2020年1月29日水曜日

腎虚な日々

近所に「うけら庵」というちっぽけな史跡がある。
江戸の末期、文人墨客が集まっては歌詠みの会を催したところで、
狂歌師として名高い大田南畝(蜀山人)も足しげく通ったという。

蜀山人作の狂歌としてボク好みなのは次のようなものだ。

   世の中は 色と酒とが敵(かたき)なり どうか敵にめぐりあいたし

また、こんなのもある。山梨県側から見る富士山と
静岡県側から見る富士山のどっちが好き? というものだ。
ボクの女房は静岡県生まれだから、もちろん静岡県側から見た富士の肩を持つが、
蜀山人はこんなふうに詠んでいる。

   娘子(むすめご)の 裾をめくれば富士の山
          甲斐(かい)で見るより 駿河(するが)いちばん
 
かなりきわどい表現で、顔をしかめるムキもあるとは思うが、
道徳の標語ならぬ狂歌ですからね、堅いことは言わずに歌を味わってくださいな。
「〝嗅ぐ〟のか〝する〟のか」だが、まあ、こればっかりは好きずきで、
勝手にしてくれという話だろう(笑)。

さて富士山ついでに、こんどはリンゴの話。
「紅玉」というリンゴは今でも売られていて、かつては「国光」
と並ぶリンゴの両横綱だった。この紅玉、新しい品種として生まれた時、
艶々とした赤いリンゴなので、紅(くれない)が満ちみちている、という
意をこめ「満紅」と名づけられた。

ところが八百屋の店先でいざ売る段となり、店のおやじはハタと困った。
「奥さん、マンコウいかがですかァ。真っ赤に熟れたマンコウはいかがですかァ」
「あら、ほんにおいしそうな〝おマンコ〟だこと……」

なんて言えないよね。奥さん連中から平手打ちを食わされそうだ。
で、「満紅」はめでたや「紅玉」という名に変わったという。

腎虚(じんきょ)」という言葉があるのをご存じか。
精力減退を指す言葉で、腎臓の機能不全の意だ。
江戸の昔、精液は腎臓で作られると信じられていたらしい。
だから精液のことを「腎水」ともいった。
その腎水が空になるから腎虚。

逆に精力絶倫を「腎張(じんばり)」といった。
俳人の小林一茶は名うての腎張で、52歳の時に28歳の女房を娶(めと)った。
初婚である。人生50年の時代に52歳まで独身だった、というのも珍しいが、
その遅れを取り戻そうとしたのか、性交の頻度がすさまじかった。

ご苦労なことに、一茶は女房と何回まぐわったかをきちんと日記に記している。
これは54歳の時の日記から一部を抜き出したものだが、
8月18日 夜3回
8月19日 昼夜3回
8月20日 昼夜3回
と、狂ったように励んでいる。

    やせ蛙 負けるな一茶 これにあり

有名な句だが、不謹慎ながら若妻相手に奮闘する一茶の姿がついダブってしまう(笑)。
しかしこの句は、晩婚の末に生まれた長男が虚弱体質だったことから、
その息子を励ますために歌った句とされている。父子ともども、がんばれ!



←「小学館」の雑誌『サライ』に投稿した
記事。〝うけら庵〟と蜀山人の関わりから
コーヒーの今昔を綴った

2020年1月18日土曜日

「見かけより中身」はウソ。人は見た目がすべて

文芸評論家の小林秀雄は〝真贋〟にうるさかった。
ある時、友人の前で良寛の作という詩軸を自慢げに披露したのだが、
贋作だよと言下に否定されてしまう。小林はすぐさまそばにあった
名刀の一文字助光を抜き放ち、この掛け軸を十文字に切り裂いてしまう。
友人は歌人・書家として知られる吉野秀雄。吉野は良寛の研究家でもあった。

書画骨董は煩悩の世界と言っていい。もちろんニセ物が多数横行していて、
素人はつい引っかかってしまう。おのれの審美眼に絶大な信頼を置いていた
小林だが、みごとに贋作をつかまされ、自身の未熟さと業の深さに絶望する。

その小林の弟子筋でもある作家の白洲正子は、
人は、見た目がすべてよ
と明言している。白洲は美術評論家・青山二郎の愛弟子で、
書画骨董の目利きでもある。その目利きが、
人間は見た目がすべて、それ以上でも以下でもないと断言している。

人はよく、
「見損なってもらっちゃァ困るぜ!」
などと見栄を張りたがるが、白洲の前でこんなセリフを吐いて強がっても
一蹴されるだけだろう。

ボクも小林秀雄の弟子を自任し、若い時分は全集にどっぷり浸かり、
寝ても覚めても〝ヒデオ・命〟で過ごしてきたクチだから、
真贋に関してはちとうるさい。
目つき・顔つきのよろしくない人物は、たとえ有能で社会的な地位の高い人で
あっても評価は辛口、という主義なのである。
職業に貴賤はない。が、人間には貴賤がある」という考え方だからだ。

第16代のアメリカ大統領・リンカーンにはこんなセリフがある。
〝Every man over forty is responsible for his face〟
40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て、という有名なセリフだ。
リンカーン曰く、人間の顔にはその人の知性や品性、考え方といったものが
余すところなく表れてしまう。人の内面に育まれてきたもののすべてが、
ウソ偽りなく顔の表面に滲み出てきてしまいますよ、
というのだから恐ろしい。

日本でも古来より、
顔立ちは生まれつきだが、顔つきは自身が作りあげるもの』
というような言い方がなされてきた。
立派な顔になりたかったら立派な人間になれ、ということだ。
けだし名言・至言というべきだろう。



元台湾総督府民政長官・外務大臣
などを務めた後藤新平。(いい顔してるなァ)
といつも思う人がこの男。政治家で自民党
副総裁だった椎名悦三郎は後藤の甥っ子に当たる。





自戒を込めて言うのだが、
「こいつはニセ物野郎のコンコンチキだ!」
と軽んじられ侮られないような顔になりたい。
もう手遅れだよ、という声も聞こえてきそうだが、
もう少しだけ頑張ってみるつもりだ。





←白洲次郎&正子夫妻。
旧白洲邸(武相荘)にて。
この武相荘は一度訪ねたことがあるが、
簡素で渋~い田舎家だった










2020年1月2日木曜日

Foorinより島津亜矢のほうが断然いい

晦日も正月もいっこうに面白くない。
テレビを観ればバラエティばかりで、面白くもなんともないのに
出演者自らが〝ゲラゲラ〟とバカ笑い。視聴者そっちのけの
「自己完結型バカ番組」というわけだ。大晦日の紅白歌合戦も、
もう20年以上観ていない。芸の未熟な若手歌手の歌や踊りに
つき合わされた日にゃ、明ける年も明けなくなってしまう。
学芸会に毛が生えたようなあんな幼児番組、それこそ日本の〝恥っさらし〟。
即刻やめてくれ、とNHKに申し入れをしたいくらいだ。

初詣は近くの神社に行く予定だが、今年から門松やしめ縄等の焼却、
すなわち「お焚き上げ」が禁止されるという。そもそもお焚き上げは
野焼きに分類され、法律・条令で禁止されているのだという。
特にダイオキシン類など有害物質が発生するため、近隣への健康被害
が心配され、禁止している自治体は多いという。

じゃあ古い御札やお守りはどうすりゃいいの?
ふつうの一般ゴミと同じように生ゴミとして出してしまうわけ?
あれをやっちゃあいけない、これをやっちゃあいけないと、
ご時世とはいえ、ずいぶん面倒な世の中になったものだ。
昔は民家の庭や通りの至るところで落ち葉焚きをやっていて、
ついでにサツマイモが焼かれ、子供たちが焼きあがるのを心待ちにしていた。
わが家の庭でもよく焚き火にイモをくべたものだが、
今それをやったら隣り近所から苦情が出て、警察に連絡されてしまう。

♪垣根の垣根の 曲がり角
 たき火だ たき火だ 落ち葉焚き
 「あたろうか」
 「あたろうよ」
 北風 ぴいぷう 吹いている

 さざんか さざんか 咲いた道
 たき火だ たき火だ 落ち葉焚き
 「あたろうか」
 「あたろうよ」
 しもやけ お手々が もう痒い

ダイオキシンの健康被害といわれれば、なるほどと従わざるを得ないが、
冬の風物詩でもあった「落ち葉焚き」が消えてしまうのはいかにも淋しい。

ダメといえば大晦日の「除夜の鐘」がうるさいと、近隣からの苦情を受け、
深夜の鐘撞きをやめてしまう寺もあると聞く。代わりに昼間鐘を撞くらしい。
年明けを挟んで108の煩悩を梵鐘を撞くことでお祓いをする。除夜の鐘の意義は
そういうことなのだが、そのことを知ってか知らずか、ただ「うるさいから」
と苦情を言うクレーマーたち。風鈴や鈴虫の音がうるさいという人も出てきて
いるから、今や風流もヘチマもないのだ。日本人の繊細な感性が欧米人並みに
粗雑になってきたのだろう。

『紅白歌合戦』なんてもうやめちまえ、とボクは書いた。
1年の締めくくりの大晦日の夜に黄色い歓声など聞きたくない、というのもある。
赤組のAKB48ならまだ許せるが、日向坂46だとかFoorin、白組のKing Gnuだとか
GENERATIONSとなると、もうサッパリ。見たことも聞いたこともない名前で、
おじさんとしては、
(ああ、おれは21世紀に生きてないな……)
としみじみ思い、ひときわ老いを感じてしまう。

どっちかというと『紅白』の裏番組『年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京)
のほうが嬉しい。圧倒的に歌のうまい島津亜矢や福田こうへいが出演しているし、
市川由紀乃や丘みどりといった色っぽい女性陣も出ている。本格派の歌手が
裏番組で、学芸会レベルの歌手が本命の『紅白』というのでは、
順序があべこべではないのか。若い層が演歌を聴かないからというだけで、
演歌歌手を他局に追いやってしまうのはどこかおかしいのではないか。

いずれにしろ、ボクは『紅白』などという低俗番組は金輪際観ない。
青臭い未熟な歌手の歌を聴いていると、自分が限りなくバカになってしまう
ような気がするのだ。ボクの孫は保育園で「パプリカ」を歌い踊っている。
きらいな曲ではないが、所詮大人の鑑賞に堪えられる歌でもない。
そんな幼児に好まれそうな歌が、2019年度の日本レコード大賞に選ばれた。
ボクのテレビ離れ、歌離れにますます拍車がかかるような気がする。






←レコード大賞に輝いたFoorin。
とってもかわいいよ。でも『紅白』
ではなく幼児番組で活躍してね。