今年からお中元、お歳暮のやりとりをやめることにした。
女房のほうは今までどおり続けるつもりらしいが、ボクはあっさりやめた。
兄弟親戚、仕事関係、友人知人……毎年、時季が来ればそれなりのものを
みつくろい、「来年もよろしく」と心をこめて荷物を送った。
先方からもまた心入れの品が送られてきた。
生来、古くからの日本の伝統や慣習は尊ぶタチなので、
やめると決断する時は、さすがに迷った。品物を選ぶ手間だって
たいしたことはないし、金額だって知れている。続けるつもりなら
死ぬまで続けられるのだが、ボクは今年が〝潮時〟だと思った。
今年で満65歳。この歳になると、日本では〝前期高齢者〟と呼ばれるようになる。
年金受給者にもなる。それに今春、めでたや初孫(♂です)が生れた。
文字どおりの〝ジージ〟になったのである。
(あと何年丈夫に生きられるだろうか……)
高齢者の仲間入りを果たすと、こんなことまで考えるようになる。
せいぜい15年か、うまくすると20年くらいいけるかもしれない。
どっちにしろ、あっという間の月日である。
ところが、9月頃から身体が変調をきたすようになった。
なぜか右腕が利かなくなってしまったのである。
手指は動くのだが、肘の曲げ伸ばしができない。
腕にまったく力が入らないのである。
心配になり、病院でMRIなどあらゆる機器を使って入念に調べてみた。
結果、頸椎と右腕の付け根の神経叢に異常があることが分かった。
治すにはメスを入れるしかないそうだが、神経が複雑に入り組んでいる
場所だけに難しい手術になるという。
おかげで大好きな水泳ができなくなった。膝に故障を抱え走ることができない
ボクには、水泳が最後の砦だった。10数年来、仲間たちと続けている
キャッチボールもできなくなった。ギターも満足に弾けなくなったし、
箸だって持てやしない。
(65という歳は大きな節目の歳なんだろうか……)
だんだん気分が落ち込んできた。
(腕一本利かないくらいでゴチャゴチャ不平を鳴らすな!)
どこかで生来の利かん気が頭をもたげ、弱気を戒めている。
そうだよな、まだ左腕があるし……五体不満足を嘆くのは男らしくないな。
てなわけで、「65歳潮時説」がいよいよ現実味を帯びてきたのである。
お中元とお歳暮をやめたついでに来年から年賀状もやめることにした。
毎年、相手の顔を思い浮かべながら手書きでびっしり書いたものだが、
これも失礼させてもらうことにした。子供の頃から続けてきたことを
いきなりやめるのは正直つらいのだが、SNSの普及した時代である、
いざとなればメールだって電話だってある。またボクの近況ならブログや
Facebookで十分知れる。
もともと金銭や品物のやりとりを厭う性格である。
相手とは常に対等でありたいと思うあまり、
モノのやりとりでそのバランスが微妙に崩れるのが
生理的にイヤなのである。
そのことをご理解いただけたなら、中元・歳暮・賀状の類は
今後いっさいお構いなしに願いたい。なかには、
「いや、私は勝手に送らせてもらう」
とする奇特な方もおられよう。ボクとしては「お気の済むまでドーゾ」と
言いたいところだが、こっちからは金輪際返礼しないのだから、
ますます心に負担がかかってしまう。そこのところをご理解いただき、
ぜひともご再考願いたい。重ねてお願いする。
さて長々と弁解がましい抗弁をつらねてしまったが、
なにとぞお赦しを。要はメンドウ臭がり屋のワガママ男なのである。
9月頃に似たようなブログを書いたが、不徹底なため再度、ワガママな思いを
一文にさせてもらった。浅学菲才がゆえのワガママと、どうかご寛恕のほどを。
←9月頃、関係者に送ったハガキ
を再度掲載する。
「仁者は憂えず、知者は惑わず」と古人は言った。が、悲しいかな凡夫匹夫は憂えてばかり。おのれの行く末を案じ、家族を案じ、国を案ずる。今宵も浅酌ならぬ深酒に浸り、由なし心に身を砕く。
2017年12月17日日曜日
2017年12月10日日曜日
ふるさとへ廻る六部は……
長女が昨日から泊りがけで来ている。
たったそれだけのことなのだが、妙に心楽しい。
何かおいしいものをご馳走してあげよう、
と主夫歴30年のボクはいそいそと買い物に出かけるのである。
人生にはある年齢にならないと分からない、
といった予定調和的な事実がいっぱいある。
「子を持って知る親の恩」という格言があるが、
親になって初めて分かること、孫を持ってふと気づくこと、
というのがたしかにある。
娘二人が独立して家を出たのはいつであったか。
もう遠い昔のことのように思える。
これが息子だと実家にはほとんど寄りつかなくなる、とはよく聞く話だが、
幸いわが家の娘たちは、折を見てはよく訪ねてきてくれる。
来れば先祖返りするのか、幼児の頃に使っていた言葉が家じゅうに飛び交う。
たとえば「父しゃん」「母しゃん」。わが家では今でも娘たちは
ボクたちのことをそう呼ぶ。呼び方は〝しゃん〟にアクセントがかかる。
他人に聞かせるのはいささかはばかられるが、
わが家に限って呼び交わすなら、それもいいだろう。

←長女と旅行。次女がいないが、たしか
アメリカに留学中か。みんなまだ若いなァ。
子は宝である。この世で何が大切といって「家族」以外に大切なものなどない。
子や孫のためなら親や祖父母は命を投げ捨てることだって厭わないだろう。
そんな命より大切な子や孫に事故や災害、あるいは病気で先立たれてしまう。
TVのドキュメンタリー番組だったか、東日本大震災で、女房子供を津波に
さらわれてしまった男が、無情な海に向かって「俺の宝物を返してくれ――ッ!」
とばかりに、愛娘愛息の名を声をかぎりに叫んでいたシーンがあった。
さぞ無念だっただろう。見ているこっちはもう涙でぐしょぐしょだ。
大切な人たちを喪い、たった一人取り残されても、
人は前を向いて生きてゆかなくてはならないのだろうか。
軟弱なボクだったらきっと心がポッキリ折れ、廃人同然になってしまうだろう。
ボクの母は6年前に死んだ。
川越の実家で長男夫婦と暮らしていたのだが、ボクが娘たちを連れて
いくと殊のほか喜んでくれた。心残りなのは、母と過ごす時間が
絶対的に少なかったことだ。一人で行ったときなんか、10分そこそこで帰って
しまったことがある。母は何も言わず家の前の通りまで送ってくれたが、
悄然と手を振るその姿はほんとうに淋しそうだった。
あの時、なぜボクは急いで帰ってしまったのだろう。
今になって後悔の念がこみあげてきて、胸が苦しくなる。
母親がどれだけ子供のことを愛しく思っているか、いっぱい話したがっているか、
あの頃はよく分からなかった。親のことよりまず自分の都合が優先された。
考えることは自分のことばかりだった。
「母さん、ごめんな」
ボクが娘と楽しいひとときを過ごせば過ごすほど、
亡き母に対する〝思いやりとやさしさの欠如〟がくやまれ、
深い自責の念に駆られるとともに、悔悟の涙に暮れてしまう。
「母さん、ごめんな。もっとそばにいてやればよかった」
母はたくましい女だった。貧しさを厭わない女だった。
戦中・戦後を息せききって駆け抜けた肝っ玉母さんでもあった。
そんな母も晩年、軽い認知症を患ってしまった。
それでもボクを前にすると、いつもの笑顔で迎えてくれた。
「母さん、いつかまた会えるよね。その時は、ずっとずっと一緒にいるから……」
←画家・小林憲明さんが描く『ダキシメルオモイ』。
東日本大震災で命を落とした母と子の思いを麻の画布に
描いている。わが街・和光市の中央公民館でも展覧会が
開かれたので見に行った。この世で信じられるたった
一つのものはmotherhood(母性愛)であります
たったそれだけのことなのだが、妙に心楽しい。
何かおいしいものをご馳走してあげよう、
と主夫歴30年のボクはいそいそと買い物に出かけるのである。
人生にはある年齢にならないと分からない、
といった予定調和的な事実がいっぱいある。
「子を持って知る親の恩」という格言があるが、
親になって初めて分かること、孫を持ってふと気づくこと、
というのがたしかにある。
娘二人が独立して家を出たのはいつであったか。
もう遠い昔のことのように思える。
これが息子だと実家にはほとんど寄りつかなくなる、とはよく聞く話だが、
幸いわが家の娘たちは、折を見てはよく訪ねてきてくれる。
来れば先祖返りするのか、幼児の頃に使っていた言葉が家じゅうに飛び交う。
たとえば「父しゃん」「母しゃん」。わが家では今でも娘たちは
ボクたちのことをそう呼ぶ。呼び方は〝しゃん〟にアクセントがかかる。
他人に聞かせるのはいささかはばかられるが、
わが家に限って呼び交わすなら、それもいいだろう。
←長女と旅行。次女がいないが、たしか
アメリカに留学中か。みんなまだ若いなァ。
子は宝である。この世で何が大切といって「家族」以外に大切なものなどない。
子や孫のためなら親や祖父母は命を投げ捨てることだって厭わないだろう。
そんな命より大切な子や孫に事故や災害、あるいは病気で先立たれてしまう。
TVのドキュメンタリー番組だったか、東日本大震災で、女房子供を津波に
さらわれてしまった男が、無情な海に向かって「俺の宝物を返してくれ――ッ!」
とばかりに、愛娘愛息の名を声をかぎりに叫んでいたシーンがあった。
さぞ無念だっただろう。見ているこっちはもう涙でぐしょぐしょだ。
大切な人たちを喪い、たった一人取り残されても、
人は前を向いて生きてゆかなくてはならないのだろうか。
軟弱なボクだったらきっと心がポッキリ折れ、廃人同然になってしまうだろう。
ボクの母は6年前に死んだ。
川越の実家で長男夫婦と暮らしていたのだが、ボクが娘たちを連れて
いくと殊のほか喜んでくれた。心残りなのは、母と過ごす時間が
絶対的に少なかったことだ。一人で行ったときなんか、10分そこそこで帰って
しまったことがある。母は何も言わず家の前の通りまで送ってくれたが、
悄然と手を振るその姿はほんとうに淋しそうだった。
あの時、なぜボクは急いで帰ってしまったのだろう。
今になって後悔の念がこみあげてきて、胸が苦しくなる。
母親がどれだけ子供のことを愛しく思っているか、いっぱい話したがっているか、
あの頃はよく分からなかった。親のことよりまず自分の都合が優先された。
考えることは自分のことばかりだった。
「母さん、ごめんな」
ボクが娘と楽しいひとときを過ごせば過ごすほど、
亡き母に対する〝思いやりとやさしさの欠如〟がくやまれ、
深い自責の念に駆られるとともに、悔悟の涙に暮れてしまう。
「母さん、ごめんな。もっとそばにいてやればよかった」
母はたくましい女だった。貧しさを厭わない女だった。
戦中・戦後を息せききって駆け抜けた肝っ玉母さんでもあった。
そんな母も晩年、軽い認知症を患ってしまった。
それでもボクを前にすると、いつもの笑顔で迎えてくれた。
「母さん、いつかまた会えるよね。その時は、ずっとずっと一緒にいるから……」
←画家・小林憲明さんが描く『ダキシメルオモイ』。
東日本大震災で命を落とした母と子の思いを麻の画布に
描いている。わが街・和光市の中央公民館でも展覧会が
開かれたので見に行った。この世で信じられるたった
一つのものはmotherhood(母性愛)であります
2017年12月8日金曜日
首吊りは気っ持ちい~い!
「いよいよ首が回らなくなったんだって?」
「年が押し詰まってくると、何かと物入りで……おいおい、違うだろ。
頸椎が損傷していて腕が利かなくなってんだよ」
団地内で、古くからの友達Aさんと偶然会ってしばし立ち話。
先だって彼の奥さんをお茶に呼んで、
亭主の悪口をさんざっぱら聞かされたばかりだ。
「頸椎の矯正には首吊り療法がいいらしいよ。簡単な器具を首にはめて、
ひもで引っ張るんだ。おれの場合は腰痛だったけど、それにも効くって言うんで
何回か首を吊ったことがある。気持ちいいんだよね、あれ。だまされたと思って、
いっぺん吊ってみたら?」
年の瀬に首を吊る吊らない、などと立ち話にしてはかなり物騒な話題である。
それを大声で話すものだから、すれ違った人たちも、どこか不審そうな顔つきで
ふり返っていた。知り合いの奥さんは笑っていた。
「首吊りのほうは少し考えさせてもらうよ。それよりそっちはどうなの?
奥方からはずいぶん冷遇されてるみたいだけど(笑)……心が折れそうになったら
声をかけてね。相談に乗るから」
「お互い、不幸な身の上だもんな。
いっそホントに首をくくったほうがいいかもしれないな(笑)」
笑って別れたが、Aさんの背中にはいやでも孤独の影がさしていた。
首吊りの話題はまずかったかもしれない。
いよいよ極月(ごくづき)といわれる12月。師走ともいうが、
落ちぶれて姿のみすぼらしい浪人を〝師走浪人〟と呼ぶのだそうだ。
ボクなんかさしずめ〝師走老人〟ってとこか。落ちぶれたとは思わないが、
着るものにあまり頓着せず、同じ服を繰り返し着ているから、
傍から見ると、着たきりスズメに見えるかもしれない。
そのスズメが、首を吊る吊らないのと大声で話しているのだから、
妙に切迫感がある。
無常迅速というが、1年なんかあっという間に過ぎ去ってしまう。
初孫ができたと思ったら、もう立派に匍匐(ほふく)前進を繰り返しているし、
離乳食だってガッツリ食べている。娘婿は元アメフト選手で100キロ超の
巨漢である。この孫も末は父親に倣ってアメフト選手を目指すのだろうか。
3月に孫が生まれ、「こいつァ春から縁起がいいやァ!」と喜んでいたら、
9月頃から右腕に異変が起き、いまやすっかり使い物にならなくなってしまった。
スポーツ大好き人間のボクとしては、無念この上ない。
つい気分も落ち込んでしまいそうになるが、
それでも踏ん張って、何事もなかったかのように明るくふるまう、
というのがボクの流儀であり奥床しさ(笑)。
時に哀れっぽい姿で、人妻の胸を〝キュン〟とさせることもあるが、
あまりに内向きで湿っぽい口吻は自分らしくない、とボクは思っている。
Tomorrow is another day.
明日は明日の風が吹くさ、と常に前向きに生きてゆけば、
そのうちいいこともあるでしょ。
←映画『風と共に去りぬ』のヒロイン、
スカーレット・オハラの最後のセリフがこれ。
Tomorrow is another day!
「年が押し詰まってくると、何かと物入りで……おいおい、違うだろ。
頸椎が損傷していて腕が利かなくなってんだよ」
団地内で、古くからの友達Aさんと偶然会ってしばし立ち話。
先だって彼の奥さんをお茶に呼んで、
亭主の悪口をさんざっぱら聞かされたばかりだ。
「頸椎の矯正には首吊り療法がいいらしいよ。簡単な器具を首にはめて、
ひもで引っ張るんだ。おれの場合は腰痛だったけど、それにも効くって言うんで
何回か首を吊ったことがある。気持ちいいんだよね、あれ。だまされたと思って、
いっぺん吊ってみたら?」
年の瀬に首を吊る吊らない、などと立ち話にしてはかなり物騒な話題である。
それを大声で話すものだから、すれ違った人たちも、どこか不審そうな顔つきで
ふり返っていた。知り合いの奥さんは笑っていた。
「首吊りのほうは少し考えさせてもらうよ。それよりそっちはどうなの?
奥方からはずいぶん冷遇されてるみたいだけど(笑)……心が折れそうになったら
声をかけてね。相談に乗るから」
「お互い、不幸な身の上だもんな。
いっそホントに首をくくったほうがいいかもしれないな(笑)」
笑って別れたが、Aさんの背中にはいやでも孤独の影がさしていた。
首吊りの話題はまずかったかもしれない。
いよいよ極月(ごくづき)といわれる12月。師走ともいうが、
落ちぶれて姿のみすぼらしい浪人を〝師走浪人〟と呼ぶのだそうだ。
ボクなんかさしずめ〝師走老人〟ってとこか。落ちぶれたとは思わないが、
着るものにあまり頓着せず、同じ服を繰り返し着ているから、
傍から見ると、着たきりスズメに見えるかもしれない。
そのスズメが、首を吊る吊らないのと大声で話しているのだから、
妙に切迫感がある。
無常迅速というが、1年なんかあっという間に過ぎ去ってしまう。
初孫ができたと思ったら、もう立派に匍匐(ほふく)前進を繰り返しているし、
離乳食だってガッツリ食べている。娘婿は元アメフト選手で100キロ超の
巨漢である。この孫も末は父親に倣ってアメフト選手を目指すのだろうか。
3月に孫が生まれ、「こいつァ春から縁起がいいやァ!」と喜んでいたら、
9月頃から右腕に異変が起き、いまやすっかり使い物にならなくなってしまった。
スポーツ大好き人間のボクとしては、無念この上ない。
つい気分も落ち込んでしまいそうになるが、
それでも踏ん張って、何事もなかったかのように明るくふるまう、
というのがボクの流儀であり奥床しさ(笑)。
時に哀れっぽい姿で、人妻の胸を〝キュン〟とさせることもあるが、
あまりに内向きで湿っぽい口吻は自分らしくない、とボクは思っている。
Tomorrow is another day.
明日は明日の風が吹くさ、と常に前向きに生きてゆけば、
そのうちいいこともあるでしょ。
←映画『風と共に去りぬ』のヒロイン、
スカーレット・オハラの最後のセリフがこれ。
Tomorrow is another day!
2017年12月2日土曜日
What is essential is invisible to the eye.
You don't know what you have until it's gone.
失ってみて初めて何が大切なものだったかが分かる。
いま、この言葉をしみじみ噛みしめている。
失うものは多々あるだろうが、大切に想う人を病気や事故、
災害で突然喪くしてしまう、などというのが一番こたえるかもしれない。
ボクの飲み友達のYさんは、去年の夏、最愛の奥さんをガンで亡くしてしまった。
その嘆きようは尋常一様ではなかった。
ふだん、当たり前のように身近に転がっている幸せ。
しかし、あまりに当たり前すぎて、そのありがたみに多くの人は気づかない。
ボクの愛読するサン=テグジュペリの『星の王子さま』の中に、
キツネの言葉としてこんなセリフがある。
What is essential is invisible to the eye.
(大切なものはね、目に見えないものなんだ)
ボクは今、右腕が利かない。
頸椎の一部の骨が異常に肥大し、神経根を圧迫しているものだから、
運動神経の信号回路がプツンと遮断され、右腕が動かなくなってしまった。
治すには頸椎の骨を削り、さらに骨盤から採取した腸骨を移植しなければならない。
神経回路が集中する頸部だけに、手術の難度としてはけっこう高いらしい。
担当医もその成否は「やってみないことにはわからない」と言葉を濁している。
これではますます迷いが深まるばかりだ。
「左の腕がまだあるだろ。あるだけマシだ」
と言われれば、たしかにそうで、世の中には五体不満足な人がごまんといる。
脚や腕がなくたってパラリンピックで走ったり泳いだりしている人がいるのだから、
右腕が利かないくらいでメソメソするな、と言われれば言葉がない。
(もう一生泳げないのだろうか……)
そう思うと、映画『ウォーターボーイズ』のモデル校の、それも水泳部出身者
としてはけっこう辛いものがある。シンクロこそしないが、膝の故障で走れない
ボクにとって、水泳は唯一残された得意スポーツだった。
(この先、孫に泳ぎを教えたり、キャッチボールすることもできないのだろうか)
それにギターだって、もうまともに弾けやしない。
何の因果なのか、このままの状態ではつまらぬ老年期になり果ててしまう。
「青年」という言葉があるのなら、「老年」はむしろ「玄年」と呼ぶべきだろう。
青春、朱夏、白秋、玄冬……玄冬の「玄」というのは、ただの真っ黒ではない。
暗くて黒い中にも、かすかな赤みが差していて、そこから何かまた新しいものが
始まる、といったニュアンスなのだという。「幽玄」とか「玄妙」という言葉が
あるが、そのイメージは荒涼たる闇といったものではない。深く艶やかな漆黒、
といった感覚だ。
今は半分身障者みたいなあんばいで、へたをすると廃物になりそうな気配だが、
〝玄年〟を迎えたボクとしては、深く艶やかな老境に入っていけたらと思う。
子どもを叱るな 昨日の自分
年寄り嗤(わら)うな 明日の自分
←今年のステージが最後になってしまうかも。
失ってみて初めて何が大切なものだったかが分かる。
いま、この言葉をしみじみ噛みしめている。
失うものは多々あるだろうが、大切に想う人を病気や事故、
災害で突然喪くしてしまう、などというのが一番こたえるかもしれない。
ボクの飲み友達のYさんは、去年の夏、最愛の奥さんをガンで亡くしてしまった。
その嘆きようは尋常一様ではなかった。
ふだん、当たり前のように身近に転がっている幸せ。
しかし、あまりに当たり前すぎて、そのありがたみに多くの人は気づかない。
ボクの愛読するサン=テグジュペリの『星の王子さま』の中に、
キツネの言葉としてこんなセリフがある。
What is essential is invisible to the eye.
(大切なものはね、目に見えないものなんだ)
ボクは今、右腕が利かない。
頸椎の一部の骨が異常に肥大し、神経根を圧迫しているものだから、
運動神経の信号回路がプツンと遮断され、右腕が動かなくなってしまった。
治すには頸椎の骨を削り、さらに骨盤から採取した腸骨を移植しなければならない。
神経回路が集中する頸部だけに、手術の難度としてはけっこう高いらしい。
担当医もその成否は「やってみないことにはわからない」と言葉を濁している。
これではますます迷いが深まるばかりだ。
「左の腕がまだあるだろ。あるだけマシだ」
と言われれば、たしかにそうで、世の中には五体不満足な人がごまんといる。
脚や腕がなくたってパラリンピックで走ったり泳いだりしている人がいるのだから、
右腕が利かないくらいでメソメソするな、と言われれば言葉がない。
(もう一生泳げないのだろうか……)
そう思うと、映画『ウォーターボーイズ』のモデル校の、それも水泳部出身者
としてはけっこう辛いものがある。シンクロこそしないが、膝の故障で走れない
ボクにとって、水泳は唯一残された得意スポーツだった。
(この先、孫に泳ぎを教えたり、キャッチボールすることもできないのだろうか)
それにギターだって、もうまともに弾けやしない。
何の因果なのか、このままの状態ではつまらぬ老年期になり果ててしまう。
「青年」という言葉があるのなら、「老年」はむしろ「玄年」と呼ぶべきだろう。
青春、朱夏、白秋、玄冬……玄冬の「玄」というのは、ただの真っ黒ではない。
暗くて黒い中にも、かすかな赤みが差していて、そこから何かまた新しいものが
始まる、といったニュアンスなのだという。「幽玄」とか「玄妙」という言葉が
あるが、そのイメージは荒涼たる闇といったものではない。深く艶やかな漆黒、
といった感覚だ。
今は半分身障者みたいなあんばいで、へたをすると廃物になりそうな気配だが、
〝玄年〟を迎えたボクとしては、深く艶やかな老境に入っていけたらと思う。
子どもを叱るな 昨日の自分
年寄り嗤(わら)うな 明日の自分
←今年のステージが最後になってしまうかも。
2017年11月10日金曜日
中国は「大国」ではない
韓国の前大統領はパクパク・クネクネという名前だった。外国の首脳たちに、
体をクネらせながらすり寄り、パクパクと日本の悪口を言いふらすのが得意だった。
「告げ口外交」と呼ばれた。そのクネクネは歴代大統領が皆そうであったように、
いまは鉄格子の中に入っている。親の因果が子に報いたのかどうかは知らないが、
人間、真実から目をそらしウソばかり言いふらしているとこんな憂き目にあう。
次のムンムンとかという大統領は、米国のトランプ大統領夫妻を招いた晩餐会で、
竹島で密漁したエビを「独島エビ」などと称して、食卓にのぼらせた。日本の領土
である島根県の竹島は1952年1月18日、ボクの生まれるちょうど1カ月前に韓国に
強奪された。時の首相李承晩が、日本海に勝手に領海ラインを引き、
「この線からこっち側は韓国領だかんな!」
と、図々しくも宣言したのである。悪名高き〝李承晩ライン〟がそれである。
「平和、平和」とお題目のように唱えていれば恒久平和が実現できるという、
ありがたい平和憲法が施行されて、わずか7年後の出来事だった。「平和憲法」
が持っているはずの念力だか通力だかの魔除け効果はまったく発揮されなかった。
狡猾にも韓国は日本の自衛隊がまだ創設されていない時期にこの侵略を敢行した。
GHQも見て見ぬふりである。悲しくも自衛隊は1954年7月1日に産声を上げた。
その昔、社会党のおバカさんたちは〝非武装中立〟などと夢みたいな公約を掲げ
ていたものだが、竹島が示すように軍事力を持たない丸腰国家は、こんな辱めを
受けてしまう。一国の平和と安全には強力な軍事力が欠かせないのだ。
さてムンムンの晩餐会には元慰安婦も出席した。外国の首脳をもてなす公式晩餐会
に悪びれずに売春婦を招く国がいったいどこにあろう。もっとも韓国は輸出で
食っている国で、女子ゴルファーだけでなく売春婦も大量に輸出している。
おそらく世界一の売春婦輸出国ではないだろうか。
たとえばアメリカには今、3万人くらいの韓国人売春婦がいるといわれている。
2006年、アメリカの保健福祉省が同国内の外国人売春婦の国籍を調べたところ、
1位は韓国で23.5%、2位はタイで11.7%、3位はペルーで10%という結果だった。
実に4人に1人が韓国人だった。韓国の売春婦は貧しかった時代だけでなく、
豊かな時代にあっても大活躍なのである。であるならば、最大の輸出品目の
ひとつである売春婦を公式晩餐会に招いたとしても少しも不思議ではない。
韓国では日本軍の強制があって慰安婦にさせられたのだ、という➡「ウソの物語」
が国策として流布させられているが、このウソによって元慰安婦たちがどれだけ
救われたか。それ以前は「野蛮な日本人に身体を売って儲けてきた不潔な女たち」
と見下されていたのに、一転して、「そうではなかった。日本軍に強制され、
仕方なく慰安婦になったんだ」となれば、堂々と胸を張って生きてゆける。
元慰安婦たちが官製のウソ話に口裏を合わせるようになったのはそれからだ。
一方、トランプ大統領の3番目の訪問国・中国でも公式夕食会で、なにやら
怪しげな料理が出された。南シナ海に生息するハタ科の高級魚スジアラで、
この魚を煮込んだ料理がさりげなく供された。
「南シナ海は中国のものだかんな!」
と、料理に託して抜け目なく自国領土だと主張したのである。
韓国では「独島エビ」、中国では南シナ海の「高級魚スジアラ」。
和やかな晩餐会のメニューとはいえ、どの料理にもちょっぴり政治的な
味つけがほどこしてある。肉マンみたいな顔した中国の習近平主席の狙いは、
中国こそアジアの盟主で、世界第2の大国である、とアメリカにアピール
することだ。中華大帝国の夢よもう一度、というわけか。
でも中国って、肉マンおじさんが自慢するほどの大国なのかしら?
作家の曽野綾子女史がうまいことを言っている。
《中国は「大国」ではない。でも人口は13億人で国土面積も大きいから
「小国」でもない。だから「中国」なの》
←高級魚といわれるスジアラ。
多少スジっぽいがアラ煮にすると
うまいらしい。
写真提供:八重山毎日新聞社
体をクネらせながらすり寄り、パクパクと日本の悪口を言いふらすのが得意だった。
「告げ口外交」と呼ばれた。そのクネクネは歴代大統領が皆そうであったように、
いまは鉄格子の中に入っている。親の因果が子に報いたのかどうかは知らないが、
人間、真実から目をそらしウソばかり言いふらしているとこんな憂き目にあう。
次のムンムンとかという大統領は、米国のトランプ大統領夫妻を招いた晩餐会で、
竹島で密漁したエビを「独島エビ」などと称して、食卓にのぼらせた。日本の領土
である島根県の竹島は1952年1月18日、ボクの生まれるちょうど1カ月前に韓国に
強奪された。時の首相李承晩が、日本海に勝手に領海ラインを引き、
「この線からこっち側は韓国領だかんな!」
と、図々しくも宣言したのである。悪名高き〝李承晩ライン〟がそれである。
「平和、平和」とお題目のように唱えていれば恒久平和が実現できるという、
ありがたい平和憲法が施行されて、わずか7年後の出来事だった。「平和憲法」
が持っているはずの念力だか通力だかの魔除け効果はまったく発揮されなかった。
狡猾にも韓国は日本の自衛隊がまだ創設されていない時期にこの侵略を敢行した。
GHQも見て見ぬふりである。悲しくも自衛隊は1954年7月1日に産声を上げた。
その昔、社会党のおバカさんたちは〝非武装中立〟などと夢みたいな公約を掲げ
ていたものだが、竹島が示すように軍事力を持たない丸腰国家は、こんな辱めを
受けてしまう。一国の平和と安全には強力な軍事力が欠かせないのだ。
さてムンムンの晩餐会には元慰安婦も出席した。外国の首脳をもてなす公式晩餐会
に悪びれずに売春婦を招く国がいったいどこにあろう。もっとも韓国は輸出で
食っている国で、女子ゴルファーだけでなく売春婦も大量に輸出している。
おそらく世界一の売春婦輸出国ではないだろうか。
たとえばアメリカには今、3万人くらいの韓国人売春婦がいるといわれている。
2006年、アメリカの保健福祉省が同国内の外国人売春婦の国籍を調べたところ、
1位は韓国で23.5%、2位はタイで11.7%、3位はペルーで10%という結果だった。
実に4人に1人が韓国人だった。韓国の売春婦は貧しかった時代だけでなく、
豊かな時代にあっても大活躍なのである。であるならば、最大の輸出品目の
ひとつである売春婦を公式晩餐会に招いたとしても少しも不思議ではない。
韓国では日本軍の強制があって慰安婦にさせられたのだ、という➡「ウソの物語」
が国策として流布させられているが、このウソによって元慰安婦たちがどれだけ
救われたか。それ以前は「野蛮な日本人に身体を売って儲けてきた不潔な女たち」
と見下されていたのに、一転して、「そうではなかった。日本軍に強制され、
仕方なく慰安婦になったんだ」となれば、堂々と胸を張って生きてゆける。
元慰安婦たちが官製のウソ話に口裏を合わせるようになったのはそれからだ。
一方、トランプ大統領の3番目の訪問国・中国でも公式夕食会で、なにやら
怪しげな料理が出された。南シナ海に生息するハタ科の高級魚スジアラで、
この魚を煮込んだ料理がさりげなく供された。
「南シナ海は中国のものだかんな!」
と、料理に託して抜け目なく自国領土だと主張したのである。
韓国では「独島エビ」、中国では南シナ海の「高級魚スジアラ」。
和やかな晩餐会のメニューとはいえ、どの料理にもちょっぴり政治的な
味つけがほどこしてある。肉マンみたいな顔した中国の習近平主席の狙いは、
中国こそアジアの盟主で、世界第2の大国である、とアメリカにアピール
することだ。中華大帝国の夢よもう一度、というわけか。
でも中国って、肉マンおじさんが自慢するほどの大国なのかしら?
作家の曽野綾子女史がうまいことを言っている。
《中国は「大国」ではない。でも人口は13億人で国土面積も大きいから
「小国」でもない。だから「中国」なの》
←高級魚といわれるスジアラ。
多少スジっぽいがアラ煮にすると
うまいらしい。
写真提供:八重山毎日新聞社
2017年10月31日火曜日
19番ホールはどこかしら
郵便局でゴルフ好きの女友だちに会った。彼女が、
「嶋中さんはスポーツは何でもやりそうだけど、ゴルフは?」
と訊くものだから、
「どうせタマを穴っこに入れるんなら、他の穴のほうがいい」
とやったら大笑いしていた。つまりは〝19番ホール〟ってことかしら。
お主もスケベよのォ。もっとも、
爺さんと婆さん寝たら寝たっきり
てな調子で、人畜無害もいいとこだから、実際は色気もヘチマもない。
俗に、二十歳凛然(りんぜん)、三十勃然(ぼつぜん)、四十悄然(しょうぜん)、
五十茫然(ぼうぜん)、そして六十全然(ぜんぜん)、などという(言わねェか?)。
しきりに愚息を励ましている図が目に浮かぶようだが、なに自分のことである。
ところで猫の交尾期は年に4回あると聞く。猫が羨ましい。
朝顔や思いを遂げしごとしぼむ
この潔さがいいですな。朝顔にも嫉妬してしまいそうだ。
さて久米の仙人が洗濯女の白い脛(はぎ)を見て、通力を失い天から墜ちた、
という話は有名だが、『今昔物語』の昔も今も、脛の魅力に変わりはない。
老生など、阿波踊りの踊り子たちのじゅばんがチラとめくれただけで
ドキドキしてしまう。リオのカーニバルの踊り子たちは淫らな露出症を
患っているだけだが、阿波の女踊りには気品と色気が満ち満ちている。
この小さな島国に暮らす住人のほうが「性」の何たるかをわきまえていて、
人間としてはずっと上等な部類に入るのである。
『徒然草』の第八段にもこうある。
《世の人の心まどはすこと、色欲にはしかず。人の心はおろかなるものかな》
兼好法師に言われるまでもなく、われら人間は愚かなる生き物だ。
だからこんな川柳が生れ出る。
おごるへのこ久しからず腎虚(じんきょ)なり
話変わって、日本は男尊女卑の国だ、などと欧米人は小バカにするが、
「お染久松」「お夏清十郎」というように、恋仲の男女を呼ぶときには、
昔から女性のほうを先にした。いつだって女性上位だったのである。
ただ、問題はその組み合わせだ。「おまん」という女性と「鯉二郎」
という男性が恋仲になってしまうと、ウーン……ちと困る。
鯉二郎が房事にかまけ〝腎虚〟にならなければいいのだが。
By the way ,秋が深まってくると、気の置けぬ友と盃を交わしたくなる。
今夜は〝誰〟と一杯やろうか、と思う時、必ず友の頭に浮かんでくるような
人間になりたいものだが、その「適不適」の必要条件の中に、
●優れているけど完璧でない人
というのを挙げたい。
自分の生き方、人生観をしっかり持っていて、どこか人間的な深みを
感じさせてくれる人。一見、完璧そうに見えるが、どっこい抜けている(笑)。
そこがご愛敬で、人間的魅力のひとつになっている。ボクはそんな人と飲みたい。
人生の機微にふれるような話をするでもなく、ただ漫然と酒を食らうだけの
人間が一番面白くない。適度に聴いて、適度にしゃべり、時に上品な下ネタで
場を和ます。こんな仲間がいたら、千金の一刻を共に過ごしたくなるだろう。
これは自分自身への戒めでもある。
こんな都々逸が身に滲みる。
♪へたな夜這いと剣術使いはいつもシナイで叩かれる
←♪ヤットサーヤットサー
2017年10月27日金曜日
時にはケダモノのように
「このハゲ――――ッ!」の絶叫で、すっかりお茶の間の人気者になった
「埼玉4区」の豊田真由子様は、和光市の朝の駅頭でもひら蜘蛛のように
這いつくばり、ひたすら「ごめんなさい」を連呼していた。が、通勤客は
冷たく無視。案の定、ふたを開けたら落選というザンネンな結果となった。
猿は木から落ちても猿のままだが、議員は落選するとただの人になってしまう。
しかし禍転じて福と為すというように、「ハゲは学歴より強し」といった
格言がこの事件を機に、後世にまで残るかもしれない。ハゲに悩む男たちに
とっては福音だろう。ハゲの功名……じゃない、〝ケガ〟の功名というわけ
ですよ、真由子様。よかったね、ほんとうによかった。
さて豊田元議員が、元秘書に暴行を加えたかどで、埼玉県警は27日、
傷害と暴行容疑でさいたま地検に書類送検した。真由子様は、
《手は上げたが、頭を殴ったのではなく肩をたたいただけ》
などと弁明、非力な女の細腕で頭など殴れるわけがない、
と必死に打ち消していた。
ここまでの経緯はボクと同じ。
ボクの場合は、深夜の団地内で酒を飲み大騒ぎしている若者(男女)を
そっとたしなめに行ったところ、「スミマセン、スミマセン」と元秘書
のように平謝りすると思いきや、酔余の勢いで逆ギレした男のほうが、
「何か文句あるのかよ、この糞おやじ!」と体当たりするみたいに
歯向かってきたため、若者の頬とお腹をそっと撫でて押し返してやった。
ところが、奴さん大仰にもドスンと後ろに転倒。連れのへべれけ女も
「てめえ、何すんだよ!」
と、これまたヤクザ顔負けの汚い言葉で絶叫、
騒ぎが大きくなり、とうとう警察沙汰になってしまった。
正直に言うと、これは絵に描いたような正当防衛で、警察もそれを認めてくれた。
ボクはそっと撫でたつもりだったが、実際は右の強烈なフックが相手の左顎に
さく裂、同時に左のボディブローがみごとみぞおちに決まっていた。
反射神経である。この2発のパンチで相手は後方にダウン、
(このおやじはいったい…………?)
目には明らかに怯(おび)えが走っていた。
酔眼でよ~く見れば、筋骨隆々のおやじである。しまった、と思っただろう。
おそらくこの若造、殴り合いの経験が一度もなかったにちがいない。
こっちは若い頃から、泥酔しては飲み屋でケンカを売ってたという狂犬おやじ。
殴り合いには慣れているから、畢竟(ひっきょう)、パンチも正確に当たる。
警察署ではこってりしぼられてしまったが、こっちの言い分が正しいと、
署員も理解を示してくれた。で、形式的にさいたま地検に書類送検され、
これまた検事殿に根掘り葉掘り訊かれたものだが、結局、不起訴処分という
裁定になった。正義が勝ったのである。
こんなことなら、もう2~3発強烈なやつをお見舞いしとけばよかった、
と後で後悔したものだが、カミさんにはきつくお灸をすえられてしまった。
昔は学校でも原っぱでも、子供たちはよく取っ組み合いのケンカをしていた。
しかし、今どきの子供たちは野蛮な行為を避けるのか、口ゲンかはするものの、
手をあげることがめっきり少なくなった。お行儀がいい、と言えばそれまでだが、
ボクにはいささか物足りない。男はいっぺんくらいケダモノになって、
死力を尽くして闘ったほうがいいのだ。
「暴力は絶対ダメ」「話し合えばわかりあえる」「命は地球より重い」
などというフニャチン教育を受けていると、キンタマが退化し縮みあがって
しまうのか、イザという時にまったく役に立たなくなってしまう。車だって
時々エンジンをふかし、レッドゾーンへもっていったほうがいいという。
安全第一と、いつも低速で走ってばかりいては、エンジンだって鈍(なま)って
しまうのだ。
殴り合いは何より健康にいい。アドレナリンが全身を駆けめぐり、
(ああ、男に生まれてほんとうによかった)
と、言葉に尽くせぬ高揚感に包まれる。
豊田真由子様の暴行事件がとんだ脇道へそれてしまったが、
同じ「埼玉4区」内で、同じような傷害事件を起こした身の上同士、
どこか他人事とは思えない。いまなら〝お友だち〟になれそうである。
ああ、それにしても殴り合うと気分がサッパリして気持ちがいい(勝てば、だけど)。
次のアドレナリン放出日を心待ちにして、今は静かに腕を撫(ぶ)していよう。
「埼玉4区」の豊田真由子様は、和光市の朝の駅頭でもひら蜘蛛のように
這いつくばり、ひたすら「ごめんなさい」を連呼していた。が、通勤客は
冷たく無視。案の定、ふたを開けたら落選というザンネンな結果となった。
猿は木から落ちても猿のままだが、議員は落選するとただの人になってしまう。
しかし禍転じて福と為すというように、「ハゲは学歴より強し」といった
格言がこの事件を機に、後世にまで残るかもしれない。ハゲに悩む男たちに
とっては福音だろう。ハゲの功名……じゃない、〝ケガ〟の功名というわけ
ですよ、真由子様。よかったね、ほんとうによかった。
さて豊田元議員が、元秘書に暴行を加えたかどで、埼玉県警は27日、
傷害と暴行容疑でさいたま地検に書類送検した。真由子様は、
《手は上げたが、頭を殴ったのではなく肩をたたいただけ》
などと弁明、非力な女の細腕で頭など殴れるわけがない、
と必死に打ち消していた。
ここまでの経緯はボクと同じ。
ボクの場合は、深夜の団地内で酒を飲み大騒ぎしている若者(男女)を
そっとたしなめに行ったところ、「スミマセン、スミマセン」と元秘書
のように平謝りすると思いきや、酔余の勢いで逆ギレした男のほうが、
「何か文句あるのかよ、この糞おやじ!」と体当たりするみたいに
歯向かってきたため、若者の頬とお腹をそっと撫でて押し返してやった。
ところが、奴さん大仰にもドスンと後ろに転倒。連れのへべれけ女も
「てめえ、何すんだよ!」
と、これまたヤクザ顔負けの汚い言葉で絶叫、
騒ぎが大きくなり、とうとう警察沙汰になってしまった。
正直に言うと、これは絵に描いたような正当防衛で、警察もそれを認めてくれた。
ボクはそっと撫でたつもりだったが、実際は右の強烈なフックが相手の左顎に
さく裂、同時に左のボディブローがみごとみぞおちに決まっていた。
反射神経である。この2発のパンチで相手は後方にダウン、
(このおやじはいったい…………?)
目には明らかに怯(おび)えが走っていた。
酔眼でよ~く見れば、筋骨隆々のおやじである。しまった、と思っただろう。
おそらくこの若造、殴り合いの経験が一度もなかったにちがいない。
こっちは若い頃から、泥酔しては飲み屋でケンカを売ってたという狂犬おやじ。
殴り合いには慣れているから、畢竟(ひっきょう)、パンチも正確に当たる。
警察署ではこってりしぼられてしまったが、こっちの言い分が正しいと、
署員も理解を示してくれた。で、形式的にさいたま地検に書類送検され、
これまた検事殿に根掘り葉掘り訊かれたものだが、結局、不起訴処分という
裁定になった。正義が勝ったのである。
こんなことなら、もう2~3発強烈なやつをお見舞いしとけばよかった、
と後で後悔したものだが、カミさんにはきつくお灸をすえられてしまった。
昔は学校でも原っぱでも、子供たちはよく取っ組み合いのケンカをしていた。
しかし、今どきの子供たちは野蛮な行為を避けるのか、口ゲンかはするものの、
手をあげることがめっきり少なくなった。お行儀がいい、と言えばそれまでだが、
ボクにはいささか物足りない。男はいっぺんくらいケダモノになって、
死力を尽くして闘ったほうがいいのだ。
「暴力は絶対ダメ」「話し合えばわかりあえる」「命は地球より重い」
などというフニャチン教育を受けていると、キンタマが退化し縮みあがって
しまうのか、イザという時にまったく役に立たなくなってしまう。車だって
時々エンジンをふかし、レッドゾーンへもっていったほうがいいという。
安全第一と、いつも低速で走ってばかりいては、エンジンだって鈍(なま)って
しまうのだ。
殴り合いは何より健康にいい。アドレナリンが全身を駆けめぐり、
(ああ、男に生まれてほんとうによかった)
と、言葉に尽くせぬ高揚感に包まれる。
豊田真由子様の暴行事件がとんだ脇道へそれてしまったが、
同じ「埼玉4区」内で、同じような傷害事件を起こした身の上同士、
どこか他人事とは思えない。いまなら〝お友だち〟になれそうである。
ああ、それにしても殴り合うと気分がサッパリして気持ちがいい(勝てば、だけど)。
次のアドレナリン放出日を心待ちにして、今は静かに腕を撫(ぶ)していよう。
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