2018年1月8日月曜日

オンナは愛嬌、オトコも愛嬌

鈴木亮平ファンのわが女房は、NHKドラマの『西郷(せご)どん』を心から
楽しみにしている。日本人は茫洋としていて度量の大きな西郷隆盛と坂本龍馬が
大好きだ。が、ハーバード大学の日本史教室では、どちらかというと冷徹な
大久保利通や木戸孝允のほうが高く評価されているという。

俗に維新三傑は「情の西郷隆盛」「意の大久保利通」「知の木戸孝允」と呼ばれる
が、日本の近代化に最も貢献したのは大久保と木戸とされている。この二人が
政治家として圧倒的に優れていた点は正直で清貧だったこと。木戸が死んだときは、
財産が一銭も残っておらず、大久保にいたっては残された家族が葬儀費用も払えな
かったという。ひたすら蓄財に励む、どこかの国(Chineseの国?)の政治家どもに
爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものである。

「漢(おとこ)は愛嬌こそ大事」
西郷はいつもそう思っていた。無欲と至誠から滲み出る分泌液が〝愛嬌〟の
本質だった。これは一種の風土性といえるものかもしれないが、薩摩人には
「冷酷」を甚だしく憎むところがある。すべてに対して〝心優しい〟というのが
薩摩男児の性根を形作っているらしい。換言すれば、「さわやかな人格である」
というのが薩摩武士の誉れなのである。

薩摩藩には「郷中(ごじゅう)教育」というものがあった。
いわゆる「二才頭(にせがしら)」というグループリーダーがいて、
年下の「小稚児(こちご)」や「長稚児(おせちご)」に対して、
折をみては〝真の武士の生き方〟を訓示するのである。

たとえばそれは「負けるな」「ウソをつくな」「弱いものをいじめるな」
といったことどもである。会津藩にも似たような「什(じゅう)の掟」という
ものがあった。例の「ならぬことはならぬものです」で知られる訓戒事項だ。

西郷どんは弱い者いじめがきらいだった。
「二才頭」だった西郷は卑怯・卑劣を何より憎んだ。
そして会得したものが「己を愛するなかれ!」という「無私」の境地だった。
自分を愛することがなければ物事がよく見えてくる。
西郷は「無私こそが人を動かす」と考えた。

ボクも西郷に劣らず〝イジメ〟がきらいだ。
なぜきらいかというと、皆で寄ってたかって一人の人間を攻撃するからである。
およそケンカというものは〝1対1〟でやるべきものなのに、徒党を組んで
弱そうなやつをやっつける。これほど卑怯・卑劣なことがあろうか。
西郷のめざすところの「さわやかな人格」に最も遠いところにある。
ボクは生来、〝徒党を組む〟〝人と群れる〟という行為を憎んでいて、
生理的に受けつけないというか蛇蝎(だかつ)のごとくきらっている。

人類創生以来、いやこの世に生きとし生ける物がある限り、
「イジメ」はなくならない。イジメによる自殺が起きるたびに、
「いじめをなくしましょう」という言葉が交通標語のように唱えられるが、
悲しいかな鴻毛のごとく虚しく宙を舞うだけで、だれの心にも響かない。

イジメは決してなくならない。
であるならば、いじめをなくすことより、いじめられても傷つかない
強い心を養うことのほうが大切だろう。いじめがいけないのではない。
いじめに負けてしまう弱い心、耐性のなさが問題なのである。
〝古(いにしえ)の道を聞きても唱へても 我が行(おこなひ)にせずば甲斐なし〟
郷中の規範となった〝いろは歌〟を心底噛みしめるべきだろう。

さて話変わって『茶の本』で知られる岡倉天心。
岡倉にはアメリカでは着物を着、日本では洋服を着る、というこだわりがあった。
ある時、弟子たちと一緒にボストンの街を歩いていると、
若いアメリカ人がこんなふうに日本人の一行をからかった。

"What sort of nese are you people ?
Are you Chinese , or Japanese , or Javanese ?"
(お前たちは何ニーズ? 中国人? それとも日本人? ジャワ人?)

岡倉は得たりとばかりニヤリと笑って、こうやり返したという。
"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you?
Are you a Yankee , or a donkey or a monkey ?"
(私たちは日本の紳士です。あなたこそ何キーでしょうか?
アメリカ人? それともロバ? 猿?)

岡倉は福井藩出身の武家で、日本男児としての誇りを生涯失うことはなかった。
冷やかしやからかいを英語のジョークで切り返す――それだけの英語力と
機転のよさを有する政治家が、果たして今日の日本にいるかどうか。
ボクなんかクソ生意気な中国の王毅外相に対して、完膚なきまでやっつけて
やりたいのだが、いかんせん肝心の英語力と機知がない。
明治期の日本人の教養と気概はホンマにすごかった。






←岡倉覚三(天心)。写真は仏頂面だが、
愛嬌はあった。

2 件のコメント:

  1. しまふくろうさま
    遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
    本年も無精者の木蘭をどーかひとつよろしくお願いを申し上げます。

    弱い者いじめはまことに悪い。
    「五戒」の中に不殺生戒というのがありますが、
    それは「生命を奪う」ということだけではありません。
    弱い者いじめも「殺生」です。

    しかし、しまふくろうさまも仰せのように、
    やはり「いじめに負けない強い心」を養うことが大切だと私も思います。

    言葉ひとつでモラハラだのセクハラだのと大騒ぎ。
    「いちいち騒ぎ立てるんじゃないよ」と啖呵の一つでもきりたくなります。

    「バカ」だの「スカ」だの「あんぽんたん」なんて、
    言われ続けていけば自然と慣れてきます(笑)
    何か言いたいのに遠まわしで、歯切れの悪い物言いは、
    「結局お腹の中では何を思っているんだろう」と、
    考えなくてもいいようなことまで考えさせられてしまったりもします。

    岡倉天心のお話はとっても面白いですね。
    頭の回転の速い人をとても尊敬します。
    私はのろまだし理解力が悪い。
    加齢によってさらに輪がかかってきています(笑)

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  2. 木蘭様
    まずはゴメンナサイ。木蘭さんのコメントが〝スパム〟に入っていて、まったく気づきませんでした。
    さて話が変わりますが、シマフクロウという鳥はアイヌ民族の守り神というか「神の鳥」として崇められていたといいます。昨日のテレビで言ってました。神の鳥ですよ、神の鳥。これからは嶋冨久労に改名しようかしら。

    おっしゃるとおり、今のご時世では女性に声をかけるのもおっかなびっくりです。
    「おきれいですね」と言っただけでセクハラととられてしまうかもしれません。
    頭をポンとたたいただけで虐待だとか暴行だとか大騒ぎする。

    ボクなんかいつも廊下に立たされていたし、教師に平手打ちを何度も食らっている。
    すべてが愛のムチとは思えませんが、怨んだことは一度もないです。

    リベラリズムが暴走すると「人権」が肥大化していきます。
    社会的な弱者は守ってやるべき存在ですが、弱者が必要以上に権利を主張しだすとロクなことにはなりません。「バカ、カバ、チンドン屋、おまえの母ちゃん、出べそ!」と言われ続ければ、木蘭さんが言うように慣れてきます。美人は3日で飽きるが、ブスは3日で馴れる、というのとおんなしです。

    木蘭さんも加齢と言うようになりましたか。ボクも加齢で身体がガタガタ・ボロボロ。
    いつかカレーの旨い店にご一緒したいですね。

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