あの土俵の形はもう少しどうにかならないものだろうか。
土俵の大きさは径4.55㍍(15尺)と決まっているらしいが、
200㌔以上ある逸ノ城(モンゴル人)とか魁聖(ブラジル人)といった
巨漢力士が土俵に立つと、
巨漢力士が土俵に立つと、
(うーん、ちょっと狭すぎるんじゃないの?)
とつい思ってしまう。
力士は年々大型化してきているが、統計によると、
1918年の幕内力士の場合、平均身長が174.6㎝、平均体重は102.9㌔だったものが、
1968年になると、身長が180.9㎝、体重が130.6㌔に増えている。
これが2018年になると、身長が184.2㎝、体重が164.0㌔になっている。
なんと50年で体重が30㌔も増えているのである。
身体が大きくなった分、土俵の大きさを拡げてやったほうがいいんじゃないか、
とボクなんか単純にそう思うのだけれど、日本相撲協会でそんな話が話題に上った
なんてついぞ聞いたことがない。頑ななまでに「伝統」を重んじようとする
日本相撲協会にはハナから変える意思などないのだろう。
いや、そんな考えは思いもよらないのではなかろうか。
いや、そんな考えは思いもよらないのではなかろうか。
百歩譲って土俵の大きさは、まあよしとしよう。
ただ、土俵の高さだけは何とかならないものか。
土俵の高さは34~60㎝が決まりらしい。
2017年の春場所、横綱に昇進したばかりの稀勢の里が日馬富士と対戦した。
この試合で、稀勢の里は日馬富士に寄り倒された際、左前肩と胸部を
しこたま打ちつけ、このケガがもとで引退にまで追い込まれてしまった。
ようやく日本人の横綱が誕生したと思ったら、ケガであっけなく引退してしまう。
地元後援者だけでなく日本じゅうの相撲ファンはさぞがっかりしたことだろう。
もしも土俵が低く、土俵下にクッション性のあるマットでも敷いてあれば、
稀勢の里のケガも軽傷で済んでいたにちがいない。ところが実際は、
崖から突き落とされるみたいな脳天逆落とし。砂かぶりで見ている観客だって
危険がいっぱいだし、何より突き落とされた力士がたまらない。
あの痛みにゆがんだ稀勢の里の顔が今でも目に浮かぶ。
あの痛みにゆがんだ稀勢の里の顔が今でも目に浮かぶ。
今のように土俵を高くしたのは江戸の享保年間だという。
観衆にあまねく見せられるようにと、土俵の土を高く盛ったのである。
これは余談だが、土俵の土は「荒木田土」といって、
もともとは国技館近くを流れる荒川流域で採れた土を使っていた。
もともとは国技館近くを流れる荒川流域で採れた土を使っていた。
が、今は埼玉県川越市で採取された土を使っている。
ボクは川越生まれだが、うかつにもこの事実をまったく知らなかった。
川越の土は粘性が高く砂が適度(30%くらい)に混じっていて滑りにくいのだという。
土の総量は約45㌧。かつて地方場所などは現地で土を調達していたが、
今は両国国技館だけでなく、大阪や名古屋、福岡の各会場まで川越の土を
運んでいるという。
話を元に戻そう。
くどいようだが、力士が大型化すればするほどケガに泣かされるハメになる。
くどいようだが、力士が大型化すればするほどケガに泣かされるハメになる。
ケガの程度を軽くするために土俵の大きさや高さを工夫すれば
力士たちの選手生命も必然的に長くなるだろうに、相撲協会は「伝統ですから」
の一点張りで、力士に寄り添った改善を試みようともしない。
相撲取り同士の暴行事件もそうだが、伝統の名を借りた因循姑息な体質は
今も昔もまったく変っていない。
相撲という特殊な世界に生きてきた人たちが相撲協会を牛耳っているのだから、
社会性がないというのも首肯できるが、時代の価値観は刻一刻と変わっていくので、
そうしたものとの摺合わせはどうしたって必要になる。伝統というものは
新しい価値観を上手に取り入れてこそ、より磨きがかかってくる。
ただ唯々諾々としきたりを守っていればいい、というものではないのだ。
協会幹部たちの〝石頭〟が豆腐みたいにグニャグニャになることを祈ってやまない。
←このDVDは同じD棟に住むHさんの作品。
土俵ができるまでを追ったドキュメンタリーで、
優秀作品賞を受賞したものだ。右はそれを
フランス語のナレーションに変えたもの。
仏語はこれまた友人のT女史(G棟)が担当した。
ボクの周囲には才能あふれる人たちがいっぱいだ。
ボクの周囲には才能あふれる人たちがいっぱいだ。