2017年12月10日日曜日

ふるさとへ廻る六部は……

長女が昨日から泊りがけで来ている。
たったそれだけのことなのだが、妙に心楽しい。
何かおいしいものをご馳走してあげよう、
と主夫歴30年のボクはいそいそと買い物に出かけるのである。

人生にはある年齢にならないと分からない、
といった予定調和的な事実がいっぱいある。
「子を持って知る親の恩」という格言があるが、
親になって初めて分かること、孫を持ってふと気づくこと、
というのがたしかにある。

娘二人が独立して家を出たのはいつであったか。
もう遠い昔のことのように思える。
これが息子だと実家にはほとんど寄りつかなくなる、とはよく聞く話だが、
幸いわが家の娘たちは、折を見てはよく訪ねてきてくれる。
来れば先祖返りするのか、幼児の頃に使っていた言葉が家じゅうに飛び交う。
たとえば「父しゃん」「母しゃん」。わが家では今でも娘たちは
ボクたちのことをそう呼ぶ。呼び方は〝しゃん〟にアクセントがかかる。
他人に聞かせるのはいささかはばかられるが、
わが家に限って呼び交わすなら、それもいいだろう。



←長女と旅行。次女がいないが、たしか
アメリカに留学中か。みんなまだ若いなァ。





子は宝である。この世で何が大切といって「家族」以外に大切なものなどない。
子や孫のためなら親や祖父母は命を投げ捨てることだって厭わないだろう。
そんな命より大切な子や孫に事故や災害、あるいは病気で先立たれてしまう。
TVのドキュメンタリー番組だったか、東日本大震災で、女房子供を津波に
さらわれてしまった男が、無情な海に向かって「俺の宝物を返してくれ――ッ!」
とばかりに、愛娘愛息の名を声をかぎりに叫んでいたシーンがあった。
さぞ無念だっただろう。見ているこっちはもう涙でぐしょぐしょだ。
大切な人たちを喪い、たった一人取り残されても、
人は前を向いて生きてゆかなくてはならないのだろうか。
軟弱なボクだったらきっと心がポッキリ折れ、廃人同然になってしまうだろう。

ボクの母は6年前に死んだ。
川越の実家で長男夫婦と暮らしていたのだが、ボクが娘たちを連れて
いくと殊のほか喜んでくれた。心残りなのは、母と過ごす時間が
絶対的に少なかったことだ。一人で行ったときなんか、10分そこそこで帰って
しまったことがある。母は何も言わず家の前の通りまで送ってくれたが、
悄然と手を振るその姿はほんとうに淋しそうだった。

あの時、なぜボクは急いで帰ってしまったのだろう。
今になって後悔の念がこみあげてきて、胸が苦しくなる。
母親がどれだけ子供のことを愛しく思っているか、いっぱい話したがっているか、
あの頃はよく分からなかった。親のことよりまず自分の都合が優先された。
考えることは自分のことばかりだった。
「母さん、ごめんな」
ボクが娘と楽しいひとときを過ごせば過ごすほど、
亡き母に対する〝思いやりとやさしさの欠如〟がくやまれ、
深い自責の念に駆られるとともに、悔悟の涙に暮れてしまう。
「母さん、ごめんな。もっとそばにいてやればよかった」

母はたくましい女だった。貧しさを厭わない女だった。
戦中・戦後を息せききって駆け抜けた肝っ玉母さんでもあった。
そんな母も晩年、軽い認知症を患ってしまった。
それでもボクを前にすると、いつもの笑顔で迎えてくれた。
「母さん、いつかまた会えるよね。その時は、ずっとずっと一緒にいるから……」




←画家・小林憲明さんが描く『ダキシメルオモイ』。
東日本大震災で命を落とした母と子の思いを麻の画布に
描いている。わが街・和光市の中央公民館でも展覧会が
開かれたので見に行った。この世で信じられるたった
一つのものはmotherhood(母性愛)であります



2 件のコメント:

  1. 嶋中労さま

    おはようございます。
    「子を持って知る親の恩」、この一言で母親が蘇ってきます。
    10代の頃何かにつけて反抗していた時必ずや母親が口にしていた言葉です。

    来年は母の十三回忌を迎えますが、振り返ってみると。自分が親に対してろくなことを
    していなかったと同時に親は力いっぱいの愛(エネルギー)を注いでくれていたんだと
    改めて思うのです。そしてそんな親に恵まれた自分は幸せなんだと思うのです。

    我が子供も中三と小六、母親の言葉が身に染みています。

    労さま、ありがとうございました。

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  2. 田舎者様
    お母上はずいぶんお若い時期に亡くなられたのですね。
    さぞ無念だっただろうとお察しいたします。

    齢をとると、母のことをよく思い出します。
    わが家は父の会社が倒産してから、ずっと貧乏続きでした。

    母も事務員として働きに出て、夜は内職にも精を出していました。
    働き通しの生涯でしたが、4人の子供を立派に育てました。

    父も働き者でしたが、ふしぎに思い出すのは母のことばかり。
    男の子は並べてみなマザコンの権化みたいなものだから、
    いくつになっても母のおっぱいが恋しいんでしょうね。

    女性は偉大です。子を産み育て、どっしりと動じない。
    母性こそが女の本質であります。

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