昨年6月、東海道新幹線の車内で男女3人を殺傷したとして殺人罪などに問われた
男は、「一生刑務所に入っていたい」などとふざけた言い草を繰り返していたが、
今月18日、横浜地裁で「無期懲役」を言い渡された。
この被告は初公判で、
「(○○さんを)みごとに殺しきりました」
「(女性二人は)残念ながら殺し損ないました」
とうそぶき、
「もし有期刑になって出所したら、また必ず人を殺す」
と公言、執拗なほど無期懲役にこだわった。
女性二人を守ろうと、素手で犯人に立ち向かっていったUさん(38歳)はほんとうに
勇気のある人だと思う。ナタとナイフで無残にも殺されてしまったが、遺族の
無念さを想うと言葉がない。
そんな思いを知ってか知らずか、被告は無期懲役刑が言い渡されたとき、
万歳を三唱したという。これでずっと刑務所に居られると思い、
嬉しさ余って万歳をしたのだろうか。刑務官が慌てて止めに入ったというが、
後の祭りだった。ボクが刑務官だったら失職覚悟で殴り倒していただろうに。
日本の刑務所では文字どおりの〝クサい飯〟が出されていたらしいが、
今はシャバなんぞよりよっぽど居心地がよいらしく、メシは温かくて
栄養バランスが考えられ、所内の作業は土日休みの週休二日制だ。
ブラック企業に勤めるサラリーマンなどよりはるかに恵まれている。
日本では3人殺さないと死刑にはならないらしい。
この犯人もそのことを知っていて、殺すのは2人までにしておこう、
と最初から決めていたという。なんともふざけた野郎である。
ボクなんか江戸の刑罰みたいに、もっと刑法を厳しくすべきだと思っている。
人を殺めたら例外なく死刑、親殺しは即死刑。
江戸では親殺しや贋金づくりは磔・獄門と相場が決まっていた。
磔刑とは磔柱に縛りつけ、突き手が槍などで20~30回突き刺す刑だ。
また放火は、市中引き廻しの上、磔・火あぶり。恋人に会いたい一心で放火した
〝八百屋お七〟は14~15歳の少女であったが、磔刑&火あぶりの刑に処せられた。
江戸の刑は「一罰百戒」がモットー。
つまり一人を罰して多くの人の見せしめとし、犯罪を減らす狙いがあった。
鈴ヶ森や小塚原の刑場は、だから主要な街道筋にあっていやでも人目にさらされた。
不義密通をしただけで死罪(斬首の上、試し斬りにされる)というのだから、
〝不倫〟ばやりの現代にあっては、スケベーな男女はみんな素っ首が飛んでしまう。
死罪まで行かない「遠島」という刑罰もあった。奄美大島や伊豆七島へ
島流しにされる罰で、刑期はほとんど無期限だったという。
今だったら、
「わーい、奄美の海で思いっきり泳げるぞ!」
なんて逆に喜ばれてしまいそうだが、
実際はそんなのんきな話ではなかったようだ。
事件が起きると、往々にして人権が語られるが、その多くは被害者のそれではなく、
加害者の人権が中心になる。人の命を何とも思わない人非人の人権を
なぜ守らなくてはいけないのか。ボクにはそこのところがさっぱり分からない。
北町奉行所の「遠山の金さん」みたいに、
「(もろ肌脱いで)おうおう、この背中に咲いた桜吹雪が、手前の悪事をちゃ~んと
お見通しなんでェ…………きびしく吟味の上、極刑を申しつけるであろう。
これにて一件落着」
てな調子で厳しいお裁きを願いたいね。
加害者の肩ばかり持つ人権派弁護士なんて糞くらえである!
連帯責任を負う「五人組」といった相互監視システムなどと相俟って、
江戸の町の犯罪率は驚くほど低かったという。
獄門とか鋸挽(のこびき)とか、あまりに残酷な刑が多すぎると思うかもしれないが、
犯罪者にとっては残酷かもしれないが、まっとうに生きているものにとっては
関係ない。上記の裁判所で万歳三唱した人非人などは、犠牲になったUさんや
遺族の気持ちを想えば、ノコギリで首をギコギコと挽き切ってやりたくなるが、
〝人権天国〟の日本ではそれもかなわない。不条理という外ない。
←片岡千恵蔵の金さんはよかったな。
いくぶん吃音者みたいにしゃべる千恵蔵。
ドスが利いていてすこぶるカッコよかった
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