2021年7月5日月曜日

明治の男たちは凛々しかった

 毎日、雨、雨、雨……。鬱陶しいですな、梅雨というのは。

梅雨空も鬱陶しいですが、政治家の顔を見るのも鬱陶しいですな。

特に野党党首たちの顔。メイシャントンみたいな顔した立憲の枝野、まだやってるのかよと呆れるばかりの共産・志位、国民の玉木、れいわ新選組の山本、NHKをどうにかしろと叫んでた立花何某……

申しわけないけど、どいつもこいつもロクな顔をしていない。そのことは与党のガースー以下の面々にも言えることで、「我欲」が背広を着てふんぞり返っている、という感じがする。

人相学に詳しいわけではないが、人間を長くやっていると、人柄は顔に出る、ということが分かってくる。人柄だけでなく教養も顔に出る。

その伝でいくと、日本の政治家には教養のカケラもない。そもそも政治家を志した時点で、教養にオサラバしたのかもしれないが、明治の政治家には教養人が多かったから、ボクの考えは浅薄なものなのかもしれない。

たとえば台湾総督府の民生長官を務めた後藤新平の顔を見てくれ。


こんなふうにきりりと引き締まった顔の持ち主が、日本の政界におりますか?

日露戦争の時、最高の軍師と言われた児玉源太郎。彼の顏だってすばらしいではないですか。キツネ目の近藤勇だって、ちょっと笑っちゃうけど、凛々しいといえば凛々しい。



こうした風格を感じさせる顔が令和の時代には払底していますな。

誤解しないでほしいのは、ボクの顏に風格があって、後藤新平みたいだろ? というのではもちろんない(笑)。あんな素敵な顔になりたいとは思うが、たぶんムリだと思う。

で、自分をまず棚に上げて意見を言ったまでの話で、人品骨柄も憂国の情があると、どうして気になってしかたがない、という話なのだ。

それにしても日本を代表する顔が〝ガースー〟こと菅総理だもんね。いつもオドオドしていて、役人がこさえた原稿を棒読みするだけ。G7でも主要国の連中と刺を通ずるまでには至らず、いつもポツンと離れたところで淋しそうにしていた。

言葉なんかできなくてもいいじゃないか。ボクなんか英語はからっきしだけど、外人に平気で話しかけてしまう。通じようが通じまいが、まったく気にしないのだ。ガースーにもこうした厚顔無恥の図々しさがほしいな。

ところで、ボクの娘たちに、「ねえ、ガースー知ってる?」と訊いたらみごとに知らなかった。「じゃあ、〝業スー〟は?」とやったら、これも「?」。業務スーパーのことである。

ボクは今、「業スー」と「カルディ」の虜で、ヒマさえあれば要らぬものまで買ってきてしまうのだ。明治人の顏の話が業スーまで行ってしまったが、脱線はいつものこと。平にお赦しあれ!












2 件のコメント:

  1. 嶋中労さま

    おはようございます。
    すぐさま自分の顔を確認しに行ってしまった田舎者です。

    確かに今の政治家にはこのような顔の人はみあたりません。
    その要因の一つにGHQによって骨抜きにされてしまった戦後生まれの
    日本国民が大多数になっているからだと思っています。

    そして人品骨柄は顔だけではなく言葉にも後ろ姿等にも表れその人が
    ただいるだけで安心できる人ではなくてはならないのです。

    そんな人に少しでも近づきたいものです。

    労さまのブログ復活感謝いたします。

    ありがとうございました。

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  2. 田舎者様
    コメントありがとう。
    復活させたというより、忘れていただけ。

    最近はフェイスブックばかり書いていて、こっちのブログのことを忘れてました。
    申しわけないです。

    時々は書きますからよろしく。

    しかし、日本人の顏はガースーも含め、ずいぶん品下がってきたよね。
    これぞっていう凛々しい顔がほとんどない。

    これって国が衰退する兆しなのかしら。ちょっと心配。
    少なくともボクたちは、立派な顔になるよう頑張ろうね!

    玄米をよく噛んで食べていれば、そのうち素敵な顔になれますよ。

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