2020年6月23日火曜日

朝日憎けりゃ……

ボクは朝日新聞が大きらい。
南京大虐殺だの、従軍慰安婦だの、ありもしないことを大々的に報じ、
日本の名誉を著しく傷つけた。まさに万死に値する、と言っていい。

他にも毎日や東京、中日新聞、さらには沖縄タイムスや琉球新報もダメですな。
もう救いようがない。沖縄タイムスは取材時にお世話になって、あんまり
悪口は言いたくないのだけれど、左翼活動家のアジビラみたいな記事は、
決して褒められたものではない。

それでも朝日や毎日を愛読している人は多い。
ボクの仲間にも数人いる。どこの新聞を読もうと個人の勝手で、
子供のころから馴れ親しんでいれば、なかなか他紙には鞍替えできまい。
それでもボクはあえて言いたい。
日本国民で、日本という国を心から愛していて、なおかつ日本人であることに
誇りを持っているのなら、即刻購読をやめるべきだと。

朝日・毎日がいかにダメな新聞であるか、ボクは仲間たちにも言ってきた。
ボクは思想信条の異なる人間と酒を飲みたいとは思わないので
(すぐケンカになるからw)、ボクがどんな考えの持ち主であるか、
事あるごとにしゃべってきたつもりだ。
そこで「ああ、こいつとはウマが合わないな」と思えば立ち去ればいいし、
賛同するものは留まればいい。ボクの話を聞いて朝日購読をやめた仲間は数人いる。

朝日新聞は人を見下すところがある。
自分たちはインテリを代表しており、
しかもインテリのための新聞を作っているんだ、と勝手に思っている。
こういうのを〝駄インテリの増上慢〟と呼ぶのだが、
ボクが雑誌記者の時、朝日の記者たちの驕り高ぶった態度を、
いやというほど見せつけられたことがある。

何の取材だったか忘れたが、ボクたちが駆けつけた都内某所には新聞や
雑誌の記者たちが群がっていた。そこへ遅れてきた朝日の記者が、
「おい、どけどけ。お前たち雑魚どもは後ろに下がっていろ!」
と言わんばかりに、むりやり人を押しのけて入ってきたのである。
(なんだ、この野郎。遅れてきたくせに一番いい席を取りやがって……)
見れば、朝日の腕章を腕に巻いていた。

この時以来の〝恨み節〟だから、ボクの朝日嫌いも40年の年季が入っている(笑)。
朝日がまともな報道機関などではなく、国民を平気でだます工作集団であることは
すでに自明で、慰安婦報道を見ただけで十二分にそれが知れる。
もともと慰安婦問題というのは朝日の報じた「吉田清治証言」が発端に
なっているのだが、この証言は創作だったことがすでに判明している。
書いた本人が、問い詰められ、
「えっ? あれって小説ですよ」
としらばっくれているのだから、開いた口がふさがらない。

事実、吉田の長男は、あるインタビューで、
「日本の皆様に本当に申し訳なく思っております。
できることなら、クレーン車で世界中の慰安婦像を撤去したい」
と発言している。吉田は韓国・済州島で自ら200人の女性を1週間で
狩り出した、などと書いているが、長男は、
「父は済州島なんか行っていません。家で地図を見ながら原稿を書いていました」
と証言している。あの連載した「吉田証言」はまったくの作り話だったのだ。

そんな折、大阪市の吉村洋文市長(現大阪府知事)が、米国サンフランシスコ市と
60年間続いた姉妹都市関係を解消すると宣言した(2018年)。
例の悪名高き在米韓国人団体が慰安婦像をサ市に寄贈し、サ市議会が公共物として
受け入れる決議をしたからだ。吉村市長はこの像の設置には反対し、
認めないよう市長に要請していた。

さすが朝日、吉田清治のインチキ証言を世界中に広めただけのことはある。
性根が芯から腐っている。朝日新聞はなんとこの吉村市長に噛みついたのである。
半世紀の長きにわたって育んできた大阪市とサンフランシスコ市の市民交流を
市長の一存で断ち切ることは許されない、というのだ。

ふざけるな、この野郎!
そもそもお前ンとこに連載した詐話師・吉田のニセ証言が騒ぎの発端だろ!
『旧日本軍によって数十万人の女性が性奴隷にされた』
『囚われの身のまま亡くなった』
などと碑文には書いてある。
事実に基づかない記述に抗議の声を上げるのは、
日本人として当然じゃないか。
朝日新聞こそ、まっ先にサンフランシスコ市に出向き、
「この碑文の記述は私たちが載せたガセネタが元になっています。
どうか取り下げてください」
と、土下座してでもお願いするのが筋だろ!
それを何だ! 吉村市長の暴挙は許せない、ときたもんだ。

ことほどさように、この朝日という新聞社は〝反日〟こそが社是で、
自民党と日本の悪口だったら、たとえウソでも嬉々として報じる。
かつては〝米国のポチ〟といわれ、今は〝支那のポチ〟などと陰口を叩かれている。
実際、支那や韓国・北朝鮮の工作員が社内で暗躍しているのだろう、
と勘ぐられてもおかしくないくらいなのだ。

アサヒビールは好きだが、国賊ともいえる朝日新聞は大きらい。
かつて、あの社会党と組んで、北朝鮮は「地上の楽園」と持ち上げたのは
どこの新聞社でしたっけ。拉致問題など存在しない、とも言ってたよね。
ボクの幼馴染のY君(北朝鮮人と日本人とのハーフ)は、後に自殺してしまったが、
彼の姉さんは「地上の楽園」の謳い文句に惹かれ、北へ勇躍帰って行ってしまった。
その後の悲惨な生活ぶりは、彼の口を通してよく聞かされた。
嘘八百の記事をこれでもか、というくらい書き連ね、社会に混乱をもたらす。
人の人生をいとも簡単に捻じ曲げ狂わせてしまう。そして後は、知らぬ存ぜぬだ。

この〝イエローペーパー〟そのもののインチキ新聞が日本の
〝クオリティペーパー〟だと?
笑わせるな! 
ああ、今日はいつになく興奮してしまった。朝日について書くと、
ついイライラが募ってしまう。
こんな支那臭芬々(ふんぷん)たるシンブンガミは、
ウンコまみれにして下水に流してしまえ!


























2020年6月11日木曜日

ポレンタ食いと牛の糞

北イタリアを3週間くらいかけて車で巡り、
いわゆるミシュランの星付きレストランを10数軒、
取材して回ったことがある。その折、いろんな町で、
南イタリア(人)の悪口を聞いた。

貧しい南イタリアはイタリアのお荷物。
俺たち北イタリア人がやつらを養ってあげているんだ――。
こっちが訊いているわけでもないのに、こんなふうに恩を着せる。
「ローマ以南はイタリアじゃない、アフリカだ」
こんな言い方をするものもいた。

北イタリアは工業地帯で、南イタリアは農業地帯。
経済的には豊かな北が貧しい南の面倒を見てやっている、という構図。
こうした考え方は、北イタリア人の中には根強いものがある。
一方、南イタリア人は威張りくさった北の連中を〝あのポレンタ食いども!〟
とバカにする。

ポレンタとは熱い湯に塩とトウモロコシの粉を入れ、
練り混ぜたもので、主菜に添えて食べたりする。
あんなもののどこがうまいのだ、と南イタリア人は
北イタリア人の味覚オンチをからかうのである。
ボクも何度かポレンタは食べたが、この件に関しては
南イタリア人の主張のほうが正しいような気がする(笑)。

さて、イタリア半島は長靴をはいた脚そっくりに見えるが、
その長靴をはいているのは「男か女か?」という〝なぞなぞ〟がある。

イタリアという言葉は女性名詞だから、イタリア半島も女性だろう、
と答えたら、たぶん生真面目すぎていて大向こうの受けは悪いだろう。

これについては井上ひさしのエッセイの中でも触れていて、
「男の脚に決まってる。股の付け根にベニス(ペニス?)があるではないか」
という、ちょっとエッチな答えがある。

それともう一つは、
「靴のつま先でサッカーボール(シチリア島)を蹴ろうとしているんだから、
これはもう男の脚に決まってるだろ」
今となっては女子サッカーも盛んだから、この答えは説得力が弱い。

またこんなのもある。
「貧しいシチリア島はわれわれ北部のお荷物。そしてマフィアの温床、
いっそアフリカ大陸めがけて蹴り飛ばしてしまえ。そうした気持ちが、
国土の形に表れているんだ。サッカーとくれば、もちろん答えは男だろう」
ちょっと過激な答えだが、北の連中の心情をいくばくかは代表している。

いま、アメリカの黒人差別の問題がメディアを賑わせているが、
イタリアのように同国人同士の地域差別だってもちろんある。
都会のものが田舎者を嗤う、といった構図の拡大版だろう。
大っぴらには言えないものだが、誰しも心の奥底には差別的な感情がくすぶっている。

差別はたしかによくない。なくしたほうがいいに決まっている。
が、はたしてなくなるものだろうか。百年河清を俟つ、というが、
この差別感情をなくすには、百年、二百年では追っつかないような気もする。
そもそも人間は差別する動物で、差別しなくては生きられないからだ。

人種差別、民族差別、宗教差別、性差別、経済差別……。いくらでもある。
身近なところでは部落差別なんていうのもある。
「川向こうの人たちと付き合っちゃダメだよ」
こうした言い方は、こどもの頃によく聞かされた。
当時は意味がよく分からなかったが、今は分かる。
川向こうはいわゆる〝被差別部落〟で、
そこの出身者は同級生の中にもいた。ボクの仲のいい友達も
被差別部落出身者だった。

こうした差別感情というものは、ほとんど無知からくるもので、
精緻に歴史を学べばそうした感情から解き放たれるものなのだが、
なかなかうまい具合にはいかない。

ところでボクの長女は筋金入りのバックパッカー。
世界50ヵ国近く踏破しているが、彼女はこれまた筋金入りの
コスモポリタンだと思われる。生来、人を差別するという感情が希薄なのだ。
相手の色が黒かろうが白かろうが、ごくふつうに付き合える。

アフリカ・ケニヤはマサイ族の部落へ行き、
現地の人がやるように牛の糞だかを平気で舐めた(証拠写真があるぞ)
というのだから、畏れ入ったものである。
ボクは糞だけは舐められない。
文字どおり、ウンがつきそうだからだ(笑)。
その点、娘のほうが人間としては遥かに上等でスケールがでかい。
大人(たいじん)の風さえ感じるのである(笑)。←ほめ殺しだよ!

いつもの親バカの一席でありました。お粗末さま。





←マサイ族の赤ん坊を抱く長女。










2020年6月8日月曜日

アッパッパーを知ってますか?

朝の〝ワン公友達(ワン公を散歩させている人たち)〟の一人に、
「その服って、アッパッパーみたいだね」
といったら、
「なに? そのアッパッパーって? あたしクルクルパーじゃないよ」
と笑い出した。アッパッパーを知らない世代なのだ。

アッパッパーは昭和30年代に流行った女性の簡易服で、
暑い夏に着る木綿のワンピースである。
うちのお袋がよく着ていたから、アッパッパーというちょっとふざけた
名前を耳にすると妙に懐かしい思いがするのである。

フランス文学者の木村尚三郎のエッセイの中に、
アッパッパーを着た日本のおばちゃんが、
パリのエッフェル塔の前の広場にぺたりと座り込んで涼んでいた、
というくだりがあるが、その光景を想像すると、
(しょうがねえなァ……)
と呆れると同時に、つい〝プッ〟と笑ってしまう。
日本人も今の中国人観光客のバッドマナーを笑えた義理ではない。

このアッパッパーという奇妙な名前の由来は、
歩くと裾がパッパッと広がることからついた、という説がある。
元は近畿地方の俗語だったらしい。

洋服のことはよくわからないが、ムームーという簡易服もある。
ハワイ発祥の服で、ハワイアンを歌ったり踊ったりする女性が着ている服だ。
このムームーとアッパッパーとの違いがボクには分らないのだが、
たしかお袋はこのムームーもよく着ていた。
でっぷり肥ったお袋がアッパッパーなりムームーを着ると、
なかなか迫力があった。ああ、会いたいなァ、お袋に。

朝の公園に来る仲間たちは総じて年寄りばかりだが、
ワン公友達は比較的若い。アッパッパーを知らないのは当然なのだ。

ボクの仲間たちはほぼ同じ世代だが、
なかに給食の〝脱脂粉乳〟を知らない男がいる。
還暦はとうに超えていて、同い年で脱脂粉乳を知っているものがいるのに、
彼は知らないという。あの当時、長野県にいて、どういうわけか、
給食にはパックの牛乳が出たという。おれたちより進んでいる。

ボクは山本夏彦の弟子で、人間を2種類に分けるクセも師匠譲り。
つまり、「アッパッパーを知る人間かそうでない人間」か。
そして「脱脂粉乳を知る人間かそうでない人間」かの2種類。

知らないからって差別しているわけではもちろんない。バカにもしていない。
でもあの鼻の曲がるほどまずい脱脂粉乳を飲んだことがないなんて……と、
ある種の同情に近い感情は持っている。あんな貴重な体験をしていないなんて、
可哀そうなやつ、という憐れみは抱いている(笑)。

「そんなもん、大きなお世話だろ!」
と非経験者は反発するにちがいないが、
貧しさを知らないものが真の豊かさを知らないように、
戦争に負けて、牛や豚の餌である脱脂粉乳を、「アメリカさん、ありがとう」
と感謝の念をもって飲まされた我々の、言葉に言い表せないような屈辱感は、
なかなか分かってもらえないだろう。

もちろん小学生のガキだったあの頃の自分が、戦争に勝った負けたなどと、
難しいことは分からなかった。日本の社会そのものが貧しさに耐えていて、
恩着せがましく脱脂粉乳を施してくれたアメリカの〝善意〟とやらを心から
信じていた。建前上は「ユニセフ」からの贈り物、てなことになってたけどね。

それにしてもあの脱脂粉乳、何と言おう、恐ろしくまずかった。
アルマイトのボウルに入っていて、残す子がいると先生に
無理やり飲まされ、泣きながら飲んでいた。

アッパッパーといい脱脂粉乳といい、まだ日本が貧しかったころの
風俗であり飲み物だ。

昭和27年2月生まれのボクは、勝手に〝戦中派〟を自任している。
何をバカなことを、と真の戦中派は怒るかもしれないが、
国際法上はボクの言い分のほうが正しいのである。

サンフランシスコ平和(講和)条約が発効するのが昭和27年の4月28日。
この日をもってめでたく戦争状態が終結し、日本に主権が回復するわけだが、
ボクはその2カ月も前に生まれているので、戦時国際法の上では〝戦時中〟
ということになる。戦中派を自称しても何ら問題はないのだ。

戦後間もない頃の貧しさを知っている我らが世代も、
いよいよ人生の終盤にさしかかり、「終活」なんて言葉も
ふつうに使われるようになった。あんまり好きな言葉ではないが、
人生の黄昏時を迎えていることは確かだろう。

アッパッパー姿のお袋に会えるのも、もうじきだ。



←男の子は丸刈り、女の子は
オカッパ頭。さあ、待ちに待った
給食の時間だ。おいしい脱脂粉乳だよ。
誰だ、「脱脂糞尿」だなんて言うやつは!





2020年6月1日月曜日

寛美や志ん生の芸が懐かしい

加齢とともに食べものの好みが変わっていくように、
テレビ番組の好みも変わっていく。
近頃、面白いと思わせる番組が極端に少なくなった。
バラエティーやドラマなど、若い人は面白がっているのかもしれないが、
古稀目前の老人には少しも面白くない。

たとえば「ワイドショー」と呼ばれる番組がある。
司会を務めているのはたいがいお笑い系のタレントである。
「バラエティー」も同じ。司会も出演者たちのほとんどがお笑い系で、
場合によってはコメンテーターと呼ばれる人たちの中にもお笑い系が混じっている。
日本のテレビ番組は今、お笑い系と〝オカマちゃん〟の天下なのである。

だから、どのチャンネルを回しても〝ゲラゲラ、ガハガハ〟という
バカ笑いしか聞こえてこない。その笑いも〝高次〟のそれならまだ許せるが、
ほとんどが駄ジャレに毛が生えたような低次のものばかり。
このレベルで〝ゲラゲラ〟と大口あけて笑っているのだから、
番組の質が知れる。

予算の問題もあるとは思うが、番組制作者の質も相対的に落ちているのではないか。
お笑い芸人やタレントを使えば、終わりまでなんとか番組をもたせてくれる。
それに終始和やかな雰囲気も作ってくれる。

『鶴瓶の家族に乾杯』といった旅番組やローカル路線バス乗り継ぎの旅といった
番組も同じで、お笑い系のタレントを混ぜることで、現地の人たちとの交流を
明るく和やかなものにしている。その意図するところは分からないではないが、
ここまでお笑い系が出しゃばってくると、ボクみたいなへそ曲がりは
「つまらない笑いはもうけっこう」と拒否反応を示したくなってしまう。

特に鶴瓶がきらいなボクは、鶴瓶がテレビCMに出てくるだけで
反射的にチャンネルを変えてしまう。ウド鈴木や石塚英彦もダメ。
石塚の目を細めた見え透いた作り笑いを見ると、
「ウェーッ、またやってるよ」
これまたチャンネルを変えてしまう。

お笑い系というのは、かつては芸能界の中ではランクがずっと下だった。
藤山寛美が全盛期の時でさえ、町で見かけた子供が
「お母ちゃん、見て、寛美だよ!」
と指さしたりすると、
「おやめ、指が腐る」
と叱ったとか。芸人と堅気が峻別されていた時代の話である。
芸人には芸人の「分」があり、客には客の「分」がある。
その「分」をわきまえろ、というわけだ。

そんな時代から比べると、芸人たちの地位は上がり、
お笑い系の芸人も、お天道様の下を堂々と歩けるようになった。
こんなふうに書くと、職業差別はいけない、と反発するムキがあるだろうが、
「差別」ではない、「区別」をしている。

虚業で得た金は所詮あぶく銭で、堅気の衆が汗水たらして働いて得た金とは
まったくの別ものだ。そのことを知っていた寛美は、その日に入った金は
その日のうちに使った。狂ったように使った。
お金というものは蓄財したりすると〝ふつう〟の金に似てくる。
それじゃあ堅気衆の立つ瀬がなかろうと。

時代遅れかもしれないが、ボクは〝分際を知れ〟という言葉の重みを
知っているつもりだ。どんなに人気のある売れっ子でも、
「錦着て布団の上の乞食かな」という視点は忘れてはいけない。
ボクはそう思うのだ。

というわけで、芸人ずれと同じ穴の狢でもある〝物書きずれ〟の
ボクも、10万円の給付金は狂ったように使うつもりでいる。
現にもう使っている。蓄財なんて芸人の風上にも置けない、
というわけである。

お笑い芸人たちとは、互いに〝虚業〟同士。
シンパシーは感じるのだが、近頃の芸人は芸の質があまりにお粗末すぎる。

ああ、古今亭志ん生や三遊亭圓生の磨き抜かれた笑いが懐かしい。
あれほどまでの高次の芸を演じられる芸人が今どきいるだろうか?
ハッキリ言ってしまうが、レベルが違いすぎるのである。

戦後70有余年、平和続きで芸人の芸も吹けば飛ぶような軽い芸に
成り果ててしまっている。戦中派の志ん生や圓生の芸はいぶし銀の
輝きを放っていたが、今の芸人の芸はすぐにメッキが剥がれてしまう。
芸に人間的な深みが投影されていないからだ。
百年河清を待っても、たぶん追っつかないと思う。