2019年12月23日月曜日

物くるる友

ボクは人から物をもらうのが好きじゃない。
高価なものにしろ安価なものにしろ、物をもらうということが好きではないのだ。
もらった瞬間、嬉しいな、ありがたいなと思うと同時に、
(ああ、いつかお返しをしないといけないな……)
と考えてしまい、そのことがずっと頭の片隅から離れなくなってしまう。

そのことを女房に話したら、
「ちょっと異常なんじゃない?」
と言われた。そう、異常なのだ。異常なくらい心の負担になってしまい、
せっかくいただいたものもついには色あせて見えてしまうことも。

もらうのが嫌いなら、人にものをあげるのは好きなのか?
いや、あげるのももらうのも「物」という物品が介在する限り
好きになれないのだ。

ボクが人間関係で最も重視するのは常に「対等」である、ということだ。
人種や民族、出自、学歴や職歴など一切関係なく、対等につき合うこと。
もちろん長幼の序くらいはわきまえていて、敬語はそつなく使い分けるが、
気持ちの上では対等だ。それがボクのモットーでありポリシーなのである。

だから、上から目線の人や、「むかし偉かったおじさん」といった
自慢たらしい人は大の苦手で、蛇蝎(だかつ)のごとくきらっている。
ボクにとっては市長だろうと会社社長だろうと、またレジのおばちゃんも
便所掃除のおっちゃんもみんな同じ。それが証拠に言葉づかいも接する態度も
みな同じである。

奴隷を解放したリンカーン大統領の演説にはこうあった。
〝All men are  created equal〟
いかにもカッコいいこと言ってるけど、家に帰れば黒人の召使いが大勢いたし、
アメリカ先住民に対しては逆に攻撃的で、その扱いは苛烈を極めた。
〝平等〟などと言っても、かなりいい加減なところがあったのである。

『徒然草』の第117段にこうある。
《よき友に三つあり》として、一番最初に挙げているのが、
《物くるる友》、つまり物をくれる友が《医師(くすし)》や《知恵ある友》
よりも上位に置かれている。物余りの時代に生きるボクたちからすると、
兼好法師は欲深で貪婪(どんらん)な人物ではないのか、などと誤解しそうになるが、
なに、《物》とは金品だけとは限らない。貴重な情報かもしれないし、
親切心といったものかもしれない。

ボクなら《悪しき友に三つあり》として、
その第一に《物くるる友》を挙げてしまうかもしれない。
もちろんこの《物》は金品そのもので、心に負担がかかりそうな「モノ」である。

そうはいっても人の家を訪ねるとき、手ぶらでは行けない。
こっちだって友がいきなり手ぶらでやってきて、
「おい、数日泊めてくれや!」
と言われたらカチンとくる。慣習というものは怖ろしいもので、
日本では手ぶらで他家を訪問することは失礼千万なこと、となっている。

しかし手土産持参の場合は、寝床と食事を提供することで、
貸し借りなしになっている。お返しの必要はないのだ。
ボクはこの〝貸し借りなし〟のequalという人間関係が一番居心地がいい。
このバランスが少しでも崩れると、妙に心が落ち着かなくなってしまう。

だから友よ、
ボクには物を与えないでくれ。
ただし年末ジャンボ宝くじのたぐいで、
当たりそうなやつはその限りではない(←それが分かったら苦労せんわ)
もしも当たったら1割分くらいはお礼でさしあげるから、
どうか気兼ねなくちょうだいな。(←バカ)



←「こういうものは、わしゃ要らん!」
と頑固なおっちゃん



2 件のコメント:

  1. なごり雪様
    なんか気持ち悪いんだけど(笑)。

    何度言ってもわかんない人だねえ、おれにはそっちの趣味はないって。

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