2018年2月21日水曜日

みなさんのおかげです

「行け、いけ、いけ、ニャオ! いけーっ!」
女子スピードスケート500㍍。日本の小平奈緒がみごと金メダルを
獲得してくれた。ボクと女房は放送が始まるやテレビ画面にくぎ付け。
「ニャオ、がんばれ! ニャオ、ぶっちぎれ!」
などと、その声援の、なんとまあ、かしましいこと。

さかりのついた猫みたいに「ニャオ、ニャオ」とうるさいわが家。
奈緒がなぜ「ニャオ」になるかというと、わが家の次女が「ニャオ」だからだ。
小平奈緒もわが豚児も、名前が「ナオ(一字ちがうけど)」で発音が同じ。
うちでは今でも幼児期そのままに「ニャオ」と呼んでいるので、小平奈緒も
勝手に「ニャオ」にさせてもらった。臆面もなく言わせてもらうと、
小平も次女もお目々パッチリの色白美人。心優しいところも共通しているもの
だから「ニャオ、ニャオ」と、つい小平選手への声援に力がこもってしまうのだ。

一流選手が力を出し切ったあとの涙は、勝っても負けても美しい。
選手の中には禁止薬物を使ってまで勝ちたいとする卑怯者も一部にいて、
一流選手が必ずしもFairplay精神の持ち主とは限らないが、
それでもボクは全力を出し切り、精も根も尽き果てたときに自然とあふれ出る
涙の清らかさを信じたい。高木美帆や小平奈緒の涙はことのほか美しかった。
ボクも思わずもらい泣きだ。

スポーツはいい。ボク自身ははそれほど運動神経が発達しているとは思えないが、
スポーツは大好きで、平均的でよければ、どんなスポーツでもソツなくこなせる。
スケートも好きで、若い頃はリンクでよく滑った。当時、ハーフスピードの
スケート靴を持っていて、軽井沢まで足をのばしては兄とよく天然リンクで
滑ったものだ。

テレビ番組で見たいと思うのは、スポーツ番組とニュースだけ。
アホな芸ノー人が勢揃いし、下卑た笑いが横溢するバラエティなどという
番組は金輪際見ることはないし、わざとらしい演技と幼稚な演出が目立つ
日本のドラマを見ることもない。ウソで固めた韓流ドラマなど論外だ。

選手たちはよく、「多くの皆さんの応援のおかげでここまで来られました」
と、マイクを向けられるたびに常套句のようなセリフを口にする。最初は、
(なんだか、むりやり言わされてるみたい……そう言っておけば無難だしな)
と、いくぶんわざとらしく聞こえたものだが、今はちがう。
自分の力を超えたものがある、という感覚。それは努力をしたかどうかを
超えたもの。選手たちは心からそのことを実感して、「おかげさま」という
言葉を自然と発しているのではないか。ボクはそう確信している。

ひとには誰でも、
(何かの力で自分は生かされているのでは……)
と感じる時がある。この世に生を受け、自分なりに精いっぱい
生きてきたけど、ふとした拍子に、
(今の自分は両親やご先祖、友人たちといった多くの人たちの
〝見えない応援〟によって支えられているのではないか。
運命という名の見えない手と手で、遠い宇宙の連環にまでつながって
いるのではないか……自分なんてミミズとかオケラと同類で、
たとえ名声を博しても所詮ちっぽけな存在でしかないのでは……)
そんなふうに思えることがある。

なんだか荒唐無稽な話をしているように思えるかもしれないが、
年齢を重ね、ある程度の経験を積み重ねてくると、
宇宙の根源にある無限のエネルギー、そのエネルギーには明らかな
「意志」があるように思えてくる。その大いなる意志が自分を生かして
くれているのではないか。

「おかげさま」という言葉は「(神仏の)お加護さま」から来ているといわれる。
日本人選手の心からの「おかげさま」を聞くたびに、決して驕らず、
常に謙虚な日本人っていいなァ、と思い、ついつい顔がほころんでしまうのである。


←2位のイ・サンファをやさしく
抱きしめる小平奈緒選手。ニャオ
という名の子はみんな心優しいのォ、
グスッ。


photo by スポニチ

2 件のコメント:

  1. 嶋中労さま

    おはようございます。
    「おかげさま」という言葉を考え直してみると、確かに労さまの言うように
    日本人が脈々と受け継いできた精神が隠れ潜んでいることに気が付き驚きます。

    この「おかげさま」と「ありがとうございます」「感謝しています」がなんの
    引っかかりもなく自然と言葉にすることのできる人に日本人としてなりたいものですね。

    毎日のように目を熱くしている田舎者です。謙虚にして驕らずまた一つ学ぶことが
    出来ました。

    ありがとうございまいた。

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  2. 田舎者様
    わが家に居候していた仏人留学生のルカは、何かをしてやると必ず「アリガトウ」と言ってました。母国での「メルシー」をそのまま置き換えてるだけ、といってしまえばそれまでですが、ルカの「アリガトウ」は実に自然な感じで、言われたこっちはいつも温かい気持ちに包まれたものでした。

    女房も同じことを言っていて、「ルカのありがとうには教えられるよね」とたびたび口にしていました。

    ボクもよく「ありがとう」と言います。習慣みたいになっていて、自然と口をついで出てきます。
    マンションを掃除してくれている清掃員の方たちにも、目が合うと「いつもありがとうございます」。以前は「ご苦労さまです」とか「お疲れさまでした」と言っていたのですが、何かで読んだのか、「ご苦労さまです」にはいくぶん〝上から目線〟的なニュアンスがある、とあったもので、ボクにはピンとこなかったのですが、以後「ありがとう」に換えています。

    「おかげさま」には多少外交辞令的な、あるいは事なかれ主義的なニュアンスがありますが、心の裡から発せられた言葉であるなら、たぶん美しく響くでしょうね。

    ぼく個人としては「おかげさま」を使う頻度は低いですが、「ありがとう」の頻度は非常に高いです。こうやってお互いを思いやる心を忘れなければ、日本は世界一素敵な国になるでしょうね。

    こちらこそありがとうございました。

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