2020年3月3日火曜日

血は水よりも淡し

血は水よりも濃し』と西諺にあるが、果たしてそうだろうか。
ボクには『遠くの親類より近くの他人』という戒めのほうが断然しっくり来る。

〝男女男男〟の4人兄弟。ボクは次男坊で、年の差はみな2つ違いだ。
両親が存命中は実家(今は長兄が継いでいる)のある川越へよく通ったが、
母が9年前に逝ってからはすっかり無沙汰が続いている。
そして65歳を機にボクが一方的に終活のための〝年賀状スルー〟を宣言したら、
ますます疎遠になってしまった。〝年賀状スルー〟は兄弟だけに限らない、
仕事関係から友人知人まですべての関係者に及んでいる。

実家から足が遠のいたのは、いくつか理由がある。
その一つは長兄との意思疎通がうまくいってない、というもの。
決して兄弟仲が悪いというわけではないが、さほど良いとも言えない。
可もなく不可もなく、といったところで、兄弟なんて所詮こんなもの。
ボクはごくごく〝世間並み〟ではないか、と勝手に思っている。

こどもの頃はいざ知らず、独立して一家を構える年頃になると、
自然と兄弟との行き来が疎遠になる。せいぜい正月や法事の席などで
顔を合わせるくらいが関の山で、『去る者は日日に疎し』ではないが、
どんなに仲のいい兄弟でも、物理的に遠ざかってしまえば日ごとに交情は
薄れてしまう。これはもうしかたのないことだろう。

兄弟が頼りにならないというわけではない。
しかし、いざとなったら〝近くの他人〟すなわち近所の仲間たち
のほうがよほど頼りになるのではないか。幸いボクには気のおけぬ仲間が
いっぱいいる。1600世帯(約5000人)というマンモス団地の住人だけに、
友だちに不自由することはないのである。

その証拠に、わずか100㍍先にあるスーパーへ買い物に行くだけで、
10㍍歩くごとに知り合いと立ち話を交わしている。顔見知りが多いから、
「どう? 元気にしてる?」に始まって、つい世間話に花が咲いてしまうのだ。
そのため肝心のスーパーになかなかたどり着けない。細胞がすっかり
〝オバサン化〟しているため、延々と中身のない話に打ち興ずることなど
〝お茶の子さいさい〟なのだ。

ボクの父はどちらかというと非社交的な人間だった。が、母は真逆で、
姐御肌のきっぷのいい肝っ玉母さんだった。その血を半分引いているためか、
ボクも開けっぴろげで気さくな性格ですね、とよく言われる。
フランクでopen-mindedなところがボクのたった一つの長所で、
それは外国人であっても例外ではない。言葉など通じ合えなくとも、
まったく気にしない。おかげで、団地に住むイギリス人やフィリピン人、
アメリカ人のおばちゃんとも仲がいいし、近くに住むオーストラリア人とも
すこぶる仲がいい。

2つ上の姉はボク以上に開けっぴろげな性格で、
誰に対しても馴れ馴れしい。電車の中でも、
隣りに座った知らない人に、
「あのさァ、近頃めったなことじゃ咳なんかできないわよね」
みたいな〝ため口〟で話しかけるのだから、尋常ではない。
「な、何なの、この厚かましいオバハンは?」
誰もが戸惑いを隠せないらしい。

ボクはそこまで重症ではないが、馴れ馴れしいところは似ている。
初めて会った人でも、十年の知己のごとくしゃべれる、
というのがボクのよいところなのだ(←自画自賛するな!)

「顔立ち」は生まれつきのものだが、「顔つき」は自身がつくるもの
と古人は言った。性格だって年を重ねれば変わってゆき、
親から受け継いだものにさらに磨きをかけることだってできる。
その意味では、ボクはだんだん完成度の高い性格になりつつあり、
このままいけば〝ホトケ様〟のような人格になりそうな雲行きなのである。
つまりはボクが理想とする「即身成仏」ってことだ。

実際、朝起きて、気がついたら?〝ホトケ〟になっていたりして。
南無……。



















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