2017年6月4日日曜日

巨星墜つ

15年ほど前であったか、俺はいったい何冊くらい本(雑誌は除く)を持っている
のだろう、と書棚の整理を兼ねて数え始めたことがある。5000冊までは数えたが、
途中でバカバカしくなり、やめた。

ほぼ毎日のようにAmazonへ本を発注し、同じ本を3冊も買ってしまうという
ボケ老人のボクは、かれこれ半世紀以上も本を読み続けている。「本の虫」を
英語では文字どおりのbook-wormというが、読書以外に気の利いた趣味を
持たないボクは、やっぱりムシの類なのだろう。

去る4月17日、保守の論客で英語学者でもある渡部昇一氏が亡くなった。
ボクはこの碩学を以前から敬愛していて、渡部氏の本はたいがい読んでいる。
今読んでいるのは雑誌『歴史通』の編集長からご恵贈たまわった
知の湧水』(ワック)という本。これは雑誌『WiLL』に連載された
エッセイを再構成・改題したものだが、実におもしろい。本の帯には、
〝追悼出版〟と銘打たれていた。

さて、20万部もバカ売れの『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇
を書いたケント・ギルバート氏は、
第九条こそ憲法違反だ》という趣旨の発言をしている。
理由は、憲法というものは国民の安全保障を第一の義務とするものであるのに、
九条はそれに叛いているから、ということらしい。

渡部氏はこの発言に対し、
《奇矯に聞こえるかもしれないが、真実を示している》と評価している。
日本国憲法は一応〝日本国民の総意に基づいて〟発布された、などという建前に
なってはいるが、総意もヘチマもない。作成に参加することも論評することも
禁じられた中で、どうやって日本国民の〝総意〟を汲みとったのだ。

国際法では被占領国の恒久的な法制度を、占領した側が変更を加えたり、
新たに作ってはならない、とされているが、日本国憲法はまさに国際法違反
の典型であって、内実はGHQの占領政策基本法が形を変えただけに過ぎない。

ボクは何度も日本国憲法について論じているが、とりあえず600字程度の「前文」
だけでもガマンして読んでみてくれ、と改めて言いたい。さすが占領軍がわずか
1週間で作り上げたという俄か拵えの憲法だけのことはある。
その前文にはとんでもない文句が挿入されている。
《……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を
保持しようと決意した》

これまた何度も言わせてもらうが、いったいどこの国の憲法が、
自国民の「安全」と「生存」を外国に任せてしまおう、などと
高らかに宣言するだろうか。そんなマヌケな国があるものだろうか?
だいいち「平和を愛する諸国民」って、どこの国なのよ。

日本の隣国といったら、ロシアに北朝鮮、韓国、それに支那しかない。
ほとんど「反日的」といってよいほど敵性を顕わにしている餓狼(がろう)
のような国ばかりだ。そんな危ない国に日本の安全と生存を委ねようなんて、
そこまでウブでノーテンキな日本人がいるのだろうか。
いるとしたら、せいぜい共産党と民進党のシンパくらいなものだろう。
自虐史観に取憑かれた恥知らずのバカどものことなど、俺は知っちゃァいない。
命でも何でも、勝手に他国へあずけてしまえばいいのだ。

でも、これって70年前の話だよね。もしかして「平和を愛する諸国民」って、
かつての米国を中心とした連合国のこと? だとしたら、それこそ噴飯ものだな。
勝てば官軍で、何とでも言えるから。それにしても言うに事欠いて、
平和を愛する諸国民とはね……広島と長崎に原爆を投下し、無辜の民22万人を
殺しておいて「平和を愛する」なんて、よく言うよ。

さて蔵書数がおよそ15万冊という、世界有数の〝本の虫〟である渡部昇一氏は、
《総じて護憲派は勉強が足りない
と断じている。ボクもまったく同感である。

「リベラル=左翼」の人たちは美しき理想主義にかぶれると、ずっとそのまんま。
正しい歴史観や人間観を持たないから、言動がいつも現実離れしている。
読書傾向も「朝日・岩波文化」系の似通ったものばかりだから、
いっかな複眼思考が育たない。ある種の新興宗教の信者みたいなものだ。

ボクは、これもまたくどいくらいに言うが、若い頃はガチガチのマルクスボーイ
だった。しかしジャンルにこだわらぬ幅広い読書が、狭量なイデオロギーに
染まった頭をグニャグニャに軟らかくしてくれた。で、今は〝転向(古いね)
して中道よりやや右寄り(左から見ればみんな右に寄って見えるけどね(笑)

だが、基本は「右も左も蹴っ飛ばせ」という「反イデオロギー路線」である。
そもそもボクは、偏頗(へんぱ)な観念・思想形態であるイデオロギーというもの
が性に合わないのだ。あんなもの、思いっきり蹴っ飛ばしてしまうにかぎる

貧しき書斎を見まわせば、うず高く積まれた本だらけ。
書棚は別室にまだまだある。『資本論』など左翼系の本も未だ処分していない。
あんなおバカな思想にかぶれてしまった愚かな自分への戒めのためだ。
蔵書の数は渡部氏のわずか20分の1程度に過ぎないが、
それでもまっとうな本を読んできたというささやかな自負はある。

人間通』の谷沢永一氏に続き、「知の巨人」がまた逝ってしまった。
その寂寥感たるや筆舌に尽くしがたい。
心より合掌。

←渡部氏(左端)と書庫。

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