2020年2月11日火曜日

命をつないでいくという不思議

孫が連休を利用して泊まりに来ている。
まだ3歳前で、「いやいや症候群」の真っ盛りだ。
「おんもへ行く?」
「や~だ!」
「おうどん食べる?」
「いらない!」
「わがまま言ってばかりじゃダメでしょ!」
「ジージは、あっち行って!」

娘とバーバはやさしくて、ガミガミ怒ったりしないから、
それに味をしめ、何かと口うるさいジージを遠ざけようとする。
ボクはいつも思うのだ。女はえらい。母性は偉大だ、と。
なんという懐の深さ。キャパの大きなこと。
男はこうはいかない。しつけと称して何かと意見を言う。
いうことを聞かないと、つい癇癪玉を破裂させてしまう。

娘を育てたころはどうだったのだろう。
いつもこんなに怒っていたのだろうか。
もう30年以上前のことで、まったく記憶にない。

3歳までは自他の区別がつかず、
相手の気持ちを察するとか気遣うってことができない。
思いついたままを頑固に主張し、それを否定されるとギャンギャンとわめき散らす。
こっちがテレビニュースやスポーツ番組を見たいと思っても、
「(機関車)トーマスがいい~!」
とチャンネル権を声高に主張する。チビ助のくせにうるさいやつなのだ。

聞き分けがよくなるのは何歳からだろうか。
そうなったら、理性派?のジージの出番だ。
世の中の正邪美醜、理非曲直をしっかり教え込んでやる。
男らしい生き方、美しい生き方とは何か、身体に植えつけてやる。

娘夫婦にしてみれば大きなお世話にちがいないが、
それなくしてはジージの出番など永久に訪れっこない。
まあ、別に出番などなくてもよいのだけれど、
少なくともジージの血が数%でも流れている以上、
男の何たるかを教えるのはジージの役割ではないか、
と秘かに任じているわけなのだ。

そうやって気負えば気負うほど、孫は警戒し、
猫なで声で近づくと、例によって「あっちへ行って!」
と冷たく突き放される。敵もさるもの。まんざらバカではなさそうなのだ。
ああ、ジージの運命やいかに。

こんな糞の突っかい棒にもならぬおバカなことを書きつらねているうちに、
大田区の娘宅へ送り届ける時間が来たようだ。
和光市のわが家から車に乗って、環八を南に下るだけ。
混んでいなければ1時間ちょっとで着くが、
渋滞に巻き込まれると往復で優に3時間はかかる。
娘が来るのはたいがい週末か祝日だから、環八はいつだって大渋滞だ。
近頃、頻尿気味のこっちとら、生きた心地もしなくなる。

孫のお守りは大変だ。
が、せっかく娘がジジババに会わせようと孫を連れてきてくれている。
夫婦共稼ぎで、保育園に通わせながらの忙しい毎日。
その大変さを思うと、こっちだって娘の負担を少しでも軽くしてやりたいとは思う。
なんてったって、ボクの宝物はこの娘(次女)と姉の二人なのだ。
その宝物の愛息であれば、どうあっても可愛がってやらねばなるまい。
たとえ「ジージはあっち行って!」と嫌われてもだ。

日々是好日。
こうやって人間は年を取り、あの世への一里塚を刻んでいく。
がんばれ、ジージ!
負けるな、ジージ!







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