2019年2月27日水曜日

ウソもたいがいにしてくれ!

韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権は相変わらず日本の悪口ばかり言っている。
前の「パクパク・クネクネ政権」は〝告げ口外交〟で名を馳せたが、
ムン政権だって負けてはいない。韓国人は息を吐くみたいに平気でウソをつく
というが、慰安婦問題にしろ徴用工問題にしろ、韓国は勝手に歴史を捻じ曲げ、
日本を悪者に仕立て上げようとしている。実際、事実に反するフェイクばかりで、
よくもまァここまでウソをでっちあげられるものだと、その厚顔無恥ぶりに
怒りも呆れもするが、ウソの歴史によって一方的に悪者にされた日本国や
日本国民はたまったもんじゃない。

ボクなんか近・現代史に関する歴史関連本をうんざりするほど読み漁っているから、
韓国歴代政権のウソなどすぐ見破ってしまう。文大統領は両親が北朝鮮の出身
ということもあってか、南北統一を是が非でも実現し、後世に名をとどめたい、
と思っているにちがいない。
「あの日本統治さえなかったら……」
南北朝鮮は世界に冠たる一等国になっていたはず……と文大統領は
ことあるごとにその思いを周囲にもらしているという。

おバカな個人が勝手に夢を見るのは自由だが、
一国の指導者がそれをあたかも真実のように発言するのは問題だ。
「あの日本統治がなかったら……」
答えは「ずっと古代国家のままだろう」というのと、
「朝鮮人は今ごろはロシア語をしゃべっているだろう」
というのが大方の専門家の見方だ。当時、ロシアがその毒牙を半島へと
のばしつつあったからだ。また日韓併合前の李氏朝鮮に渡り、
『朝鮮紀行』を著した英国女性イザベラ・バードは、その本の中で、
「ソウルは世界一汚い都市」とつづっている。中世や封建時代を
経験していない李氏朝鮮は500年もの間、ずっと古代のままであった。

以前も書いたが、植民地というのは搾取の対象で、日韓併合時代を
韓国朝鮮の人たちが「むりやり植民地にされた」というのなら、
苛斂誅求の証拠とやらをぜひ見せてほしい。搾取どころか、あの40年は
すべて日本からの〝持ち出し〟であった。鉄道は5000㌔以上めぐらし、
小学校は併合時のわずか100校から5960校(1943年時)にまで増やした。
おかげで識字率は6%から22%にまで上昇している。欧米諸国の植民地では
絶対にありえないことである。また、お節介にも稲の品種改良まで伝授し、
北の寒い地域でも稲作ができるようになった。だから英語表記ではcolonization
(植民地化)ではなくannexation(併合、ニュアンスとしては増築するといった意)
という単語を使っている。

「創氏改名」で名前を奪った、などと文句を言うものがあるが、
両班や中人など一部の特権階級以外ではそもそも苗字がなかったし、
女性には名前すらなかった。賤人、白丁と呼ばれた下層階級は
ほとんど奴隷同然で、その奴隷たちがめでたく解放されたのは日本統治
のおかげであった。場合によっては「リンカーンの奴隷解放より大規模で、
その意義たるや、もっと広く顕彰されるべきだろう」という専門家もいる。
「名前を奪った」どころか「名前を与えてやった」というのが正しい認識
なのである。朝鮮半島の人たちは真実の歴史を学んでいないから、
日本統治時代を一方的に非難するが、実際は半島近代化の基礎を作った、
というのが真実で、感謝されこそすれ恨まれる筋合いなどみじんもない。

文大統領は最近、韓国で唯一の英雄とされる安重根の遺骨を掘り出そう、
と中国などにも協力を求めている。1909年10月、中国はハルビン駅構内で
伊藤博文を暗殺したテロリストである。テロリストが国家的英雄という国も
珍しいが、遺骨は中国大連市の旧旅順刑務所付近に埋葬されているらしい。

この日韓併合のきっかけを作った暗殺事件、巧妙に仕組まれた謀略という説がある。
物の本によると安重根はピストルで伊藤を撃った。遺体解剖の所見によると、
伊藤の体内からは3発の銃弾が見つかったらしい。しかしそのうちの1発は
拳銃の弾ではなく小銃(ライフル)の弾であった。銃創を見ると、体内への
射入角が上方からのもので、どうやらビルの屋上などから狙撃した可能性もある。

ということは、安重根の単独犯行ではなく協力者がいた?
安重根が知っていたかどうかはわからないが、伊藤博文は「日韓併合」に
どちらかというと反対していた。皮肉なことに安重根は自分たちの味方を
殺してしまったのである。伊藤の暗殺によって日韓併合の勢いは一気に進み、
翌1910年、そのことが現実のものとなった。
それではライフルで狙撃したのはいったいどこの誰なのか?
思うに、日韓併合を強力に主張していた日本の軍部強硬派あたりがひどく怪しい。

結局、安重根は救国の〝義士〟として祭り上げられ、
事件の真相は永遠に葬り去られてしまった。


←テロリスト安重根を英雄視する韓国人



















2019年2月25日月曜日

役人根性大っきらい

独断と偏見で言わせてもらうと、ボクは〝役人〟が好きではない。
役人を公務員と言い換えてもいい。ただし例外があって、警察官と消防隊員と
自衛隊員(特別国家公務員)はその限りではなく、むしろ尊敬している。

「役人」と「官僚」とは違うらしく、後者は国家公務員Ⅰ種の資格を持つ公務員の
ことで、平たくいうと国を指導する立場の公務員のことを指す。以前も少し触れたが、2010年、「APEC首脳会議」が横浜で開催されたとき、各国首脳たちをどんな食事で
もてなすか、ということでボクの女房が「知恵を貸してくれ」と外務省から頼まれた
ことがある。

カミさんは料理記者としてはベテランの部類で、キャリアは40年以上。
和洋中の料理に通じ、プロ向けの料理雑誌の編集長を務めただけでなく
有名料理人の本を数十冊も手がけている。で、この「横浜APEC」に際しては、
いろいろなアイデアを提供した。だが、外務省の担当が細かいことにまで
くちばしを挟んでくる。そのことごとくが的外れで慇懃無礼な応対であった。

「一見、低姿勢なんだけど、実は尊大そのものなんだよね」
カミさんはもう二度と一緒に仕事をやりたくない、と思ったという。
官僚の中でも財務省に次ぐエリート中のエリートといわれる外務官僚。
東大卒のキャリア官僚ともなれば、それは鼻高々だろうし、
いかな低姿勢を演出しても〝官尊民卑〟に似たエリート意識はぬぐえない。
〝上から目線〟の物言いは骨がらみで沁みついてしまっているのである。

閑話休題。
ユダヤ人にとって「杉原千畝」という元外交官は〝生命のビザ〟を発給した
人物として知られている。当時、リトアニア領事代理だった杉原は、
ナチス・ドイツに追われたユダヤ人難民に日本通過ビザを発給した。

当時の日本の外務省はナチス・ドイツとの関係でビザ発給を認めなかったのだが、
杉原は訓令違反を承知でビザを発給し、そのおかげでユダヤ人6000人の生命が
救われた。この〝生命のビザ〟の話は、今やだれでも知っている。

かつて〝外務省のラスプーチン〟と呼ばれた作家の佐藤優は、
ノンキャリア組だっただけにかつての古巣に対しても遠慮がない。
佐藤の敬愛するのは元衆議院議員の鈴木宗男だ。1991年、日本が独立を承認した
バルト三国に政府特使として派遣された鈴木(当時外務政務次官)の通訳をした
のを機に、二人は強い紐帯で結ばれるようになった。佐藤が外務省の主任分析官
となった背景にも鈴木の威光があったといわれている。

←鈴木宗男(左)と佐藤優








その鈴木の功績の一つに〝杉原千畝の名誉回復〟がある。
鈴木は本省からの訓令に逆らってまで〝生命のビザ〟を発給したという
史実に感銘を受け、杉原夫人を外務省の飯倉公館に招き、直接謝罪したのである。
ところが当時の外務省幹部はこのことに猛反対をした。杉原千畝は外務省の
訓令を破った張本人だったからだ。

外交政策の決定において、もっとも考慮されるべきは人道的なものが基本中の基本、
とボクなんか素人は考えてしまうが、融通の利かない先例主義、法規万能主義
といったものに凝り固まっている役人たちには、そのことがわからない。
官僚の一番いやらしい面が出た、というべきだろう。

うちのカミさんの外務官僚嫌いと、杉原千畝の〝美談〟を
むりやり結びつけるつもりはさらさらないが、ガッチガチの形式主義と
「前例がないですから……」と新規なものを避けようとする先例至上主義は、
昔も今も少しも変わっていないような気がする。創意が欠如し、保身第一に
走る独善的な官僚主義が、この国を静かにそして着実に蝕んでいる。

←罷免覚悟でビザを発給した
杉原千畝。











2019年1月24日木曜日

いいかげん土俵の形を変えたらどうなんだ?

大相撲の中継を見ていていつも思うのだけれど、
あの土俵の形はもう少しどうにかならないものだろうか。
土俵の大きさは径4.55㍍(15尺)と決まっているらしいが、
200㌔以上ある逸ノ城(モンゴル人)とか魁聖(ブラジル人)といった
巨漢力士が土俵に立つと、
(うーん、ちょっと狭すぎるんじゃないの?)
とつい思ってしまう。

力士は年々大型化してきているが、統計によると、
1918年の幕内力士の場合、平均身長が174.6㎝、平均体重は102.9㌔だったものが、
1968年になると、身長が180.9㎝、体重が130.6㌔に増えている。
これが2018年になると、身長が184.2㎝、体重が164.0㌔になっている。
なんと50年で体重が30㌔も増えているのである。
身体が大きくなった分、土俵の大きさを拡げてやったほうがいいんじゃないか、
とボクなんか単純にそう思うのだけれど、日本相撲協会でそんな話が話題に上った
なんてついぞ聞いたことがない。頑ななまでに「伝統」を重んじようとする
日本相撲協会にはハナから変える意思などないのだろう。
いや、そんな考えは思いもよらないのではなかろうか。

百歩譲って土俵の大きさは、まあよしとしよう。
ただ、土俵の高さだけは何とかならないものか。
土俵の高さは34~60㎝が決まりらしい。
2017年の春場所、横綱に昇進したばかりの稀勢の里が日馬富士と対戦した。
この試合で、稀勢の里は日馬富士に寄り倒された際、左前肩と胸部を
しこたま打ちつけ、このケガがもとで引退にまで追い込まれてしまった。
ようやく日本人の横綱が誕生したと思ったら、ケガであっけなく引退してしまう。
地元後援者だけでなく日本じゅうの相撲ファンはさぞがっかりしたことだろう。

もしも土俵が低く、土俵下にクッション性のあるマットでも敷いてあれば、
稀勢の里のケガも軽傷で済んでいたにちがいない。ところが実際は、
崖から突き落とされるみたいな脳天逆落とし。砂かぶりで見ている観客だって
危険がいっぱいだし、何より突き落とされた力士がたまらない。
あの痛みにゆがんだ稀勢の里の顔が今でも目に浮かぶ。










今のように土俵を高くしたのは江戸の享保年間だという。
観衆にあまねく見せられるようにと、土俵の土を高く盛ったのである。
これは余談だが、土俵の土は「荒木田土」といって、
もともとは国技館近くを流れる荒川流域で採れた土を使っていた。
が、今は埼玉県川越市で採取された土を使っている。
ボクは川越生まれだが、うかつにもこの事実をまったく知らなかった。

川越の土は粘性が高く砂が適度(30%くらい)に混じっていて滑りにくいのだという。
土の総量は約45㌧。かつて地方場所などは現地で土を調達していたが、
今は両国国技館だけでなく、大阪や名古屋、福岡の各会場まで川越の土を
運んでいるという。

話を元に戻そう。
くどいようだが、力士が大型化すればするほどケガに泣かされるハメになる。
ケガの程度を軽くするために土俵の大きさや高さを工夫すれば
力士たちの選手生命も必然的に長くなるだろうに、相撲協会は「伝統ですから」
の一点張りで、力士に寄り添った改善を試みようともしない。
相撲取り同士の暴行事件もそうだが、伝統の名を借りた因循姑息な体質は
今も昔もまったく変っていない。

相撲という特殊な世界に生きてきた人たちが相撲協会を牛耳っているのだから、
社会性がないというのも首肯できるが、時代の価値観は刻一刻と変わっていくので、
そうしたものとの摺合わせはどうしたって必要になる。伝統というものは
新しい価値観を上手に取り入れてこそ、より磨きがかかってくる。
ただ唯々諾々としきたりを守っていればいい、というものではないのだ。
協会幹部たちの〝石頭〟が豆腐みたいにグニャグニャになることを祈ってやまない。


←このDVDは同じD棟に住むHさんの作品。
土俵ができるまでを追ったドキュメンタリーで、
優秀作品賞を受賞したものだ。右はそれを
フランス語のナレーションに変えたもの。
仏語はこれまた友人のT女史(G棟)が担当した。
ボクの周囲には才能あふれる人たちがいっぱいだ。

2019年1月15日火曜日

「全然、大丈夫です」とはなんだ!

いつの時代にあっても耳障りな言葉というのはある。
まずは「私って〇〇じゃないですかァ」という言い方。
知り合いの女性編集者がよく使うのだが、言われるたびに
「知らんよ、そんなもん」とツッコミを入れたくなる(笑)。
「こちら〇〇になります」もツッコミを入れたくなる言い方だ。
「お待ちどうさま、こちらシーザーズサラダになります」
「えっ? いつなったの?」

「私のお母さんは~」「ボクのお父さんは~」
という若者も気に障る。「母は」「父は」となぜ言えない。
公私の境界線がハッキリしていない証拠で、未熟の一語に尽きる。
「ってゆーかーァァァ」というのも未熟者の常套句。
「やばい」を連発する若者や「くそかわいい」などというバカ者は、
いっそ逆さ吊りにして思いきり蹴りを入れたくなる。

「全然、大丈夫です」もよく耳にする。「まったく問題ありません」が
正解で、「全然」という副詞がきたら次には打消しの否定語がくるはずなのに、
「全然、オーケーよ」と言われたら拍子抜けしてズッコケそうになる。

またサッカー選手や野球選手のインタビューなどでよく聞かれるのが、
「~ですし」と「~ますし」。いつの頃からかこの「ですし」「ますし」で言葉を
つないでいく選手が多くなった。中田英寿が流行らせた、という説があるようだが、
いつまでもダラダラと際限なくしゃべり続ける言い方で、実に聞き苦しい。
また語尾に「ね」をつけるしゃべり方も不遜で偉そうな響きをもつのだが、
オツムの弱い選手たちはまったく気づいていないようだ。

一方、政治家たちがよく使うのが「粛々と」という言葉。
竹下登元首相が使い始めてから、あっという間に広まったといわれている。
もともとは詩吟などにも謡われる頼山陽作の、
《鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく) 夜河を渡る……》から来ている言葉で、
ひっそりと事を行う、の意だ。

武田信玄の待つ川中島の敵陣へ、上杉謙信の大軍が、
夜陰にまぎれて千曲川を渡る。全軍無言で、隊列を乱さず、
ただ鞭(むち)の音だけが粛々と聞こえてくる……

この「粛々」を竹下元首相は、世上の雑音などに惑わされず、
ひたすらに事を進める、の意で使った。

それはそれでいいのだが、現政権の要である菅官房長官が、
沖縄の辺野古埋め立てを「粛々と進める」とやっちゃった。
「粛々」は相手に気づかれないように静かにこっそりの意だから、
沖縄県人は怒った。これだけ埋め立てに反対しているのに、
知らんぷりして埋め立てを敢行するのか、と。

菅官房長官は、これには辟易(へきえき)し、以後「粛々」という言葉は
使いません、と約束したんだと。お粗末さま。


←♪ 号令粛々、夜浜を埋める

2019年1月7日月曜日

日本人の8割が〝スマホ首〟

正月2日、練馬区谷原にある新鮮市場「フレッツ」に買い出しに行った。
都内最大級の鮮魚店で、お客さんがあると刺身などを買いに時々ここまで足を運ぶ。
さてこの店の隣はふつうの民家だが、珍しや庭に二宮金次郎の像があった。
「民家の庭に金次郎の像があるって珍しいよね……」
女房と2人で顔を見合わせたものである。

ボクが子供の頃はどこの小・中学校にもこの像が立っていた。
二宮金次郎、長じて尊徳と称したこの人物は農政家・思想家として知られ、
「報徳思想」を世に広めた。内村鑑三の『代表的日本人』の中でも取り上げられ、
〝農民聖者〟と讃えられている。

だがこの聖者、近頃は今一つ人気がないという。
「こどもが働く姿は勧められない」
「戦時教育の名残だ」
「歩きながら本を読むのは危険」
などという理由で、「児童の教育方針にそぐわない」ということらしい。



←かつて、どこの小学校にもあった
二宮金次郎像。










質素倹約と勤勉を絵に描いたようなこの像のどこが「教育にそぐわない」のか、
ボクにはサッパリわからないが、戦後民主主義バンザ~イ! を叫ぶ日教組の
センセーたちにとっては、『修身』の権化みたいなこの人物像が、古臭くて
忌まわしい像に思えるのであろう。

そのおバカなセンセーたちの教え子が今、歩きながらスマホをいじっている。
なかには自転車をこぎながらスマホに見入っているものもあるし、あろうことか
車を運転しながらメールを打っている不届きものもいる。いったいどっちが
〝危険〟なのか、とボクは怪しむのだが、日教組のセンセー方は怪しまない。

話は変わるが、日本人の約8割が〝スマホ首〟を患っているという。
スマホ首というのはいわゆる〝ストレートネック〟のことで、
頸椎の緩やかなカーブが失われてしまった状態を言う。
頸椎のカーブが失われてしまう ということはすなわちカーブのクッション機能が
失われ、頭の重みが直に頸椎にかかるということを意味する。
頭の重さは体重の約10%というから、ボクの場合、約8㌔の重さが頸椎にかかる。

実はボクはスマホ首ではないが、ストレートネックと診断されている。
一昨年、頚椎症性筋萎縮症という病気に罹ったとき、レントゲン検査で
わかったのである。パソコンを使う人間がかかりやすいというから、
たぶんそっちの影響だろう。PCが商売道具の物書きにはストレートネック患者が
多いのではないだろうか。ボクはケータイもスマホも持たないから、
パソコンが原因としか考えられない。

それにしても〝スマホ中毒患者〟が多すぎる。
電車の中はもちろんのこと、横断歩道を渡っている時も、
若者たちはスマホの画面に見入っている。
一時停止違反の車が突っ込んできたら、それこそ一巻の終わりである。

1日17時間、スマホから離れられないという中毒患者の若者がいた。
新聞記事に出ていたのだが、寝る時間以外はすべてスマホに捧げているらしい。
いったい17時間もスマホを使って何をしているのか。メール? 動画?
それともゲーム? いずれにしても二宮金次郎の読んでいた四書の一つ
『大学』の中身とは天と地ほどの違いがありそうだ。とてもじゃないが、
二宮尊徳の衣鉢を継ぐ人間にはなれそうにない。

さて、史上最年少で囲碁棋士に内定することが決まった
仲邑菫(なかむらすみれ)ちゃん(9歳)の面構えがいい。
6日、トップ棋士の井山棋聖と対局したが、おめず臆せず、
鋭い視線を井山棋聖に送っていた。この仲邑家にはテレビがないという。
菫ちゃんはバラエティと称する〝バカ番組〟とは無縁のところで
純粋培養されたのである。近頃珍しい、まことにすばらしい一家である。

ボクもバラエティ番組など糞くらえのクチだが、ニュースとスポーツ番組だけは
見ている。ほんとうはテレビなどなくてもいいのだが、薄志弱行の身ゆえ、
つい人並みの生活へと流されてしまった。スマホに熱中している若者の中に、
あの菫ちゃんほどの凛とした面構えを有する者があるか? 

みんな揃ってアホ面なのは、決して偶然ではあるまい。
本を読まず、スマホでゲームやユーチューブ動画に熱中している連中に
輝かしい未来はない、とボクはあえて断言する。スマホなどという
大人の〝おしゃぶり〟は単なる時間つぶしの道具でしかない。
そんなヒマがあったら、本の一冊でも読んだらどうだ?
ああ、二宮金次郎の質朴さを愛しんだあの時代がひどく懐かしい。




←井山棋聖を見据える仲邑菫ちゃん。

2018年12月27日木曜日

動物愛護が聞いて呆れるわ!

日本政府は26日、国際捕鯨委員会(IWC)から脱退することを正式に表明した。
いよいよ待ちに待った商業捕鯨が再開されることになった。30年ぶりである。

ボクたち世代はクジラ肉をよく食べた。給食でもクジラの竜田揚げは定番だったし、
肉というと牛肉や豚肉などよりクジラが一般的だった。戦後間もない貧しき時代に、
貴重な動物性たんぱく質としてクジラ肉は大いにもてはやされた。

とりわけ貧しかったわが家などは、母が、
「今夜のおかずはトンカツよ!」と元気よく叫ぶと、
鼻垂れガキのボクたちは快哉を叫んだものだが、
出てくるカツはたいがいクジラで、わが家で豚カツといえば〝鯨カツ〟のことだった。

母は借金まみれの家計を助けようと、川越市内の卸専門の魚屋に働きに出た。
父の経営する会社が倒産し、社員を全員解雇。食うや食わずの生活を続けてきたのだが、
食べ盛りの子を4人も抱えていては、そのうち家計が行き詰ってしまう。
母は慣れない事務の仕事で家計を支えた。

魚屋に勤めていると案外余禄もある。
ときどき刺身をみやげに持ってくることがあったし、
当時安かったクジラの肉を大量に持ってくることがあったのだ。
日産のゴーン前社長みたいな特別背任罪(笑)ではない。
社員割引で安く仕入れてくるのである。
クジラのベーコンなどは飽きるほど食べた。
この脂っぽいベーコン、今は高すぎて手が出ない。隔世の感とはこのことだ。

そんな日本人の伝統的な食文化を知ってか知らずか、反捕鯨国のオーストラリアや
ニュージーランドは激しく反発している。反捕鯨団体の悪名高きシー・シェパードは
「日本は捕鯨するノルウェーやアイスランドという〝ならず者国家rogue state〟の
仲間入りをすることになる」
などと、偉そうに説教まで垂れている。

わが家にホームステイした〝ならず者国家〟ノルウェー出身のAksel Båhl君。
お~い、聞いてっか?
利口な君なら少しは日本人の気持ちが分かるだろ?

反捕鯨を叫ぶ連中の言い分はこうだ。
「クジラは人間の仲間で高等な頭脳を持つ哺乳類。その愛くるしい仲間を
残酷なやり方で殺し食うという。これほど野蛮な行為があるだろうか」

日本の水産庁と外務省の言い分はこう。
「反捕鯨国は科学ではなく政治的な立場から、いかなる捕鯨にも反対している」

われわれ日本人からすると、愛くるしい牛や豚を電殺などで屠畜する欧米人
のほうがよっぽど残酷だと思うのだが、彼らはそう思わない。
キリスト教では人間と動物の間に一線を引き、人間をあらゆるものの上位に置いた。
聖書の教えの中にも大約、
「牛や豚は人間が食べられるようにと神様が造ってくださった」
と勝手な理屈が述べられているから、彼らは牛や豚を殺すことに何のためらいも
ないのだろう。そういえば飼いきれなくなったペットの犬なども、あっさり殺処分
してしまうものね。死ぬまで面倒を見るという日本人とは〝動物観〟がずいぶん違う。

反捕鯨国の急先鋒、オーストラリア政府は、今度の日本のIWC脱退を非難して、
「極めて失望した。あらゆる商業捕鯨と調査捕鯨に断固反対する」
などとする声明を発表した。

(よく言うよ。どの面さげてこんなご託を並べられるのかね)
ボクからするとちゃんちゃらおかしい声明で、
(こいつら、いまだに白人上位の考え方に凝り固まっていやがる。
自分たちが犯してきたアボリジニ虐殺の歴史は、もうすっかり
忘れてしまったのかしら……)

オーストラリア大陸にはおよそ600万人の先住民が暮らしていた。
アボリジニと呼ばれる人たちである。そのアボリジニが今はわずかに30万人。
残り570万人のアボリジニはいったいどこへ行ってしまったのか。

ニューサウスウェールズ州の某図書館には、
こんなことが書かれた日記が所蔵されているという。
「週末、アボリジニ狩りに出かけた。収穫は17匹(1927年)」

アボリジニは当時、白人どものスポーツハンティングの対象だった。
手当たり次第、銃で撃ち殺していったのである。
50万人のアボリジニが住んでいたタスマニア島では、
そのほとんどが崖から突き落とされ殺された。
残った数千人は岩だらけの孤島に移され、全員が餓死した。


←1828年、白人が自由にアボリジニを
殺してもよい、とする法律を制定。
週末はカンガルー狩りをするみたいにアボリジニ
を狩った。写真は頭部のコレクション。




オーストラリアに敬虔なキリスト教徒がどれほどいるか知らないが、
いくらバカでも人間と動物の区別くらいはつくだろう。
アボリジニは人間? それとも動物?
黒いのとか褐色、あるいは黄色いのは人間ではなく〝猿〟だったっけ?

そういえばヒトラーの『我が闘争』の中で、
日本人のことを〝東洋の山猿〟と言ってたっけ。
さすがに日独伊三国同盟を結ぶ段になり、日本語に翻訳されるとなったら、
急遽この箇所はカットされたけどね。
ついでに言うと、米国のトルーマン大統領が日本に原爆を落とすかどうか
迷っている時、英国のチャーチル首相に相談したら、
「日本人は猿だからいいんだ」
と言われたとか。さすが紳士の国の首相は言うことが違うね。

そんな人種差別の国から追い出された政治犯を先祖に持つオーストラリア人だ。
「囚人の国」という元々の出自が卑しいからだろう、言うことも恥知らずで、
〝動物〟のクジラを食う日本人を野蛮だという。
〝人間〟のアボリジニをナチス並みに大虐殺しておいて、
あろうことか日本国を〝ならず者国家〟だという。

この際、ハッキリ言わせてもらいましょう。
恥を知れ、恥を!
無残に殺されていったアボリジニの怨みを生涯背負って生きてゆけ!
TPPが発効しようがしまいが、筋張ったオージービーフなんか
誰が食ってやるもんかよ!


←クジラが増え過ぎ、漁業資源が枯渇しつつある、
という科学的データをもっと信頼してほしいね。




photo/日本経済新聞

2018年12月16日日曜日

そばの〝ズルズル〟は迷惑行為防止条例違反か?

そば屋に外国人客が入ってくると、さっきまでズズーッと景気よくたぐっていた音が
ピタリと止む。「音をたてて食べるなんて野蛮だ」などと、例によって上から目線の
異人たちが言うもので、野蛮と思われたくない日本人客は、ムリしてお品よく
そばをたぐり出すのである。ところがこの異人客、日本人顔負けの〝ズルズル〟を
やり出したから、店内は一瞬〝シーン〟となるが、ほどなく客たちは一斉に〝ズズーッ〟とやりだした。世の中これだから面白い。

わが家は毎年、異国からの高校留学生をあずかっている。すでに長短期含め15ヵ国
くらいにおよぶだろうか。来年もドイツ人のイケメン生徒をあずかってはくれまいか、
と頼まれてはいるのだが、金髪ボインちゃん希望のボクは「また男かよ!」と半分
ふてくされ、いまだ意を決しかねている。

彼ら留学生と寝食を共にすると、もちろんそば・うどんを食べることだってある。
さすがにパスタ類を食べるときは音はたてないがそばやうどんとなると我らが領域だ。
さほど景気よく音をたてるわけではないが、こればっかりは天下御免とばかりに
品よくズルズルやる。ところが概ね白人たちは、音をたてて食べることに極度の
ためらいがあるから、いつだって口の中でモソモソやっている。日本ではズルズルが
憲法で保障されているし(ウソ)、「迷惑行為防止条例違反」でもないから遠慮なく
ズルズルやっていいんだよ、と委曲を尽くして説明してやっても、生れた時から
音たて食いをきつくたしなめられているから、そう簡単に〝野蛮人〟にはなり切れない。
習慣とは悲しくも怖ろしいものなのである。

そばというと思い出すのは杉浦日南子さん。漫画家であり江戸研究家でもあり、
そして無類のそば通でもあった。残念ながら13年前に急逝してしまったが、
その杉浦女史と軽井沢の「はなれ山ガルデン」でお会いし、そばに関して取材
させてもらったことがある。その際、そばの〝音たて食い〟について質問してみた。
「そばをたぐる〝ズルズル〟は江戸の昔からあったんですか?」

杉浦女史曰く、
《それはなかったですね。江戸300年の間には、上つ方の礼儀作法(小笠原流)が
下々のレベルまで降りていて、長屋の八っつぁん、熊さんでさえ、そばは口の中へ
押し送って食べていた。そばにしろタクアンにしろ、あからさまに音を立てるのは
はしたないとされてたんです》

それがまたどうして〝ズズーッ〟が一般的になってしまったのか、そのことを
重ねて尋ねてみたら、
《明治期、寄席で噺家が擬音によってそばを食べる場面を演じたら、
その所作が庶民の間で流行しちゃった。つまり仕方噺から出たというわけ》


杉浦女史の話では、《古来より日本では「にごり」を忌み、そばであるなら
「つるつる」はいいのですが「ずるずる」は下品とされてきた。だから、ふつうは
口をすぼめてたぐっていたんです》と。
おそらくこれらの禁忌は神道から来ているのだろう。神道は「にごり」と「けがれ」
を忌む。言葉の濁りを忌むのもそのためだ。近頃は「やべぇ」とか「すげぇ」などと
いう濁った言葉の花盛り。日本語の清らかな響きは失われてしまった。

さて、こんな言葉がある。これも杉浦女史から聞いた話なのだが、
〝菊弥生(きくやよい)〟
という言葉だ。これを〝聴くや善い〟と洒落ることで、そばをたぐる音を聞くのは
耳に心地よい、とそばの「音たて食い」を正当化するようになったのである。
つまり、新そばが出盛る晩秋(10月末~11月初頭にかけての菊の季節)から桜の咲く
弥生(3月頃)までの期間にかぎって、かそけきそばの香りを楽しむため、音をたてて
たぐってもよし、とする暗黙のルールができたというわけ。しかし日清・日露戦役
後は、季節を問わずなし崩し的に〝ズズーッ〟とやるようになってしまった。

以上が杉浦女史から聞き取った話で、さすがに江戸文化に通じたお方、
目からウロコの「なるほど」と思わせる話ばかりであった。

こうしたそば文化にまつわる話を留学生相手に英語で説明するのは至難の業だ。
ただでさえヨコ文字のきらいなボクは、
「日本では〝ズズーッ〟が正統なマナーなんだ。四の五の言わずに食べろ!」
とばかりに、異人顔負けの高圧的態度で申し渡すのである。
やはり蛮人の末裔か?








←杉浦さんの実兄は鈴木さんというカメラマン。
彼と何度か仕事をしたご縁で、妹御である杉浦女史
と会うことができた。生で見ると超小顔の色白美人であった。