2017年2月27日月曜日

吉永小百合、大っきらい!

国有地の払い下げで8億円も値引きされた、と国会などで問題視されている
大阪の学校法人「森友学園」。かなりユニークな運営方針を掲げているようで、
傘下のT幼稚園では園児たちに「教育勅語」を朗誦させているという。

《夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹(きょうけん)己を持し、
博愛衆に及ぼし、学を修め業を習い、以って智能を啓発し……》
ボクもブログの中で「教育勅語」については過去に何度もふれてきた。
正直な感想を言うと、高い精神性を備えた第一級の道徳律である

一部の身体の不自由な人たち(背骨が左に曲がっている)は、教育勅語と聞いただけで、
ほぼ条件反射的に忌避し、戦前の軍国主義や皇国史観とむりやり結びつけようと
するが、そうした色眼鏡で見ず純粋な気持ちで対してみれば、この勅語が稀代の
名文であることが分かる。ケチをつけている連中は、そもそも天皇制打倒を叫んで
いたマルクスかぶれの連中であるから、天皇から下し賜ったという意の〝勅語〟と
いう言葉を見ただけでアレルギーを起こしてしまう。

朝日や毎日、東京といった新聞紙(しんぶんがみ)を愛読しているおめでたい読者も、
長年の〝反日的〟洗脳が効いているのか、「教育勅語」という言葉を見ただけで
目をそらしてしまう。で、そんな彼らに向かって、「全文を読まれましたか?」
と訊くと、ほとんどの人が読んでいない。「改憲論議」もそう。護憲派の人たちに
「憲法の全文を読んだことがありますか?」と訊けば、どいつもこいつも、みな
「否(ノン)」だ。あんなもの、たった103条しかないのだから、「前文」を含め、
ものの10分もあれば読み切れる。が、まともに読んだものは数えるほどしかいない
のである。

「報道ステーション」というタチの悪い反日的番組で、
ゲストの吉永小百合様は、「安保法制」に関して、こうのたまわった。
武器を持たないということが、積極的平和主義だと思います
安倍首相の唱える〝積極的平和主義〟を揶揄したのである。
古館キャスターは「そうですね」としたり顔で応じた。

都知事選に立候補した石田純一は、同じく「安保法制」論議に関して、
《今の世の中、今の憲法で何も悪くないのに、なぜ変えようとするのか》
などと発言している。

サユリ様や山田洋二監督が共産党シンパであることは広く知られているから、
こうしたおめでたい発言は別段驚くに当たらないが、社会的影響力がバカに
できない、という事実を鑑みれば、この種の〝空想的平和主義〟がへたをすると
戦争を引き起こすのですよ、とボクは強調しておきたい。過去の歴史を真摯に
学べば、「平和主義者が戦争を起こす」という反語じみた言い方が、
実はまぎれもない現実なのだ、ということがよくわかる。

武器を持たず、平和憲法を後生大事に守り、「平和」「平和」とお題目のように
唱えていれば平和が保てると、彼らは本気でそう思っているのだろうか。それほどの
神通力があるのなら、世界中の国が日本国憲法をマネしているはずではないか。
しかし現実はそうなっていない。憲法第9条が〝竹みつ〟で、現実離れした役立たず
だってことをみな知っているからだ。

主権国家でありながら交戦権まで否定している国がどこにあろう。
国際法で認められている権利をすべて否定しているのだから、
これほどおめでたい国はない。
じゃあ、どうやって国家・国民を守るつもりなの?

日本の領土である「竹島」は、日本がGHQによって武装解除され、武器も軍隊も
持たない丸裸の時に、火事場泥棒のようにして韓国に奪われた。1953年である。
日本の自衛隊は翌1954年7月に創設された。自衛隊がもっと早くできていたなら、
むざむざと強奪されることはなかった。サユリ様が崇め奉る日本国憲法は1947年に
施行されている。残念ながら、遠い竹島までは神通力が及ばなかったようである。
つまり平和憲法など〝抑止力〟どころか糞のつっかい棒にもならないのである。

サユリ様や石田純一がのんきに暮らしていけるのは、「平和憲法」がある
からではない。日米安保条約と自衛隊があるおかげだ。何があっても戦いは
避ける、たとえ愛する人が目の前で強姦されようが殺されようが手出しはしない、
というのは積極的平和主義でも何でもない。ただの惰弱な「敗北主義」である。

共産党は失礼にも「自衛隊なんて災害派遣だけしていればいいのだ」などと
公言している。まるで厄介者扱いである。かつては「税金ドロボー!」などと
憎まれ口をたたいていたのだから、これまた驚くには当たらないが、
こうした心ない発言からは軍人に対するリスペクトがまるで感じられない。
自衛隊は「青年海外協力隊」か?

日本人としての矜持を持たない人間は、どんなに偉そうなことを言っても、
ただの「クズ」である。「空想的平和主義」など、世界のどこへ行っても
通用しない。「おまえ正気か?」とバカにされるだけである。

ああ、吉永小百合様を神のように崇める〝サユリスト〟たちもまた、
みな夢見がちな目をした〝空想的平和主義者〟なのだろうか。
彼らに「リアリズムとは何か」を百万遍説いてもムダなのだろうか。

先の森友学園のT幼稚園では、運動会の選手宣誓で、安倍総理を褒めたたえ、
「安保法制、国会通過、よかったで~す!」
などと叫ばせているという。幼稚園児に安保法制云々はないでしょう、
とついドン引きしてしまいそうになるが、それでもサユリ様や石田純一よりは
数段マシである。彼らも、もういっぺんこの幼稚園に入り直し、
一から精神を鍛えなおしたほうがいいんじゃないの?




←ウーン、すばらしいガキどもだ。
サユリ様にも、この子たちの
爪の垢を煎じて飲ませてあげたい😅。



2017年2月23日木曜日

キャッチボールと思いやり

週一のキャッチボールは、もうかれこれ10年以上続いている。
最初は2人で始めたが、次に3人となり、今はレギュラーが7名。
場所は団地の前の小学校の校庭で、毎週日曜日の午後にやっている。

キャッチボールの〝効能〟については自著の中にも書いたし、
ネット上の連載コラム『強い父さん賢い母さん』の中でもふれた。
その一つはキャッチボールによる無言の会話だ。ただボールを投げ合っている
だけじゃないの、いったいどこが面白いのかしらね――などとキャッチ
キャッチボールを英語ではplay catchという)をやらない女性陣の多くは訝しむが、
キャッチの要諦は、「相手が捕球しやすいような球を投げてやること」で、
つまりは相手を〝思いやる〟という心の涵養にも役立つ。

10年近くやっていても相変わらず〝ノーコン〟で、相手を思いやる気持ちに
欠けるメンバーもいないではないが(笑)、あれは単に運動神経が鈍いだけだろう、
と他のメンバーたちの間では非情にも意見の一致をみている。肩が温まるまでは、
常にあさっての方向へ飛んで行ってしまうボールも、ツボにはまってくると、
一転剛速球となるのだから笑える。

そんなノーコン野郎も、キャッチ後に行われる「反省会」では俄然張り切り出す。
反省会というのは、近くのコンビニで仕入れた酒とつまみを公園のベンチに広げ、
恥ずかしげもなく昼間から酒をかっ喰らい、団地内の〝不穏分子〟を俎上に
のせては、ケチョンケチョンになぶりものにする会のことである。
不穏分子とは、団地内の管理組合や自治会で総スカンを喰らって
いるような〝きらわれ者〟のことだ。

塩豆をかじりながら人の悪口を言い合うのは、人生の快事である
とは司馬遼太郎の言葉だが、ボクたちの「反省会」では、悪口は悪口でも、
ちょっとした隠し味としてそこにブラックなユーモアがまぶされる。
たぶん悪口を言われている当人がそばで聞いていたとしても、
ニヤリと笑ってしまうのではないか。これも会を束ねる監督であるボクの
〝人徳〟と〝薫陶〟のなせる業だろう😁。

この会ではしばしば遠出をする。昔懐かし「遠足」というやつで、
遠くは横浜中華街、近くは川越まで足をのばした。
川越にはまた行こう、という話もあって、陽気が暖かくなったら
勇躍決行するつもりだ。単なる飲み会の変形バージョンだから
実にお気楽なもので、道中ワイワイガヤガヤと、まるで子供みたいだ😅。

会のメンバーの一人が、団地内のラジオ放送で、「還暦野球について」
ひとくさり語ったという。仲間はボクも含めだ~れも聴いてなかった、
というのが泣かせるところだが、噂ではボクたちのキャッチボールを
団地の住人たちに向かって大いに宣伝してくれたらしい。

しかし、先週のキャッチではそれらしき見物客はひとりもいなかった。
「な~んだ、誰も見に来てくれないじゃん」
いいところを見せようと、しきりに腕を撫(ぶ)していたのだが、ガックリである。
団地も高齢化の波で、足腰立たない奴が多いからな……
寄る年波には勝てぬ……悲しき現実に納得せざるを得なかった。

ああ、あと何年、キャッチができるのだろうか。
ボクが定期的にやっている運動といえば、このキャッチと水泳しかない。
膝がいかれているので、ジョギングもウォーキングもドクターストップが
かかっている。
(次はbikeでもやりたいな……)
運動好きのボクは今、漠然とそんなことを夢見ている。

←堂々たる?キャッチボール風景。
球はそこそこ速いでっせ。現に、
ボクの球をタマタマ〝あそこ〟で
受けてしまい、青黒く腫れてしまった
マヌケな野郎がいる。



photo by NICK


2017年2月22日水曜日

寸止めの〝いきまない〟江戸芸を愛す

若い頃から落語が好きだった。
新宿「末広亭」にはよく通ったし、落語のCDもよく聴いた。
また古典落語の本はあらかた読んでしまった。

どっちかというと江戸芸といわれる東京の落語が好きで、
こってりした泥くさい上方落語はどうも性に合わない。
好きな噺家は古今亭志ん生や三遊亭圓生。志ん生の『火焔太鼓』など
は何度聴いても笑ってしまう。

江戸の〝いきまない〟芸を愛する圓生は、浪花節みたいに絶叫したり、
高座の上でひっくり返ったり寝そべったりする大仰な上方芸を好まなかった。
《こっちは十のものが八分までくれば、もうそこで止めてこれ以上はやるべき
ものじゃないということで控えちゃうわけですが、向こうは突き当りの十までいって、
そこを破って、さらに先までいっちゃう(笑)》

圓生は品のない芸も好まなかった。
《(上方の落語家は)ただ笑わせればそれでよい、猥褻であろうと、
穢い話であろうと、ただ笑わせれば客は喜ぶ。芸になっていようといまいと、
下劣であろうと、そんなことは構わない、という。でもね、本当の落語は
そんなものではありません。何よりもまず、芸に品格がなくては……芸も
本わさびの芸でないといけません、粉わさびの芸はあたくしは大きらいです

〝いきまない芸〟というのは落語だけに限ったものではない。
ボクみたいに文章を書いて生計を立てている人間にとっても心すべき言葉だ。
素人はついいきんでしまう。自分を大きく見せようと、言葉を飾ってしまう。
文章の極意は余計な修飾語を削りに削っていく「引き算」にあるのに、
「俺はこんなにも学殖が豊かなんだぞ、どうだ畏れ入ったか!」
見栄を張りたいがために、こてこてと「足し算」式に言葉を飾ってしまう。

落語と同様、文章にも〝間〟が必要で、志ん生や圓生には独特の間があった。
特に志ん生の間の取り方は絶妙で、あそこまでいくと〝神域〟の感がする。
文芸評論家の小林秀雄は、よく講演会を頼まれたが、聴衆の前でうまくしゃべれず、
心底悩んだ時期があった。そんな時、ヒントを与えてくれたのが志ん生の落語だった。
小林は志ん生の〝間〟の取り方を不断の練習で自家薬籠中の物とし、数々の講演を
成功させている。残された小林の講演会CDを聴くと、まるで志ん生が乗り移った
かのようである。

文章には〝間〟と〝リズム〟が必要だ。
稀代の文章家と呼ばれる人たちの文を読むと、みなそれぞれにリズムや間があり、
筆者の息づかいさえ感じられる。「文は人なり」そのものなのだ。
落語も文章も、限られた時間やスペースの枠内で芸を見せなくてはならない。
ボクは「不自由のなかの自由」という言い方をしているが、自由というものの
本質は概ねそんなものだろう。五七五という〝不自由〟がなければ、一つ一つの
言葉の粒が立った俳句の妙味など生まれようがない。

落語好きのボクは、かつて新作落語コンクールに作品を応募し、
次点に選ばれたことがある。『人情風呂』という作品で、
舞台は江戸末期から明治にかけての市井の〝湯屋〟である。
いつか機会があったら、自作自演の芸を高座よりお聞かせしましょうかね😅。




←ナメクジが這うような貧しき長屋で
暮らしたという古今亭志ん生。志ん生の
自由奔放な芸は、ボクにも大きな影響を与えた。

2017年2月19日日曜日

世の中、知らないことだらけ

昨日は久しぶりに上京した。
池袋まで13分、新宿まで19分で行けるのに、
「久しぶりに上京」とはまたずいぶん大袈裟な、と思われるかもしれないが、
膝がイカレちまって、人並みに歩けないボクにとっては、たとえ10分台で
行けたとしても、県境を越えるのは、これでまた一大決心なのである。

行ったところは赤坂の某イタリアンレストラン。
ボクと長女の誕生日(長女は2日違い)を祝うための会食である。
会食はイタリアンかフレンチが多い。女房が料理記者をやっていて、
都内のめぼしい店はほとんど知っているからだ。

重金敦之という作家がいる。料理にもめっぽう強くて、
世に聞こえた食通でもあるが、その重金が、自身のブログ内で、
こんなことを書いている。
《『本当においしく作れるイタリアン』(西口大輔著・世界文化社)という
本の編集者の名前を見たら、河合寛子さんだった。イタリア料理の本を作らせたら、
現在彼女の右に出る人はいない……》
ずいぶん過分にお褒めいただいたものだが、
この河合寛子が不肖わたくしめの女房であります。

昨日は合同誕生会であったが、身重の次女が産休に入る日でもあった。
予定月は4月だが、お腹周りは、もう稀勢の里のそれに匹敵する。
「10キロも太っちゃった……」
と、あの痩せっぽちの次女が恥ずかしそうに言う。婿さんは100キロ超級の
巨漢だから、生まれてくる子も、もしかすると…………かもしれない😅。

ボクへの誕生日プレゼントは「ハズキルーペ」だった。
日頃から「文庫本の字が読みにくくなった」とこぼしていたから、
老眼鏡の上からもかけられるこのルーペを買ってくれたのだ。
活字中毒者のボクにとっては何よりありがたい贈り物である。

ああ、それにしても、とうとう〝前期・高齢者〟の仲間入りか。
あと10年もすると〝末期〟となり、そのうち頭の上に土くれが
パラパラっとかかって一巻の終わり。そう考えると、人生なんて
ほんとうに短くあっけない。「少年老い易く学成り難し」とは
よく言ったものである。

「読書尚友」という言葉がある。書物を読んで昔の賢人たちを友とすること、
という意味である。ボクの師匠の山本夏彦は《本を読むということは
死んだ人と話をすること》と言った。自分よりずっとずっと偉い人たちの
考え方にふれたり、その人たちと対話することはこの上ない喜びである。

ボクは金持ちではないし、いつもボロばかり着ている年寄りだが、
本を買う金だけは惜しまない。すでに万に近い本を読んできたつもりだが、
森羅万象のすべてを知っているわけではもちろんない。なにしろ自分の
尻の拭き方すら知らなかったのだから、読書尚友が聞いて呆れる。

「あなた、そんなカッコウでお尻を拭いてたの?」
齢のせいで身体が硬くなったためか、トイレでうまく尻が拭けない。
女房にそのことをこぼしたら、
「いったいどんな格好でお尻を拭いてんの?」
というから、目の前でいつもの〝ウンチングスタイル〟を実演したら、
「ギョエー!」と女房がのけ反った。

上海雑技団みたいにむりやり体をひねっていたから、
女房の目が思わず点になったのだ。どうやらボクは、
この60余年間、とんでもない格好でおケツを拭いていたらしい。
読書尚友といっても、先人たちは尻の拭き方までは教えてくれなかった。

おいしいイタリアンの話が、突然、尻の拭き方へと話が飛んでいってしまった。
齢をとると品性が怪しくなるから困る。何卒ご寛恕のほどを。





←ワインを飲みながら料理を
心ゆくまで堪能させてもらいました。
これはランチのコース料理。
プリモピアットのパスタとセコンド
の肉料理は他に何種か選べる。





2017年2月17日金曜日

アパホテルの客室をのぞいてみると

北支から南支へと転戦したボクの親父は、いつだって「大東亜戦争は……」
という言い方をしていた。中学生のボクが「太平洋戦争でしょ」としたり顔で
訂正すると淋しそうな顔をしていた。ボクは当時、親父の心の中を忖度する
ほどの知識も教養もなかった。今なら親父の気持ちがよくわかる。あの戦争は
「大東亜戦争」と呼ぶべきもので、実体は侵略などではない、祖国防衛戦争だった。
そして戦場は太平洋に限ったものではない、日本は南方でも戦っていた。

戦後、GHQは「大東亜戦争」という言葉を禁じた。新聞や本などで使うと、
事後検閲で発売禁止や回収となった。学校では「太平洋戦争」と教えられ、
いまでも「大東亜戦争」という言葉を口にすると、相手は訝しげな眼で
こちらを見る。「このひと、もしかして右翼の危ない人かも?……」

ボクは真の歴史を少しは知っているつもりだから、
「日本は侵略戦争などしていない」「南京大虐殺などなかった」
「竹島は1905年以降ずっと日本のもので、韓国の不法占拠こそ〝侵略〟
と呼ぶべきだ」などと思っているし、現に大っぴらにそう発言している。

ボクの周りにいる団塊世代の人たちは、別名〝全共闘世代〟と呼ばれている。
つまりGHQの押しつけた戦後民主主義教育の申し子でもあり優等生でもあるから、
ボクのこうした発言を聞くと、思わずドン引きしてしまう。
戦後70年以上経っているのに、彼らの頭の中はGHQに洗脳されたままなのだ。
いや、GHQの覚えめでたき朝日新聞をいまだに愛読しているため、と言い換える
べきか。いわずもがなだが、朝日はいまだに〝反日〟を社是にしている。

そんな彼らに向かって、
「アパホテルの客室に置いてある本には至極当たり前のことが書いてある。
大騒ぎして反発しているのは支那人と朝鮮人だけですよ」
などとダメを押そうものなら、露骨に警戒心をあらわにする。

アパグループの経営するアパホテルは国の内外に419(6万8601室)あり、
問題の本はアパグループ代表の元谷外志雄(筆名・藤誠志)が著した。
『理論 近現代史学Ⅱ』という書名で、副題に「本当の日本の歴史」とある。
さっそくアマゾンで取り寄せてみたら、天眼鏡で見なければ読み取れないような
極小の活字で印刷されており、半分が日本語、半分が英語の翻訳になっている。

これを読んだアメリカ人の客が「南京大虐殺などなかった」という記述を
読んで驚き、ネット上にそのことを動画でアップしたら、たちまち炎上。
微博(ウェイボー)などでは7800万回も再生され、支那の旅行代理店が
軒並みアパホテルとの取引中止を打ち出すという事態に発展した。

手元にある本の一部を引用してみると、こうある。
《日本軍が女性や子供も含む民間人など30万人も虐殺したなどという
『南京大虐殺』は、この攻略時の南京の人口が20万人、1ヶ月後の人口が
25万人という記録から考えても、あり得ないことだ。また上海大学の朱学勤
教授が指摘している通り、「いわゆる南京大虐殺の被害者名簿というものは、
ただの一人分も存在していない」……》
別段、目新しいことが書いてあるわけではない。これこそ歴史のfactsと
いうもので、ボクの過去のブログにも幾度となく登場してきた耳タコの話だ。

朝日新聞などは「日本はかつて東南アジアの国々を侵略した」などと報じて
いるが、バカも休み休み言ってくれ。日本はベトナムともカンボジアとも
フィリピンとも、インドネシアとも戦争などしていない。日本はこれらの国を
占領搾取していたフランス、イギリス、オランダ、アメリカと戦っただけだ。
アジア諸国を植民地にし、苛斂誅求をほしいままにしていた極悪非道の
欧米列強と戦ったのだ。それがどうして〝侵略〟なのか、と問いたい。

インドネシアなどでは日本の軍人たちはインドネシア独立のため義勇兵として
オランダと戦っている。当時のインドネシアの将軍はどれほど日本に感謝しても
感謝しきれない、などと発言している。こうした事実を、朝日はいつまで無視し
続けるのだ。日本はすばらしい国で、日本人は義侠心に富むすばらしい民族だと、
なぜ言えない。どこの国に、自分の国を悪しざまに言うメディアがあろう。

もう一度言う。大東亜戦争は侵略戦争などではなかった。
もういいかげん目を覚ましたらどうなんだ。
WGIP〟による自虐史観に凝り固まっているヒマがあったら、
少しはまともな本を読んで勉強しろよ。



←アパホテルの部屋に常備されている
問題の書がこれ。半分が日本語で、
半分が英語で書かれている。
中身は概ね真実だが、装丁や写真の扱いが
yellow-pressっぽく安っぽい。こんな本でも
支那と韓国政府が慌てているのだから、
国民に知られたくない事実が盛り沢山なのだろう。
ウソばかり教えているからこうなるのだ。
愚かな国だ……















2017年2月14日火曜日

死にたくなくなる街

本日は自慢ばなしを一席。
いつもの〝女にもてて困っている〟という話ではない。
ボクが住む街・埼玉県和光市の自慢である。

和光市の若き市長Mさんはボクと同じ団地の住人で、
彼の子供たちとボクの娘たちは同じ保育園で育った。
市長になる前は雑誌の編集者で、これまたボクと同じである。
市長選の時は、お義理だが応援団の一員であった。
今は2期目で、有力対抗馬も出てきそうにないから、
しばらくは彼の市政が続くものと思われる。

そのM市長のFacebookをのぞいたら、こんなことが書いてあった。
《『日刊ゲンダイ』に自殺の標準化死亡比が首都圏では一番低い自治体として
和光市が登場……》
なになに……目を凝らして読んだら、自殺リスクが《全国平均の半分》しかなく、
《(交通)アクセスが良く》《郊外型のゆったりした暮らしができるエリア》
などと好意的な記事が書かれているらしい。
要は、首都圏で一番自殺の少ない街が和光市、ということなのである。

そういえばリクルートが調査した2016年度の「これから人気が出そうな
郊外の街ランキング」で和光市は堂々3位につけている(東京23区除く)
日刊紙が指摘するようにアクセスは確かに良い。東武東上線、東京メトロ有楽町線、
同副都心線の3線が乗り入れ、池袋まで13分、新宿19分、渋谷24分有楽町駅まで
36分で行ける。そのせいか若者たちの流入が激しく、新築アパートやマンションが
次々と建設されている。

ボクの名刺を見て、「いやあ、遠くからいらしてくださったんですね。恐縮です」
などと、やたら畏れ入ってくれた東京人がいたが、なにも埼玉の山奥から出てきた
わけじゃない。ほとんど知られていないが、和光市は東京の隣町なのである。

首都高速へすぐ入れるし、関越道、外環道へのアクセスが早いのも嬉しい。
結婚を機に上板橋から引っ越してきたのだが、引っ越した当時は街もさびれていて、
木造の駅舎がどうにもションベン臭くて閉口した覚えがある。
(ああ、俺もとうとう都落ちか……)
正直、ガックリきたものである。が、徐々に再開発も進み、
今や人口8万の堂々たる街に進化している。東京ドーム4個分の
「樹林公園」も市民の憩いの場だ。

なんだか市の広報誌みたいな感じになってしまったが、
この街に住んで早や32年。年数では生まれ故郷の川越を10年以上も
上回っているのだから、自然と和光市への愛着も生まれてくる。
娘2人もこの街でぶじに育った。

「自殺が少ない」というのは深刻な悩みを抱えている人間が少ない
ということだろうか。要は人生を深く考えず、ストレスもない、
ノーテンキで頭のパッパラパーな人間が多い、ということなのかもしれない😁。
現に地元のボクの仲間たちは、揃って〝おめでたい〟奴ばかりで、
どいつもこいつも、殺されたってくたばりそうもないようなご面相をしている。

なかには死んでほしいと思うような人間がいないこともないのだが、
その手の奴にかぎってピンピンしているのだからほんとうにイヤになる。
たぶん俺も傍からはそんなふうに思われているだろうから、
こればっかりはお互いさまか(笑)。

いずれにしろ、和光市に引っ越してきて正解だった。
この街には友達がいっぱいいる。薹(とう)が立ち、緑青(ろくしょう)
浮き出しているような、元は♀だった友達もいっぱいいる。
彼女たちはボクを心底慕ってくれる真正グルーピーといえる人たちだ。
そんなわけで、毎日が楽しい。死んでいるヒマなどないのである😜。




←和光市民の憩いの場、「樹林公園」。
桜の季節になると花見客でにぎわう




2017年2月13日月曜日

ぼくがマグロになった日

日本海側では豪雪に見舞われているようだが、太平洋側、とりわけ関東地方は
おだやかな冬晴れの日が続いている。ニュースなどでも連日報じられているが、
毎日、雪掻きに明け暮れる生活はさぞ大変だろうと思う。でも雪下ろしをやらないと
家がつぶされてしまう。また家の前の雪掻きをやらなくては外出もままならない。
ボクみたいに腰痛という持病を抱えている人間にとって、雪掻きは拷問に近い。

ボクは2月という寒い季節に生まれた。その割には寒さにからっきし弱い。
「手洗いとうがいだけは忘れるな!」と家人に号令をかけている当の本人が、
一番風邪をひきやすいのだから情けない。寒さだけではない、暑さにも弱い。
また女にも弱い。「じゃあ何に強いんだよ?」と訊かれても困る。
何か一つくらいは強いものがありそうな気がしているのだが……😔。

寒いといえば、日本で一番寒い町をご存じだろうか。北海道の旭川で、
1902年の記録だが、-41℃を記録したという。陸別町も寒い。この町は、
真夏が30℃以上で、真冬が-30℃以上。かつては「70℃の温度差がある町
として知られていたらしい。そんな町に住んでいたら、お肌の敏感なボクなんか
きっとジンマシンに悩まされることだろう。寒冷ジンマシンというもので、
あまりの温度差に皮膚が順応できなくなるのだ。

ボクは70℃の温度差どころか〝90℃の温度差〟を経験している。
実は日本一寒い場所は旭川ではないのだ。もうお気づきかと思うが、
そんな場所が築地にもある。マグロを超低温で保存する冷凍倉庫である。

ボクは-60℃の世界をぜひとも体験したくて、懇意の仲卸業者に頼み、
築地場外にある冷凍倉庫に入れてもらった(←閉所恐怖症を発症する前の話です)
まず防寒服に着替え、-40℃以上の極寒に耐えられる長靴、
軍手にニットの目なし帽、といういでたちである。まるで南極か
コンビニ強盗にでも行くような格好だ。

いざ冷凍室に飛び込んでみると、肌に突き刺さるような寒さがズシリと襲ってきた。
冷凍室は30畳ほどの広さで、ホンマグロ、ミナミマグロ、メバチと魚種ごとに
保管場所が区分けされている。案内してくれたYさんは、平気な顔して100キロ
近くあるマグロの積み下ろしに精を出している。長い時は連続2時間も入っている
ことがあるという。

「入ったら入りっぱなしで動いていたほうがいいんだ。
いったん出てしまうと、次に入ったときは10分も我慢できない」
とYさんは言う。一方ボクは、入ってからずっと咳き込んでいる。
「鼻で息をしないこと、ゆっくりと口呼吸をするんだ」
と言われてはいたが、ついむせたように咳き込んでしまう😖。

サウナ風呂の中で鼻で呼吸すると肺の中が焼けたようになるが、こっちは逆に
肺の中の細胞が凍傷に罹って急激に収縮するような感じがする。何度も咳き込み、
うまく呼吸できない。指先が寒さで痛い。
(何かの手違いで、このまま閉じ込められてしまったらどうしよう……)
そんな不安が脳裏をかすめる。

ああ、もうダメ。頭がクラクラする。これでついに一巻の終わりか、
とインドマグロの心持ちになりかけたら、Yさんが呆れ顔で外に出してくれた。
ボクは転げ出るように脱出し、思い切り息を吸い込んだ。
ハアハア、助かった……これで女房子供の顔が拝める。😭ウウウウ……

戸外の温度は30℃。-60℃から+30℃の世界へ。温度差は実に90℃だ。
それにしてもすごい寒さだった。息を吐くと白く煙り、その煙が氷のしずくと
なってサラサラと落ちていくのだから呆れる。もっと厚着をしていくべきだった、
と心底後悔した。

テレビで西日本は鳥取の豪雪ニュースを取り上げていたので、
ふと思い出すままに書きとめてみた。




←世界一寒い町がロシアのオイミャコン。
零下58℃だという。-60℃の冷凍倉庫内も
こんな感じだった。マグロの代わりに
可愛いロシア娘が凍っていたら、何時間でも
我慢できたのに……😍←バカ








2017年2月10日金曜日

勇気と想像力と少しのマネー

あのバブルの時代に、マダガスカル島へ行ってくれ、はてはバイカル湖の畔に
行ってくれ、クロアチアの何とかという街に行ってくれ、などという話があった。
日経BP社の依頼で、何のことはない、あらかじめ決められた場所で朱印を捺し、
7日間で世界を一周する。その波乱の顛末を面白おかしく雑誌に書いてくれ、
ついでに書籍にも仕立ててくれ、というのである。

気宇壮大といおうか破れかぶれの勝手放題というべきか、
要するに金満ニッポンのガリガリ亡者どもが、
カネにあかせて半ば面白半分に考え出した、
糞のつっ支い棒にもならないスタンプラリーのような企画である。

ギャラはめちゃくちゃよかった。が、バカバカしいから断った。
こんな企画を必死こいてやっても、世の中のために何の役にも立たない。
人間は慾とカネにまみれると、底なしに堕落するものだな、と思った。

前回のブログに性格俳優の宇梶剛士についてふれたが、
日本最大の暴走族を束ねていた宇梶が、少年鑑別所に入っていた時、
母親が差し入れてくれたのが『チャップリン自伝』だった。
チャップリンの不遇な少年時代が宇梶のそれと重なったのだろう、
この一冊の本によって宇梶は〝不良〟を卒業し、みごと更生した。

チャップリンは映画の中で数々の名言を吐いている。
All it needs is courage, imagination, and a little dough(some money).
人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのマネーだ。

こんなのもある。
The saddest thing I can imagine is to get used to luxury.
私が想像できる最も悲しいことは、贅沢に慣れてしまうことだ。

ついでにもう一つ。
We all want to help one another. Human beings are like that.
We want to live by each other's happiness, not by each other's misery.
私たちはみな互いに助け合いたいと思っている。人間とはそういうものだ。
相手の不幸ではなく、お互いの幸福によって生きたいのだ。

「貧すれば鈍する」というのは分かる。
が、富めばまた鈍することも確かなことだ。

こうしたことを慢性金欠病のボクが言っても、説得力はゼロだが、
武士は食わねど高楊枝。keep one's chin upするためには、
福沢諭吉の言う〝痩せ我慢〟ってやつが必要になる。

武士は13世紀に誕生した。13世紀に一組の夫婦がいて、
3人ずつ子を産んでいくとすれば、ざっと今の人口になるという。
とすれば、日本の男女はことごとく武士の末裔ということができる。
司馬遼太郎は言っている。
武士というのは階級ではなく倫理形態です》と。

もっといえば、腰の二本差しは人を斬るためのものではなく、
おのれの志操(守って変えない志のこと)を正しく保つための証明だった。

武士の末裔で、たとえ飢えても群鶏には交わらぬ、とする気概を
生涯持ち続けたいボクは、勇気と想像力と少しのマネーを糧に、
贅沢に背を向け、他人の幸福のために生きてゆきたい……
とまあ、臆面もなく気障なセリフを吐いてしまったが、
半分はホンネで半分はデマカセ?である。

やっぱり何の取り柄もない凡夫匹夫には、
《世の中のカネと女は敵(かたき)なり どうぞ敵とめぐり会いたし》
のほうがストンと腹に落ちますかね😅、へへへ。




←貧しきチャーリーはいつだって人に優しかった




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2017年2月7日火曜日

遺恨十年、一剣を磨く

初めてボクに会った人は、ほとんど例外なく、
「最初は怖そうな人に思えた……」
と、あとになって告白する。取材先などでもよくこう言われた。

女房は、
「目つきが鋭くて怖いのよね。それに身体がごっついし……」
などと言う。義姉を除き、男兄弟すべてが怖い目をしている、と畳みかける。
こっちは「そうかなァ……」と思い、鏡を見る。なるほど怖い。

運転免許証の顔などはひどいものだ。どう見たって人を10人くらい
殺していそうな顔をしている。この凶暴な顔にニット帽をかぶり、
グラサンをし、マスクで顔を覆ったら、もろ〝コンビニ強盗〟である。
以前、この格好でコンビニに入ったら、店員が連絡したのだろう、
奥から店長が飛び出してきて、店を出るまでずっとこちらを監視していた。

最初の印象は大事である。ボクの場合は、見た目がこれだから、
あまり好感されず、逆に怖れられてしまう。
が、話してみると意外や気さくでやさしい男であることが分かり、
そのギャップが、かえって好印象につながる。

トランプ大統領もボクのマネをしたのだろう、最初に〝ガツン〟とやっている。
さんざっぱら悪口雑言を浴びせかけ、相手をひるませたところでご対面。
「あいつは話の分かるいい奴だ」
と世辞のひとつも言ってやればビビっていた相手は感激し、
肝心の交渉事のほうでは大幅に譲歩してしまう。
なかなかうまい作戦である。

俳優の宇梶剛士は、若い頃、相当グレていて、日本最大の暴走族
ブラックエンペラーの7代目総長をつとめていたという。メンバーは
2000人以上というから、それなりのガッツと統率力があったのだろう。
当時の写真を見ると、モデルになれそうなくらいの男前だ。身長188センチ、
出生時の体重は5キロだったという。母親はアイヌの詩人・宇梶静江である。

ある日、宇梶はふいにチンピラやくざに囲まれてしまう。彼らは手に手に
日本刀の抜き身をぶらさげ、「ぶっ殺してやる!」などと叫んでいる。
宇梶は「もうだめだ、今日でこの世も見納めか」と半分観念したという。
が、意外に気持ちは落ち着いていたという。で、出てきたセリフが、
「おお、上等じゃねえか、殺してみろよ。殺してみろってんだよ!」
大迫力で凄んだという。

ボクも殴り合いのケンカを何度となくしてきたから、土壇場での意外な平常心
というのがよくわかる。周りの状況がよく見え、相手の表情から、どんな攻撃を
しかけてくるかが予測できたりするのである。その予測が外れたのは、
チンピラ相手にやったときだけ。相手の反則技がまるで読めず、
気を失うくらいまでボコボコにされてしまった。完敗である。

何度も言うが、ケンカは〝先手必勝〟である。
相手の急所めがけパンチを繰り出せば、相手はたちまちひるんでしまう。
ただし警察沙汰にされるとまずい。過去、2度ほど警察のお世話になった。
調書をとられ、DNAも採取され、検察庁にも行った。だが2度とも不起訴処分。
こちらの言い分が認められ、正当防衛ということになった。
ボクは喧嘩っ早い性格だが、義のない闘いはしない。

話変わって「いじめ」の話題。テレビのニュースでは連日のようにいじめによる
自殺が取り上げられている。いじめるほうもいじめるほうだが、いじめられる側
はいつだって受け身である。死ぬ度胸があるのなら、思い切って立ち向かって
いけばいいのに、と思ってしまう。宇梶のように日本刀を持ったヤクザ者に囲まれ、
「ぶっ殺してやる!」と凄まれたわけでもあるまい。ダメもとで、こぶしを振り上げ、
いじめのリーダー格に向かって立ち向かっていけばいいのだ。

それには身体を鍛え、筋肉をつけておかなくてはならない。
護身のために空手や合気道を習うのもいいだろう。
とにかく福沢諭吉の言うところの〝獣身〟を養うこと。
へなへなした肉体では土台相手に勝てっこない。
そして最後は窮鼠猫を噛む「気魄(きはく)」である。
男の値打ちはいつの時代にあっても、最後は気魄なのだ。

人間社会も動物社会と同じ、「弱肉強食」と心得るべし。
弱い奴は負け、強いものが勝つ。いじめで自殺する人間は、
しょせんは負け犬の弱虫なのだ。

いじめと差別は有史以来続いている。
これからも続く。解決策などない。
「やられたら100倍にして返してやるからな!」
というオーラを全身から発していれば、まずいじめられることはない。
国防と同じで、この気魄こそが抑止力となる。

いじめられて自殺した奴にボクは同情などしない。
いじめる奴も好かんが、いじめられる奴も好かんのだ。
男はすべからず「十年、一剣を磨く」の精神で生くるべし。




←宇梶剛士の若いころ。
ボクに似て、すっごくいい男。

2017年2月2日木曜日

カッポレは踊らなくてもいい

もうすぐ次女が初めての出産を迎える。
たびたび引用して恐縮だが、作家の佐藤愛子は出産に関してこんなことを言っている。
《だいたい、お産に亭主がついてきて、フウフウハアハア一緒に言うなんてのはね、
お産に対する冒涜だと私は思います。お産というものは一人で耐えて一人で産みだす
ことによって、女に力がつくものなんです。私たちの頃はね、お産の時に泣いたり
騒いだりするのは女の恥だと、苦しくても声を立てないのが大和撫子だと、
そう教えられたものなんです》

いわゆる無痛分娩のラマーズ法だとかソフロロジーsophrologyといった呼吸法が
あることは承知している。「ヒッ、ヒッ、フー」などと楽に産む呼吸法を助産師に
教えられるというものだが、妊婦にしてみれば苦しまずに産めたら、それに越した
ことはない。が、それでも十月十日ですんなり生まれてくるとはかぎらない。

お釈迦様は3年と3月の間、母親のお腹にいたそうだ。まだ生まれないのかしら、
とやきもきしていたら、だしぬけにポトリと生まれた。4月8日である。
生まれたはいいけれど、〝あそこ〟からではなく母親の脇の下から生まれ、
おまけにちょこちょこ歩き回ったので、周りにいたものたちは腰を抜かすほど驚いた。
(これはきっと〝けっかい〟という獣にちがいない)
というので、大勢で頭をポカポカ殴った。それでお釈迦様の頭はこぶだらけになっている、という説があるのだけれど……ウーン、なるほどね。へへへヘ……😅。

ちょこまか歩いただけではない。天地を指さして、
天上天下(てんげ)唯我独尊》とつぶやいた。
これを聴いて、またまた周囲は驚いた。
「生まれたばかりでこんな生意気を言うようでは、大きくなったら能書きばかり垂れる
民進党議員みたいなロクデナシになっちまう。かまわねえから甘茶でもしゃぶらせておけ!」というので、甘茶をしゃぶらせたらカッポレを踊ったという……

お釈迦様くらいで驚いていてはいけない、以前にもこのブログで紹介したが、
支那の老子は母親のお腹に80年もいた。生まれてきたときは頭がすでに禿げていて、
髭まで生えたバクバクの爺さんだったという。取り上げ婆さんのほうが
20歳も年下だったというのだから、なんともはや。

おらが国だって負けてはいない。応神天皇はお腹の中に3年いた。
まあ、そんなことで競い合ってもしようがないが、「ジージ」になる予定の
ボクとしては、いきなり甘茶でカッポレを踊る子より、ごくごくふつうの孫がほしい。
《天上天下唯我独尊》などとご大層なことは言わなくてもいい。
ごくふつうに「オギャー」と泣いてほしい。ただトランプみたいに、
どうしても一言つぶやきたいのなら、
《天が下 新しきものなし》
などというような、上品で気のきいたセリフを吐いてほしい😜。←底抜けのバカ

はてさて、バカがだんだん煮詰まってきましたので、
このへんでお開きということに……


←それ、甘茶でかっぽれ、
かっぽれ……