2019年8月30日金曜日

世の中にたえて鶴瓶のなかりせば……

NHK総合に『鶴瓶の家族に乾杯』という番組がある。
笑福亭鶴瓶がゲストと共に旅をし、知らない街を散策しながら
地元の人たちとふれ合う、という紀行・バラエティ番組である。
放送開始以来23年も続いているというから、人気長寿番組の一つなのだろう。

鶴瓶はボクと同年の67歳。人懐っこい笑顔が特長で、
「あのクシャっとした笑顔に癒される」というファンも多いと聞く。
タレントの石塚英彦(ホンジャマカ)も同類で、クシャクシャっとした笑顔を作ると、
いかにも好人物、という印象を受ける。

さて飲み仲間のYさんは大阪生まれ。「鶴瓶は好きかい?」と訊いてみたら
「好きだね~。面白いもの。鶴瓶の出てる番組はたいがい見てるよ」
とのこと。関西生まれはやはり関西人のお笑いが性に合っているようだ。

Yさんには申しわけないが、ボクはこの鶴瓶というタコ顔の男がきらいである。
『家族に乾杯』の中で、見ず知らずの人の家に入り込み、
「奥にいる爺ちゃん呼んできて!」
などと偉そうに命じている。このタコ男、いったい何様だと思っているのか。
あたしが奥にいる爺ちゃんだったらタダじゃおかない。

有名人のおれ様がわざわざ訪ねてきてやったんやから感謝せえよ、てな調子である。
あのいけ図々しさは大阪人特有のものなのか、東夷(あずまえびす)のあたしには、
サッパリ理解できまへんわ。

ハッキリ言うが、鶴瓶も含め関西系のお笑いタレントは少しも〝笑えない〟。
というか、ちっとも面白くないのだ。鶴瓶はCMなどにも起用されているが、
あのクシャっとした作り笑いを見るたびに、
「気色わるいやっちゃな、こいつは」と思ってしまう。

あのダミ声もきらい。風采もパッとしない。
おまけに箸の持ち方がメチャクチャで、食事作法に品がない。
育ちの悪さがぜんぶ出てる、といったら言い過ぎか。
今流行りの〝コミュ力(コミュニケーション能力)〟
は少しはありそうだが、東夷にはどうにも気持ちがわるい。
もし鶴瓶に一片の面白味があるとしたら、関西など〝地域限定〟のもので、
関東はもちろん外国などでは通用しないような気がする。

顔わるい、声わるい、目つきがわるい、品がない、図々しい、
汚らしい、見た目が愚鈍そのもの、標準語が話せない……ときたら、
いいところは一つもないが、実際、どう贔屓目に見ても、
評価すべきところが一つもないのだからしかたがない。

それに鶴瓶はつむじが左巻きだ。かつてこんな発言をしている。
「違憲という人がこれだけ多いのにもかかわらず、何しとんねん!」
自民党が国会を通そうとした通称「安保法制(正式には平和安全法制)」
に対して、鶴瓶が発した難クセである。

言っちゃ悪いが、鶴瓶ごときに何が分かる。
「戦争は絶対しちゃだめ!」などと言っているが、
そんなことは当たり前ではないか。じゃあ、戦争を未然に防ぐためには
どうしたらいいのか、国土防衛の具体策を挙げてくれ、と問われたらどうする。
まさか半世紀前に社会党が唱えた〝非武装中立〟だなんて妄言を
引っ張り出すんじゃないだろうね。

餓狼(がろう)のような国に囲まれている悲しき日本である。
十年一日のごとき野党の、
紛争は「話し合いで解決すべきだ」という言い草じゃあ通らんだろ。

またこのタコ顔の男は、
「竹島なんて、(韓国に)あげたらええやん」
などと放言している。自国領土を平気で譲り渡そうとする非愛国的で未熟な精神。
ロケ隊とともに、この売国奴がわが町に一歩でも踏み込んだりしたら、
六尺棒でなぎ倒してやるから覚悟しておけ!

とまあ、いくぶん芝居がかったセリフでこきおろしてみせたが、
要は鶴瓶という厚かましくも無芸なタコ男が、心底きらいなのである。
あんな気色わるい男、後生だから公共電波にのせないでいただきたい。
もし『家族で乾杯』をまだ続けるおつもりなら、
「NHKから国民を守る党」に一票入れちゃいますからね、お覚悟召され。

       世の中にたえて鶴瓶のなかりせば春の心はのどけからまし




←気色わるいタコ男の鶴瓶



            





2019年8月23日金曜日

坊さんもすなる〝あおり運転〟

あおり運転をしたうえ、相手の運転手の顔をしこたま殴りつけた宮崎文夫容疑者。
「殺すぞ!」と叫びながらこっちに向かってくる様子は尋常ではない。
カモにされた相手の運転手も相当ビビったのではないか。

その話題を団地の仲間たちに振ったら、
「相手の運転手が嶋中さんだったら、宮崎のほうが逆にビビっちゃうんじゃないの?」
「何よ、それ」
「だって、見るからに凶暴そうでガタイもデカいし……ケンカも馴れてるし」
「…………」
「そうだよ。おれが宮崎だったら踵を返して逃げるね。
なんてったって傷害で2回も捕まってんだから、ハンパないよ」
「…………」


仲間のひとりY君は大阪生まれ。宮崎と連れの醜女ガラケーおばさんがとっ捕まった
大阪のマンション前はYの実家の近くだという。現在、妹御が住んでいて、
「あれっ? 犯人の捕まったマンションって、うちの近所とちがう?」
兄のYにラインで緊急のメールを送ってきたらしい。

宮崎容疑者は天王寺高校から関西学院大に進んだエリート。
Yの話だと、天王寺高校から東大や京大へ行く生徒は殊のほか多いという。
関西学院大といえば、わが家も無縁ではない。娘婿の兄が関西学院大アメフト部の
現役コーチなのだ。宮崎のような凶暴な卒業生を輩出したとなれば、
大学としても不名誉極まりないことだろう。

それにしても、宮崎容疑者はよく周囲にこう漏らしていたという。
「(自分が乗ってる)ポルシェが軽(自動車)に追い抜かれたりすると無性に腹が立つ」と。
こういう輩って、悲しいけどけっこういるよね。変形した「事大主義」というか、
有名ブランドの持ち物(車やバッグ、時計など)で
自分を大きく見せようとするやつ。

宮崎という男は口を開けば「女と車の話ばかり」で、
ほとんど中身はなかった、と知人たちは口を揃える。
せっかく名門と呼ばれる学校を出ているのに、女と車の話ばかりでは
お里が知れるというものだ。どっちにもさっぱり興味のないボクなんか、
宮崎の目の前で大あくびをしてしまいそうだ。
「てめェ、ぶっ殺すぞ!」
宮崎に凄まれたら〇〇タマが縮み上がってしまう。

それにしても〝あおり運転〟がいっこうになくならない。
1月には大阪・堺市で寺の住職(61)があおり運転をしたうえ、
相手の運転手の胸ぐらをつかんだ疑いで、書類送検されている。
ホトケ様に仕える出家の身であっても、カッとなると何をしでかすかわからない。
悟りを開いたような顔をしていても、きっと野狐禅(やこぜん)のたぐいなのだろう。

坊さんなおもって〝あおり運転〟を遂ぐ。
いわんや俗人をや。






←胸ぐらつかんで〝辻説法〟か。


2019年8月22日木曜日

朝の公園は人間交差点

和光市には東京ドーム4.3個分の広さを誇る「県営和光樹林公園」がある。
ボクはほぼ毎朝、この樹林公園で数時間過ごす。
公園内には1周1キロのジョギングコースがあり、毎朝ジョガーたちが
必死の形相で走っているが、ボクはヒザ痛の持病を抱えているので、
ウォーキングやジョギングはパス。芝生広場で軽い体操や筋トレをやっている。

緑に囲まれた芝生広場には、早朝、愛犬家たちが集まってくる。
広場の端のほうで、リードを外し、思いきり走らせているのだ。
いわゆる〝ドッグラン〟状態。ノーリードは規則違反なのだけれど、
ほんの数十分だけだからと、管理事務所の職員も見て見ぬふりだ。

ボクはこの愛犬家のおじちゃんやおばちゃんたちと、いつの間にか
言葉を交わすようになり、今ではほとんど毎日、おしゃべりに興じている。
犬たちの名はモモ、ユキ、ムツゴロウ、クリス、フクサブロー……といったもので、
犬種もさまざまだ。犬同士も逢うと嬉しいらしく、しっぽを振りながら
じゃれ合っている。その様子がとても可愛く、つい頬がゆるんでしまう。

芝生広場には他に名物の〝紙飛行機おじさん〟たちも来る。
それぞれ自慢の紙飛行機を飛ばしているわけだが、
(いったい何が面白いのかねェ……)
と、ボクにはいまだに理解不能で、自分で作って飛ばしてみよう、
などとは金輪際思わない。あのパフォーマンスも〝自己承認欲求〟の
一種なのかもしれないが、魅力の本質がさっぱり掴めないので、
おしゃべりにはつき合うが、
紙飛行機の飛ぶサマはほとんど無感動のまま眺めている(Nさんゴメンネ)。


←この紙飛行機おじさんは
Nさん。もと整骨院の院長で、
自転車レースで名を馳せた人でもある。








公園にはさまざまな人間が集まってくる。
今日初めて会ったおばちゃんは、芝生公園の端っこで本を音読していた。
見ると歌舞伎の口上や〝生麦生米生卵〟といった早口言葉、古典の名句などが
集められている本で、こうした名句を高らかに音読することで、心と身体を
鍛えているという。おばちゃんは馴れないのか、恥ずかしそうに音読していたが、
腹から声を出すのは身体によさそうだ。また暗唱すればボケ防止にもなる。

そうかと思うと、木陰でオカリナを吹くおばちゃんたちがいる。
『蘇州夜曲』『東京ブギウギ』『高原列車は行く』といった懐メロで、
どちらかというと親の世代に流行った曲ばかりなのだが、幼い頃に聴いた
曲調が耳に残っていたので、いっしょに歌ってみたら、おばちゃんたちは
殊のほか喜んでくれた。

毎日顔を合わせれば、自然と「おはようございます」の挨拶が交わされる。
こうして知り合った〝ともだち〟がけっこう多くて、友達の輪がどんどん
広がっていく。幸い、ボクは誰とでも気さくに話せるオープンな性格なので、
彼らも自然と受け入れてくれるようだ。いくぶん残念なのは、知り合いになった
人たちのほとんどがボクより年上で70代、80代の人ばかり。
ほんとうは〝若い人妻たち〟を友達リストに加えたいのだが、
実際は〝年老いた人妻たち〟ばかりで、いまひとつモチベーションが上がらない(笑)。

そうは言っても、鏡に映ったわが身を見ると、紛うかたなき〝おじいさん〟で、
人のことをとやかく言えた義理ではないのだけれど、そこはまだ現役の〝🚹〟
であるからして、ムダな抵抗と知りつつ、一言いってみたいのである。

朝晩、ようやく涼しくなってきた。
明日も、また明後日も、樹林公園で〝若い人妻〟探しの旅が続くだろう。
ホンにご苦労なこった。


←やや〝若い人妻〟(笑)。
ワン公は左が「モモちゃん」、
右が「ユキちゃん」。





2019年8月13日火曜日

人生は悲しみひとつ

飲みすぎと夏バテが重なって体調がチョー悪し、という感じだったので、
命を護るため高らかに禁酒宣言を発した。

で、どうなったかというと、2日間の完全禁酒に成功した。
大方の予想では「1日だってムリでしょ」が大勢を占めていたから、
2日も禁酒したら大成功である。あんまり嬉しいものだから、
ここ数日、仲間たちと祝い酒に興じている。

先日、ボクの親友が膀胱ガンで亡くなった。まだ60代半ばである。
最愛の夫を失った奥方は、
「もう二度とあの笑顔に会えないのかと思うと心底辛い。そしていまだに
そのことが信じられない」と嘆いていた。
また友人Nの娘婿はすい臓ガンと診断され、Nはほとんど絶望している。
婿さんはまだ40代。子供も3人いる。サイレントキラーと呼ばれるすい臓ガン。
めったなことは言えないが、生還を祈るしかない。

ボクの愛読書でもある『The Little Prince』の中に、王子がいろんな星を
訪ねるシーンがある。その中の一つは酔っぱらいの住む星だった。
王子様は酔っぱらい男にこう尋ねる。
❛What are you doing there?❜
酔っぱらいは悲しそうな顔してこう答える。
❛I am drinking,❜
❛Why are you drinking?❜
と重ねて訊くと、この酔っぱらいは、
❛So that I may forget,❜と答える。
王子はやや同情気味に、
❛Forget what?❜と訊けば、酔っぱらいは、
❛Forget that I am ashamed,❜と首うなだれながら答える。
王子はなおも、
❛Ashamed of What?❜と訊く。
酔っぱらいは、こう答えて口を閉じた。
❛Ashamed of drinking!❜

酔っぱらいの気持ちは半分わかる。
辛いこと、悲しいこと……生きていれば「愛別離苦」は誰にだって訪れる。
宗教家の紀野一義は、人の生涯は〝悲しみ一つ〟と思いきわめろ、と言っている。
「親鸞は〝悲しみをよく知る人〟であった。悲しみをよく知る人でなくては
大勢の人を幸せになどできないのである」

人生は悲しみひとつ。
そう思いきわめれば、
そこはかとない無常観に包まれ、
生きとし生けるものに対して優しい眼差しが向けられる。
ボクが求めている境地はココなんじゃないか。
悲しみを根っこに持つ明るい無常観、とでもいうべき境地なのではないか。
 

今の瞬間が幸せでも、次の瞬間は不幸の淵に立っているかもしれない。
一寸先は闇で、突然の輪禍であの世に逝ってしまうかもしれないのだ。
現にそんな事件や事故が後を絶たない。

酒を飲みながらそんなことにのべつ思いをめぐらせているわけではないが、
「苦い酒」「悲しい酒」の味だけは心に刻んでおいたほうがいい。

星の王子様は酔っぱらいが住む星を去る時、こんなふうに呟く。
❛The grown-ups are certainly very , very odd,❜



2019年7月16日火曜日

鼻の上下 臍の下

知り合いのNさんが、
「嶋中さんは相撲見てる?」と訊くから、
「見てますよ。最近は小兵の炎鵬とか竜電とか、
勢いのある新しい顔ぶれも出てきたからね」
と応えると、Nさんはニヤッと笑って、
「あたしは砂かぶりで観ている和装の〝きれいどこ〟を見ているんですよ」
ときたもんだ。この狒々爺さん、相変わらず女好きときてる(笑)。

相撲中継を見ていて気づくのは、土俵下の砂かぶり席に着物姿の〝きれいどこ〟が
多いことだ。あの着こなしを見ると花柳界のお姐さんや高級クラブのママたちだと
思われるが、なぜ彼女たちが特等席ともいえる土俵際の見物席を占めているのか。
芸妓は相撲が死ぬほど好きなのだろうか?
それとも彼女たちは相撲取りのタニマチなのだろうか?

こういう古川柳がある。

        日に千両 鼻の上下 臍(へそ)の下

寛文年間に作られたもので、鼻の上は目だから「歌舞伎芝居」。
鼻の下は口だから日本橋の「魚河岸」、そして臍の下とくれば、
言わずもがなの「遊里吉原」に決まっている。

これが当時殷賑(いんしん)をきわめた三大消費経済の中心で、
文字どおり日に千両、合わせて三千両が動いたという。

いささか三題噺めいた話になるが、震災(関東大震災)前の歌舞伎の隆盛を
支えたのは、魚河岸と色里の連中だった。〝総見〟と称して、日頃狂言に
馴染みのない者たちも打ち揃って見物してくれたのである。

歌舞伎役者(芸人)や漁民(海民)も、そして色里の遊女たちも、
身分的にはみな賤業視されてきた仲間同士だ。

魚河岸の連中が歌舞伎をひいきにしたのも、互いに〝化外(けがい)の人〟という
身の上が同じだったからに違いない。化外の人というのは文化の及ばない
野蛮な人の意である。歌舞伎役者はもともと河原乞食と呼ばれた連中だし、
漁撈の人たちも「士農工商」の身分制度の外側にいた。もちろん遊女たちは
最底辺に位置づけられたものたちである。

その被差別の者たちが、昔からの絆を大事にし、生活互助会的な見地から、
互いに助け合い支え合っていたとしても不思議はない。
「いや、ただのタニマチだよ」
といわれればそうかも知れない。本場所だけでなく地方場所に和装の美女たちが
多く出没するというから、相撲取りたちがひいきにしているクラブのママ
というのがたぶん真相だろう。

あの砂かぶりの特等席は「溜席(たまりせき)」と呼ばれるもので、
日本相撲協会に寄付した人たちが座れる席だ。15日間の通し席で、
東京場所だと年間390万円以上、地方場所だと130万円以上かかるという。
なかには暴力団がらみの人たちもいるというが、彼らを業界では〝維持員〟
と呼んでいる。古来からの相撲の維持発展に協力しているから「維持員」
と呼ぶのか。

芸者もクラブママも〝水商売〟と呼ばれる人たちだ。
客の人気だけが頼りで収入が不確かだからそう呼ばれる。
実はボクみたいなフリーのライターも彼らの同類で、
お堅い銀行屋から見ると、金を貸したくない最右翼らしい。
実際、ボクなんか食うや食わずの生活なのだから、
水商売と呼ばれるのも当然だろう。

先述した歌舞伎役者も、漁撈関係の人たちも、また芸妓たちも人気や
天候によって収入が左右される立派な〝水商売〟である。歌舞伎役者などは
名門と称して偉そうな顔をしているが、元をただせば河原乞食と呼ばれていた
〝化外の人〟たちで、つい最近までは堅気の人たちと画然と区別されていた。

以前も少しふれたが、藤山寛美が人気絶頂の頃、街中を歩いていたら、
小さな女の子が指さして「あっ、寛美よ。お母さん、寛美がいる!」
と叫んだら、かたわらの母親が、
「指でさすのはおやめ。指が腐る」と言ったとか。

今なら人権侵害といわれるかもしれないが、虚業と実業は当時ハッキリ区別されていた。
差別ではなく区別。事実、芸人は大衆に愛された。愛されはしたが、正当な労働で
稼いでいるわけではないから区別された。あぶく銭で食っている人たちばかりに
お天道様が当たったら、汗水たらして働いている堅気の人たちが報われまい。
そんなまっとうな精神から、この「区別」が生れたのである。
そんな世間の〝眼〟が肌身に沁みているからだろう、芸の鬼と呼ばれた勝新や寛美は、
その日稼いだあぶく銭をその日のうちに使い切ってしまおうと、狂ったように散財
したという。

さて砂かぶりの〝きれいどこ〟は誰なんだ、という話が妙な方向へ行ってしまったが、
歌舞伎役者も相撲取りも、また花柳界のお姐さまたちも、みな〝同じ穴の……〟
のような気がする。共通項は昔でいえば〝化外の人たち〟であり、現代風に言えば
〝水商売〟である。つまり堅実さを伴わない仕事、すなわち虚業に生きる人たちで、
ひと昔前であれば「指が腐る」と後ろ指をさされた人たちである。

ならば犬畜生と同類かといわれれば、そうではない。
水商売にも水商売なりの気概がある。矜持(きょうじ)もある。
ボクなんか金がない分、矜持だけで生きている。
しかし所詮はコトバという符丁を操って飯を食わせてもらっている〝虚業〟
という事実は片時も忘れたことはない。
だから、ごく控えめに、目立たないように地味に生きている。
地味でないのは酒の飲みっぷりだけ。
これだけは〝どもならん〟のでお赦しを(笑)。







←観戦中、ずっと正座だもんね。
膝痛で正座ができないボクなんか羨ましくて……


2019年7月11日木曜日

素描・いけ好かない人たち

(どうもこの人、いけ好かないな)と思うことはよくある。
理屈は正しいのだが、どうでもいいような些事を取り上げては、
ひとこと物申す、という感じで、団地総会などでこの手の御仁が発言しだすと、
みな(またかよ……)といったウンザリ顔で、時計を気にしたりする。
悲しいことに本人は得意満面のドヤ顔で、あたりを睥睨(へいげい)
するかのように胸を張っている。で、またやたら長いのですよ、
この手合いの話は……。

そんな、どこにでもいそうな〝変な人たち〟を思いつくままに挙げてみる
(おれもヒマだな)。
●気位の高い人
知り合いのひとりなのだが、自分からは絶対に挨拶しない。こっちが「Sさん」と
呼びかけると、さも驚いた風を見せ、挨拶を返してくれるのだが、なに最初から
気づいているのである。このSさん、「若い頃はさぞや」と思わせる美人のおばさん
なのだが、このわざとらしいおトボケぶりが欠点といえば欠点。
たぶん一生この調子だろう。

●相手の顔をジロジロ見るおじさん 
比較的年配のおじさんに多いタイプ。散歩のときなどで、
すれ違う際にジロジロ顔を見られる。「こいつはどんな素性の男なんだ?」と、
訝しそうな顔で通り過ぎる。国際的なマナーでは、相手の顔をジロジロ見る
というのはバッドマナーの典型。発展途上国などでよく見られるマナー違反だが、
先進国の日本でも〝おじさん〟と呼ばれる種族はよくこれをやる。

●人の話を聞かず、自分ばかりしゃべりたがる人
記者時代は職掌柄、三分七分で(相手が七分)、どっちかというと聞き役に
回っていたが、今は四分六分くらいになっていると思う。時々、
「嶋中さんは聞き上手よね」などとお褒めの言葉をいただくことも。
話が盛り上がる時は互いに話のキャッチボールをしている時。
一方だけがしゃべり、それも自慢話ばかりだったら確実にきらわれる。

●いわゆる〝正論おじさん〟
一部で社会問題化しているのがこの〝正論おじさん〟や〝暴論おじさん〟の存在。
言っていることは正しいのだけれど、重箱の隅をつついたような
枝葉末節のことばかり。「あなたもそう思うでしょ?」と時に同意を
求められたりするのだが、ボクは顔で笑顔を作りながら、
心の中で(ハイ、ハイ)と聞き流している。わが団地にも佃煮にするくらいいる。

●〝ながらスマホ〟で自転車に乗ったり車を運転したりする人
おしゃぶりを手放せない赤ん坊みたいに、スマホ中毒にかかっている大人たちが
いっぱいいる。スマホの画面に夢中で、通行人や車に無頓着なヤングママがいた。
あろうことか彼女はベビーカーを押していた。ボクは思った。
(豆腐のカドに頭をぶつけて死んでしまえ!)と。電柱のほうがいいか(笑)。

●〝本人〟の幟(のぼり)をたて、やたら握手をしたがる候補予定者
選挙期間外に自分の名前を出したり演説したりすると〝公選法〟違反になる、
というのは知っている。だが、あの〝本人〟と謳った幟やタスキを見かけると、
(バカみたい)とつい思ってしまう。自転車で走り回っている候補者を見ると、
どんなに高潔な人物であっても〝マヌケ〟に見える。いけ好かないな、
あの〝本人〟の幟は。

●スーパーのレジで執拗に小銭で支払おうとするおばあさん
レジ係も呆れ、列に並んだ客たちから舌打ちされたりしているのに、
われ関せずとばかりに、財布から一円玉や五円玉を取り出そうとするおばあちゃん。
そしてまたその動きがスローモーション映像みたいに遅い。
小銭をためておきたくない気持ちはわかるが、
少しは周りの空気を読んでくれないと……齢は取りたくないもんだ。

●ストリートアートと称して落書きをする無法者ども
ボクはそもそも落書きというものが大きらい。他人の家の壁や塀にスプレーで
落書きをし、「これはアートです」と開き直るものがあったら、平手打ちを
喰らわせてやりたい。バンクシーの落書きだけはアートとして価値が
認められているそうだが、これもおかしな話で、落書きする人間はどいつも
こいつも一網打尽にしてひっ捕まえ、法外ともいえる罰金を科したほうがいい。
なにがアートだ、バカバカしい。


←バンクシーの落書きだけが許されるなんて……








2019年7月4日木曜日

甘ちゃんの政治屋どもがはびこる国

例によって米国のトランプ大統領が言いたいことをいっている。
「日米安保条約は不公平だ」と。
日本が他国に侵略されたら、アメリカはそれこそ死力を尽くして日本を護るが、
逆の立場だったらどうか。日本はアメリカを助けてくれるか。アメリカのために
兵士たちは命がけで戦ってくれるか?

アメリカの言うことにも一理ある。日本は安全保障関連法が成立したおかげで、
米艦を防護したり、集団的自衛権の〝限定行使〟がほぼ可能になった。
それでもアメリカは日米安保条約を「片務的な合意だ」と不平を鳴らす。
安倍内閣のおかげで相当部分双方向の中身に変わりつつあるのだが、
やはり現行憲法の制約で、死力を尽くして共に戦う、というわけにはいかない。
ボクだったらトランプちゃんにこう言うね。
「グチャグチャ文句を言うなよ。本(もと)を正せばお前たちが無理やり押しつけた
憲法じゃないか。文句をいうなら、改憲の後押しでもやったらどうだ!」



かつてアメリカはフィリピンでヘマをやらかしている。
1991年11月、米国のクラーク空軍基地をフィリピンに返還しているのだ。
この年の4月、同国のピナトゥボ火山が噴火し、火砕流が空軍基地を覆い、
多くの建物が倒壊した。当時、〝冷戦終結〟という環境変化もあって、
この機にアメリカはスービック海軍基地と共に、フィリピンから撤収
することにしたのである。

するとどうなったか? さっそく中国のお出ましである。
南沙諸島の環礁の一つであるミスチーフ環礁を埋め立て、人工島を造って、
軍事基地化を推し進めているのである。そして今、3000m級の滑走路まで造り、
実効支配している。この環礁はフィリピンだけでなくベトナムも領有権を主張
している。が、そんな弱小国の言い分に耳を傾ける中国ではない。

「この海域は昔から中国のもので、歴史的にもそのことが証明されている」
などと一方的に主張。「九段線」なるもので、南シナ海がスッポリ収まるような
境界線を勝手に引き、主権や歴史的権利を主張している。フィリピンやベトナムは
これに猛反発、国際司法の場に訴えた。国際司法裁判所は原告側の主張を全面的に
認め、中国の主張にはまったく根拠がないと一蹴した。しかし厚顔な中国は、
「そんな紙っぺら1枚に何の価値もない」
とうそぶいた。そしていまだに中国の実効支配は続いている。

このミスチーフ環礁の事例は決して対岸の火事ではない。
アメリカの軍事的プレゼンスがなくなった途端に、中国やロシアがこれ幸いと
その空隙を埋めようとする。国際政治の場は、油断も隙もあったもんじゃないのだ。

沖縄の玉城デニー知事は、前任の翁長知事とまったく同じ口調でこう言っている。
「普天間基地の県外移設と早期返還をお願いしたい」と。
沖縄には申し訳ないが、普天間飛行場から米軍が撤収したら、
フィリピンの二の舞になるかもしれない。尖閣どころか台湾も沖縄も中国に分捕られ、
軍事基地化されてしまうかもしれないのだ。
「そんなの杞憂ですよ」
と誰が確信をもって言えよう。

沖縄が中国のものになれば、太平洋への入口が一気に開かれる。
中国とロシアがそのことをどれほど望んできたか。
地政学的な価値からすると、沖縄は中国にとって垂涎の的なのである。

アメリカのトランプがあんまりゴチャゴチャ言うようなら、
こう言い返してやればいい。
「日本も核開発しますよ」と。
開発した核を世界一静粛性の高い日本の潜水艦に積んで東シナ海を遊弋(ゆうよく)
させれば、さすがの中国も手が出まい。イギリスは核弾頭付きのトライデント・
ミサイルを搭載した4隻の原子力潜水艦を保有している。たった4隻でも抑止力は
十分で報復を恐れどの国も手出しができない。この比較的安価なイギリス方式を
マネればいいのである。

集団的自衛権の行使は違憲であり、安保法制は〝戦争法案〟だ、
などと、相変わらず日本の野党はいきり立っている。
では日本の平和と安全をどうやって守るのだ、
揚げ足取りばかりやってないで対案を出せ、と言ってもそれはないという。
「話し合いで解決すべきだ」
などと子供じみたことをいう。話し合いで解決できないかしら、
とフィリピンやベトナムは国際司法の場に訴えた。で、解決したか?

国際政治の場は「話し合いで解決」できるような生やさしい場ではない。
軍事力を背景としたパワー対パワーがぶつかり合う決闘場みたいなところで、
そんなことは少し歴史を齧れば分かることだ。世界は冷徹な〝パワーポリティクス〟
によってどうにか均衡が保たれているのである。国同士の〝善意〟が通用する
ような場では金輪際ないのだ。

まずは憲法を改正して自衛権の問題を現実的なものに戻さなくては
何も始まらない。それより何より、日本国は〝平和を愛する隣国〟の
善意によって護られている、といった内容のあの恥ずかしい〝前文〟を
何とかしてくれ。気恥ずかしくて読むに堪えない。
恥を知らない野党の〝税金ドロボーたち〟には到底理解できまいが、
憲法改正は国家の存亡に係わる喫緊の課題なのである。





←中国が軍事基地化を進めている
南シナ海の人工島。