別名「2学期前自殺」問題ともいう。
この日前後は「クラスメイトと会いたくない」「夏休みの宿題をやってない」
「学校へ行きたくない」などの理由で、命を絶ってしまう児童が多いという。
特に中学生の自殺は2学期開始前となる8月に突出して多くなり、その数は
ふつうの月の2倍となる。
そんな世の風潮を憂いてか、上野動物園は公式ツイッターで、
《アメリカバクは敵から逃げるときは、一目散に水の中へ飛び込みます。
逃げるときに誰かの許可は要りません。わき目もふらず逃げてください。
もし逃げ場所がなければ、動物園にいらっしゃい》
と呼びかけた。なかなか気の利いたことをいうもんだ、と感心したが、
たしかに〝いよいよ危ない〟となったら、命あっての物種、
スタコラサッサと逃げたほうがいい。
ボクはいつも思うのだ。
《浜の真砂(まさご)は尽きるとも、世に〝いじめ〟の種は尽きまじ》と。
いじめによる自殺が起きると、当該生徒の学校長は、
「全校生徒を前に、命の大切さについて教え諭しました」
などと紋切り型の発言をするが、そんなもの、誰も聴いちゃァいない。
大人社会のきれいごとなど、子供たちにはとっくに見透かされているのだ。
だいいち、判で押したようなこんなセリフ、誰の心にも響きはしない。
ボクも学校へ行くのが苦痛だった時期がある。
いじめに似た行為も受けていたし、友だちがひとりもいなかった。
学校で孤立している、なんて薄らみっともないことを親に言えるわけもなく、
ひとり読書の世界に沈潜していった。例によって太宰治の『人間失格』
なんぞを読み、おれと同じような〝ダメな奴〟がいる、と認めることで、
ささやかなカタルシスを得ていたのである。死ぬことまでは考えなかったが、
ボクはひどく孤独だった。
生物界では、強いものが生き残り弱いものが淘汰されていく。
すべての〝種〟の使命は次世代にその〝種〟のDNAを残すことだからだ。
弱い個体が増えると、その種全体の存続が危うくなる。自然淘汰は
その結果である。人間もその生物界の一部だから、自殺は自然淘汰の一種
と思えなくもない。
いじめは学校だけではない。社会に出てからもずっと続く。
いやな上司や同僚、あるいは取引先などから執拗ないじめを受ける。
学校から逃げればいじめが終息するわけではないのだ。
平和の象徴であるハトは、いじめの達人だ。
自然界にはあまり見られないが、逃げ場のない鳥かごの中では
いじめが頻発する。強いハトが弱いハトの首をめがけて執拗にくちばしで
つつくのだ。この攻撃は血まみれの半殺し状態になるまで続く。
ゲージの外なら飛んで逃げられるが、かごの鳥では逃げようがない。
人間の場合、いじめられるタイプは決まっている。
気の弱そうなおとなしい子で、万に一つも反撃してこないだろう、
というタイプである。ボクは60有余年、べんべんと生きながらえてきたが、
ボクなりにある種の〝真理〟を獲得した。いじめに遭わない方法論である。
①猛烈に本を読め!
本を読み知識が深まれば、人間というものの凡(おおよ)そが知れてくる。
人間は賢いが同時に愚かである、ということが分かってくる。人間という
ものの正体がわかれば、どんな人間が目の前に現れても動じなくなる。
この手の平常心の人間はいじめの対象にはなりにくい。
②ケンカ術を身につけろ!
何度も言うが、ケンカは〝気合い〟である。それと先手必勝。
最初に相手の顔面にパンチをお見舞いしたほうが勝ちである。
これは経験から導き出した確かな事実で、そのおかげで何度も
警察のご厄介になり、ありがたくもDNAまで採取されている(笑)。
※朝霞警察署の遠藤さ~ん、ヤッホー!
埼玉検察庁の飯島さ~ん、元気ですか~?
③身体を鍛えろ!
ヘナヘナした肉体ではだめ。丸太ん棒みたいな二の腕と厚い胸の男に
ケンカを売る酔狂な奴はあまりいない。福沢諭吉も言っているではないか。
まずは〝獣身を成せ〟と。それと1発やられたら10倍にして返すこと。
「やられたらやり返す」を肝に銘ずるのだ。このことは国の防衛とも通ずる。
つまり「やられたら10倍にして返すからな」という姿勢を常に見せておく
ことが大事で、それがいじめの抑止と戦争抑止につながる。
④友だちなんか要るもんか、と覚悟を決めろ!
友だちがほしい欲しい、と思っていると友だちはできない。
そんなもの欲しかァねえや、と開き直ると、ふしぎや友だちが寄ってくる。
人の世の摩訶不思議なところだ。ボクは孤独な生活が長かったせいか、
孤独には慣れているし、怖くもない。最低限、家族さえいればいいや、
と見切っている。クラスで孤立している? けっこう毛だらけ猫灰だらけ。
平気な顔で孤独に堪えるのも修行のうち、と思い定めることだ。
←刈り集められ、お台場の「施設」に
収容された戦争孤児たち。彼らは
生きるために盗みでもかっぱらいでも
何でもした。家族を喪った彼らの孤独感
に比べれば、甘やかされて育った現代の
ガキどもの〝いじめ〟など屁みたいなものだろ。
それにしても衆をたのんで個をいじめるなんざ、人間の風上にも置けないね。
一人くらいいじめをやめさせる義侠心に富んだ生徒はいないのか。
「卑怯(ひきょう)」と「怯懦(きょうだ)」がいかにみっともないものであるか、
大人たちは声を大にして訴えなくてはならない。「命の大切さを教えました」
ではダメなのだ。ボクたちは「勧善懲悪」を映画館の中で学んだ世代だ。
最後には悪い奴らが亡びる――この古くて新しい原理原則を徹底して
植え付けなければいけない。
最後はユーミンの『ひこうき雲』で締めましょうかね。
これも自殺した子を悼む歌である。
←「月に雁」ならぬ「月に飛行機」
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