2019年8月30日金曜日

世の中にたえて鶴瓶のなかりせば……

NHK総合に『鶴瓶の家族に乾杯』という番組がある。
笑福亭鶴瓶がゲストと共に旅をし、知らない街を散策しながら
地元の人たちとふれ合う、という紀行・バラエティ番組である。
放送開始以来23年も続いているというから、人気長寿番組の一つなのだろう。

鶴瓶はボクと同年の67歳。人懐っこい笑顔が特長で、
「あのクシャっとした笑顔に癒される」というファンも多いと聞く。
タレントの石塚英彦(ホンジャマカ)も同類で、クシャクシャっとした笑顔を作ると、
いかにも好人物、という印象を受ける。

さて飲み仲間のYさんは大阪生まれ。「鶴瓶は好きかい?」と訊いてみたら
「好きだね~。面白いもの。鶴瓶の出てる番組はたいがい見てるよ」
とのこと。関西生まれはやはり関西人のお笑いが性に合っているようだ。

Yさんには申しわけないが、ボクはこの鶴瓶というタコ顔の男がきらいである。
『家族に乾杯』の中で、見ず知らずの人の家に入り込み、
「奥にいる爺ちゃん呼んできて!」
などと偉そうに命じている。このタコ男、いったい何様だと思っているのか。
あたしが奥にいる爺ちゃんだったらタダじゃおかない。

有名人のおれ様がわざわざ訪ねてきてやったんやから感謝せえよ、てな調子である。
あのいけ図々しさは大阪人特有のものなのか、東夷(あずまえびす)のあたしには、
サッパリ理解できまへんわ。

ハッキリ言うが、鶴瓶も含め関西系のお笑いタレントは少しも〝笑えない〟。
というか、ちっとも面白くないのだ。鶴瓶はCMなどにも起用されているが、
あのクシャっとした作り笑いを見るたびに、
「気色わるいやっちゃな、こいつは」と思ってしまう。

あのダミ声もきらい。風采もパッとしない。
おまけに箸の持ち方がメチャクチャで、食事作法に品がない。
育ちの悪さがぜんぶ出てる、といったら言い過ぎか。
今流行りの〝コミュ力(コミュニケーション能力)〟
は少しはありそうだが、東夷にはどうにも気持ちがわるい。
もし鶴瓶に一片の面白味があるとしたら、関西など〝地域限定〟のもので、
関東はもちろん外国などでは通用しないような気がする。

顔わるい、声わるい、目つきがわるい、品がない、図々しい、
汚らしい、見た目が愚鈍そのもの、標準語が話せない……ときたら、
いいところは一つもないが、実際、どう贔屓目に見ても、
評価すべきところが一つもないのだからしかたがない。

それに鶴瓶はつむじが左巻きだ。かつてこんな発言をしている。
「違憲という人がこれだけ多いのにもかかわらず、何しとんねん!」
自民党が国会を通そうとした通称「安保法制(正式には平和安全法制)
に対して、鶴瓶が発した難クセである。

言っちゃ悪いが、鶴瓶ごときに何が分かる。
「戦争は絶対しちゃだめ!」などと言っているが、
そんなことは当たり前ではないか。じゃあ、戦争を未然に防ぐためには
どうしたらいいのか、国土防衛の具体策を挙げてくれ、と問われたらどうする。
まさか半世紀前に社会党が唱えた〝非武装中立〟だなんて妄言を
引っ張り出すんじゃないだろうね。

餓狼(がろう)のような国に囲まれている悲しき日本である。
十年一日のごとき野党の、
紛争は「話し合いで解決すべきだ」という言い草じゃあ通らんだろ。

またこのタコ顔の男は、
「竹島なんて、(韓国に)あげたらええやん」
などと放言している。自国領土を平気で譲り渡そうとする非愛国的で未熟な精神。
ロケ隊とともに、この売国奴がわが町に一歩でも踏み込んだりしたら、
六尺棒でなぎ倒してやるから覚悟しておけ!

とまあ、いくぶん芝居がかったセリフでこきおろしてみせたが、
要は鶴瓶という厚かましくも無芸なタコ男が、心底きらいなのである。
あんな気色わるい男、後生だから公共電波にのせないでいただきたい。
もし『家族で乾杯』をまだ続けるおつもりなら、
「NHKから国民を守る党」に一票入れちゃいますからね、お覚悟召され。

       世の中にたえて鶴瓶のなかりせば春の心はのどけからまし




←気色わるいタコ男の鶴瓶



            





2019年8月23日金曜日

坊さんもすなる〝あおり運転〟

あおり運転をしたうえ、相手の運転手の顔をしこたま殴りつけた宮崎文夫容疑者。
「殺すぞ!」と叫びながらこっちに向かってくる様子は尋常ではない。
カモにされた相手の運転手も相当ビビったのではないか。

その話題を団地の仲間たちに振ったら、
「相手の運転手が嶋中さんだったら、宮崎のほうが逆にビビっちゃうんじゃないの?」
「何よ、それ」
「だって、見るからに凶暴そうでガタイもデカいし……ケンカも馴れてるし」
「…………」
「そうだよ。おれが宮崎だったら踵を返して逃げるね。
なんてったって傷害で2回も捕まってんだから、ハンパないよ」
「…………」


仲間のひとりY君は大阪生まれ。宮崎と連れの醜女ガラケーおばさんがとっ捕まった
大阪のマンション前はYの実家の近くだという。現在、妹御が住んでいて、
「あれっ? 犯人の捕まったマンションって、うちの近所とちがう?」
兄のYにラインで緊急のメールを送ってきたらしい。

宮崎容疑者は天王寺高校から関西学院大に進んだエリート。
Yの話だと、天王寺高校から東大や京大へ行く生徒は殊のほか多いという。
関西学院大といえば、わが家も無縁ではない。娘婿の兄が関西学院大アメフト部の
現役コーチなのだ。宮崎のような凶暴な卒業生を輩出したとなれば、
大学としても不名誉極まりないことだろう。

それにしても、宮崎容疑者はよく周囲にこう漏らしていたという。
(自分が乗ってる)ポルシェが軽(自動車)に追い抜かれたりすると無性に腹が立つ」と。
こういう輩って、悲しいけどけっこういるよね。変形した「事大主義」というか、
有名ブランドの持ち物(車やバッグ、時計など)で
自分を大きく見せようとするやつ。

宮崎という男は口を開けば「女と車の話ばかり」で、
ほとんど中身はなかった、と知人たちは口を揃える。
せっかく名門と呼ばれる学校を出ているのに、女と車の話ばかりでは
お里が知れるというものだ。どっちにもさっぱり興味のないボクなんか、
宮崎の目の前で大あくびをしてしまいそうだ。
「てめェ、ぶっ殺すぞ!」
宮崎に凄まれたら〇〇タマが縮み上がってしまう。

それにしても〝あおり運転〟がいっこうになくならない。
1月には大阪・堺市で寺の住職(61)があおり運転をしたうえ、
相手の運転手の胸ぐらをつかんだ疑いで、書類送検されている。
ホトケ様に仕える出家の身であっても、カッとなると何をしでかすかわからない。
悟りを開いたような顔をしていても、きっと野狐禅(やこぜん)のたぐいなのだろう。

坊さんなおもって〝あおり運転〟を遂ぐ。
いわんや俗人をや。






←胸ぐらつかんで〝辻説法〟か。


2019年8月22日木曜日

朝の公園は人間交差点

和光市には東京ドーム4.3個分の広さを誇る「県営和光樹林公園」がある。
ボクはほぼ毎朝、この樹林公園で数時間過ごす。
公園内には1周1キロのジョギングコースがあり、毎朝ジョガーたちが
必死の形相で走っているが、ボクはヒザ痛の持病を抱えているので、
ウォーキングやジョギングはパス。芝生広場で軽い体操や筋トレをやっている。

緑に囲まれた芝生広場には、早朝、愛犬家たちが集まってくる。
広場の端のほうで、リードを外し、思いきり走らせているのだ。
いわゆる〝ドッグラン〟状態。ノーリードは規則違反なのだけれど、
ほんの数十分だけだからと、管理事務所の職員も見て見ぬふりだ。

ボクはこの愛犬家のおじちゃんやおばちゃんたちと、いつの間にか
言葉を交わすようになり、今ではほとんど毎日、おしゃべりに興じている。
犬たちの名はモモ、ユキ、ムツゴロウ、クリス、フクサブロー……といったもので、
犬種もさまざまだ。犬同士も逢うと嬉しいらしく、しっぽを振りながら
じゃれ合っている。その様子がとても可愛く、つい頬がゆるんでしまう。

芝生広場には他に名物の〝紙飛行機おじさん〟たちも来る。
それぞれ自慢の紙飛行機を飛ばしているわけだが、
(いったい何が面白いのかねェ……)
と、ボクにはいまだに理解不能で、自分で作って飛ばしてみよう、
などとは金輪際思わない。あのパフォーマンスも〝自己承認欲求〟の
一種なのかもしれないが、魅力の本質がさっぱり掴めないので、
おしゃべりにはつき合うが、
紙飛行機の飛ぶサマはほとんど無感動のまま眺めている(Nさんゴメンネ)


←この紙飛行機おじさんは
Nさん。もと整骨院の院長で、
自転車レースで名を馳せた人でもある。








公園にはさまざまな人間が集まってくる。
今日初めて会ったおばちゃんは、芝生公園の端っこで本を音読していた。
見ると歌舞伎の口上や〝生麦生米生卵〟といった早口言葉、古典の名句などが
集められている本で、こうした名句を高らかに音読することで、心と身体を
鍛えているという。おばちゃんは馴れないのか、恥ずかしそうに音読していたが、
腹から声を出すのは身体によさそうだ。また暗唱すればボケ防止にもなる。

そうかと思うと、木陰でオカリナを吹くおばちゃんたちがいる。
『蘇州夜曲』『東京ブギウギ』『高原列車は行く』といった懐メロで、
どちらかというと親の世代に流行った曲ばかりなのだが、幼い頃に聴いた
曲調が耳に残っていたので、いっしょに歌ってみたら、おばちゃんたちは
殊のほか喜んでくれた。

毎日顔を合わせれば、自然と「おはようございます」の挨拶が交わされる。
こうして知り合った〝ともだち〟がけっこう多くて、友達の輪がどんどん
広がっていく。幸い、ボクは誰とでも気さくに話せるオープンな性格なので、
彼らも自然と受け入れてくれるようだ。いくぶん残念なのは、知り合いになった
人たちのほとんどがボクより年上で70代、80代の人ばかり。
ほんとうは〝若い人妻たち〟を友達リストに加えたいのだが、
実際は〝年老いた人妻たち〟ばかりで、いまひとつモチベーションが上がらない(笑)。

そうは言っても、鏡に映ったわが身を見ると、紛うかたなき〝おじいさん〟で、
人のことをとやかく言えた義理ではないのだけれど、そこはまだ現役の〝🚹〟
であるからして、ムダな抵抗と知りつつ、一言いってみたいのである。

朝晩、ようやく涼しくなってきた。
明日も、また明後日も、樹林公園で〝若い人妻〟探しの旅が続くだろう。
ホンにご苦労なこった。


←やや〝若い人妻〟(笑)。
ワン公は左が「モモちゃん」、
右が「ユキちゃん」。





2019年8月13日火曜日

人生は悲しみひとつ

飲みすぎと夏バテが重なって体調がチョー悪し、という感じだったので、
命を護るため高らかに禁酒宣言を発した。

で、どうなったかというと、2日間の完全禁酒に成功した。
大方の予想では「1日だってムリでしょ」が大勢を占めていたから、
2日も禁酒したら大成功である。あんまり嬉しいものだから、
ここ数日、仲間たちと祝い酒に興じている。

先日、ボクの親友が膀胱ガンで亡くなった。まだ60代半ばである。
最愛の夫を失った奥方は、
「もう二度とあの笑顔に会えないのかと思うと心底辛い。そしていまだに
そのことが信じられない」と嘆いていた。
また友人Nの娘婿はすい臓ガンと診断され、Nはほとんど絶望している。
婿さんはまだ40代。子供も3人いる。サイレントキラーと呼ばれるすい臓ガン。
めったなことは言えないが、生還を祈るしかない。

ボクの愛読書でもある『The Little Prince』の中に、王子がいろんな星を
訪ねるシーンがある。その中の一つは酔っぱらいの住む星だった。
王子様は酔っぱらい男にこう尋ねる。
❛What are you doing there?❜
酔っぱらいは悲しそうな顔してこう答える。
❛I am drinking,❜
❛Why are you drinking?❜
と重ねて訊くと、この酔っぱらいは、
❛So that I may forget,❜と答える。
王子はやや同情気味に、
❛Forget what?❜と訊けば、酔っぱらいは、
❛Forget that I am ashamed,❜と首うなだれながら答える。
王子はなおも、
❛Ashamed of What?❜と訊く。
酔っぱらいは、こう答えて口を閉じた。
❛Ashamed of drinking!❜

酔っぱらいの気持ちは半分わかる。
辛いこと、悲しいこと……生きていれば「愛別離苦」は誰にだって訪れる。
宗教家の紀野一義は、人の生涯は〝悲しみ一つ〟と思いきわめろ、と言っている。
「親鸞は〝悲しみをよく知る人〟であった。悲しみをよく知る人でなくては
大勢の人を幸せになどできないのである」

人生は悲しみひとつ。
そう思いきわめれば、
そこはかとない無常観に包まれ、
生きとし生けるものに対して優しい眼差しが向けられる。
ボクが求めている境地はココなんじゃないか。
悲しみを根っこに持つ明るい無常観、とでもいうべき境地なのではないか。
 

今の瞬間が幸せでも、次の瞬間は不幸の淵に立っているかもしれない。
一寸先は闇で、突然の輪禍であの世に逝ってしまうかもしれないのだ。
現にそんな事件や事故が後を絶たない。

酒を飲みながらそんなことにのべつ思いをめぐらせているわけではないが、
「苦い酒」「悲しい酒」の味だけは心に刻んでおいたほうがいい。

星の王子様は酔っぱらいが住む星を去る時、こんなふうに呟く。
❛The grown-ups are certainly very , very odd,❜