2017年8月9日水曜日

8月は死者を悼む月

毎週水曜日は朝霞市民プール「わくわくどーむ」で泳ぐ日である。
さすがに夏休み中である、家族連れが多くてプール内は芋を洗うようだった。

しばらく泳いでいたら館内放送で、
「午前11:02分になったら1分間の黙祷を捧げます」
のアナウンスがあった。
72年前の8月9日、午前11:02分、長崎に原爆が投下された。
広島のウラン235の1.5倍の威力をもつコードネーム「Fat Man」
という爆弾で、一瞬のうちに7万4000人の命が奪われた。

ボクはレーンの端っこに寄り、静かに黙祷をささげた。
多くの人たちは、アナウンスが聞こえなかったのか、
それとも長崎への原爆投下という事実すら忘れてしまったのか、
変わらずはしゃぎまわっていた。ふとプールサイドの一角に目をやると、
外国人の男性がひとり直立し、静かに目を閉じていた。

『戦争を知らない子供たち』などという気恥ずかしくなるような歌を
得意げに歌っていた団塊の世代。そして、その世代に続くボクたちの世代。
あれからもう72年も経ってしまった……ああ、歳月!

あの日、アメリカのハリー・トルーマン大統領は、さすがに迷ったという。
彼は後に記者たちからその時のことを訊かれ、
「迷うどころか、こうやってすぐ決めたんだ」
と得意げに言い放ち、指をパチンとはじいたという。
が、実際は、日本に原爆を落とすかどうか相当迷ったらしい。

で、イギリスのチャーチル首相に相談したら、
日本人は〝beastly little yellow monkies〟だからいいんだ
と言われ、それはそうだと納得し、使う決心をしたという。

トルーマンは一時、全米に600万人の構成員がいた
白人至上主義団体「KKK」のメンバーだったこともある。
もともと筋金入りのracist(人種差別主義者)だったのである。

チャーチルも名宰相の呼び声が高いが、これまたひどい人種差別主義者だった。
1920年代、中東で軍から毒ガスの使用許可を求められた彼が出した回答が、
未開人に対して毒ガスを使用するのに、ためらう必要などない
というものだった。

ヒトラーも『わが闘争』の中で、日本人のことを〝東洋の山猿〟と
書いていたが、日独伊三国同盟を結んでいた当時の日本で、
その翻訳が出た時、さすがにその個所はカットされたという。
トルーマンやチャーチル、ヒトラーが特殊な考えの持ち主だったわけではない。
当時の白人たちには珍しくもない、ごくふつうの考えだったのである。

その山猿の子孫であるボクが、皮肉にも自宅に白人の高校生をホームステイ
させている。そして猿が食らうエサと同じものを日々、彼に与えている。
この素直で純朴な白色人種の子は、「おいしいです」と言って食べている。

人はなぜ人種や宗教で互いに反目・差別し合うのだろう。
なぜ白色が優秀で、黄色や黒色は劣っていると言えるのだろう。
白色が優勢だったのは、たかだか近・現代の300~400年だけである。
それまでは黄色を含めたカラードのほうが文化的にも文明的にもずっと優勢だった。
世界4大文明はすべてアジアとアフリカから興っている。

子供の頃に読んだ絵本にはこうあった。
白は生焼けのパン、黒は焦がし過ぎ、黄色くふんわり焼けたパンが一番おいしいの
この絵本の作者はパンに仮託して何を訴えかけたかったのだろう。
パンは何のmetaphor(隠喩)なのだろう。

広島と長崎への原爆投下は不必要なものだった。
それ以前から、日本は降伏のサインを再三にわたって出している。
しかし彼ら白人たちはわざと無視した。
猿をモルモット代わりにし、原子爆弾の威力を試してみたかったからである。
それとアメリカ側にはソ連の勢力拡張に対する牽制の意もあった。
当時、ソ連は火事場泥棒のように北海道の占領を目論んでいた。

広島、長崎に続いて8月19日には3発目の原爆を落とす予定だった。

小倉や京都、新潟などが候補に挙がっていた。
が、8月15日、日本が無条件降伏したため、計12発落とす予定だった計画
沙汰止みとなった。彼らにとって所詮、日本人はyellow monkiesである。
何匹くたばろうが知っちゃァいない。心が痛むことなど金輪際ないのである。

ボクのバンド仲間のN君は被爆者二世である。
彼のご母堂が長崎で被爆しただけでなく、祖母と叔父を同時に亡くしている。

戦争は遠い昔の話ではない。
目を凝らせば、ごくごく身近なところに、その爪痕は残っている。



←あれからもう72年……


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