2018年4月16日月曜日

「にょにんきんぜい」って何?

土俵上に女性を上げてはいけないという「女人禁制」についてかまびすしい。
日本相撲協会は土俵上のやむを得ない医療行為についてはしぶしぶ了解したが、
巡業先での〝ちびっこ相撲〟については、今後女児の参加は認めない、とする
通達を出した。以前は男の子も女の子もいっしょに土俵に上がって、相撲取りと
押しくらまんじゅうをしていたものだが、今後は一切認めないという。

女人がなぜ土俵に上がれないのか、というと土俵上は神聖な結界だからである。
相撲はもともと豊作を祈願する神事で、土俵には何柱かの神様がいるという。
そのうちの豊作を司る神様が女性で、その神様に屈強な男たちのぶつかり合い
を見せることでしばし楽しんでもらおう、というのが相撲の発祥とされている。
その土俵上に同性の女性があがっては神様の機嫌を損ねかねないし、
やきもちを焼くことがあるやもしれぬ。神様の不興を買えば豊作どころか
凶作すら招きかねない。土俵上が女人禁制になった理由の1つはこのことである。

その2は何か。
それは〝穢れ〟という問題だ。神道的な解釈では、神聖な場所で血を流すことは
穢(けが)れとされる。女性には生理や出産という尊い行為がある。だが、
土俵上は別。相撲取りが土俵上に塩をまくのは土俵上を〝purify(聖化する)〟
する所作であって、土俵の中央部にはいわゆる「三種の神器」も埋めてある。
その聖なる場所を血(女性)で穢してはならない、ということで女性が禁忌に
なったのである。

宮本常一氏の民俗学的な本(特に『忘れられた日本人』など)の中には、
生理期間中の女性が母屋から離れたヒマゴヤ(生理小屋、不浄小屋とも)
に入って寝起きし、煮炊きするかまども別だったとある。
いっしょに食卓を囲むと、家の火が穢れるというわけだ。

昭和初期の田舎には御幣(ごへい)担ぎが多く、月のさわりがやかましく
言われた。ヒマゴヤは1坪ほどしかなく、腰巻などは陽の当たるところには
干せなかった。それらすべてが血の不浄を忌んだ風習であった。
女性からしてみれば生理や出産を〝不浄〟とされるのは不本意この上ない
ことだっただろうが、現実にそんな悲しい時代があったのである。

とはいっても、室町時代には女相撲があって、比丘尼など尼僧が相撲を
取っていたというから面白い。江戸期にも女相撲はあったそうだから、
女人禁制が大昔からの伝統というのは当たらない。女人禁制が一般的に
なったのはせいぜい明治期以降である。

私事になるが、まだ新米の雑誌記者だったころ、先輩の女性記者と一緒に
有名な鰻屋を取材したことがある。東京神田にある「神田川」という老舗で、
そこの調理場には80代の料理長がいた。先輩のT女史が勇んで調理場に
入りかけたら、その料理長がすかさず待ったをかけた。
「ここは女人禁制だから、足を踏み入れないでくれ!」
T女史は口あんぐり。取材はボクが代わっておこなったが、
勝気なT先輩はその日ずっと落ち込んだままだった。

女人禁制なんて時代遅れ、男女平等を謳う21世紀の時代にふさわしくない、
とする正論がメディアを賑わせているが、慣習や因習、伝統といったものの
およそ8割は不合理なもので成り立っていて、「不合理ゆえに吾信ず」という
ところが確かにある。合理的にスパッと裁断を下せないのが辛いところなのである。

この女人禁制騒動、海外メディアは鬼の首でも取ったかのように、
「日本はやっぱり男尊女卑の国!」
などと、またもや上から目線で論評しているが、
「えらそうなことを抜かすな!」
とボクなんか思っている。いかにも進歩的そうなスイスにしたって、
つい最近まで女性の参政権がなかったではないか。他国の歴史や伝統に
無知なくせして、勝手な理屈をこねるんじゃない、とつい反撃したくなってしまう。

ボクは緊急の場合を除いては、女人禁制を続けるべし、という考えだ。
古臭いとお思いだろうが、保守派というものは元来そういうものである。
だからといって女性差別とは何の関係もないので念のため。

ああ、それにしても比丘尼相撲だけは観たかったな。友人に美人の尼僧が
いるから、こんど会ったら彼女と相撲を取ることにしよう。←勝手に決めるな!

←長崎市式見地区に伝わる「式見女角力」。
これは2015年の横綱「百合乃花」の土俵入り。







photo提供/西日本新聞

2018年4月3日火曜日

女の脳はかつてスポンジだった

欧米の白人たちの得意技は数百年来の「上から目線」というものである。
自分たちのことはさておき、自らを道徳的高みに置いて、やたらと他を
見下したがる。彼らから見ると有色人種というのはいつだって下目に見るべき
存在で、それこそ懇切丁寧に蒙を啓(ひら)いてやらないと必ずや道に迷って
しまう、などとご親切にもそう思ってくれている。

彼らの眼には「日本は男尊女卑の国」と映るらしい。
実態は「女尊男卑」の国なのだが、日本の国の成り立ちや
歴史に無知な彼らの眼には、いつまでたっても真実が見えない。
天照大神はもちろん女性で、『源氏物語』や『枕草子』を書いたのも女性、
現代でいえば、家庭の中で財布のヒモを握っているのはいつだって女性である。
たしかに社会的に見れば政界や経済界での女性進出が遅れているかもしれないが、
だからといって日本の女性たちが虐げられている、とは言えないだろう。
イヴはアダムの肋骨から造られた副産物、とする男性優位主義に骨がらみの
くせして、劣等?の有色人種に対してはやたらと説教を垂れたがる。
この無知と横柄さは彼らの数世紀にわたる痼疾(こしつ)とはいえ、
何と言おう、大きなお世話なのである。

以前、ブログの中で「鼻曲がり貴婦人」について書いた。
中世ヨーロッパの騎士たちの夫人は、揃って鼻が曲がっているという話だ。
レディファーストなどと女性を敬う精神はあくまで建前で、実際は力の強い
者が勝つという男性優位主義(machismo)が支配的だった。で、外面だけはいい
騎士たちが家に帰ると夫人を思いきりぶん殴っていた、という事実である。
「鼻曲がり貴婦人」という言葉はそんな状況の中から生まれ出た。
レディファースト? フン、笑わせやがる。騎士道精神が聞いて呆れるわ。

The Trouble with Women(問題だらけの女性たち)
(ジャッキー・フレミング著)という本を読んだ。19世紀、ヴィクトリア朝の
女性たちが、いかにバカバカしい迷信と固定観念に苦しめられていたか、
著者がユーモアあふれるイラストと気の利いた警句でなで斬りにする。

女性は頭がとても小さかったので、刺繍とクロッケー(運動競技のひとつ)
以外はうまくできなかった」
当時の女性は精神薄弱だったので、教育を必要としなかった。女性の脳は
小さいだけでなく柔らかい、スポンジのような軽い素材でできていた」
美術評論家のラスキンは、
女性の知能は発明や創造には向いていない。男性を讃えるのが天職だ」
と女性を小バカにすれば、哲学者のショーペンハウエルも、
(女性は)子供と本物の人間である大人との中間段階ってとこだね、やれやれ」
などと慨嘆している。こっちこそ〝やれやれ〟だ。

あのダーウィンもルソーもクーベルタン男爵も、
みんな女性たちを進化しきっていない下等動物みたいに見ていた。
女の脳はスポンジでできていた
なんて、ずいぶん失礼なコメントではないか。男だって女の股の間から
生れてきたくせに、19世紀ヨーロッパの男たちは多かれ少なかれ
女性に対してこんなふうに思っていたのは確かだろう。

そのさんざっぱら女性を足蹴にしてきた欧米の男たちが、
騎士道精神を気取ってわれら野蛮な有色人種にもっともらしく
説教を垂れる。日米の貿易摩擦が激しかった'90年代半ばに、
ニューヨーク・タイムズ紙が、
日本の女の仕事はお茶汲みとセックスだけ
と書けば、ワシントンポスト紙も負けずに、
日本では女に人権はない。だからセクハラは事件にならない
などと大嘘をつく。トランプ大統領がこの両紙を〝フェイクニュース〟
の代表と断じるのはもっともなことなのだ。

あの傲岸不遜な白人どものへらず口をどうやって封じるか。
ボクはそのことに熱中すると、心がいつだって浮き立ってくる。
欧米のマッチョな野郎どもよ、スポンジ頭は女の専売特許ではないのだよ。
君たちの脳ミソを見たまえ。スポンジよりましかどうかは知らないが、
マッチョな筋肉そのものでガッチガチに固まってるではないか。













2018年3月28日水曜日

自分のことは棚に上げ

たばこは48の時にやめた。
初めて喫ったのが18歳の時だから、30年間喫っていたことになる。
本数は日に10本くらい。それほどのヘビースモーカーではなかった。

一時、粋がって両切りのピースを好んで喫っていた時期があったが、
大半はセブンスターやマイルドセブンといった〝軟弱〟な銘柄だった。
たばこと同時にパイプもやっていた。気分転換用で、原稿に行き詰まったり
するとバルコニーに出てプカプカふかした。さぞ近所迷惑だったことだろう。

たばこをやめたきっかけは、歯を磨いているときなどに襲ってくる嘔吐感だった。
(そろそろ潮時かもしれないな……)
その日を機に、キッパリとやめた。禁煙は難しい、などとよく言われるが、
ボクの場合は何の問題もなく、禁断症状も出なかった。
ああ喫いたいなァ、などとは一度も思わなかった。むしろ、
(おれは何であんなものを30年間も喫っていたんだろ)
という悔悟の念のほうが大きかった。

勝手なもので、最近はたばこのニオイを嗅ぐだけで気分が悪くなる。
歩きたばこをしている人を時々見かけるが、すれ違う時に無意識に
鼻を覆っている自分がいる。かつては周囲への迷惑を省みず、
あれほどスパスパやっていたのに、何という変わりよう。
人間(自分だけか?)というのはずいぶん勝手な生き物だな、とつくづく思う。

レストランなどでも傍若無人にたばこをふかしている人がいるが、
はた迷惑もいいところ。食事をしているわずかな時間さえもガマン
できないのか、とその意志力の欠如に怒りさえ覚える。

たばこを吸うのは個人の自由だからいい。ただし人のいない所でやってくれ。
歩きたばこなど論外で、ポイ捨てした人間は即逮捕したほうがいい、とまあ、
勝手な理屈をこねているが、昔のボクだったらいったい何度逮捕されたことか。

近頃は受動喫煙の害について盛んに言われているせいか、たばこ飲みは
肩身が狭いのだろう、どことなくオドオドしたそぶりを見せている。
(こいつ、まだたばこなんか喫ってるのか。薄志弱行の野蛮人め!)
などとする周囲の非難がましい視線に堪えられなくなっているのだ。

実際、受動喫煙の害を本気で受け止めている企業や役所も出てきている。
奈良の生駒市役所は「喫煙後、45分間経った人でないとエレベーターに乗れない
というルールを作った。専門家に言わせると、喫煙後45分間は、
喫煙者の肺から有害物質が出続けているのだという。

そんな風潮の一方で、コンビニの駐車場の近くで、もとヤンキーっぽい
茶髪のヤングママが、幼児の前でウンコ座りしながらスパスパやっていた。
この調子で家の中でも喫っているとしたら、こどもたちの肺はいったい
どうなってしまうのだろう。他人事ながら心配になる。悲しいかな子は
親を選べない。こどもの健康より自分の欲望を優先する未熟な母親は
いっぱいいる。母親がこんなふうなら父親も似たようなものだろう。
そして祖父母も。

♪ 初めて試したタバコがショート・ピース。
  親爺のマネして気取ってちょっとポーズ
  たちまち目まいでクラクラめしも喰えず
  学生服のポケットにそっとかくす
  弁当が済んだらトイレでちょっとふかす。
  ヤニっこ取るため歯ブラシゴシゴシ

懐かしい『スモーキン’ブギ』の一節。
歌詞にあるような、こんなおバカな時代がボクにもありましたな。
酒とたばこは男の通過儀礼でもあるのでしょうか。
でも、たばこだけはもうコリゴリ。酒はもう少し続けます。




















2018年3月17日土曜日

カフェ・ド・ランブルの関口一郎氏逝く

去る14日、銀座「カフェ・ド・ランブル」の店主・関口一郎さんが亡くなられた。
享年103。大往生と言えばまことにそうなのだが、遺族の思いに寄り添えば、
とてもそんなことは言えない。ただ100歳を超えても矍鑠(かくしゃく)としていた、
という事実を鑑みれば、げに関口一郎畏るべし、とはいえるのではないか。

関口さんは拙著『コーヒーに憑かれた男たち』(中公文庫)の中に
出てくる「コーヒー御三家」のひとりである。一番年若だった吉祥寺
「もか」の標交紀氏はすでに物故していて('07年)、最長老の関口さんが
彼のあとを追うことになった。南千住「カフェ・バッハ」の田口護氏は
とうとう置いてけぼりだ。櫛の歯が欠けるように、親しかったものが
次々と逝ってしまうのはまことに悲しく淋しい。田口氏にはお二人の分まで
せいぜい長生きしてもらいたい。

ランブルにはよく通った。
カウンターには座らず、入口付近にしつらえてあった関口さんの
隠居部屋みたいな特別席(ボクは「イチローコーナー」と勝手に呼んでいる)
に図々しく座らせてもらった。20代のまだ新米記者だったころから
のおつき合いなので、気心も知れ、軽口ばかりたたき合っていた。
歳は37も離れているのに、関口マスターは「嶋中君、嶋中君」と
可愛がってくれ、いつだって気さくに口をきいてくれた。

関口さんには何冊か著作があるが、
珈琲辛口談義』と『銀座で珈琲50年』(共にいなほ書房)の
2冊はボクが聞き書きして本にしたものだ。

関口さんは生涯独身を貫いた。
愛人がいたという噂がないわけではないが、
「コーヒーに忙しくて、女にかまけてるヒマなんかなかったんだよ」
というのが本当のところだろう。いや、独身を通したからこそ
100歳の長寿を全うできたのではないか、とボクは思っている。
あるいは関口さんが口ぐせのように言っていた「長寿の秘訣はコーヒー」
なのかもしれない。あなたも100歳まで生きたかったら、生涯独身を通し、
オールドコーヒーを飲み続けることだ。これが関口さんの残した教訓その一(笑)。
実際、女に投じるカネと時間と精力はバカにできないものね(シミジミ納得)
あれで寿命がどれだけ縮むことか(世の女性たちよ、心から🙇ゴメンナサイ……

晩年、ランブルを仕切る甥っ子・林不二彦氏のもとに身を寄せた関口さん。
江東区森下のご自宅を二度ほど訪ねたことがある。2階にある関口さんの
部屋は20畳ほどの広さで、扉を開けた瞬間、何と言おう、パンドラの箱を
開けてしまったみたいなショッキングな光景が目に飛び込んできた。
そこにはビーカーやら試験管やらさまざまな実験器具が散乱していて、
足の踏み場もないのだ。大森の一軒家に独り住まいしているときも、
蜘蛛の巣が散見される部屋を見て、灰神楽が立ったようなすさまじさを
感じたものだが、こっちの部屋だって負けてはいない。

そんなボクの穏やかならざる心中を察したのか、関口さんは
飄々としながらも気を遣ってくれて、
「嶋中君、なにか食べますか?」
などと声をかけてくれた。言うなりいきなり冷蔵庫を開けたのだが、
庫内には試作中の菓子やらケーキがどっさり。色目を見ると、
いつ作ったのか判然としない、失礼ながら腹を下しそうなものが
いっぱいありそうだったので(笑)、
「いや、おかまいなく。先ほど遅い昼食を済ませたばかりなので……」
となんとかごまかした。

銀座のランブルは有名人たちの溜まり場だった。
川端康成に永井荷風、市川紅梅に水谷八重子、勘三郎に白洲正子と豪華絢爛。
ある時、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがひょっこり顔を見せたが、
あいにくの満席。ジョンのジョの字も知らない竜子ママさん(関口の妹)は、
「ご覧のようにいっぱいなのよ、悪いわね……」
とあっさり断ってしまった。カウンターで働いていた若いスタッフたちは
心底ガッカリしたという。

哲学者の谷川徹三(詩人・谷川俊太郎の父)もよく来た。
「うちの女房、近頃とんとボケちゃってね、トイレに入っても
アレを流すの忘れちゃうんだ。で、いつもほっこりした立派な
オブジェが便器の上に鎮座ましましてる(笑)」
 こう言って関口以下スタッフを笑わせるのだが、
当の本人がトイレから戻った後に便器をのぞくと、
小便が流していなかったりする(笑)。

銀座8丁目、新橋方面に向かって中央通りから一筋左に入ったところに
珈琲だけの店「カフェ・ド・ランブル」はある。昭和レトロの趣を湛えた、
無愛想なほど飾り気のない小さな珈琲店である。名物店主を失ってしまった
あの〝イチローコーナー〟はこの先どうなってしまうのだろう。
淋しさに堪えない。

ここに改めてコーヒー業界の〝巨星〟関口一郎氏のご冥福をお祈りする。
心からの合掌。


←左端のボクの隣が関口さん。
『コーヒーに憑かれた男たち』
に登場する「コーヒー御三家」
の勢揃いだ。


2018年3月7日水曜日

凡夫こそがホトケになれる

8キロ相当のダンベルを背負い、両くるぶしには2キロずつのウエイト。
いつものように三浦雄一郎を気取って散歩していると、ひとりの小柄な
おばあさんが向こうからヨロヨロと歩いてくる。見ると、数メートル歩いたら
立ち止まり、また数メートル歩くと立ち止まって小休止。風の強い日だから、
危なっかしくて見てられない。

「大丈夫ですか? 手をお貸ししましょうか?」
「いや大丈夫です、ハイ……ご親切にどうも」
「転ばないように気をつけてくださいね」
おばあさんは深々とお辞儀をすると、またヨロヨロと歩いていった。

近頃、齢のせいでヤキが回ったのか、やけに心優しくなってきている。
小さな子を見ただけで涙ぐみ、年寄りを見ると背中をさすってあげたくなる。
人妻たちにはハグの報謝をし、ベランダに来る雀たちにはお米をまいている。
以前の欲深なボクなら「雀のお宿」で大きなつづらをお礼にもらうのを夢見て
いたものだが、近頃は物欲も性欲もなくなったせいか、雀たちがただただ愛しい。
もしも宮沢賢治を気取るなら、こんな感じだろうか。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハマダマダアルケレド
決シテソレヲミセズ
イツモヘラヘラワラッテヰル
一日ニ玄米四合ナラヌ
美酒美食美女トイフ煩悩ニ溺レ
アラユルコトヲ
ジブンダケヲ勘定ニ入レ
ヨクミキキシワカリ
ソシテスグワスレ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
〝和光のビバリーヒルズ〟ト呼バレル団地ニ住ミ
東ニ病気ノムスメガアレバ
行ッテ添え寝シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテ〝ヨッコラショ!〟と背負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテモウスグ楽ニナルカラネ、トイヒ
北ニケンカヤ訴訟ガアレバ
勝ツマデガンバレ、トハゲマシ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニ〝木偶ノボー〟トヨバレ
褒メラレモセズ
苦ニモサレズ
サウイフモノニ
モウワタシハナッテマス

もしかするとボクは、知らぬ間に究極の悟りを開き、
即身成仏〟しているのかもしれない。
なんだかホトケ様になったような気がしてならないのだ。

「ケガやら何やらで気弱になり、免疫性が落ちてるだけじゃないの?」
心ない人はそんなふうに思い「ふるさとへ廻る六部の気の弱り」などと
思いきり茶化すかもしれない。でもね、どうも免疫性などという俗っぽい
ものではないような気がするのだ。

平昌オリンピックの日本人選手たちが流した清らかな涙に刺激されたのか、
無垢で清らかな心を持つ「サウイフモノ」にどんどん近づいているような
気がする。日々、即身成仏への途をまっしぐら、という感じなのだ。

法華経ではボクのような凡夫匹夫こそがホトケという最高の人間性を
(あらわ)し得る、というようなことを説いている。
凡夫即仏」というのだそうだ。親鸞の説いた「賢人(善人じゃない?
尚もて往生をとぐいわんや凡人(悪人でしょ?)をや」と同じような理屈か。
これをボクは「凡人正機説」と名づけている(笑)。いずれにしても、
♪あ~りがたや、ありがたや~、あっソレ、あ~りがたや、ありがたや。
南無……




2018年3月3日土曜日

荷やっかいな隣人たち

日本国政府が竹島を島根県に編入したのは明治38年(1905年)だ。
当時、竹島周辺の海は豊かな漁場で、江戸の昔から山陰地方の漁民が盛んに
出漁していた。そのことを示す文献資料は日本にはいくらでもあるが、
Koreaには「独島」の資料がまったくない。

竹島を日本の領土とする、と政府が閣議決定し、編入公布した時、
当時のKoreaは李氏朝鮮。韓流の歴史ドラマでは絢爛豪華な絵巻物みたいな時代
として描かれているが、実際は「文明のかけらもない古代国家そのものだった」
と歴史家たちからクソ味噌に言われている。それでも一応は独立国だった
李氏朝鮮が、竹島の日本国領土編入に対しては何の異議も唱えなかった。

さて、戦後、連合国は日本の獲得した領土をすべて放棄するよう求めた。
結果、日本は台湾や樺太の領有権を放棄した。この時のどさくさにまぎれ、
Korea側はいきなり、
「竹島は自国領土だから日本に領有権を放棄させるよう命じてくれ」
と連合国側に要請した。が、詳しく調査した結果、連合国はKoreaの要請を拒否、
竹島を日本固有の領土と認定した。竹島がKoreaの領土だったという資料が
何ひとつないのだから当然だろう。

ところが数年後の昭和27年1月(1952年)、Koreaの李承晩首相は日本海の
公海上に勝手に線を引き、そのラインのKorea側を自国の領海としてしまった。
支那が〝九段線〟と称して南シナ海に勝手に線引きし、「自国の領海だ!」
とめちゃくちゃ言っているのとまったく同じ論法である。

実は同じ年の4月にはサンフランシスコ講和条約が発効し、7年にわたった
連合国の占領から日本は主権を回復する。そのことを事前に知った李承晩は、
日本の占領が解かれないうちに自国領土を拡げようと一方的に線引きして
しまった。火事場泥棒まがいのこの暴挙は明らかな国際法違反である。
赦せないのは、この時竹島周辺で漁をしていた日本の漁船328隻をむりやり拿捕、
釜山港まで連行し漁師3929人を拘束したことだ。

漁民たちは残虐な拷問を加えられ、あまつさえ自白まで強要された。
不潔極まる雑居房に押し込められた漁民たちは、カビの生えた麦飯などを
与えられ、栄養失調で餓死するものまで出た。夫を拉致された家族の中には、
精神を病み自殺する妻もいた。この文明国にあるまじき人権無視の拉致によって、
「李承晩ライン」が廃止されるまでの13年間で漁民44人が死傷している。
Koreaはこのことについて一言も謝罪していない。

「李ライン」と呼ばれたこの線は、法的根拠など何もなく、
まったくの自分勝手に設定した排他的経済水域で、
竹島は運わるく李ラインのKorea側にあったため、
不法にもKoreaに占拠され、いまも実効支配されている。

先述したように「李ライン」は国際的には認められず解消されたが、
Koreaは武力でもって不法占拠を解かず、今日に至っている。

日ソ不可侵条約を勝手に破り、北方四島を不法占拠しているロシア、
法的根拠もないのに尖閣諸島を自分のものだ、と主張している支那。
そして竹島を勝手に分捕り、「独島」などと称して実効支配している
Korea。この隣国たちは国際法や歴史的事実、慣習さえも無視して
武力により他国の領土を切り取ってしまう。こういう無法行為を
一般に〝帝国主義〟と呼ぶのだが、われらが隣人たちはそのことを棚に上げ、
何かというと日本の現政権を〝軍国主義〟などと誹謗するのである。

この荷厄介な隣国とこの先どう付き合ったらいいだろうか?
最良の選択肢は、向後一切つき合わないこと。
とりわけKoreaとはいっさい関わり合いをもたず、
経済断交するのが一番いい。歴史的に見て、朝鮮半島に関わって
良いことなど一つもなかった。
あのウソで固めた半島には「災い」の一文字しかない。



2018年2月25日日曜日

「読書尚友」が生きる支えだった

吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が売れに売れているという。
マンガ版が火をつけたそうだが、原作の岩波文庫もにわかに売れ出した。
もうすっかり内容を忘れてしまったが、実はボクも読んだ、半世紀も前に。

青春期は「迷い悩む」時期でもある。
生き方に悩み、人間関係に悩み、性に悩む。
半世紀前のボクは全身〝悩みのデパート〟だった。
対人恐怖症や自律神経失調症に悩まされ、
情緒不安定だったせいか友達がひとりもできなかった。

その一方でガールフレンドだけはしっかり確保し、
ちぎっては投げ、契っては投げ(?)していたのだから、
野郎どもから見れば「なんともいけ好かないやつ」ということになる。
友達ができないというのは、自分の側に主な責任があった。
対人恐怖症のせいなのか、相手との適正距離感というものがうまく
掴めなかったのだ。人間関係は個々の相手との適正距離をどうとるか、
に尽きる。そのコツさえわかれば、双方にとって居心地のよい場が形作られる。

それと相手を必要以上に意識するのもペケだ。
若い頃はともすると自意識過剰ぎみになり、相手に対してもつい気をつかい
過ぎてしまう傾向がある。齢を重ねると、場数だけは踏んでいるので、
常に自然体の自分でいられるようになる。相手にどう思われようと、
「ま、いいか」と気にしない。相手に嫌われようと笑われようと、
「どうぞご勝手に」とまるで意に介さなくなる。面の皮が厚くなるともいうが、
「ありのままの自分でありさえすればいい」という、
いってみれば賢く開き直れるようになるのである。

そうした境地に達するまでは、いろんな経験を通して、自分なりの
人間観なり人生観といったものを形成していくわけだが、若い時分は
総体としての経験が少ないからそれができない。未熟なるがゆえに、
傷つけ傷つき、出口のないトンネルの中で光を求めもがき苦しむ。

いまから思えば、「なぜあれほどまでもがき苦しんでいたの?」
と、当時の自分に問いかけたいくらいだが、当時の神経症を患っていた
自分にしてみれば、それこそ必死で魂の救済を求め苦しんでいたのだ
と思う。

そんな時、手にとった一冊が『君たちはどう生きるのか』だったのだろう。
鮮明な記憶がないので、ボクの琴線に触れる内容ではなかったのかもしれない。
あの頃、ボクは飢えた狼みたいに、文学書をむさぼり読んでいた。
『人間失格』『若きウェルテルの悩み』『にんじん』『冬の蠅』『三太郎の日記』
さらには『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』と、生き方の指針が得られそうな本は
手当たり次第に読み飛ばしていった。

ボクが対人恐怖症だった、赤面恐怖症だった、などというと、
友人たちは「冗談でしょ」というような顔をする。
「あんたに悩みなんかあったんかいな?」
失礼なやつはそんなことまで言う。これじゃァただのバカだ。

新聞下段の書籍広告欄を見ると、「生き方のノウハウ」をテーマにした本が
ことのほか多いことに気づく。老いも若きも生き方の指針が見つからず、
もがき苦しんでいるのだろうか。いまのボクなら
「いつか時が解決してくれますよ」
とのんきに答えられるが、昔のボクがそうであったように、
当事者にしてみれば生きることそれ自体が苦しみそのものなのである。

およそ1万冊の蔵書の中には、若い頃の傷つきやすかった自分を支えてくれた
本が数多くある。読み返してみようとはサラサラ思わないが、「読書尚友」
という習慣、すなわち書物を通して先人たちに親しむという習慣が、陰に陽に
今日までボクを生きながらえさせてくれたことは確かだろう。
「友達は死んだ人にかぎる」
とはボクの師匠・山本夏彦の名言だが、書物の中の先人たちに教え導かれた
ボクは、この言葉の重みを心底実感しているのである。


←版元は歴史的名著などと宣伝しているようだが、
はたしてそうか。