「いよいよ首が回らなくなったんだって?」
「年が押し詰まってくると、何かと物入りで……おいおい、違うだろ。
頸椎が損傷していて腕が利かなくなってんだよ」
団地内で、古くからの友達Aさんと偶然会ってしばし立ち話。
先だって彼の奥さんをお茶に呼んで、
亭主の悪口をさんざっぱら聞かされたばかりだ。
「頸椎の矯正には首吊り療法がいいらしいよ。簡単な器具を首にはめて、
ひもで引っ張るんだ。おれの場合は腰痛だったけど、それにも効くって言うんで
何回か首を吊ったことがある。気持ちいいんだよね、あれ。だまされたと思って、
いっぺん吊ってみたら?」
年の瀬に首を吊る吊らない、などと立ち話にしてはかなり物騒な話題である。
それを大声で話すものだから、すれ違った人たちも、どこか不審そうな顔つきで
ふり返っていた。知り合いの奥さんは笑っていた。
「首吊りのほうは少し考えさせてもらうよ。それよりそっちはどうなの?
奥方からはずいぶん冷遇されてるみたいだけど(笑)……心が折れそうになったら
声をかけてね。相談に乗るから」
「お互い、不幸な身の上だもんな。
いっそホントに首をくくったほうがいいかもしれないな(笑)」
笑って別れたが、Aさんの背中にはいやでも孤独の影がさしていた。
首吊りの話題はまずかったかもしれない。
いよいよ極月(ごくづき)といわれる12月。師走ともいうが、
落ちぶれて姿のみすぼらしい浪人を〝師走浪人〟と呼ぶのだそうだ。
ボクなんかさしずめ〝師走老人〟ってとこか。落ちぶれたとは思わないが、
着るものにあまり頓着せず、同じ服を繰り返し着ているから、
傍から見ると、着たきりスズメに見えるかもしれない。
そのスズメが、首を吊る吊らないのと大声で話しているのだから、
妙に切迫感がある。
無常迅速というが、1年なんかあっという間に過ぎ去ってしまう。
初孫ができたと思ったら、もう立派に匍匐(ほふく)前進を繰り返しているし、
離乳食だってガッツリ食べている。娘婿は元アメフト選手で100キロ超の
巨漢である。この孫も末は父親に倣ってアメフト選手を目指すのだろうか。
3月に孫が生まれ、「こいつァ春から縁起がいいやァ!」と喜んでいたら、
9月頃から右腕に異変が起き、いまやすっかり使い物にならなくなってしまった。
スポーツ大好き人間のボクとしては、無念この上ない。
つい気分も落ち込んでしまいそうになるが、
それでも踏ん張って、何事もなかったかのように明るくふるまう、
というのがボクの流儀であり奥床しさ(笑)。
時に哀れっぽい姿で、人妻の胸を〝キュン〟とさせることもあるが、
あまりに内向きで湿っぽい口吻は自分らしくない、とボクは思っている。
Tomorrow is another day.
明日は明日の風が吹くさ、と常に前向きに生きてゆけば、
そのうちいいこともあるでしょ。
←映画『風と共に去りぬ』のヒロイン、
スカーレット・オハラの最後のセリフがこれ。
Tomorrow is another day!
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