2020年3月19日木曜日

〝ピンピンコロナ〟はごめんです

〝ピンピンコロリ〟ならぬ〝ピンピンコロナ〟で逝っちゃうとなると、
さすがの〝ピンコロ〟も理想的な死に方とは言えなくなる。

どこの国も緊急事態宣言とやらで、不要不急の外出が禁じられている。
日本はまだよいほうで、ボクなんかマスクもせずに不要不急の外出に
いそしんでいる。といっても電車に乗って都心に、とか、レストランで
豪華な食事を、というのではない。団地の周りや近所の公園を、
まるで犬の川端歩きさながらにウロウロしているだけなのだ。

毎週通っていたプールも休館で、運動不足のボクには大打撃。
膝痛のためウォーキングすら満足にできないボクにとって、
水泳だけが命の綱だったのに、まことに残念至極。しかたがないから、
夢遊病のワン公みたいに団地の周辺をプラプラ歩いているのである。

コウモリやハクビシンのスープ、コブラの揚げ物などをふつうに食べている、
という我らが隣人たち。聞けばコウモリは広東料理では高級食材なのだという。
ネットで〝コウモリ スープ〟で検索し、画像や動画を見てみると、
おどろおどろしい料理が目に飛び込んでくる。
こんな気味の悪いものを食べるのかよ……中国や東南アジアの国々では
若い女性でもコウモリの料理にかぶりつくというから、
人間の「食」への欲望にはすさまじいものがある。

四つ足であればテーブル以外はみな食ってしまう、という中国人。
彼らがヘビだろうとネズミだろうと、何を食おうと知ったこっちゃないが、
野生動物から妙なウィルスが媒介されるとなると、「おい、ちょっと待ってくれ!」
と言いたくなる。お前さんたちがピンピンコロナであの世へ行くのは勝手だが、
世界中にこのウィルスをまき散らした挙句に、
「感染させたのはおれたちじゃない、アメリカ軍が怪しいんだ」
などと白を切られた日にゃ、感染させられたおれたちは、
いったいどこに怒りをぶつけりゃいいのだ。

人間、切羽詰まってくると、今まで心の奥深くに押さえつけていた差別感情
みたいなものが一気に噴き出してくる。ヘビやネズミ、昆虫など「ゲテモノ」
をふつうに食しているアジア人は不潔で野蛮、といった欧米人の差別的な感情だ。
食文化なんていうものは、何が野蛮なのか一概には決めつけられない。
欧米人が好む仔羊(ラム肉)料理だって、見方によれば「ずいぶん野蛮じゃないの!」
ということだってできる。ヘビやネズミを使った料理が野蛮とは限らないのだ。

この新型コロナウィルスによる狂騒劇であぶり出されてきたのは、
人間は総じて偽善者ぶるのが好き、といったものだ。ふだんは理性で
〝心の暗い部分〟を押さえつけてはいるが、のっぴきならない事態に直面すると、
その押さえつけていた感情が堰を切ったように流れ出てくる。

ボクたちは「蜂の子」を食べたり、イカやシロウオの踊り食いを楽しむが、
欧米人の目にはひどく残酷で野蛮に映るらしい。そんな日本人が、
中国人のゲテモノ食いを非難できるのか、といった議論だってあろう。
食文化に関しては、つまるところお互い様なのだ。

新型コロナウィルスによって、ウィルスだけでなく「人間不信」も蔓延している。
電車内で咳をしただけで非常ボタンを押されてしまうのだから、マスクに
「私は花粉症です」とか「喘息持ちなんです」と印字するハンコがバカ売れ
するのも頷ける。さて、花粉症でも喘息持ちでもないボクは、咳が出そうに
なったら、自分の〝無実〟をどうやって訴えたらいいのだろう。
ゲホッ、ゴホッ、コホッ……。



←ボクは「すっぴんです」
にします。







2020年3月14日土曜日

イタリアがんばれ!

30年ほど前、イタリア北西部の4州(ロンバルディア、ピエモンテ、リグーリア、
ヴァッレ・ダオスタ)を取材で経巡ったことがある。期間は約3週間。レンタカー
を借り、通訳とカメラマンを引き連れ、右側通行の馴れない道をおっかなびっくり
走ったのである。

取材は『ミシュランガイド』に載っている星付きレストラン(1つ☆~3つ☆)を
めぐり、取材撮影したものを記事にして、豪華グルメ本の全集を出しましょう、
というバブル景気の金余りをそのまま本にしたような企画だった。
味覚音痴のボクなんかにつとまるのかしら、と不安でいっぱいだったが、
もっともらしく書くのがボクの得意技なので、なんとか重い職責を果たすことができた。



←3つ星の『マルケージ』を記事にしたもの。










その北イタリアが、いま大変なことになっている。
現在、新型コロナウィルスの感染者が1万5000人を超え、
死者は1016人(3月13日現在)となった。北部3州だけで死者の90%を占める、
というのだから尋常ではない。

この急速な感染拡大を受けて、イタリア政府は8日、ミラノ、ヴェネツィアなどを
含む北イタリアを封鎖するという首相令を発令、1600万人に移動制限がかけられた。
命令に従わないと罰金はもちろんのこと、3カ月~4年の禁固刑が科せられるという
厳しいものだ。しかし、その翌日の9日、今度はイタリア全土の移動制限にまで
発展。この急展開は、医療崩壊を防ぐため、としている。

イタリアは日本と比べて病院の数が少なく、
住民1000人当たりのベッド数が0.7。
日本が13.1、ドイツ8.0、アメリカ2.8、イギリス2.5と比べても異常に少ない。
重篤な感染者がいっぱい出てきたら、すぐにお手上げになってしまうのだ。

イタリアと我が家はなにかと関わりが深い。
長女の留学先は北イタリアはトリノ近郊の小さな町だったし、
ベテラン料理記者の女房は、イタリア料理の取材を最も得意としている。
おまけに少しくらいならイタリア語を解する。
ボクはというと、上記のように取材で訪れているだけでなくプライベートでも
旅行している。また、数年前には長女が世話になったホストファミリーの
長男A君が、友人2人を伴ってわが家を訪ねてきてくれたことも。


←ボクの左隣りがホストブラザーの
A君。みんなよく飲み、よく食った。
酒は日本酒を気に入ってくれた。







先日、長女がホストファミリーのM家に連絡を取ったところ、
まだ今のところ元気にしているが、先が見えないので不安だ、
と嘆いていたらしい。イタリア人はハグしたりキスしたりと
〝濃厚接触〟そのものが文化なので、「2メートル以内に近寄らないで」
といっても、実践するのは難しいだろう。それに規則を平然と破るのが
イタリア人気質。ボクはそんなちゃらんぽらんなイタリア人気質が大好きなのだが、
さてさて感染が終息に向かうのはまだまだ先のようである。
Forza Italia!! イタリア、がんばれ!

ところで、豪華グルメ本全集(全12巻、12万円)のその後だが、
本が発刊される頃にはあいにくバブルがはじけ、一気に不況のただ中に。
全集はまったくといっていいほど売れなかった。
とんだくたびれ儲けだったが、星付きレストランで毎夜豪勢な料理を堪能できたのは
生涯の思い出。一回の取材費で300~500万円くらい使い放題だったのだから、
もうめちゃくちゃである。

ボクはその後、スペインとドイツでも同じような取材で豪遊してきたので、
トータルでは1000万円以上散財したことになる。
日本人が狂喜乱舞して常軌を逸してしまった、あのバブル景気はいったい
何だったんでしょうね。



←陽気なイタリア野郎たちと
大合唱。それにしてもよく飲み、
よく食った。みんなヒゲ面だから
ヒゲ面4人男って感じ。












2020年3月3日火曜日

血は水よりも淡し

血は水よりも濃し』と西諺にあるが、果たしてそうだろうか。
ボクには『遠くの親類より近くの他人』という戒めのほうが断然しっくり来る。

〝男女男男〟の4人兄弟。ボクは次男坊で、年の差はみな2つ違いだ。
両親が存命中は実家(今は長兄が継いでいる)のある川越へよく通ったが、
母が9年前に逝ってからはすっかり無沙汰が続いている。
そして65歳を機にボクが一方的に終活のための〝年賀状スルー〟を宣言したら、
ますます疎遠になってしまった。〝年賀状スルー〟は兄弟だけに限らない、
仕事関係から友人知人まですべての関係者に及んでいる。

実家から足が遠のいたのは、いくつか理由がある。
その一つは長兄との意思疎通がうまくいってない、というもの。
決して兄弟仲が悪いというわけではないが、さほど良いとも言えない。
可もなく不可もなく、といったところで、兄弟なんて所詮こんなもの。
ボクはごくごく〝世間並み〟ではないか、と勝手に思っている。

こどもの頃はいざ知らず、独立して一家を構える年頃になると、
自然と兄弟との行き来が疎遠になる。せいぜい正月や法事の席などで
顔を合わせるくらいが関の山で、『去る者は日日に疎し』ではないが、
どんなに仲のいい兄弟でも、物理的に遠ざかってしまえば日ごとに交情は
薄れてしまう。これはもうしかたのないことだろう。

兄弟が頼りにならないというわけではない。
しかし、いざとなったら〝近くの他人〟すなわち近所の仲間たち
のほうがよほど頼りになるのではないか。幸いボクには気のおけぬ仲間が
いっぱいいる。1600世帯(約5000人)というマンモス団地の住人だけに、
友だちに不自由することはないのである。

その証拠に、わずか100㍍先にあるスーパーへ買い物に行くだけで、
10㍍歩くごとに知り合いと立ち話を交わしている。顔見知りが多いから、
「どう? 元気にしてる?」に始まって、つい世間話に花が咲いてしまうのだ。
そのため肝心のスーパーになかなかたどり着けない。細胞がすっかり
〝オバサン化〟しているため、延々と中身のない話に打ち興ずることなど
〝お茶の子さいさい〟なのだ。

ボクの父はどちらかというと非社交的な人間だった。が、母は真逆で、
姐御肌のきっぷのいい肝っ玉母さんだった。その血を半分引いているためか、
ボクも開けっぴろげで気さくな性格ですね、とよく言われる。
フランクでopen-mindedなところがボクのたった一つの長所で、
それは外国人であっても例外ではない。言葉など通じ合えなくとも、
まったく気にしない。おかげで、団地に住むイギリス人やフィリピン人、
アメリカ人のおばちゃんとも仲がいいし、近くに住むオーストラリア人とも
すこぶる仲がいい。

2つ上の姉はボク以上に開けっぴろげな性格で、
誰に対しても馴れ馴れしい。電車の中でも、
隣りに座った知らない人に、
「あのさァ、近頃めったなことじゃ咳なんかできないわよね」
みたいな〝ため口〟で話しかけるのだから、尋常ではない。
「な、何なの、この厚かましいオバハンは?」
誰もが戸惑いを隠せないらしい。

ボクはそこまで重症ではないが、馴れ馴れしいところは似ている。
初めて会った人でも、十年の知己のごとくしゃべれる、
というのがボクのよいところなのだ(←自画自賛するな!)

「顔立ち」は生まれつきのものだが、「顔つき」は自身がつくるもの
と古人は言った。性格だって年を重ねれば変わってゆき、
親から受け継いだものにさらに磨きをかけることだってできる。
その意味では、ボクはだんだん完成度の高い性格になりつつあり、
このままいけば〝ホトケ様〟のような人格になりそうな雲行きなのである。
つまりはボクが理想とする「即身成仏」ってことだ。

実際、朝起きて、気がついたら?〝ホトケ〟になっていたりして。
南無……。