今日は昼ちょっと前にフランス人のAlexiaが遊びに来る。
高校生の時に日本へ留学し、わが家にホームステイした子だ。
セーラームーンを見て育っただけに、大の日本贔屓で、
日本語はペラペラ。難しい政治問題だって日本語で議論できる。
そんな嬉しい日なのだが、ボクは朝から沈んでいる。
「3.11」の日に、心ウキウキは不謹慎だろ、とつい思ってしまうためか。
前回のブログでボクは、
《人生なんて所詮ちょぼちょぼ、神様はいたって公平なのよ》
なんて太平楽を並べてしまった。また曽野綾子の言葉を引用して、
《人間の一生の幸福感の総量は、だれも似たり寄ったり》
などと書いてしまった。
見方としてはそう間違ってはいないと思うのだが、東日本大震災で
被災した人たちの悲しみや苦しみを思うと、「神様は公平」だとか
「幸福感の総量は似たり寄ったり」といった言葉が、彼らの心情に
およそそぐわないような気がして、いたたまれなくなるのである。
やっぱ「神様は不公平」じゃないのかな、と思ってしまう。
今日は朝からどの局でも震災の追悼番組ばかり。
幼い娘の命を救ってあげられなかった、と遺影の前で慟哭する父親の
震える肩を見ると、涙が止まらなくなる。時間を震災前に巻き戻せるのなら、
巻き戻してあげたい。あの女の子を父親の胸に返してあげたい。
ああ、もうだめだ。涙で目があけられない。
震災はAlexiaが1年の留学を終え、帰国してすぐに起きた。
彼女が帰国した後、ボクはオーストリアからの女子留学生を友人のH夫妻
(前回ブログに登場した同級生)に預けたのだが、その数日後に震災は起きた。
オーストリア支部は原発事故による放射線被害を心配し、
急遽、留学生を全員日本から引き上げさせた。
外国から見れば、フクシマもサイタマも区別がつかない。
もうすぐ駅に着くAlexiaは、だから震災を知らない。
ほんの数日違いで難を逃れられたからだ。
あれから6年……そうか、もう6年も経ってしまったのか……。
高校生だったAlexiaも今は立派な社会人女性に。
リヨン大学大学院を卒業後、大好きな日本で働くことになったという。
←I棟前の庭で可憐な花を撮るAlexia。
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