2018年7月26日木曜日

夏期休業



あんまり暑いので、
ブログはしばらくお休みします。


ただでさえ腐りかかっている脳みそが、連日の酷暑で発酵し、
文字どおりの〝マルコメ味噌〟になりかかっているのです。


いまは一日中、ボーッとしています。
何も考えられません。脳が機能停止状態なのです。


子供の頃は暑い夏が待ち遠しかったのですが、今は逆。
もう夏はコリゴリです。たくさんです。


頸椎損傷のため右腕もマヒ状態。
得意の水泳もかないません。
だから運動不足でデブデブになってます。
これではイケメンも台無しです。


で、何するでなく家の中で終日ボーッとしています。
本を読めば数分で眠りこけてしまいます。
無為徒食がもっぱらで、ただべんべんと日を送っているだけ。
まるで痴呆老人みたいです。


脳の機能が正常に戻りましたら、ブログを再開いたします。
しばしのご猶予を。



←かつて水泳大会に出ていた頃の
ボクの勇姿。自慢じゃないが、
バタフライではちょっとしたものだった。

2018年7月12日木曜日

天下にバカを公言する「ら抜き」言葉

テレビの〝バラエティ〟と称するバカ番組をたまたま目にすると、
出演者のほとんどが「出れる」「見れる」「食べれる」などと、
いわゆる「ら抜き」言葉を使っている。ひどいのになると、女子アナまで
いっしょになって「出れない・見れない」などとやっている。
ボクはこうした薄汚い言葉を耳にすると、自動的に心悸が高ぶり凶暴性が
増すので、これまた自動的にチャンネルを変えることにしている。

衆寡敵せずというが、いまや「ら抜き」言葉に抵抗しているのは、
日本国じゅうでわが家だけではないのか、と錯覚を起こすほど、
「ら入れ」派の形勢は風前のともしびとなっている。
言葉の感染力はペスト以上に圧倒的なものなので、近く「ら入れ」派は壊滅し、
「出れる・出れない」などと無教養な言葉を操る日本人ばかりが国じゅうに
溢れかえることであろう。
末世というほかない。

ボクは6年前に文藝春秋社刊行の『日本の論点』という浩瀚な本に、
最近の日本語についての考察を書かせてもらった。ごく一部だが抜粋してみる。
《「ら抜き」に次いで猛威をふるっているのが「さ入れ」言葉だ。
「読ませていただきます」が「読ま〝さ〟せていただきます」、
「行かせていただきます」が「行か〝さ〟せていただきます」
といった具合だ。
 鳩山由紀夫元首相のスピーチは「させていただく」のオンパレードだった。
伝染力が強いのか、政治家は「お訴えをさせていただきたい」とか
「汗を流させていただきたい」という言い方を好んで使う。
 東国原英夫前宮崎県知事などは、あるとき自らの談合問題にふれ、
「私も、かつて不祥事を起こさせていただきましたが……」と口走ってしまい、
あわてて言い直す始末だった……中略……「さ入れ」言葉は、一律に
「動詞+させていただく」式に変換していくため、自動詞を謙譲語化するたびに
「させていただく」が飛び出してくる。
 「させていただく」という表現を〝下品〟と評するリンボウ先生こと林望氏は、
「これを多用する世界の人たち、すなわち芸能人、学者、政治家というのは、
内実傲慢で外側だけ謙遜という共通した属性を持つのが一般的」
と冷たく切り捨てている》

文芸評論家の福田恆存は「ら抜き」言葉についてこんなふうに言っていた。
まず《音がきたない》と。「見れる」より「見られる」のほうがきれいに
響くのは後者のほうがmiとreの間にraが入るから、としている。

母音だけひろうと前者はi・eとなり、後者はi・a・eとなる。aは最大の広母音
で、iは最小の短母音である。広母音は広大、寛濶(かんかつ)の感を与え、
短母音は急激、尖鋭の感を与える。つまり広母音のほうがゆったりと大らかな
響きを与え、「ら抜き」の短母音はせわし気で尖がった響きを与えるというのだ。

それともう一つ。福田氏は《「見られる」のほうが歴史が長い
と言っている。換言すれば、過去の慣習に負っているということだろう。
明治以来、殊に戦後は「過去」とか「慣習」とかいう言葉は
権威を失ったが、少なくとも言葉に関する限り、これを基準としなければ
他に何も拠り所がなくなってしまい、通じさえすればよろしいということに
なってしまう

箸の持ち方が悪くても、食べられさえすればいいじゃん、とする
「結果オーライ主義」。戦後はまさにこの〝結果オーライ〟の天下だが、
「ら抜き」「さ入れ」もおそらくその延長線上にあるのだろう。

言葉も立派な日本人の歴史であり、民族の共通の記憶である。
美しい日本語を後世に伝えるためにも、通じさえすればいいとする
「ら抜き」や「さ入れ」言葉を徹底して排除しなくてはならない。

多勢に無勢、ということはむろん承知している。
しかし嶋中家の血を継ぐ者たちは、少なくとも「ら抜き」「さ入れ」言葉には
徹底抗戦する覚悟だ。この点については、女房もめずらしく賛同してくれている。
徒労感にむしばまれること必至だろうが、最後の一人になるまでがんばるつもりだ。


←この本で、ボクは「日本語」と「環境問題」
というテーマを担当した。

2018年6月25日月曜日

サッカーはこの世の写し鏡か

外国へ行くと、横断歩道で交通信号を守らない人がけっこういる。
右見て左見て、車が来なかったら赤信号でも平気で渡ってしまう。
ただしマヌケなことに轢(ひ)かれてしまったら、自己責任で文句は言わない。
交通ルールは尊重するけど、それを絶対とは思わない。
融通無碍と言うのか、法律とは個人を縛るものではなくむしろ解放するもの、
という考え方で、責任取るんだから「文句ねえだろ!」という理屈なのだ。

ボクも横断歩道の信号は守ったり守らなかったりする。
明らかに車が来なかったら、堂々と渡ってしまう。
ただし小学生などが信号待ちしていたら青になるまで待つ。
子供たちのお手本になるべき大人が、平気で赤信号を渡ったら
ちょいとばかりあんべえ悪いだろ。もちろん偽善的な行為だが、
ここは「ホンネ」ではなく「タテマエ」で押し通すのである。

子供の見ている前で、赤信号を無視して渡るという手だってもちろんある。
「世間なんてものはな、きれいごとだけじゃあ済まされないんだよ!」
と、大人の世界の実相を目の前に広げて見せてやる。
もちろん実践教育の一環としてだ。

子供の視点から見た大人世界の奇怪さを童話にしたのが、
ボクの愛読書でもあるサン=テグジュペリの『星の王子さま』だ。
王子さまは大人たちの奇矯な行動を目にするたびに、
〝The  grown-ups are certainly very odd.(大人ってわけわかんなーい)
と当惑気味につぶやく。

さて、ボクも含めた大人たちは子供たちを前にこう言って諭す。
●ウソはつくな!
●卑怯なマネはするな!
●ルールは守れ!
立派な教えで、古くは会津藩の「什(じゅう)の掟」にもあるし、
薩摩藩の郷中(ごじゅう)教育の中にもある。

話変わってロシアW杯のサッカーについて一言。
あれを子供に見せるべきか否か、という問題だ。
ボクは正直、サッカーは好きではない。
理由ははっきりしている。どいつもこいつも反則ばかりで、
汚い手のオンパレードだからだ。

ペナルティキックを得るためとかフリーキックを得るために、
敵方とぶつかり合うたびに大げさに倒れ込む。ダイブと呼ばれる反則行為だ。
スローで見てみると、ちょいとさわった程度なのだが、
足の骨を折ったかのように大仰に倒れ、ウンウンと唸りピッチを転げまわる。
しかし審判が無視すると、数秒後には何事もなかったかのようにすっくと立ちあがり、
元気いっぱい走り出す。
何なんだよ、あれは?

ブラジルの名選手ネイマールも、ロシアW杯のコスタリカ戦でそれをやらかした。
ビデオで見ると、ネイマールは誰ともぶつかっておらず、明らかに
〝シミュレーション(ファウルをされたふりをする行為)〟だと分かる。
フェアプレー精神もクソもない。サッカーという競技は騙すかだまされるか、
という「反フェアプレー精神」を、これでもかというくらい究極まで追求した、
実にあざとく、とことん勝利至上主義に徹したうす汚い競技なのである。

こんな反則ばかりがてんこ盛りの競技を純な心を持つ子供に見せたら、
「大人って汚いね」「ぜんぜんルールを守らないね」
「誰も見てなかったら、悪いことをしてもいいんだね」
「大人の世界ってウソで固めた世界なんだね」
などとこの世の実相に絶望し、反社会的人間になってしまうのではないか。
ボクはついそんなことを憂え、考えこんでしまうのである。

子供の社会が純粋で美しい、などとは毛ほども思わないが、
できれば「予定調和的」に、この世の実相をちょっとずつちょっとずつ
知っていってほしい。男女の秘め事だって時が来れば自然と分かる、
というのが一番いい。だがインターネットが普及した時代にあってはそれは叶わず、
若年にして知らなくてもいいことを知ってしまう。
早熟も早熟、けた違いの早熟児が世界中に溢れ返っている。
この事実は、決して喜ばしいことではない。

子供は徐々に大人になるのがいい。
正邪美醜、理非曲直は齢を経るごとに自然と理解するのがいい。
急いで学んだものにロクなものはない、と知るべし。

現にボクは、小学生の時すでに吉行淳之介の『砂の上の植物群』や
『原色の街』『驟雨』といった娼婦を題材にした小説を読んでいた。
早熟だったのだ。で、とどのつまりはロクデナシになり果てた、というわけ。
これ、ボクのささやかな人生訓だ。

←なんと大げさに倒れることか。
サッカー選手より役者をやれ!










2018年6月21日木曜日

自己主張は恥ではない。

概して日本人は自己主張が苦手といわれている。
「あの人は自己主張が強くて……」というと、日本では褒め言葉ではなく
協調性のない自分勝手な人、というマイナスイメージにつながってしまう。

また日本人は国際的な交渉の場では口べたで議論に弱い、ともいわれる。
そういえば日本人は国際社会から「3S」の〝尊称〟を奉られていたことがある。
国際会議などでは、いつも「Smile」「Silent」「Sleep」が常態化していて、
まるで存在感がなかったからだ。それが「島国の民」の美点といえば
美点なのだが、悲しいかな外交の場では逆に弱点になってしまう。

その弱点がもろに露呈したのが、いわゆる「湾岸戦争」('90~'91)の時だ。
約12万のイラク軍がクウェート領内に侵攻したことから始まった戦争で、
29ヵ国からなる多国籍軍がイラク軍を追い払った。憲法上の制約で、
日本は自衛隊を送ることはできなかったが、代わりに大きな財政支援は行った。

その額が、サッカーの大迫勇也選手じゃないが目ん玉飛び出るくらい
「半端ない」額なのである。多国籍軍支援と周辺国支援のために、
国民に増税まで課して捻出した総額は130億ドル(当時のレートで1兆7000億円)だった。
国民一人当たり1.5万円ほどを負担した計算になる。

ところが諸外国の反応は冷たかった。
要約すると、
①平和憲法を楯に後方支援の役割さえ果たそうとしない。
②血は流さない、汗も流さない。
③金だけで済ませようとしている。それもイヤイヤ小出しにして出した。
戦費の大半を日本一国が、それも増税までして負担してやったというのに、
感謝どころか批判の声が巻き上がった。これはいったいどうしたことなのか。

戦後、多くの国の支援によって救われたクウェートは『ワシントン・ポスト』紙や
『ニューヨーク・タイムズ』紙など米国の主要紙に感謝を表す全面広告を出した。
その広告には感謝の言葉と共に、支援を行った30ヵ国の国名が連ねてあった。
オーストラリア、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、イギリス、
アメリカ……その中にはアフリカのセネガルやニジェール、世界最貧国といわれる
バングラディッシュの名前もあった。しかし、いくら目を皿のようにして探しても
〝Japan〟の5文字がないのである。

日本と同様、軍隊を出していない、すなわち血を流していないドイツは、
なぜかちゃっかり名を連ね、クウェートに感謝されている。
日本だけが感謝対象国のリストから外されていたのである。
日本政府はすぐさま抗議し、負けじと反論文の全面広告を出すべきだった。
しかし日本の外務省はそれを怠った。
そのため130億ドルという血税がムダになってしまったのである。
自己主張しない日本人の悪弊はこんなところにも顔を出してしまう。

ボクが敬愛する雄弁家であり作家の加藤恭子氏は、
私的な文章ながら以下のような反論文を起草している。

われわれは先の戦争に対する反省から生まれた平和憲法によって、
軍隊を出すことは規制されている。ゆえに多国籍軍と共に戦い〝血〟を
流すことはできなかった。
 しかし平和を愛する国クウェートと、その解放に邁進する多国籍軍を
後方から支援するために、多額の経済的援助を行った。その全体額は
あまりに巨大であるため、〝富んだ国〟と見なされているわれわれでも、
一朝一夕で用意できるものではなかった。政府は増税を決意し、国民は
それを敢然と受け入れた。クウェートと多国籍軍の支援のために。
 それを何回かに分けて受け取ったのは盟主、アメリカである。
 もう一度言う。われわれは共に血を流すことはできなかった。しかし、
国民の税金から拠出されたこの援助金は、国民の汗の結晶である。われわれは
少なくとも、共に汗は流した。
 しかし、3月11日のクウェートによる『感謝の全面広告』の中に、
日本の国名はなかった。われわれは、合計で130億ドルの援助を行った。
それは、Japanというたった一つの単語にさえも値しなかったのであろうか?
 日本国民は、深く傷ついている(『言葉でたたかう技術』より)

胸のすくような論述ではないか。
日本の無能な外務省には加藤恭子のような骨のある日本人など一人もおるまい。
東大法科卒の高級官僚というだけが自慢で、日本国のためには何ひとつ尽くさず、
われこそはエリートなり、という顔をして偉そうにタダ飯を喰らっている。
愛国心のかけらもない、こんな役立たずの省庁など即刻つぶしてしまえばいいのだ。

支那人や朝鮮人みたいに、あることないこと大仰に主張しろ、
と言っているのではない。理のあることは堂々と主張すればいい。
謙遜や謙譲は日本人の美質だが、生き馬の目を抜くような、
抜け目のない国際政治の場では、かえって国益を害してしまう。

自己宣伝は品よくユーモアをもって堂々とやるべきだろう。
ああ、それにしても130億ドルはむざむざと砂漠の露と消えてしまった。
いけ図々しくもアメリカがそのほとんどを持っていってしまったと聞くが、
日本は相変わらずアメリカの属国で、なおかつ気前よくカネを出す、
便利なお財布代わりだということがよく分かる。

マッカーサーに押しつけられた、つまらぬ「平和憲法」などというものを、
不磨の大典のごとく後生大事に奉っていると、どこの国からも尊敬されず、
このような辱めを受けてしまう。理不尽である。

サムライ国家が、心ならずも町人国家になり果てると、
こんな仕打ちを受けなくてはならないのか? 
かつて日本国の軍人は世界有数の精強ぶりだった。
軍律きびしく、他国からも尊敬され、子供たちの憧れの存在でもあった。
その軍人たちが手足をもがれ、PKOの現場では哀れ外国の軍隊に
護られながら活動している。
こんなことから、陰では〝海外青年協力隊〟などと揶揄されてもいる。
誇りを傷つけられた自衛隊員の胸中や、察するに余りある。

自衛隊員の、いや日本人の誇りを取り戻すためにも、
憲法改正を急がなくてはならない。











2018年6月14日木曜日

結愛ちゃん、ゆるしてね!

《ママ、もうパパとママにいわれなくてもしっかりと 
じぶんからきょうよりか もっともっとあしたはできるようにするから
もうおねがいゆるしてゆるしてください おねがいします 
ほんとうにもうおなじことしません ゆるして》

目黒区のアパートで両親に虐待され、わずか5年でその短い生涯を閉じた
船戸結愛(ゆあ)ちゃん。朝まだきに起き、衰弱した小さな体を奮い立たせ、
ひらがなの書取り帳にこんな反省文を書いていた。こんなにも悲しく、
こんなにも切ない作文があるだろうか。この愛に飢えた薄幸の子を誰も
救うことができなかった。この子のさみしかったであろう心中を思うと、
涙が止まらない。

ボクの1歳になる孫は両親や祖父母から溢れんばかりの愛を注がれている。
子が生まれれば、「這えば立て 立てば歩めの親心」で、親というものは
子供がつつがなく成長してくれるように願うものだ。ボクたちもそうだったし、
娘夫婦だってそうだろう。

しかし中には、こんな夜叉みたいな親もいる。食べ物も満足に与えず、
病気になっても医者にすら診せない。おまけに言うことを聞かなければ
殴る蹴るの暴行。まるでケダモノ以下の所業である。同じ国に生を受け、
片や幸せいっぱいに育ち、片や親の愛を知らずに衰弱死する。
こんな不公平があっていいものだろうか。あまりに可哀そうすぎるではないか。

こんな目を覆いたくなるような事件が近頃多すぎやしないか?
新幹線に乗れば隣席の男がいきなりナタで斬りかかってくる。
また若い看護士が、インターネットで知り合った複数の男たちにむりやり
車に押し込められ、数週間後、全裸の死体で発見される。
テレビや新聞を見れば、こんな陰惨な事件ばかり目に飛び込んでくる。
ニッポン人はどうかしちまったんじゃないか。

ボクはこうしたニュースを目にすると、「目には目を」のイスラム法が
逆に羨ましく思える。西洋発の近代法は加害者にも人権がある、
という発想だが、ケンカ両成敗的なイスラム法のほうが感情的には
しっくりくるような気がしてならない。結愛ちゃんを虐殺した鬼親たちには
「石打刑」で臨み、新幹線のナタ男には「八つ裂きの刑」を処するとか……。

さて、聞くところによると江戸時代は凶悪犯罪の少ない時代だった
といわれている。実際、江戸の時代265年間に発生した犯罪件数は、
今日の日本の1年間に起きる犯罪件数より少ないのだそうだ。
「五人組」といった相互監視システムや、午後10時には木戸を閉めて
外出できなくしてしまうという仕組み。あるいは辻番や自身番(交番みたいなもの)
が各町内にあり、不審者の監視につとめていた、という事実も大きいだろう。

ボクの義理の姉は府中に住んでいて、車で訪問するときは
高い塀に囲まれた府中刑務所の横を通っていく。この刑務所、
日本最大の刑務所として知られ、主に重罪犯たちが収監されている。
その数はおよそ3000人。その大半が外国人だという。

外国人といっても欧米系は少なく、中心となるのは支那人と韓国人だ。
それに支那系と韓国系日本人が続くという。
つまり日本における凶悪犯罪の担い手はほとんど支那人と韓国人なのである。
この事実に対しては「なるほど」と容易に首肯できるだけでなく、
「さもありなん」とさほど驚かないところが、かえって怖い。
それだけ「支那人&韓国人=悪い人たち」という負のイメージが
日本社会に定着しつつあるのだろう。

結愛(ゆあ)ちゃんは悲しくも愛を結ぶことなく死んでしまった。
子は親を選べないというが、いったいこの世に何をするために
生まれてきたのだろう。
イジメ殺されるためだけに生まれてきたのか? 
そのためだけにオギャーッと生まれてきたのか?
そうじゃないだろ。
親や周囲の愛に育まれ、希望に満ちた人生を歩むために生まれてきたんだろ!

生れてきてよかった、と一度でもいいから心底思わせてやりたかった。
好きなものをお腹いっぱい食べさせてあげたかった。
でもそれは、もう叶わない。

結愛ちゃん、助けてあげられなくてごめんね。
大人たちの無力をどうかゆるしてください。


←こんなかわいい子に、何てことをするんだ!









写真提供/朝日新聞デジタル















2018年6月9日土曜日

英語は好きだけど

中学の頃、英語の担任に勧められ、市だか県だかが主催する「英語弁論大会」
に出場した。が、それらしき賞状もトロフィーも残っていないから、たぶん成績は
大したことなかったのだろう。その無念(そもそも記憶があいまいなのだから無念もヘチマもないが
晴らしてくれたのが次女で、やはり中学の英語弁論大会に推薦で出た。
結果は一等だか二等だったような気がするが、老人ボケのせいで、記憶があまり
ハッキリしない。

ボクの英語好きは今も変わらず、英語にはできるだけ触れるようにしている。
しかし語彙力の衰えはいかんともしがたい。英語の小説などはごくふつうに
読んでいたのだが、近頃は電子辞書のお世話になることが多くなった。

小説だけではない。ボクは外国の教科書なども読んでいる。アメリカの学校で
実際に使われている国語や歴史の教科書である。どんなことが書いてあるのか
興味があって、わざわざアマゾンで取り寄せたのである。

中国や韓国の歴史教科書にはウソばかり書かれている。
これもあちらの教科書の翻訳版を読んで確認してある。
アメリカも同類だろうと思って読み始めたが、少し違った。

たとえば1840年代のアメリカ・インディアンの処遇だが、当初、
合衆国政府は西部のどこにでも自由に住んでいいと約束していた。
ミズーリとアイオワ以西は〝Permanent Indian Frontier(恒久的なインディアンの辺境地帯)
とされ、白人は通商目的以外は立ち入ることができなかったのである。

ところが例のゴールドラッシュや鉄道、牧畜と開拓民たちがそのフロンティア
の土地を欲しがるようになると、連邦政府は開拓民の味方をし、平気で約束を
反故にするようになる。そして新しい約束をしては次々と破っていった。
尖閣諸島沖に莫大な海底油田が発見された途端に中国が領有権を主張しだした
のとまったく同じである。

映画にもなったカスター将軍率いる騎兵隊とスー族との戦いでは、
カスターは悲劇の英雄のように描かれていたが、実際は合衆国軍本隊の
指令を無視し、インディアンの野営地に奇襲をかけた卑怯者で、皮肉にも
逆にスー族の戦士たち2500人に取り囲まれ、カスター以下265人の騎兵隊は
全滅させられてしまった。

それでも白人と先住民との力の差は歴然。遠からずアメリカの先住民たちは
生まれ故郷を追われ、〝useless land〟すなわち荒れ野の狭い居留地に
閉じ込められるようになった。戦車の名前などにも残るシャーマン将軍などは、
スー族など滅ぼしてしまえと同胞たちに呼びかけた。
〝even to their extermination, men, women, and children.
(男も女も子供もすべて殺し、皆殺しも辞さない)

アメリカ大陸に白人たちが足を踏み入れた時、北アメリカの大地には数千万頭の
バッファローと二億三千万羽の旅行鳩(食用に捕殺され、1914年に絶滅)が天地に溢れ、
一千万人のインディアンたちが平和に暮らしていた。

白人たちはその平和な大地を血に染め、およそ200年で旅行鳩を絶滅させ、
野牛を絶滅の際に追い込んでいった。先住のインディアンはどうなったか?
先のシャーマン将軍曰く、
白人国家の優れた力を思い知らせ、戦いを挑んだことを悔やむように、
兵士もその家族も徹底的に殺す

その宣言どおり、狩猟の対象でもあるかのように撃ち殺されていった。
それもひどく残虐に。妊婦は腹を裂かれ、胎児を引っ張り出される。
子供たちもゲームのように撃ち殺され、頭の皮を剥がされた。
その殺し方があまりに残酷過ぎて、もはや描写の煩に堪えない。

結局、インディアンたちは降伏し、ついには同化政策の下、アメリカ文化に
融け込まされていった。インディアンの若者を同化させるための学校も
造られたが、創設者はこんなふうに言っている。
Kill the Indian and save the man.(インディアンを殺し、人間を救うのだ)
どうやら白人にとってはインディアンは人間ではないらしい。

ボクが読んでいるのは比較的リベラルな歴史教科書だと思われる。
が、インディアンを残酷に殺した事実などにはもちろん触れていない。
清純無垢な子供たちにそんなことは教えられない。それに、白人入植者たちの
常習的な嘘や残虐性を暴いたら自己嫌悪に陥り、そもそも愛国心が育たない。
だからインディアン掃討は間違っていた、と事実は事実として伝えてはいるが、
どこかに〝Manifest Destiny(西部への領土拡大は神の意志である、とする思想)〟を正当化したい
思惑と苦い贖罪意識というものが綯い交ぜになっている。

しかしアメリカの白人だけを正当化しても収まらない。19世紀中頃までには
オーストラリア人のアボリジニ狩りとか、中南米のインディオ狩りとか、
あるいはアフリカからの黒人奴隷や北米インディアンへの虐待・虐殺などが後を
絶たなかった。白人たちの専横と暴虐ぶりには目にあまるものがあったのだ。
いったいあの「白人優越主義的な驕り」は、いつ頃から芽生えたものなのだろう。

ボクは英語が好きで、外国人の友達もいて、白人の留学生も時にわが家で
預かっている。しかし白人に対する微かな嫌悪感みたいなものは心の奥底に
染みのように残ったままだ。
人間というものはいやなものだなあ
とする師匠・山本夏彦の慨嘆が再び三度よみがえってくる。

←映画『カスター将軍』の中の
リトルビッグホーンの戦いの1シーン。
カスターは一時英雄として崇められた
時期もあったが、後には〝狂人〟として
描かれるようになった。

2018年6月7日木曜日

生身の友より「ネト友」が好き

鳥目散帰山人(とりめちる・きさんじん)と号する変わった男がいる。
まるでうがい薬みたいな雅名で、思いっきり「ガラガラガラ、ペーッ!」
とやったらさぞ気持ちがいいだろな、と思わせたりもするが、
実際に会うとなかなかの曲者で、「トリセツ」でもないと火傷しそうな
雰囲気を全身に漂わせている。

この帰山人、コーヒーの業界では〝超うるさ型〟で通っている。
コーヒー卸しとか喫茶店やカフェを経営しているわけではない。
ただのコーヒーフリークで、コーヒーにまつわることなら誰にも負けない
博覧強記、というのが大方の見方で、コーヒー関連のイベントや講演会には
ヒマでもあるのだろう、足繁く顔を出す。そして最後の質疑応答の場面では
われ先に手を挙げて、なんとも答えにくいような難問を投げかけては悦に入る、
という困った性格で、ギョーカイ内では世に聞こえた講演者泣かせの男なのである。

この度し難い男はネット上に『帰山人の珈琲漫考』という人気サイトを
開設している。その中身はさながら〝コーヒー百科〟の様相を呈していて、
コーヒーの科学』や『珈琲の世界史』で知られる旦部幸博の『百珈苑』と
ほぼ人気を二分している。

ほんとうは『珈琲珍考漫考』というタイトルにするつもりだったらしいのだが、
これではあまりに露骨過ぎ、アダルトサイトと勘違いされそうだったので、
泣く泣く「珍考」を削った、という経緯がある。

帰山人は独特の文章を書く。決して平易ではない。
難解晦渋とまではいかないが、クセのある捻りのきいた文章を書く。
大変な教養人でもあるので、一つ一つの言葉にはボカシの入った皮肉が
散りばめられていたりする。およそ凡夫匹夫にすんなり読めるような代物
ではなく、言葉遊びが好きな分だけ解読に手間取ってしまう。

こんな男の文章だが、個性的といえば個性的なので、ボクは
拙著『コーヒーの鬼がゆく』の〝あとがき〟を書いてくれないか、
と丁重にお願いした。氏は快諾してくれて、めでたく本は出た。

原稿執筆をお願いしたものの、ボクと帰山人は互いに面識がなかった。
本の発刊後、一度だけ顔合わせをしたことがあるが、その後はインターネット上で
言葉を交わしているだけで、親しく膝をつき合わせて話をしたことはない。

当今の〝人づき合い〟というのは存外こんなものか。
淡きこと水のごとし、ではあるが、このほうが長持ちするという意見もある。
ネット上で知り合った友人は帰山人にかぎらず、いっぱいいる。
互いのブログにコメントを出し合うことで知り合った仲がほとんどだから、
会う前から考え方の大筋は読めている。「文は人なり」で、
ブログを読むだけであらかた人間性は知れてしまうのだ。

ボクの場合は、「メル友」ならぬ「ネト友」か。
どちらも生身の人間ではなく、インターネット上で交誼を重ねる、
というところに特徴がある。ならば生身の友より友誼に薄いかといわれると、
そうでもない。ボクなんかはむしろ百年の知己のように感じる時もある。

つくづく不思議な時代に生きているもんだな、と思う。
そんなボクに向かって、帰山人は、
「早くあの世へにじり寄って行ってください!」
などと、丁寧な言葉ながらしきりに〝あの世ゆき〟を勧める。
で、ボクは礼儀をわきまえた後輩思いの紳士ゆえに、
やさしく「after you」と応え莞爾(かんじ)として微笑むのである。










2018年6月5日火曜日

ボーっと生きてんじゃねえよ!

履歴書とか改まった書類の「職業欄」には〝文筆業〟と書くことにしている。
勤務時間などの制約を受けないから〝自由業〟と書く手もあるのだが、
自由業と謳うと1年じゅうのんきに遊び暮らしているようなイメージだし、
ちょっと怪しげな雰囲気もつきまとってくる。

そこへいくと、文筆業なら読んで字のごとく「ペン1本で食ってんだぞ!」
という感じがよく出ているし、着物姿で髪の毛を掻きむしりながら原稿に
向かっている、というレトロなイメージが、坂口安吾とか太宰治のそれと
重なってきたりする。ボクは無頼派でも破滅派でもない、ごくごく平凡で
非力な物書きなので、文筆業などと大上段に振りかぶるのはいささか
〝こっぱずかしい〟のであるが、半分は草莽に隠れた身のうえ、
いまさらカッコをつけても始まらない。

「お父さんは文筆業というより〝分泌業〟って感じだわね」
こう言って茶々を入れるのはわが女房殿である。
「だって、何やらクサそうなニオイを体じゅうから分泌するんだもの……」
などと失礼なことをのたまう。

まァ、ボクとしては「文筆業」だろうとクサそうな「分泌業」だろうと、
どっちでもいいのだが、ここは常識的判断として「文筆業」に軍配を
挙げておくことにする。

「どんな作品を書いておられるんですか?」
こんな問いかけをする人がいる。
「いやァ、かいているのは本ではなく大恥とか脂汗ばかりでして……」
などと、いつもは冗談交じりにこう言ってゴマかすことにしているのだが、
実際のところ「この本です」と自信をもって薦められる本がないので、
いつも妙な具合の脂汗だけをかく、という恥ずかしき仕儀となってしまう。

そんな中、某有名出版社のベテラン編集者から本の執筆を依頼された。
ゴーストライターの仕事ならそこそこあるのだが、自著となると久しぶりだ。

で、ふつうなら「ありがとうございます。ぜひ書かせてもらいます」と
一も二もなくお受けするところなのだが、どういうわけか気乗りがせず、
あっさり断ってしまった。書けばなんとか書けそうなのだが、
どうにも気が重い。たとえ書いたとしても魂の入らない駄本に終わって
しまいそうな気がする。本というのは、何がなんでも書きたいとする
内なる声に導かれたものでないと、人の魂を揺さぶるまでには至らない。
やっつけ仕事で書いた本など、たとえ売れても価値はないのだ。

じゃあ今、いったい何が書きたいの?
と問われても困る。今は特に書きたいものが見当たらない。
NHK総合の人気番組『チコちゃんに叱られる!』の中の、
5歳のチコちゃんの決めゼリフ、
ボーっと生きてんじゃねえよ!
的なエピソードを連ねた〝憂国おじさんの叫び〟みたいなエッセーなら
いつでも書けそうなのだが、それ以外はまったく思いつかない。
もともとそれほど才能豊かなほうではないので、たぶんこれが限界なのだろう。

数時間前、10㎏のダンベルを詰め込んだリュックを背負い、
近くの公園のウォーキングコースを数周してきた。歩きながら、
(おれはいったい何をしてるんだろ……)
と思った。リハビリには違いないのだが、その先に何があるのかというと、
いまひとつ「その先」が視えない。

前期高齢者の仲間入りを果たし、リッパな高齢者になったのだから、
余生はのんびり過ごせばいいじゃないの、とする声も聞こえてくるが、
足腰がまだしっかりしているうちは何かしら働いたほうがいいんじゃないの、
とする心の奥底からの叱責が聞こえてきたりもする。
働きバチの日本人には、どうあっても楽隠居はゆるされないらしい。

嗚呼、まじめな日本人をまっとうするのもけっこう骨が折れそうである。














2018年6月1日金曜日

拉致被害者を奪還するためにも

某業界で〝レジェンド〟と呼ばれている人と酒を酌み交わしました。
ボクより五つ年上の団塊の世代で、温厚篤実を絵に描いたような人物であります。
酔いも手伝ったか、この白髪の紳士が突然こう問いかけてきました。
「嶋中さん、非武装中立というのをどう思いますか?」

一瞬、(ああ、懐かしい言葉だなァ……)とボクは思いました。
その昔、テレビの国会中継で旧社会党の石橋政嗣が与党自民党の首相に
向かって、盛んに持論を展開していたからです。この「非武装中立論」は
当時の社会党の党是でもありました。

ボクもまだ甘ちゃんだった若い頃は、この「非武装中立論」にささやかな
シンパシーを寄せていたものですが、今はもういけません。馬鹿々々しさを
通り越して滑稽そのものです。そんな思いを失礼のないようにやんわり
伝えたところ、このレジェンドはしばらく沈黙したのち、
「非武装中立というのは、やはりだめですか……」
と嘆息、酒席は再び沈黙に包まれました。

このレジェンドは心やさしき人ゆえに「護憲派」なのかもしれません。
護憲派というのはGHQが押しつけた、いわゆる〝平和憲法〟を
後生大事に護り抜きましょう、とするオメデタイ一派であります。
〝オメデタイ〟とは言い過ぎかもしれませんが、リベラルを自称する
人たちの人間観や世界観がリアルな現実からあまりにかけ離れているので、
失礼ながらボクは〝オメデタイ人たち〟と呼ばせてもらうのです。
護憲派はふた言目には「憲法九条の精神を守ろう!」と唱えます。
憲法九条さえ守っていれば、永久に日本の平和は保てるというのです。

ここで第九条の全文を確認しておきます。
一、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力により威嚇又は武力の行使は、国際紛争を
解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二、前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

何度読み返しても、ひどい条文です。
こんなものを戦後七十有余年、無批判に守ってきたのかと思うと、
日本人のオメデタぶりが心底いやになります。「戦争を永久に放棄する」
と条文に謳えば、戦争のない平和な国が築けるのだとしたら、世界中の
国が憲法の条文に書き入れているはずです。しかしそんな憲法が
日本以外の国にあるとは、寡聞にして存じあげません。

「平和にな~れ、平和にな~れ」とお題目のように唱えていれば平和になる
というのなら、「台風よ来るな!」「地震も起きるな!」「津波も来るな!」
と憲法に書き込んでおきさえすれば、自然災害のない平和な国が築ける
のでしょうか。失礼ながら、平和憲法を掲げる護憲派の皆さんにボクは
言いたいです。
「日本が平和でいられたのは憲法のおかげなんかじゃありません。
在日米軍と自衛隊の抑止力おかげなんです。あなたたちの唱える平和主義は、
〝念力平和主義〟と言います。念力ではミサイルは撃ち落とせません」

念力ではミサイルどころか拉致された国民も連れ戻せません。
もしアメリカ国民が北朝鮮に拉致されたとしたら、アメリカという国は必ず、
特殊部隊を投入して奪還作戦を敢行するはずです。ところがサムライの
子孫であるはずの我われの国の憲法はおバカな憲法第九条を戴いているおかげで、
自国民を助けに行くことすらできないのです。護憲派の人たちは、
拉致された人、拉致被害者の家族の方たちに、どのように申し開きを
するのでしょう。平和主義者たちはふた言目には〝人権〟を口にしますが、
拉致被害者たちの人権について真剣に考えたことがあるのでしょうか。
日本は自国民も守れない腰抜け国家だ、と他国から侮られてもいいのでしょうか。

平和主義といえば、永世中立を唱えるスイスは国家予算の三分の一を費やして
重武装化しています。もちろん国民皆兵で、女性とて銃をとって戦います。
同じく永世中立を掲げるスウェーデンも、今年一月から徴兵制を再開しました。
ノルウェーも徴兵制を敷いていますし、フィンランド、リトアニア、エストニア
も徴兵制を敷いています。北欧諸国やバルト三国は隣国のロシアの動きを
気にしています。クリミア併合に見るロシアのあからさまな領土的野心に
警戒心を募らせているのです。

あのフランスでさえ徴兵制を復活させようとしています。二〇〇一年にいったん
廃止されましたが、マクロン大統領は一八~二一歳(約六〇万人)を対象に
一カ月間に限って軍事教練を復活させようとしています。わが家にホームステイ
したフランス人のLucasなんか、女の子といちゃついてばかりいましたから、
いい薬になると思います。それに新選組に憧れてもいましたから、
彼にだって勇猛心のかけらくらいはあるでしょう。この徴兵制の復活案、
軍事的意味合いは薄いですが、イスラム過激派のテロなども頻発している折、
国家防衛の自覚を促す、という意図があるようです。

このように世界は〝非武装〟どころか〝重武装〟の方向へ向かっています。
悲しいですが、世界の人たちの99.99999……%以上は〝性悪説〟を信じていて、
〝性善説〟を信じているのはノーテンキな日本人くらいしかいないのです。
現に、日本人のように心やさしきチベット人や新疆ウィグル人たちは、
性悪説の標本みたいなシナ人にあっけなく侵略されてしまいました。

日本国憲法の「前文」にある《平和を愛する諸国民の公正と信義》などという
ものは幻想でしかなく、どの国も他国に対しては疑心暗鬼がふつうなのです。
「日本国憲法に〝ノーベル平和賞〟を!」などというおバカな運動がありましたが、
それこそ悪い冗談です。あの平和憲法を世界中の人たちが読んだら、
みな呆れ返ると同時に腹を抱えて笑い出すことでしょう。
そのことを思うと、ボクなんか恥ずかしくて舌を噛み切りたくなります。

拉致被害者たちを一日でも早く日本に奪還するためにも、
ラチもない現行憲法(親父ギャグかいな)は廃棄しなくてはなりません。
順序としたら「廃憲」が先で、次いで日本人による日本人のための憲法を、
翻訳調の似非日本語ではなく、美しい日本語で書かれた憲法を
制定しなければならないのです。それは日本人の誇りを取り戻すための
営為でもあるのです。


←新選組大好き人間のLucas。
1カ月といわず、10年くらい
軍隊で鍛え直したほうがいい。

2018年5月22日火曜日

白人は実は黒人だった

以前、「イギリス人はドイツ人」という話を書いた。
で、今回は「白人は実は黒人だった」という話をしたい。

サセックス侯爵夫人――誰のことかというと、数日前に結婚した
英国ヘンリー王子の夫人、メーガン・マークルさんのことである。
メ―ガンさんは母親がアフリカ系のアメリカ人、
父親がオランダ・アイルランド系のアメリカ人である。

ロイヤルファミリーに初めて黒人の血が入る、
と賛否両論があった。多様性を重要視する時代だから賛成、
という進歩的意見があれば、黒人のプリンセスなど許されない、
とする保守的な意見も多かった。

白人は人類の中で一番優れている、とダーウィンが登場する前から
白人たちは思っていた。動物の中で人間が一番賢く、その人間の中で
白人が最も優れた人種であると固く信じていたし、
今もそう考えているフシがある。

モンテスキューは『法の精神』の中で、
《黒人が人間だと考えるのは不可能である。なぜなら黄金より
ガラス玉を好むからだ》などと失礼なことを言っている。

で、ギリシャ・ローマ文明につながるエジプト文明を調べれば、
その証拠が見つかるだろうと、王墓を発掘しその壁画をつぶさに観察してみたら、
《王は褐色の肌で、それにまず黒人が列し、次に黄色人が並び、
最後に入れ墨をした白い肌の野蛮人が並んでいた》
これはロゼッタストーンを解読したシャンポリオンが、
その失望を友人に書き送ったものである。
エジプト文明は黒人種のもので、当時は白人種が最も未開の人種であった。
予想外の結果に白人たちはガックリと肩を落とした。

ダーウィンの『種の起源』によれば、猿の毛がだんだん抜けて人類になった
のだという。ところが白人黒人黄色人を並べてみると、一番毛深いのが白人種だ。
つまりダーウィン説によると白人が最も進化の遅れた人種、
ということになってしまう。悲しいかな、これも〝やぶへび〟だった。

人類の祖先はアフリカ・エチオピア高原の黒人だった、
というのが今では定説になっている。その黒人の一部が狩猟の場を求めて
ヨーロッパに渡り、また別の一派は東へ向かった。
黒い肌は紫外線を通さないため、皮膚でつくられるビタミンDがつくれない。
環境適応の視点で考えると、黒人たちはゆっくりゆっくり皮膚の色を適応させ、
白色になっていったと考えられる。黒色から白色になるまでの期間は?
ざっと5000年と考えられている。約5000年かけて黒人は徐々に白っぽく
なっていったのである。

黒人の血を引くメ―ガンさんが英国ロイヤルファミリーの一員になる、
ということだけで大騒ぎしているが、そもそも5000年前に遡れば、
偉そうな顔をしている白人たちもそろって黒人であった。
王室の血が穢れる、などと言っている連中に対して、
ボクは声を大にして言いたい。
「あなたたちの遠いご先祖さんは色がまっ黒だったんですよ!」

実はアメリカにいるボクの従兄弟たちはメ―ガンさんと同じく
黒人の血を引いている。ボクの父方の叔母はアフリカ系のアメリカ人と
結婚したからだ。フロリダで大きな農場を営んでいた叔父と叔母。
すでに鬼籍に入ってしまったが、従兄弟たちはアメリカの国内外で
みな元気に暮らしている。従兄弟の子供たちにはスペイン系もいたりするから、
まさにみな民族多様性を絵に描いたような顔立ちをしている。

ボク自身もフランス人に間違えられたくらいだから、
皮膚の色や見てくれなんて、要はどうでもいいのだ。
ボクは子供の頃、パンに擬して人種の違いを描いた
変わった絵本を読んだことがある。こんな感じだった。

《パンを焼きました。オーブンから出してみたらまだ生焼けでまっ白でした。
再び焼きました。出してみたら焼き過ぎて真っ黒けでした。
こんどは慎重に焼きました。
出してみたらこんがり黄金色のおいしそうなパンでした》。

これとても〝黄色人種優位主義〟の変形バージョンにすぎない。
イギリス人も1500年前はドイツ人だった。時間軸をちょっとずらして
相対化すれば白人も黒人になるし、黄色人だって黒人になる。
ご先祖様が同じという意味では「人類みな兄弟」という言い方は正しい。

たかだか数百年に過ぎない「近・現代」をリードしたからといって、
白人どもよ、あんまり偉そうな顔をしなさんな。
時間軸を少しずらすだけで、優位性などすぐ逆転されてしまうものだ。

大事なのは歴史をつぶさに学ぶこと。その歴史から〝価値の相対性〟
というものを学ぶこと。人類の全歴史において白人が天下を取っていた時期など
ほんとちょっとだけだ。そのことを知らずに上から目線で語ることは、
「私たち白人は無知蒙昧な人種です」と天下に公言しているようなものだろう。
メ―ガンさん、つまらぬ中傷なんかにめげず、どうか幸せになってください。



2018年5月14日月曜日

愚一片の 無限の明るさ

敗戦の翌年、師範学校の教職を辞し、それこそ無一物となって
仏教の伝道に生涯を捧げた毎田周一(まいだしゅういち)。
思想家としても多くの著作を遺した。その中から一部を抜粋する。

●信ずるとは 赤ん坊のようになることだ
それはどうすることか 無用心になることだ 

●むつかしい顔をすることは、少しも要らないのである。
いつもにこやかな顔をして、すべての人に向かえばよいのである。

むつかしい顔をするのは、
ただその人の度量の小ささを語るのみである。
私はかくもケチな、チッポケな人間です、というばかりである。
狭っ苦しい殻をかぶり、われとわが世界を縮めているような、
せっかく生まれてきた人生を、
いつもこせこせと、しみったれて生きているような、
小人ですと、告白するばかりである。

微笑は自由の象徴である。
一切を容れて世界と共に生きるものの歓びの象徴である。

平和は、この微笑から来る。

ひとかどの人間だと思うから 自由になれないのです
この世のやくざ 大やくざ
人間の世界の屑であることに 目覚めるとき――
私は豁然として自由です

世の中で一番大切なことはどういうことであるか。 
頭を下げること。
一番詰まらぬことは。
高慢。

●人間最高の徳は?
謙虚。
人間最大の不徳は?
高慢。

●こんなに簡単な そして ただ一つのことを
それがわからないで 人がみな苦労している

それはどういうことか つまり それというのは
自分が馬鹿だってこと これがその一つのこと

自分を利口だと 思っていればこそ
みんながみんなこんなにも 苦労しているのだ

それこそは御苦労なことだ
そして恨みようもないこと
愚一片(ぐいっぺん)の ああ
無限の明るさ――

●純粋な情熱は ついに人を溶かす

才能も要らぬ 容色も要らぬ

ただ一つ 純粋は 無邪気と知れ

●唯一の真理は無常。

●悲観する人に――
悲観するも何もないよ
一切の苦の人生に
悲観のほかに何がありますか
仏の慈悲は
絶対悲観ですよ
(つまり君は認識不足なんです)


懇意の歯医者が言っていた。
「時々、待合室で騒いでいる人がいます。なかにはこんな人もいました。
待たされて気が立っているんでしょう。受付の子に向かって、
『おれを誰だと思ってんだ! (一部上場のあの有名な)〇△社の専務だった
んだぞ。いったいいつまで待たせるんだ!』。(カッコは筆者が入れました)
もうご隠居さんなんですがね、昔の栄光の金看板が忘れられないんでしょうね。
なだめすかすのに往生しました(笑)」

それにしても、よくもまあ恥ずかしげもなく、こんなセリフが吐けますね。
あの医院、待合室はいつも人でごった返しているのです。
そんな場所で、一部上場会社の取締役だったんだぞ、と力んでみたって
仕方ないじゃないですか。たいした会社じゃないですよ、
その程度の人を役員にしている会社は。

偉くなると、自分はその辺にころがっている有象無象とは違うんだ、
自分は神から選ばれた〝選良〟で、ひとかどの人間なのだと勘違いして
しまうんですね。よくいますよ、この手の高慢チキなおじさん。
おのれ自身を「愚一片」と悟るまでの道のりは相当険しそうです。

人間って愚かな生き物ですね。
だからこそこの世はおもしろいのかもしれません。








2018年4月23日月曜日

うかつに冗談も言えやしない

セクハラにパワハラ。
ともに外来語で、今、やけに世上を賑わせている。
「今日ね、今日ね、抱きしめていい?」
「手を縛ってあげる。胸さわっていい?」
「キスしたいんですけど……」
「オッパイさわらせて!」
「きれいだ、きれいだ、きれいだ、きれいだ」

ボクも相当スケベーなほうだけど、
F財務次官ほど品性下劣ではないと思う。
手を縛るだとか、オッパイさわらせろだとか、
そのセリフには品位も洒落っ気もない。それこそ聞いていて赤面して
しまうような、身も蓋もないセリフが次々と飛び出してくる。
この音声データが合成ではなく本物だとしたら、
この官僚トップの男、頭は切れるのかもしれないが、
人間が練られていないというか、未熟者としか言いようがない。

このセクハラ騒動を機に一気に安倍政権を追いつめられると勘違いした
野党の女性議員たちは、芝居っ気たっぷりに黒服を身にまとい、
米国発のセクハラ告発運動に倣ったか、「#MeToo」の紙を掲げ、
国会内を闊歩した。そしたら、その女性議員たちを揶揄して、
自民党の某男性議員が、
「私は皆さんに、絶対セクハラはいたしません。宣言いたします」
とツイッターで発信した。彼女たちはセクハラとは縁遠い方々、
とやってしまったのだ。黒服おばさんたちの、まあ怒るまいことか。
オンナというものはセクハラされても怒るし、されなくてもまた怒る。

たしかに「#MeToo」の紙を掲げたおばさんたちの顔ぶれを見ると、
カネを積まれたってセクハラなど御免こうむりたい、というご面相ばかりで、
自民党議員の揶揄嘲弄もわからないではないが、少し正直すぎた。

でも、たとえ出来が悪くても洒落が通じない時代というのは、
とげとげしく、薄っぺらな、いやな時代だと思いませんか? 

「正義」をふりまわすお調子者たちが百鬼夜行のごとく大道を闊歩し、
うっかり者や不心得者を激しくやりこめようとする。何ごとか口を
すべらせただけで「不謹慎だ!」と叱声を浴びせかける。当の正義漢たちの
ご尊顔を拝すれば、揃いもそろって眉根を吊り上げ、口元を尖がらした、
夜叉のような顔をしている。戦後70年で大事な情緒性が失われてしまったのか、
万事控えめだった大和撫子にはかつて見られなかったような顔つきである。

「愚妻」とか「荊妻」、「豚児」といった謙称さえ大っぴらに使えない
どうにも重苦しい時代。こういう時代になると、人の顔色ばかりうかがって、
きつい冗談すら飛ばせなくなる。

へたをすると、きれいなネエちゃんとお酒を飲む際は、
録音・録画されないように、事前に持ち物検査をするのがふつうの時代
になるのかもしれない。ああ、疑心暗鬼も極まれりだ。

リベラリズムというものが行き過ぎると、自由にモノが言えない、
どこか息苦しいこんな社会になってしまう。事実、アメリカ社会が
そうなりつつある、という悲しい報告もある。

嗚呼! ちょっぴりエッチな軽口すら叩けないとは……。
せめてボクだけでもエッチな会話をやりつづけ、
つまらぬリベラリズムの伸長に一矢を報いたいと思います。




←ボクもこのおっかないおばさんたちに
セクハラをすることは金輪際ない、
と思います。ここに改めて宣言いたします。

2018年4月16日月曜日

「にょにんきんぜい」って何?

土俵上に女性を上げてはいけないという「女人禁制」についてかまびすしい。
日本相撲協会は土俵上のやむを得ない医療行為についてはしぶしぶ了解したが、
巡業先での〝ちびっこ相撲〟については、今後女児の参加は認めない、とする
通達を出した。以前は男の子も女の子もいっしょに土俵に上がって、相撲取りと
押しくらまんじゅうをしていたものだが、今後は一切認めないという。

女人がなぜ土俵に上がれないのか、というと土俵上は神聖な結界だからである。
相撲はもともと豊作を祈願する神事で、土俵には何柱かの神様がいるという。
そのうちの豊作を司る神様が女性で、その神様に屈強な男たちのぶつかり合い
を見せることでしばし楽しんでもらおう、というのが相撲の発祥とされている。
その土俵上に同性の女性があがっては神様の機嫌を損ねかねないし、
やきもちを焼くことがあるやもしれぬ。神様の不興を買えば豊作どころか
凶作すら招きかねない。土俵上が女人禁制になった理由の1つはこのことである。

その2は何か。
それは〝穢れ〟という問題だ。神道的な解釈では、神聖な場所で血を流すことは
穢(けが)れとされる。女性には生理や出産という尊い行為がある。だが、
土俵上は別。相撲取りが土俵上に塩をまくのは土俵上を〝purify(聖化する)〟
する所作であって、土俵の中央部にはいわゆる「三種の神器」も埋めてある。
その聖なる場所を血(女性)で穢してはならない、ということで女性が禁忌に
なったのである。

宮本常一氏の民俗学的な本(特に『忘れられた日本人』など)の中には、
生理期間中の女性が母屋から離れたヒマゴヤ(生理小屋、不浄小屋とも)
に入って寝起きし、煮炊きするかまども別だったとある。
いっしょに食卓を囲むと、家の火が穢れるというわけだ。

昭和初期の田舎には御幣(ごへい)担ぎが多く、月のさわりがやかましく
言われた。ヒマゴヤは1坪ほどしかなく、腰巻などは陽の当たるところには
干せなかった。それらすべてが血の不浄を忌んだ風習であった。
女性からしてみれば生理や出産を〝不浄〟とされるのは不本意この上ない
ことだっただろうが、現実にそんな悲しい時代があったのである。

とはいっても、室町時代には女相撲があって、比丘尼など尼僧が相撲を
取っていたというから面白い。江戸期にも女相撲はあったそうだから、
女人禁制が大昔からの伝統というのは当たらない。女人禁制が一般的に
なったのはせいぜい明治期以降である。

私事になるが、まだ新米の雑誌記者だったころ、先輩の女性記者と一緒に
有名な鰻屋を取材したことがある。東京神田にある「神田川」という老舗で、
そこの調理場には80代の料理長がいた。先輩のT女史が勇んで調理場に
入りかけたら、その料理長がすかさず待ったをかけた。
「ここは女人禁制だから、足を踏み入れないでくれ!」
T女史は口あんぐり。取材はボクが代わっておこなったが、
勝気なT先輩はその日ずっと落ち込んだままだった。

女人禁制なんて時代遅れ、男女平等を謳う21世紀の時代にふさわしくない、
とする正論がメディアを賑わせているが、慣習や因習、伝統といったものの
およそ8割は不合理なもので成り立っていて、「不合理ゆえに吾信ず」という
ところが確かにある。合理的にスパッと裁断を下せないのが辛いところなのである。

この女人禁制騒動、海外メディアは鬼の首でも取ったかのように、
「日本はやっぱり男尊女卑の国!」
などと、またもや上から目線で論評しているが、
「えらそうなことを抜かすな!」
とボクなんか思っている。いかにも進歩的そうなスイスにしたって、
つい最近まで女性の参政権がなかったではないか。他国の歴史や伝統に
無知なくせして、勝手な理屈をこねるんじゃない、とつい反撃したくなってしまう。

ボクは緊急の場合を除いては、女人禁制を続けるべし、という考えだ。
古臭いとお思いだろうが、保守派というものは元来そういうものである。
だからといって女性差別とは何の関係もないので念のため。

ああ、それにしても比丘尼相撲だけは観たかったな。友人に美人の尼僧が
いるから、こんど会ったら彼女と相撲を取ることにしよう。←勝手に決めるな!

←長崎市式見地区に伝わる「式見女角力」。
これは2015年の横綱「百合乃花」の土俵入り。







photo提供/西日本新聞

2018年4月3日火曜日

女の脳はかつてスポンジだった

欧米の白人たちの得意技は数百年来の「上から目線」というものである。
自分たちのことはさておき、自らを道徳的高みに置いて、やたらと他を
見下したがる。彼らから見ると有色人種というのはいつだって下目に見るべき
存在で、それこそ懇切丁寧に蒙を啓(ひら)いてやらないと必ずや道に迷って
しまう、などとご親切にもそう思ってくれている。

彼らの眼には「日本は男尊女卑の国」と映るらしい。
実態は「女尊男卑」の国なのだが、日本の国の成り立ちや
歴史に無知な彼らの眼には、いつまでたっても真実が見えない。
天照大神はもちろん女性で、『源氏物語』や『枕草子』を書いたのも女性、
現代でいえば、家庭の中で財布のヒモを握っているのはいつだって女性である。
たしかに社会的に見れば政界や経済界での女性進出が遅れているかもしれないが、
だからといって日本の女性たちが虐げられている、とは言えないだろう。
イヴはアダムの肋骨から造られた副産物、とする男性優位主義に骨がらみの
くせして、劣等?の有色人種に対してはやたらと説教を垂れたがる。
この無知と横柄さは彼らの数世紀にわたる痼疾(こしつ)とはいえ、
何と言おう、大きなお世話なのである。

以前、ブログの中で「鼻曲がり貴婦人」について書いた。
中世ヨーロッパの騎士たちの夫人は、揃って鼻が曲がっているという話だ。
レディファーストなどと女性を敬う精神はあくまで建前で、実際は力の強い
者が勝つという男性優位主義(machismo)が支配的だった。で、外面だけはいい
騎士たちが家に帰ると夫人を思いきりぶん殴っていた、という事実である。
「鼻曲がり貴婦人」という言葉はそんな状況の中から生まれ出た。
レディファースト? フン、笑わせやがる。騎士道精神が聞いて呆れるわ。

The Trouble with Women(問題だらけの女性たち)
(ジャッキー・フレミング著)という本を読んだ。19世紀、ヴィクトリア朝の
女性たちが、いかにバカバカしい迷信と固定観念に苦しめられていたか、
著者がユーモアあふれるイラストと気の利いた警句でなで斬りにする。

女性は頭がとても小さかったので、刺繍とクロッケー(運動競技のひとつ)
以外はうまくできなかった」
当時の女性は精神薄弱だったので、教育を必要としなかった。女性の脳は
小さいだけでなく柔らかい、スポンジのような軽い素材でできていた」
美術評論家のラスキンは、
女性の知能は発明や創造には向いていない。男性を讃えるのが天職だ」
と女性を小バカにすれば、哲学者のショーペンハウエルも、
(女性は)子供と本物の人間である大人との中間段階ってとこだね、やれやれ」
などと慨嘆している。こっちこそ〝やれやれ〟だ。

あのダーウィンもルソーもクーベルタン男爵も、
みんな女性たちを進化しきっていない下等動物みたいに見ていた。
女の脳はスポンジでできていた
なんて、ずいぶん失礼なコメントではないか。男だって女の股の間から
生れてきたくせに、19世紀ヨーロッパの男たちは多かれ少なかれ
女性に対してこんなふうに思っていたのは確かだろう。

そのさんざっぱら女性を足蹴にしてきた欧米の男たちが、
騎士道精神を気取ってわれら野蛮な有色人種にもっともらしく
説教を垂れる。日米の貿易摩擦が激しかった'90年代半ばに、
ニューヨーク・タイムズ紙が、
日本の女の仕事はお茶汲みとセックスだけ
と書けば、ワシントンポスト紙も負けずに、
日本では女に人権はない。だからセクハラは事件にならない
などと大嘘をつく。トランプ大統領がこの両紙を〝フェイクニュース〟
の代表と断じるのはもっともなことなのだ。

あの傲岸不遜な白人どものへらず口をどうやって封じるか。
ボクはそのことに熱中すると、心がいつだって浮き立ってくる。
欧米のマッチョな野郎どもよ、スポンジ頭は女の専売特許ではないのだよ。
君たちの脳ミソを見たまえ。スポンジよりましかどうかは知らないが、
マッチョな筋肉そのものでガッチガチに固まってるではないか。













2018年3月28日水曜日

自分のことは棚に上げ

たばこは48の時にやめた。
初めて喫ったのが18歳の時だから、30年間喫っていたことになる。
本数は日に10本くらい。それほどのヘビースモーカーではなかった。

一時、粋がって両切りのピースを好んで喫っていた時期があったが、
大半はセブンスターやマイルドセブンといった〝軟弱〟な銘柄だった。
たばこと同時にパイプもやっていた。気分転換用で、原稿に行き詰まったり
するとバルコニーに出てプカプカふかした。さぞ近所迷惑だったことだろう。

たばこをやめたきっかけは、歯を磨いているときなどに襲ってくる嘔吐感だった。
(そろそろ潮時かもしれないな……)
その日を機に、キッパリとやめた。禁煙は難しい、などとよく言われるが、
ボクの場合は何の問題もなく、禁断症状も出なかった。
ああ喫いたいなァ、などとは一度も思わなかった。むしろ、
(おれは何であんなものを30年間も喫っていたんだろ)
という悔悟の念のほうが大きかった。

勝手なもので、最近はたばこのニオイを嗅ぐだけで気分が悪くなる。
歩きたばこをしている人を時々見かけるが、すれ違う時に無意識に
鼻を覆っている自分がいる。かつては周囲への迷惑を省みず、
あれほどスパスパやっていたのに、何という変わりよう。
人間(自分だけか?)というのはずいぶん勝手な生き物だな、とつくづく思う。

レストランなどでも傍若無人にたばこをふかしている人がいるが、
はた迷惑もいいところ。食事をしているわずかな時間さえもガマン
できないのか、とその意志力の欠如に怒りさえ覚える。

たばこを吸うのは個人の自由だからいい。ただし人のいない所でやってくれ。
歩きたばこなど論外で、ポイ捨てした人間は即逮捕したほうがいい、とまあ、
勝手な理屈をこねているが、昔のボクだったらいったい何度逮捕されたことか。

近頃は受動喫煙の害について盛んに言われているせいか、たばこ飲みは
肩身が狭いのだろう、どことなくオドオドしたそぶりを見せている。
(こいつ、まだたばこなんか喫ってるのか。薄志弱行の野蛮人め!)
などとする周囲の非難がましい視線に堪えられなくなっているのだ。

実際、受動喫煙の害を本気で受け止めている企業や役所も出てきている。
奈良の生駒市役所は「喫煙後、45分間経った人でないとエレベーターに乗れない
というルールを作った。専門家に言わせると、喫煙後45分間は、
喫煙者の肺から有害物質が出続けているのだという。

そんな風潮の一方で、コンビニの駐車場の近くで、もとヤンキーっぽい
茶髪のヤングママが、幼児の前でウンコ座りしながらスパスパやっていた。
この調子で家の中でも喫っているとしたら、こどもたちの肺はいったい
どうなってしまうのだろう。他人事ながら心配になる。悲しいかな子は
親を選べない。こどもの健康より自分の欲望を優先する未熟な母親は
いっぱいいる。母親がこんなふうなら父親も似たようなものだろう。
そして祖父母も。

♪ 初めて試したタバコがショート・ピース。
  親爺のマネして気取ってちょっとポーズ
  たちまち目まいでクラクラめしも喰えず
  学生服のポケットにそっとかくす
  弁当が済んだらトイレでちょっとふかす。
  ヤニっこ取るため歯ブラシゴシゴシ

懐かしい『スモーキン’ブギ』の一節。
歌詞にあるような、こんなおバカな時代がボクにもありましたな。
酒とたばこは男の通過儀礼でもあるのでしょうか。
でも、たばこだけはもうコリゴリ。酒はもう少し続けます。




















2018年3月17日土曜日

カフェ・ド・ランブルの関口一郎氏逝く

去る14日、銀座「カフェ・ド・ランブル」の店主・関口一郎さんが亡くなられた。
享年103。大往生と言えばまことにそうなのだが、遺族の思いに寄り添えば、
とてもそんなことは言えない。ただ100歳を超えても矍鑠(かくしゃく)としていた、
という事実を鑑みれば、げに関口一郎畏るべし、とはいえるのではないか。

関口さんは拙著『コーヒーに憑かれた男たち』(中公文庫)の中に
出てくる「コーヒー御三家」のひとりである。一番年若だった吉祥寺
「もか」の標交紀氏はすでに物故していて('07年)、最長老の関口さんが
彼のあとを追うことになった。南千住「カフェ・バッハ」の田口護氏は
とうとう置いてけぼりだ。櫛の歯が欠けるように、親しかったものが
次々と逝ってしまうのはまことに悲しく淋しい。田口氏にはお二人の分まで
せいぜい長生きしてもらいたい。

ランブルにはよく通った。
カウンターには座らず、入口付近にしつらえてあった関口さんの
隠居部屋みたいな特別席(ボクは「イチローコーナー」と勝手に呼んでいる)
に図々しく座らせてもらった。20代のまだ新米記者だったころから
のおつき合いなので、気心も知れ、軽口ばかりたたき合っていた。
歳は37も離れているのに、関口マスターは「嶋中君、嶋中君」と
可愛がってくれ、いつだって気さくに口をきいてくれた。

関口さんには何冊か著作があるが、
珈琲辛口談義』と『銀座で珈琲50年』(共にいなほ書房)の
2冊はボクが聞き書きして本にしたものだ。

関口さんは生涯独身を貫いた。
愛人がいたという噂がないわけではないが、
「コーヒーに忙しくて、女にかまけてるヒマなんかなかったんだよ」
というのが本当のところだろう。いや、独身を通したからこそ
100歳の長寿を全うできたのではないか、とボクは思っている。
あるいは関口さんが口ぐせのように言っていた「長寿の秘訣はコーヒー」
なのかもしれない。あなたも100歳まで生きたかったら、生涯独身を通し、
オールドコーヒーを飲み続けることだ。これが関口さんの残した教訓その一(笑)。
実際、女に投じるカネと時間と精力はバカにできないものね(シミジミ納得)
あれで寿命がどれだけ縮むことか(世の女性たちよ、心から🙇ゴメンナサイ……

晩年、ランブルを仕切る甥っ子・林不二彦氏のもとに身を寄せた関口さん。
江東区森下のご自宅を二度ほど訪ねたことがある。2階にある関口さんの
部屋は20畳ほどの広さで、扉を開けた瞬間、何と言おう、パンドラの箱を
開けてしまったみたいなショッキングな光景が目に飛び込んできた。
そこにはビーカーやら試験管やらさまざまな実験器具が散乱していて、
足の踏み場もないのだ。大森の一軒家に独り住まいしているときも、
蜘蛛の巣が散見される部屋を見て、灰神楽が立ったようなすさまじさを
感じたものだが、こっちの部屋だって負けてはいない。

そんなボクの穏やかならざる心中を察したのか、関口さんは
飄々としながらも気を遣ってくれて、
「嶋中君、なにか食べますか?」
などと声をかけてくれた。言うなりいきなり冷蔵庫を開けたのだが、
庫内には試作中の菓子やらケーキがどっさり。色目を見ると、
いつ作ったのか判然としない、失礼ながら腹を下しそうなものが
いっぱいありそうだったので(笑)、
「いや、おかまいなく。先ほど遅い昼食を済ませたばかりなので……」
となんとかごまかした。

銀座のランブルは有名人たちの溜まり場だった。
川端康成に永井荷風、市川紅梅に水谷八重子、勘三郎に白洲正子と豪華絢爛。
ある時、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがひょっこり顔を見せたが、
あいにくの満席。ジョンのジョの字も知らない竜子ママさん(関口の妹)は、
「ご覧のようにいっぱいなのよ、悪いわね……」
とあっさり断ってしまった。カウンターで働いていた若いスタッフたちは
心底ガッカリしたという。

哲学者の谷川徹三(詩人・谷川俊太郎の父)もよく来た。
「うちの女房、近頃とんとボケちゃってね、トイレに入っても
アレを流すの忘れちゃうんだ。で、いつもほっこりした立派な
オブジェが便器の上に鎮座ましましてる(笑)」
 こう言って関口以下スタッフを笑わせるのだが、
当の本人がトイレから戻った後に便器をのぞくと、
小便が流していなかったりする(笑)。

銀座8丁目、新橋方面に向かって中央通りから一筋左に入ったところに
珈琲だけの店「カフェ・ド・ランブル」はある。昭和レトロの趣を湛えた、
無愛想なほど飾り気のない小さな珈琲店である。名物店主を失ってしまった
あの〝イチローコーナー〟はこの先どうなってしまうのだろう。
淋しさに堪えない。

ここに改めてコーヒー業界の〝巨星〟関口一郎氏のご冥福をお祈りする。
心からの合掌。


←左端のボクの隣が関口さん。
『コーヒーに憑かれた男たち』
に登場する「コーヒー御三家」
の勢揃いだ。


2018年3月7日水曜日

凡夫こそがホトケになれる

8キロ相当のダンベルを背負い、両くるぶしには2キロずつのウエイト。
いつものように三浦雄一郎を気取って散歩していると、ひとりの小柄な
おばあさんが向こうからヨロヨロと歩いてくる。見ると、数メートル歩いたら
立ち止まり、また数メートル歩くと立ち止まって小休止。風の強い日だから、
危なっかしくて見てられない。

「大丈夫ですか? 手をお貸ししましょうか?」
「いや大丈夫です、ハイ……ご親切にどうも」
「転ばないように気をつけてくださいね」
おばあさんは深々とお辞儀をすると、またヨロヨロと歩いていった。

近頃、齢のせいでヤキが回ったのか、やけに心優しくなってきている。
小さな子を見ただけで涙ぐみ、年寄りを見ると背中をさすってあげたくなる。
人妻たちにはハグの報謝をし、ベランダに来る雀たちにはお米をまいている。
以前の欲深なボクなら「雀のお宿」で大きなつづらをお礼にもらうのを夢見て
いたものだが、近頃は物欲も性欲もなくなったせいか、雀たちがただただ愛しい。
もしも宮沢賢治を気取るなら、こんな感じだろうか。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハマダマダアルケレド
決シテソレヲミセズ
イツモヘラヘラワラッテヰル
一日ニ玄米四合ナラヌ
美酒美食美女トイフ煩悩ニ溺レ
アラユルコトヲ
ジブンダケヲ勘定ニ入レ
ヨクミキキシワカリ
ソシテスグワスレ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
〝和光のビバリーヒルズ〟ト呼バレル団地ニ住ミ
東ニ病気ノムスメガアレバ
行ッテ添え寝シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテ〝ヨッコラショ!〟と背負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテモウスグ楽ニナルカラネ、トイヒ
北ニケンカヤ訴訟ガアレバ
勝ツマデガンバレ、トハゲマシ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニ〝木偶ノボー〟トヨバレ
褒メラレモセズ
苦ニモサレズ
サウイフモノニ
モウワタシハナッテマス

もしかするとボクは、知らぬ間に究極の悟りを開き、
即身成仏〟しているのかもしれない。
なんだかホトケ様になったような気がしてならないのだ。

「ケガやら何やらで気弱になり、免疫性が落ちてるだけじゃないの?」
心ない人はそんなふうに思い「ふるさとへ廻る六部の気の弱り」などと
思いきり茶化すかもしれない。でもね、どうも免疫性などという俗っぽい
ものではないような気がするのだ。

平昌オリンピックの日本人選手たちが流した清らかな涙に刺激されたのか、
無垢で清らかな心を持つ「サウイフモノ」にどんどん近づいているような
気がする。日々、即身成仏への途をまっしぐら、という感じなのだ。

法華経ではボクのような凡夫匹夫こそがホトケという最高の人間性を
(あらわ)し得る、というようなことを説いている。
凡夫即仏」というのだそうだ。親鸞の説いた「賢人(善人じゃない?
尚もて往生をとぐいわんや凡人(悪人でしょ?)をや」と同じような理屈か。
これをボクは「凡人正機説」と名づけている(笑)。いずれにしても、
♪あ~りがたや、ありがたや~、あっソレ、あ~りがたや、ありがたや。
南無……




2018年3月3日土曜日

荷やっかいな隣人たち

日本国政府が竹島を島根県に編入したのは明治38年(1905年)だ。
当時、竹島周辺の海は豊かな漁場で、江戸の昔から山陰地方の漁民が盛んに
出漁していた。そのことを示す文献資料は日本にはいくらでもあるが、
Koreaには「独島」の資料がまったくない。

竹島を日本の領土とする、と政府が閣議決定し、編入公布した時、
当時のKoreaは李氏朝鮮。韓流の歴史ドラマでは絢爛豪華な絵巻物みたいな時代
として描かれているが、実際は「文明のかけらもない古代国家そのものだった」
と歴史家たちからクソ味噌に言われている。それでも一応は独立国だった
李氏朝鮮が、竹島の日本国領土編入に対しては何の異議も唱えなかった。

さて、戦後、連合国は日本の獲得した領土をすべて放棄するよう求めた。
結果、日本は台湾や樺太の領有権を放棄した。この時のどさくさにまぎれ、
Korea側はいきなり、
「竹島は自国領土だから日本に領有権を放棄させるよう命じてくれ」
と連合国側に要請した。が、詳しく調査した結果、連合国はKoreaの要請を拒否、
竹島を日本固有の領土と認定した。竹島がKoreaの領土だったという資料が
何ひとつないのだから当然だろう。

ところが数年後の昭和27年1月(1952年)、Koreaの李承晩首相は日本海の
公海上に勝手に線を引き、そのラインのKorea側を自国の領海としてしまった。
支那が〝九段線〟と称して南シナ海に勝手に線引きし、「自国の領海だ!」
とめちゃくちゃ言っているのとまったく同じ論法である。

実は同じ年の4月にはサンフランシスコ講和条約が発効し、7年にわたった
連合国の占領から日本は主権を回復する。そのことを事前に知った李承晩は、
日本の占領が解かれないうちに自国領土を拡げようと一方的に線引きして
しまった。火事場泥棒まがいのこの暴挙は明らかな国際法違反である。
赦せないのは、この時竹島周辺で漁をしていた日本の漁船328隻をむりやり拿捕、
釜山港まで連行し漁師3929人を拘束したことだ。

漁民たちは残虐な拷問を加えられ、あまつさえ自白まで強要された。
不潔極まる雑居房に押し込められた漁民たちは、カビの生えた麦飯などを
与えられ、栄養失調で餓死するものまで出た。夫を拉致された家族の中には、
精神を病み自殺する妻もいた。この文明国にあるまじき人権無視の拉致によって、
「李承晩ライン」が廃止されるまでの13年間で漁民44人が死傷している。
Koreaはこのことについて一言も謝罪していない。

「李ライン」と呼ばれたこの線は、法的根拠など何もなく、
まったくの自分勝手に設定した排他的経済水域で、
竹島は運わるく李ラインのKorea側にあったため、
不法にもKoreaに占拠され、いまも実効支配されている。

先述したように「李ライン」は国際的には認められず解消されたが、
Koreaは武力でもって不法占拠を解かず、今日に至っている。

日ソ不可侵条約を勝手に破り、北方四島を不法占拠しているロシア、
法的根拠もないのに尖閣諸島を自分のものだ、と主張している支那。
そして竹島を勝手に分捕り、「独島」などと称して実効支配している
Korea。この隣国たちは国際法や歴史的事実、慣習さえも無視して
武力により他国の領土を切り取ってしまう。こういう無法行為を
一般に〝帝国主義〟と呼ぶのだが、われらが隣人たちはそのことを棚に上げ、
何かというと日本の現政権を〝軍国主義〟などと誹謗するのである。

この荷厄介な隣国とこの先どう付き合ったらいいだろうか?
最良の選択肢は、向後一切つき合わないこと。
とりわけKoreaとはいっさい関わり合いをもたず、
経済断交するのが一番いい。歴史的に見て、朝鮮半島に関わって
良いことなど一つもなかった。
あのウソで固めた半島には「災い」の一文字しかない。



2018年2月25日日曜日

「読書尚友」が生きる支えだった

吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が売れに売れているという。
マンガ版が火をつけたそうだが、原作の岩波文庫もにわかに売れ出した。
もうすっかり内容を忘れてしまったが、実はボクも読んだ、半世紀も前に。

青春期は「迷い悩む」時期でもある。
生き方に悩み、人間関係に悩み、性に悩む。
半世紀前のボクは全身〝悩みのデパート〟だった。
対人恐怖症や自律神経失調症に悩まされ、
情緒不安定だったせいか友達がひとりもできなかった。

その一方でガールフレンドだけはしっかり確保し、
ちぎっては投げ、契っては投げ(?)していたのだから、
野郎どもから見れば「なんともいけ好かないやつ」ということになる。
友達ができないというのは、自分の側に主な責任があった。
対人恐怖症のせいなのか、相手との適正距離感というものがうまく
掴めなかったのだ。人間関係は個々の相手との適正距離をどうとるか、
に尽きる。そのコツさえわかれば、双方にとって居心地のよい場が形作られる。

それと相手を必要以上に意識するのもペケだ。
若い頃はともすると自意識過剰ぎみになり、相手に対してもつい気をつかい
過ぎてしまう傾向がある。齢を重ねると、場数だけは踏んでいるので、
常に自然体の自分でいられるようになる。相手にどう思われようと、
「ま、いいか」と気にしない。相手に嫌われようと笑われようと、
「どうぞご勝手に」とまるで意に介さなくなる。面の皮が厚くなるともいうが、
「ありのままの自分でありさえすればいい」という、
いってみれば賢く開き直れるようになるのである。

そうした境地に達するまでは、いろんな経験を通して、自分なりの
人間観なり人生観といったものを形成していくわけだが、若い時分は
総体としての経験が少ないからそれができない。未熟なるがゆえに、
傷つけ傷つき、出口のないトンネルの中で光を求めもがき苦しむ。

いまから思えば、「なぜあれほどまでもがき苦しんでいたの?」
と、当時の自分に問いかけたいくらいだが、当時の神経症を患っていた
自分にしてみれば、それこそ必死で魂の救済を求め苦しんでいたのだ
と思う。

そんな時、手にとった一冊が『君たちはどう生きるのか』だったのだろう。
鮮明な記憶がないので、ボクの琴線に触れる内容ではなかったのかもしれない。
あの頃、ボクは飢えた狼みたいに、文学書をむさぼり読んでいた。
『人間失格』『若きウェルテルの悩み』『にんじん』『冬の蠅』『三太郎の日記』
さらには『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』と、生き方の指針が得られそうな本は
手当たり次第に読み飛ばしていった。

ボクが対人恐怖症だった、赤面恐怖症だった、などというと、
友人たちは「冗談でしょ」というような顔をする。
「あんたに悩みなんかあったんかいな?」
失礼なやつはそんなことまで言う。これじゃァただのバカだ。

新聞下段の書籍広告欄を見ると、「生き方のノウハウ」をテーマにした本が
ことのほか多いことに気づく。老いも若きも生き方の指針が見つからず、
もがき苦しんでいるのだろうか。いまのボクなら
「いつか時が解決してくれますよ」
とのんきに答えられるが、昔のボクがそうであったように、
当事者にしてみれば生きることそれ自体が苦しみそのものなのである。

およそ1万冊の蔵書の中には、若い頃の傷つきやすかった自分を支えてくれた
本が数多くある。読み返してみようとはサラサラ思わないが、「読書尚友」
という習慣、すなわち書物を通して先人たちに親しむという習慣が、陰に陽に
今日までボクを生きながらえさせてくれたことは確かだろう。
「友達は死んだ人にかぎる」
とはボクの師匠・山本夏彦の名言だが、書物の中の先人たちに教え導かれた
ボクは、この言葉の重みを心底実感しているのである。


←版元は歴史的名著などと宣伝しているようだが、
はたしてそうか。

2018年2月23日金曜日

デカけりゃいいってもんじゃない!

スピードスケート女子団体パシュートで日本の4人が会心の滑りを見せてくれた。
出場選手は高木菜那、美帆姉妹に佐藤綾乃、菊池彩花の4人。菊池(170㎝)は
準決勝で文字どおり高木姉妹の〝壁〟となり、捨て石となることで、みごと
決勝要員の体力を温存させてくれた。ちなみにパシュートpursuitとは追跡とか
追い越しの意だ。

団体パシュートは個々人の能力はもちろんだが、一糸乱れぬ滑りで、いかに
正確にラップを刻むかが鍵になるという。そのためには「ワンライン」と
呼ばれる一心同体の隊列を組まなくてはならない。振りあげる手、足の運び、
前傾の角度までピッタリ揃え、真正面から見るとまるで一人の選手が滑って
いるように隊列を整える。すべては風の抵抗を最小限にとどめ、最後の周回まで
体力を温存させるためである。

団体パシュートのスピードは時速50㌔以上。このスピードで車の窓を開け
はなったときの風圧を想像してもらえれば分かるが、風圧をもろに受けると、
体力は著しく消耗する。なにしろ横に身体が40㎝ズレただけでも一人で
滑っているのと同じ風圧を受けるというのだから、交代で風よけの〝壁〟を
つくるという理屈もよく理解できる。

壁も大事だが、隊列の組み方も大事だ。風の抵抗を最小限に抑えるため前の
選手にピッタリくっつき、美尻を拝むようにして滑る。ワンラインから生まれる
穏やかな気流の渦の中に入ってしまうと、後続選手は実に楽チンなのである。

そのことは水泳でも実感できる。ボクはよく同じような力量の仲間と
インターバル練習をやったものだが、先行する人のバタ足がつくり出す水流の
渦や泡に身をまかせてしまうと、なんというか、ほとんど水圧を感じずスイスイ
と泳げるのである。あまりに楽チンなので調子に乗り、勢い余って先行する
見知らぬオバちゃんの股ぐらに頭から突っ込んでいってしまったことがある。
(よりにもよってオバンの股ぐらかよ……若い娘だったらどんなによかったか)
そんな不謹慎なことを想いながら平謝りに謝ったものだが、それくらい水圧とか
風圧の影響は大きいのである。

日本チームは1周400㍍のラップを28秒台でキープ、対するオランダチームは
27秒で刻むこともあったが、最後の1周は30秒台とややバラツキがあった。
この勝利は体力に勝る欧米選手が、小柄で体力の劣るアジア人選手に敗れた瞬間
でもあったし、西欧の個人主義が「和を以って貴しとなす」とする日本精神に
敗れた瞬間でもあった。

ずいぶん大仰な言い方をする、とお思いだろうが、リオ五輪での男子陸上
400㍍リレーを思い起こしてもらいたい。日本チームは個々の力では決勝へ
進めるレベルの選手はいなかったが、独自に編み出したバトンパスのおかげで
みごと銀メダルを獲得することができた。個人レースとちがって団体の場合は、
息の合ったチームプレーと、バトンの受け渡しといった微妙な必勝テクニック
が勝敗を分けるのだ。

ああ、それにしても大和撫子たちのなんと健気で頼もしいこと。
長身のオランダやアメリカの選手に比べると、悲しいくらいに〝ちっこい〟
が、根性と肝っ玉?だけは図太い。ナニの話ではないが、デカけりゃいいって
ものでもないのだ。それに彼女たちの輝くような笑顔。カーリング女子の
スキップ・藤澤五月の笑顔にスケベーな韓国の男どもがメロメロ、と伝え聞くが、
団体パシュートで〝捨て石〟となった菊池彩花のこぼれるような笑顔もまたいい。

スケベーなボクは菊池の笑顔を見るたびに、
「菊池ィ! かわいいよォ! おじさん死ぬまで応援してっから」
とテレビに向かって咆えている。菊池にはえらい迷惑だろうが、
彩花(気安く呼ぶな!)はボク好みの女なのだ。メディアの阿呆どもよ、
高木姉妹ばかりにスポットを当てないで、縁の下の力持ちを演じた
菊池彩花にも少しは光を当ててくださいな。ゲーテの臨終の言葉ではないが、
「Mehr Licht! (もっと光を!)

←左端がボク好みの菊池彩花。







photo提供:Yomiuri

2018年2月21日水曜日

みなさんのおかげです

「行け、いけ、いけ、ニャオ! いけーっ!」
女子スピードスケート500㍍。日本の小平奈緒がみごと金メダルを
獲得してくれた。ボクと女房は放送が始まるやテレビ画面にくぎ付け。
「ニャオ、がんばれ! ニャオ、ぶっちぎれ!」
などと、その声援の、なんとまあ、かしましいこと。

さかりのついた猫みたいに「ニャオ、ニャオ」とうるさいわが家。
奈緒がなぜ「ニャオ」になるかというと、わが家の次女が「ニャオ」だからだ。
小平奈緒もわが豚児も、名前が「ナオ(一字ちがうけど)」で発音が同じ。
うちでは今でも幼児期そのままに「ニャオ」と呼んでいるので、小平奈緒も
勝手に「ニャオ」にさせてもらった。臆面もなく言わせてもらうと、
小平も次女もお目々パッチリの色白美人。心優しいところも共通しているもの
だから「ニャオ、ニャオ」と、つい小平選手への声援に力がこもってしまうのだ。

一流選手が力を出し切ったあとの涙は、勝っても負けても美しい。
選手の中には禁止薬物を使ってまで勝ちたいとする卑怯者も一部にいて、
一流選手が必ずしもFairplay精神の持ち主とは限らないが、
それでもボクは全力を出し切り、精も根も尽き果てたときに自然とあふれ出る
涙の清らかさを信じたい。高木美帆や小平奈緒の涙はことのほか美しかった。
ボクも思わずもらい泣きだ。

スポーツはいい。ボク自身ははそれほど運動神経が発達しているとは思えないが、
スポーツは大好きで、平均的でよければ、どんなスポーツでもソツなくこなせる。
スケートも好きで、若い頃はリンクでよく滑った。当時、ハーフスピードの
スケート靴を持っていて、軽井沢まで足をのばしては兄とよく天然リンクで
滑ったものだ。

テレビ番組で見たいと思うのは、スポーツ番組とニュースだけ。
アホな芸ノー人が勢揃いし、下卑た笑いが横溢するバラエティなどという
番組は金輪際見ることはないし、わざとらしい演技と幼稚な演出が目立つ
日本のドラマを見ることもない。ウソで固めた韓流ドラマなど論外だ。

選手たちはよく、「多くの皆さんの応援のおかげでここまで来られました」
と、マイクを向けられるたびに常套句のようなセリフを口にする。最初は、
(なんだか、むりやり言わされてるみたい……そう言っておけば無難だしな)
と、いくぶんわざとらしく聞こえたものだが、今はちがう。
自分の力を超えたものがある、という感覚。それは努力をしたかどうかを
超えたもの。選手たちは心からそのことを実感して、「おかげさま」という
言葉を自然と発しているのではないか。ボクはそう確信している。

ひとには誰でも、
(何かの力で自分は生かされているのでは……)
と感じる時がある。この世に生を受け、自分なりに精いっぱい
生きてきたけど、ふとした拍子に、
(今の自分は両親やご先祖、友人たちといった多くの人たちの
〝見えない応援〟によって支えられているのではないか。
運命という名の見えない手と手で、遠い宇宙の連環にまでつながって
いるのではないか……自分なんてミミズとかオケラと同類で、
たとえ名声を博しても所詮ちっぽけな存在でしかないのでは……)
そんなふうに思えることがある。

なんだか荒唐無稽な話をしているように思えるかもしれないが、
年齢を重ね、ある程度の経験を積み重ねてくると、
宇宙の根源にある無限のエネルギー、そのエネルギーには明らかな
「意志」があるように思えてくる。その大いなる意志が自分を生かして
くれているのではないか。

「おかげさま」という言葉は「(神仏の)お加護さま」から来ているといわれる。
日本人選手の心からの「おかげさま」を聞くたびに、決して驕らず、
常に謙虚な日本人っていいなァ、と思い、ついつい顔がほころんでしまうのである。


←2位のイ・サンファをやさしく
抱きしめる小平奈緒選手。ニャオ
という名の子はみんな心優しいのォ、
グスッ。


photo by スポニチ

2018年2月10日土曜日

国防婦人会のおばちゃんたちとおんなしだ

今朝も近所の「和光樹林公園」に行ってきた。
例によって7㎏のダンベルを背負い、完全防寒のいでたちだ。
調子のいい時は、これにアンクルウェイト(くるぶしに着ける重り
をそれぞれ2㎏ずつ着け「7㎏+4㎏=11㎏」の負荷をかけている。
体重が80余㎏だから「80余㎏+11㎏」で計91㎏ほどになり、
その重さで5キロほどのコースを歩く。

徒歩だと体重の3倍が膝にかかり、走ると5倍がかかるという。
となると「91×3=273㎏」が両膝にかかる計算になる。
あいにく膝が関節症でいかれていて、過度の負荷は厳禁なのだが、
持ったが病でこればっかりはどもならん。

前回も書いたが、1周1000㍍のタータントラックは避け、その縁の
芝の上を歩いている。歩くたびに神経が悲鳴を上げるくらい軟骨が
すり減ってしまっているのだが、ごまかしごまかし歩いていると、
どうにかこうにかノルマは達成できる。腕が利かず、水泳も筋トレも
できない身体となれば、せめて下半身だけでも鍛えておかなくては、
と半分切羽つまった気持ちで歩いている。

ぶじに歩き終わり、公園をあとにしようと入口に向かったら、
なにやら10人ほどのおばちゃんたちが叫んでいる。
「平和憲法を守りましょう! 憲法9条を守りましょう!」
土曜日で公園への人出が多いと見たのか、元気いっぱいのおばちゃん
たちが道行く人に声をかけ、署名をお願いしている。

その中に知り合いのおばちゃんがいて、思わず呼び止められてしまった。
(まずいな……)
あっちはいつもと変わらず、ごくふつうの気持ちで声をかけたのだろうが、
あいにくボクは「廃憲派」であり「改憲派」だ。彼女たちが言うところの
「平和憲法」なんて毛ほども信じていないし、こんなもの、GHQがむりやり
押しつけた戦時国際法違反のトンデモ憲法だと思っている。要はボクにとっては
世界一非常識な、煮ても焼いても食えない唾棄すべき憲法なのだ。

そのインチキ憲法を後生大事に守っていれば、未来永劫平和でいられる、
というのが、失礼ながら、ここに居並ぶおばちゃんたちの信じるところ
なのだと思う。「平和、平和」とお題目のように唱えていれば平和が続くだろう、
とする「念力平和主義」の信奉者が、きっとこのおばちゃんたちの正体なのだ。
103条まである日本国憲法は隅から隅まで読み、「前文」も熟読玩味しました、
という人はたぶん少ないのではないか。いや、ひょっとすると一人もいない
かもしれない。

ごくふつうのオツムがあり、日本人としての誇りが一片でもあれば、
読んでいてこの押しつけ憲法はどこかおかしい、と思うのがふつうで、
「前文」にいたっては噴飯もの、とボクなら正直に言える。日本語だって
翻訳調のかなり怪しいものだし、読み込んでいくと、アメリカが意図した
目論見が実によく透けて視えてくる。煎じ詰めると、日本なんて野蛮な国は、
未来永劫、4つの島の中に押し込め、二度と白人たちに逆らえないように
子々孫々まで骨抜きにしてしまえ!――日本国憲法を裏読みするとこうなる。

「ごめん、ボクの考えは皆さんとちと違うんだ。残念だけど署名はできません」
キッパリそう言うと、知り合いのおばちゃんは幽霊でも見たかのように
目を丸くしていた。
でも、しかたがないよね。節を曲げるわけにはいかないもの。

戦争なんて、だれだって避けたいと思っている。
問題はどうやって避けるかの方法論の違いだけだ。選択肢はいろいろあるが、
ボクは紙っぺらに書かれた念仏平和憲法などより、現実的な〝戦争抑止力〟
というものをまず考える。生来、理想主義は心の奥底にしまい込み、
リアリズムだけに依拠しようと自らに言い聞かせてきた。
外からの軍事的脅威には断固軍事力で対抗する。
「やってみろよ! 10倍にして返してやるからな!」
簡単に言ってしまうとこれが実効性のある戦争抑止力となる。

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した
わが憲法の前文には、こんなノーテンキな文句がつづられている。
(日本国の命運を〝平和を愛する〟隣国の皆さまにお預けいたしますので、
煮るなり焼くなり、どうかお好きになさってくださいまし……)
わが日本国憲法の前文には一国の安全保障を自ら放擲し、
今後は軍隊など保持せず他国の温かい善意にすがって生きていきます、
とマンガみたいなことが書かれている。

支那、ロシア、北朝鮮、韓国……日本の「麗しき隣人たち」のどこをどう叩けば、
《平和を愛する諸国民の公正と信義》などというおめでたい言葉が浮かんで
くるのか。公正と信義に最も遠い〝ならず者国家〟にしか見えないのは、
ボクがひねくれ者で、ボクの目がいたずらに曇っているためなのか?

平和憲法を守れ、と連呼する気のいいおばちゃんたち。
その素直で純粋すぎる気持ちには満腔の敬意を表したいが、
パワーポリティックスが支配する政治の世界はそれほど生やさしいものではない。
(あの人、危険な右翼かも。やさしそうな人だと思っていたけど……)
ボクの後姿を見て、おばちゃんたちはそんなふうに思ったにちがいない。

憲法改正反対を唱えるおばちゃんたちは、
「パーマネントはやめましょう! 長い袂(たもと)はつめましょう!」
と、かつて銀座の街頭に立って若い娘たちの髪や着物の袂をちょん切った
あの国防婦人会のおばちゃんたちと、同じおばちゃんたちだ。
平和を唱える行為も、武運長久を祈って千人針を寄進する行為も
所詮はコインの裏表。やっているのは紛れもない同じ人間なのである。


←ボクの理屈はこうしたおばちゃんたちに
通じるのだろうか、といつも不安に苛まれる。
日本が平和でいられるのは憲法9条のおかげ
なんかじゃなくて、自衛隊と日米安保条約の
おかげなんですよ、おばちゃんたち、
聞いてますか? 





2018年2月8日木曜日

はぐれ猿としての生き方

わが家から歩いて5分ほどのところに「県営和光樹林公園」がある。
広大な園内には合成ゴムで固めた全天候型のタータントラックがある。
1周1000メートルと800メートルのものがあり、ジョギングしたり、
速歩したり、のんびり歩いたり……老若男女が日夜さわやかな汗をかいている。

ボクもリハビリを兼ねて時々出没する。
いでたちはフル装備で、防寒服に身を固め、靴は頑丈なトレッキングシューズ。
背にはおよそ7キロのダンベルを背負っている。先ほども3周ほどしてきたのだが、
もう下着は汗でびっしょり、いまだ風邪が抜けないので急いで着替えた。

ボクはタータントラックの上は歩かない。合成ゴムの反発力が強すぎるのか、
膝に余計な負担がかかってしまうのだ。もともと膝がわるいものだから、
人工的なトラックは避け、トラックの周縁の自然な芝の上を歩いている。
性格的なものもある。生来、つむじが曲がっているためか、「決められた道」
を避けたいとする性向がある。

もともと一匹狼的なところがあって、若い頃から極道用語でいうところの
「一本どっこ」路線を歩んできた。サラリーマン生活はわずかに13年そこそこ、
あとはずっとフリーランスでやってきた。
「自由業ですか……うらやましいですね」
よくこんなふうに言われる。人間関係のしがらみもなく、
勝手気ままに生きている、といったイメージらしいが、
「自由業というのは、実は一番の不自由業なんです」
と、こっちとしては声を大にして言いたい。

アクが強いとか個性的、とよく言われるが、組織が苦手というわけでもなく、
協調性に欠けるということでもない。ただ生涯、組織に属さず生きてゆけ、
とどこか宿命づけられているような気がしている。「寄らば大樹の陰」的な
生き方が生理的にいやなのかもしれない。

こうしたはぐれ猿は総じて長生きしないそうだ。
が、自分の気持ちに正直に生きてゆきたいので、いまさら人と群れようとは
思わない。なにしろ「人と群れるな」をモットーとしてきた人間で、
事あるごとに娘たちにもそう教えてきた。主体性を持たず付和雷同的な行為に
走ることが、いかにみっともないことか、そして必ず道を誤る、と骨身にしみて
分かっているからだ。

メディアはふたこと目には「世論」だとか「民意」をダシにして政府を攻撃する。
民主主義も行きづまると衆愚政治に陥るというが、日本はすでに立派な衆愚政治
に陥ってしまっている。曽野綾子女史はこう言っている。
『世論なんてお盆の上の豆みたいなものね。お盆を右に傾ければ右へ、
左へ傾ければ左へ、ザザーッと一斉に転がってゆく。新聞報道もおんなじね』

衆愚政治から逃れるにはある種のエリート主義的な考え方や価値観を
導入する必要があると思われるが、具体的にどうやればいいか、
となるとよく分からない。ボクの師匠の山本夏彦は、
『ミニも流行、言論も流行』
といった。この世の中には流行・風俗以外の何ものもない、と見切っていた。
『ひとは大ぜいがすることをする。大ぜいが言うことを言う』
このことは男女を問わない。男だっていま流行の言論しか言わない、と。

メディアの連中は恥ずかしげもなく「世論に従うことこそ是なり」
などと公言するが、こうした俗論にふれるとボクはしばしば逆上する。
師匠譲りなのだろう、そもそも民主主義という言葉が大きらいなのだ。
しかし一方で国事を憂い〝乃公(だいこう)出でずんば〟と思って
いたりするのだから、大根(おおね)のところはキマジメなのだろう。

タータントラックの話から大きく外れてしまったが、
心のどこかに、いつの日か「一隅を照らす」ような人間になりたい、
とする思いがあるのだと思う。
人生は死ぬまで修行なのか。


←このトラックのふちの緑の上を歩く。
そのほうが膝にはずっと優しい。
(写真は和光樹林公園)

2018年1月23日火曜日

元の人間(XX)に返りたい

日本はゲイやオカマの天国だ。
昔は世間の片隅でジッと息をひそめていたのに、
いまや堂々と「あたしLGBT(性的少数者)なんです」
とカミングアウトするようになった。世間もあまり驚かなくなり、
むしろ面白がるようになった。多様性を認める社会になった、
といえば聞こえがいいが、あいにく身近にゲイやおネエ系がいないので、
あまり実感がわかない。

一方、テレビをつければ〝おネエ系〟タレントのオンパレードだ。
ボクらはカルーセル麻紀やおすぎ&ピーコの世代だが、最近は、
IKKOを初めはるな愛やマツコ・デラックスなどが文字どおり幅を利かせている。
体重140㎏のマツコなどは〝おネエ系の新皇帝〟などと呼ばれているらしい。

動物行動学の竹内久美子によると、お腹の赤ちゃんは最初はみな女なのだという。
人間の染色体は46個からできていて、その中にXとYという性に関係する遺伝子
がある。女はXXで男はXY。赤ちゃんは最初、すべて女なのだが、その中で、
男候補のYという遺伝子がandrogenという男性ホルモンを盛んに放出する。
その時期が妊娠3ヵ月あたりで、このホルモンが睾丸などの臓器を作り、
ホルモンを身体の隅々まで行きわたらせていく。すると次第に男っぽい身体つき
になり、脳髄もまた「ボクは男だ」と思い込むようになる。

ところがそんな大事な時期に、母体が「空襲」だとか「飢餓」といった
強いストレスを受けると、胎児のandrogen放出にも異変が起きる。
男性ホルモンが時に脳まで行きわたらなくなってしまうのだ。結果どうなる?
身体つきは男でも脳は女のまま、という子供が生まれ出てしまう。
つまりTransjender(性同一性障害者)の誕生というわけだ。

実際に東ドイツで追跡調査をした結果、先の大戦前後20年間に生まれた子供の中に、
同性愛者が多いという結果が出たらしい。androgenを浴びるべき時期に、
連合軍の爆撃にさらされ、野蛮なソ連兵に追いかけまわされる――その強烈な
ストレスが胎児に影響を与えた、というわけなのである。

日本にももちろんそういう時期があった。
この説が本当なら、団塊の世代ダンコンと読む場合もある)はモロ怪しい。
うちの団地(約1600世帯)なんか入居者のほとんどがダンコンの世代だから、
ひと皮むけば嬉しや「オカマの巣窟」なのかもしれない。

実のところ、ボクは団塊の世代が好きではない。
知り合いのF氏は元全共闘のメンバーで、酒を飲むと、
「機動隊とゲバ棒で渡り合った」という武勇伝を〝一つ話〟のように披露する。
彼らにとっては'70年安保闘争という名の〝革命ごっこ〟が生涯の自慢なのだ。

また団塊の世代は朝日新聞と日教組の申し子でもあるから、
「日本が悪い」という自虐史観でガチガチに凝り固まっている。
そういえば東大出の加藤登紀子というタレ目の歌手などは、
日本と聞くと腐臭がしますの」と言ってたっけ。
そんなに嫌いなら日本から出ていけばいいのに、いっこうにその気配はない。
バカにつける薬はないのである。

もともと人間は女なのだから、なかには元に戻ろうとする〝女返り〟の傾向が
強い者がいる。女という原形から男に変わっていくのだから、駆動力が弱いと
つい女に先祖帰りしてしまう。生物学的には容易に成立する理論なのだそうだ。

ボクはあいにくXY染色体をもつ男だが、齢60を過ぎた頃から、
〝もと人間〟である女に戻りたいという衝動に駆られるのか、
細胞が徐々に〝オバサン化〟してきているような気がする。
オバサン化しちゃったほうが生きやすいというか、気分的に楽なのである。

というわけで、団塊の世代とは政治的な立場を大いに異にするが、
艶っぽい〝そっちの世界〟では仲良くできるかもしれない。
バカとオカマは遣い様なのだ。



←トランプは軍隊からオカマを追放せよ、
とする立場





2018年1月8日月曜日

オンナは愛嬌、オトコも愛嬌

鈴木亮平ファンのわが女房は、NHKドラマの『西郷(せご)どん』を心から
楽しみにしている。日本人は茫洋としていて度量の大きな西郷隆盛と坂本龍馬が
大好きだ。が、ハーバード大学の日本史教室では、どちらかというと冷徹な
大久保利通や木戸孝允のほうが高く評価されているという。

俗に維新三傑は「情の西郷隆盛」「意の大久保利通」「知の木戸孝允」と呼ばれる
が、日本の近代化に最も貢献したのは大久保と木戸とされている。この二人が
政治家として圧倒的に優れていた点は正直で清貧だったこと。木戸が死んだときは、
財産が一銭も残っておらず、大久保にいたっては残された家族が葬儀費用も払えな
かったという。ひたすら蓄財に励む、どこかの国(Chineseの国?)の政治家どもに
爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものである。

「漢(おとこ)は愛嬌こそ大事」
西郷はいつもそう思っていた。無欲と至誠から滲み出る分泌液が〝愛嬌〟の
本質だった。これは一種の風土性といえるものかもしれないが、薩摩人には
「冷酷」を甚だしく憎むところがある。すべてに対して〝心優しい〟というのが
薩摩男児の性根を形作っているらしい。換言すれば、「さわやかな人格である」
というのが薩摩武士の誉れなのである。

薩摩藩には「郷中(ごじゅう)教育」というものがあった。
いわゆる「二才頭(にせがしら)」というグループリーダーがいて、
年下の「小稚児(こちご)」や「長稚児(おせちご)」に対して、
折をみては〝真の武士の生き方〟を訓示するのである。

たとえばそれは「負けるな」「ウソをつくな」「弱いものをいじめるな」
といったことどもである。会津藩にも似たような「什(じゅう)の掟」という
ものがあった。例の「ならぬことはならぬものです」で知られる訓戒事項だ。

西郷どんは弱い者いじめがきらいだった。
「二才頭」だった西郷は卑怯・卑劣を何より憎んだ。
そして会得したものが「己を愛するなかれ!」という「無私」の境地だった。
自分を愛することがなければ物事がよく見えてくる。
西郷は「無私こそが人を動かす」と考えた。

ボクも西郷に劣らず〝イジメ〟がきらいだ。
なぜきらいかというと、皆で寄ってたかって一人の人間を攻撃するからである。
およそケンカというものは〝1対1〟でやるべきものなのに、徒党を組んで
弱そうなやつをやっつける。これほど卑怯・卑劣なことがあろうか。
西郷のめざすところの「さわやかな人格」に最も遠いところにある。
ボクは生来、〝徒党を組む〟〝人と群れる〟という行為を憎んでいて、
生理的に受けつけないというか蛇蝎(だかつ)のごとくきらっている。

人類創生以来、いやこの世に生きとし生ける物がある限り、
「イジメ」はなくならない。イジメによる自殺が起きるたびに、
「いじめをなくしましょう」という言葉が交通標語のように唱えられるが、
悲しいかな鴻毛のごとく虚しく宙を舞うだけで、だれの心にも響かない。

イジメは決してなくならない。
であるならば、いじめをなくすことより、いじめられても傷つかない
強い心を養うことのほうが大切だろう。いじめがいけないのではない。
いじめに負けてしまう弱い心、耐性のなさが問題なのである。
〝古(いにしえ)の道を聞きても唱へても 我が行(おこなひ)にせずば甲斐なし〟
郷中の規範となった〝いろは歌〟を心底噛みしめるべきだろう。

さて話変わって『茶の本』で知られる岡倉天心。
岡倉にはアメリカでは着物を着、日本では洋服を着る、というこだわりがあった。
ある時、弟子たちと一緒にボストンの街を歩いていると、
若いアメリカ人がこんなふうに日本人の一行をからかった。

"What sort of nese are you people ?
Are you Chinese , or Japanese , or Javanese ?"
(お前たちは何ニーズ? 中国人? それとも日本人? ジャワ人?)

岡倉は得たりとばかりニヤリと笑って、こうやり返したという。
"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you?
Are you a Yankee , or a donkey or a monkey ?"
(私たちは日本の紳士です。あなたこそ何キーでしょうか?
アメリカ人? それともロバ? 猿?)

岡倉は福井藩出身の武家で、日本男児としての誇りを生涯失うことはなかった。
冷やかしやからかいを英語のジョークで切り返す――それだけの英語力と
機転のよさを有する政治家が、果たして今日の日本にいるかどうか。
ボクなんかクソ生意気な中国の王毅外相に対して、完膚なきまでやっつけて
やりたいのだが、いかんせん肝心の英語力と機知がない。
明治期の日本人の教養と気概はホンマにすごかった。






←岡倉覚三(天心)。写真は仏頂面だが、
愛嬌はあった。