの文章は「クセが強い」とよく言われる。だから好いてくれる人が
いれば嫌う人もいる。ボクはそれでいいと思っている。
万人受けするであろう、差しさわりのない文章を書けないわけではない。
が、そんな文章を書いて何が楽しいんだ、という思いはある。

ボクの文章にクセがあるというのは、それはとりもなおさずボク自身が
クセの強い人間だからであって、ムリしてクセの強さを演出しているわけではない。「……てゆーか」とか「……っていうみたいな」とかいう、自信のなさから来る
今どきの若者言葉は一切出てこない。すべて断定調で「私はこう思う」と
ハッキリ書いてある。ボクの師匠である小林秀雄や山本夏彦、福田恆存もみな
断定調で書いていた。それはすなわち「文責はすべて私にあります」ということ
であって、語尾をボカし責任をはぐらかす姿勢とは無縁なのである。

ボクは高校時代に小林秀雄に心酔し、なけなしの貯金をはたいて
小林秀雄全集を買い込んだ。小林秀雄は難解、とよく言われた。
学校の教科書に載っている『無常ということ』といった文章に触れ、
反射的に拒絶反応を示してしまうのだろう。

ボクは格別頭がいいわけではないが、小林秀雄の文章は素直に胸に落ちた。
小林の男性的で硬質な文章がボクの好みでもあったのだ。たぶんボクは、
いまでも(小林秀雄みたいな文章が書きたい)と心の底で念じているのだと思う。
その小林の墓は北鎌倉の東慶寺にある。何度か詣でたことがあるが、
近く花でも手向けに行こうかと考えている。たまたま取材したい店が
北鎌倉の雪ノ下(小林は昔この雪ノ下に住んでいた)にあるから、よい機会なのである。

どんな文章にも肌ざわりというものがある。
その肌合いが合うか合わないか――その作家を好きになるかならないかは、
案外そんなところで決まってしまう。ボクが小林秀雄や山本夏彦を勝手に師と仰いで
いるのは、どことなく肌合いがあったから。馬なら乗ってみよ人には添うてみよ、
というではないか。作家に対しても添い寝の覚悟が必要なのだ。

ボクの本(『おやじの世直し』と『おやじの品格』)を読んだ読者が、
「古武士のよう」とか「徹頭徹尾硬派」といった感想を手紙に託して送ってくれた。
ちょっぴりこそばゆい思いがするが、素直にうれしい。
さて、次なる本にはどんな想いを託すとしようか。




←北鎌倉の東慶寺にある小林秀雄の墓。
苔むすままの古風な五輪塔だ。













2018年12月4日火曜日

モットーは「人にやさしく」

もしボクに取り柄があるとしたら、
「誰とでも気さくに話ができる」ということだろうか。
こどもの頃は「対人恐怖症」に似たある種の神経症に悩まされ、
おかげで友人と呼べる人間は一人もいなかった。
そのことは拙著などにも何度となく書いている。

いつの頃からか、過剰な自意識から解放され、
人と対しても緊張することがなくなった。
雑誌記者を長くやっていたからでもあるだろう。
〝場数〟を踏んだことで対人における〝慣れ〟が生まれたのだ。
だいいち、人に会うたびにむやみに緊張していたら商売にならない。
もちろん突っ込んだ取材などできやしない。
この記者という稼業、よくも悪くも面の皮がぶ厚くなるのである。

誰にでも気さくに話しかけられるという〝特技〟のおかげで、
友人らしきものがずいぶん増えた。今朝も隣町で朝のラジオ体操をしていたら、
和光市の元市議会議員だったというSさんと知り合った。
Sさんは東京は江戸川区の出身。昭和19年生まれというから、御年74だ。

「昔は刑務所が変わるたびに引っ越ししてな。福島にもいたし、
府中や小菅にもいた」
(えっ? このひとムショ帰りかよ……)
一瞬ドキッとしたが、Sさんの父親が刑務官だったので、
こどもの頃は転勤に次ぐ転勤だったのだという。
ああ、ビックリした(笑)。

昭和30年代だろうか、朝霞に「朝霞コマ劇場」という大層な名前の
ストリップ小屋ができて、近在の助平なオジサンたちは足繁く通ったという。
つい最近までわが家の近くにあったから、その存在だけは知っていた。
このSさんは常連で、よくかぶりつきで見ていたという。

最初は前座としてブヨブヨの不細工なおばちゃんが出てきて踊るのだが、
「もういいから引っ込め!」とか「もっと可愛い子はいないのかよ!」
などとヤジが飛ばされるという。心ない言葉といえばまことにそのとおりで、
このブヨブヨおばちゃんの胸中は察するに余りある。

時間の経過とともに踊り子たちは徐々に上玉となり、
きれいな若い子が〝俎板ショー〟を始めたりすると、
客たちは我先に舞台に駆け寄り、手を伸ばさんばかりに群がったという。
なかにはちょっと口にできないようなエログロの演出などもあって、
いくらなんでもお品のあるブログ上には書けやしない。

あれから幾星霜。小屋を閉める直前は外国人のストリッパーばかりで、
主にコロンビア出身者が多かったという。なかには馴染みになった
近くのジャズ喫茶に赤ん坊をあずけて出演するママさんストリッパーもいた
というから、いずこの世界でも生きるためには、みな必死だ。

昭和30年代、アパートを借りると東京あたりでは〝一畳千円〟という
のが相場だったらしい。池袋駅近くに借りたSさんの三畳一間は、
だから三千円だった。

一緒におしゃべりに興じていたSさんと同世代のNさん(元接骨医)は、
「あたしは六畳間を借りたんだけど、その前までずっと三畳間だった
から、六畳間に入ったときは何て広いんだ、と思った」という。
でも、その六畳間に家族6人も詰め込んだものだから、さあ大変。
夏場などはコタツを天井に吊るしてなんとか居住空間を確保したという。
貧しく必死だったのはコロンビア人だけじゃない。

で、ボクのもう一つの取り柄。
貴賤上下の別なく、人にやさしいことだろうか。
自分で言うのは小っ恥ずかしいのだが、ぼくは人を「差別」することが
何よりきらいなのだ。

蛇蝎(だかつ)のごとくきらうのは高学歴や輝かしい職歴を誇るおじさんたち。
ボクの住む団地にはこの手の〝昔偉かったおじさん〟が佃煮にするくらいいる。
話をしてみると、案の定、中身の空疎な人間が多く、
聞かされるのは糞の突っかい棒にもならない自慢話ばかりだ。
人間を長くやっていても、およそ教養の厚みというものがまるで感じられない。
「高慢」というのは実に空疎なものだ。

ボクの周りにはおかげさまで高慢ちきな人間は一人もいない。
学歴など毛筋ほども関心がないから、話題にのぼることもない。
どうでもいいのだ、そんなもの。

嗚呼、あのストリップ小屋で「引っ込め!」とヤジられたおばちゃん。
なんとか気丈に生きていってくれただろうか。
小さな幸せを掴んでくれただろうか。











2018年11月29日木曜日

天狗のお相手はわれらがご先祖さま

今月の26~27日、1泊2日で愛知県の西尾市へ行ってきた。
埼玉県和光市のわが家から往復で約800キロ。カミさんは
「運転手付きのお大尽と結婚するつもりだったから運転免許はないの」
(お大尽でなくて悪かったね……)
カネには生涯縁がないであろうという慢性金欠病の男に嫁いでしまった、
男運のないわが女房。哀れではあるが、おのれの不明を悔やむしかあるまい。
ま、そんなノーテンキな女房だから〝お抱え運転手〟のボクが右腕マヒにもめげず、
ハンドルを握るしかなかった。こちらこそ哀れである。

西尾市など聞いたこともなかった。が、カミさんのご先祖ゆかりの地だというので、
一族郎党の誰も足を踏み入れたことのない西尾市にボクら夫婦が一番乗りした。
東名高速を降りてすぐの岡崎市にまず1泊し、朝早くに一路西尾市へ向かった。

カミさん(旧姓:河合)ご先祖は河合八度兵衛(やっとべえ)という剣と槍の達人で、
三河西尾藩の槍術師範をしていたらしい。禄高は200石と記した古文書もあるし、
100石と記した『当勤知行取出所略記』もある。日本で初めての古文書の博物館とされる
市内の「岩瀬文庫」に照会してみたところ、すぐさま分限帳2冊を見せてくれた。

八度兵衛の名を探したところ、馬廻役100石とあった。その数代遡ると、
河合半兵衛重明という人物が登場。どうやらこの人物が系図で辿れる
最初のご先祖らしい。このご先祖は禄高200石を拝領していた。
古文書をスラスラ読めるという係の人の助けを借りて読み進んでいったところ、
何かの戦で武功をたてたのか、主君の覚えめでたき人物であったらしい。

いっぽう河合八度兵衛は、この地方に伝わる『天狗の羽うちわ』という民話の中に
主人公として登場している。乱暴狼藉やいたずらの絶えない天狗を得意の剣術で
懲らしめ、戦利品として羽うちわをせしめる、という逸話である。



←盛巌寺の境内で剣術の稽古に
励む河合八度兵衛。











その八度兵衛が毎朝素振りの稽古に励んだという盛巌寺にもおじゃました。
が、あいにくご住職が不在で、天狗と八度兵衛の民話が生れた背景を
聞きそびれてしまった。「後日、手紙にて照会してみるつもり」と、
カミさんはとことん調べる心づもりのようである。

つい最近復元されたという西尾城にも足を運んだ。
百石取りの武士が住んでいたという百石町(現大給町)と馬場町も
歩いてみた。民話によると、剣術の稽古に励んだ盛巌寺の近くに住まいが
あったらしい。というのは、天狗から羽うちわをせしめる際にこんな誓約を
させられる。
「(天狗から)羽うちわをもらったということは他言無用。絶対口外しないと
約束していただきたい。もし一言でも漏らせば必ず災いがもたらされよう」

八度兵衛はこの約束を律儀に守るが、十数年後、友人宅で酒を酌み交わしている際に、
酔余の勢いなのか天狗との約束をついつい忘れてしまう。天狗との果たし合いに
勝って羽うちわをせしめたと、うっかり自慢気に口外してしまうのだ。
すると突如門外で「火事だ、火事だァ!」と叫ぶ声が。あわてて飛び出すと、
自宅のある盛巌寺の付近から朦々(もうもう)と火の手が上がっている。

←哀れ屋敷は燃えてしまった。
可哀そうなご先祖さん(笑)。









八度兵衛は一目散で駆けつけるが、屋敷はみごと灰燼(かいじん)に帰していた。
古今東西を隔てず、童話とか民話には「うそをつくな」とか
「親の言うことはよく聞け」といった訓戒話が多いのだが、
この『天狗の羽うちわ』には「約束事は守ろうね」とか「自慢話はほどほどに」
といった戒めがこめられているのかもしれない。

われらがご先祖さまが約束を破った張本人として描かれている、
というのはご愛敬だが、それも剣術の達人であったからこそ
天狗の相手役に抜擢された、ということであって、
子孫にとって名誉であることには変わりはない。
もっと言えば、この民話には運と不運、名誉と不名誉が表裏一体のもの
として描かれている。『平家』の盛者(じょうじゃ)必衰の理(ことわり)
とまでは言うまいが、人生の流転変転を暗示しているところが教訓的で、
われら凡夫匹夫は四の五の言わず謹んで承る、というのが筋なのではあるまいか。

またこんなふうにも考える。ご先祖が一介の武弁、すなわち四角四面の
しゃっちょこばった武人ではなく、おっちょこちょいで軽忽(けいこつ)
一面を持った剣術遣いだった、とするところがかえって親しみやすく、
多くの共感を呼ぶような気もする。

ボクの直接のご先祖さまではないが、相方の側にこんなユーモラスな
ご先祖さんがいた、ということだけでも、なんだかホッコリとした気分になる。

長時間のロングドライブは老骨の身にはいささか厳しいものであったが、
得るものもまた大きかった。女房も至極ご満悦な顔で帰途についた。



←小ぶりだが、勇壮な威容を誇る西尾城。