You don't know what you have until it's gone.
失ってみて初めて何が大切なものだったかが分かる。
いま、この言葉をしみじみ噛みしめている。
失うものは多々あるだろうが、大切に想う人を病気や事故、
災害で突然喪くしてしまう、などというのが一番こたえるかもしれない。
ボクの飲み友達のYさんは、去年の夏、最愛の奥さんをガンで亡くしてしまった。
その嘆きようは尋常一様ではなかった。
ふだん、当たり前のように身近に転がっている幸せ。
しかし、あまりに当たり前すぎて、そのありがたみに多くの人は気づかない。
ボクの愛読するサン=テグジュペリの『星の王子さま』の中に、
キツネの言葉としてこんなセリフがある。
What is essential is invisible to the eye.
(大切なものはね、目に見えないものなんだ)
ボクは今、右腕が利かない。
頸椎の一部の骨が異常に肥大し、神経根を圧迫しているものだから、
運動神経の信号回路がプツンと遮断され、右腕が動かなくなってしまった。
治すには頸椎の骨を削り、さらに骨盤から採取した腸骨を移植しなければならない。
神経回路が集中する頸部だけに、手術の難度としてはけっこう高いらしい。
担当医もその成否は「やってみないことにはわからない」と言葉を濁している。
これではますます迷いが深まるばかりだ。
「左の腕がまだあるだろ。あるだけマシだ」
と言われれば、たしかにそうで、世の中には五体不満足な人がごまんといる。
脚や腕がなくたってパラリンピックで走ったり泳いだりしている人がいるのだから、
右腕が利かないくらいでメソメソするな、と言われれば言葉がない。
(もう一生泳げないのだろうか……)
そう思うと、映画『ウォーターボーイズ』のモデル校の、それも水泳部出身者
としてはけっこう辛いものがある。シンクロこそしないが、膝の故障で走れない
ボクにとって、水泳は唯一残された得意スポーツだった。
(この先、孫に泳ぎを教えたり、キャッチボールすることもできないのだろうか)
それにギターだって、もうまともに弾けやしない。
何の因果なのか、このままの状態ではつまらぬ老年期になり果ててしまう。
「青年」という言葉があるのなら、「老年」はむしろ「玄年」と呼ぶべきだろう。
青春、朱夏、白秋、玄冬……玄冬の「玄」というのは、ただの真っ黒ではない。
暗くて黒い中にも、かすかな赤みが差していて、そこから何かまた新しいものが
始まる、といったニュアンスなのだという。「幽玄」とか「玄妙」という言葉が
あるが、そのイメージは荒涼たる闇といったものではない。深く艶やかな漆黒、
といった感覚だ。
今は半分身障者みたいなあんばいで、へたをすると廃物になりそうな気配だが、
〝玄年〟を迎えたボクとしては、深く艶やかな老境に入っていけたらと思う。
子どもを叱るな 昨日の自分
年寄り嗤(わら)うな 明日の自分
←今年のステージが最後になってしまうかも。
嶋中労さま
返信削除おはようございます。
一年がはやいもので今日が父親の命日です。また一歩、大人への道を進んだように感じています。
労さまに何かしらの励ましのなるような言葉などを考えてみたのですが、五体満足の人間が想い
浮かぶものなんてたかが知れています。ですが、最近思うようになったことを少しだけ書かせて
いただきます。
それは、神さま佛さまはどこにでもいるのですが、自分が気が付かないだけなのです。
そんなことを教えられた一年だったかな。
みえないものを見つめる生き方がしたいものですね。
ありがとうございました。
ご自愛を。
田舎者様
返信削除映画『風と共に去りぬ』のヒロイン・スカーレット・オハラの最後のセリフが、
Tomorrow is another day(明日は明日の風が吹く)であります。
陽気になる秘訣は、明日はきっと良くなると思い込んで暮らすことだといいます。
その線でやっていきます。ご心配をおかけします。