2017年1月4日水曜日

日々是好日

新年初出勤の長女からメールがあった。
「例の松葉杖のオバサンがヴァージョンアップして出たァ!」と。
長女の話では、この正体不明のオバサンは、朝のラッシュ時によく見かけるオバサンで、
いつも松葉杖をついているという。

満員の車内に杖をつき、いくぶんフラつきながら入ってくるなり、
「すみませ~ん、席を譲ってもらえますか?」
と哀れっぽい声で叫ぶという。杖をついていれば、たいがい席を譲ってもらえる。
しかしこのオバサン、席を譲られるや決まって車内メイクを始める。
そしてあわただしく次の駅で降りてしまうのだが、降りるやいなや
杖を両脇に抱え、スタコラサッサと階段を一目散なのだという。

「たったひと駅なのに、松葉杖なんて小道具まで使って、よくやるよねあのオバサン!」
長女も呆れている。こっちももちろん呆れているのだが、ついニヤリとしてしまう。
(なかなかやるじゃないの。たまにこういうのがいるから人間は面白いんだよな)
がんばれよ、ニセ松葉杖のオバチャン!

さあいよいよ2017年の幕開けだ。
正月三が日は娘たちや婿が加わってにぎやかに過ごした。
初詣もすました。いやというほど酒も食らった。ごちそうも食べた。
でも、いつも思う。ふつうの日々がいい、派手やかな正月はもう飽きた、と。

年賀状もいっぱい来た。
しかし、どれも「明けましておめでとう。今年もよろしく」の決まり文句ばかり。
いただいていて申しわけないが、もう少しどうにかならないものか。
オリジナルの言葉が少しもないじゃないの、とちょっぴり悲しくなる。
相変わらず印刷しただけの味気ないものもある。
(来年から、もう年賀状を出すのはやめようかしら……)
ついそんなふうに思ってしまう。メールという手もあるし……

今朝はいつものプールで〝泳ぎ初め〟
アルコール漬けになり錆びついていた五体に〝喝〟を入れられた感じがする。
いつもの仲間たちとも新年の挨拶。みな無事で何より。
還暦過ぎると、健康であることのありがたみが骨身に沁みる。

親鸞はこんな歌を詠んでいる。

       明日ありと思う心の仇桜 夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは

明日という日が永遠に訪れるわけではない。明日、自分の命があるかどうか、
だれにもわからない。プール仲間のYさんは、去年の8月、突然最愛の奥さんを
亡くしてしまった。慰めの言葉、などという気の利いたものはない。
ボクはYさんに寄り添い共に泣いた。

日々是好日。
この言葉がどのようにして生まれたか。
それは飽きるほど人間を長くやっているとよ~くわかる。
平々凡々がどれほどすばらしいか。
何ごともない穏やかな日々がどれほどありがたいか。
大切な人を喪うと、そのことがよくわかる。

いつも松葉杖を抱え乗車してくるオバサンだって、オバサンなりの人生がある。
いつも見かけるこのいけ図々しい名物オバサンが、ある日パッタリ見えなくなったら、
呆れ顔の長女だって淋しがるだろう。娘よ、オバサンの演技過剰の哀れっぽい声を
聞くたびに〝日々是好日〟という言葉を呪文のように唱えるがいい。

悧巧がいてバカがいて、金持ちがいて貧乏人がいる。
正直者がいてズルがいて、美人がいてブスがいる。
それでいい。

生きているってことは、ただそれだけですばらしい。
生きているだけで、もう十分、立派なのです。


←ボクの大きらいな相田みつをの書。
でも、「日々是好日」の意味はこの
書の中に尽きている








4 件のコメント:

  1. 嶋中労さま

    おはようございます。

    「日々是好日」を呪文のように唱えるとありましたが、実にいいですね。
    不思議なことで毎日大きな声で唱えているとそのようになってしまうからなのです。

    知らず知らず知らずのうちに自分自身に魔法かけて、どんなことが起きても
    微笑んでしまうから不思議です。

    それでも迷ったり悩んだりしてしまう日々を過ごしています。

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  2. 田舎者様
    現代では年寄りは余計者扱いされますが、齢を重ねると良いこともいっぱいあります。
    たとえば芭蕉45歳の時の句。
          おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな
    正月三が日が終わり、祝宴も果てると、何ともいえぬ寂しさにおそわれます。
    歓楽極まりて哀情多し、というところでしょうか。

    こうした感情を心より味わえるのも年寄りの特権です。
    若い頃は、この感覚がよくわからないのです。

    人生はつらいことの連続です。
    だからこそ、ささやかな喜びを幸せと感ずることができる。

    どんどん迷ったり悩んだりしてください。
    その分、酒がうまくなりますから。

    今年は必ずそっちの縄張りにおじゃましてヤキトリを食らいます。
    エミちゃんにも会いたいし……ヒヒ

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  3. しまふくろうさま、こんばんは(^^)/
    たいそうご無沙汰してしまいました。
    12月は年末年始の用意と大掃除でわたわたとしおりましたし、
    今年に入ってから来客が途切れることがありませんでした。
    二泊三日していた自衛隊の卵くんたちが、昨日の午後帰って行ったので、今日は少しゆっくりできました。
    でもまた来週は宿泊を含む来客が続く予定です。

    私のお正月はいつかくるのでしょうか~( ;∀;)(笑)


    冬の空はきれいです。
    青空も白い雲も、そして星空も。
    昨夜も今夜もまんまるのお月様。

    紅梅も日に日につぼみが大きくなっています。

    朝、霜柱を踏みしめるとざっくざっくと軽快な音。

    一日を無事に終えられるとき、
    とっても幸せな気持ちでお布団に入ることができます。

    何気ないところに、
    幸せってたくさんあるものですね。
    それに気づけるか気づけないかで、
    その人の一生が幸せか幸せでないか、決まってくるような気がします。

    今年もしまふくろうさまから、
    たくさん「ささやかな幸せ」を頂こうと目論んでいるところです。(笑)

    あらためまして、
    本年もよろしくお願いを申し上げます。

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  4. 木蘭様
    こちらこそよろしくお願いします。
    木蘭さんは相変わらず多忙なんですね。自衛官の卵たちの宿坊にもなっているとか。言葉を交わす機会があったら〝滅私奉公〟を徹底して叩き込んでおいてくださいね(笑)。さて、旧暦の1月16日と7月16日は俗に「藪入り」といいます。落語の演目にもありますが、商家の丁稚や女中たちが仕事から解放され実家に帰れる日です。地獄の釜の蓋が開く、なんてことも言いますね。まだ夜の明けない4時ごろから起き出して、寒風に吹かれながら家路を急ぐ。その心持ちを思うと、つい涙を誘われてしまいます。年に数日の休養日。現代の我われには思いもよりません。「ささやかな幸せ」こそが胸いっぱいの幸せなのですね。今年もひたすら謙虚を旨として生きてまいります。

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