2017年3月11日土曜日

「3.11」と外国人留学生

今日は昼ちょっと前にフランス人のAlexiaが遊びに来る。
高校生の時に日本へ留学し、わが家にホームステイした子だ。
セーラームーンを見て育っただけに、大の日本贔屓で、
日本語はペラペラ。難しい政治問題だって日本語で議論できる。

そんな嬉しい日なのだが、ボクは朝から沈んでいる。
「3.11」の日に、心ウキウキは不謹慎だろ、とつい思ってしまうためか。

前回のブログでボクは、
人生なんて所詮ちょぼちょぼ、神様はいたって公平なのよ
なんて太平楽を並べてしまった。また曽野綾子の言葉を引用して、
人間の一生の幸福感の総量は、だれも似たり寄ったり
などと書いてしまった。

見方としてはそう間違ってはいないと思うのだが、東日本大震災で
被災した人たちの悲しみや苦しみを思うと、「神様は公平」だとか
「幸福感の総量は似たり寄ったり」といった言葉が、彼らの心情に
およそそぐわないような気がして、いたたまれなくなるのである。
やっぱ「神様は不公平」じゃないのかな、と思ってしまう。

今日は朝からどの局でも震災の追悼番組ばかり。
幼い娘の命を救ってあげられなかった、と遺影の前で慟哭する父親の
震える肩を見ると、涙が止まらなくなる。時間を震災前に巻き戻せるのなら、
巻き戻してあげたい。あの女の子を父親の胸に返してあげたい。
ああ、もうだめだ。涙で目があけられない。

震災はAlexiaが1年の留学を終え、帰国してすぐに起きた。
彼女が帰国した後、ボクはオーストリアからの女子留学生を友人のH夫妻
(前回ブログに登場した同級生)に預けたのだが、その数日後に震災は起きた。
オーストリア支部は原発事故による放射線被害を心配し、
急遽、留学生を全員日本から引き上げさせた。
外国から見れば、フクシマもサイタマも区別がつかない。

もうすぐ駅に着くAlexiaは、だから震災を知らない。
ほんの数日違いで難を逃れられたからだ。
あれから6年……そうか、もう6年も経ってしまったのか……。
高校生だったAlexiaも今は立派な社会人女性に。
リヨン大学大学院を卒業後、大好きな日本で働くことになったという。



←I棟前の庭で可憐な花を撮るAlexia。




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