2019年9月26日木曜日

マウンティングおじさんのお通りだぃ!

花も鳥も美しい風景も、ボクにはとんと興味がない。
だから旅行も行かない。若い頃、国内外の主だったところはさんざっぱら見て回った
から(ほとんど仕事で)、今さら見聞を広めようといわれても食指が動かないのである。

加齢もあると思う。それと膝痛。65歳を過ぎた頃から極端なものぐさ人間になり、
隣町へ行くのもめんどうになってしまった。おまけに「モノ」に対する無関心。
その感性は小さい頃から変わらず、きれいな花の写真を見せられても、
「きれいですね」と月並みな言葉を添えるものの、心は動かされていない。
ボクは「モノ」より「コト」、コトを為す人間にしか興味が持てないのである。

嶋中さんはコーヒーの専門家なんです、などと人前で紹介されると、
尻がこそばゆくなってしまう。『コーヒーに憑かれた男たち』や
『コーヒーの鬼がゆく』といった本を書いてはいるが、
コーヒーそのものの専門家ではない。書いたのはコーヒーに〝憑かれた人間たち〟
であって、コーヒーは何がうまいとか深煎りがお奨め、などと書いてあるわけじゃない。人が憑りつかれる対象はコーヒーではなく酒でもマンジュウでもいいのだ。
要は何ものかに憑かれてしまった人間の心のありようを描きたいのであって、
憑かれた対象は何でもいい。

ボクは毎朝、近くの公園を散歩する。公園には犬を連れた〝人妻〟たちや、
紙飛行機を飛ばしているおじさんたち、ヨロヨロと走り回っているおじさんやおばさん、
大きな声で本を朗読しているおばさんやオカリナを吹いているおばさんもいる。
なかには池の亀を手なずけている〝カメおじさん〟やカラスに餌付けしている
〝カラスおじさん〟もいる。

ボクは気さくに声をかけ、こうしたおじさんやおばさんと言葉を交わすのだが、
いっこうに口を開こうとしないおじさんや、逆に一方的にしゃべりまくる
おじさんもいる。概ね、おばさんたちは社交的で礼儀正しいが、
おじさんには非社交的な人が多く、ボクなんかつい、
(この無口なおじさんも見切り品の野菜みたいに〝わけあり〟なんだろうな……)
などと、勝手に想像をたくましくしてしまう。
ボクの趣味は昔も今も変わらず〝人間観察〟オンリーなのである。

公園でもちらほら見かけるが、いわゆる〝マウンティングおじさん〟と呼ばれる
珍種がいる。いや、外国では比較的珍しいそうなのだが日本では全国各地に
広く棲息している。マウンティングというのは、多くの哺乳類のオスが
交尾の時にとるポーズで、他のものに馬乗りになる行動だ。サル山などでよく
見かける行動で、個体間の優位性を誇示するポーズといわれている。

人間もサルの仲間だから、DNAに〝マウンティング〟の習性が刻み込まれている
にちがいない。最近ではタワーマンションなどでもマウンティング行為は
よく見られるらしい。値段の高い上層階の住人が値段の安い下層階の住人を、
文字どおり〝下目に見る〟という擬似的マウンティングだ。

ボクがよく言う「むかし偉かったおじさん」という種族は、
会話の中になにげなく、ほんのうっすらと、自分の有能ぶりを織り込んでくる。
現役の頃は十数億の金を動かしたことがあるとか、超一流の大学を出ているとか、
露骨には言わず、さりげなく、微妙な言い回しで、相手が察してくれるように
アピールする。

以前、ある人物を取材した時、ボクが出身校を訊こうとしなかったので
(記事に必要なかったから)、この人物はご苦労なことに、あの手この手で
そっちのほうへ話題を振ろうともがき始めた。そしてしまいには、
『♪嗚呼玉杯に花うけて』を鼻歌まじりに小声で歌い出したのである。
自分は実は東大出身なのである、と何としてでも伝えたかったのだろう。
東大卒って大変なんだな、とボクは心より同情した。

こうした手の込んだ自己宣伝を「安っぽいプライド」と一蹴するのは簡単だが、
ボクにとっては大切な〝お客さま〟で、巧みに相槌を打ちながらそのプライドを
くすぐってやる。相手を値踏みして自分が「勝った!」と思ったおじさんは、
マウンティングできた喜びをかみしめながら去ってゆく。
これも〝自己承認欲求〟の別バージョンなのだろう。

おじさんという生き物は悲しいかな、絶えずマウンティングしていないと
気分が落ち着かないようだ。おばさんたちのように相手と〝親和性〟を築きながら
会話する、というのではなくて、自己の優位性をキープしながら会話に興ずる、
というのが理想だから、勝った負けたで一喜一憂するボス猿的な行為は
いっかなやめられないのである。

ボクが住む1600世帯のマンモス団地には、この〝マウンティングおじさん〟
と称する厄介なおじさんたちが佃煮にするくらいいる。そういえば、
同じ棟の中には苦労の絶えない東大出がウジャウジャいるし、医者や弁護士、
大学教授といったおじさんたちが目白押しだ。ボクはどっちかというと
マウンティングするよりされるタイプで、「こんな粗末なお尻でよかったら」
と進んでお尻を突き出してあげる(笑)。

おじさんという悲しい生き物は、定年後であっても絶えず序列にしばられ、
自分が仲間内でどのくらいの位置にあるのか、確認しないでは生きられない。
ナイーヴだから自尊心が傷つけられるのを極端に恐れている。
傍目には強がっているが、生命力はおばさんほど強くはないのだ。

ああ、今日はどんなマウンティングおじさんに出会えるだろうか。
馬乗りされ過ぎてお尻が擦りむけてきたけれど、秘かな楽しみでもある。
われながら〝変な趣味〟だとは思う。万事控えめな善人を装ってはいるが、
これこそ究極のマウンティングだったりして(笑)。
底意地が悪いのだよ、きっと(笑)。




←サル山でのマウンティング。
馬乗りならぬ〝サル乗り〟だ。

2019年9月4日水曜日

ニンゲン様は偽善がお好き?

英国最大の野党・労働党が先ごろ公約を発表した。
①商業捕鯨の再開をやめさせる←これは明らかに日本を標的にしている。
②競馬でムチを使用しない←お尻が痛いの、と馬が訴えてるんだって。
③ロブスターやカニを生きたまま茹でない←熱くて火傷すっから、だって。
➃ガチョウやアヒルに強制的に餌を与え肝臓を肥大化させるフォアグラ。
その輸入を禁止する←フォアグラは旨いけど、確かにこれはちょっとかわいそうだな。

①イギリス人ごときに言われたくないよね。
世界中を植民地にし、数世紀にわたって暴虐の限りを尽くしたくせに、
なに? 「頭のいいクジラを殺すなんて、日本人は野蛮よ!」だって?
ふざけるな。お前たちが狩りのように殺しまくったニンゲンは、
クジラ様より頭のわるいゴキブリ以下の生き物なのか?

お前さんたちに人権や動物の権利を語る資格などハナからありませんよ。
クジラを食べたり犬を食べたりするのはその国固有の文化で、
日本にはいただいた肉への感謝や弔いの意をこめて造った鯨塚がいっぱいある、
という事実すら知らんだろ。包丁塚や人形塚も同じ。生命が宿っていないものにも
感謝の思いを捧げる。生きとし生けるものには命が宿る、とする古神道的な心性
が無機的なものにまで及ぶ、と考えるのが日本人だ。鯨の油だけ搾り取って、
肉も皮も骨も髭もポイと海に捨ててしまう欧米人などとは、
人間の出来がちがうのだよ。

②たしかにムチで叩かれれば痛いよね。人間も動物もおんなしだ。
でも、もともと人間の快楽のために始めた競馬でしょ? 
ドッグレースにしたって同じ。動物にしてみりゃ、(なんで走らにゃいかんのよ?)
と思うでしょ。みんな人間がわがまま勝手に始めたこと。動物に競走させて、
勝った負けたと賭け事に興ずる。敗戦後、マッカーサーは靖国神社を
ドッグレース場に変えようとしたからね。何を今さらムチは使わない、だ。
そういうのを偽善と申します。

③エビやカニにしてみりゃ、いきなり熱湯に入れられたら驚くよね。
だからせめて息の根を止めてから茹でるべき、というのだけれど……
日本にはシロウオやタコの踊り食い、なんていう食べ方がある。
欧米人から見ると、ひどく残酷に映るらしいけど、あれって、けっこう旨いんだよね。
活け造りだって、まだ肉がピクピクしてるのを日本人は平気な顔して食べる、
と欧米人は顔をしかめるけど、アメリカ先住民の村を襲って、
赤ん坊を放り投げ撃ち殺したり、妊婦の腹を裂いたりする残酷さに比べたら、
まだマシでしょ。道徳家ぶるんじゃない、と言いたいね。

➃バブル期、ヨーロッパの星付きレストラン数十軒をめぐって、
数百万も散財し(スポンサーの金で)、高級ワインやフォアグラなどの珍味を
いやというほど堪能したことがあるけど、たしかにフォアグラやキャビアはうまいな。
でもフォアグラができるまでの工程を知ったら、ガチョウにいささか同情した。
ガヴァージュ(強制給餌)の仕方がとても残酷で、ガチョウが苦しそうなのだ。
むりやり肥大させた肝臓を食べておいしいと舌つづみを打つ人間という生き物。
地球は人間の天下なのだから仕方ないことかもしれないが、
ボクも偽善者の一人だから、フォアグラは当分食わないことにする。
いや、ほんとうは懐がさびしくて食えないのだけれどね(笑)。

英国労働党の公約に対するボクの正直な感想は以上のようなもの。
動物愛護の精神には敬意を払うけど、偉そうに上から目線で言われると、
いささかカチンとくるね。欧米人のダメなところはそこ。
自分たちが同じ人間に対して行った無慈悲な行為は棚に上げ、
「動物の権利を守りましょう!」などと善人ぶった正論を吐く。
「どの面さげて言うのか!」とボクなんかは思ってしまう。

左翼的な思想の凝縮されたリベラリズムは今、欧米でも行き詰ってしまっている。
唱えていることは正論で文句のつけようのないことばかりなのだが、
political correctnessがすでに破綻しているように、リベラル的な思想は
〝偽善〟だということが白日の下に晒されてしまっている。

英国労働党の掲げた公約はまさに〝偽善〟そのもので、
日本語でいうところの〝ええかっこしい〟というやつだ。
さんざっぱら馬の尻を叩き、茹でたエビやカニを食いまくり、
フォアグラに舌鼓を打ってきたのに、突然、動物愛護の化身となって、
「残酷なことはもうやめましょう!」と唱え出す。
ええかげんにしいや、とボクは言いたい。

以前、アリを踏み殺してはかわいそうと、注意しながら歩いていたら、
脚がこんがらがって転んでしまった。動物愛護もほどほどにしたほうがいい。



←残酷?なガヴァージュ(強制給餌)



2019年8月30日金曜日

世の中にたえて鶴瓶のなかりせば……

NHK総合に『鶴瓶の家族に乾杯』という番組がある。
笑福亭鶴瓶がゲストと共に旅をし、知らない街を散策しながら
地元の人たちとふれ合う、という紀行・バラエティ番組である。
放送開始以来23年も続いているというから、人気長寿番組の一つなのだろう。

鶴瓶はボクと同年の67歳。人懐っこい笑顔が特長で、
「あのクシャっとした笑顔に癒される」というファンも多いと聞く。
タレントの石塚英彦(ホンジャマカ)も同類で、クシャクシャっとした笑顔を作ると、
いかにも好人物、という印象を受ける。

さて飲み仲間のYさんは大阪生まれ。「鶴瓶は好きかい?」と訊いてみたら
「好きだね~。面白いもの。鶴瓶の出てる番組はたいがい見てるよ」
とのこと。関西生まれはやはり関西人のお笑いが性に合っているようだ。

Yさんには申しわけないが、ボクはこの鶴瓶というタコ顔の男がきらいである。
『家族に乾杯』の中で、見ず知らずの人の家に入り込み、
「奥にいる爺ちゃん呼んできて!」
などと偉そうに命じている。このタコ男、いったい何様だと思っているのか。
あたしが奥にいる爺ちゃんだったらタダじゃおかない。

有名人のおれ様がわざわざ訪ねてきてやったんやから感謝せえよ、てな調子である。
あのいけ図々しさは大阪人特有のものなのか、東夷(あずまえびす)のあたしには、
サッパリ理解できまへんわ。

ハッキリ言うが、鶴瓶も含め関西系のお笑いタレントは少しも〝笑えない〟。
というか、ちっとも面白くないのだ。鶴瓶はCMなどにも起用されているが、
あのクシャっとした作り笑いを見るたびに、
「気色わるいやっちゃな、こいつは」と思ってしまう。

あのダミ声もきらい。風采もパッとしない。
おまけに箸の持ち方がメチャクチャで、食事作法に品がない。
育ちの悪さがぜんぶ出てる、といったら言い過ぎか。
今流行りの〝コミュ力(コミュニケーション能力)〟
は少しはありそうだが、東夷にはどうにも気持ちがわるい。
もし鶴瓶に一片の面白味があるとしたら、関西など〝地域限定〟のもので、
関東はもちろん外国などでは通用しないような気がする。

顔わるい、声わるい、目つきがわるい、品がない、図々しい、
汚らしい、見た目が愚鈍そのもの、標準語が話せない……ときたら、
いいところは一つもないが、実際、どう贔屓目に見ても、
評価すべきところが一つもないのだからしかたがない。

それに鶴瓶はつむじが左巻きだ。かつてこんな発言をしている。
「違憲という人がこれだけ多いのにもかかわらず、何しとんねん!」
自民党が国会を通そうとした通称「安保法制(正式には平和安全法制)」
に対して、鶴瓶が発した難クセである。

言っちゃ悪いが、鶴瓶ごときに何が分かる。
「戦争は絶対しちゃだめ!」などと言っているが、
そんなことは当たり前ではないか。じゃあ、戦争を未然に防ぐためには
どうしたらいいのか、国土防衛の具体策を挙げてくれ、と問われたらどうする。
まさか半世紀前に社会党が唱えた〝非武装中立〟だなんて妄言を
引っ張り出すんじゃないだろうね。

餓狼(がろう)のような国に囲まれている悲しき日本である。
十年一日のごとき野党の、
紛争は「話し合いで解決すべきだ」という言い草じゃあ通らんだろ。

またこのタコ顔の男は、
「竹島なんて、(韓国に)あげたらええやん」
などと放言している。自国領土を平気で譲り渡そうとする非愛国的で未熟な精神。
ロケ隊とともに、この売国奴がわが町に一歩でも踏み込んだりしたら、
六尺棒でなぎ倒してやるから覚悟しておけ!

とまあ、いくぶん芝居がかったセリフでこきおろしてみせたが、
要は鶴瓶という厚かましくも無芸なタコ男が、心底きらいなのである。
あんな気色わるい男、後生だから公共電波にのせないでいただきたい。
もし『家族で乾杯』をまだ続けるおつもりなら、
「NHKから国民を守る党」に一票入れちゃいますからね、お覚悟召され。

       世の中にたえて鶴瓶のなかりせば春の心はのどけからまし




←気色わるいタコ男の鶴瓶



            





2019年8月23日金曜日

坊さんもすなる〝あおり運転〟

あおり運転をしたうえ、相手の運転手の顔をしこたま殴りつけた宮崎文夫容疑者。
「殺すぞ!」と叫びながらこっちに向かってくる様子は尋常ではない。
カモにされた相手の運転手も相当ビビったのではないか。

その話題を団地の仲間たちに振ったら、
「相手の運転手が嶋中さんだったら、宮崎のほうが逆にビビっちゃうんじゃないの?」
「何よ、それ」
「だって、見るからに凶暴そうでガタイもデカいし……ケンカも馴れてるし」
「…………」
「そうだよ。おれが宮崎だったら踵を返して逃げるね。
なんてったって傷害で2回も捕まってんだから、ハンパないよ」
「…………」


仲間のひとりY君は大阪生まれ。宮崎と連れの醜女ガラケーおばさんがとっ捕まった
大阪のマンション前はYの実家の近くだという。現在、妹御が住んでいて、
「あれっ? 犯人の捕まったマンションって、うちの近所とちがう?」
兄のYにラインで緊急のメールを送ってきたらしい。

宮崎容疑者は天王寺高校から関西学院大に進んだエリート。
Yの話だと、天王寺高校から東大や京大へ行く生徒は殊のほか多いという。
関西学院大といえば、わが家も無縁ではない。娘婿の兄が関西学院大アメフト部の
現役コーチなのだ。宮崎のような凶暴な卒業生を輩出したとなれば、
大学としても不名誉極まりないことだろう。

それにしても、宮崎容疑者はよく周囲にこう漏らしていたという。
「(自分が乗ってる)ポルシェが軽(自動車)に追い抜かれたりすると無性に腹が立つ」と。
こういう輩って、悲しいけどけっこういるよね。変形した「事大主義」というか、
有名ブランドの持ち物(車やバッグ、時計など)で
自分を大きく見せようとするやつ。

宮崎という男は口を開けば「女と車の話ばかり」で、
ほとんど中身はなかった、と知人たちは口を揃える。
せっかく名門と呼ばれる学校を出ているのに、女と車の話ばかりでは
お里が知れるというものだ。どっちにもさっぱり興味のないボクなんか、
宮崎の目の前で大あくびをしてしまいそうだ。
「てめェ、ぶっ殺すぞ!」
宮崎に凄まれたら〇〇タマが縮み上がってしまう。

それにしても〝あおり運転〟がいっこうになくならない。
1月には大阪・堺市で寺の住職(61)があおり運転をしたうえ、
相手の運転手の胸ぐらをつかんだ疑いで、書類送検されている。
ホトケ様に仕える出家の身であっても、カッとなると何をしでかすかわからない。
悟りを開いたような顔をしていても、きっと野狐禅(やこぜん)のたぐいなのだろう。

坊さんなおもって〝あおり運転〟を遂ぐ。
いわんや俗人をや。






←胸ぐらつかんで〝辻説法〟か。


2019年8月22日木曜日

朝の公園は人間交差点

和光市には東京ドーム4.3個分の広さを誇る「県営和光樹林公園」がある。
ボクはほぼ毎朝、この樹林公園で数時間過ごす。
公園内には1周1キロのジョギングコースがあり、毎朝ジョガーたちが
必死の形相で走っているが、ボクはヒザ痛の持病を抱えているので、
ウォーキングやジョギングはパス。芝生広場で軽い体操や筋トレをやっている。

緑に囲まれた芝生広場には、早朝、愛犬家たちが集まってくる。
広場の端のほうで、リードを外し、思いきり走らせているのだ。
いわゆる〝ドッグラン〟状態。ノーリードは規則違反なのだけれど、
ほんの数十分だけだからと、管理事務所の職員も見て見ぬふりだ。

ボクはこの愛犬家のおじちゃんやおばちゃんたちと、いつの間にか
言葉を交わすようになり、今ではほとんど毎日、おしゃべりに興じている。
犬たちの名はモモ、ユキ、ムツゴロウ、クリス、フクサブロー……といったもので、
犬種もさまざまだ。犬同士も逢うと嬉しいらしく、しっぽを振りながら
じゃれ合っている。その様子がとても可愛く、つい頬がゆるんでしまう。

芝生広場には他に名物の〝紙飛行機おじさん〟たちも来る。
それぞれ自慢の紙飛行機を飛ばしているわけだが、
(いったい何が面白いのかねェ……)
と、ボクにはいまだに理解不能で、自分で作って飛ばしてみよう、
などとは金輪際思わない。あのパフォーマンスも〝自己承認欲求〟の
一種なのかもしれないが、魅力の本質がさっぱり掴めないので、
おしゃべりにはつき合うが、
紙飛行機の飛ぶサマはほとんど無感動のまま眺めている(Nさんゴメンネ)。


←この紙飛行機おじさんは
Nさん。もと整骨院の院長で、
自転車レースで名を馳せた人でもある。








公園にはさまざまな人間が集まってくる。
今日初めて会ったおばちゃんは、芝生公園の端っこで本を音読していた。
見ると歌舞伎の口上や〝生麦生米生卵〟といった早口言葉、古典の名句などが
集められている本で、こうした名句を高らかに音読することで、心と身体を
鍛えているという。おばちゃんは馴れないのか、恥ずかしそうに音読していたが、
腹から声を出すのは身体によさそうだ。また暗唱すればボケ防止にもなる。

そうかと思うと、木陰でオカリナを吹くおばちゃんたちがいる。
『蘇州夜曲』『東京ブギウギ』『高原列車は行く』といった懐メロで、
どちらかというと親の世代に流行った曲ばかりなのだが、幼い頃に聴いた
曲調が耳に残っていたので、いっしょに歌ってみたら、おばちゃんたちは
殊のほか喜んでくれた。

毎日顔を合わせれば、自然と「おはようございます」の挨拶が交わされる。
こうして知り合った〝ともだち〟がけっこう多くて、友達の輪がどんどん
広がっていく。幸い、ボクは誰とでも気さくに話せるオープンな性格なので、
彼らも自然と受け入れてくれるようだ。いくぶん残念なのは、知り合いになった
人たちのほとんどがボクより年上で70代、80代の人ばかり。
ほんとうは〝若い人妻たち〟を友達リストに加えたいのだが、
実際は〝年老いた人妻たち〟ばかりで、いまひとつモチベーションが上がらない(笑)。

そうは言っても、鏡に映ったわが身を見ると、紛うかたなき〝おじいさん〟で、
人のことをとやかく言えた義理ではないのだけれど、そこはまだ現役の〝🚹〟
であるからして、ムダな抵抗と知りつつ、一言いってみたいのである。

朝晩、ようやく涼しくなってきた。
明日も、また明後日も、樹林公園で〝若い人妻〟探しの旅が続くだろう。
ホンにご苦労なこった。


←やや〝若い人妻〟(笑)。
ワン公は左が「モモちゃん」、
右が「ユキちゃん」。





2019年8月13日火曜日

人生は悲しみひとつ

飲みすぎと夏バテが重なって体調がチョー悪し、という感じだったので、
命を護るため高らかに禁酒宣言を発した。

で、どうなったかというと、2日間の完全禁酒に成功した。
大方の予想では「1日だってムリでしょ」が大勢を占めていたから、
2日も禁酒したら大成功である。あんまり嬉しいものだから、
ここ数日、仲間たちと祝い酒に興じている。

先日、ボクの親友が膀胱ガンで亡くなった。まだ60代半ばである。
最愛の夫を失った奥方は、
「もう二度とあの笑顔に会えないのかと思うと心底辛い。そしていまだに
そのことが信じられない」と嘆いていた。
また友人Nの娘婿はすい臓ガンと診断され、Nはほとんど絶望している。
婿さんはまだ40代。子供も3人いる。サイレントキラーと呼ばれるすい臓ガン。
めったなことは言えないが、生還を祈るしかない。

ボクの愛読書でもある『The Little Prince』の中に、王子がいろんな星を
訪ねるシーンがある。その中の一つは酔っぱらいの住む星だった。
王子様は酔っぱらい男にこう尋ねる。
❛What are you doing there?❜
酔っぱらいは悲しそうな顔してこう答える。
❛I am drinking,❜
❛Why are you drinking?❜
と重ねて訊くと、この酔っぱらいは、
❛So that I may forget,❜と答える。
王子はやや同情気味に、
❛Forget what?❜と訊けば、酔っぱらいは、
❛Forget that I am ashamed,❜と首うなだれながら答える。
王子はなおも、
❛Ashamed of What?❜と訊く。
酔っぱらいは、こう答えて口を閉じた。
❛Ashamed of drinking!❜

酔っぱらいの気持ちは半分わかる。
辛いこと、悲しいこと……生きていれば「愛別離苦」は誰にだって訪れる。
宗教家の紀野一義は、人の生涯は〝悲しみ一つ〟と思いきわめろ、と言っている。
「親鸞は〝悲しみをよく知る人〟であった。悲しみをよく知る人でなくては
大勢の人を幸せになどできないのである」

人生は悲しみひとつ。
そう思いきわめれば、
そこはかとない無常観に包まれ、
生きとし生けるものに対して優しい眼差しが向けられる。
ボクが求めている境地はココなんじゃないか。
悲しみを根っこに持つ明るい無常観、とでもいうべき境地なのではないか。
 

今の瞬間が幸せでも、次の瞬間は不幸の淵に立っているかもしれない。
一寸先は闇で、突然の輪禍であの世に逝ってしまうかもしれないのだ。
現にそんな事件や事故が後を絶たない。

酒を飲みながらそんなことにのべつ思いをめぐらせているわけではないが、
「苦い酒」「悲しい酒」の味だけは心に刻んでおいたほうがいい。

星の王子様は酔っぱらいが住む星を去る時、こんなふうに呟く。
❛The grown-ups are certainly very , very odd,❜



2019年7月16日火曜日

鼻の上下 臍の下

知り合いのNさんが、
「嶋中さんは相撲見てる?」と訊くから、
「見てますよ。最近は小兵の炎鵬とか竜電とか、
勢いのある新しい顔ぶれも出てきたからね」
と応えると、Nさんはニヤッと笑って、
「あたしは砂かぶりで観ている和装の〝きれいどこ〟を見ているんですよ」
ときたもんだ。この狒々爺さん、相変わらず女好きときてる(笑)。

相撲中継を見ていて気づくのは、土俵下の砂かぶり席に着物姿の〝きれいどこ〟が
多いことだ。あの着こなしを見ると花柳界のお姐さんや高級クラブのママたちだと
思われるが、なぜ彼女たちが特等席ともいえる土俵際の見物席を占めているのか。
芸妓は相撲が死ぬほど好きなのだろうか?
それとも彼女たちは相撲取りのタニマチなのだろうか?

こういう古川柳がある。

        日に千両 鼻の上下 臍(へそ)の下

寛文年間に作られたもので、鼻の上は目だから「歌舞伎芝居」。
鼻の下は口だから日本橋の「魚河岸」、そして臍の下とくれば、
言わずもがなの「遊里吉原」に決まっている。

これが当時殷賑(いんしん)をきわめた三大消費経済の中心で、
文字どおり日に千両、合わせて三千両が動いたという。

いささか三題噺めいた話になるが、震災(関東大震災)前の歌舞伎の隆盛を
支えたのは、魚河岸と色里の連中だった。〝総見〟と称して、日頃狂言に
馴染みのない者たちも打ち揃って見物してくれたのである。

歌舞伎役者(芸人)や漁民(海民)も、そして色里の遊女たちも、
身分的にはみな賤業視されてきた仲間同士だ。

魚河岸の連中が歌舞伎をひいきにしたのも、互いに〝化外(けがい)の人〟という
身の上が同じだったからに違いない。化外の人というのは文化の及ばない
野蛮な人の意である。歌舞伎役者はもともと河原乞食と呼ばれた連中だし、
漁撈の人たちも「士農工商」の身分制度の外側にいた。もちろん遊女たちは
最底辺に位置づけられたものたちである。

その被差別の者たちが、昔からの絆を大事にし、生活互助会的な見地から、
互いに助け合い支え合っていたとしても不思議はない。
「いや、ただのタニマチだよ」
といわれればそうかも知れない。本場所だけでなく地方場所に和装の美女たちが
多く出没するというから、相撲取りたちがひいきにしているクラブのママ
というのがたぶん真相だろう。

あの砂かぶりの特等席は「溜席(たまりせき)」と呼ばれるもので、
日本相撲協会に寄付した人たちが座れる席だ。15日間の通し席で、
東京場所だと年間390万円以上、地方場所だと130万円以上かかるという。
なかには暴力団がらみの人たちもいるというが、彼らを業界では〝維持員〟
と呼んでいる。古来からの相撲の維持発展に協力しているから「維持員」
と呼ぶのか。

芸者もクラブママも〝水商売〟と呼ばれる人たちだ。
客の人気だけが頼りで収入が不確かだからそう呼ばれる。
実はボクみたいなフリーのライターも彼らの同類で、
お堅い銀行屋から見ると、金を貸したくない最右翼らしい。
実際、ボクなんか食うや食わずの生活なのだから、
水商売と呼ばれるのも当然だろう。

先述した歌舞伎役者も、漁撈関係の人たちも、また芸妓たちも人気や
天候によって収入が左右される立派な〝水商売〟である。歌舞伎役者などは
名門と称して偉そうな顔をしているが、元をただせば河原乞食と呼ばれていた
〝化外の人〟たちで、つい最近までは堅気の人たちと画然と区別されていた。

以前も少しふれたが、藤山寛美が人気絶頂の頃、街中を歩いていたら、
小さな女の子が指さして「あっ、寛美よ。お母さん、寛美がいる!」
と叫んだら、かたわらの母親が、
「指でさすのはおやめ。指が腐る」と言ったとか。

今なら人権侵害といわれるかもしれないが、虚業と実業は当時ハッキリ区別されていた。
差別ではなく区別。事実、芸人は大衆に愛された。愛されはしたが、正当な労働で
稼いでいるわけではないから区別された。あぶく銭で食っている人たちばかりに
お天道様が当たったら、汗水たらして働いている堅気の人たちが報われまい。
そんなまっとうな精神から、この「区別」が生れたのである。
そんな世間の〝眼〟が肌身に沁みているからだろう、芸の鬼と呼ばれた勝新や寛美は、
その日稼いだあぶく銭をその日のうちに使い切ってしまおうと、狂ったように散財
したという。

さて砂かぶりの〝きれいどこ〟は誰なんだ、という話が妙な方向へ行ってしまったが、
歌舞伎役者も相撲取りも、また花柳界のお姐さまたちも、みな〝同じ穴の……〟
のような気がする。共通項は昔でいえば〝化外の人たち〟であり、現代風に言えば
〝水商売〟である。つまり堅実さを伴わない仕事、すなわち虚業に生きる人たちで、
ひと昔前であれば「指が腐る」と後ろ指をさされた人たちである。

ならば犬畜生と同類かといわれれば、そうではない。
水商売にも水商売なりの気概がある。矜持(きょうじ)もある。
ボクなんか金がない分、矜持だけで生きている。
しかし所詮はコトバという符丁を操って飯を食わせてもらっている〝虚業〟
という事実は片時も忘れたことはない。
だから、ごく控えめに、目立たないように地味に生きている。
地味でないのは酒の飲みっぷりだけ。
これだけは〝どもならん〟のでお赦しを(笑)。







←観戦中、ずっと正座だもんね。
膝痛で正座ができないボクなんか羨ましくて……