2017年3月16日木曜日

玄米食と加齢臭

ボクは2年ほど前から100%玄米めしを食べている。
健康のため、というのもあるが、玄米めしはうまい
というのがほんとうのところだ。

一方、カミさんは〝銀シャリ派〟で、麦飯も玄米めしも「喉にひっかかる」
といって口にしない。だからわが家は、ボクとカミさんの分を別々に炊く。
めんどうといえばめんどうだが、いいかげんもう慣れた。
ボクなんか4合ほど炊いて、多くは一膳分ごとに電子レンジ対応型タッパーに詰め、
冷凍にしてしまう。食べるたびに〝チン〟すればいいのだから、実に楽チンだ。

若い時分は、めしをいっぱい食べた。一膳で済まそうとすると、
「どっか具合が悪いのかい?」と母は心配してくれた。
それと、「一ぱい飯は縁起が悪いから」と、形だけでも2杯目を
お代わりさせられた。なぜ縁起が悪いのか、あの頃はサッパリ
だったが、今なら分かる。

野辺送りの朝、身内の出棺時には「出立の飯」といって、ご飯をいただく。
これを「一ぱい飯」といって、お代わりはできなかった。
豆腐の味噌汁か何かをご飯にぶっかけ、一本箸で、
それも立ったまま急いで口にかっこむ。

だから、「一本箸で食べてはいけない」とか「一ぱい飯は縁起が悪い
汁物をぶっかけて食べるもんじゃない」「立ち食いはペケ」などなど……
これらはすべてお通夜の風習からきたものである。

強飯(おこわ)も、めでたい時は小豆を使うが、葬式の時は
黒豆を使う。会葬者に出される折詰も、かつては黒豆の
強飯が出されたものだが、今はすっかりその慣習(しきたり)
が忘れ去られている。

その慣習にことさら逆らっているわけではないが、
ボクの食事は一膳が基本で、縁起の悪いとされる「一ぱい飯」を
日々実践している。それに黒豆入りの玄米めしもよく炊く。
心身ともに実に健康的な食生活だ、と自画自賛しているのだが、
悲しいかな、それでも〝デブ〟になってしまう。
よほど前世の行いが悪かったのだろう。

玄米めしにしたからといって、急に髪がふさふさになるわけではないし、
日頃元気のない〝道楽ムスコ〟が生気を取り戻すわけでもない。
それでもやや硬めに炊いたあの粒々感が何とも言えない。
ボクは堅い人間なので、口にするものも堅いものが大好きなのである。

犬並みに鼻の利くカミさんが、ボクに近づくなりクンクンして、
「ン? なんか臭いな。加齢臭じゃないの?」
などと失礼なことを言う。いつだってジャスミンの香りを放っている
〝人間ファブリーズ〟と呼ばれるボクなのに、よりにもよって加齢臭とは。

「オレ、昼にカレー食べたからな」
事実、カミさんとは別にレトルトのボンカレーをチンして食べた。
「その〝カレー臭〟じゃないわよ。すえた箪笥の臭いみたいな加齢臭よ」
カミさんはキッパリと断罪した。

カレー臭と加齢臭との区別がつかないボクは、
(そうか、イケメンおやじには〝華麗臭〟って手もあるな)
と、負け惜しみをつぶやきつつ、よからぬことを考えている。

おーい、皆の衆! 赤ん坊のオッパイ臭いニオイは大歓迎でも、
年寄りのすえた加齢臭は御免こうむりたいか?

それならこっちにも考えがある。
明日から、加齢臭ならぬオッパイ臭いニオイを撒き散らしてやるからそう思え!
と、勇ましく大口を叩いたものの、心配事がないわけではない。
はたして年寄りも、若い人妻から〝もらい乳(もらいぢ)〟ができるものだろうか。
酔狂な有志あらば応えよ!


←玄米を食べたら、白米なんて
ちゃんちゃらおかしくて食べられませんよ。

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