週一のキャッチボールは、もうかれこれ10年以上続いている。
最初は2人で始めたが、次に3人となり、今はレギュラーが7名。
場所は団地の前の小学校の校庭で、毎週日曜日の午後にやっている。
キャッチボールの〝効能〟については自著の中にも書いたし、
ネット上の連載コラム『強い父さん賢い母さん』の中でもふれた。
その一つはキャッチボールによる無言の会話だ。ただボールを投げ合っている
だけじゃないの、いったいどこが面白いのかしらね――などとキャッチ
(キャッチボールを英語ではplay catchという)をやらない女性陣の多くは訝しむが、
キャッチの要諦は、「相手が捕球しやすいような球を投げてやること」で、
つまりは相手を〝思いやる〟という心の涵養にも役立つ。
10年近くやっていても相変わらず〝ノーコン〟で、相手を思いやる気持ちに
欠けるメンバーもいないではないが(笑)、あれは単に運動神経が鈍いだけだろう、
と他のメンバーたちの間では非情にも意見の一致をみている。肩が温まるまでは、
常にあさっての方向へ飛んで行ってしまうボールも、ツボにはまってくると、
一転剛速球となるのだから笑える。
そんなノーコン野郎も、キャッチ後に行われる「反省会」では俄然張り切り出す。
反省会というのは、近くのコンビニで仕入れた酒とつまみを公園のベンチに広げ、
恥ずかしげもなく昼間から酒をかっ喰らい、団地内の〝不穏分子〟を俎上に
のせては、ケチョンケチョンになぶりものにする会のことである。
不穏分子とは、団地内の管理組合や自治会で総スカンを喰らって
いるような〝きらわれ者〟のことだ。
「塩豆をかじりながら人の悪口を言い合うのは、人生の快事である」
とは司馬遼太郎の言葉だが、ボクたちの「反省会」では、悪口は悪口でも、
ちょっとした隠し味としてそこにブラックなユーモアがまぶされる。
たぶん悪口を言われている当人がそばで聞いていたとしても、
ニヤリと笑ってしまうのではないか。これも会を束ねる監督であるボクの
〝人徳〟と〝薫陶〟のなせる業だろう😁。
この会ではしばしば遠出をする。昔懐かし「遠足」というやつで、
遠くは横浜中華街、近くは川越まで足をのばした。
川越にはまた行こう、という話もあって、陽気が暖かくなったら
勇躍決行するつもりだ。単なる飲み会の変形バージョンだから
実にお気楽なもので、道中ワイワイガヤガヤと、まるで子供みたいだ😅。
会のメンバーの一人が、団地内のラジオ放送で、「還暦野球について」
ひとくさり語ったという。仲間はボクも含めだ~れも聴いてなかった、
というのが泣かせるところだが、噂ではボクたちのキャッチボールを
団地の住人たちに向かって大いに宣伝してくれたらしい。
しかし、先週のキャッチではそれらしき見物客はひとりもいなかった。
「な~んだ、誰も見に来てくれないじゃん」
いいところを見せようと、しきりに腕を撫(ぶ)していたのだが、ガックリである。
(団地も高齢化の波で、足腰立たない奴が多いからな……)
寄る年波には勝てぬ……悲しき現実に納得せざるを得なかった。
ああ、あと何年、キャッチができるのだろうか。
ボクが定期的にやっている運動といえば、このキャッチと水泳しかない。
膝がいかれているので、ジョギングもウォーキングもドクターストップが
かかっている。
(次はbikeでもやりたいな……)
運動好きのボクは今、漠然とそんなことを夢見ている。
←堂々たる?キャッチボール風景。
球はそこそこ速いでっせ。現に、
ボクの球をタマタマ〝あそこ〟で
受けてしまい、青黒く腫れてしまった
マヌケな野郎がいる。
photo by NICK
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