近所に「うけら庵」というちっぽけな史跡がある。
江戸の末期、文人墨客が集まっては歌詠みの会を催したところで、
狂歌師として名高い大田南畝(蜀山人)も足しげく通ったという。
蜀山人作の狂歌としてボク好みなのは次のようなものだ。
世の中は 色と酒とが敵(かたき)なり どうか敵にめぐりあいたし
また、こんなのもある。山梨県側から見る富士山と
静岡県側から見る富士山のどっちが好き? というものだ。
ボクの女房は静岡県生まれだから、もちろん静岡県側から見た富士の肩を持つが、
蜀山人はこんなふうに詠んでいる。
娘子(むすめご)の 裾をめくれば富士の山
甲斐(かい)で見るより 駿河(するが)いちばん
かなりきわどい表現で、顔をしかめるムキもあるとは思うが、
道徳の標語ならぬ狂歌ですからね、堅いことは言わずに歌を味わってくださいな。
「〝嗅ぐ〟のか〝する〟のか」だが、まあ、こればっかりは好きずきで、
勝手にしてくれという話だろう(笑)。
さて富士山ついでに、こんどはリンゴの話。
「紅玉」というリンゴは今でも売られていて、かつては「国光」
と並ぶリンゴの両横綱だった。この紅玉、新しい品種として生まれた時、
艶々とした赤いリンゴなので、紅(くれない)が満ちみちている、という
意をこめ「満紅」と名づけられた。
ところが八百屋の店先でいざ売る段となり、店のおやじはハタと困った。
「奥さん、マンコウいかがですかァ。真っ赤に熟れたマンコウはいかがですかァ」
「あら、ほんにおいしそうな〝おマンコ〟だこと……」
なんて言えないよね。奥さん連中から平手打ちを食わされそうだ。
で、「満紅」はめでたや「紅玉」という名に変わったという。
「腎虚(じんきょ)」という言葉があるのをご存じか。
精力減退を指す言葉で、腎臓の機能不全の意だ。
江戸の昔、精液は腎臓で作られると信じられていたらしい。
だから精液のことを「腎水」ともいった。
その腎水が空になるから腎虚。
逆に精力絶倫を「腎張(じんばり)」といった。
俳人の小林一茶は名うての腎張で、52歳の時に28歳の女房を娶(めと)った。
初婚である。人生50年の時代に52歳まで独身だった、というのも珍しいが、
その遅れを取り戻そうとしたのか、性交の頻度がすさまじかった。
ご苦労なことに、一茶は女房と何回まぐわったかをきちんと日記に記している。
これは54歳の時の日記から一部を抜き出したものだが、
8月18日 夜3回
8月19日 昼夜3回
8月20日 昼夜3回
と、狂ったように励んでいる。
やせ蛙 負けるな一茶 これにあり
有名な句だが、不謹慎ながら若妻相手に奮闘する一茶の姿がついダブってしまう(笑)。
しかしこの句は、晩婚の末に生まれた長男が虚弱体質だったことから、
その息子を励ますために歌った句とされている。父子ともども、がんばれ!
←「小学館」の雑誌『サライ』に投稿した
記事。〝うけら庵〟と蜀山人の関わりから
コーヒーの今昔を綴った
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