2016年12月1日木曜日

文弱の徒よ去れ!

慶應義塾を創設した福沢諭吉は、
先ず獣身を成して後に人心を養え》と説いている。
〝お受験〟などと称して、勉強ばかり強いる親がいるが、
勉強の前にまず健康な身体を作らなくてはならない。

娘婿は体重が100キロ以上あり、胸板がボクの2倍はあろうかという、
まさに〝獣身〟そのものといった肉体派で、学生時代は柔道とアメフト
で鳴らしたという。彼の兄もアメフトで鍛えたマッチョマンで、いまは
アメフトの名門・関西学院大のコーチをやっている。彼らの父親も
スポーツマンで、やはり学生時代は柔道とアメフトで名を馳せた。

ボクは勉強ばかりでスポーツと無縁の「文弱の徒」ってやつが大の苦手で、
娘たちにも「結婚するなら多少バカでもいい、ガッシリしたスポーツマンを選べ」
と言ってきた。その教えが効いたのか、次女はプロレスラーみたいな男を連れてきた。
婿が悧巧かバカかは知らない。夫婦なんてものはどう転んだって
「割れ鍋に綴じ蓋」、似た者同士に決まっている。いずれにしろ、
文弱驕奢(きょうしゃ)を退ける――これはボクの生き方そのものといっていい。

良寛については『嶋中労の忘憂日誌』の中で、幾度かふれてきた。
江戸後期の僧侶で、自身を〝大愚〟と称していた。
《無欲一切足、有求万事窮(欲無ければ一切足り、求むる有らば万事窮す)》
もっとも大賢は愚なるが如し、というから「大愚=大賢」なのだろう。

ボクにも人並みの欲はもちろんある。が別段、驕奢な暮らしがしたいわけではない。
身に纏うものは襤褸(ボロ)であっていい。宮沢賢治ではないが、
《一日に玄米四合と味噌と少しの野菜》、そしてできれば酒が二合ほど
あれば言うことはない。それにしても賢治さん! 一日に四合の玄米めしとは、
少し食い過ぎじゃありませんか? ボクも玄米めしの愛好家だが、
いくらなんでも一日四合は食べられませんよ。

文弱の徒はしばしばこう言う。
「この映画を見て癒されました」、「猫の動画を見てると心が癒されるんだよな」と。
どいつもこいつも過保護で育ったくせして神経病を患っていやがる。
病人じゃあるまいし、なぜ「心が洗われる」という言い方をしないのか。
なぜ「感動に震えました」といわず「鳥肌が立ちました」などと言うのか。
「鳥肌……」は本来、寒さや恐怖におののく時に使う言葉だろ。
「ぜんぜん大丈夫」なんていうのも気色悪いからやめてくれ。

なんだか話が脇道に逸れてしまったようだが、
要は数年前、芥川賞をとった田中慎弥みたいな文弱の徒が大きらいだってことだ。
あのナヨナヨした軟弱そうな体つきと、神経質そうな顔つきを見ていると、
こいつの書く文学など、しょせん貧寒な「四畳半文学」の域を出まい、
とつい思ってしまう。田中センセーよ! 糞のつっかい棒にもならない、
つまらぬ活字を連ねるより、もっと身体を鍛えなさいよ。
先ず獣身を成してから人心を養うこと。あんたはあべこべです。







←バルコニーから臨む紅葉。
癒される、じゃない(笑)、心が洗われますな




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