2016年11月3日木曜日

「ボケ、土人が!」はやめましょう

大阪府警所属の機動隊員が沖縄の市民デモ隊に対して「ボケ、土人が!」とか
「だまれ、シナ人!」などと発したら、「差別発言だ」として大騒動になった。

「土人」という言葉を聞いて、ボクはまっ先に(ウーン、懐かしい言葉だなァ)と
思った。ボクが子供の頃はごくふつうに使われていたからだ。絵本などでも
アフリカや南洋の島の住民たちは〝土人〟と表記されていた。そこに少しばかり
差別的ニュアンスがあるのは感じてはいたが、それ以上のものではなかった。

メディアは機動隊員の差別発言だけを取りあげて批判しているが、デモ隊の
機動隊員に対する暴言もひどいものだった。
「お前の子供を学校に通えなくしてやる!」
「お前ら八つ裂きにしてやる!」
「大阪のニンゲンは金に汚いからな!」

米国にはpolitically correctとかpolitical correctnessという言葉がある。
差別・偏見のない中立的な、という意味である。1980年代に始まったもので、
主に職業や性別、人種、文化、民族、ハンディキャップ、年齢、婚姻状況等に
よる差別や偏見はやめましょう、といった概念を指している。

たとえばchair man(議長)は男に限った話ではないのでchair personにする、
police manはpolice officerに、manhole(マンホール)はpersonholeに、といった
具合で、マチズモ(男性優位主義)の国であるにもかかわらず、その鎧を袖で
隠した、という感じだろうか。

ボクたちの世代はクリスマスになれば、Merry Christmasだが、今はちがう。
非キリスト教徒も多数いるので、Happy holiday! と言い合うのだ。ボクの次女は
高校生の時にアメリカに1年留学したが、その時はすでにHappy holidayだった
そうだ。

こうした表現はまだ許せるが、mentally challenged(精神障害のある人)とか
short(チビ)がvertically challenged(垂直的障害のある人)に、bald(ハゲ)が
comb free(櫛要らず)などと変身するにおよんでは、
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。それってモロ〝偽善〟じゃないの?」
と言いたくなる。

日本でも痴呆症→認知症、保母→保育士、トルコ風呂→ソープランド、
精神分裂病→統合失調症、ブラインド・タッチ→タッチ・タイピングとなり、
土人は先住民と表記されるようになった。昔はアイヌ民族を保護するという
名目で「北海道旧土人保護法」というのがあったが、今は「アイヌ文化振興法」
というオシャレな法律に衣替えしている。

昔は「味オンチ」のことを「のどめくら」と言ったが、いま「めくら」とか「つんぼ」
なんて言葉を使ったら大変なことになる。
「見ろや、ドめくらの座頭市がこっちへ来るぜ」
とは言えないから、
「見ろや、目の不自由な座頭市がこっちへ来るぜ」
なんだが気が抜けてしまう。
古典落語なんか差別用語のオンパレードだから、これも早晩滅びてしまうだろう。

ボクも自著の中で「コーヒー狂い」とか「コーヒー気狂い」
などという言葉を使おうとしたら、担当編集者から「〝狂〟という字は使わないように
願います」とお叱りを受けた。「なら、クレージーはどうですか?」と訊いたら、
「クレージーならいいです」との返答。
(気狂いはダメでcrazyはOKなのかよ?)
と、ボクは一瞬混乱した。

大阪府警の機動隊の皆さん! 
これからは「ボケ、土人が!」はやめて「ボケ、先住民が!」に訂正してください。
「だまれ、シナ人!」は、なにかと騒がしく、マナー知らずの中国人観光客などに
向かってお使いくださいませ。

2016年10月26日水曜日

ドゥテルテはただの暴言王ではない

米国のオバマ大統領は比大統領のドゥテルテから「売春婦の息子」と
罵倒された。オバマだけではない。駐比アメリカ大使は「このオカマ野郎」と
罵られ、訪比したローマ法王に対しても「もう来るな!」、
国連には「脱退してやる」などと息巻いた。

いまやドゥテルテは〝暴言王〟などという尊称まで奉られ、
その一挙手一投足が世界中のメディアから注視されている。

フィリピンは貧しい国だ。輸出品といえばバナナとマグロくらいしか
思いつかないだろうが、最大の輸出品は、実は女の子だ。ダンサーやホステス、
ハウスメイドに看護婦……彼女たちは異国の地で懸命に働き、
稼いだ金を母国に送金する。その送金でフィリピン経済は支えられているのである。

そんな貧しい、ちっぽけな国の大統領が、アメリカの大統領に向かって、
「アメリカ軍は2年以内に出ていけ」、「オバマは売春婦の息子だ」と
国際儀礼上、考えられないような下品な言葉で罵倒した。 
これはいったい、どうしたことなのか。ドゥテルテはなぜこれほどまでに
アメリカを嫌うのか。

ジャーナリストの高山正之は、ドゥテルテは骨の髄までアメリカ嫌いで、
オバマを罵倒したのも確信犯だから、と言っている。ドゥテルテは麻薬の売人を
裁判にもかけず、およそ2000人も処刑してしまった。オバマはすぐに「人道的に
問題だ」と非難したら、「お前たちにそんな批判をする資格があるのか」と、
反論したのである。

今から1世紀以上も前、アメリカとフィリピンは戦争をしていた。米比戦争
(1899~1913)がそれで、その折、レイテ島の隣にあるサマール島で米軍の
2個小隊がゲリラに襲われ、38人の兵が殺害されてしまった。これに怒った
米軍の駐留司令官は、レイテ島とサマール島の島民を皆殺しにしろ、と命令した。

この命令を出したのは、かのダグラス・マッカーサー将軍の父親である
アーサー・マッカーサー・ジュニアなのである。殺された島民の数は
およそ10万人。この虐殺命令には事前に「10歳以下は殺すな」という
但し書きがあったが、実行部隊は「10歳以下の子供はひとりもいません
でした」と報告し、了承されたという。女子供もかまわず皆殺しにして
しまったのである。ドゥテルテはそのレイテ島の生き残りの血筋に当たるという。
怨み骨髄、というのも理解できる。

米兵38人対フィリピン人100000人。それも非戦闘員の民間人だ。
フィリピン人の命はアメリカ人のそれの2600分の1の重みしかないのか。
こんな非条理が赦されていいものか。東京大空襲や原爆によって
フィリピン人と同じように、いや虫けらと同じように殺された日本人。
アメリカ人の目には日本人もフィリピン人も同類で、虫けらそのもの
だったのだろう。


フィリピン人はスペイン人と300年間戦い、次いでアメリカと戦った。そして
大虐殺という試練を乗り越えてきた。ドゥテルテの支持率は圧倒的に高い
というが、それは彼がフィリピン人の積年の怨みを代弁しているからだ。

高山は「アメリカが通ったあとはペンペン草も生えない」と言うが、
いまそれと同じことを支那がチベットやウイグル、内モンゴルでやっている。

渋谷の駅頭で、ハロウィーンなどと言って仮装行列しているノーテンキな
若者たちよ。君らにはアメリカのお妾さんの子孫なのだ、という自覚すらないのか?
よくもまあ、そんなうすらみっともない格好で街を歩けるよな。
ボクの目には暴言王のドゥテルテのほうが、よほど上等な人間に見えるよ。

2016年10月24日月曜日

三島はダテや酔狂で自裁したのではない。

もうすぐ読書週間(27日~)がはじまる。
こっちはそんなもの関係ない。毎日、読書を欠かさないからだ。
活字を読むことはめしを食ったり呼吸するのと同じで、
ボクの場合は毎日のルーティンワークになっている。

本格的に本を読み始めたのは中学からだから、もうかれこれ半世紀になる。
昨日は就寝時に『福田恆存評論集』第8巻の中から「滅びゆく日本」と「當用憲法論」
を読み返した。

なぜ日本国は滅びてしまうのか。生来、「悲観的楽観主義者」だという福田は、
《私たち日本人が敗戦によって私たち自身の歴史、伝統を自ら否定し、
意識的にそれとの断絶を計ったことにある》という。

福田はさらにこういう。
《一人の人間を他の人間と区別しうるもの、つまり、その人をその人たらしめているもの、
それはその人の過去以外の何物でもありません。記憶喪失者の例を見れば、
その事実はおそらく自明のことと思われます。自分が何者であったか、どういう生き方
をし、誰とつき合っていたか、そういう過去の記憶を喪失した人間は、同時に未来をも
失うのであります。過去を失えば、現在をも含めて今後どうして生きていったらいいか、
何をすべきか、その方途も根拠もまったく失ってしまうのです。人が未来に向かって
行動を起こす出発点はその人の過去であって、現在そのものでは決してない。
なぜなら、現在とは過去の集積そのものだからです》

三島由紀夫が自決したのは、戦後の日本人が、いとも簡単に過去を否定し、
成金旦那のアメリカに、半ばむりやり押しつけられた平和憲法と民主主義の中で、
まるでお妾さんのように、ぬくぬくと生を享受してきたからである。

過去の歴史や伝統的な生き方を否定した日本人が、
国家、あるいは民族としての連帯感を失ってしまったのは当然の話で、
そこに気づかぬ限り日本は滅びると、福田は言い、
三島も命を賭して訴えたのである。

昨日は近くにある陸上自衛隊の朝霞駐屯基地で安倍首相を招き「観閲式」があった。
早朝から報道ヘリなどが上空を飛び交い、そのうるさいこと。
またそれに輪をかけて、左翼のデモ隊が多数押しかけ、「安保法制ハンタ~イ!」
「若者を戦場に送るな!」などと、トンチンカンなシュプレヒコールを繰り返していた。
そのバカバカしいこと。

左翼というのは底なしに愚か者なのだな、とつくづく思った。
左翼のダメなところは、現実に目を向けず、理想ばかり追っているところだ。
ボクは筋金入りのリアリストで、「合理的であるか、正当性があるか」を
行動規範にしている人間なので、夢見がちの目をした理想主義者、
いやむしろ「空想主義者」と呼ぶべきだろうか。そんな連中とは、
土台肌が合いっこない。

ボクも昔は〝夢見るシャンソン人形〟だったので、その愚かさがよく分かるのだ。
なぜ分かったのか。ひたすら本(主に歴史関連の本)を読んで勉強したからである。
学ぶことで空想主義から決別することができる。理想を口にするのは大切だが、
あくまで現実の世界に足をつけたうえでの理想でなくてはならない。しかし、日本の
空想的社会主義者たちは昔も今も地に足をつけていない。
要は、不勉強な愚か者たちの集まりなのだ。

ボクは愚か者などとつき合っているヒマはないので、これからもずっと
彼らを身辺に近づけないようにするつもりだ。バカはジカ熱みたいに感染するからだ。
そして、そのおバカなヴィールスを媒介する藪っ蚊みたいな新聞が
朝(鮮)日(報)だ。日本に真の「Daybreak」が訪れるのはいつの日のことだろう。




2016年10月23日日曜日

ゴキブリ亭主のゴキブリ体操

朝、起きぬけにベッドの上で体操をする。
「ゴキブリ体操」というもので、断末魔のゴキちゃんが、ひっくり返って腹を上に向け、
脚を震わせるというあの〝体操〟である。

テレビか何かで、あの体操が体に良いというので、健康志向の強い女房がまず始めた。
床なりベッドなりに仰向けにひっくり返り、手足をバタバタさせる。
心臓より手足を高く上げ、小刻みに振るので、まるでゴキブリの断末魔の姿に似ている
ため、だれが名づけたのか「ゴキブリ体操」。よくぞ言ったものである。

これを一回30秒~1分ほどやるだけでいい。
毎日続けると血流がよくなり、そのおかげで代謝が上がり、肥満の解消にもつながる
という。血圧が下がり、中性脂肪値が下がり、パンパンに張った足のむくみがなくなり、
腰痛の改善にもつながるらしい。なんだかウソのような話だが、ボクはもうずいぶん
長い間、ベッドの上で続けている。ゴキブリ亭主の面目躍如といったところか。

それと、最近凝っているのが、ぶら下がり健康法。
もともと腰痛持ちなもので、油断をするとすぐおかしくなってしまう。
腹筋に背筋、体幹のトレーニングは欠かさないが、それでも原稿書きの仕事が入り、
日夜パソコンの前に張りつくような日々が続くと、やはり腰が痛くなってくる。

そんな時は、すぐさま近くの公園のジャングルジムへ行き、鉄の棒につかまるのである。
実はぶら下がるだけでも大変なのだが、ボクの場合は、ぶら下がったまま時計の振り子
のように身体を左右に振る。これがきつい。およそ20回も振ると手がしびれてくる。
でも背骨がググッと伸びた感じがして、実に気持ちがいいのだ。

子供たちや若い奥さんたちがいるところでこれをやると、
「なんか、あのおじさん危ない人かも……」と、不審者扱いされかねないので、
できるだけ早朝か深夜にやる。おじさんも、これで何かと気を遣っている。

そんなことを毎日励行しながら、この1カ月、家に缶詰めになってPCとにらめっこを
していた。書き上げた原稿は約800枚(1枚400字)。製本すると450ページくらいの
厚さになる。物書きなんて因果な商売、と思いつつも、けっこう楽しみながらやっている。
他のことは何もできないし、やりたくもない。自分にはこの商売が合っているのだろう。

いっぺん過労死で死んでみたいものだが、
そんな売れっ子ではないので、マイペースでぼちぼちやっている。
これからもずっとこんな調子でやっていけたら、と思う。

さあ、これから(15:30~)いつものキャッチボールだ。
キャッチの後は公園のベンチで小宴会。
この毎週の恒例行事も、もうかれこれ10年続いている。



2016年9月24日土曜日

たった1円で築地通になれる

臆面もなく言わせてもらうと、ボクには『築地のしきたり』(NHK出版)という名著がある。
シマナカロウではなく実名のコバヤシミツルで書いた本で、毎日築地に日参し、
築地場内・外をくまなく歩きまわり、多くの人の声を拾い、関連図書などを渉猟して
書き綴った力作である(←自分で言うな!)。

何度も言うが「迷著」「冥著」の類ではない、「名著」だ。
なぜそう言い切れるのかというと、自分でも名著だと思っているからだ。
わずか2つしかないが、読者レビューでもみごと★5つ。その中の一人は
なかなかの名著です》と書いてくれている。
見ず知らずの人がそう言っているのだから、
これはもう名著というしかあるまい。

築地場内市場を歩いていると、やたらカモメが目につく。
東京でいやでも目につく鳥といえば、あの傍若無人なカラスだが、
ここ築地ではカモメが電線やトラックの荷台に陣取って賑やかに啼きたてている。

築地は都心に近いとはいえ、360年ほど前までのこの地は海の中にあった。
明暦の大火(1657)後に、神田山を崩した土や人工の築地川を掘り下げた土などで、
築き固め、浅瀬の海を陸地に変えたのだ。海を埋め立てたところだから〝築地〟。
これが築地という地名の起こりである。わがもの顔に海鳥が飛んでいたとしても、
少しも不思議ではない。

豊洲の新市場で、盛り土がしてあるしてないで、やけにかまびすしいが、
このままいくと、新市場への移転は相当先になりそうだ。小池都知事が
「粛清します」などと、都の木っ端役人どもに恫喝をかけているくらいだから、
もうしばらくはメディアの注目を浴び続けるだろう。

この騒動に乗じて、ボクのこの〝名著〟も復刻版が出ればいいな、などと、
つい虫のいいことを考えてしまう己が悲しい。ネットの中古本市場では、
たった1円ポッキリ(←1円はないでしょ、ウウウ……)で売ってますから、
慧眼の士で、なおかつ心ある読者はぜひ買ってみてくださいな。


←著者自らが〝名著〟と太鼓判を押す
幻の力作。

2016年9月22日木曜日

「ら抜き言葉」は美しくない

「見れる」「出れる」という、いわゆる「ら抜き言葉」。
ボクはもちろん「見られる」「出られる」の「ら入れ言葉」派だが、
文化庁の2015年度の世論調査では前者の「ら抜き言葉」派が「ら入れ言葉」派を
上回ったことが分かった。旧套墨守を旨とするボクら旧世代が、ますます少数派に
なりつつあることを実感させられる。

ボクの敬愛する故・福田恆存は『日本への遺言』の中で、この「ら抜き言葉」に触れている。
《「見れる」「着れる」「食べれる」という語法を許してはいけない。
その理由の第一は、音がきたない

「見れる」より「見られる」のほうがきれいに響くのは、前者のmiとreの間に、
後者ではraが入るから、と説明している。
《その母音だけ拾っていくと、前者はi・eとなり、後者はi・a・eとなる。
aは最大の広母音である。そしてiは最小の短母音である。広母音は
広大、寛濶。短母音は急激、尖鋭の感を与える》と。

それだけではない。福田はなおも続ける。
《第二の理由は、後者「見られる」のほうが歴史が長いことだ。
言い換えるなら、それが過去の慣習だということ。明治以来、
殊に戦後は「過去」とか「慣習」という言葉は権威を失ったが、
少なくとも言葉に関するかぎり、これを基準としなければ、
他に何も拠り所がなくなってしまい、通じさえすればよろしい、
ということになる》

ボクのきらいな〝結果オーライ主義〟。
言葉の響きがきたなくたって通じればいいじゃん。
箸の使いかたがぐちゃぐちゃでも、口に運べればいいじゃないの……etc。
ボクはこの種の結果さえ良ければいいじゃない、といった安易な姿勢が
大きらいだ。そこには立ち居振るまいの美しさとか、言葉の響きの美しさ、
といった日本人が過去の遺産として備えていた〝美感〟がみじんも
感じられない。彼らは真正の日本人ではない。

たびたび書いていることで、読者各位にはすでに〝耳タコ〟だろうが、
ボクに唯一あるであろう行動規範は、
「美しいか、そうでないか」
これだけである。ボクのキャッチフレーズは、というより行動目標は、
これも耳タコだろうが、「挙止端正」の4文字。
挙止端正とは立ち居振るまいが美しく整っている、の意だ。


人気ラーメン店の行列に並ばないのも、「カッコわるいから」
「美しくないから」がその理由。また、「愛」だとか「正義」といった、
発音するたびに思わず赤面してしまうような言葉を吐いたり、振りかざしたりしないのも、
その行為が「カッコわるいから」「美しくないから」で、へたをするとその陰には、
〝色情〟があったり〝利己心〟が隠れていたりするから。
時に正義を振りまわすことは犯罪的でもある。


(ああ、せめて限られた余生は、「ら抜き言葉」の聞こえない世界で過ごしたい)
ボクの切なる願いである。







←この記事は、『日本の論点』(文芸春秋)の
2012年版に書いたボクの文章。「ら抜き言葉」や
「さ入れ言葉」の問題点を縷々綴った。

2016年9月1日木曜日

厚顔無恥のオーストラリア人

欧米の白人たちにとって、有色人種はいまだに〝人間もどき〟に過ぎない。
白人が1等人種なら、黒人やアジア系は2等~3等、日本人だけが特別に
準1等を許されている、といったかっこうだ。

ボクにはオーストラリア人の友人がいるし、オーストラリアからの留学生も
ホームステイさせたことがある。また女房や娘は彼の国を仕事や観光で
訪れてもいる。いまや多文化主義を国策として掲げているオーストラリアは、
白人と有色人種が共存する理想的な国のように思える。

しかしこの国には恥ずべき歴史がある。
かつてこの国には600万人の先住民・アボリジニがいた。
欧州からの移住者たちは、アメリカ大陸で移住者たちが先住民(アメリカ・インディアン)
を虐殺したのと同じように、アボリジニをためらいなく殺していった。

50万人のアボリジニが住んでいたタスマニア島では、そのほとんどが崖から
突き落とされた。あるいは銃で撃たれた。最後に残った数千人は、岩だらけの
孤島に移され、全員が餓死した。

アボリジニは〝スポーツハンティング〟の延長にある〝獲物〟に過ぎず、
人間とは認められていなかった。〝アボリジニ狩り〟は20世紀の半ばまで
続き、ニューサウスウェールズ州の図書館には、
週末、アボリジニ狩りに出かけた。収穫は17匹》(1927年)
と記した白人の日誌があるという。

白人の持ち込んだ病気に免疫性がなかった、というのもアボリジニ人口衰退の
遠因になっている。結局、600万人もいたアボリジニは今、かろうじて30万人が
生き残っているに過ぎない。それでも白人たちの白人至上主義的な優越意識は
抜けず、いまだに黒人やイスラム教徒、メラネシア人やアボリジニに対する差別は
根強く残っている。

彼らにはナチスのホロコーストに匹敵する大虐殺をしているにもかかわらず、
その反省が微塵もないのだ。これは驚くべきことである。

それでいてクジラを殺して食用にする日本人を〝野蛮人〟と口汚く非難する。
人間であるアボリジニを600万人近く殺しておいて、そのことを恬として恥じず、
あろうことか人間でもないクジラを殺している日本人を野蛮だと決めつける。

日本人と支那人がくしゃみをすると風邪をひくというオーストラリア。
いつまでもアナクロな白人至上主義なんぞを掲げていると、
いつしか立場が逆転し、スポーツハンティングの的にされちまうぞ!








←アボリジニ狩りの〝収穫〟